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● 今上天皇〔Wikipedia〕
現に在位する天皇を示す呼称である。 2012年(平成24年)における今上天皇は明仁(第125代天皇)。
今上は漢語であり、『史記』秦始皇本紀に「今上知天下、」云々とある。「聖上」と同じように、現在の帝(みかど)を意味する語である。当今(とうぎん)ともいう。「いまのうへ」というやまとことばを漢字で書いて今上としたとの説は、「からごころ」を排除する国学の影響によるものとされる。
日本や唐以前の中国では、敬意を示すものについてはっきりした言い方を持たない文化があり、当代の天皇の呼称もあまり発達しなかった。しかし、大正天皇や昭和天皇と並べて表記したい場合に、「今上」もしくは「今上陛下」では言葉のすわりがよくないことと、「今上天皇」と表記すると語感から客観的な表現に感じられるため、中立を求められる表現の中で使用される頻度が高くなってきた。また皇后美智子も「今上陛下」と公の場では呼んでいる。





■ 昭和ヒトケタ生まれの陛下 「DEEPLY JAPAN(2018-12-23 23:36:41)」より
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今日は今上陛下のお誕生日。天皇として最後のお誕生日ということで比較的長い動画を公開されている。

テレビでは朝からこの話をしていた模様で、沖縄への思いは変わらない、というところや、平成の時代が戦争のない時代だったことに安堵しているという言葉が取り上げられていた。戦争のない時代だったことに安堵しているというのは本当に心からの本心だろうなと思った。

(※mono....以下動画は下枠のものと同じなので略)
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私が、おお、と思ったのは、平成の時代状況を語る下り。東西冷戦も終わり、

 これからは国際社会は平和な時代を迎えるのではないかと希望を持ちました。

 しかしその後の世界の動きは必ずしも望んだ方向には進みませんでした。

望んだ方向には進まなかった、つまり、私はそれを望んでなかった、ということ。

これはとても強いおっしゃりようだと思う。ただの事実文じゃない。

私流に解釈すれば、つまり、冷戦終結を語り人々に幸福を約束したかのようなふりをしながら、その多幸感を己の欲のために利用した奴らがいたことはまったく残念な話だったぞ、という話ではないかと思うわけです。

NATO東方拡大:ゴルバチョフはマジで約束されていた
2017-12-15 18:07:35 | 欧州情勢複雑怪奇



そのような認識を示されたことを、同時代を生きた者としてうれしく思った。

■ 昭和ヒトケタ生まれ

そして、この姿勢の天皇がイヤであるばっかりに、日本の「右派」の一部は天皇を輩出するご家族に対して、ほとんど人権侵害もいいとこといった大攻勢をかけて、自分の好みの奴を作ろうと画策していていたのだろうと思う。こういう人たちにとって天皇は「玉」でしかないから。

そういう中で、いわゆる「先の大戦」で犠牲になった人々が多々あり、その果てに今日を築いていることを忘れないように伝えていくことが重要だ、とのお考えからいろんなところに行かれたんでしょう。

(※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で)
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といったことから昭和8年生まれの今上陛下を思うに、「先の戦争」に対する感じ方は圧倒的で、そして長い世代だろうと拝察してきた。そしてお立場から来るのであろうある種の慚愧の念をそのままにせず、それを責任感に繋げているという点では優れた資質を持った勇気のある人だとも思ってる。

■ 大日本帝国を終わらせる

総じて思うに、今上陛下のお仕事は、大日本帝国を終わらせることだったのではあるまいかなどとも思う。本当はこれは、1945年か、あるいは1947年から開始されるべきだったことだが、いわゆる冷戦によってそれができなかった。

だからこそ、冷戦という特異な時代が終わった今、自分の仕事は近隣諸国との過去を清算し、大日本帝国ではなく日本にすることだとお考えになったのではなかろうかと拝察する。

だからこそ、即位式にあたって、日本国憲法の堅持を誓われた。

(※mono....以下続きは略、詳細はサイト記事で)

■ 中露の反応

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


★ 天皇誕生日、一般参賀に平成最多の8万2850人 「毎日新聞(最終更新 12月23日 19時27分)」より
(※mono....前後略、詳細はサイト記事で)
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 大阪府泉佐野市から初めて来たという平嶋清彦さん(83)は「(誕生日に先立って行われた)記者会見も、今日のお言葉も心に染みた。いつも国民を心配していただき、感謝の気持ちでいっぱい」と感無量の表情だった。「平成生まれとして一度は陛下に会いたかった」という広島県呉市の女性(28)は「被災者や被爆者を思って広島に来てくださった。陛下は国民に元気をくれた。退位後はゆっくりしてほしい」と話した。







★ 天皇としての旅、支えられ感謝 陛下85歳 最後の会見 「産経新聞(2018.12.23 00:00)」より
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 天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、来年4月30日の譲位を前に「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と謝意を伝えられた。また、象徴天皇として「譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたい」と決意を示された。

 今後、陛下が記者会見を行う予定はなく、今回が最後の機会となった。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)


★ 陛下、声震わせ「象徴の旅」を回顧 最後の記者会見全文 「日本経済新聞(2018/12/23 0:00)」より
★ 天皇陛下、85歳…戦争なく「心から安堵」 「読売新聞(2018年12月23日 06時00分)」より
★ 「天皇としての旅を終えようとしている今…」 会見全文 「朝日新聞(2018年12月23日00時00分)」より


