+ ブログサーチ #blogsearch
+ ニュースサーチ

● 吉田清治〔Wikipedia〕
福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。戦後30年を経て慰安婦問題の嚆矢となる『私の戦争犯罪』を上梓したが後に創作であることが判明、本人も認めた






背乗り
■ ツイッターからの拾いもの 「Spring out(2015.7.9)」より
/
【背乗りの疑い】
慰安婦問題を巻き起こした、吉田清治氏は死亡していたとの報道。
https://samurai20.jp/2014/09/comfortgirl-5/

本当の吉田氏はどこに?
うごめくコミンテルンの陰謀
共産党との影(拡散推奨・定期tweet)

(※mono.--以下略)


■ 【背乗りの疑い】慰安婦問題を巻き起こした、吉田清治氏は死亡していたとの報道。 「小坪しんや(2014.9.10)」より
/
これは本当にぞっとした。
怖いどころの話ではない。

タイトルに【背乗りの疑い】と書いたが、背乗りが何かわからないと怖さはわからないと思う。
まず背乗りの説明から。
読みは「はいのり」で、昨今ネット界隈などで周知されている警察用語である。

<<wikipediaから抜粋>>
背乗り(はいのり)とは、工作員が他国人の身分・戸籍を乗っ取る行為を指す警察用語。
概要[編集]
元々はソ連の情報機関が古くから用いた方法だというが、北朝鮮情報機関もよく使う方法であり、日本人拉致にも背乗りを目的としたものが多い。日本で工作活動を行うほか、韓国に入国するためのパスポートを得るためである。周囲に気付かれないよう身寄りのない人が狙われやすいという。

wikipedia:背乗りより抜粋>

具体的に言おう。
死んだ日本人、もっと言えば殺された日本人の戸籍をのっとり、
本来の戸籍の所有者は死んでいるのに、「別のなりすまし」が生きている状態のことだ。

特に戦後の混乱期などは、戸籍の売買もあったと聞く。
また戦死者等をのっとる例もあった。

こう書くと、非常に昔のことのように思うだろうが、実はいまでも怯えるべき単語だと私は思っている。
最近、有名な例だと2012年に起きた「尼崎事件」である。
これは家族まるごと皆殺しにされ、その戸籍等をのっとって「誰かわからない、その名を名乗る者」らによる犯行でもあった。
事件の根幹に至る直前、不可能なはずの警察署内で主犯格が自殺。
当時は「背乗り」についても相当にネットでは騒がれた。

当然ながら日本国籍を有していない者が
主に背乗りを行うわけだが、だいたい国籍は決まってくる。

テレビが捏造であっても人気を高めたかった国々だ。
神の国とイメージ操作をしたり、、、である。
パチンコ・スロットがスポンサーとなっっている「いわゆる大手メディア」は、できるだけこの問題はぼかして報じていた。

この単語はできるだけ知って欲しくないのだろう。
ネットではある程度、周知されている単語だが、メディアに登場することはあまりない。
ただし、いまの日本において「ネットである程度、周知されている」ことは、
「若い子は結構、知ってる」ということと同義であり、
報じないことが「怪しい」という反応になっていくわけだが。

福岡の方や、私の近所の方も、背筋が寒くなるのではないだろうか。
これは国政の話ではない。
なんと卒業高は、門司商業だった、、、とのこと。
山口出身ではなく、福岡。

予備知識はこの程度にして、
とりあえず驚きの記事を読んで頂きたい。
にわかには信じがたいが、これが事実であれば
そうであれば、慰安婦問題は、「共産主義者」らが捏造した、証言者まで捏造したということじゃないか。

朝日が報じ続けた慰安婦証言の吉田清治氏 証言も経歴も虚構

夕刊フジ 9月8日(月)16時56分配信
朝日新聞は32年もたって、吉田清治氏の「韓国・済州島で慰安婦を強制連行した」といった証言を虚偽と認めた。この吉田氏の経歴について、産経新聞が8日付朝刊で徹底検証している。その素性は、あまりにも怪しく、謎に満ちたものだった。

吉田氏の本名は吉田雄兎(ゆうと)。清治はペンネームで、他に別名として東司、栄司を名乗っている。著書で「本籍・山口県」としているが、実は福岡県だった。門司市立商業学校(当時)の卒業生名簿には「吉田雄兎」の名があるが、卒業生名簿には「死亡」と記されている。

著書の記述では、1937年、満州国地籍整理局に務め、39年から中華航空上海支店に勤務したことになっている。しかし、歴史学者の上杉千年氏の調査では中華航空社員会で吉田を記憶する者はいなかった。

