+ ニュースサーチ

● 「保守主義の父」 エドマンド・バーク 保守主義
(※ 大東亜戦争関連連載記事あり。)

「太平洋戦争」という言葉は、元々なかった。元々は 「大東亜戦争」と呼んでいた。GHQの占領政策によって 「大東亜戦争」は検閲により消去されWGIPによって「太平洋戦争」に塗り替えられた。(LEGACY OF ASHESより)
+ 地図
※ 元ページへ行かないと主要戦闘紹介リンクは拾えません。(画像をクリックすると元記事へ飛びます。)
第二次世界大戦:太平洋戦争の写真(米国側の撮影)
■ Captured: The Pacific and Adjacent Theaters in WWII 「Plog Photo Blog」より
+ 映画【凛として愛】監督:泉水隆一
【散華】
● 【カラー】日本の戦争(前編)〔Youtube〕
● 【カラー】日本の戦争(後編)〔Youtube〕




https://www.youtube.com/watch?v=JitLr5D7LSI&list=PL3ZLlXx_GO-SGugRXPWiIwgtQdKUnmCzJ




※ tweetスレッド
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イサク@bER2YpZXY3TapXc
私がまだ20代の頃に、友人に誘われて元外交官の講演会に行った事があります。名前は失念しましたが、講演内容は当時サヨクだった私には目眩がするほど衝撃的なものでした。有名な話しなのでご存知の方も多いと思います。終戦後まもなく、インドでアジアのリーダー達が集まって平和会議の様なものが
午後5:24 · 2022年11月16日

開催された。日本も招待されたが戦後処理に追われていた日本は、結局外交官一人を送る事になった。しかし官僚たちは誰もが出席を嫌がった。そこで入省したばかりのS,氏が出席する事になった。「何を言われても口答えせずに黙って耐えろ」とか「ひたすら謝れ」とか、先輩達から脅されたのでビクビク

しながらインドに向かったそうです。所がインドに到着してみると万雷の拍手で迎えられ、インドのネール首相から「日本が300万人という尊い命を犠牲にして戦ってくれたお陰で、我々は独立できた」と言われたそうです。これだけでも、共産党やサヨクが主張している大東亜戦争が日本による侵略戦争である

と言うのが真っ赤な嘘である事が分かります。あのマッカーサーですら公の場で「大東亜戦争は日本の祖国防衛のための戦争だった」と証言しているほどです。防衛のための戦争は国際法で認められているのです。一日も早く憲法9条を改正し、防衛力を強化をすべきです。

インドではなくインドネシアのバンドンで開催の間違い。村山富市が総理の時にマレーシアを訪問し、日本が大変ご迷惑をお掛けしました、と謝罪した所、当時首相だったマハティール氏から「日本が謝る理由など1つもありません」と窘められている。この様に日本を侵略国家などと批判しているのは、中国と

朝鮮半島そして日本共産党など野党とメディアだけです。(公明党など親中派政治家も含まれる?)

※ tweetに対する反応👇

戦後教育はCIAにより巧みに操作されてる@loveJapanese11
返信先: @bER2YpZXY3TapXcさん
敵国条項に関してのご意見はいかがですか?

🅧🅧 𝖞𝖊𝖆𝖗𝖘 𝖔𝖑𝖉 𝖇𝖆𝖇𝖞 ¨̮⑅*@AshlandLoveLove
返信先: @bER2YpZXY3TapXcさん
少ない文字数なのにとてもわかりやすい様に上手く纏められていて有難いです!

自虐史観を刷り込まれたままの人達に見てもらうのに使わせて下さいね😊🙏



宋美齢】 / 【蒋介石
■ 1941年・幻の東京空爆計画〜日本を敗戦に導いた宋美齢の生涯〜 「探検コム」より
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「アメリカの真の敵は、ドイツではなく、日本なのです」
 黒いチャイナドレスに身を包んだ小柄の女が、流暢な英語で力強い演説を終えた瞬間、割れんばかりの拍手が起きたといいます。そして、その拍手は5分間も鳴りやむことはありませんでした。

 1943年2月18日、アメリカ議会。
 蒋介石の妻・宋美齢は、この演説で一気にアメリカを味方につけてしまいました。実際、翌日には、ルーズベルト大統領が蒋介石率いる国民党への武力援助強化を発表、これが日本の敗戦を決定づけたともいわれます。
 宋美齢、まさに日本を敗戦に導いた女。

(※mono....中略)
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 このカイロ会談で蒋介石はパーティーを主催するのですが、出席したルーズベルトの次男・エリオットは、その時の感想をこう父親に書いてます。
《蒋介石夫人は男の歓心を得ることばかりに長く従事したので、いまやそれが第2の性格のようになったような印象を受けた。本来の性格はたぶん恐ろしいもののように思え、正直言って怖かった》(産経新聞2000年7月12日)

 これに対してルーズベルトは「(宋美齢は)間違いなく日和見だ。私は中国で彼女の敵にはなりたくないね」と言ったとか。なんだか彼女と争うのがイヤで日本を敵に回したみたいで、すごいコメントです。


 まさに日本の運命を決めたともいえる宋美齢ですが、実は、彼女の差し金はそれだけではなかったのではないか、というのがここからの話。

(※mono....中略)
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 この日本奇襲攻撃(作戦計画「JB355」)は蒋介石の要請で計画されたのですが、俺としては、宋美齢が思いついたとしか考えられないんだけど。もちろん裏付けはありませんが、こんな猛妻に「日本を空爆して」とキーキー言われたら、どんな男でも抵抗できないはず(笑)。

 もし、日本がこの空爆計画を察知して、対抗策として真珠湾攻撃を行ったとしたら、日本はまさに宋美齢の手の平でもてあそばれてただけという……情けなさすぎる推論も成り立つわけです。

 こんな猛女ですが、2003年10月24日、ついにニューヨークで永眠しました。享年は訃報を伝えるメディアによって異なり、104歳とも105歳とも106歳とも書かれています。
 恐るべし宋美齢。まさに20世紀最大の女狐ですな。




安っぽい朝日
NHKやマスゴミの偏向・捏造の根幹は、こういう毛糖の悪意に基づいているんですね。




kayo io
原爆さえ落としていないのに、一週間で どうしたら 20数万人もの人たちを 限られた軍隊で虐殺できるのでしょうか。 少し 考えたら わかることなのに。

米国による広島 長崎の原爆は 広島虐殺、長崎虐殺と呼ばないのですか?

東京空襲は 一般市民を焼きつくすために 特別に作られた 爆弾です。
東京虐殺とは いわないんですね




mitsuyuki bando
何故 もと 長官 田島 何某は 記録書類を nhk に 渡したのか


この放送局に 渡したのか   疑問です




oakyard
やっぱりN国党にもがんばってもらわなあかんわ。




hisa naka
NHKは本当に潰すべきですね。NHKが潰せたら存在意義が無くなるので下品な政党N国も一緒に消えてもらいたい。




nzmk227
英語が堪能な方は米国に真実の拡散お願いします。
もっと英語を勉強しておけば良かった…orz




さやか海風
NHK 何も変わってないやん😞陰暴論プンプン、ウォールストリートジャーナルて、アメリカでは左派の民主党、傾では無かったですかね。日本いつまでも、有りもしないこと、言われ放題。⤵それもこれも❗日本政府が何の抗議もしてこなかったからだ❗。国難だよ。

8


ニート大兄
日本には反日日本人が多すぎて嫌になりますね…






■ 三月一日、朝の連想メモ 「西村眞悟(平成23年3月1日(火))」より
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 今朝の「産経抄」は、おもしろかった。
 夏目漱石や正岡子規もカンニングをしていて、それをあっけらかんとして、後に明らかにしている。
 思はず頬がゆるむ。そして、回想する。人は、一度はその経験があるからだ。
 私もカンニングの経験がある。想い出した。
 小学校六年の時、試験の時間に前に座っている生徒の答えが見えた。それが、自分の答えと違う。そして、悩んだ末、前の生徒の答えに合わせて自分の答えを書き換えた。結果は、自分の答えが正しくて前の生徒の答えが間違っていた。書き換えなければ百点満点のところ、書き換えた結果九十何点だった。

(※mono....中略、詳細はサイト記事で)
/
 チュニジアやエジプトそしてリビアの反独裁体制運動が起こってから、その地名を観て想い出す人名は、ロンメルだった。
 ローマの歴史を知るならば、チュニジアは古代カルタゴの地だ。アフリカの北部地中海沿岸部は古代ローマの地だ。
 しかし、ここでは六十九年前の日本の運命と関連があるドイツ軍司令官ロンメルのことについて触れておきたい。
 第二次世界大戦において、エジプトにはイギリス軍がいて中東の石油地帯を制圧していた。
 ドイツ軍の中東への道は二つあった。北のスターリングラード攻略から中東へ南下することと、アフリカ北岸を東進してエジプトを奪って中東を攻略することだった。
 ロンメルは、この北アフリカルートのドイツ軍の司令官だった。
 彼に率いられたドイツ軍はシシリーからリビアのトリポリに上陸し、東進してベンガジを経てイギリス軍の根拠地であるトブルクを占領して、さらに一挙にエジプト深く侵攻しエル・アラメインを攻略する。昭和十七年七月(一九四二年)のことである。
 しかし、彼の東進はそこで止まり、以後後退することになる。その理由は、イギリス軍の物量がドイツ軍を凌駕したからである。
 まず、北アフリカのリビアで英独軍が相対峙したとき、両軍の戦車は、英軍四二〇両、独軍二四〇両であった。この劣勢を跳ね返してロンメルはイギリス軍戦車を三〇〇両以上破壊して敗走させてトブルクを占領した。六月二四日である。
 しかし、敗走したイギリス軍は直ちに増援を得て一〇〇両に減少した戦車を一六〇両まで回復したがドイツ軍は六〇両のままだった。
 従ってロンメルは、戦車の劣勢を迅速な追撃で補い東進を続け、七月一日には、エジプトのエル・アラメインへの攻撃を開始した。しかし、この時、イギリス軍は既に四〇〇両の戦車を補給されていた。
 その後、エル・アラメイン付近で双方は補給を得て攻防を繰り返したが、最終的に英軍は戦車二四四〇両(予備一〇〇〇両)に対して独軍の増強は五四〇両に留まり、ロンメルはイギリス軍の反撃を跳ね返すことが出来なかった。十一月三日、ロンメルは、エル・アラメインで最終的に敗退する。イギリスはエジプトを確保し得たのである。

 では、エジプトのイギリス軍は、この大量の戦車(アメリカ製)をどこから補給されていたのか。それは、インド洋からである。
 そこで、もし、インド洋を日本海軍が制圧していたら北アフリカ戦線はどうなっていただろうか。
 確かに、我が連合艦隊は、昭和十七年前半までに、インド洋をほぼ制圧し、インド洋にいたイギリス艦隊を消滅状態に追い詰めていた。
 しかし、我が国連合艦隊は、ロンメルが北アフリカを東進し始めたまさにその頃に合わせたように、インド洋をでて西太平洋に向かったのだ。そして昭和十七年六月五日、ミッドウェー海戦で大敗し、二度とインド洋に戻れなかった。
 仮に、山本五十六連合艦隊司令長官が、当初の政府方針通り(開戦直前の「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する覚書」)、インド洋の制圧という戦略目標を着実に実行しておれば、エジプトにいるイギリス軍へのインド洋経由の補給は困難となり、イギリスと切断されたインドはイギリスから独立し、ロンメルはエル・アラメインを突破してエジプトのイギリス軍は崩壊した。
 そして、この時点でのインドの独立は、我が国の戦争の大義を世界に明らかにして、欧米の植民地支配にあえぐアジア、アラブそしてアフリカ諸国民に民族独立への大きなインパクトを与えたであろう。
 しかも、アメリカ軍は、インド洋からインド東北部を経て重慶に至る蒋介石支援ルートに物資を送れなくなり、蒋介石は対日戦争継続の前提を失う。従って、我が国歴代政府が模索してきた支那戦線での停戦が実現する。
 そして、もちろん、我が国は、戦争に敗れなかった。
 大東亜戦争の停戦はあり得ても降伏はなかった。
嗚呼、山本五十六提督、何故、インド洋から出たのか。
 甦ってその理由を告げよ。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■ 太平洋戦争の盲点とその戦略的解答 「Pathfinder Physics Team(20040506初出、20130905加筆、20130909再加筆、20130912「勝敗のバロメーターとしての『戦略線の長さの比』」追加)」より
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実のところ今まで私は、太平洋戦争に関するシミュレーションというのは、それほど真剣にやるつもりはなかったんです。ところがどうも、先日アップした知的制海権のための作戦計画案を振り返ってみたところ、どうもパターン面で共通している部分がかなりあって、それが結構馬鹿にならないぐらいのものであるらしいことがわかってきました。そうなると完全に無視しておくというわけにもいきません。