■ ”天皇の保守批判”は危険な予兆ー伝統vs.パーソナルカルト 「万国時事周覧(2017.5.21)」より
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 本日、ネット上に前代未聞のニュースが掲載されていました。天皇譲位(退位)問題につき、保守系の識者が有識者会議のヒアリングで述べた見解について、”陛下がショックを受けた”とする旨の強い不満が首相官邸に伝えられたというのです。宮内庁幹部の説明によれば、象徴天皇としての生き方を”全否定”されたと受け止めたようですが、この今上天皇の発言は、あまりにも危険なのではないでしょうか。

 この件で懸念すべきは、第1に、識者の発言であれ、今上天皇が、公然と日本国民の言論を批判したことです。おそらく、この批判の真意は、”有識者会議から皇室の意向に反する考えを持つ識者は排除せよ”ということなのでしょう。となりますと、言論の自由は日本国憲法において国民に保障された自由てすので、今般の”異なる意見”を排除し、自由な言論封じ込めを目的とした批判は、憲法違反の行為ともなりかねません。日本国民の中には、宮中祭祀を専らとする明治以前の天皇への回帰を支持する声も少なくありませんので、天皇が言論を弾圧したとする印象は、国民との関係において致命的な意味を持ちます。

 第2に、今上天皇の批判の矛先が、保守系識者であったことです。保守系の人々とは、皇室に対して人並み以上に最大限の敬意を払い、不祥事にも目をつぶり、その権威の維持に誠心誠意努めてきた人々です。いわば、皇室の藩屏であったのですが、その保守層に対して不満を述べたのですから、恩を仇で返すようなものでもあります。そして、この姿勢は、皇室が、社会改造を良しとする左派に与していることを示してもおり、この観点から見ますと、”眞子さま婚約”の一件も頷けます。

 第3に、今上天皇の不満は、首相官邸に伝えられたという事実です。(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)


■ ブログ「国際情勢の分析と予測」のコメント欄より
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unknown (unknown)
2016-09-23 20:46:19
絶対絶命の危機に追い込まれているアメリカ軍産複合金融悪魔どもが、起死回生を狙って、天皇陛下のお命と金塊を狙って、宮内庁長官に、彼ら(軍産複合体悪魔)の息のかかった人物を送り込んでも不思議はありません。なぜか、急に元もとの宮内庁長官が、辞めさせられて、今月の9月28日に新しい宮内庁長官(松本氏)が就任することになっています。この9月28日という日付けですが、ちょうどこの日(9月28日)から4日間、10月1日まで、天皇陛下は、岩手県をご行幸されることになっています。ちょうど、この日に、新しい宮内庁長官が来るというのも、何か、引っ掛かkります。で、今回の天皇陛下の岩手ご訪問ですが、詳しい日程やお泊りになられるホテルまで、なぜか、朝日新聞の記事に載っています。天皇陛下が、ご宿泊予定のホテル名まで、事前に、新聞(朝日新聞)に載せるのは、危険極まりないと思います。天皇陛下がご宿泊予定のホテル名が、ご訪問の前に事前に新聞に出たことなど、これまであるでしょうか?私は、あまり、記憶にないですが。この日(岩手訪問)の日から、新しい宮内庁長官。そして、事前に、天皇陛下のお泊りになられるホテル名が、報道機関に明らかになっている不思議。なんか、(悪の臭いが)臭います。

■ 先帝陛下の戦争責任を追及しなくてはなるまい。 「帝国政府声明文-- 戦勝国は日本だった(2016.8.19)」より
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明仁陛下が「あの戦争が間違った戦争だった」というなら、その間違った戦争を発動し、300万の民を死に追いやった先帝陛下の戦争責任を追及しなくてはなるまい。

明仁陛下よ、昭和陛下の戦争責任を追及されよ。何故追求しない。

先帝陛下に戦争責任があると言うことになれば、常に何事にも潔よかった先帝陛下は直ちに御退位されたことであろう。そうなると、次の天皇は貴殿ではなく先帝陛下のご兄弟となり、貴殿に天皇就任の目はなかったことになる。

なのに何故貴殿は天皇の地位についておられる?

どうしてもあの戦争を間違えた戦争であると主張されるなら、貴殿は就任時に遡って退位されるべきである。


先帝陛下が戦争犯罪者であると言うことになるなら、貴殿の皇位継承の正当性について疑問符がつく。
先帝と英霊を卑下すると言うことは貴殿は遡って退位することになるということなのである。よくよく考えられよ。

以上、英霊からの意思を伝える。


■ 追悼式のお言葉に思うこと 「井沢満ブログ(2016.8.19)」より
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靖国神社での国民集会に参列させていただいてから
あっという間に一年が過ぎ、歳月の足取りの速さに息を呑む思いです。

本日、本来は「靖国で会おうぜ」を合言葉に散華されたおみたまのためには、
靖国神社で開いていただきたき追悼式典が、すぐ近くの武道館で開かれましたが、率直なことを言わせていただければ、天皇陛下のお言葉に悲しみを
覚えます。悲しみは我が悲しみなのか、英霊の涙に感応しての
それなのか、よくわからないのでございますが・・・・

安倍総理の、

「未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも脳裏から離れることはありません。お一人でも多くの方々が故郷に戻っていただけるよう、全力を尽くします」

情の通った言葉にしみじみと頷くのです。言葉のみではなく、ご本人が遺骨収集にお心を砕いていらっしゃることをよく存じ上げているし、慰霊地では地に跪いての深き深き礼です。