吉田氏によれば、40年に朝鮮の民族主義者で日本の民間人を殺害した金九(キム・グ)を輸送した罪で逮捕され懲役2年の刑を受けたという。ただ、吉田氏は、現代史家の秦郁彦氏に対し、罪名はアヘン密輸にからむ「軍事物資横領罪」であることを告白している。

42年に山口県労務報国会下関支部動員部長に就いたとする吉田氏。済州島での慰安婦狩りも、著書で「(強制連行の)実態は私が家内にしゃべったか見せたかしたので、家内の日記の中にありました」と書くが、吉田氏が実際に妻と結婚したのは「慰安婦狩り」を行ったという時期の1年後のことだとされる。

著書には戦後の吉田氏の足跡は一切触れられていないが、秦氏によると47年に下関市議に共産党から出馬し落選。70年ごろには福岡県の日ソ協会役員に就いた。

これら吉田氏自身の虚構は、秦氏や上杉氏、戦史研究家らの丹念な調査・研究で明らかになった。秦氏は、吉田氏を「職業的詐話師」と呼ぶ。こんな男の証言を、朝日は慰安婦強制連行の証拠として、報じ続けたわけだが、謝罪や木村伊量(ただかず)社長の記者会見もしないのか。

吉田証言は、米紙ニューヨーク・タイムズなどの海外メディアだけでなく、韓国政府の報告書や、国連人権委員会のクマラスワミ報告書にも引用された。

吉田氏は96年の週刊新潮(5月2・9日合併号)のインタビューで「本に真実を書いても何の利益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」などと捏造(ねつぞう)を認めた。その後、2000年7月に死去したという。


(※mono.--ブログでの記事は文字が色分けされ、文中リンクが貼られている。詳細はブログ記事で。)

ぞっとした。
吉田清治氏、貴方はいったい何者ですか?
本当の名前を知りたい。
果たして日本人なのか。

記事を抜粋して見ていきたいと思う。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)

日本共産党
■ 日本共産党 朝日の陰に隠れて「吉田証言」をこっそり取り消し!! 「赤峰和の「日本が、日本であるために」(2014.10.2)」より
/
日本共産党は卑怯です。慰安婦問題で朝日新聞が記事取消に追い込まれ、日本中から大バッシングを受けている中で、日本共産党はこっそりと「慰安婦問題」の張本人の「吉田証言」を取り消しました。

しかし、吉田証言をした吉田清治氏は日本共産党員であったわけですから、日本共産党としては記事を取り消しただけで責任をとったといえるのでしょうか?

まずは、志位委員長自らが公開の場にでてきて謝罪会見を開くべきではないでしょうか。

赤旗 慰安婦巡る記事を取り消し 9月29日  NHK

日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡り、「慰安婦を強制連行した」とする男性の証言を取り上げた記事について、「証言は信ぴょう性がない」として記事を取り消し謝罪しました。【中略】

このなかで、「しんぶん赤旗」が1992年と93年に合わせて3回、この男性の証言や著書を取り上げた記事について「証言は信ぴょう性がない」として、これらの記事を取り消し謝罪しました。

これについて赤旗編集局は「赤旗でも過去の報道の検証が必要だと判断したもので、河野談話に対する攻撃に反論する必要もあると考えた」と話しています。


「しんぶん赤旗」の取消謝罪は9月27日付けですが、
その記事は、「歴史を偽造するものは誰か――『河野談話』否定論と日本軍「慰安婦」問題の核心」という長文の主張のあとに、少しだけお詫びを述べているだけです。

お詫びの前の文章は圧倒的に長文で、すべてが弁明と問題の本質をすりかえています。この記事の小見出しは以下の通りです。

(※ 以下略、詳細はブログ記事で)

従軍慰安婦問題
■ 捏造慰安婦の火付け者 「通名」吉田清治 「BBの覚醒記録(2014.3.7)」より
/
まずタイトルに「通名」と打ったのは、従軍慰安婦に関するでたらめ本を出し、
後の慰安婦問題に火をつけた吉田清治が、幾つもの名前をペンネームという
形ながら使い分けていたことから、一抹の疑いを抱かざるを得ないという点での「通名」呼ばわりです。

わずか4歳年下の、李貞郁という朝鮮人を養子にしているのも、妙な気がします。
なぜわざわざ、朝鮮人? わずか4歳差?