それにまた一般的な問題として見ても、とにかく社会全体で、太平洋戦争というのは何をどうやっても勝つ方法はないというのが完全に常識に化してしまっていて、国家戦略を考える場合にそこで思考停止に陥ってしまうことが多いように思えます。
ところが例の知的制海権のための作戦計画論のパターンを逆に太平洋戦争に適用してみると、実は太平洋戦争の場合にも非常に大きな盲点があって、意外や意外、そこを突く戦略をとれば、あの悪夢の太平洋戦争にも勝つ方法があり得たのではないかという、驚天動地の結論が導かれてきました。(しかもほとんど無理な設定なしでです。)

まあ太平洋戦争に勝つ方法があったなんていうと、世間的にはそれだけで頭がおかしいと思われることが多いんで、ちょっと公言のはばかられることではあります。(笑)
そんなこともあって、現時点ではあまりそのシミュレーションに深入りするつもりはないんですが、それでもどういう思考パターンをとればいいのかということを覚えておくこと自体は、非常に重要なことだと思うんで、敢えてやっておきたいと思うんです。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■ 佐藤晃『太平洋に消えた勝機』 「永井俊哉ドットコム(2005.12.4)」より
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第二次世界大戦は、枢軸国の敗北に終わったが、日本が犯したある一つの間違いさえなければ、あの戦争は、枢軸国の勝利に終わっただろう。どうすれば、枢軸国が勝つことができたのか、佐藤晃の太平洋に消えた勝機を手掛かりに考えよう。

1. ハルノートは最後通牒だったのか

第二次世界大戦で日本が犯した最大の間違いは、真珠湾攻撃である。真珠湾攻撃がなければ、アメリカが第二次世界大戦に参加する前に、枢軸国は、イギリスとソ連に勝つことができただろう。

多くの人は、ハルノートは最後通牒であり、日米開戦は避けられなかったと考えている。しかし、本当にハルノートは最後通牒だったのだろうか。ハルノートにおけるアメリカの対日要求は、たしかに過酷ではあったが、これを拒否
もしくは無視したからといって、すぐにアメリカが日本に宣戦布告するということはなかった。

ハルノートには、日本が要求を受け入れた場合の、見返りとして、次のようのことが約束されている。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■ インド洋作戦こそ大東亜戦争勝利の鍵だった 「希典のひとりごとのブログ(2015/04/10 21:25 )」より
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 山田順氏の「日本が2度勝っていた『大東亜・太平洋戦争』」(ヒカルランド)を読むと、我が意を得たりと肯くところが多い。
 山田氏は「戦後史観では、そもそも勝てるわけがない戦争をアメリカに仕掛けた日本は愚かということになっている。結果から見れば確かにそのとおりで、日本は愚かすぎた。しかし、愚かでなければ、勝機はあり、それを実行すれば勝てたのである。ところが、大日本帝国を支配した凡庸で無責任な政治家、官僚、軍人たちが、実行すべき判断を誤ってしまったのである」と述べている。まったくその通りである。

 山田氏が主張するところの二度のチャンスとは、一度目が1941年6月22日にドイツがソ連侵攻作戦「バルバロッサ作戦」を開始した時だ。この時、ドイツの要請に応じて、対ソ戦に参戦しておれば、日本は第二次大戦の勝者になっていた可能性があったという。
 ドイツ軍の怒涛の進撃にソ連軍が持ちこたえられたのは、極東からシベリア軍団が駆け付けたおかげで、日本軍がシベリアを衝いておれば、二正面作戦を強いられたソ連は崩壊していただろうというのが山田氏の見立てである。この考えは目新しいものではないが、例えソ連が崩壊しても、それが日本の最終的な勝利には直結しないと思う。
 日本は日独伊三国同盟を結んでいたが、明白な形でドイツを助けることはしていなかった。だから、この時点では米英と決定的に決裂していなかった。しかし、日本がドイツに呼応してソ連を攻めれば、英国は日本に対して宣戦布告しただろう。米国は宣戦布告まではしなかっただろうが、石油を含む対日全面禁輸に踏み切ったのは確実だ。当時行われていた日米交渉もこの時点で打ち切られたのは間違いない。そうなれば、山本五十六が聯合艦隊司令長官である限り、真珠湾攻撃が実施され、その後は史実通りにことが進んだと思われる。

 二度目の機会は、南方資源地帯を確保した後、海軍が東に進まずインド洋に進出し、英米の海上輸送ルートを絶っておれば日本が勝っていた可能性があったという。山田氏は次のように述べている。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■ 大東亜戦争(太平洋戦争)の真実 「zeraniumの掲示板(2017.3.18)」より
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世界は日本をどう見ているか   
大東亜戦争の真実 
   (太平洋戦争ともいう。1941年12月8日、イギリス・アメリカ・オランダ・フランス・中国などの連合国と日本との間に発生した戦争)

英霊たちに捧ぐ

+ 続き
   我々日本人は、これまで真実とは違う歴史を教え込まれてきた。
   それはGHQのWGIP(War Guilt Information Program)という洗脳計画により、正しい歴史から目隠しされてきたのである。それが自虐史観であり、「日本は戦争で卑劣な事をした酷い国である」として、日本人は学校でそのように教わることになった。

   しかし現代という正しい情報がインターネットで手に入る時代となり、それによって今や多くの日本人が目覚め初めている。もはや、これを止めようとしても無駄である。なぜなら真実は変わることがないからだ。これまで大きく歪められてきた真実が、自然の蘇生力とともに本来の正しい方向に向かうのは必然だからである。

   その蘇生力を早めたのがインターネットであり、今や目覚めた人々による情報発信が基となって、加速度的に真実が拡散され続けている。もう、止めることは不可能だ。私たちは自分の力で真実を見つけようではないか。

   ただ残念なことは、現在の日本には信頼できるメディアがほとんどないという事実であり、それらは日本を貶める勢力によって抑えられ、乗っ取られている。しかしメディアもこの流れから逃れるのは不可能である。なぜなら真実を報道しないならば、淘汰されるのは必然だからである。
   さあ、真実を自分の手で見つけよう。
   この情報がその一助となることを、私は願っている。

<マレーシア>  #%-・ダト・ノンチック元上院議員

   日本軍は長い間、各国植民地を支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないと諦(あきら)めていたアジア民族に、感動と自信を与えてくれました。長い間眠っていた、「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」という心を目覚めさせてくれたのです。

ミニッツ元帥 太平洋艦隊司令長官

   この島を訪れるさまざまな国の旅人たちよ、故郷に帰ったら伝えてほしい。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てたと。その壮絶極まる勇気と、祖国を思う心根を!

<イギリス>  スリム中将 イギリス第14軍司令官

   叩かれ、弱められ、疲れても、自身を脱出させる目的でなく、本来の攻撃の目的をもって、かかる猛烈な攻撃を行なった日本の第33師団の如きは、史上にその例をほとんど見ないであろう。

<韓国> 朴 鉄柱 韓日文化研究所

   現在の日本の自信喪失は、敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。日本は平和的外交交渉によって事態を打開しようと、最後まで取り組んだのである。

   それまで日本はアジアの希望であり、誇り高き民族であった。
   日本の武士道は、西欧の植民地支配勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。

   日露戦争と大東亜戦争。この2つの日本の捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義は、いくら強調しても強調し過ぎることはない。

   大東亜戦争で日本は敗けたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持つ欧米諸国であった。彼らはこの戦争によってアジアの植民地をすべて失ったのである。

   日本は戦闘に敗れたが、戦争目的を達成した。
   つまり日本こそが勝ったのであり、日本の戦争こそが「聖なる戦争」であった。

   ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたのである。確かに二百数十万人の戦死者は帰っては来ないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。

<マレーシア>  ガザリー・シャフェー元外務大臣

   日本がどんな悪い事をしたというのか。
   大東亜戦争において、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヵ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はその時まだ若かったが、あの時は神の軍隊がやって来たと思っていた。日本は敗れたが、しかしイギリス軍は再び植民地を取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。

   なぜ日本が謝る必要があるのでしょうか。
   あの対戦で、マレーシア人と同じ小柄な日本人が、大きな体のイギリス人を追い払ってくれたのではないか。日本なくして、東南アジアの独立はあり得なかった。この日本が支払った尊い犠牲を否定するということは、バックミラーだけを見ているようなものだ。

<オランダ> サンティン アムステルダム市長

   本当に悪いのは、アジアを侵略して権力を振るった西欧の人々なのである。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。その結果、アジア諸民族はそれぞれが独立を達成したのである。

   日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方日本人こそ最高の功労者です。日本人は自分を蔑(さげす)むことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。

+ 続き
<タイ>  タナット・コーマン元副首相

   あの戦争によって世界のいたる所で、植民地支配が打破されました。そしてこれは、日本が勇戦してくれたお蔭なのです。それにより多くの独立国が、火の中から不死鳥のように姿を現しました。誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です。

<インドネシア>  モハメッド・ナチール元首相

   アジアの希望は、植民地体制の粉砕でした。
   そして大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。大東亜戦争とは、本来ならば私たちインドネシア人が独立のために戦うべき戦争であったと思います。

   もしあの時、私たちに軍事力があったならば、私たちは植民地主義者と戦ったはずです。大東亜戦争とはそういう戦いであったのです。

<インドネシア>  サンパス元復員軍人省長官

   特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、インドネシアの独立に貢献してくれたことである。

   日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績をたたえ、殊勲賞を贈っているが、それだけで済むものではない。

<インドネシア>  ブン・トモ元情報相

   日本軍が、米国・オランダ・フランスを、我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全体が自信を持ち、独立は近いと知った。

   そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやるべきことであった。そして実は、我々の手でやりたかったのだ。

<インド>  ネール初代インド首相

   彼ら(日本)が我々に謝罪する必要などない。
   ゆえにインドは、サンフランシスコ講和会議には参加しないし、講和条約にも調印しない。

<インド>  グラバイ・デサイ インド弁護士会会長

   インドは程なく独立する。
   その独立の契機を与えてくれたのは日本である。インドの独立は、日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない。

   これはインドだけではなく、インドネシアやベトナムをはじめ、東亜民族はみな同じである。インド国民はこれを心に深く刻み、日本の復興には惜しみなく協力しよう。

<ビルマ>(現ミャンマー) バー・モウ元首相

   日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。
   しかしまた、日本ほど誤解を受けている国はない。

<ビルマ>(現ミャンマー) 
     チャンドラ・ボーズ デリーインド国民軍事裁判主席弁護人 

   日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。
{
<タイ>  ククリット・プラモード元首相}

   日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立することができた。
   日本という「お母さん」は、難産をして母体を損なったが、生まれた子どもはスクスクと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげなのか。それは身を殺して仁を為した、日本という「お母さん」があったからである。

   12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれた「お母さん」が、一身を賭して重大決意をされた日である。更に8月15日は、我々の大切な「お母さん」が病の床に臥した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない。

<アメリカ> ベン・ブルース・ブレークニー東京裁判弁護士

   原子爆弾という、国際法で禁止されている残虐な武器を使用して、多数の一般市民を殺した連合国側が、捕虜虐待について日本に責任を問う資格があるのか。

<インド>  パール判事 極東国際軍事裁判判事 東京裁判判事

   私の判決文を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずである。それなのにあなた方は、自分たちの子弟には「日本は犯罪を犯した」「日本は侵略の暴挙を敢えて犯した」と教えているではないか。満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分に研究していただきたい。

   日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負い、卑屈、頽廃に流されていくのを、私は平然と見過ごすわけにはいかない。

石碑に刻まれたラダ・ビノード・パール判事の文(要約)