その安倍総理の言葉が最初にあるだけに・・・・

天皇陛下のお言葉の、戦火で散った方々への思いの・・・・・・何と申せばよいのか・・・・不敬を畏れて言葉が続かぬのですが・・・・

抜粋ははばかられますので、畏れながら全文を引用させて頂きます。

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に七十年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

     了



「悲しみ」と「深い反省」・・・・・

日本の繁栄は、国民のたゆみない努力の上にあるのみならず、天皇のみ名のもとに散華せし数多の命の礎の上にあるので、戦後を支えた来たわたくしどもへのお言葉よりも、英霊へのお言葉が欲しかったと・・・・・こう申し上げることは不遜でございましょうか。

「深い反省」と言われては、親のため子のため、幼い妹のため、故郷のためと
ゼロ戦で突っ込んでいった十代の魂が、慰められましょうや、と
どうにもこの、彼らの魂と拙きわが心が本日はシンクロして、つらき思いを致します。

日本のみ反省しなければならぬような、悪い一方の戦争でございましたでしょうか。
白人の植民地主義との戦いでもあり、アジア開放はそのためになり、
その意味では勝ち戦ではございませんでしたでしょうか。

戦争はもとより避けねばならぬものですが、しかし追い込まれて立ち上がらざるをえない戦もあります。

先の戦争がそうでした。少なくともその側面はございました。
何も勇躍、侵略の目的で戦を始めたのではございません。
ルーズベルトにそそのかされ、ABCD包囲網に囲まれて
やむなく立ち上がった戦争で、あの勝ち戦の将軍マッカーサーさえ
アメリカで「あれは日本の自衛の戦争であった」と証言しています。

そして何より・・・・・何より・・・・・昭和天皇が、そうおっしゃっています。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


■ また慰霊で謝罪かよ 「二階堂ドットコム(2016.8.15)」より
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生きてる奴に何とか言えよ!慰霊慰霊慰霊反省反省反省って。そんなことばっかり言ってるからダメなんだよ。

昔は「ダメなら都変える」くらいだろ。生きてる奴が一番大事なんだよ。もう慰霊だの反省だのつまんない事言うなよ。

まだらボケはどうしようもねぇな。神でも何でもねぇじゃねぇか。ただの老人じゃん。

大体、いまの天皇は「左翼の方が話がわかる」とか言ってるくらいの無知だからね(これほんとの話。誰から聞いたか俺の近くの人はわかるはず)。どうしようもないんだよ。


■ 天皇陛下お言葉表明に係わる私見  陳情文書準備の必要性 「祖国創生(2016.8.15)」より
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実は、法整備的には、集団的自衛権解釈の見直し、平和安全法制、テロ3法、特定秘密保護法案、の次に来る法改正は、スパイ防止法法制化、皇室典範見直しあるいは自衛隊法改正が政治課題となるだろうと予想していた。
政権として憲法改正できる議席が獲得できてはいるものの、そういう選択肢はあるという前提で書いてきた。
皇室典範見直しについては、そう問題提起するきっかけがなくては話にならない。このことは説明しなくても理解いただけると思う。
改正はそう簡単にはいかないのだ。
また、憲法改正手続きについて、今回の天皇のお言葉発言が手続き作業的には延期効果をもたらす可能性があることは承知している。
  • 憲法改正
  • スパイ防止法法制化
  • 自衛隊法改正
  • 皇室典範改正


表面的には憲法改正は遠のいたと見るだろう。
しかし、私は違うと思っている。
今上陛下のお言葉発言のお蔭で、少なくとも数年以内に憲法改正が数回行われたとして、改正しなくてはならないネタが、増えたと解釈しているのだ。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)

ーーーーー
■ 天皇陛下お言葉表明に係わる私見 総論編 「祖国創生(2016.8.13)」より
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本稿では、標記について総論的スタンスで述べさせていただく。
私個人は、遺言みたいな形で問題提起がなされることを想定していた。遺言みたいな形で遺された場合、仮にそれが憲法違反だった場合でも尊重すべきという意見が大勢となるだろう。それゆえ遺言という形でなく、生前でのお言葉表明でほっとしていたところである。


従って、以下にあるように
天皇陛下の「生前退位」リークが、国民への暖かな配慮だった可能性
http://www.mag2.com/p/news/215536?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_0812
国民への暖かな配慮がお言葉表明の動機にまずあって、リーク報道が為された可能性を指摘するのである。


なぜなら、今上陛下は、宮中祭祀を熱心に為されていた方と伺っていたからだ。
(宮中祭祀に不熱心な天皇陛下だった場合は、解釈はやや悲観的になる。)
続いて、お言葉表明後の東宮、秋篠宮家退出時間報道を読んでみたい。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


日本国憲法改正
■ 天皇陛下のフィリピン戦役に関する御発言は憲法9条を守れとの勅(みことのり) 「東京kittyアンテナ(2016.1.28)」より
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天皇皇后両陛下がフィリピン戦役における日比の戦没者を慰霊される旅に出られた。お二人とも万全とは言えない健康状態にも関わらす、お命を削って慰霊に取り組んでいる佇まいに一層の重みを感じる。

安倍首相が国会演説で参議院選挙に勝利した後の憲法改正に言及したこの時期における天皇陛下の平和に関する御発言は、普通に考えれば憲法9条改正への絶対反対と、それを推進する安倍政権打倒を希望するもので、平家追討を命じた古の宣旨と同じ政治的意味を持つ勅(みことのり)とをもわざるを得ない。

