● 二・二六事件
1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていた。





■ 旧陸軍士官が語った歴史の真実(1) - 123便関連事項含む - 「(新) 日本の黒い霧(2012.9.29)」より / 魚拓
T氏「私は陸軍に入隊してから、栗原さん(当時中尉:叛乱首謀者の一人)に会いましたよ。」

日月土「えっ、どういうことですか?栗原中尉は事件後すぐに処刑されたはずですが??」(註:T氏が入隊するのは事件から数年後)

T氏「世間ではそういうことになってますね。でも、私はこの目でお姿を見て、会話もしています。それを信じる信じないはあなたにお任せします。なお、私は歴史というものを一切信じていません。」

日月土「中尉とどんなことをお話されたのですか?」

T氏「栗原さんは、よく歌を歌いながら兵舎の中をこうやって歩いていましたね(歌と身振りの真似)。事件に関わった他の青年将校の方々がどの部隊に配属されたのかも聞いています。」

日月土「なぜ、将校たちは処刑されなかったのでしょうか?」

T氏「理由はわかりませんが、やはり、お国のために立ち上がった方々ですから、殺すに忍びなかったのだと、私は理解しています。」

日月土「戦後、陸軍が解体されて彼らはどうなったのでしょう?」

T氏「それは私にもわかりません。」


(※ 前略)

「お前は天皇に言え。いいか。海軍は二年しか石油がない、戦争をすれば一年半持てばいいけど、まあ一年で終わる。陸軍は石油を一年分しか持ってない。この状態で戦争が出来るわけはない」と嘆いて木戸の許を去ります。木戸日記に書いてあります「俺もそう思う。戦争すれば負けるワイ」。これは木戸日記にはっきり書いてあります。

ところが実際は戦争は4年も5年も続いたじゃないですか。石油のない時代は、最後の一年間くらいは石油が尽きたけど、石油はあったんですよある程度。みなさんもご存知のように、ガダルカナルや何とかでいっぱい負けますけど、やっぱりあれは石油があったんですよ。なぜ石油があったか考えてみたことありますか。これはですね、戦争の時にアメリカが「日本には石油は売らない」。ところが「パナマ国籍の船ならば油を積んでいって日本に売っても、これは自分たちは攻撃できない」という理屈で、日本に石油を間接的に売るわけです。本当なんです。三菱が作った『昭和通商』という会社がそれを引き受ける。『昭和通商』と三菱は同じです。それではマズイというので『日本水産』(注 白洲次郎は取締役)という会社が代行するわけです。魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので、戦争は長びくわけです。

(※ 中略)

『このクーデターの首謀が秩父宮であることを書いた。このクーデターを、天皇、高松宮、三笠宮、牧野伸顕、岡田首相らが事前に知っていたのである。天皇は彼ら将校を「暴徒」と決めつける。天皇が最初から「暴徒」と断定しえたのは、密かに秩父宮と共同歩調を取ったからだと私は書いた。しかし、政府要人が数名殺されたり、傷を負ったから、2・26事件は本物のクーデターとして位置づけられ、誰も疑わない。ねずまさしも、である。』

(※ 後略)


■ 処刑の朝 ~ ニ・ニ六事件 「かつて日本は美しかった(2011.3.10)」より
農村は救えなかった。

昭和11年(1936年)2月26日、政府に不満を持つ若手将校らが昭和維新を称えて決起したニ・ニ六事件が起こりました。この頃、昭和大恐慌によって米や生糸が暴落し、農村は大打撃を受けていました。

 決起将校の一人、対馬勝雄中尉

「自分の実家は青森ですが、知り合いの家では芋のつると麦こがすで飢えをしのいでおったです」

 将校らの部下には貧しい農村の次男や三男、中小商工業の家庭の子弟が多くおり、常に彼らから生活の苦難が訴えられ、「何とかせねば日本は救われぬ」という義憤がありました。

(※ 中略)
遺詠(栗原安秀中尉)

  君が為捧げて軽きこの命 早く捨てけん甲斐ある中  七月七日


■ 内ゲバは無垢な馬鹿が演出する 「虚空と君のあいだに(2009.3.21)」より
天皇崇拝で行動を起こした彼らの馬鹿さ加減を。
で、事態はどうなった?
226事件では、こいつらにとって本当の討伐されるべき人物、西園寺などは倒さない。
それはなぜか?交渉役を倒して交渉を断絶することは、結局は劣勢側に損になるからだ。

これらの天皇陛下万歳とか言って死んだアホどもも、所詮、駒として使われただけである。
その天皇を見てみなさい。
大戦中でも、BIS、横浜正金銀行で資産を移し、クウェーカー教徒から聖書を教わり、欧州に外遊し、雛壇の上の羊として、個人の自由を束縛されながら、にやけている。

そのキリスト教に染まった天皇が、結局は226事件の青年将校を都合のいいように死刑としたわけだ。彼以外に止めれる奴がどこにいた?
彼らは崇めていた、入れ替えられた置物の天皇にさえ見捨てられたわけである。

で、本当の首謀者を見てみなさい。226事件の首謀者を。
真崎甚三郎、荒木貞夫を。
さらに、背後の人物を並べるよう。こっちのほうが、統一教会などの奴らにはわかりやすいだろう。

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真崎甚三郎 / 荒木貞夫









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最終更新:2012年11月28日 08:07