   日本が熱狂と偏見をくぐり抜け、その長かった苦しみを自ら和らげた暁(あかつき)には、また世界の理性が、信じられてきた虚偽の仮面を自らはぎ取った暁(あかつき)には、その時こそ正義の女神はその秤(はかり)を平衡に保ちながら、過去に起きたもろもろの多くの賞罰を、正しい裁きとともに変えるよう要求するだろう。

    多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
   私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。

  連絡方法; トップページのバックナンバーから、2014年7月26日「”zeraniumの掲示板”について」へ行ってください。コメント欄から連絡できます。


■ 戦前を異常な世界に描く自虐史観。でも、今も昔も日本人は誠実な日本人だった! 「なでしこりん(2016.8.15)」より
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日本を悪く描くのは「そうでないと困る連中」がいるからです。
 あなたも私もそうであるように、日本人は今も昔も誠実な民族。

今日は8月15日。昭和20年8月15日、この日に日本の戦争が終わりました。私は基本的に、何事も「単純なものはない」と思っています。ですから、日本共産党や日教組、中国や上下朝鮮が宣伝している「一面的な侵略戦争論」は「ためにする論」としか見ていません。歴史とは「白か黒か」という単純なものではないはずです。

....日本共産党 が描く「戦前風景」などはただの妄想でしかありません。なぜなら日本共産党の幹部は誰一人、戦場には行かず、刑務所でのうのうとすごしていました。宮本顕治は1934年に「小畑達夫氏殺し」で逮捕されていますが、昭和20年10月には出所しています。リンチで党員を殺した宮本は、刑務所内ではリンチされずに生き延びたんです。そんな連中が描く戦前に真実があるはずがありませんよね。

.....考えて みてください。私たち日本人は江戸時代に作られた落語に笑い、平安時代に書かれた「源氏物語」に涙します。日本人は日本人なんです。現代の日本人と戦前の日本人に何の変りもありません。はっきりしているのは戦前の日本人も誠実であったし、全力で生きたのです。自虐史観は「そうでないと困る連中の特殊な歴史観」でしかありません。「良いこともあった。悪いこともあった」。それこそが歴史の真実ではないでしょうか? By なでしこりん

.「戦前は特殊な世界」? いいえ、普通の日本人の世界です。




オバマ広島訪問】 / 【広島・長崎原爆投下
■ やっぱり変だ!大東亜戦争 「帝国政府声明文 安濃豊-戦勝国は日本だった(2016.5.28)」より
/
やはり大東亜戦争は歴史上希なほど奇妙な戦争である。その理由は以下の通り
  • 戦勝国の軍隊が敗戦国をまるで自分たちは雇われ外人部隊であるかのように守っている。
  • 敗戦国が戦勝国に金を貸して利息を稼いでいる。
  • 敗戦国は占領地をまだ確保しているにもかかわらず、たった2発の爆弾が本土に落とされると、負けたふりして敗戦国となった。
今日もう一つの奇妙さが加わった。

「戦勝国の国家元首が敗戦国に謝りに来た」

一体どちらが戦勝国なんだ?

間違いなくいえることそれは、大東亜戦争とは歴史上最も分析困難な戦争であると言うことである。また、その分析を完成することにより、人類は新たなる地平を目指して歩き出すことが出来るということである。


■ Japanese World War II Tribute
/
2009/10/08 にアップロード
Tribute to Germany's Axis Brother during World War II.

........
Kutze Walters 6 か月前(2016.2.4時点)
As a Singaporean, thank you Japan. Not many other countries know a slight bit of Asian culture, other than what textbooks say. Textbooks that are so diluted that we lose the true meaning of the war and Japan's sacrifice.

Some people say that the Japanese rule was harsh. For Japan, it was even harder. Japan was in a wartime situation, the Japanese people didn't have it any easier. Even though they were starving, they gave us rations.

Some say the Japanese were murderers and rapists, but the Japanese military and government had nothing to do with the rape of Nanjing. The sole perpetrator was Prince Asaka, which the Allies later granted immunity despite knowing so.

Some say that the Japanese were expansionist. But the Japanese left countries alone that were friendly to them, like Thailand. Japan granted Indonesia and Philippines her independence. China was in a state of civil war, but Japan stepped in and turned Manchukuo into an industrial powerhouse and made it into a safe haven for Chinese civilians. Without Japan, more Chinese civilians would have died as a result of the civil war.

So from Singapore, thank you. The Japanese people are a people that live up to their full honor and dignity. Not for themselves, but for all Asians. Japan bleeded for us. A task they didn't have to take, a thankless task where we could have continued to be slaves.

"The mother Japan, who almost got killed to give the birth (to Asian independence)."


マイケル・ヨン
■ マイケルが”Voice”でアジア解放論を明言した 「帝国政府声明文 安濃豊-戦勝国は日本だった(2015.11.26)」より
(※--巻頭文の下方に記事あり)
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マイケルが月刊誌”Voice”に論文を投稿し、慰安婦を否定すると同時に、大東亜戦争によりシンガポールが陥落し、植民地の独立は約束されたと記述しました。私もアジア解放論をマイケルのFBに英文で何度も投稿してきましたがその甲斐がありました。

マイケルは大東亜戦争こそアジア独立のきっかけになったと認めているわけだが、さて東京既存保守論壇はどうするのでしょうね。

渡辺昇一さん、櫻井よしこさん、水島さん、藤岡さん、保坂さん、西部さん、西尾さん、どうしますか?君たちはアジア解放史観を明言していませんよね。また、白人に先越されましたね。

恥ずかしー!

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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以下マイケルの論文より引用

 大英帝国の権勢は絶頂に達していた。世界史上最強の帝国である。日本には大英帝国、オランダ、米国、その他に対してすべて同時に戦端を開く大胆さがあった。すぐさま日本軍はペナンの街路を闊歩した。
 そしてシンガポールが続く。あれから長い年月が過ぎた歴史となり、日本により英国がシンガポールを失った意味がさらに明瞭に見える。

 米国流の解釈をすれば、シンガポールを失うのは米国のほぼ全軍が戦死または拘束されたうえでハワイを失うようなものだ。この心理的損失は甚大だった。

 この衝撃的な日本の勝利は短命ではあったが、その後のアジア全体の独立に大きな道を開いた。



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2012/10/16 に公開
国難の危機にある現代の日本人必須の映画、今ひとりでも多くの方に、この学校教育やメ­ディアでは教わらなかった『日本の真実の近代史』を、この映画を通じ、知って目覚めて­­欲しいと心から願っております。
 明治開国から大東亜戦争まで日本が戦って来た『真実の歴史』を約70分でまとめてあり­ます。
◆明治27年の朝鮮半島をめぐる清国との戦い
◆ロシア、フランス、ドイツの三国干渉
◆朝鮮半島、満州をめぐり大国ロシアとの戦い
◆満州事変、支那事変、ABCD包囲網
+ 続き
日本が戦いを免れなかった真実、
資料に基づいて制作された映画、真実の歴史を知る事ができます。


●制作の経緯

靖国神社創立百三十年記念事業の一環として本館改修と新館増築にともない遊就館で真実­のドキュメンタリー映画を上映することになり其の映画制作を依頼されたのが泉水隆一監­­督でした。
監督が渾身の力を込め二年の歳月をかけて出来上がったのが「凛として愛」でした。
映画完成前から他国からの批判を気にした保守陣営の圧力などがありました。
上映はされたものの、この歴史の真実を伝える「凛として愛」をたったの二日で上映中止­にしてしまったのです。
監督の無念さは計り知れません。


泉水隆一監督について

泉水隆一氏はアニメ『新造人間キャシャーン』や『うる星やつら』などの脚本スタッフと­して制作に関わってきました。
「凛として愛」の監督・脚本・ナレーションを泉水隆一氏ご本人が行っています。

泉水監督は平成22年7月16日に逝去されました。
8年前の此の日、僅かに二日半で上映中止され絶望の淵にあった日でした。
泉水氏の告別式は式場の関係で26日に行われましたが、この日こそ、泉水監督が反日思­想がはびこり、総理大臣も靖国神社に背を向ける日本の現状を憂いて、靖国神社に、渾身­­の思いを込めて書かれた、映画制作への珠玉の趣意書を出された日でした。

泉水監督は、国家のために尊い命を捧げられた数多の英霊に報いるには、「凜として愛」­が日本全国に広まり、一人でも多くの日本人が先人がたに対して感謝と哀悼の思いを持つ­­ことだと生前、切々と話されていました。
故泉水隆一監督の崇高な思いを心に刻み、私たちは「凛として愛」が一人でも多くの国民­の目にふれることを願って止みません。
泉水監督は、国家のために尊い命を捧げられた数多の英霊に報いるには、「凜として愛」­が日本全国に広まり、一人でも多くの日本人が先人がたに対して感謝と哀悼の思いを持つ­­ことだと生前、切々と話されていました。
故泉水隆一監督の崇高な思いを心に刻み、私たちは「凛として愛」が一人でも多くの国民­の目にふれることを願って止みません。

            • 映画『凛として愛』普及拡散プロジェクト
「凜として愛」を収録したDVDは送料、手数料の1000円でお譲りしております。
お名前、ご住所、ご連絡先、枚数をご記入の上 kamon@24.am までお問い合わせください。
(※mono.--Youtubeコメントから抜粋
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ayu yamato1 か月前

平和、平穏な生活を維持するためには、戦争もあり得る、という議論が為されてこなかった。
戦争回避一辺倒と護国を誰が,如何に遂行して行くかを議論するべし。
平和、平和と唱える連中に限って、では、どうやって、国を護っていくかにつては、ダンマリを決め込む。
何と,卑怯な連中であろう。
ただただ、戦争は,駄目だ、悪い、自主憲法制定、九条遵守と,唱えっていれば、前線に立たなくて良いし、我が身は安全と願う輩が多数居るが、何とした事。所詮、国防は他人事。
GHQがもたらした、自虐史観を広め、醸成して来た、NHKを頭とする反日メヂアを許さまじ。
御英霊、ご先祖様に、今ある日本人は、総動員で敬意と感謝を表するのは,当然である。
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sanagihara miyuki7 か月前

感動して泣きました。
反対に戦わざる負えない状況下での戦争悲しすぎます。
またその状況下で最後まで戦った日本兵は立派だと思います。
戦争で亡くなった皆様のご冥福を改めてお祈りいたします。
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TAICHI34143 週間前

ユダヤのバカ動画
靖国キチガイ掘っ建て小屋   くそたれ小屋
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011ppo1 年前

Byron Lord
お決まりの妨害コメント。
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Byron Lord1 年前

そもそも大東亜戦争なんて負けて当然である。

日本は戦争に負けたのではなく、敗戦国となるよう戦争前から決まっていたのだ。
日本帝国軍の最高司令部の連中の多くは、欧米のユダヤ人の犬だった。

例えば連合艦隊司令長官だった山本五十六が、日本を敗戦させようしていたのは、
真珠湾攻撃からの戦術の「ありえなさ」を知れば、一目瞭然である。
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Byron Lord1 年前

もっとも恥ずべきは、広島と長崎に核爆弾が落とされるのを事前に知っていながら、
何の警告も出さずに見殺した、昭和天皇をはじめ日本帝国軍の最高司令部の連中である。
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Byron Lord1 年前

日本がもう一度、独立国家となるには、欧米のユダヤ人の手先である
田布施一味という朝鮮人による支配から脱しなくてはならないだろう。
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Byron Lord1 年前

そもそも日露戦争なんて、欧米のユダヤ人が莫大な戦費を融資してくれたから
勝てたに過ぎない。
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Byron Lord1 年前

そもそも明治維新というのは、欧米のユダヤ人が日本を乗っ取るために、長州藩の田布施にいた在日朝鮮人を利用して起こしたクーデターに過ぎない。明治維新から2013年までの現在、日本はこの「田布施一味」に乗っ取られている。
伊藤博文からはじまり、小泉元首相、安倍首相など、首相の多くが田布施出身の隠れ朝鮮人。
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MasyuTadashi1 年前