ヲレは安倍首相を極めて高く評価してをり、先般の安保関連法にも戦争抑止のため必要とをもっているが、天皇陛下の勅に関しては鼎祚(ていそ)の弥栄(いやさか)を希う(こいねがう)者の一人としてその重さを鑑みざるを得ない。

現在の制度では天皇陛下には一切の政治的権力は存在しない。だが、民主主義体制は悠久の日本の歴史から見れば一瞬の泡沫(うたかた)の様なものだ。陛下がここまで言うということは、夏の参議院選挙で自民党が勝つ見込みはない。陛下の意を汲まんと欲する人々はいずれ燎原の如く広がるであろうからだ。それどころか共産党が天皇陛下を平和のシンボルとして掲げるという自民党にとっては悪夢のシナリオまで見えて来た。甘利大臣の問題など微塵にすぎない。事態の推移を慎重に見守っている。


日本の歴史が、また1ページ(@w荒


■ 今上陛下がアジア解放戦争を否定する時、その言動は自分の先祖の間抜けぶりを指摘することになる。 「帝国政府声明文 安濃豊-戦勝国は日本だった(2016.1.27)」より
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 今上陛下はフィリピン共和国を国賓として訪問され、大歓迎を受けているそうである。国賓を招くことが出来る国家とはもちろん独立国家であるわけだが、フィリピンはいつ独立したのであろうか。
 謝罪反省好きな今上陛下は昨日、マニラ戦において犠牲者が出たのは日本軍のせいであるかのような反省を行ったそうだ。
 マニラを無差別砲爆撃したのは米軍である。1899年フィリピン植民地をスペインから横取りした時、米軍は80万人の反米フィリピン人を虐殺した。前歴持ちの米軍にとってマニラを無差別爆撃することなど日常に過ぎないのだ。

 フィリピンは何時独立したか? 昭和18年10月14日である。その日日本軍の軍政が撤廃され、正式に「フィリピン共和国」として独立した。


 フィリピンに出かけていって謝罪反省するなら、今上陛下は昭和18年に日本軍が独立させてしまったことを反省謝罪しなくてはならない。「独立させてごめんなさい」というべきである。

 フィリピン戦では日本軍とともに「愛国同志会」、通称「マカピリ」も独立維持のために戦った。マカピリに参加したのはアメリカ植民地時代に貧困に苦しんでいた人々で、4千人~5千人に上った。
参考:
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/phiripin_senso/phiripin_senso.htm

 日本軍を悪とするなら、マカビリ兵も悪としなくてはいけない。何故なら独立のために白人軍と戦ったのだから。陛下はマカビリ兵も否定する気であろうか。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


■ 天皇ご謀反 保守がなぜ「不敬」の一言で白痴化するのか?《転載自由》 「BBの覚醒記録(2015.8.21)」より
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BBの天皇陛下批判に対して、興味深い投稿を頂いたのでそれにお応えする形でいささか拙論を述べてみたいと思います。

「不敬」の一言で、現在の天皇皇后両陛下及び皇太子の国を損ねかねない
左傾化に対して、それを直視できない保守は愛国の轍を外れたエセ保守である、というのがBBの主張です。

それに対して、思考停止の保守連中の感性は「不敬である」とその一言で論説そのものを拒絶してしまいます。新興宗教の教祖が否定された時の、脊髄反射と似通うところがあります。ものの理非曲直の次元ではなく、教祖に対しての言挙げ自体がいけないのです。

しかし「なぜ、いけないのか」という質問に答えられる者はいません。
いけないのだから、いけないのだ、ということでしょうか。もはや理性の介在する余地はなく、思考として健全な状態にあるとは言えないでしょう。

不敬と、パブロフの犬的に口にする人たちは不敬の定義を承知でしょうか?

不敬行為とは、客体に対する軽蔑の意を表示し、その尊厳を害する一切の行為を指すとされています。

正当な批判が、上記に該当するかどうかが判断の別れめでしょう。
まず、侮蔑には端的に該当しませんね。批判と侮蔑をごっちゃにするレベルの人達は論外です。尊厳を害するかどうかが、決め手でしょうが明治大帝にご意見申し上げていた忠臣がいて、明治大帝はそれを排除なさっていません。
正統な批判とは何か。天皇に国を害する言動ある時である、と一応して良いと思います。

歴史を見れば、島流しにあった複数の天皇は国への謀反で流されています。

戦前は侮蔑と尊厳を害する行為に加えて、現人神否定も不敬とされていました。

おそらく、問答無用の批判否定派は、現人神として崇める感性をいまだ引きずっているのかもしれません。しかし、天皇自らが神聖については否定されました。それを受け入れぬ感性の者達がいるとしても、それならそれで、神が憲法論をなさるなどあるべきことではないでしょう。

天皇ご謀反に該当する歴史は、大化の改新、薬子の乱など複数あり少なくはありません。近くは後醍醐天皇による元弘の乱、有栖川宮熾仁親王による江戸政権への反乱があるでしょう。

暗殺や入水という自殺以外に、死罪になった天皇はいませんが死罪につぐ流刑になった天皇は何人もいます。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


終戦の日
■ 天皇陛下のお言葉検証 「あるウソつきのブログ(2015.8.17)」より
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終戦記念日における、天皇陛下のお言葉の検証を、今年はしようと思っていた。
 と、言うのは、当ブログコメント欄にて、以下のやりとりがあったからである。


