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 報道に拠りますと、ポーランド下院の調査チームは、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツによる同国が受けた被害を57兆2000億円と試算し、同国政府に対して対独請求を求めたとされております。この対独賠償請求、やはり無理があるように思えます。

(※mono....中略)
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 こうした戦後史を考慮しますと、仮に、ポーランドが賠償を請求するのであれば、その請求先は、ソ連邦、即ち、現ロシアではないか、という疑問が生じます(ドイツとソ連邦の両面侵攻によりポーランドは分割されており、ポーランドは、同侵略行為に基づく対ソ(ロ)賠償請求権もあるのでは…)。ソ連邦は、自らはドイツ領内から賠償を強制的に取り立てながら、ポーランドに対しては被害を償うに足る賠償分配を行わなかった可能性があるからです。また、ソ連邦のポーランドに対する賠償分配が十分な額であったとすれば、今般のポーランドの請求は、ドイツに対する二重請求となりましょう。果たして、今般の問題に対して、ポーランドに出自を遡るメルケル首相は、どのような対応を見せるのでしょうか。

(※mono....以下略)
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EU】 / 【ハンガリー
■ EUに異物ーポーランドとハンガリー 「情報浴ーブロードバンド(2016.1.10)」より
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昨年11月ポーランドに生まれた新政府。

国粋主義を信奉する法と正義の党。

政権奪取後すぐさま、国営テレヴィ、ラジオの経営陣を一挙に一掃。

裁判所判事を一部入れ替え。

EU本部では、新党の政策が民主主義、表現の自由原則に背くとし、制裁を検討し始めた。

これに対しハンガリーの極右主義者オーバン首相は、ポーランドの支持に回り、如何なるEU制裁にも反対すると、助け舟を出した。

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■ 来年はポーランドが“台風の目”に 「ウィーン発 『コンフィデンシャル』(2015.12.26)」より
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 ポーランド上院(定数100議席)で24日、憲法裁判所の権限を大幅縮小する改正法案が賛成多数で採決された。58人の上院議員が支持、反対の議員は28人、棄権は1人だった。下院(定数460議席)では22日に採択済みだから、上下両院が憲法裁判所の改革案を支持したことを受け、アンジェイ・ドゥダ大統領が同法案に署名すれば即施行される運びとなる。

 右派政党「法と正義」(PiS)が主導するシドゥウォ新政権が提出した同改正案に対し、野党勢力からは、「権力の3権分離の原則を崩壊させ、司法を混乱させる」と言った批判の声が強い。一方、国外からも批判の声が上がってきた。上院の採択前日の23日、欧州委員会がポーランドの右派政権に対し、憲法裁判所の独立性を制限する法案に警告を発している。欧州委員会のフランス・ティマーマンス副委員長(オランダ)はポーランドのヴィトルド・ヴァシチコフスキ外相とズビグニェフ・ジョブロ法相宛ての書簡の中で、「改正案を再審査すべきだ」と要求し、法案施行の延期を求めている。ワルシャワが再考しない場合、ブリュッセルは制裁を施行することも辞さない姿勢を示唆したという。

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)

 トゥスク現EU大統領がポーランド首相(「市民プラットフォーム」PO党首)時代、同国の国民経済は旧東欧諸国の中でも最優等生と受け取られ、順調に発展してきた。にもかかわらず、右派政党「法と正義」が政権を奪い返した背景には、リベラルなPOが主導する経済改革で国民経済は発展したが、その恩恵を受けられない国民が多く、「貧富の格差」が拡大してきたことがある。ポーランドではPOはエリート層の政党、PiSが貧者の政党というイメージが定着してきている。

 ブリュッセル主導のEU政策に批判的で、難民問題でも受け入れ拒否を主張する最大野党PiSは10月25日に実施された総選挙で下院は460議席中235議席、上院100議席中61議席をそれぞれ獲得し、コバチ首相が率いる中道右派のPOから8年ぶりに政権を奪い返し、89年の民主改革後初の1党単独政権シドゥウォ政権を先月発足させたばかりだ。ちなみに、同党は今年5月に実施された大統領選でも同党の候補者ドゥダ氏が、POの現職コモロフスキ大統領を破って新大統領に就任した。