      • 涙が溢れて仕方ありませんでした。戦後の自虐史観教育もさすがに劣化の波激しく、すべてはアメリカの謀略・理不尽・非道、、、が明らかになり、日本が悪かった?などというバカは少数になりました。 それでもまだ残る少数が厄介で、日教組を始め気違い左翼や朝鮮系役人や議員が政治の世界にまでウロついて反日活動をしています。中韓のイチャモンに媚びへつらう国会議員の不甲斐なさに、日本国民もようやく目覚め、選挙で政党を大敗、崩壊状態にさすことができることを確信し、ここ10年くらいの国民覚醒は驚嘆に値します。 靖国参拝問題も、こんな映画を見ると中韓に関係なく個人的には「行くな!行って欲しくない!」です。 こんな短い青春を、一命賭けて国の存亡に捧げた数百万の英霊に対して、他国のイチャモンにヘタレるような人間には参拝して欲しくないはずです。命を捨てた英霊の毅然さと、保身のためにウロつく政治家どもとどのように釣り合いましょう。場違い、ド勘違いの恥ずかしい政治家など参拝無用です。 国民の目覚めに政治家は追いついておらず差は広がる一方。大衆の叡智こそ日本の未来と確信します。素晴らしい動画をありがとうございました。

第二次朝鮮戦争
■ 大東亜戦争は第二次朝鮮戦争と在日米軍撤退により完全に終結する 「国際情勢の分析と予測(2014.19)」より
(※ 前後略、詳細はブログ記事で)
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大東亜戦争は5つの戦いから成る。

1.第一次大東亜戦争は日本と連合国の戦争で1941年12月9日から1945年9月2日まで、大東亜共栄圏の敗北。

2.第二次大東亜戦争は第一次朝鮮戦争で1950年6月25日に始まり1953年7月27日に休戦、引き分け。

3.第三次大東亜戦争は第一次インドシナ戦争で1946年12月19日から1954年8月1日まで。1954年5月7日のディエンビエンフーの戦いでベトナム軍がフランス軍を壊滅させるという劇的勝利を収める。大東亜共栄圏の勝利。

同時期にソ連で反ユダヤ運動(1946年10月開始)が起こり、ジューコフ元帥によるベリヤ逮捕(1953年6月26日)と銃殺(1953年12月23日とされる。FRB設立の丁度40年後。ただし異説あり)によってハザール系ユダヤ人を通じた国際金融資本によるロシア占領は終焉している。ユーラシア大陸の東西で枢軸国が国際金融資本に対して大勝利を収め始めたのだ。

4.第四次大東亜戦争はベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)で、1960年12月から1975年4月30日まで。サイゴンが陥落しベトナム軍が世界最強の筈の米軍を打ち破った。アジアの人民との協力による大東亜共栄圏の決定的大勝利。

この後に日本社会党の田辺書記長の要求と金銭支援による南京大虐殺記念館建設決定(1982年)や欧州大陸諸国でのホロコースト否定禁止法制定(1990年のフランスが最初)が起きる。これらは連合国の虚偽のプロパガンダである南京大虐殺とホロコーストを忘却させず政治問題化させ、国際金融資本の世界支配崩壊と同時に真実を世界に公表することで連合国の正義を奪うための枢軸国の作戦であると思われ、中国やフランス・ポーランドが実は枢軸国の味方であることを示していると想像される。また、これらの作戦が実行されている事自体が、もはや連合国=国際金融資本の敗北が決定的になっていることの証拠であろう。また、1971年8月15日のニクソンショックによりドルは兌換通貨の地位を失ったことで国際金融資本は大打撃を受けた。ニクソンは表向きは日本嫌いで米中国交正常化やニクソンショックを実行したとされるが、実際には大東亜共栄圏の友人かつ反国際金融資本勢力であり、それ故に後日田中角栄と同様にスキャンダルで失脚させられたのだと想像する。

1980年のバチカンによる日本人戦犯へのミサも実に興味深い。バチカンはカトリックの縁でオーストリアと関係が深く、枢軸国の一員であるのだと思われる。

5.第五次大東亜戦争は第二次朝鮮戦争で2014年の春から秋までの間の短期間の戦闘と予想。南朝鮮が陸軍と南朝鮮に潜伏するシンパを中心とする北朝鮮軍と、海上自衛隊を中心とする自衛隊の挟撃により滅亡。同時期に在南朝鮮・在日米軍も完全撤退し、大東亜戦争が大東亜共栄圏の完全勝利により幕を閉じる。


■ アキとカズ-遙かなる祖国 「平成・美しい日本を護る会ブログ(2014.5.25)」より
(※ 前後略、詳細はブログ記事で)
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強制的に忘れさせられた歴史の事実を国民がすべからく知る必要があります。国民がすべからくとは、誠に前途遼遠な話になってしまいますが、映画や小説が大きな役割を果たすことがあるように思います。新聞小説などは、購読者が多いだけに、より多くの影響力を持つでしょう。

 このような考えがあるのかどうか分かりませんが、産経新聞はこの3月25日、社告で4月からの連載小説を、通常は高名な作家にお願いするところを自社の編集委員の喜多由浩記者が執筆すると発表しました。

 喜多由浩記者は、昭和59年、産経新聞社入社。社会部、韓国・延世大学留学、月刊「正論」編集部次長などを経て、平成21年から文化部編集委員。主な関心分野は朝鮮半島問題、戦後処理問題などとのことです。「正論」平成17年1月号で「戦後補償の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援」などを書かれています。

 小説の題名は「アキとカズ-遙かなる祖国」。昭和元年、大阪の老舗の商家で生を受けた双子の姉妹「昭子(アキ)」と「和子(カズ)」は新年号から名前をもらいます。当時は多胎児を嫌う習慣から里子に出され、昭子は当時日本領だった南樺太へ、和子は戦後、帰国事業によって北朝鮮に渡ります。そこではすさまじい困難と苦労が待ち受けているのですが、それはこれからの小説のお話になります・・・。


☆■ 【小説】アキとカズ 遙かなる祖国 「産経ニュース」より
(※ 以下は小説の書き出し。2014.9.6現在132話)
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2014年東京

 奇妙な「遺書」だった。

『にほんにかえりたい。おかあちゃんがにくい』

 ただそれだけ。遺書といわれねば気づくまい。紙くずみたいな、粗末でボロボロな紙に、平仮名だけの弱々しい文字が残っていた。血の痕なのか、赤茶けた染みが滲(にじ)んでいる。

 不可解な内容…。それを、外務省幹部である福田に持ち込んだ人物が、さらに戸惑わせた。父親の武である。大阪・天満(てんま)で明治から続く老舗の元主人。隠居して久しく、年はもう90近い。

「見てほしいものがあるんや。紹介したい人もおる」。突然、連絡があったのは1週間前のことだ。

 上京した武の後ろに、30歳ぐらいの痩せた男が見えた。浅黒い顔に短髪、急に間に合わせたような紺のスーツがだぶだぶだ。怒りと哀しみがない交ぜになった険しい目つきで福田をじっとにらみつけている。どうやら日本人ではない。

 武によれば、「遺書」は北朝鮮から逃げてきたこの男が預かってきた。かつて帰国事業で北朝鮮へ渡った日本人女性が命を絶つ前に書き残したという。

(※ 以下はサイト記事で)


■ 8月22日は対馬丸事件の日 「ねずさんの ひとりごと(2014.8.22)」より
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昭和19(1944)年8月22日、ちょうど70年前の今日、沖縄からの疎開船「対馬丸」が、悪石島付近で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて学童700名を含む1500名が海没しました。「対馬丸事件」です。
対馬丸事件が起こったのは、沖縄戦がはじまる7ヶ月前のことです。
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左翼は、この対馬丸事件ばかりをとり沙汰しますが、この8ヶ月前の昭和18(1943)年12月21日に、沖縄那覇から本土に向けた定期航海の輸送船団が米国潜水艦によって、撃沈させられるという事件が起きています。「湖南丸事件」です。

湖南丸に海軍飛行予科練習生予定者や女子挺身隊などを含む民間人が683名、船員72名、海軍警戒隊4名の合計759名が乗っていました。そして魚雷を受けた湘南マルは沈没し、乗員は海になげだされました。
この海上に逃れた人たちを救助したのが護衛艦柏丸です。柏丸はエンジンを停止させ、人命救助にあたりました。そして湖南丸の乗員約400名を救助しました。

それを見届けた米潜水艦は、エンジンを停止して逃げられない柏丸を魚雷攻撃しました。
柏丸はほとんど瞬時に沈んでいます。


■ 【大戦おさらい】米国が日本に真珠湾攻撃を「させた?」 「蘭月のせいじけーざい研究室(2014.8.15)」より
(※ あちこち略、詳細はブログ記事で)
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Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security.
(日本が戦端を開いたのは、ほとんど自衛のためだった)

戦後、これを言ったのは誰だったと思いますか。
何と、

連合国軍の最高司令官、ダグラス・マッカーサーです。

まぁ、マッカーサーのこの発言、決して荒唐無稽なものではありません。
実際、ほとんど米国がけしかけたような戦争だった。そう言えなくもないのです。

「普通の表向きの情報を与えられた人は誰でも、日本が卑劣な奇襲攻撃をかけたものと信じている。しかし、政権中枢部にいたものは攻撃は充分予期されていただけで無く、実際上欲されていた。ルーズベルト大統領が戦争を欲していた事は疑う余地は無いが、政治的理由から、最初の攻撃は相手方(日本)から加えられる事を望んでいた。その為に自尊心を持つ国なら、如何なる国でも武力に訴える他に術が無い状態迄日本を追い詰めたのである。日本はアメリカ大統領によってアメリカを攻撃する事にされていた」

これは英国海軍ラッセル・グレンフェル大佐の見解です。
この言葉からも分かるように、

「米国のルーズベルト大統領はむしろ戦争をしたがっていた」
ということは、既に国際社会でもよく認識されている話なのです。
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で、真珠湾攻撃の計画が米国中枢にもたらされた後、7月に米国の日本資産を凍結。8月には石油の供給をストップ。
そして11月には、最後通牒とされる「ハル・ノート」を日本に突きつけます。
この内容について、当時の大日本帝国外相である東郷茂徳は、

「目もくらむばかりの失望に撃たれた。長年に渉る日本の犠牲を無視し極東における大国たる地位を捨てよと言うのである、然しこれは日本の自殺に等しい。この公文は日本に対して全面的屈服か戦争かを強要する以上の意義、即ち日本に対する挑戦状を突きつけたと見て差し支えないようである。少なくともタイムリミットのない最後通牒と云うべきは当然である」

と語っています。
つまり、日本は三等国として、欧米諸国の植民地レベルに成り下がれと。
日本が多大な苦労と犠牲によってようやく得た国力を、全て放棄しろという。

しかし、そんなことをしたら、犠牲になった数多の英霊にどう顔向けができるのか。
また、そんな道を選んだところで、日本国民が尊重されたり、無事に済む筈は絶対にない。


石原莞爾
■ 日本帝國の戦いを偽って伝えることなかれ 「浮世風呂(2014.4.19)」より
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戦後教育を受けた世代は、石原莞爾といえば「満州国」又は「満州事変」というイメージをもつ人が多いと思う。戦後のWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)によって戦争についての罪悪感を植えつけられている日本人は日本軍が満州事変を起こして侵略したと思っている。

ところが石原莞爾は戦後の東京裁判で裁かれていない。同じ満州事変に関わった板垣征四郎は死刑になった。WGIPに洗脳されていてもこういう不整合に気づいている人もいるかもしれない。実際には満州国は正当な国家であり、日本の侵略ではなく、満州と支那はそもそも別ものである。東京裁判はインチキ裁判であった。なのに石原莞爾は罪に問われてはいない。

石原莞爾は昭和16年には予備役になっており、終戦は講演先で玉音放送を聴いている。昭和20年9月以降、全国に講演旅行を続けていた。昭和21年1月以降は持病が悪化し、入院している。

米、英、ソの検事が臨床尋問した際には「戦犯の中で第一級は、空襲、原爆投下で非戦闘員を殺害し国際法を蹂躙したトルーマンで、本当の元凶は鎖国の日本を脅かし、開国させ、日本を台湾、朝鮮、満州に赴かせたペリーである」と答えた。東条英機と意見が対立していたというではないかとの問いには、「東條には思想も意見もなく、意見のない者と意見の対立はない」と答えている。
(※ 以下略、詳細はブログ記事で)

