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イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。

イエスはキリスト(救い主)であり、第1章1〜17節の系図によれば、ユダヤ民族の父と呼ばれているアブラハムの末裔であり、またイスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。このようなイエス理解から、ユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。

反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったとみなすほうが的確である。


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■ マルコの福音書
本文には著者を同定する手がかりは何もない。しかし、2世紀のパピアス以来、第二福音書(『マルコ福音書』)の著者はペトロの通訳を務めた弟子で、ペトロからイエスの生涯について聞き取ったマルコであるとされてきた。もしこの伝承が史実なら、マルコはイエスを直接知る人々からイエスについての証言を聞いたことになる。

伝承では、『マルコ福音書』はラテン語を母語とするヘレニストの著者によってローマ帝国内のギリシャ語話者を対象に書かれたと考えられてきた。その理由としてユダヤ教の習慣が非ユダヤ教徒向けに解説されていること(たとえば7:1-4など)、アラム語の単語に解説がつけられていること[2]。また他の福音書にはみられないラテン語的なギリシャ語表現が含まれていること[3]などであり、これらのことからマルコ福音書の著者はギリシャ語を外国語として用いたと考えられてきた。

著者がヘレニストであるということは文章表現だけでなく、文章の内容からも推察できる。たとえば、サンヘドリンが陰謀をめぐらしてイエスに罪を着せ、処刑に陥れたというくだりは後世において反ユダヤ主義の論拠として利用された。また、ファリサイ派を徹底的に悪者として描く筆致からも明らかに対象が非ユダヤ人、もしくはヘレニズムの影響を強く受けたアレクサンドリアなどのユダヤ人などであることがわかる。さらに『マルコ福音書』の著者は他の共観福音書と同様に旧約聖書を七十人訳聖書から引用している。ただ、上記のようなことから『マルコ福音書』が単純に反ユダヤ的色彩を持っていると言い切るのは単純すぎる。福音書の中でイエスの姿は伝統的なユダヤ教の救世主観にそって描かれている。


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■ ルカの福音書
聖書学者ユード・シュネルは『新約聖書 その歴史と思想』において「ルカ福音書と使徒言行録は、言葉の使い方からも、その思想的色合いからも強い関連性が見られ、おそらくは同じ著者によるものであろうと考えられる」と語っている。更に本来『ルカ福音書』と『使徒言行録』は一冊の本であったものがある時期になって分割されたという説も出された。しかし、その場合には『使徒言行録』冒頭部分を別人による付加とせねばならないし、執筆当時の標準的な書物の形態であるパピルスの巻物では、それぞれが1冊とできるほぼ限界の長さであることなどから、現在では認められていない。

著者はイエスの生涯を自らの目で見たということは一言も言っていないが、すべてを丁寧に調べあげ、事実を順序だてて書き記したということを冒頭で述べている。 著者については、古代以来、上記のようにパウロの協力者でその伝道旅行にも従った医師のルカであるとされてきた。現在でも、批判的な聖書学者の一部を含め、この伝承を認める研究者は少なくない。また、福音書ではその資料を尊重する傾向が見られるが、そのギリシア語は極めて美しいもので、且つ語彙も豊かである。従って、おそらくは新約諸文書の著者の中で唯一、当時のヘレニズム世界での正規教育を受けた者であろうという認識はほぼ全ての研究者に共通する。また、パレスチナの地理には詳しくないこと、ガリラヤ湖を「海」と呼ぶマルコの文章を「湖」に変更していることなどから、パレスチナやその近郊に住む者でないことも確実である。

対象とする読者は、その献辞から明らかなように、直接的には「テオフィロ(ス)」という、詳細は不明だがある程度に高い地位にある人物と推定される個人である。なお、「テオフィロ」という名はギリシア語で「神を愛する人」という意味である。しかし、これは著者の教養に由来する修辞的な意味合いが強く多くの読者に読まれることを想定して執筆されたことは確かである。その場合、著者が想定するのは主に非ユダヤ系のキリスト教徒及びそれに関心を持つ人物と考えられる。


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■ ヨハネの福音書
「第四福音書」に位置づけられる『ヨハネによる福音書』は「共観福音書」と呼ばれる他の3つとは内容的に一線を画した内容となっている。この福音書が4つの中で最後に書かれたということに関して研究者たちの意見は一致している。

