2000年になって、密約を裏付ける米国の公文書が発見されたため、起訴されたことを不服とし国家賠償法に基づく賠償請求訴訟を2005年に提起。2006年、対米交渉を担当した吉野文六外務省アメリカ局長(当時)は密約の存在を北海道新聞、共同通信、朝日新聞の取材に対して認めた(吉野は1999年に、政策研究大学院大学の「吉野文六オーラルヒストリー」においても同等の証言をしている)。2007年3月27日、東京地裁は、20年の除斥期間を経過しているとして、密約の存否に触れず、請求を棄却する判決を下した。これに対しては2009年3月18日に取り消しと開示決定及び賠償を求めて提訴(沖縄密約情報公開訴訟)、一審勝訴。「超完全勝利だ。何も言うことはない。私たちが主張していたことを全部くみ取ってくれた。司法が密約を認めた歴史的意義のある判決だ」とコメントしている。なお、勝訴しても有罪判決は変わらないが、無罪を求める再審請求は「全く考えてません」[1]。



 ・外相時代に日米間の密約の存在を認めた岡田克也副総理が7日の参院予算委員会で、1972年の沖縄返還密約を示唆する機密電文を入手し、国家公務員法違反で有罪が確定した元毎日新聞記者の西山太吉さん(80)について「本当に申し訳ない」と謝った。

 みんなの党の小野次郎氏が同事件をテーマにした放映中のTVドラマにからめて密約を認めた感想を聞いたのに答えた。「国家の密約という問題の中で犠牲者になった一人だ。ジャーナリストとしての行動に一定の敬意を表す」と述べた。

 岡田氏は「歴代の首相、外相が少なくとも90年あたりまで外務省から(密約の)報告を受けながら、国会の場でも否定してきたことは許し難い。我々は議会人として深刻に反省すべきだ。開き直りは許されない」とも語り、珍しく感情をあらわにした。

■ 沖縄返還密約事件を追って:土江真樹子 「岩波書店>ジャーナリズムの条件>職業としてのジャーナリスト」より

 ・「会うつもりはありませんね.話すことなんてありません」
 意味の知れない後味の悪さが残る拒否.声には有無を言わせぬ強さがあった.
 電話の相手は元毎日新聞記者,西山太吉氏.
 1960年代後半から72年の,沖縄返還交渉の過程の中で起こった「外務省機密漏洩事件」の中心人物,と言えば思いだす人もいることだろう.

 (※ 後略。)

■ 西山事件の本質 「雑感(2010.3.24)」より

 ・色々なメモ類を整理しながら、一枚のメモに目が止まった。
  2007年4月26日に、沖縄密約事件の西山太吉氏が海外特派員協会で記者会見を行っている。その時に行われた質疑応答のメモのようだ。(付箋をつけていないので、記事からの転載の可能性もあるが)
── 最後に、西山さんの思いとアドバイスを。

 西山: 日本の官僚機構は異質で、完全に閉鎖社会。欧米と違って、権力構造は〝鉄壁〝だ。外務事務次官がエンペラーのような権力を持ち、都合のよい情報しか出さないのが現実だ。〝内部告発〟が最近叫ばれているが、日本では真の〝内部告発〟を期待できない気がする。だからこそ、この〝鉄壁〟を破るには、メディアの力しかないのだ。〝特ダネ〟にはイレギュラーな要素がつきまとう。〝違法機密〟のネタは並大抵のことではとれない。






.
最終更新:2012年03月28日 00:01