 東欧最大の人口を誇るポーランド(約3800万人)で発足したシドゥウォ右派政権は難民問題や財政危機などに直面しているEUにとって大きな不安材料となることは間違いない。ポーランドは2016年の欧州の新たな“台風の目”となる恐れが出てきた。


★ ポーランド総選挙、保守強硬派勝利 8年ぶり政権交代 「日本経済新聞(2015.10.26)」より
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 【ベルリン=赤川省吾】ポーランドで25日に投開票された総選挙で保守強硬派の最大野党「法と正義」が勝利した。大型減税などを公約に掲げ、8年ぶりの政権交代を呼び込んだ。中・東欧のリーダー格であるポーランドでの構造改革の後退は欧州経済の新たなリスクとなる。新与党は難民の引き受けや欧州統合の深化にも慎重で、欧州連合(EU)の政策遂行に逆風となる。
+ 続き
 地元メディアによると25日夜時点で「法と正義」の得票率は39.1%で単独過半数の勢い。保守穏健派の与党「市民プラットフォーム」は23.4%にとどまった。

 「この国に変化をもたらしたい」。選挙後、「法と正義」のシドゥウォ氏は勝利宣言した。近く同氏を首相とする内閣が発足する見通し。

 ポーランドは債務危機のあいだもプラス成長を維持したが、成長の恩恵が一部のエリートに偏っているとの受け止めが広がっていた。党内基盤が弱いコパチ現首相は有効策を打ち出せず、票が伸び悩んだ。

 その一方で「法と正義」は政府への批判票の取り込みに注力。歳出削減など構造改革を断行した現政権との対決色を出すため、ばらまき策を公約に並べたのが成功した。

 例えば年金制度を拡充し、最低賃金を引き上げる。付加価値税と法人税は減税する。さらに中銀も成長戦略に協力させる。金融緩和を嫌がる中銀幹部を更迭し、新政権寄りのメンバーに入れ替えるとの噂も流れる。

 改革を逆回転させ、財政・金融を大盤振る舞いする危うい政策に見える。だが党内の若手のホープのマスタレレク議員は日本経済新聞に「若者に雇用の場を提供しないといけない」と強調する。

 今回の選挙は内政が争点で難民政策が決定打になったわけではない。だが「法と正義」はキリスト教を重んじ、民族主義的な色彩が強い。新政権は中東のイスラム教徒を難民として受け入れるのに反対するとみられる。

 外資系企業を狙い撃ちにした新税導入や国内産業保護を掲げているのもEUにとっては頭の痛い問題。欧州統合の深化にも慎重で通貨ユーロの導入準備も止まる。既に投資家が逃げ出し、ワルシャワの株価は急落した。

 同党は以前、「EU懐疑派」とされたが、EUからの離脱は主張していない。今は反ロシア強硬派という立場を優先するため「EUの後ろ盾を必要としている」(トルン大学のウォイチェック・ペシンスキ講師)という事情もある。EUと対峙しつつ、決定的な対立は避けるとペシンスキ氏はみる。


ヨーロッパの難民問題
■ 難民オコトワリ! ポーランド総選挙、難民受け入れ反対派が過半数圧勝! 「なでしこりん(2015.10.26)」より
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すでに予告しましたように、ドイツに隣接するポーランドの総選挙で「難民受け入れ反対」を主張する野党である「法と正義」が圧勝しました。今、ヨーロッパで選挙があれば、おそらくは「難民受け入れ反対」を主張する政党が勝つものと思われます。それほどヨーロッパは「難民・移民によるヨーロッパ固有文化の破壊」が深刻な問題になっているからです。記事は「時事通信」からです。

(※mono.--中略)
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 基本的に 「左翼」は国家ごとにある固有の文化を尊重しません。特に共産党による「宗教弾圧」はソ連共産党や中国共産党による弾圧はひどいものであり、中国共産党によるそれは、現在も進行形で行われています。要するに、共産主義者は唯物論者でもありますから、「宗教はアヘン(麻薬)」としか見ておらず、「共産党トップ>神」でないと気が済まないのが共産主義者でもあるんです。

 そして とても重要なことは、「左翼が難民・移民を引き入れる」ということ。左翼は「難民がかわいそう」ということを表面的には言いますが、左翼が難民・移民を引き入れる一つの理由が「固有体制の破壊=革命」にあると私は見ています。難民・移民には基本、「祖国愛」はありません。祖国愛のない人間が増えれば従来からある体制は破壊されます。在日韓国朝鮮人が日本固有の文化を忌み嫌い、日本の体制を破壊しようとしているのは事実です。「日本の文化を破壊する連中」。 あなたはそういう連中と「共生」できますか?