Unknown(H) 2015-08-05 05:37:06
(前略)気になるのが、最近噂になっている天皇談話です。
天皇は政治的な行動をとってはならないことになっていますが、政府の反対を押し切ってパラオ訪問強行など、気になる行動も見受けられました。
国際的には天皇>>総理大臣ですから、非常に面白くないことになります。
流石に無いと言いたいとこですが不安はぬぐえません。

Unknown (通り道) 2015-08-05 12:42:56
安倍談話が重要?まさか!
天皇陛下が戦後70年の「談話」を発表される。こっちのほうが上でしょ!
閣議決定のない安倍談話など井戸端会議と同じ!意味なしですよ

天皇談話について (あきよし@管理人) 2015-08-05 22:59:12
正直、陰謀論の類だと思っています。
天皇陛下が政治的圧力とか、普通に考えたらほぼ不可能でしょう。
むしろコレを流して安倍談話を牽制し、公明党との着地点を左寄りにしようとしていると考える方がよほど有り得そうで、まだ説得力がマシな話です。

(※mono.--中ほど長文略、詳細はブログ記事で)

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陛下がどうお考えであれ、政治的な横槍を考慮される事はないのだ。
 それを、まるで陛下の代弁者のように騙るリテラの禍々しいこと。これぞ、「虎の威を借る狐」だ。

 談話発表前のNHKの報道もそうだったが、左翼系の報道は必ず連中の願望が加味されている。連中は、自分の言葉が力を持っている事を知っているからだ。
 それは、無論右側も同様なのだが、力が強い故に、左翼系の方が悪質で、許せないものと感じるのである。

 連中は、ウソはつかないが、本当の事は言っていない。
 常に、「ウソをついていないなら、どこでごまかすつもりなのだろうか」という観点で、左翼系ニュースは見ていないといけない。


終戦の日
■ 深い反省は戦没者之霊には残酷だ 「気付くこと思うこと(2015.8.16)」より
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Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150816-00000044-san-soci

終戦70年、平和の誓い 戦没者追悼式 天皇陛下「深い反省」

(※mono.--引用記事略)
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天皇が、『全国戦没者之霊』に対し、「深い反省」を述べられても、天皇や日本の為に戦い亡くなった方達はどういう気持ちになるだろう…と思いました。
天皇から、あの戦争の反省を伝えられ、一体全体、何のために命をかけて戦ったのか…と、悲しい気持ちにならないでしょうか。
今上天皇に責任があるわけではないので…という考え方もできるのかもしれませんが、だったら、何が何でも戦争を回避するとか、鶴の一声ならぬ御上の一声で降伏できたのだから、もっともっと早く降伏すればよかったんじゃないの?と言いたくなります。
海外にお気持ちを向けることは必要でしょうが、この日、この場所で、『全国戦没者之霊』に対してというのは、天皇を信じて命をかけた日本人には惨い仕打ちだと思いました。
皇后の「A級戦犯」発言といい、皇太子、雅子さんの好き勝手といい、日本国民より、海外や身内しか見ていないようで残念に思います。
今後、天皇になった皇太子が何を言うのかと思うと、ゾッとします。

ーーーーー
■ 天皇陛下はアンチ安倍政権・・・・・でしょ、やっぱり 「BBの覚醒記録(2015.8.17)」より
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かねがね、ある種の保守の言論の矛盾が不可解でした。

保守を任じるなら、概ね安倍政権に賛同のはずです。賛同でなければ対案を出すべきですが。

ところが、天皇陛下皇后陛下皇太子殿下の左傾言動は見て見ぬふり、あるいは牽強付会の擁護論。

どう擁護しようと、平和憲法護持というご主張なら、そして英霊を「A級戦犯」呼ばわりなら、一般ではこれを左翼と申します。皇后陛下は五日市憲法など持ちだされるし、元GHQメンバーに対して堂々たる賛意・支持を表明していらっしゃいます。

          • と拙ブログでは述べてきた訳ですが、ある種の保守は相変わらず無反応、たまに語彙乏しい「不敬」で思考ストップしたのがコメ欄に現れるだけ。

アメリカでも、天皇陛下は安倍談話に対抗した、と捉えられてますけどね。

普通に今までの言葉の両者の相違を考えれば、天皇ご一家は改憲を党是とする自民党に、そして安倍政権に反対を表明していらっしゃいます。

憲法護持を主張なさりながら、憲法で禁じられている政治と外交に影響する言動をお取りになることもいかがなものかと、思われますが。

<首相70年談話>「反省」天皇陛下と対照的 米メディア

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)
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第一、慰霊祭で「反省」って戦没者に失礼ではございませんか?

反省ということは、あれはいけない戦争であった、と。

いけない戦争で亡くなったのが、戦没者ならそれって無駄死になんですか? 犬死になんでしょうか。

マッカーサーですら「自衛のための戦争だった」と公に語っているというのに。

二言目には「不敬」で思考停止する自称保守の人たちは、現在の皇室のていたらくが、GHQの仕組んだレールの終着駅であったことを、思い知るべきです。
保守が戦うべき相手は、皇室ではなくその背後にある戦勝国残滓なのだと、なぜ理解できないのでしょうね。


■ 共産党と、韓国人に絶賛される天皇って? 「BBの覚醒記録(2015.5.7)」より
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韓国人による日王(天皇)の評判
http://oboega-01.blog.jp/archives/1023387272.html

◆今の明仁日王は、代表的な反戦主義者で親韓派で、過去の日本の蛮行を心から謝罪する賢明な王です。

一度も靖国を参拝しておらず、反戦活動に支援をしたりして、自分の意志をのぞかせるなど、本当に先代の王とは違う賢明な王です。

その子供も明仁王によく教育を受けたので、現代の日王家はあまり悪い人ではありません。


◆王族は韓半島渡来人の血統だから綺麗だね!