百田尚樹】 / 【日米関係】 / 【日英関係
■ 百田尚樹NHK経営委員と森喜朗元首相は米英が日本の敵国であるという隠された真実を公表し始めた! 「国際情勢の分析と予測(2014.2.10)」より
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安部首相と親しくNHK経営委員も務める作家の百田尚樹氏が原爆や空襲などの米国の戦争犯罪や東京裁判を批判したことが注目されている。昭和24年に中学に入学してから英語教育を受けている筈の2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長がソチで「自分が英語が苦手なのは英語が敵性語であったから」と発言したのは、米英が日本の敵であることを宣言する意味合いであろう。米英の記者が不快感や当惑を示したのは当然だ。米英は真珠湾攻撃(ペリー来航までさかのぼるべきか?)から2013年12月の国際金融資本の降伏までの大東亜戦争の期間を通して日本の最大の敵国であったことが公になる日が近づいている。ただし、実際には米英は日本に既に降伏しており日本の敵国ではなくなっている。今行われているのは米英の降伏を世界に公表する儀式に過ぎない

(※ 中略、詳細はブログ記事で)
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現在の東アジア沿海地区で中国と激しく対立しているのは日本とフィリピンとベトナムの3カ国であるが、いずれも犯罪国家米国の戦争犯罪によって膨大な死者を出した犠牲者であるという共通点がある。米国人はこの3国がその恨みを爆発させることを恐れており、それを封じ込めるために中国との軍事対立や国民感情の対立を強要しているのだろう。英国の植民地統治で多くの織物職人が餓死したインドもそこに含めても良いだろう。この中国包囲網は近日中に消滅する。日本とフィリピンとベトナムとインドは北朝鮮を中心として中国を擁する大東亜共栄圏に寝返り、ロシアやドイツとともにユーラシア大陸を完全掌握して英国と北米大陸と豪州を逆に包囲する。島津伝統の釣り野伏の戦法が今地球儀の上で演じられている。

(※ 赤字・太字はmonosepia)

靖国神社
■ 【靖国参拝・集団的自衛権・憲法改正。。原発推進も米国国益・米欧世界秩序に反する】<もはや東京都知事選など、どうでも良い>≪安倍政権は大変なものを敵に回してしまった≫ 「宝当仙人の野次馬日記(2014.1.28)」より
(※ 前後略)
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第二次世界大戦の戦後処理
 米・欧連合国はじめ戦勝国の
  政治決着までケチがつく訳だ

安倍首相の熱望してきた
 靖国神社参拝は
  A級戦犯合祀があるばかりに

大日本帝国が
 大東亜戦争(第二次世界大戦)
  引き起こした日本軍国主義への
   回帰。。を連想してみれば

敢えて被侵略国と表現するが
 それら被侵略国の論理よりも

そもそも。。米・英・仏・露
 ギリギリ滑り込んだ中国の
  日本分割統治断念が間違っていた

という。。第二次世界大戦の
 戦勝国による戦後処理が誤り

イラク戦争処理で、
 武器が見つからなかった
  イラク戦争が間違い
   だったのではなかったか

という論理と共通する点
 が、大日本帝国占領政策
  にも認められるのではないか 

という国際世論が勃興しかねず
 中国・韓国が黙っていたとしたら
  今度は東南アジア諸国が騒ぐかも
   知れない、ともいえる訳である

また、米・欧・ロシアに関して
 易々と、日本に表面上とはいえ
  主権を与えてしまった戦勝国の
   手腕に大きなミスがあったのだ

という中東政策の失敗
 にも似た責任追及が起こる  

ということにもなりかねない

戦争。。そして敗戦
 更には、国土列島占領された
  ことは、それほど重大な意味を持つ


■ 大東亜戦争は第二次朝鮮戦争と在日米軍撤退により完全に終結する 「国際情勢の分析と予測(2014.1.9)」より
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●<ブックレビュー> 「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」 佐藤 守著

 日本の学校では「太平洋戦争は昭和20年8月15日に終わった」と教えられる。しかし、元空自戦闘機パイロットの著者(元空将)は、日本降伏後も陸海軍将兵の多くが海外に残って現地の独立戦争に加わったことから、「大東亜戦争はアジアの植民地解放戦争が終わった昭和50年4月30日(ベトナム・サイゴン陥落)に終結した」とする。

 残留日本軍将兵の多くは、自分たちの武器を密かに独立派ゲリラに譲渡し、軍事顧問や部隊指揮官としてインドネシア、台湾、インド、ベトナムなどで戦った。特にインドネシアでは多数の旧軍兵士が独立戦争に加わり、南洋の地で倒れた彼らは現在、同国の英雄墓地に眠っている。

 そうした意味で「日本は太平洋戦争には負けたが、大東亜戦争には勝利した」と著者は強調し、「こうした日本人がいたことを我々は決して忘れてはならない」と結んでいる。
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●「靖国神社参拝の何が悪い!」新藤義孝総務相の祖父は、硫黄島で戦死した守備隊司令官・栗林忠道中将だ - 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」 2014年01月04日 03時32分05秒

◆日本人の大半は、大東亜戦争(日中戦争、太平洋戦争、アジア解放戦争などの複合戦争)の終戦を「1945年8月15日」と思い込んでいる。だが、ベトナムでは、大日本帝国陸軍の第34独立混成旅団参謀・井川省少佐をはじめとする高級将校から兵卒にいたるまで志願兵約600人、これに加えて陸軍のスパイ養成機関「中野学校」出身の残置諜者が独立運動に参加して、ベトミンに軍事訓練をしたり、作戦指導を行ったりした。ベトナム初の士官学校であるクァンガイ陸軍中学の教官・助教官全員と医務官は日本人であった。30人を上回る日本人がベトナム政府から勲章や徽章を授与されたという。
このベトミンは、1954年5月7日に列強国の1つである帝国主義・植民地主義国家のフランス軍をディエンベンフーの戦いで陥落させ、その後、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)は、ベトナム戦争に突入してきた米軍を敗北させた。すなわち、第2次インドシナ戦争(1960年12月~1975年4月30日)である。この戦争には、「中野学校」出身の残置諜者に教育、訓練された北朝鮮軍が参戦しており、大日本帝国陸軍出身者は、この1975年4月30日をもって、大東亜戦争が終結したとしている。
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●「朴槿恵大統領を見殺し」中国の習近平国家主席が朝鮮統一で、安倍晋三首相に「黙って見ていて」と要請 - 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」 2014年01月07日 03時43分40秒
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+ 続き
【私のコメント】 (※ 「国際情勢の分析と予測」のブログ主の見解のことである。数行の引用では難しそうなので、コメント全文を転載しておく。)

「金正日は日本人だった」を出版して私を含めて多くの日本人に衝撃を与えた元航空自衛隊将校の佐藤守氏が2012年12月に「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」を著した。この本は、朝鮮戦争やベトナム戦争が大東亜戦争の一部分であったと結論づけている。そして、2014年1月4日の板垣英憲氏のブログ記事はその内容を引用しつつ、第二次朝鮮戦争で北朝鮮が半島を統一し大日本帝国が勝利する日が真の終結であると主張している。

ただ、故意と思われるが、板垣英憲氏は最も重要な情報を書いていない。それは、大東亜戦争の勝利は大東亜戦争を起こした日本国が米軍の占領下から開放される日であるということだ。第二次朝鮮戦争で日本と南朝鮮が戦う時、二つの同盟条約によって在日米軍は在南朝鮮米軍と戦うことを余儀なくされる。それが出来ない以上、米軍は日本及び南朝鮮から撤退するしかない。これによって米軍は東南アジアやインド洋での活動も不可能になり、ハワイとグアムとオーストラリアまで撤退することを余儀なくされる。それはドル覇権の消滅による米国の軍事力の劇的低下を伴い、米軍は事実上麻痺状態に陥るだろう。

大東亜戦争は5つの戦いから成る。

1.第一次大東亜戦争は日本と連合国の戦争で1941年12月9日から1945年9月2日まで、大東亜共栄圏の敗北。

2.第二次大東亜戦争は第一次朝鮮戦争で1950年6月25日に始まり1953年7月27日に休戦、引き分け。

3.第三次大東亜戦争は第一次インドシナ戦争で1946年12月19日から1954年8月1日まで。1954年5月7日のディエンビエンフーの戦いでベトナム軍がフランス軍を壊滅させるという劇的勝利を収める。大東亜共栄圏の勝利。

同時期にソ連で反ユダヤ運動(1946年10月開始)が起こり、ジューコフ元帥によるベリヤ逮捕(1953年6月26日)と銃殺(1953年12月23日とされる。FRB設立の丁度40年後。ただし異説あり)によってハザール系ユダヤ人を通じた国際金融資本によるロシア占領は終焉している。ユーラシア大陸の東西で枢軸国が国際金融資本に対して大勝利を収め始めたのだ。

4.第四次大東亜戦争はベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)で、1960年12月から1975年4月30日まで。サイゴンが陥落しベトナム軍が世界最強の筈の米軍を打ち破った。アジアの人民との協力による大東亜共栄圏の決定的大勝利。

この後に日本社会党の田辺書記長の要求と金銭支援による南京大虐殺記念館建設決定(1982年)や欧州大陸諸国でのホロコースト否定禁止法制定(1990年のフランスが最初)が起きる。これらは連合国の虚偽のプロパガンダである南京大虐殺とホロコーストを忘却させず政治問題化させ、国際金融資本の世界支配崩壊と同時に真実を世界に公表することで連合国の正義を奪うための枢軸国の作戦であると思われ、中国やフランス・ポーランドが実は枢軸国の味方であることを示していると想像される。また、これらの作戦が実行されている事自体が、もはや連合国=国際金融資本の敗北が決定的になっていることの証拠であろう。また、1971年8月15日のニクソンショックによりドルは兌換通貨の地位を失ったことで国際金融資本は大打撃を受けた。ニクソンは表向きは日本嫌いで米中国交正常化やニクソンショックを実行したとされるが、実際には大東亜共栄圏の友人かつ反国際金融資本勢力であり、それ故に後日田中角栄と同様にスキャンダルで失脚させられたのだと想像する。

1980年のバチカンによる日本人戦犯へのミサも実に興味深い。バチカンはカトリックの縁でオーストリアと関係が深く、枢軸国の一員であるのだと思われる。

5.第五次大東亜戦争は第二次朝鮮戦争で2014年の春から秋までの間の短期間の戦闘と予想。南朝鮮が陸軍と南朝鮮に潜伏するシンパを中心とする北朝鮮軍と、海上自衛隊を中心とする自衛隊の挟撃により滅亡。同時期に在南朝鮮・在日米軍も完全撤退し、大東亜戦争が大東亜共栄圏の完全勝利により幕を閉じる。

ベトナム戦争ではベトナムは地下トンネルを駆使して米軍と戦ったが、この戦術は硫黄島などで日本軍が米軍を苦しめた手法が北朝鮮軍=帝国陸軍残党によりベトナムに伝えられたものである。第一次大東亜戦争は、第二次以降のアジア大陸での戦闘を有利に進めるための研究として行われ、日本国民を温存するために本土決戦は回避して降伏するという計画が最初から存在したのだと思われる。国際金融資本の軍事部隊である欧米シーパワーと戦うには日本の様な島嶼は不利で、朝鮮やベトナムなどの内陸が有利であることを考慮し、大日本帝国は日本本土から戦略的に撤退してアジア大陸で朝鮮人民やベトナム人民とともに戦い、大勝利を収めたのだ。北朝鮮政府を中心としてアジア各国に広がる残置諜者ネットワークこそが帝国陸軍の本隊であり、1945年に降伏したのは末端部隊に過ぎなかったのだ。

来るべき第五次大東亜戦争では資金の枯渇と条約の規定上在南朝鮮米軍が在日米軍と戦う必要が出てくることから米軍が日本及び南朝鮮から撤退し、日本が犯罪国家米帝の占領から解放される。

自民党は1月8日発表した2014年運動方針案で、靖国神社参拝に関し、原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」との表現を削除し「(戦没者に対する)尊崇の念を高め」との文言を追加した。これは恐らく日本が第二次朝鮮戦争に参戦することを宣言したものだと思われる。日本は国連の敵国条項の対象になっており戦争が出来ない国であったが、国連を支配してきた国際金融資本が大東亜共栄圏に降伏したため、やっと戦争が可能になったのだと思われる。第二次朝鮮戦争が近い。

