☆ 1961年、神奈川生まれ。早稲田大学で日本史学を専攻。古典にまつわる独自の解釈でエッセイを執筆。主な著書に『ブス論』『源氏物語』全訳六巻『愛とまぐはひの古事記』『女嫌いの平家物語』(ちくま文庫)など。





日本の過去と現在
■ 古典に育児放棄の記述も! 「昔はよかったのに」という幻想を暴く 「サイゾーウーマン」より
『古事記~いのちと勇気の湧く神話』著者インタビュー
「昔は○○だったのに、今は……」とよく言われますが、この本を読むと、古代人も今と同じようなことで悩んだり怒ったりしていますよね。
大塚 当時の人々は、母性本能なんて信じていません。人でも動物でも、一定数の者は育児放棄するものだという前提です。
大塚 江戸初期の『苅萱』という古典には「夜泣きする子は七浦七里枯るる」というフレーズが出てきます。要は「夜泣きする子どもは出て行け」ということ。これは空海の母親の伝説なんですが、母は我が子を土に埋めてしまう。そこに居合わせたお坊さんが「これは夜泣きではない、お経だ」と言って助ける。当時から子育てする母親への風当たりは強かったし、それに追い詰められる母も多かったことがわかります。
大塚 普通の人は、多分百年前のことだってちゃんとはわかってないですよ。きっと3つくらいの例で「昔は○○だった」って言ってるだけ。私は昭和40年代に小学生でしたけど、お仕置きとしてご飯を食べさせないで外に出される子どももいましたし、学校の先生もビンタは当たり前でした。そんなこと今なら大問題ですよね。当時は「栃木実父殺し事件」があり、父親が娘を犯し、子どもを何人も産ませてた。性的虐待は今よりずっと多かったと思います。セクハラだって昔は言葉がなかっただけで、百歩譲っても現代と同じか、もっとひどかったはず。“昔”は決してユートピアじゃないんです。
大塚 人間は悲しいかな、年を取れば悪いことは忘れ、いい思い出だけが残りがち。エジプトのパピルスにも「昔はよかった」って書かれてたと聞きます。何千年も前から人は「昔は」とか「今の若者は」とか言ってたんですよ。「昔は」と攻撃してくる人も、かつてはもっとヒドイ攻撃を受けていた。世の中が急に意地悪になったんじゃなくて、昔からずっと意地悪なんです。「夜泣きする子は七浦七里枯るる」のような、乳児持ちの母に出て行けと迫る意地悪なご近所は、ずっとあるんです。
大塚 古事記のすばらしいところは、決してお説教じみてないところ。事実として淡々と書かれているから、受け取る側が「あぁそうか」と腑に落ちるんです。ダメな母親も意地悪なご近所も、『古事記』の時代からずっと続いています。ただ『古事記』には子を捨てる親がいる一方で、泣いてる捨て子に名前をつける人もいる。今よりずっと過酷な世界の中で、それでもなんとか「生きよう」とした人間たちの息吹が、読み手に強いバイタリティを与えてくれるんだと思います。


■ 「いつから私は"対象外"の女」大塚ひかり 「読まずに死ねない(2012.6.9)」より
あんまり面白くなかった・・・。
どしてだろう?それは、「自虐」が足りないから。
この人には、読者が「自分の方が幸せ」、「自分の方がマシ」と優越感を感じさせる何かが足りない。
女性がエッセイを書くと、自慢話になりがち。

 昔、有名人の女性のエッセイを集めた本を読んだら、自慢話てんこもりでつまんねーの。曰く、弟は外科医。夫は某有名ブランド・メーカーの日本支社長。

 他の女の自慢話なんて聞きたかねーの。

 やっぱり、エッセイが一番面白いのは、林真理子センセイであろう。あれだけの成功者ですもの、自慢の種はいくらでもあろうが、自虐のポーズをとって下さるのはさすがでございます。
 自分で自分を「バカじゃん、私」と笑い者にし、「まあ、暇つぶしに私の話を聞いてやってくださいまし」と言ってみる。

 その姿勢が大事なの。


■ 平安貴族の生き方を語り固定観念を変える大塚ひかりさん 「今日も星日和(2006.11.16)」より
一番わかりやすい『恋愛・家族』でいえば、平安時代は通い婚。一対一の関係ではないし、父とか夫とかの立場も今とは違うんですよね。
「昔は父親の立場は強かったのに今は」なんてテレビで語る人もいますけれど、この「昔」は明治時代ぐらいのことで、もっと前にさかのぼれば女系だったわけです。そう考えると、簡単には「昔は」なんてステレオタイプの言い方はできなくなるなあと思います。






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最終更新:2012年10月20日 20:42