<Pさんより>二階堂様いつもお疲れ様です。よく訪問させて頂いています。数年前に北朝鮮関係の話でメールしたことがある者です。二階堂様の見解にはほぼ同感ですね。
1、天皇に関して
自分も今までは皇室は素晴らしいと思っていました。しかし現皇后や小室の件、また天変地異の多さ、日本史を俯瞰した場合の朝廷時代、明治以降などから実は朝廷は日本人を苦しめ奴隷にしか思っていないようだと思うようになりました。
朝廷が渡来系だという説がありますが貴族の気色悪さからだけでも可能性は大きいと思いますが渡来系であってももう日本人として同化しているとも言われます。しかしこのような権力者血筋は先祖の生い立ちや考えや行動様式などを頑なに守るものですので渡来系とすれば当然現代の朝廷であっても日本人を奴隷、下等人種と思うでしょう。
江戸時代という時代が暗黒と言う人がいますがこれは明治以降を正当化するための洗脳です。江戸時代には立派に貨幣経済が発展しており吉宗時代には世界初の先物取引所などもできています。しかし素晴らしいのは商人などに制限をかけ力を持ちすぎないようにしたことです。現代では超富裕層がテロ組織やマスコミスポンサーになり好き放題やり手がつけられなくなっています。
江戸時代は300年近く続きましたが意外に印象が薄いものですがこれは逆に安定していたとも言えます。暗黒時代ならばこんなに長くは続かないと考えます。
そしてこれが重要なのですが江戸は幕藩体制で権力者が日本人であることです。国難を退けた鎌倉時代も幕藩(武家)政権です。豊臣秀吉などは元は農民出身です。
どうも朝廷が表に出張るよりも権力者は日本人である江戸や鎌倉と言った時代の方が少なくとも民衆レベルでははるかに安定があったと思えます。
逆に古代豪族系の血生臭い争いや明治以降の民衆搾取とトドメは敗戦で現在でも日本人大衆は苦しんでいる者が多いわけです。
それと敗戦に関してですが8/15に日本軍が戦闘停止しましたがこれはいうまでもなく天皇の決断でした。しかし日本は海軍が勝手に負けたようなもので陸軍はロクに戦闘していません。陸軍は世界最強でしたが本土決戦に充分備えていました。(逆に言うと陸軍が本格的に戦闘するには本土決戦しか無く準備は当然だったわけです)。
色々調べていると本土決戦を行なっていたならば米軍分析で日本人死傷者1千万人と言われていますが確かに死傷者は増えたと思います。しかし日本人6千万人がゲリラになり米軍と対峙するわけです。ベトナム化、米国の厭戦気分、アジア次々独立(米国の大義名分喪失)、本土決戦では原爆不可、爆撃効果薄い、ソ連は日本に入れられない、中共の動きなど課題が多く、本土決戦が長期に渡ればスカルノや蒋介石、ボーズやインドなどが必ず停戦に向け仲介をしたはずです。(これは蒋介石すら自分で言っています)米国はこれらの動きを無視するわけにはいかず日本を降伏させることは出来ず停戦で終了という状態になっていた可能性もあります。
これは妄想ですが天皇と海軍は強大になりすぎた日本陸軍を潰すために日本が負けるように持っていったとさえ思えます。上にもあるように日本陸軍は硫黄島と沖縄でしか本格的に戦闘していませんがこの2つの戦闘ですらトンデモナイ被害を米軍に与えています。この強さの軍隊と本土で決戦となったら米軍であっても勝ちで終わらせるのは不可能でしょう。このあたりは日本陸軍の堀栄三なども分析していました。
結論
朝廷は日本人大衆になんの恩恵も与えず奴隷のように扱うだけであり、神事、祭り事には全く効果がありません。効果あるように見せているだけです。朝廷が無くなると困るのも洗脳でむしろ奥に引きこもり幕藩体制のように日本人大衆から出てきた権力者の方がはるかに安定した生活が出来ます。江戸時代を暗黒というのは明治以降の朝廷時代を良いと思わせるための洗脳で実際には全く逆だと考えます。
北朝鮮についても書きたいと思いましたが長すぎるのでよしておきます。長々とした文章で失礼しました。二階堂様の活躍を祈念しております。
