※注)日の丸の正式名称は「日章旗」
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■ 【沖縄の歴史】沖縄ではいつから日の丸がタブーとなったのか 「大師小100期生集まれ!(2018/11/26)」より
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前回のエントリーで沖縄において「国旗掲揚」を求める運動を進めていた沖縄教職員組合が左翼思想に染まり、解散に追い込まれて「沖教祖」が結成されたのが1971年(昭和46年)と書きました。

今回は、この「国旗掲揚」について、もう少し詳しく見てみることにします。

国旗を巡る問題は「祖国復帰運動」を象徴するものであり、前回、祖国復帰運動は形を変えた安保闘争と書きましたが、日付(「年」)に注目して見てみると、それがよく分かるかと思います。

(※mono....中略)
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それは、沖縄では、「日の丸の白は白骨の白、赤は血染めの赤」と教えられている、ということです。

また、沖縄では教科書の『君が代』の上にこれを貼って隠しなさいとプリントを配られることが少なくないようです。

ブログ主が時々Twitterでやり取りをする沖縄の高校生がいるのですが、彼(彼女?)は、テレビで何かのスポーツ大会を観ている時に流れてきた『君が代』を聴き、親御さんに「これ何?」と質問したと言っていました。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


■ 何を考えてんのか!?大きな穴が開いた日章旗を掲揚 国の機関が入居する横浜第2港湾合同庁舎 「方丈の里2(2017.3.8)」より
(※mono....前半の新聞記事引用は略、詳細はブログ記事で)
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理由にもならぬ屁理屈で逃げてる。
変わりが無ければ、その間掲揚を中止しておけば善いだけのこと。
国家機関が入居知る施設でこの始末だもの・・
日本国民として、国旗に対する畏敬の念が如何に希薄だかと言うことが、明白に現われている。
穴の開いた国旗を掲げることが恥ずべきだと感じない・・それの方がまさしく異様!
日本国は間違い無く終わるな!!
このまま行くと・・

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■ こう言うネタは、だいたい神奈川だな??? 「瑞雲一揆(2017.3.8)」より
(※mono....前半の引用リンク略)
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昨今いろいろと言われることから、想像すると、わざとやったんじゃないのか?と思う。
真ん中から避けてるって・・・。なんか不穏な意味でもありそうで不愉快だ。
いったい何を考えているのか興味がある。

新しいのが調達できないなら、その間は不掲揚で済ませるなり、予備くらいは普通あるだろうに。
何でそうならないのだろうか・・・。残念でならない。

こういうのが戦後与えられた自由というなら、不要かも知れないと思った。

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■ 国粋主義者じゃ無いけれど・・ 「ひとりじょうずなdankai55(2017.3.8)」より
(※mono....前半の引用記事・写真など略)
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ことさら右翼的な人間ではないつもりやけど こうした建物に形容される国旗がこの有様では なんだか悲しくなる

これが 不可抗力のほんの瞬間的出来事なのなら 悲しくなるだけで済む問題なんだろうけど・・
どうも 担当者のコメントが鵜呑みにできる様子のものでは無いような気もする・・

神奈川とか横浜とか聞くと (嗚呼 あそこはたしか 汚染地域・・)との思いが頭をよぎる
その気持ちが わしの身勝手な邪推であるなら恥ずかしい限りだが・・
普通に考えて 担当者が普通の日本人ならば もし予算がどうのてのが本当ならば 家にあるものとか知人からの借り物とか・・一時しのぎの代用物を掲げるくらいのことはするだろうし・・
わしよりも愛国心の強い人なら 身銭を切ってでも一時しのぎの市販品を購入してくるくらいのことはするだろう・・
それがそうはなってないってことは 担当者が普通の日本人ではないと 白状しているようなもの・・

(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)


■ 日の丸のお話 「ねずさんの ひとりごと(2012.9.12)」より
  • 現存する最古の日章旗としては、後冷泉天皇より源義光(新羅三郎)へ下賜された日の丸の旗があります。
これは甲斐源氏宗家の家宝としていまに伝えられているものです。
  • 平家物語で「扇の的」と呼ばれる名場面なのですが、この事件が実際にあったという証拠には、いまでも京都の三十三間堂に、このときに与一が放った矢が、大切に保存されています。
与一の矢は、他の矢より、ちょいとばかり長い。
まさに芸術品のような品格のある矢です。
さて、このとき、平家側が竿の先にくくりつけていた扇、これが日の丸の扇です。
  • 室町時代になると、足利幕府が推奨した海外交易船であるご朱印船において、日の丸は「日本国籍」を示す商戦旗として公式に用いられています。
  • 戦国時代になると、日の丸は、天下一の武将の御印とされるようになります。
有名なところでは、元亀3(1573)年に、静岡県浜松市北区三方原のあたりで行われた、武田信玄と織田信長との戦い(三方原の戦い)で、両氏とも、本陣に日の丸を立てていたというのは有名な話です。
両陣営とも、日の丸を立てることで、「我こそは天下一の武将なり」と宣言していたわけです。
  • 江戸時代になると、徳川幕府は延宝元(1673)年に御城米廻船の船印として「日の丸」を指定しています。
  • 明治政府が誕生すると、明治新政府は明治3(1870)年の太政官布告第57号の「商船規則」で、日の丸を「御國旗」として規定し、日本船の目印として採用しています。

  • 日本に着任したフランスの大使が、フランス国として正式に(なんと「正式に」です)政府代表を立てて、明治政府に「日の丸を500万円(当時の金額)で売ってほしい」と依頼してきたのです。
時は、ちょうど普仏戦争(ふふつせんそう)の最中の出来事です。
  • 要は、フランスはそれほどまでに日の丸に惚れ込んだ、というわけです。
 明治3年といえば、当時の日本の国家予算の年額が2千万円くらいだった時代です。
要するに国家予算の4分の1という大金で、日の丸のデザインを買いたいと言ってきたわけです。
  • 政府内部でも大激論が起こるのだけれど、結局明治政府は、「国旗を売り渡す事は、国家を売り渡す事」として、この申し出を断っています。

  • 穢れのない真っ直ぐで純真な真心で、和をもって四方を照らす
  それが日本の国旗に込められた意味であり、日本人の心です。









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最終更新:2018年12月02日 20:29
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