【後期李氏朝鮮の小中華思想と朝鮮民主主義人民共和国の大東亜共栄圏思想の類似性】

宗主国である明が夷敵である女真族の清により征服され滅亡した後、李氏朝鮮では、「中原の中華文明は明と共に滅び中華文明の最優等生である朝鮮こそが正統な中華文明の継承者でなければならない」として、李朝は自身を残された唯一の中華文明の後継者と認識するようになる。このため紀年法として明の最後の元号である崇禎による崇禎紀元を作った。これが有名な小中華思想である。

同様に、宗主国である大日本帝国が夷敵である国際金融資本の米帝により征服され滅亡した後、朝鮮民主主義人民共和国では、「大東亜共栄圏思想は大日本帝国と共に滅び、日本文明の最優等生である朝鮮民主主義人民共和国こそが正統な大東亜共栄圏思想の継承者でなければならない」として、朝鮮民主主義人民共和国は自身を残された唯一の大東亜共栄圏思想の後継者と認識するようになる。このため「日成」「正日」
「正恩」など、最高指導者の名に日本への忠誠心や感謝の意を表明してきた。これは小日本思想と呼ぶべきであろう。

(※ 詳細はブログ記事で)

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■ 日本は2013年12月19日(日本時間)、大東亜戦争に勝利した。国際金融資本は降伏した。今日は戦勝記念日だ。 「国際情勢の分析と予測(2013.12.19)」より


【※ 参考】
日米関係
■ 世界のマスメディアが大騒ぎする安倍靖国参拝の意味 「逝きし世の面影(2014.1.10)」より
(※ 前後略、詳細はブログ記事で)
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『慇懃で丁寧。一見穏やかだが重く厳しい外交用語』

日本国内限定の政治用語やお役所言葉は意味が乏しく軽すぎる。
日本の高級官僚や政治家が喋る『前向きに検討する』の意味は(将来はわからないが)『今は何もしない』である。
日本の責任ある立場の人の使う言葉は『相手に言質を与えない』為に、慇懃で丁寧だが『内容が伴わない』のが通例なのです。
ところが軽すぎる日本のお役所用語と国際社会での『外交用語』とは、表面的に慇懃で丁寧だけは同じなのですが、逆に言葉の意味が極端に重くなる。
国際紛争では、外国政府に対して『無関心でいることはできない』は『紛争に介入するぞ』という厳重警告であり、『重大な関心をもって見守る』なら『強硬姿勢をとるぞ』となる。
『わが政府は自らの利益を考慮しなければならない』『行動の自由を要求する』は、『関係の断絶を考えているぞ』という重大な威嚇である。
一見礼儀正しくみえる発言でも、外交では強硬で過激な『内容』となる。
物騒な話でも『冷静な雰囲気』を装い丁重な言葉で慇懃に語るのが外交の世界である。
今回オバマ政権の日本に対する『失望した』(disappointed)であるが、通常なら(最初は)『残念』(regret)とか『遺憾』『懸念』(concern)とか表現する。
オバマ政権ですが、(今まで何も言わなかったのに)今回アメリカ政府はそれらを全部すっ飛ばして一気に最後の段階に達している。
暴走する日本に対するハルノート(最後通牒)の一歩手前なのですから恐ろしい。日本を取り巻く環境か、『何か』が大きく変化したのである。
『disappointed』の意味は明解であり、疑問の余地が無い。
より厳しく強いトーンを表現するために『regret』や『concern』ではなく『disappointed』を使ったのかとの質問に対し、国務省副報道官は、ホワイトハウスと協議した上だと明かし『我々が選んだ言葉から、メッセージは非常に明快だと思う』と述べた。


日本】 / 【アルゼンチン
◆ 【朗報】安倍首相「A級戦犯は連合国によって作られた概念」→アルゼンチンが賞賛!「敢然として軍事的敗北に屈服せず戦争に敗れても矜持を失わない日本に拍手を!原爆を忘れるな」 「おーるじゃんる(2013.12.29)」より
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1:犇@犇φ ★:2013/12/29(日) 12:21:47.53 ID:???
 ■ JAPANESE WAR CRIMES: I'M SORRY?
  Adrian Salbuchi (政治評論家・コメンテーター / アルゼンチン)

 日本の安倍首相の靖国神社参拝に、中国と韓国が激怒している。靖国神社は250万人の戦没者を
祀る東京の神社だ。多くの人が怒っているのは、この19世紀創建の神社に祀られている人々の中に、米国の占領軍によって「戦争犯罪人」という烙印を押された第二次大戦時のヒーローらが含まれているためだ。その中には、米国によって1948年に処刑された戦時指導者東條英機大将など、「戦争計画」に関わったとされる14人の「A級戦犯」も含まれている。
+ 続き
 戦勝国が敗戦国に対して当然に獲得する権利は、領土要求に関するものだけではない。敗戦国の
都市や土地、国民、資源、工場、特許権、軍事装備、そして国際法上の諸権利に対しても、完全かつ欲しいままに支配する権利を、戦勝国は獲得する …… 悲しむべきことだがこれが現実だ。

 そして戦勝国は、戦争の端緒となった対立に関する歴史記述を書く(あるいは書き直す)「権利」をも
獲得する。自国の見解・論理を「真実」とする権利を獲得し、敗戦国を「間違った国・邪悪な国・戦犯国・侵略国」だと非難するのである。「俺たちは善人、相手は悪者だ。」「私たちの息子らは英雄。向こうは殺されて当然の悪魔だ、2歳の幼児までも。」という考えは人類の歴史を同じほど古い。第二次大戦後の70年間のプロパガンダが明瞭に示しているとおり、20世紀と21世紀も例外ではない。

 だが日本は今なお屈しようとしない。これは賞賛すべきことだ。平身低頭して世界に再三再四赦しを
請うているドイツの姿とは対照的だ。だがドイツ自身も良く了解しているとおり、たとえ何度謝罪しようと、世界のメディア・出版・教育を支配する人々は決してドイツに赦しを与えることはあるまい。

 歴史認識についてハラキリしたドイツとは違って日本は顔を伏せず、敢然として軍事的敗北の結果に耐え続けている。倫理面で屈服してはいないのだ。

 なるほど確かに、連合国による極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」の結果、日本の多くの軍事・政治指導者らが「A級戦犯」だとされた。だが安倍首相は、2006年にJapanTimesで報じられたとおり、「靖国神社に祀られた14人のA級戦犯は国内法上の犯罪者ではなく、東京裁判の結果を日本が受け入れたのは独立を回復するためのものだった。<中略>A級戦犯の起訴理由となった『平和と人道に対する罪』は連合国によって戦後に作られた概念で、法律に定められたものではない」と考えている。

 日本よ、良くぞ言ってくれた。もし我々が、戦勝国・敗戦国を問わず全ての国の戦争犯罪を真摯に罰しようとするなら、とんでもない規模の国際軍事裁判所が必要だろう。そしてその裁判所は、ダブルスタンダードと検閲から自由でなければならない。そう、ダブルスタンダートから、だ。<後略。ドレスデン空襲や原爆投下で連合国が多数の民間人を殺傷しているが戦争犯罪とはされていない点など。>

▽ソース:RT.com(ロシアRTテレビのニュースサイト)(英語)(2013/12/27 12:24)
http://rt.com/op-edge/japan-war-crimes-867/

■ アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行 「正統史観年表(2009.11.18)」より
/
沖縄本島には千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。
わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。
―――――――
以下、マックス・ヘイスティングス著(イギリスの歴史作家)
「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」
ハーパースプレス社、ロンドンからの引用
―――
一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。
とくに沖縄戦がそうだった。
クリス・ドナー(アメリカ軍兵士)は、こう記録している。

地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、
やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。
仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、
何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。

しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、
丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。

その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、
「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」
と、叫んだ。

兵がいっせいに射撃した。
女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、
手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。

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■オークラ出版「拉致と侵略の真実」『沖縄の受難史』恵隆之助
■小学館「沖縄論」小林よしのり(著)
■沖縄戦関係資料閲覧室 証言集
http://www.okinawa-sen.go.jp/testimony_data/shogen02-05/index.djvu

◆仲地文子さん

羽地でも、真喜屋あたりへ食糧を探しに行く途中で、
米兵に襲われた女性が何人かいた。
だから、米兵の目をごまかすために、女たちはわざと顔に鍋墨を塗り、
薄汚いなりをして歩いたものだった。
また、深夜に突然米兵が現れると
空き缶やバケツなどをガンガン叩いて追っ払ったものである。

(※ 以下資料多数、サイト記事で)

■ 日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として夢にも思っていなかった。H・S・ストークス 「株式日記と経済展望(2013.12.23)」より
(※ 大半は略、詳細はブログ記事で)
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◆英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書) ヘンリー・S・ストークス (著)
◆内容の一部 12月12日 剣kenn囂々より
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◆ イギリスは何百年もかけて大帝国を建設し、その帝国を維持した。その間に、インド人をはじめアジアのさまざまな民族と戦った。もちろん、インド人との戦闘も、熾烈を極めた。アフガニスタンや、北パキスタンの敵も、手強い相手だった。

 しかし、日本人はそうした「強い敵」をはるかに凌駕していた。日本人はそうした植民地支配を受けた人種と、まったく違っていた。日本が大英帝国に軍事進攻した途端に、何百年も続いた帝国が崩壊した。イギリスは日本のマレー進攻によって、催眠にかけられてしまったようだった。日本軍のあまりの強さに、降参するしかなかった。(p.34)

◆ 日本軍が突然、マレー半島に上陸し、まったく次元の違った戦いが始まった。チャーチル首相も、面食らった。

 シンガポール防衛軍のパーシバル司令官は、金縛りにでもあったかのように、まったく戦うこともせずに、戦意を喪失し、降伏した。日本軍の司令官もイギリス軍の弱さに、驚いたことだろう。日本陸軍はそれほど強かった。

 イギリスだけではない。アジア各地にオランダ軍など、西洋各国の軍隊が展開していたが、あっという間に日本軍に敗れてしまった。日本は短期間にそれだけの地上軍を展開する力を、持っていた。(p.43~4)

 日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として、そのようなことが現実に起ころうなどとは、夢にも思っていなかった。それが現実であると知った時の衝撃と、屈辱は察して余りある。(p.44)
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ヘンリー・スコット・ストークス氏は経歴からわかるように、イギリス人で新聞記者として東京で長い間仕事をしている人です。イギリスから見れば大東亜戦争のおかげでインドやマレーシアや中国の植民地を失い大英帝国からただのイギリスになってしまいましたが、戦勝国としての意識は無いようだ。

大英帝国を没落させたのはチャーチルの日本への人種的な偏見であり、ストークス氏もその事を指摘している。アメリカのFDルーズベルトはより日本人への人種的偏見が激しく、チャーチルやルーズベルトの日本人への人種的偏見は手紙などで明らかであり、大東亜戦争は白人と有色人種の解放戦争だったのだ。イギリスやオランダやフランスは再度植民地化を試みましたが、イギリス軍やアメリカ軍が日本軍にぼろ負けしたところを見たアジア人は立ち上がって追い出した。


靖国神社
■ ことしの一押し「永続敗戦論―戦後日本の核心」(白井聡、太田出版) 「Journalist-net(2013.12.27)」より
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 今年3月に出版された同書は、先日の大阪自由大学読書カフェでもとりあげられた(話題提供者、三室勇氏)が、私もとても刺激を受けた本だ。

 昨日、安倍首相が靖国参拝した。日本版NSC,特定秘密保護法案を仕上げたあとの国家体制づくりに向けて、精神的な地ならしだ。これら「戦後レジームからの脱却」を掲げている安倍路線の本質をこの本は分かりやすく解明していある。
 いくつかの問題提起に、既視感をいだくことはあるものの、これまで語られてきたてきた様々な「戦後論」を超え、明快な日本論を展開している。

 永続敗戦とは、戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し、支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに、敗北が際限なく続くーそれが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかに破綻に瀕している。(同署の帯文から)

 「敗戦」を[終戦」と読みかえたり、3・11で突きつけられた社会のありかたを「不都合な真実の否認」と言う形でのりきろうとしている日本の国家がよく見えてくる。

定価(1700円+税)