注:佳子さまのことですが、韓半島渡来云々は、天皇陛下の次の
お言葉からです。

「日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。
韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。
宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。
日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。
また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております」


百済と現在の朝鮮と何の関係もありません。

武寧王は日本から半島へ渡ったという説もあるぐらいなのに。

軽々にこういう発言をなさってはまずい、ということもお解りにならないのでしょうか。

保守連中は、韓国のほうが曲解していると、天皇陛下をかばうのですが、
無理。はっきりおっしゃってるし、そしてその結果韓国には天皇家=朝鮮人が
定着しちゃったじゃありませんか。宮内庁を通じて抗議すべきことでしたね。

そして皇后は皇后で「韓国に謝罪に行きたい」として、あたかも
韓国慕情のような歌を詠まれる。

そしてサイパン慰霊では、予定にはなかったという触れ込みで
おそらく当初から織り込んでいらした、韓国人慰霊碑に低頭。
天皇陛下がお語りになられている時に、低頭なさらない
皇后陛下が韓国人慰霊碑の前で低頭。

週刊文春記事

<「皇后さまはこうおっしゃったのです。陛下は戦後七十年の節目にパラオと韓国をご訪問されたいお気持ちです、と」>

来年は戦後70年、日韓国交正常化50周年の節目の年である。しかも28年前、皇太子夫妻だった天皇皇后は韓国を訪問することが決まっていた
のだが、美智子さんの病気のため断念したということがあったため、お二人にとっては格別の想いがあるというのである。
(※mono.--以下引用長文略、詳細はブログ記事で)

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前々から推論としては述べていましたが・・・・こうしてみると、正田家は祖父母の代からほぼ全員、カトリック教徒ではないでしょうか。
皇后陛下も生誕時に受洗されているかもしれませんね・・・・・というのは
皇后の祖母正田きぬさんと、フロジャック神父の経緯からも推し量るのですが。

フロジャック神父のことは相当詳しくあちこちで拾えるのですが、正田きぬさんと、正田美智子さんとの密接な関わりは、初期の書物一冊(絶版)のみにあるきりで、フロジャック神父が、(同和地区を含む)館林で布教していた事実さえ、記載されていないのは、奇妙なことだと言わざるを得ません。

皇后陛下の入内の前後に動いた複数の人々が、全員カトリック、プロテスタントの
違いはあれ、キリスト教徒であることに、ある意志を感じざるを得ません。

GHQマッカーサーが、キリスト教を神道追放、日本洗脳の手段として
用いたことは事実で、それゆえ皇室内でバイブルクラスが持たれたりして
いました。(昭和天皇は悩まれていたようで「天皇の国師」他に記述)

カトリックじたいの是非を、あげつらうことは出来ません。しかしながら、仏教との親和力と違い、神道とは水と油、バッティングする世界です。、
世俗的意味での融和はありますが、信仰上は相和しません。
またそれゆえ、マッカーサーが皇室と日本の国体弱体化の道具として
使ったのでしょう。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


■ 天皇陛下のご感想(新年に当たり) 「宮内庁(H27年)」より
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昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。

また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。

本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。

この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。

英文

■ 天皇誕生日の会見 - 豪雪地帯の高齢者の雪下ろしへの陛下の言及 「世に倦む日日(2014.12.24)」より
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「新聞に大きく取り上げられるような災害ではありませんが、常々心に掛かっていることとして多雪地帯での雪害による事故死があります。日本全体で昨冬の間に雪で亡くなった人の数が95人に達しています。この数値は広島市の大雨による災害や御嶽山の噴火による災害の死者数を上回っています。私自身高齢になって転びやすくなっていることを感じているものですから、高齢者の屋根の雪下ろしはいつも心配しています。高齢者の屋根の上での作業などに配慮が行き届き、高齢者が雪の多い地域でも安全に住めるような道が開けることを願ってやみません」。天皇誕生日の会見の中にこの一節があり、各局の夜のニュース番組で取り上げられた。報ステの古館伊知郎は、天皇陛下の慈悲深さに感激したコメントを発していたが、NHKは何もコメントを加えなかった。この問題は、テレビを見ながら気になっていた問題だったので、よくぞ一石を投じてくれたと天皇陛下に感謝を言いたい。この発言は、単に天皇個人の心のやさしさとか慈悲深さを表しているという問題ではなく、行政の怠慢や社会の無神経が指摘されている問題なのだ。天皇陛下は、リーダーとして社会と行政に問題提起をしているのである。これでいいのかと。つまり、豪雪地帯に住む高齢者に対する社会の酷薄と行政の無責任を批判しているのだ。このまま放置してはいけないと言い、対策を講じよと言っているのだ。
+ 続き
雪下ろしの事故死の報道を見ながら、誰も何も言わないことを異常だと思っていた。誰かが何か言わなくてはいけないはずで、対策に即刻動くべきだと言わなくてはいけなかったはずだ。NHKは、この報道を続けながら、キャスターがコメントする場面はなく、単に「気象庁では厳重に注意するよう呼びかけています」だけを言っていた。古館伊知郎は、被害に遭っている豪雪地帯の高齢者に同情する素振りを示しつつ、「皆さん、十分お気をつけ下さい」で次のニュースに移っていた。この問題を、行政が動くべき問題として捉えているマスコミはない。そういう世論も起こらない。天皇陛下と皇后陛下は、きっと皇居でテレビを見ながら、それはおかしいと感じていたはずなのだ。社会が、政府が、救済を果たすべき問題として捉え、問題解決に動くのが当然ではないかと。そして、リーダーとして代弁したのだ。私は、今回の天皇陛下の発言には、かなり皇后陛下の働きかけがあったものと推測する。皇后陛下は、常々、この国の高齢者のことについて発言していた。その証拠となる情報の断片があるはずだと思って、ネットを掻き回してみたが、検索ですぐに探し出すことができない。皇后陛下がよく言っていたのは、この国の戦後復興に尽くし、今の繁栄の基礎を築いた高齢者たちが、人生の終盤を幸福に暮らすことのできるような福祉社会であるべきだというメッセージで、今の日本はそうなってないという苦言だった。

