■ 吉本隆明、新左翼のアイドルか賞味期限の切れた毒キノコか 「逝きし世の面影(2012.4.4)」より

 ・ところが一部の極左のアイドル(カリスマ)だったが、世間的には誰も知らない吉本隆明は、毒キノコの当人が死んだ途端、『戦後最大の思想家』の枕詞で語られているのですから大笑いですね。 
  NHKのETV特集『吉本隆明 語る沈黙から芸術まで』なる1時間30分もの長い放送を行うし他の新聞社も歯の浮くような軽薄な意味不明の賞賛を繰り返している。
  実は吉本隆明が極左のカリスマとなりえた理由は極簡単で、反戦平和の日本共産党の非転向を非難したことに尽きるでしょう。


訃報

■ 吉本隆明死去 「kojitakenの日記(2012.3.16)」より

 ・吉本隆明死去といっても何の感慨もなく、「あのオウム擁護の吉本がついに死んだか」というくらいのものなのだが、昨年の東電原発事故以降は「原発推進」論でも晩節を汚していた
☆ みそパンNEWS : 吉本隆明「原発廃止は素人の暴論であり、人類の文明の否定を意味する。同調する専門家は悪だ」
 ・(略)
週刊新潮2012年1月5・12日号に、「『吉本隆明』2時間インタビュー『反原発』で猿になる!」という記事がある。
原発推進を一貫して主張してきた吉本氏だが、現在も自身の考えには全く変化がないそうだ。
 ・冒頭で、次のように述べている。「実際、福島第一原発の事故では被害が出ているし、何人かの人は放射能によって身体的な障害が
生じるかもしれない。そのために“原発はもう廃止したほうがいい”という声が高まっているのですが、それはあまりに乱暴な素人の論理です」、
「専門家である彼らまで“危ない”と言い出して素人の論理に同調するのは『悪』だとさえ思います」。
 ・人類が積み上げてきた技術を一度の事故で放棄することは、「人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです」。
文明の発達とは、失敗しても再挑戦することの繰り返しだという。「我々が今すべきは、原発を止めてしまうことではなく、完璧に近いほどの
放射線に対する防御策を改めて講じることです」。
「自動車だって事故で亡くなる人が大勢いますが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならないでしょう」、「そもそも太陽の光や熱は
核融合で出来たものであって、日々の暮らしの中でもありふれたもの。この世のエネルギーの源は元をただせばすべて原子やその核の力なのに、
それを異常に恐れるのはおかしい」といった発言もある。

 ・吉本氏の主張に、ルポライターの鎌田慧氏が異論を唱えている。1月3日の東京新聞で鎌田氏は、核の技術は本当に文明の発展に寄与するのかと
疑問を投げかけた。吉本氏を「『科学技術信仰』の化石」と形容し、「被曝者を発展の陰の犠牲者にして知らぬ顔なのですか」と酷評した。


☆ 続報・吉本隆明の原発推進論、よしもとばななが衝撃発言! 「探偵ファイル(2012.1.6)」より

 ・「父のことですが、もうあまりちゃんと話ができないので、まとめる人の意訳があるかと。私が話したときは基本的に賛成派ではなく廃炉と管理に人類の英知を使うべきだ的な内容ではないかと察します。一部をとりあげて問題にするのはどうかやめてください。父は静かに介護生活をしていますので」。


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■ 戦後の死 「Living, Loving, Thinking(2012.3.16)」より

 ・既成の左翼運動を徹底批判して新左翼の理論的支柱になった吉本さん。1968年に刊行した「共同幻想論」は難解な思想書でありながら、全共闘世代の若者に熱狂的に支持され、同書を抱えて大学のキャンパスを歩くのが流行した。

 高度消費社会を積極的に評価した80年代には、女性誌「アンアン」にコム・デ・ギャルソンの服を着て登場。その姿勢を批判した作家埴谷雄高さんと資本主義や消費社会をめぐって激しく論争した。

 若者を引きつけた吉本思想の根底には、一般の人々の生活を立脚点とする「大衆の原像」と呼ばれる理念があった。「大衆の存在様式の原像をたえず自己の中に繰り込んでいくこと」。自らも含めた知識人の思想的課題をこう定めた吉本さんは、60~70年代の新左翼運動でも、消費社会化という時代の転換点でも、常に「大衆」と共にあった。

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■ 吉本隆明のポジションなんて、9.11以降は存在しないも同然だ 「THINKING LIVE(2012.3.18)」より

 ・原発について彼がしゃべったことは以下のレベル、

「だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、…お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法がない。」(吉本隆明、日経朝刊より)

原発が完全な寡占産業であることを無視、放棄、人々を共同幻想論に誘惑し、無力にさせる役割りを担っていたと読むべきだ、

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■ 吉本隆明が亡くなった 「極東ブログ(2012.3.16)」より

 ・まあ、お年だからなと思った。糖尿病を抱えヘビースモーカーで87歳というのは大往生の部類ではないか。彼の死についてはかねて理解している以上のことはないなと思って、ぼうっとしていたら、自然に涙が出て来た。ツイッターにも吉本の死のことは書くまいと思ったが、堰を切ったように連投してしまった。

 ・吉本隆明が仮に戦後最大の思想家だとしても、千年に一度しかこの世界にあらわれないといった巨匠にかなうものではない。では、その巨匠の生涯というものは何か。吉本隆明は、「市井の片隅に生き死にした人物の生涯とべつにかわりはない」とした(参照)。
市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。

市井の片隅に生き死にした人物のほうが、判断の蓄積や、生涯にであったことの累積について、けっして単純でもなければ劣っているわけでもない。これは、じつはわたしたちがかんがえているよりもずっと怖ろしいことである。

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■ 橋下徹と故・吉本隆明 「オウマー日記」より

 ・歴史を紐解けば、吉本氏は70年代に日本共産党や戦後民主主義の欺瞞性を批判して、前衛神話を解体して、新左翼運動に理解を示したという評価になるのだろう。しかし、吉本隆明に威力があったのは、vs日本共産党やvsアカデミズム左翼やvs朝日新聞であり、吉本氏が日本共産党に代わって何か有効な革新的政策を提示した記憶など、ライブで読んだ老人とて、おそらく誰もあるまい。

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■ 追悼、吉本隆明氏を送る 「Newsweek>コラム&ブログ冷泉彰彦(2012.3.16)」より

 ・古びないということでは、私は吉本さんの再評価というのは必要だと思います。漠然と学生運動や左翼運動の理論的支柱だったというようなイメージで、冷戦型の対立が消えたのと同じように、吉本さんの思想も時代遅れになっていったと社会的には思われています。批評家の吉本隆明というより「よしもとばななさんのお父上」という言われ方をすることも多くなりましたが、私は吉本さんの思想は古びてはいないと思うからです。




■ 吉本隆明『藝術的抵抗と挫折』 「松岡正剛の千夜千冊(2012.3.16)」より






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最終更新:2012年04月04日 22:29
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