● 耽羅〔Wikipedia〕
● 耽羅民族〔Wikipedia〕
作家大宅壮一の著書「炎は流れる」の朝鮮編には、「済州島民は朝鮮半島本土と違い、性格は温厚で生活様式が日本に近い」とある。



■ 耽羅(たんら)国の再興 「国際情勢の分析と予測(2012.10.24)」より
立憲君主制の耽羅国が再興されることは日本に利益が大きい。日本の皇室(卑弥呼=天照とすると3世紀初頭が建国時期)に近い長い歴史を持つ君主制の安定した島国が日本と大陸の間に生まれて緩衝国家になることは安全保障上も、皇室の維持のためにも有益である。君主制は国民のアイデンテティーに貢献し、重要な観光資源となる。星主を君主とする耽羅国のみならず、ハーンを君主とするモンゴル帝国、皇帝を君主とする満州国、ダライラマを元首とするチベット、ハワイ王国などの君主制国家を復活させるべきである。ロシア帝国や明も王室の後継者をツァーリや皇帝にして再興できないものだろうか?


■ 済州島民・耽羅民族と朝鮮半島民・朝鮮民族 「2ch(2010.3.10~)」より
「わしらは韓国人であって韓国人じゃないのよ。
 わしらはチェジュの人間よ。
 今は韓国人、昔は日本人(併合時代)やったけど、チェジュの人間やで」by元チェジュ独立運動関係者

済州島の歴史

チェジュは歴史的には李氏朝鮮に完全征服されるまでは耽羅王国っていう一つの独立国
基本的にチェジュ島民は朝鮮人と比べて厳しい自然環境を克服するため協同精神が発達しており、半島民の気性の激しさとは対照的に性格も温和で純朴だと言われる。(wikiより)

そして李氏朝鮮時代になると高麗時代の政府の王族貴族の流刑地となり、その後は政敵と見なされた両班や官僚が流される政治犯流刑場となっていた。
(白丁が流されたというのは誤解。正しくは流刑になった両班が白丁と同一視された。)

そして、戦後に起こったのがチェジュ4・3事件
韓国政府が成立しかけた1948年頃から「チェジュ島で共産主義ゲリラが発生した」として、国軍&右翼団体&アメリカ軍が大挙介入し、現地住民を虐殺しまくった。
現地のお年寄りによると、チェジュ島が韓国領土に正式に組み込まれる前に耽羅国を再建するのだと、チェジュ独立運動派が立ち上がったらしい。(共産ゲリラは口実で実際は運動鎮圧のため)
事件の結果、10年かけて8万人ほどが虐殺され、一部が日本に逃亡した。

事件から逃れて日本に密航した済州島出身の在日韓国人は、その恐ろしい体験から「また酷い目にあわされるのではないか」と祖国へ数十年も訪れることのない人々も多かったが、韓国政府が反省の態度を示し始めたことで、60年ぶりに祖国を訪れる決心をした人物も現れ始めている(wiki)




.
最終更新:2012年10月24日 22:20