その皇后陛下のメッセージがいつのものだったか、正確に思い出すことができない。小泉改革の「聖域なき構造改革」の弊害が言われていた頃だったか、それとももっと後の民主党政権時代の、社会保障と税に絡めたところの、現役世代重視の論議が起きたときだったか、よく覚えていない。皇后陛下は時代の変化を敏感にキャッチし、弱者となった高齢者が蔑ろにされようとしている政策思想と、それを正当化するプロパガンダを撒き散らすマスコミの論調と、それに影響されている世論状況に気づき、機会を見つけては抵抗する姿勢を示していた。高齢者福祉の理念が失われている。今の日本経済を作ってくれた高齢者に対して、感謝して福祉制度の充実で応えるという態度がなくなっている。そのことを、かなり明確な批判の言葉で皇后陛下は語っていた。嘗ては、1990年代までは、お年寄りを大切にという意識があり、身体が徐々に不自由になる高齢者に内在する視線があり、それが政策にも産業にもよく反映され、少しずつ福祉国家が充実して完成してゆく日本だったのに、それが崩れてゆき、弱者である高齢者を「お荷物なコスト」として突き放して考えるようになった時代の空気の変化に、皇后陛下は静かに不服を申し立てていた。雪下ろしの件は、本来、テレビ報道のキャスターが問題提起しなくてはいけないことで、新聞が社説で書かなくてはいけないことだ。官民が具体的な知恵を出せと。政府と産業界は何かできないのかと。

天皇陛下は、会見の中で昨冬の雪害の犠牲者の数を述べ、多くの人が雪下ろしの作業中に転落事故死している事実を指摘した。これは、当然、天皇陛下が宮内庁を通じて調べさせ、政府(警察庁)から数字を取ったものだ。豪雪地帯の集落に住む高齢者は、命がけで雪下ろしの作業をしている。不注意で屋根から滑り落ちているというのがマスコミ報道の説明の仕方だけれど、本人からすれば、ほとんど一か八かの窮地で、落ちなくてよかった、今日は命を落とさずに済んだという感覚なのに違いない。戦時中のB29の空襲と同じだ。転落死のリスクを賭けてやらざるを得ないのは、それをしないと雪で屋根が潰されて死ぬからである。そうした切実な状況が、テレビ報道からは伝わって来ない。自己責任になっている。屋根から落ちたのは本人の不注意、都会の子どもが雪下ろしを手伝ってやれ、地域で助け合え、ボランティアで何とかしろ、という含意と前提で報道をしていて、視聴者もそれで済ませている。他人事として雪国の高齢者の不幸を眺めていて、次の話題に画面が切り替わった瞬間に忘れている。本当は、行政(政府)の不作為と社会の無責任による犠牲者なのだ。孤立させられているのであり、見捨てられているのだ。それは、単に高齢者だけでなく、北陸や東北や北海道の過疎地が、その全体が見捨てられていることに他ならない。この季節、新潟や長野が大雪であればあるだけ、東京は晴れて空気が乾燥している。風もなく快晴で、家へ帰ってテレビをつけると、他人が大雪で苦しんでいる。

天皇陛下の言い方を真似すれば、新聞ではあまり大きな記事にならないが、高齢者介護で限界になった弱者の世帯で、殺人や心中が頻発している。天皇陛下ではないので、役所に数字を調べさせることができない。テレビでときどき、天気予報の前にベタ扱いで纏めて並べられるニュースの中に、この種の事件が入っているときがある。キャスターのコメントは入らない。詳しい事情は取材されない。今年、子どもを捨てて餓死させた父親の件はよく報道され、政府が子どもについては監視する素振りを示しているが、老人については全く注意が向けられていない。これらの介護がらみの悲惨な事件について、できれば記者が追跡取材して、裁判の結果を教えてもらいたいものだと思う。どんな判決が出ているのだろう。というのは、殺人で有罪にすることは難しいと思うからだ。本来なら、病院に入って、そこで臨終を迎える患者が、無理やり家に住まわされ、医師や看護師の代わりに家族が面倒を見させられている。殺害して生を終わらせ、介護を終わらせるという形にする他に、果たしてどういう選択があったのかという問題だ。これから、多くの高齢者が家族に殺される最期を迎えるのであり、介護をする家族は殺人犯になって刑務所に入る決断をしないといけない。システムとして、制度がそれを個々に要請しているのであり、一番弱くて貧しくて助けをもらえないところから、そうした悲劇に各自が身を置かなくてはいけない。介護がらみの殺人は、それが殺人であるとすれば、国家による処刑であり、家族に死刑執行をさせているのと同じだ。