(※mono....以下は二階堂氏によるコメント)
(コメント)素晴らしい見解です。私も、皇居の奥までとある筋の仲介で入っていてすごいなぁと思ってましたが、どうも、おかしい。「日本最高の神官なのに、なんでこんなトラブル国難続きなの?」と疑問を持ち始めました。
当たり前ですが、平安時代でも江戸時代でも、そもそも「天皇」という存在すら知らない人の方が圧倒的に多いわけです。「京都にはミカドというのがいるらしい」程度の話しでしょう。いまより全く敬われてもいないし「なんか偉い人らしい」くらいしか思っていなかったはずです。ですが、明治以降というか、明治になる直前に前の天皇が崩御、不自然な形で明治が始まり、皇室を敬えという教育がなされてきました。通信や流通が進化して、誰でも情報を手に入れられる「テレビ・新聞」ができて、天皇崇拝はますます広まっていったと考えられます。私は伊勢参りと天皇崇拝を同じに考える考え方には賛同できません。神と天皇は全く違うものだからです。そもそも、江戸時代の天皇家は10万石程度しかなく、儀式すらロクにできない有様でした。そういうことを総合的に考えると
「明治以前に比べると、明治以降は、異様なカルト教団のように天皇崇拝が推進された」
と言ってもいいと思います。
(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)
【
皇統】
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皇室尊崇者の、無自覚皇室解体 盲目尊崇派に内在するambivalent 「BBの覚醒記録(2018-04-29 15:20:15)」より
(※mono....以下抜粋転載)
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皇室解体の尖兵は、女性天皇擁立(それは現状女系天皇への皇統変換です)
コメント主は、これを良しとする人なのですか?であるなら皇室尊重とは逆方向の立場にあります。
他ならぬ天皇皇后両陛下が女性宮家の創設を臨んでおられ、これは女性天皇擁立の前段階ですよ?
また「平和憲法護持」発言はわざわざお誕生日談話に、天皇陛下、皇太子殿下が述べられています。わざわざ憲法を大切にせねばというご発言の意図は何ですか?
「戦後の知日派の米国人に感謝」との陛下のお言葉はGHQとその流れを組む米国人以外に誰が考えられますか?
また皇后陛下の複数回にわたる「九条の会」との親交は何でしょうか?
皇太子殿下は習近平の奥方と、接近。創価学会のイベントにご出席。辻元清美との度重なる親交は、署名記事で発表されこれらに宮内庁から抗議は出ていません。事実に反するなら、厳しく反論と抗議が出るべき内容です。
皇室解体の目論見の原点は、GHQです。それが日本という国家と皇室に大鉈を振るったのであり、ブロガーなどどうという存在ではありません。
そしてそのGHQと正田家がアメリカの小麦粉利権を介在として癒着していた事実をコメント主は知っているのでしょうか? 皇后入内にあたって動いたのは、軒並みキリスト教とであったことは? ちょっと腰を入れて調べれば、それが事実であることを掴むのはさして難しいっことではありません。
GHQは一気に皇室を解体しようとして、しかし踏みとどまったのは、天皇陛下を頂点とする皇室尊崇が日本人のDNAに染み付いているため、反乱を避けたのです。その代わり、皇室の従来の伝統を破ってくれる娘を入内させました。その流れに雅子妃もあります。
雅子妃と小和田恒氏が池田大作氏と癒着していることも、署名記事でもその他の記事でもこれは指摘されていますが、これに対する宮内庁からの反論と抗議は皆無です。
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皇室解体などもくろんでいたら、昭和大帝を賛美したり、秋篠宮殿下への皇位継承を望み、悠仁親王殿下へ無事皇統が伝わるように祈ったりするものですか!
