★ 鳩山元首相:党内かき回し退場へ…民主政権迷走の象徴 「毎日jp(2012.11.20)」よりコピペ
 09年の政権交代の象徴だった鳩山由紀夫元首相が、民主党政権の混迷の3年余りを象徴する形で衆院選不出馬に追い込まれた。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で迷走し、わずか9カ月で退陣。国会議員を辞めると言っては撤回し、菅直人前首相の内閣不信任決議案に賛成する構えを見せたり、野田佳彦首相が政治生命を懸けた消費増税法に反対したり。民主党政権が国民の信頼を失った責任者の一人であることは間違いない。【田中成之、念佛明奈】

 自民党の石破茂幹事長は20日夜、記者団に「首相を辞めたときに議員を辞めると言っていた人が辞めただけだ。ここまで判断を先延ばしした理由が理解できない」と語った。

 鳩山氏は10年6月に退陣を表明した際、記者団に「首相の影響力を行使し過ぎてはいけない。次の総選挙に出馬しない」と明言したが、わずか半年後、地元後援会の会合で「次の衆院選でも行動をともにさせていただきたい」と撤回した。

 普天間移設問題では09年衆院選の際に「最低でも県外」と公約したが果たせず、沖縄県民の反発を招いた。同年11月に来日したオバマ米大統領に「トラスト・ミー」(私を信じてほしい)と言った後も迷走を続け、後の政権は日米関係の修復に追われた。

 自民党の菅義偉(すが・よしひで)幹事長代行は「『最低でも県外』と決めたのは、民主党そのものだ。野田首相には、鳩山さんを外交の党最高顧問に据えた責任がある」と民主党の外交失政を批判。公明党幹部は「日本外交の破綻のきっかけを作った張本人だ。国益上、辞めてよかった」と突き放した。

 退陣後は小沢一郎元代表(現「国民の生活が第一」代表)と連携し、自らが否定したはずの「首相の影響力を行使」して後継政権を揺さぶり続けた。これに対し、民主党執行部が環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を踏み絵に「鳩山切り」も辞さない構えを見せたことが衆院選不出馬につながった。

 石破氏は「マニフェストに賛同できない者を公認しない方針は、政党として評価すべきだ。政策の一致した純化された集団として政界再編の一つの核になることは、それはそれで望ましいのではないか」と皮肉った。

 民主党内では、政権交代に導いた功労者の「退場」に複雑な反応が広がった。「党をかき回した揚げ句、離党したくても受け皿がなくなった」(中堅議員)、「首相までした人が晩節を汚した」(政務三役経験者)など冷ややかな声の一方、鳩山代表時代の00年に初当選した議員は「自身で勇気ある決断をした。選挙では応援にも来てもらい、みんないろいろな思いがある」と顔を曇らせた。

 鳩山由紀夫元首相を巡る主な出来事◇

09年5月16日 民主党代表に就任

  7月19日 米軍普天間飛行場の移設先について「最低でも県外」と発言

  8月30日 衆院選が投開票。民主党が308議席を獲得

  9月16日 鳩山内閣が発足

  11月13日 オバマ米大統領が初来日。日米首脳会談で普天間問題で「トラスト・ミー」(私を信じてほしい)と伝える。

10年5月28日 米軍普天間飛行場の移設先に辺野古地区を決定。閣議で署名に応じない社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相を罷免

  6月2日 退陣を表明。次期衆院選に出馬せず、政界を引退する意向も

  6月4日 鳩山内閣が総辞職

  6月8日 菅内閣発足

  7月11日 第22回参院選が投開票され、民主党は44議席と惨敗

  12月18日 後援会会合で「次の衆院選でも行動を共にさせていただきたい」と述べ、引退を撤回

11年3月11日 東日本大震災が発生

  9月2日 野田内閣が発足

  9月5日 民主党最高顧問(外交担当)に就任

  11月11日 野田首相が環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉参加方針

12年6月26日 税と社会保障の一体改革関連法案の衆院採決で反対票

  7月3日 一体改革関連法案での造反で党員資格停止6カ月の処分

  7月9日 処分が党員資格停止3カ月に

  11月17日 原発再稼働やTPP交渉の参加反対で「自分の信念を曲げるつもりはない」








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最終更新:2012年11月21日 17:14