[Nâzım Hikmet] トルコ出身の詩人、劇作家、共産主義者、革命運動家。




  • ヒクメットは広島原爆と第五福竜丸の被爆を題材に3つの詩を作っている。⇒ 詩集:死んだ少女


Nazım Hikmet & Joan Baez - Hiroşima

■ ナジム・ヒクメット Nazim Hikmet 「明日を見る放射線治療医から(2011.3.25)」より
  • 私たちはわすれたのではなかったか
 七つの女の子と
 世界中の共感と心と
 大切な人を 大切に思う心を
 そのために、知恵と勇気を分け合うことの大切さを

 わたしは小さなときからこの詩を何度も聞いた
 父が家で読んでくれた
 そばに母がいた
 ナジム・ヒクメットの詩
戸をたたくのはあたし

 あけてちょうだい たたくのはあたし
 あっちの戸 こっちの戸 あたしはたたくの
 こわがらないで 見えないあたしを
 だれにも見えない死んだ女の子を

 あたしは死んだの あのヒロシマで
 あのヒロシマで 夏の朝に(遠いanohinmi)

 あのときも七つ いまでも七つ
 死んだ子はけっして大きくならないの

 炎がのんだの あたしの髪の毛を
 あたしの両手を あたしのひとみを
 あたしのからだはひとつかみの灰
 冷たい風にさらわれていった灰

 あなたにお願い だけどあたしは
 パンもお米もなにもいらないの
 あまいあめ玉もしゃぶれないの
 紙きれみたいにもえたあたしは

 戸をたたくのはあたしあたし
 平和な世界に どうかしてちょうだい
 炎が子どもを焼かないように
 あまいあめ玉がしゃぶれるように
 炎が子どもを焼かないように
 あまいあめ玉がしゃぶれるように

 歌にしているのは外山雄三さん 

 詞 ナジム・ヒクメット (日本語訳 中本信幸)
 作曲 外山雄三

 日本語題名は しんだ女の子





■ Nâzım Hikmet ナジム・ヒクメット 「思いがめぐる(2011.9.4)」より
  • この歌は昭和32年(1957)、ナジム・ヒクメットの「小さな娘」という詩を元に、当時、日比谷高校の社会科教師であった木下航二によって作られた歌とあった。原水禁運動の集会や歌声喫茶で盛んに歌われた歌だそうだ。

木下氏は「原爆を許すまじ」の著者でもある。

  • 地獄のような獄中生活の中でもヒクメットは人間味あふれる詩や小説、手紙を書き続ける。1949年、ピカソ、サルトル等が参加する国際委員会がヒクメット釈放運動を始め、1950年に釈放される。世界平和賞が授与されるが、その後も政府の弾圧は執拗に続けられる。2度暗殺されかかった後、モスクワへ決死の逃亡。政府によりトルコ国籍を剥奪され、ポーランド国籍を取得する。

http://bunbun.boo.jp/okera/saso/sinda_onna.htm (※ ページを開くと、楽譜があり、MIDIが流れる。上の外山雄三の曲とは違うもの。)


■ 死んだ女の子‥紅民部バージョン‥ (
32kurenaiさんが 2009/11/12 にアップロード)
  • 訳詩は飯塚広。作者への興味よりも、タイトルの衝撃さ、内容の悲惨さに心震えた記憶がある。 ただ、ギター初心者の僕にとって、ハ短調(♭が3つ並んだもの)の楽譜は難解だった。 そこで作曲者には失礼ながら、勝手に曲をつけて完成したのがこの曲だった。







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最終更新:2012年06月27日 21:26