皇室解体派というなら、それは女性天皇、女系天皇の擁立を推進する人たちであり、これには残念ながら今上陛下となかんずく皇后陛下が含まれます。
現況の個室批判は、GHQの発の日教組による自虐史観を刷り込まれた発言をなさらない秋篠宮殿下を支持、悠仁親王殿下に皇統が正しくつながることを希求するブログが大半です。このどこが、ミスリードなのか、きちんとした事実と論理で反駁すべきです。怒りが湧くというような、感情論は無力です。
冷静に理解するなら、昭和大帝への賛美は論理として反転、今上天皇と内廷皇族への批判に帰結します。不敬に踏み込むことを恐れるブロガーさんは黙っていますが、少なくとも皇室批判ブログに対しては無言を通していて、それはそれで一つの筋の通し方ではあるでしょう。
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池田大作氏に密着、習近平の奥方に自ら近づき、潘基文元国連事務総長と親密、辻元清美議員としげしげと交流なさる皇太子殿下、雅子妃殿下を批判したら、それが皇室瓦解を目論み、国民をミスリードすることなのですか?
安倍政権支持を表明することは、すなわち安倍政権アンチの天皇皇后両陛下に背くころなのですが、それが皇室解体で国民ミスリードと、どういう脈絡を持つのでしょう。
憲法改正にも、また新憲法で天皇を元首と仰ぐことじたいにも賛成ですが、今のままではGHQの施策を讃えている、自虐史観の左翼思想の元首を戴くことになりますが、それをよしとするのですか?
新憲法では自衛隊を国軍として格上げすることが理想とされていますが、それにあなたは反対なのでしょうか?
自衛隊を忌避なさる天皇皇后両陛下に従うと言うのですか?
であるなら、皇室解体に加担しているのは、あなたです。
来年4月30日の天皇陛下の譲位に続き、5月1日には皇太子殿下が即位され、「平成」に代わる新しい元号が始まる。
「昭和」への郷愁がいやがうえにも増す。
[旗日のお知らせ]
4月29日は「昭和の日」です
昭和天皇のお誕生日です。
昭和天皇がご存命中、戦前は「天長節」、戦後は「天皇誕生日」でしたが、1989年(昭和64年)1月7日に崩御されたので、「天皇誕生日」は今上陛下のお誕生日である12月23日に移りました。
4月29日はゴールデンウィーク中の一日ということで、名称を「みどりの日」に変えてそのまま祝日として残りました。
しかし激動の昭和を生き抜き、大東亜戦争の終結に卓越した指導力を発揮された昭和天皇にふさわしい名称を残そうとする国会議員によって「昭和の日」を実現する運動が起こりました。
議員立法を三度、国会に提出し、2005年の第162回国会で法案が成立に至りました。
これによって2007年から4月29日は「昭和の日」となり、「みどりの日」は5月4日に移動しました。
世界の歴史を見ると、戦争に負けた国が王制を維持できた例はほとんどありません。
第一次世界大戦の敗戦国だったドイツ、オーストリアの君主制は滅びました。
大戦中にロシア革命が起こり、ロシアの皇帝も殺されました。
第二次世界大戦ではイタリアを初め、敗れた枢軸国側のユーゴスラビア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアの王朝がみな倒れました。
そのような世界史の流れからすると昭和天皇が自ら終戦の決断をされ、戦後も退位することもなく歴代天皇の中でもっとも長い在位を保たれたことはまさに奇跡と言えるでしょう。
昭和天皇が終戦のさいに詠まれた和歌です。
身はいかに なるともいくさ とどめけり
ただたふれゆく 民をおもひて
(※mono....以下記事は拾い転載)
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昭和18年(1943年)5月12日の米軍アッツ島上陸以来、先帝陛下(昭和天皇)は、同地の守備隊の模様をいたく気にかけられ、 毎日のように戦況を御下問されておられた。
5月29日夕刻、守備隊から最後の電報が発せられた。
「機密書類全部焼却。是レニテ無線機破壊処分ス」
陸軍大臣は、直ちに参内し、アッツ玉砕を天皇に奏上した。
陛下は、陸軍大臣大臣の報告を黙って聞くと、目を閉じしばし佇立された。
そして、ひと言、 「アッツ島守備隊は、まことに最後まで良く敢闘した。このことを伝えよ。」 とおっしゃった。
陸軍大臣は、陛下が自分の報告を聞き違えられたかと思い、言葉を返した。
「恐れながら陛下、彼らは無線機を既に破壊しており、お言葉をお伝えする手段がございません」 と申上げると、
陛下は、 厳しい声で、「構わぬ。それでも構わぬから、そういう電波を出しなさい!」とご命令された。
陸軍大臣は一礼して引き下がり、控えの間に至ると両手で顔を覆って男泣きに泣き崩れた。
直ちに北のアッツ守備隊に向け、電報が放たれ、陛下の御言葉が打電され続けた。
勿論、アッツから返事が来ることはなかったが。
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九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、マッカーサーの前に立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。
ついに天皇をつかまえるべき時が来た。
マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。
マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえて、ソファーから立とうともしなかった。
陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。
『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』
――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか
――しかし陛下は続けました。
『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』
天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても…と淡々として申された。
このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であったのです。
陛下は我々を裏切らなかった。
マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、今度は陛下を抱くようにして座らせました。
そして部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と。
マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、
「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」
と。
陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」
と。
そののちマッカーサーは、陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。
皆様方、日本は八〇〇〇万人と言いました。
どう計算しても八〇〇〇万はおらなかったでしょう。
いかがです?
一億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、すべてを差し引いて、どうして八千万でしょうか。
じつは六六〇〇万人しかいなかったのです。
それをあえて、マッカーサーは、八〇〇〇万として食糧をごまかして取ってくれました。
つまりマッカーサーは、いわゆる、陛下のご人徳にふれたのです。
米国大統領からは、日本に一〇〇〇万の餓死者を出すべしと、マッカーサーに命令が来ておったのです。
ただ一言、マッカーサーは、
『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』
と言いました。
彼は陛下のために、食糧放出を八〇〇〇万人の計算で出してくれました。
それが後で、ばれてしまいます。
彼が解任された最大の理由はそれであったというのが、事の真相です。
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先帝陛下(昭和天皇)が硫黄島に行かれた時、硫黄島自体がお墓だからとおっしゃり、靴をお脱ぎになって上陸された。
因みに小沢一郎は普通に靴をはいていたそうだ。
遺骨収集が完了していない地下壕跡に入るときには、周りの案内役もそのまま足を踏み入れたのに、陛下だけは靴をお脱ぎになって裸足になられた。
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昭和天皇の涙…二つの位牌を手にした少女 「ぼやきくっくり(2011.8.14)」より
(※ 前後略)
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が、やがて天皇は引き込まれるようにして話しかけた。
見ると、女の子が手にしていたのは位牌だった。
「お父さん、お母さん?」
天皇は話しかけた。
位牌は二つだった。
「はい。これが父と母です」
女の子は答えた。
「どこで?」
「父はソ満国境で、母は引き揚げの途中です」
「お淋しい?」
女の子は口元を引き締めた。
「淋しくありません。私は仏さまの子どもですから」
天皇は少し驚いて女の子の目を見つめたが、女の子はひるまずに続けた。
「仏さまの子は父にも母にも、お浄土でもう一度、会えるんです。だから父や母に会いたくなったら、私は仏さまに手を合わせます。そして父と母の名前を呼ぶんです。すると父も母も、私のそばにやってきて、私をそっと抱いてくれるんです。私は淋しくありません。私は仏の子です」
天皇は女の子をしばらく見つめたあと、部屋に入った。
右手の帽子を左に持ち替え、空けた右手で女の子の頭をゆっくり、時間をかけて撫でつつ、なおも話しかけた。
「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育ってくださいね」
言うなり、大粒の涙が一つ、二つ、こぼれ落ちる。
すると、ふいに女の子は呼んだ。
「お父さん?」
そこにいた大人たちは、言葉をなくして顔を覆った。
海千山千の新聞記者までが、嗚咽を抑えられない始末だ。
もはや天皇はあふれる涙を隠そうともしない。
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