■ 日本は2013年12月19日(日本時間)、大東亜戦争に勝利した。国際金融資本は降伏した。今日は戦勝記念日だ。 「国際情勢の分析と予測(2013.12.19)」より
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20世紀は1913年12月23日に始まり、2013年12月18日(米国時間)に終わった。そして、日本は大東亜戦争に勝利した。今日は日本時間の戦勝記念日である。

 米国で12月17-18日に開催されていたFOMCが数時間前に終了し、量的緩和政策の縮小開始が決定された。今回の決定では月あたり850億ドルから750億ドルに縮小されるが、1月には更なる縮小が予想されている。米国株式市場はこの決定とともに上昇し史上最高値をつけた。ロイターの報道では「景気に楽観的見方」と理由付けされている。

 しかしながら、冒頭に引用したブログ記事のグラフを見れば分かる様に、リーマンショック後の米国株式市場は株価が急上昇するのに反比例して出来高が減少し、10年前の半分に落ち込んでいる。一般の投資家が全て逃げ出し、相場詐欺師のキャッチボールだけで市場が支えられている状態である。そんな状態で量的緩和政策を縮小することは、相場詐欺師のキャッチボールを停止させることで米国株式市場を大暴落させることを意味する。これによって米国経済は1929年の大恐慌に類似した状態に突入し、実質国内総生産は恐らく20-50%程度縮小することであろう。金融業の消滅で米軍を維持することが不可能になり、1989年以降の東欧のソ連軍引き上げと同様に外国駐留米軍が全て撤退することになる。それによって日本やアラブ産油国などを脅迫して金を強奪することが不可能になった米国経済は更に悲惨な破綻状態に陥る。また、日本や中国、産油国などに国債を買わせることが不可能になる米国は債務不履行よりも国債大増発によるインフレを選ぶだろう。それはドルの価値下落を通じてドル覇権の消滅を促進することになる。

 米国株式市場の暴落がいつ始まるかは流動的だ。今日の米国市場かもしれないし、12月23日かもしれないし、来年元旦かもしれないし、来年1月のFOMCかもしれないし、来年2月1日の次期FRB議長就任かもしれない。その後に起きる南朝鮮とイスラエルの滅亡戦争かもしれない。しかし、遅くとも来年中には暴落が開始されることだろう。同時に国際金融資本の本拠地である英国市場も暴落・崩壊するだろう。

 ユダヤ系英国人の歴史家であるエリック・ホブズボームは長い19世紀、短い20世紀という概念を提示している。19世紀はフランス革命から第1次世界大戦まで(1789-1914)、20世紀は第1次世界大戦からソ連崩壊まで(1914-1991)とする。しかし、私は以前から、20世紀はFRB設立に始まると考えてきた。鉄道の発達で東欧を中心にユーラシア内陸の経済が成長することでシーパワーの世界覇権維持が困難になった英国に本拠を置く国際金融資本は、米ソ二極体制で20世紀も世界覇権を維持することを計画し実行した。その第1弾が米国の金融家と協力することで1913年12月23日に設立されたFRBであり、これによって国際金融資本は米国の金融と経済を完全に支配し、米国そのものを乗っ取ることに成功したのだ。1929年の大恐慌はこの米国支配を完全な者にするための国際金融資本の陰謀であろう。そして第二弾として行われたのが1917年のロシア革命である。これはロシアに居住するハザール系ユダヤ人を実行部隊として行われたユダヤ革命であった。

 今月23日はFRB設立100周年の記念日である。その記念日の直前に行われた量的緩和の縮小政策の発表は、FRBによる米国支配を通じた国際金融資本の世界覇権の終焉に直結する。20世紀は1913年12月23日のFRB設立に始まり、2013年12月18日の量的緩和縮小で終わったのだ。恐らく、FRB設立時に100年間の時限立法であり、その後はFRB所有権は民間銀行から米国政府に戻すという密約があったのだろう。

 同日に決定されたユーロ圏で銀行の破綻処理を一元化する枠組みでの合意も重要だ。これによってユーロ圏では銀行の破綻処理を支援できる唯一の大国であるドイツの経済的覇権が確定した。ユーロ圏外の英国の大銀行の殆どはキプロス型の破綻で預金が大幅に切り捨てられて消滅するだろう。第一次大戦で崩壊させられたオーストリア・ハンガリー二重帝国はユーロ圏全体を支配する多民族の大帝国として復活した。ヒトラーとその裏にあるハプスブルグの夢がとうとう実現したのだ。

 米国の世界覇権消滅は北朝鮮を中心として日本や中国も参加する大東亜共栄圏が国際金融資本に対する大東亜戦争に勝利したことを示す。この長い戦争はスペインのフィリピン侵略に始まり、阿片戦争で本格的に開始され、日露戦争後に日本と米国の対立の先鋭化として冷戦化し、1941年12月9日(米国時間は8日)に第一次の実戦が開始された。日本は本土の国民を温存するために本土決戦を回避して予定通り降伏し、敵の力の及ばないアジア大陸に設立した亡命政権=金日成王朝に本拠地を移して戦争を継続する。第二次の実戦が朝鮮戦争で、大東亜共栄圏は米軍と互角に戦い休戦に持ち込んだ。第三次の実戦がベトナム戦争で、金日成王朝や帝国陸軍残置諜者に支援されたベトナム軍はフランス軍と米軍を打倒し大勝利した。そして、追い込まれた国際金融資本は新自由主義と経済バブルによる生き残りを狙ったが無残な結果に終わり、本丸のFRBが昨日(日本時間の本日早朝)陥落したのである。

 今日は大東亜共栄圏の戦勝記念日である。私は今日仕事が終わったら靖国神社に参拝してこの戦いに参加した多くの英霊の魂を弔う予定だ。そして、金策・金国泰などの残置諜者や彼らとともに戦った金日成に敬意を表するために朝鮮総連総本部を訪れたい(無論外から眺めるだけだが)。明治維新後の日本の皇室が表向きは万世一系だが実際には南北朝の二系であるのにならって、北朝鮮の金日成王朝は朝鮮民族の歴史上最高の指導者である金日成と日本人である残置諜者の金策の二人の家系が協力して成立していると考えれば良いのである。そして、静かに勝利を喜ぶとともに、その犠牲となった人々の苦難に思いをはせよう。英霊は日本人と朝鮮人だけでは無い。ベトナム人も中国人もインドネシア人もビルマ人もインド人も我々とともに戦い多くの犠牲を出したことを忘れてはならない。大東亜の外のパレスチナ人も忘れては成らない。大東亜戦争を通じて我々アジア人(南朝鮮人を除く)は一つに団結し、勝利に到達した。岡倉天心が主張した「一つのアジア」は既に実現したのだ。
このブログの読者の皆さんも是非、戦勝記念日の今日、靖国神社や各道府県の護国神社を御参拝下さい。



■ 大東亜戦争と東京裁判とシリア攻撃 「浮世風呂(2013.9.1)」より
(※ 前後略、詳細はブログ記事で)
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◆それは、真珠湾攻撃から始まった

 日本軍が突然の奇襲攻撃でハワイのパールハーバーの米・太平洋艦隊と米軍基地に先制攻撃を仕掛けた。この奇襲攻撃に全米国民が怒る。「姑息な日本人!やっつけてしまえ!」これを機にアメリカとの全面決戦に突入した。

しかし、これが本当に日本軍の奇襲だったかというとそうではない。

当時のアメリカ軍は日本軍の暗号をすべて解読しており、アメリカ側は日本軍の攻撃の予定も熟知していた。しかし、日本との戦争をのぞんでいたため、知らないふりをしたのである。

当時の米大統領ルーズベルトは、不景気だったアメリカをニューディール政策で持ち直すことができず、経済不況を打開するには戦争しかないと考えていた。また、戦争に反対だったアメリカ国民を戦争に駆り立てるためには、日本からの先制攻撃がどうしても必要だったのである。

そのため、彼は、日本軍の奇襲計画を傍受した部下から数々の報告を受けてもすべて無視した。また、 ソ連のスパイでもあった近衛首相の側近・尾崎 秀実(ほつみ)からの通報で、12月上旬の開戦を知っていたともいわれる。またハワイに太平洋艦隊を集結させておくことに反対したリチャードソン太平洋艦隊司令長官を更迭、後に事情を知らないキンメル提督を任命するなど、先制攻撃を誘い込むような動きを見せている。

「私は宣戦しない。戦争を作るのだ。」は彼の言葉である。

また、日本側の真珠湾攻撃の首謀者は山本五十六・連合艦隊司令長官であった。彼こそは、日本の軍人というイメージがあるが、実は大の親米派であった。
過去にハーバード大学に留学し、ほか駐米武官などの滞米経験も豊富であり、当時の日米の国力の差が10倍以上あることなど、誰よりもアメリカの国内事情に精通していた人であった。

また軍内で、戦争を可能に見せるため会議に提出するアメリカのデータを過少に書き換えることまでしていたのである。その後、軍上層部全員が反対する中、真珠湾攻撃を立案、決行する。しかも決定打を打たずに退却という不審な行動。その動きは悉くすべてアメリカの利益になるようなものばかりであった。その真意はまったく謎であると言われたが、彼ら海軍は、戦争をしかけた第一の首謀者でありながら、東京裁判では誰一人A級戦犯どころか逮捕もされていない。それはどういう意味なのか。

さらに、GHQが日本に司令部を置いて直ぐに、松下幸之助が呼ばれてフィリップスとの業務提携を申し渡されて、飛躍的な発展を遂げる。それは報奨以外のなにものでもない。

真珠湾攻撃の復讐をされて当然、という論法で、国際社会では、いまだに正当化されている広島・長崎の原爆投下。

当時の日本はすでに惨敗状態で、とても戦えるような状態になかった。1945年3月に和平協定も申入れたが、却下されている。

ここで考えてほしいのは、なぜ日本に原爆の投下が必要だったのか?それも2回も。さらに広島に投下されたものと長崎に投下されたものは異なる2種類の原子爆弾であった。

まず、原子爆弾の開発にはロスチャイルド・ロックフェラー両財閥の大きな力が働いていた。原子爆弾の開発に必要な20兆円にも上るといわれる莫大な資金は両財閥から提供されていた。それはすべて、大戦後に「核の脅威」を用いて世界を支配するために、核がどれほど凄まじい威力をもった兵器かを国際社会に見せつけておく必要があったからである。つまり、広島・長崎は核の威力を世界に知らしめるための人体実験であった。



■ 太平洋戦争は帝国陸軍vs天皇・海軍の戦争だった! 「nueq lab(2013.8.16)」より
(※ 前後大幅に略、詳細はブログ記事で)
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226事件は、公表的には帝国陸軍:皇道派の青年将校たちが「 昭和維新・尊皇討奸 」「 天皇親政 」をスローガンに企てたクーデター未遂とされていますが、これは事実のホンの一部分を取り上げたものにしか過ぎません。
実際には、昭和天皇を捕獲:廃帝にし、一応公表上、昭和天皇の弟とされている秩父宮を新しい天皇に据えるべく起こした帝国陸軍最強の第2師団( 仙台師団 )に依るクーデターで、青年将校たちの決起はその先遣隊だったのです。
先遣隊の暗殺&天皇捕獲に続いて、仙台から上野に秩父宮と共に向かっていた仙台師団は、帝国海軍陸戦隊が戦車隊まで繰り出して青年将校の先遣隊をが完全制圧したため、プランを断念せざるを得なくなってしまいます。