(※mono.--以下略)


■ 大和心とポーランド孤児 「小名木善行 ねずさんの ひとりごと(2014.6.27)」より
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淡路大震災の翌年のことです。ポーランドに震災で親を亡くした日本の子供たち30名が招待されました。それも、3週間という長い期間です。
招待された子供達は、ポーランド各地で大歓待を受けました。

この旅行のとき、ひとりの日本人少年は、片時もリュックを背から離さないでいたそうです。
世話をしたポーランド夫人が少年に理由を聞くと、「震災で一瞬のうちに親も兄弟も亡くした、家も丸焼けになってしまったのだ」といいます。
少年は、焼け跡から見つかった家族の遺品をリュックにつめていたのです。
夫人は、不憫(ふびん)で涙が止まらなかったそうです。

ポーランドでの最終日、震災孤児が帰国するお別れパーティに、4人のポーランドの老人がやってきました。
4人とも、かつてシベリア孤児だった方です。すでにご高齢で、歩行もままならない。
それでも老人たちは、「75年前の自分たちを思い出させる可哀想な日本の子どもたちがポーランドに来たからには、是非、彼らにシベリア孤児救済の話を聞かせたい」という思いで、やってこられました。

そして4人は、涙ながらにバラの花を、震災孤児一人一人に手渡しました。
会場は万雷の拍手に包まれました。

その75年前・・・なにがあったのでしょうか。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)



■ まるでディズニーランドの世界!ポーランド「クラクフ」を街歩き 「タビジン(2015.8.22)」より
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【旅ブログキュレーションメディアHUGLOG(ハグログ)より寄稿】

ポーランドのワルシャワに到着したのは翌朝6時。ワルシャワは素通りして、クラクフを目指します。

11時、ようやくクラクフに到着。ざっと24時間強の大移動でした!さて、あまり下調べもしないままやって来たクラクフ、これが、驚くほど美しい街だったのです!旧市街は、まるでテーマパークのような様相!

(※mono.--以下写真など略、詳細はサイト記事で)

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2014/09/03 に公開 Hokori2013
1919年(大正8年) このころは ロシア国内において革命、反革命の勢力が争う内戦状態が続き激しさをましていた。 この時シベリアには、ロシアに祖国を滅ぼされたポーランドの政治犯や、愛国者の家族、­内戦の混乱を逃れてきた人達が15万人〜20万人いたといわれている。  彼らは過酷な重労働、飢餓や疾病の中で極めて悲惨な生活を送っていた。 特に親と死別した子供たちは、お腹を空かし、身を寄せる場所さえなく、 まさにこの世の地獄な様な極限状態であった。

 こんな孤児たちの状況の中で、大正8年10月 アンナ・ビルケウイッチ女史を中心に ウラジオストクで 「波瀾児童救済会」 が組織される。 アンナ女史達は、孤児たちの受け入れを頼みとしていたヨーロッパ諸国や米国などの赤十­字も、軍隊の撤退とともに本国へ引き揚げ、 受け入れや援助が断ち切れてしまった。 

 万策尽きた救済会は、最後の望みを託して日本政府に孤児たちの窮状を訴え、受け入れや­援助を要請する。 要請を受けた日本政府は、孤児たちの窮状に、深い理解と同情を示して、16日間という­信じられないようなスピードで受け入れを決定し、日本赤十字に指示する。 日赤の行動も早く、受け入れ体制を整えると、シベリア派遣の日本軍の協力を取付け、本­格的な救助活動に入っていく。




poznanikaさんが 2011/08/23 にアップロード
日本語が話せるポーランド人の歌手、ポーランド文化を紹介しています。今回オエヌアというバンドを聴いています。Facebookでは、私のID:ワルシャワのニカ で、良かったら友達に成ってください。HP: www.porando-wroclaw.eu









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最終更新:2018年03月24日 16:07