「楢山節考」よりも救いのない、残酷な現代版「楢山節考」だ。おそらく、今後、司法が加害者の家族を無罪にするケースが多発するだろう。殺していいよと、無罪だよと、悪いことじゃないよと、仕方ないじゃないかと。安倍晋三は、来年度予算の編成で、社会保障について「聖域を設けない削減」を指示し、社会保障の効率化と集中をすると宣言した。「聖域なき」は小泉改革に戻るという意味であり、「集中」というのは子育て世代や現役世代のための社会保障に切り換えるという意味だ。弱者である高齢者はその対象から除外される。総選挙では争点にもならなかった。しかし、それにしても、雪下ろしロボットについて誰も論じないのはどういうことだろう。人手がないのなら、ロボットで問題解決すると、そういう考え方を誰も言わないのはどうしてだろう。昔だったら、松下や日立や東芝がすぐに開発プロジェクトを立ち上げたはずだ。そんなに難しい技術だろうか。誰かがアイディアとコンセプトを打ち上げれば、我も我もと似たようなエンジニアが参入して、そこでわいわい押しくら饅頭をしながら、いつの間にか製品が出来上がっているのが日本の製造業だった。ロボット開発がメーカーで言われるようになって、もう20年の時間は経っている。まともに人の役に立つものは何もできず、米国の軍事に活躍するものばかりが生み出された。そして、日本はこの分野で遅れをとっている。溜息が出る。介護の現場で、要介護者をよいしょと持ち上げる場面があり、腰を痛めるとか何とか言っているのを見て、どうしてこの需要に応える介護ロボットが出現しないのかと不思議に思い続けている。

日本の理工系の実力が落ちたからか。人間が変わったからか。イマジネーションがないからか。介護費用と介護報酬の問題を、ロボット技術でブレイクスルーしてやると、それが日本を救う道だと、そう一念発起する技術者や経営者が出ないのはどういうことか。経産省と厚労省と文科省がプロジェクトを立ち上げないのはどうしてなのか。提唱するリーダーが出ないのはどうしてなのか。よく分からない。おそらく、将来、日本以上の高齢化と少子化が社会を襲う中国で、介護ロボットが先に開発され大量生産されるだろ

■ かたじけなさに涙こぼるる 「BBの覚醒記録(2013.6.17)」より
(※ 詳細はブログ記事で。)
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沿道で、おびただしい日の丸がいっせいに振られる。

冒頭の典雅なる儀式に、なにゆえにか理屈にはあらず、かたじけなさに自ずと頭垂れ
涙がこぼれます。皇室は必要とは思うものの、さしたる心酔者でもないのですが・・・。

こちらが本来の皇室のお姿、佇まいです。
天照大御神、神武天皇の古来より、2千600有余年連綿と連なる
日本人の血がざわめき、また鎮まります。

日本人の心をゆすり、日ノ本の民であることを
誇りと共に自覚致します。
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畏れながら皇太子妃に即位の儀は絶対にご無理。
精神的にも物理的にも。

オランダでの儀典に際し、僅か数百グラムのティアラが重いと
忌避された皇太子妃が、なにゆえおすべらかしと十二単で、
世界の視線が一点に集る中、長い廊下を歩めましょうか。
さなきだに、神域を避ける方です。神域もあの方を穢れとして
忌むでしょう。霊的に不浄です。

皇后陛下お出ましなき式典となれば2千600年、先帝たちが繋がれてきた皇室の糸が、そこでぷつりと切れます。日本の伝統の終焉です。

それでよろしいのか。

本当にそれでよろしいのか。

国民が声上げねば政府は動かぬのかもしれません。



■ 天皇陛下は究極の「ゲートキーパー」である 「夕刻の備忘録(2012.3.6)」より

 ・陛下の命懸けの祈りの日々を少しでも知れば、ここに書いたことの意味が少しは分かって貰えるのではないか。来る11日の震災慰霊祭に向けて、手術を強行されたと聞く。僅かばかりのリハビリ期間も配慮に入れての、ギリギリの御判断であったと聞く。



■ 天皇陛下 万歳! 「飯山一郎のLittleHP(2012.2.15)」より

 ・「天皇は、常に、国民とともにあゆむ」
  この御言葉の裏の意味、即ち、今上陛下の御心は
  「天皇は、国民が死ぬときは、ともに崩(ほう)ず!」
  これを直訳すると、「天皇は、国民とともに死ぬ!」
  と、解釈申し上げるほかはない。

 ・そうして実際、今上陛下は、
  「マイコプラズマによる感染症を患い,入院を余儀なくされた…」
  と、国民に向けて御言葉を下された…。(天皇陛下お誕生日の御言葉)。
  そしてまた、今回の心筋梗塞の御症状と、18日の冠動脈バイパス手術である。
  今上陛下は、御自分の御不幸を全て御承知の上で、『東北巡幸』を執拗にお続けになっておられた…。

  「天皇は、常に、国民とともにあゆむ」
  この御言葉に、今上陛下は、徹頭徹尾、徹してこられた…。
  これほど「国民主義」に徹された天皇は、長い長い日本国の歴史のなかでも稀な御存在であられる。
  それだけに、いま、今上天皇陛下が、尚一層、おいたわしくてならない!
  こう、多くの国民が心を痛めているはずである。

  そうであるから…、
  (昔、ちゃちな軍国主義者が叫んだのとは全く違う意味で)愚生は祈りたい!
  皇居を遥拝しつつ、衷心からの祈りを捧げたい。
  「天皇陛下 万歳!」
  と。





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最終更新:2018年12月25日 15:33