真偽を追い切れていない、ということではこれもそうですが、とりあえず
「こういう説もある」ということで紹介しておきます。

【吉田が24歳の時に養子にした李貞郁は、実の弟なのではないか? 密かに九州に渡っ た朝鮮人が死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取り、そして実弟を養子として入籍した… そんなストーリーだと辻褄が合う】

エピソードの真偽もさることながら、しかしこういう説が出ることじたいが、吉田の
いかがわしさ、得体の知れなさを現していると言うべきでしょう。

吉田の【定かならぬ】略歴

(※ 以下詳細はブログ記事で)

◆ 悪質な嘘は止めようね _ 吉田清治証言は虚構じゃない 「阿修羅(2011.12.18)」より
/
そもそも従軍慰安婦は13才、14才から慰安所で働き始めている。

18才以下の売春婦は法的に認可されていないから、例え本人や親が承諾していたとしても悪質な法律違反になる。 従って、従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。

従軍慰安婦が売春婦だという奴らの唯一の論拠になっているのが詐欺師 秦郁彦の本


吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦

産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

※ コメントから

04. 2011年12月18日 19:36:39 : E7MadxD0Tk
吉田証言が捏造なのは明らか。
1996年5月29日付週刊新潮インタビューで吉田本人が
「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」
と言っている。
本人が事実でない事を認めているのに、虚構じゃないとはみっともない人間だな。

05. 2011年12月18日 19:49:31 : PQxsgHPQTc
「従軍慰安婦」を書いた吉見義明ですら1997年1月3日の朝まで生テレビで「植民地での奴隷狩り強制連行は確認されていない」と吉田の証言の信憑性を否定しているのに、未だに信仰している時代錯誤の信者っているんだね。

06. 2011年12月18日 19:51:06 : oXjyYrHR4I
 韓国人よ、今現時点で日本で起こっている「統一教会による日本女性7千人以上の人身売買」をどうしてくれるのだ! 日本で起こる外国人の犯罪者のほとんどが韓国人である。何様のつもりか!

07. 2011年12月18日 20:06:30 : o9zQ2ZYUCA
だいたい韓国は売春婦が「売春の取り締まりは生存権の侵害」だと抗議デモを行う
ような国なのに何が「名乗り出られなかった」だよ。
全くお笑いとしか言いようが無い。


08. 2011年12月18日 21:17:47 : 7XRJFph6NA
現代の法律、価値観で当時を裁くか?
当時は当時の法律価値観です。
貧乏なら我が子を売るのも当たり前。
食えないから、子供や老人は間引く。
建て前では、政府軍部は関与は無い。
女衒が暗躍しただけでしょうが。



■ 吉田清治の転落人生 「従軍慰安婦はただの売春婦だ!ふざけるな!」より
/
  • 済州島の『済州新聞』(1989年8月14日付)
 解放44周年を迎え日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が
 刊行され大きな証言を与えている。しかし裏付け証言がなく波紋を投げている。
 この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15~16人を強制挑発したり、
 法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏付け証言する人は
 ほとんどいない。 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して
 強く疑問を投げかけている。
 城山里の住民のチョン・オク・タン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、
 十五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。
 郷土史家の金奉玉(キム・ポン・オク)氏は「1983年に日本語版が出てから、
 何年かの間追跡調査した結果、事実でない事を発見した。

  • 平成8年(1996年)吉田君へのインタビュー(5月29日週刊新潮)
 「本に真実を書いても何の利益もない。 事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、
 新聞だってやるじゃないか!」


■ 捏造作家、吉田清治という男 「誰も知らない落合信彦」より
/
ここでは一切の主観を拝し、コピペのみということで番外編としました。

吉田清治に比べたら、落合信彦なんぞ、小者に見えてしかたがない。
/
12済州島の慰安婦狩り
 陳述 1943年5月15日付の西部軍動員命令(要点は妻の日記に記載、II,p156)により、43年5月17日下関発、翌日済州島着、兵士10人の応援で205人の女性を慰安婦要員として強制連行、暴行したものもいた(II,第三話)。
 実際 1944年2月(I,p156、実際は44年5月18日)に結婚した妻の日記に動員命令の要旨が記載されているはずがないので、全体が虚構と思われる。

13戦後の略歴
 陳述 I、IIとも一切の言及がない。
 実際 47年4月下関市議に共産党から出馬して落選、70年頃門司の日ソ協会役員をしていたほかは、職歴不明。

(注1)カッコ内のIは吉田の第一作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社1977)、IIは第二作『私の戦争犯罪』(三一書房1983)、上杉は植えすぎ千年『検証従軍慰安婦』(全貌社1993)を示す。

(注2)「実際」の諸事実は、1993-96年にかけ、秦、板倉由明、上杉千年らが、下関を中心に吉田のwんじゃ、知人などを通じ調査した結果である。






.
最終更新:2017年09月09日 21:58