共観福音書と呼ばれる他の3つの福音書は、イエスの生涯について多く記され、重複記述が多く見られるが、『ヨハネによる福音書』は重複記述が少なく、イエスの言葉がより多く記述されている。

ヨハネはイエスの父なる神とのかかわりについて重点的に説明している。ヨハネは他の3つの福音書よりも鮮明に神の子たるイエスの姿をうかびあがらせている。ヨハネの書くイエスの姿は父の愛する一人子であり、神の子そのものである。また、キリストをあがない主として書く、あるいは神の霊である聖霊を助け主(ギリシア語:パラクレートス)として書く、キリスト教の特徴として愛を前面に押し出すなどの諸点によってキリスト教に大きな影響を与えることになる。

19世紀以降、使徒ヨハネが第四福音書の著者であるという伝承に由来する意見は高等批評の立場に立つ学者たちの間では支持されなくなった。高等批評の解釈によれば、テキストから読み取れるのは、『ヨハネ福音書』が「イエスの愛しておられた弟子」とされる名の明かされていない著者によって執筆されたということだけである。



■ キリスト教って、変態多いの? 「二階堂ドットコム(2019/03/24 09:22)」より
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聖書には変なこといっぱい書いてあるんでキモい。羊としちゃいけないとか、鳥としちゃいけないとか。犬としちゃいけないとか。。。
しねえよそんなの普通。アイツら普通にしてたんだろうな。

変態とかキチガイをまともなのに導くのがキリスト教か。英語が低級言語なのも理解できる。



最近の欧米のいくつかの報道などで、現在、中国で「異常なほど、キリスト教への弾圧がエスカレートしている」ことを知りました。

たとえば、下のような報道のように、「聖書が燃やされて、十字架が破壊されている」とか、「インターネットでのキリスト教関連コンテンツの表示がすべて禁止された」とか、この9月になって、いろいろと報じられています。

中国内で十字架と聖書が排除されていることを報じる英国エクスプレス

中国でインターネット上のキリスト教コンテンツが禁止されたことを報じる米メディア

今回は、それらの状況について、「バリバリのクリスチャン」であると考えられるアメリカ人の作家の人が、最近の報道を自らのサイトでまとめて書いていたものをご紹介したいと思います。

この方は、「これはこの世の終わりに起きるとされているキリスト教徒への迫害だ」というように述べていますが、そういう問題はよくわからないにしても、キリスト教という大きな団体にとって問題なのは、

「西洋社会全体でキリスト教徒が減る中で中国では増加し続けていた」

ということだと思います。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


  • 私は彼らの侵略行動にはキリスト教が深く関与していると考えています。キリスト教には、カトリックとプロテスタントがありますね。どちらも旧約聖書と新約聖書を聖典とします。なお、ユダヤ教は旧約聖書のみ聖典とします。カトリックは戒律が厳しく権威主義であり、プロテスタントは教皇や教会の権威を認めていないという違いがありますが、私はカトリックとプロテスタントが存在する理由は、欧米の支配権力層が、世界支配のツールとして使い分けるためと思っています。

  • カトリックとプロテスタントに分けたのも神に選ばれる羊と神に疎まれる山羊に分けたようなものではないでしょうか。少なくともカトリック教徒の目には、プロテスタント=異端者=山羊と見えることでしょう。当然ながら、プロテスタントにはカトリックからの弾圧迫害が加えられます。

 キリスト教徒による宗教的迫害(ウィキペディア)をみれば、自分が属する宗派以外は異端とみなし弾圧迫害するのが、キリスト教だと言えそうです。

 で、プロテスタントは迫害を逃れるため、アメリカへ渡ります。

  • ま、プロテスタントの一派清教徒は、神からの選民意識で、先住民に対して、残虐の限りを尽くして、アメリカ大陸をすっかり平らげたわけです。そして、それが完了するや、これまた神からの選民意識にしたがって、今度は太平洋を越えて侵略を進めていくと、アルバート・ベバリッジ上院議員は闘志を燃やしておったわけです。






最終更新:2021年08月11日 14:17