■ グローバリゼーションが世界を征する日 「浮世風呂(2013.9.20)」より
(※ 前後の詳細は略、ブログ記事で)
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 ヨーロッパのナンバーワン実業家と讃えられた元ABB社(電力とオートメーション技術に関するスイスとスウェーデン合併の多国籍企業。世界100ヶ国に進出している)社長のパーシー・バーネヴィック氏がグローバリゼーションについて正直で率直な定義をしている。

「私はグローバリゼーションを次のように定義する。つまり、私のグループ企業が望むときに望むところに自由に投資できる自由、そして、私のグループ企業が生産したいものを生産し、買いたいと思うところから買い、売りたいと思うところで売り、しかも労働法規や社会慣行による制御を可能な限り、撤廃する。そういった自由を享受することである。」

 なんとも身勝手な考え方であると個人的には思うが、そもそも企業とは利己的な存在のようである。

 ブリティッシュ・コロンビア大学の法学教授ベイカン・ジョエル氏は『ザ・コーポレーション-わたしたちの社会は「企業」に支配されている-』(早川書房)の中で、企業の持つ精神病質 的な性質について以下のように言及している。
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 企業とは機関であり、一連の強い原則の集まりであって、その原則が企業人の行動を規定します。その原則とは「営利の追求」です。また、株式会社において会社の所有者は「株主」です。法人 として企業に定められた使命は「株主」に利益をもたらすこと。法的には、経営者および従業員は「株主」に最大限の利益をもたらすための"手段"でしかありません。したがって、株主に利益をもたらさなければ、経営者や従業員は解雇されて当然な存在なのです。

 法律で企業とその所有者が別扱いとなったことで、企業は地域社会に対する責任から解放されました。企業は「法人」として個人に与えられる法的な権利を享受していながら、個人が負ういかなる道徳的義務も負わなくてよいのです。

株主の責任も「有限責任」であり、出資した額以上の損失がないように保護されていますから、必然的に企業は無責任になりがちです。

最近、企業の社会的責任について盛んに言われていますが、ジョエル氏は、新古典派経済学の第一人者といわれるミルトン・フリードマン氏の「経営者の唯一の社会的責任は、株主のために多額の金を儲ける事、これが道徳的な義務だ。社会や環境上の目標を利益に優先する(道徳的に振舞おうとする)経営者は、非道徳的だ。
企業の社会的責任が容認されるのは、それが利益追求の方便である時のみで、偽善が収益に寄与すれば良く、道徳的善意も収益に繋がらなければ非道徳だ。」という発言を紹介し、その限界を指摘しています。

そして、燃料タンクが炎上する危険を知りながらも訴訟された際の費用と安全策をとった場合の費用対効果では訴訟された場合の費用のほうが安くつくという理由でそれを放置したGMの例や、予算削減、リストラ等で安全性、環境汚染を犠牲にし、その結果、爆発事故を起こしたBP(ブリティッシュ・ペトロリアム)等の実際に起きた事例を数多く提示しています。

 社会的責任と株主の利益が一致していればよいのですが、社会的責任を果たすと、その結果、株主の利益を損なうようなことがあれば、経営者は株主の利益をとらざるを得ません。他者への思いやりは「株主への背任」とみなされてしまうのです。また、利益を上げ続けなければならないという宿命は、経営者から人間的・道徳的な判断を奪っていきます。
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 このような企業の「機関」としての性格を、心理学者であり、精神異常の専門家であるロバート・ヘア博士に診断してもらったところ「精神病質に極めて近い」という結果になったそうだ。ヘア博士の診断結果をみてみる。
 人々が企業経営者として取る態度や行動の多くは精神病質であるといえます。その理由は「競争相手を叩き潰そうとし、あれこれ策を弄して出し抜こうとし、商品を買ってくれる限り、大衆のことなどたいして気にはしていない」からです。

 また、企業は無責任であるとし、その理由は「自らの目標を追求する上で、他のいかなることも危険にさらしてしまう」こと。
 企業は「すべてを操ろうとし、世論でさえ、その例外ではなく」常にもったいぶっていて、絶え間なく「われわれが一番だ。われわれがもっとも優れている」と言い立てている。

 ヘア博士は、共感を欠き、非社会的である傾向も企業の特徴だといいます。
「企業の行動は、犠牲者のことを心から気にかけていないことを示しています」

 そして、企業はしばしば自らの行動の責任を取ることを拒み、良心の咎めも持っていない。
「企業は違法行為が発覚したら高い罰金を支払い…また性懲りもなく同じことを繰り返すのです。そして実際、たいていの場合、彼らが支払う罰則や罰金は、かき集める利益に比べると微々たるものです。」

 最後にヘア博士は、企業は他者とうわべだけの交流を持つといいます。
「企業の最終的な目的は、大衆に好かれる姿を演じることです。しかし、その真の姿は、およそかけ離れています」

実際、本物の精神病質者は、偏執的な自意識過剰と言う危険な性格を魅力で覆い隠す点で悪名高い。これを企業に当てはめれば、社会的責任が同じ役割を果たしていることがある。企業は偽りの思いやりや気遣いを示せるが、実際、自分のこと以外は何ひとつ考えられない。
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 企業経営者が、人格的に問題があるというわけではない。むしろ経営者と言われる人は学歴も教養も常識もあり、人望もあって、家庭に戻れば良き父であり母である場合が多いだろう。しかし、ビジネスの世界での人格は別なのである。世界的な規模でシェアを奪い合う熾烈な競争を繰り広げなければならない企業経営者は、倒産したライバル会社の社員が自殺しようが、下請けの労働者が過労死しようが、地球環境がとめどなく悪化しようが、気にしていられない。そんなことを考えていたら自分の会社が負け組となって、大切な社員や家族を路頭に迷わせることになってしまう。企業の持つ宿命的な性質の下では、その構成員が個人としてどれほど善良であろうと関係ないのだ。

 このような性質を持つ企業が巨大化し、世界中をまたにかけて活動しているのが多国籍企業である。トップから200位までの多国籍的企業だけで世界の経済活動の約4分の1を占めている。まさに『道徳なき商業』が地球上を席巻し、世界を混乱に陥れていると言えるのではないだろうか。











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