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■ <後編> 太平洋戦争は帝国陸軍vs天皇・海軍の戦争だった! 「nueq lab(2013.8.16)」より
(※ 前後大幅に略、詳細はブログ記事で)
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 ・ 山本五十六はミッドウェー攻撃をゴリ押しした。
 ・ 出撃の目的は敵機動部隊の殲滅にありながら、
   南雲司令官はミッドウェー島攻略を主眼とした。
 ・ 当初空母艦載機は艦船攻撃用の魚雷を装着していた。
 ・ 偵察機出動30分前、突然ベテラン偵察員がはずされ、
   初出動の新米偵察員に交代させられる。
 ・ 偵察機があろうことか、雲の上を飛んだ。
   雲の上から偵察など出きっこない! ( 日本はレーダーを持ってない )
 ・ 敵空母艦隊がいないので魚雷を地上攻撃用の爆弾に装着換え。
 ・ 偵察機は帰りに雲の下を飛んでやっと敵空母艦隊を発見。
 ・ 敵空母艦隊近接情報で爆弾を魚雷に再度装着換え。
 ・ 装着換え中に敵航空部隊が襲来し、空母4隻他機動部隊壊滅。
 ・ ベテランパイロットほぼ全滅。
 ・ 山本五十六はミッドウェー攻撃直前、呉で愛人と同宿。
   まるで311当日の盗電:清水社長の赤坂:韓国キャバレーみたいだ。


そして1943年4月18日、山本五十六はラバウル近傍で米軍機の攻撃で墜落。
死亡と伝えられていますが、果たして、、、、、、
ノリエガ、フセイン、ビン・ラディンなどの例もあるように
本人の希望通り戦後は南洋の島かハワイで優雅な一生を送ったとも考えられます。


■ 本は何故勝ち目のない大東亜戦争に参戦したのか? 「国際情勢の分析と予測(2013.8.15)」より
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本日早朝、私は仕事前に靖国神社に参拝してきた。政治団体の看板やポスター、右翼団体と思われる人々に混じって、出勤途中と思われる多くの人々が参拝していた。マスコミ記者も多く見られた。私もインタビューを受けたが時間の無駄なので拒否した。中国語で実況中継するテレビ局やフランスのAFP通信のテレビカメラもあった。今後犯罪国家として糾弾されることになるであろう米英のマスコミは会社名を隠していたのではないかと想像する。

さて、本題に入ろう。日本が何故勝ち目のない大東亜戦争に参戦したのかという謎について私は何度か記事を書いてきた。山本五十六が開戦前に「半年ぐらいは暴れて見せます」と言ったとおり、日本の敗北は戦争前から自明であった。上記の「大東亜戦争と関ヶ原の戦い」『「日本を戦争ができない親英米国家にするために太平洋戦争で日本はわざと負けた」論についての一考察』がその例である。今日もその事について書こうと思う。
(※ 以下詳細記事はブログで)

■ 「バンザイ・クリフ」の真相 「心に青雲(2013.5.28)」より
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 この本の紹介が「徒然なるままにエッSAY!」2005年6月11日付にあった。(「サイパン島バンザイ・クリフの悲劇は米軍の強姦と虐殺が誘発した」)
http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/24845255.html

 田中徳祐氏の手記によれば、米軍はしきりにジャングル内に残っている日本兵や住民に、日本の童謡のレコードを流しながら「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきてください」などと投降をよびかけた。
 投降呼びかけの放送とはうらはらに、米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開した。
 バナデルの飛行場へ追いつめられた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となったのを田中中尉らは離れた山中から見ていた。

 「婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。積み終ったトラックから走り出した。婦女子全員が、トラックの上から『殺して!』『殺して!』と絶叫している。
 その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。
 やがて、次のトラックも、次のトラックも走り出した。絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかつていった。……なんたることをするのだ!
 (中略)

 婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴かあがった。ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴・・・。米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。
 あの投降勧告はー体なんだったのか。常夏の大空をこがさんばかりに燃え上がる焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。そのすさまじいばかりの叫びが、中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。」

 ほかにも、米軍が毒ガス兵器を使用したことや、部隊と行動を供にしていた日本人が米軍に内通して日本軍の位置を知らせていたと書かれているそうだ。
 当時は日本人だったが、サイパンには軍の飛行場建設などのために朝鮮人が多くいた。敵に内通したのはこういう連中ではなかったか。

■ ドイツ人学者「中国人・朝鮮人・ベトナム人を大量虐殺した日帝を絶対許さない」 「Birth of Blues(2013.5.11)」より
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「独立を願う朝鮮人を大量虐殺した日帝と朝鮮光復軍は果てしない死闘を繰り広げた」というのは歴史の定説になったみたいですね。
日帝によるベトナム人200万人餓死事件の顛末はスレ最下段で収録しています。
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(※ 前略)
1994年11月5日付け毎日新聞(下写真、一部カット)は、「ハノイ4日共同」として、「 <旧日本軍の蛮行」非難 「200万人餓死事件」ベトナムが特別報告書>の見出しを掲げて、以下のように報じた。
ベトナム労働・傷痍軍人・社会事業省が、『ベトナムにおける日本ファシストの犯罪』と題した208ページの特別報告書をまとめ、このなかで「日本軍の犯した4つの大罪」として、
1)独立戦争の妨害
2)経済破壊
3)大量の人民殺害
等を指摘して、ベトナム北部で、「200万人以上が餓死した」としている。

<共同通信と地方紙> 毎日記事から一部を引用。
〈共同通信が入手した報告書は、同省が1986~87年にフランス統治下の公文書、新聞記事などを基にまとめたもので、
旧日本軍の食料、資産調達を詳細に再現するとともに 「日本軍は指示に従わない住民を野蛮な拷問にかけた」
として、その非人道的行為を糾弾している。この種の資料が明らかになったのは初めて。

共同通信社は、旧日本軍の悪行となると熱心に配信する、しかし、日本側のウラ付け調査をしないなど、朝日新聞社などと同体質といってよい。
共同通信なしには地方紙は成立しえないので、それだけ共同通信の影響力が大きいことになる。
河北新報は、翌年(1995年)の8月27日付でも、「主因は旧日本軍の食料調達」「初の日越学術調査 」の3段見出しをつけて以下のように報じた。勿論、共同通信の配信記事だ。
(※ 中略)
3 「政治宣伝」
ところが、その後、「決定的ともいえる報道」があった。
■産経新聞の報道より
高山 正之 ・帝京大学教授は産経新聞編集委員時代、土曜ごとに書いていた「異見自在」のなかで、この問題に終止符を打つ事実を報じました。1999年7月17日付の「学識経験者って何者だろう」という見出しのものです。
ハノイの中心街にある元フランス植民地の徴税局が、いまは革命博物館に装いを変え、フランス植民地時代のギロチンや拷問道具、ベトナム戦争時代のボール爆弾など100年におよぶ戦いの記録が展示されていたといいます。
館内の「日本軍との戦い」という部屋をのぞいてみると、 「 日本軍のためハノイでは200万人が餓死したり殺されたりした 」との説明書きがあり、山積みされたガイコツの写真が掲げられていたと書きます。でも、素朴な疑問があると高山はいいます。
〈日本軍がベトナムを支配したのは昭和20年3月、クーデターを起こして仏植民地軍を追っ払ってから終戦までの5ヵ月間。どうやれば、そんな短期間に200万人を餓死させられたのか〉と。

この餓死の問題について、高山記者を案内したハノイ人民幹部は、「政治宣伝だった」とアッサリ認めた。

■ 「日本は負けていない」~超経験者しか知らない史実~ 「アパグループ 第4回「真の近現代史観」懸賞論文受賞者発表:優秀賞作品(社会人部門)」より
原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」(海軍は京都帝大と「F研究」)として行い濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾をハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。特にハワイには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を兼務することになった経過がある。
(※ 中略)
本土決戦では日本は必ず勝つとすべての陸海軍参謀は確信していた。一方、アメリカ軍上陸攻撃隊司令官は戦後日本軍の陣立てを見て驚嘆し「米軍は上陸に三回失敗しただろう。上陸に三回失敗すれば米軍の戦力はほとんど消耗し、戦争はベトナム戦と同様な状態となり、アメリカ国内で戦争反対の世論が起こりベトナム戦で米軍が負けたと同じく米軍は日本から敗退せざるを得ない。もはや戦えないので日本に和睦(降伏)を申し出るしかなかったであろう」と述べている。
(※ 中略)
しかしポツダム宣言に対して日本政府は「これは敵から申し出た和睦の条約」とまじめに甘く考えていてこれに乗ってしまったのである。アメリカの新聞は大喜びで「日本は無条件降伏」と事実とちがう報道を行った。アメリカの提示したポツダム宣言自体、八つの条件付であり、これに加えて日本政府は「国体護持」という条件付きで受諾したので、計九つの条件付和睦で「無条件降伏」は事実に反するのである。又、ポツダム宣言にも日本の国としての無条件降伏とは一字も書いていない。戦後の日本人が洗脳されて「敗戦」だとか「日本が無条件降伏した」と思っているのはまことに嘆かわしい。
(※ 中略)
昭和一桁初期以降に生まれた若い人は右に述べた本当の歴史を知らない。だから日本政府の正式名称であり理論的に正しい「大東亜戦争」(太平洋だけでなく、ビルマ・インド等も含めた戦争)を米軍の言う「太平洋戦争」に言い換えたり、日本政府の正式名称「支那事変」を「日中戦争」と言い換えたり、国際間の正式国名の「チャイナ」又は「シナ」と言わず相手におもねって、又はお世辞で「中国(世界の中心の国)」と言っている。「支那事変」は日本政府が正式に国家間での戦争と認めていないのだから、日本政府は「事変」と言っているのであり、この事実に反しているのを知らないで「戦争」というのは理論的にも誤っている。又、「わが国」と言わず、他人の国のように「この国」と言っている人も洗脳されている人である
(※ 中略)
先般あるテレビ番組で「中国戦線で敗走する日本兵」というコメントと映像が出た。私の記憶では支那事変で日本が負けた戦線は知らない。
 そこでその担当者を呼び「どこの戦線で日本が負けたのか」と質問したが返事がなくごまかすので再度追求すると、結局「根拠がありませんでした」と白状し「おわび」が回答だった。国の権威に関わる事実無根な「日本軍の敗走」を国民に誤報して、これを放送で訂正せず口頭の回答で「おわび」でお終いにしている無責任さ。歴史を知らないのである。元大蔵大臣の塩じいこと塩川さんも支那大陸に従軍し「支那戦線で武器を持っていなくても日本軍の軍服を着ているだけで支那兵は逃げた」と体験談を話している。
(※ 中略)
繰り返すが今迄「敗戦した」と殆どの人が思っている事は間違いであり、史実は「日本は負けていなかったのだ」という事を再認識し、これからの各人の行動を百八十度転換する事が日本再生の第一歩であることを確信し、日本が立ち直る起爆剤にするために本論文を発表したのである。


※ 上記記事は、ブログ二階堂ドットコムより知る。




 ・達人様~推奨する参考記事   (※mono注: ぜひブログ記事を直接お読みください。)

   「なぜ日本は戦わねばならなったのか」 
 ・。「坂の上の雲」ストーリーは格好いいですがちゃんと日露戦争にはシナリオライターがいてそれを舞台で演じる役者がいたわけで司馬遼太郎の全く知らない世界が本当はあったのです。英国のシナリオライターですからね,サラ・ブライトンの歌を最初にもってきたのなんてさすがNHKでしょうか。歌唱力で圧倒する「森麻季」さんを1部から3部まで........とはいかなかったですね。

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   「国家が行うべき歴史認識」
 ・戦後占領政策でGHQは、この教えに従い忠実にそれを実行したのである。検閲で日本の歴史を消去し、WGIPで 新しい歴史を創造した。

例えば、「太平洋戦争」という言葉は、元々なかった。元々は 「大東亜戦争」と呼んでいた。GHQの占領政策によって 「大東亜戦争」は検閲により消去されWGIPによって「太平洋戦争」に塗り替えられた。

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   「WGIP」
 ・こうした原爆問題と東條証言による連合国・米政府への批判の高揚に対抗して、戦争犯罪宣伝計画の第3段階が展開されたのである。

その内容は、それまでの段階以上に、繰り返して日本人に「日本が無法な侵略を行った歴史、特に極東において日本軍が行った残虐行為について自覚」させようとし、特に「広島と長崎に対する原爆投下の非難に対抗すべく、密度の高いキャンペーン」を行おうとしたものである。

日本の「侵略」や「残虐行為」は、原爆投下の免罪のために強調されたのだ。そして、日本は犯罪国家だから原爆を投下したのは当然だ、悪いのは日本の軍部指導者である、という意識が徹底的に植え付けられました。特に、東條証言で陳述された日本側の言い分を一切認めず、日本国民が連合国批判に向かわないように、宣伝したのである。 








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最終更新:2022年12月05日 16:58