● 物理学博士。1947年生まれ。ドイツ放射線防護協会会長。ボンにあるオット・フーク放射線研究所会員、欧州放射線リスク委員会(ECRR)理事。
1989年以前、旧東ドイツの学術アカデミーで医療関係物理学を仕事分野に。
1989年以後、ドイツ統一の過程の中、暫定政府であった「円卓会議」で大臣として入閣。
統一直後、ベルリン市議会議員となる。チェルノブイリ事故の諸結果についての専門家。数年間にわたり現場調査。大部分において恥知らずの公式報告の再検査。
放射線防護協会(GfS)会長。
放射線防護協会は、社会批判に徹した独立した協会として1986年末以来「放射線テレックス」(Strahlen-Telex)を出版し、(今年4月の25周年のものを含めて)数回のチェルノビリ会議を企画運営し、原子力発電所の周辺における子どもの癌発病率の増加を集中的に調査してきた。
ウクライナやベラルーシ、ロシアなどの批判的科学者と長年の協力。
社会民主党・緑の党の連立政権に委託された、原子力発電所周辺における子どもの癌発病率増加についての研究調査(KiKK調査)における独立した専門家。



  • プフルーク博士は、

●食品基準値100bgはまだ高すぎる。大人8bg、子ども4bg以内が妥当。 
●汚染地からの避難を、日本政府はあらゆる手段を使って妨害している。 
●放射性がれきは環境から隔離して、厳重に管理してふたをする。その事で100年の猶予を与えられるのでその間に次の方針を考える。焼却/拡散するのは放射線防御の観点からいうと全く反対。埋め立てなど論外。
●日本政府だけでは終息は無理。国際的な支援が必要だが、日本政府がその要請をしない。
と訴えています。

  • ちなみに、セバスティアン博士は1990年に、東ドイツの大臣に就任した次の日に国内の全ての原発のスイッチを切ったという強者だそうです。それが彼を一躍有名にしたが、二ヶ月で首になり、もう二度と大臣に呼ばれる事は無かったとか(笑)。ドイツの根強い脱原の運動の先頭を走ってこられた方です。






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最終更新:2012年06月08日 22:53