■ 丸山健二と大江健三郎の文学の対比を試みる(1/2) 「心に青雲(2012.5.7)」より
  • 丸山健二は、万人に受ける言説を述べてはいない。著作のどこかで、ついてこられる人だけに語りかけるのだと言っていたはずだ。
 口当たりのいい事や、楽してうまくいくようなことは言わない。美しい庭に咲く花々に癒しを期待する人には、丸山氏の作庭や花の栽培についてのエッセイは不向きである。

 だから彼のバラ園のすごさは、誰にでもわかるものではない。

  • 丸山健二はYouTubeにある茂木健一郎との対談の最後のほうで、そもそも芸術家になりたいという人間が、藝術大学に入ろうとするだけでもう芸術家にはなれないと断言している。これが分かれば、丸山健二が理解できるようになるのだろう。



■ 今年の丸山健二氏の新作小説は『深海魚雨太郎の呼び声』 「中国で思ったこと(2012.4.10)」より
  • 毎年春になると、丸山健二氏の新作小説が発売されるのが数年来の通例となっています。今年もこの季節に、文藝春秋から新刊が出版される運びとなった模様です。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-4-16-381380-6
タイトルは、『深海魚雨太郎の呼び声』

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■ 孤高の作家・丸山健二氏が遂にウェブで始動 「中国で思ったこと(2011.4.29)」より
  • 主に生きることをテーマとして実験的な手法や日本語を追求した文体を駆使した重厚な長篇小説を世に問うて来た作家の丸山健二氏が、遂にウェブでの活動を開始しました。

■ 村上春樹を読むか?――それとも、丸山健二を読むか? 「格闘する21世紀アポリア(2009.8.2)」より
  • 「私は風だ」「私は闇だ」「私はボールペンだ」「私は借金だ」「私はジェット旅客機だ」・・・で始まる日記とも随筆とも小説とも受け取れ難い、一つの物語がわずか単行本1ページに収められた膨大な小品の羅列する92年の作品「千日の瑠璃」において、言説の形式性における実験は頂点を極めた感があった。その後、17年の歳月を経て丸山健二はどのような言葉の実験場を我々に披露するのか。興味は尽きないところである。

■ 丸山健二 「磯際の道化師」より
  • おそらく、評価はまっぷたつに割れるであろう作家だ。
「なんという独善的で無謀な」という評もあれば、「打ちのめされた」という評もあるだろう。

■ 【事大主義】丸山健二【衰退の道】 「ログ速(2012.2.27)」より
18 : 吾輩は名無しである: 2012/03/02(金) 15:25:10.81
頭を丸めてから確実におかしくなった。日本語の使い方もめちゃくちゃ。
元々もただのバカだっただけかも知れないと最近思うようになった。
愚痴も言わず早死にしとけば本当に凄い作家がいたと過去形で語られる
こともできたのに。残念だね。それにしてもこんなバカに自分の落選作品持参して
その理由を教えてもらいに来るという図式って思い浮かべるだけで凄い光景だと思う。

21 : 吾輩は名無しである: 2012/03/02(金) 16:50:44.50
ときめきに死すを書いてた頃の文体は
もう2度と戻っては来ないんだろうな

41 : 吾輩は名無しである: 2012/03/03(土) 18:46:14.80
『白と黒の十三話』の頃から目に見えて言葉の選択が杜撰になった。
この人の全盛期は『ときめきに死す』から『水の家族』位の頃だったんじゃないかなあ。
去年ネットで配信されていた講演会を見る限り、
本人もこれから大した作品は書けないだろうと思っているようなフシがある。
不況で販売部数が伸びないので身入りを増やすために上下分冊の“大作”を乱造したり、
その為に編集と推敲の容易なワープロやパソコンを使用し始めた事が
筆を荒れさせた最大の原因だったような気がする。
文章や表現に鋭さが無くなったものね。
これはもう二度と元には戻らない。

65 : 吾輩は名無しである: 2012/03/04(日) 21:53:12.66
twitterと今回の災害に関係した出版さえなければ、ここまで自分が馬鹿だということを
曝すことはなかっただろうね。ただ、もうおかしくなっていることは下らないエッセイと
作品で十分証明されていたが。人間性まで最低の野郎に落ちぶれてだということはなかなか
分からなかった。311はある意味で鏡だったとも言えるかも。こいつは東北で甚大な被害に
遭っている人がいるにも拘わらず、大町まで飛んでくる放射線のことばかり心配していた
からね。こんなちっぽけな人間だとは思わなかった。


  • 震災直後、暴動も起こさず、整然と行動した日本人を海外メディアは称賛した。
多くの人はそれを「誇り」ととらえたが、丸山さんはそうはみない。
「あれは外国の権力者たちの『自国の民もこれぐらい従順であってくれたら』という願望ですよ。
その裏には『お前らは羊か』というからかいも含まれています」






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最終更新:2012年05月07日 20:20