※-南京虐殺なかった派の記事は ⇒ 南京大虐殺論争




■ 日本軍の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三 「逝きし世の面影(2015.12.23)」より
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1943年 中国勤務時代に内蒙古を視察、包頭(パオトオ)南方で黄河を渡る三笠宮殿下。軍による検閲で、同行者の肩章を消せとの指示が写真に書きこまれている。皇族軍人であることを秘匿するため、お印にちなんだ「若杉参謀」の偽名を使っていた(朝日新聞社)

『ネトウヨ・B層・反知性』

今の日本国で大流行している嫌韓嫌中ですが、お馬鹿なネットウヨの子供たちは中国の悪口を書く心算なら、本来なら中国語(漢字)の使用は駄目だと気が付かない。
(1970年代以降の韓国や北朝鮮ではナショナリズムが高揚した関係で、ほぼ自国語から表意文字の漢字を追放して表音文字のハングル一本にしてしまう。ところが、朝鮮語は同音異語が多い日本語と同じ構造なので人々は大いに不便をしている。無理やり漢字を追放した結果は、不便で有るばかりか子供達の知識水準も低下するが、そもそもナショナリズムとは『そのようなもの』なのです)
また、韓国の悪口の場合は文化も宗教も経済も社会も人種も、すべての面で世界中で一番『日本に近い』のが(大好きな)アメリカではなくて(大嫌いの)お隣の韓国なので困ったことに、自動的に『日本の悪口にもなる』ことに気が付かない。
汚らしい在日ヘイトスピーチのネットウヨですが、そもそも『在日』朝鮮人の全員が日本にとって他者では無くて、みんなが仲良く『帝国の臣民』だった事実に気がつかない。
安倍晋三など日本の右翼国粋主義者が大好きな(理想とする)70年前の大日本帝国にそっくりなのが実は今の北朝鮮である。うり二つ。何から何まで『同じ』なのです。(昔の大日本帝国のカリカチュアが今の北朝鮮の真の姿であると考えれば分かりやすい)北朝鮮の悪口の場合には自動的に大日本帝国に対する悪口になることに気がつかない。
日本の右翼の北朝鮮への悪口三昧ですが、これ、そのまま自分たちが褒め称える大日本帝国にもぴったりと当てはまる。嫌韓嫌中、ついでに嫌北朝鮮ですが、まさに反知性の極み。
中国が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に申請した南京大虐殺文書の記憶遺産登録に対して、我が日本国政府(安倍晋三)が南京大虐殺を真っ向から否定する『新しい歴史教科書を作る会』の札付きの歴史修正主義のお馬鹿学者高橋某ををユネスコに派遣していたことが発覚しているが、まさに国辱的『ネトウヨ・B層・反知性』の見本である。

『真っ向から否定する心算だったのに!。仕方なく南京大虐殺を「歴史の事実」と渋々認めるネトウヨ(安倍晋三)日本政府の大失敗』

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)

三笠宮は結婚70周年の2011年10月に発表した感想で「結婚の時、私は陸軍大学の学生だった。間もなく戦争となり、支那派遣軍総司令部の参謀として南京に赴任した。帰国後、大本営参謀などを務めているうちに、敗戦となった。空襲で屋敷が全焼し、経済的な労苦は大きかった」と回想している。戦後は東大でオリエント史を学び、学者の道に進んだ。生物学の研究に打ち込んだ兄の昭和天皇と似た経歴である。
問題の南京赴任時代について自著『帝国と墓と民衆』(1956年光文社)に付した「我が思い出の記」で以下のように生々しく触れている。

「わたしの信念が根底から揺り動かされたのは、じつにこの1年間であった。いわば『聖戦』というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とは思いもつかない結果を招いてしまった。
この失敗は軍および日本政府首脳に真剣な反省をうながし、新たに対華新政策なるものが決定され、わたしが南京に赴任していた1年間は、司令官以下この方針の徹底に最大の努力をした。
新政策が発表されるや、軍司令官はただちに『四悪』を禁止するという厳重な命令をくだした。四悪というのは略奪、暴行、放火、強姦のことである。ある第一線の大隊長のいうことがふるっていた。今までは敵のいた家は焼きはらって進んでいた・・。ところが放火を禁ぜられてみると、第一線がどこにいるかさっぱり分からない、と。まったく笑えないナンセンスであった。正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)





 ・ この問題は既におおよその決着がついている。
   旧陸軍将校の親睦団体「偕行社」が証言を集めた結果でさえ「数千人規模の虐殺があったことは否定できない」だった。
   残された問題は(1)被害者の規模がどのくらいか、(2)中国人が便衣(普段着)兵だった可能性、
  (3)指揮系統に基づく命令があったかどうか―などだろう。
   日中共同研究でも、規模について意見対立は残ったが、大筋で見解は一致したはずだ




○ロヴィン弁護人 更に外の部分に注意を喚起致しますが、南京に於て殺害された数は三十万となつて居りますが、私の承知して居る範囲に於きましては南京の人口は二十万であります。

○ウェップ裁判長 あなたは其の証拠を持つて居られるかも知れませぬが、今はそれを持出す時でありませぬ。

 ・そもそもこの長いやりとりは、「裁判所の証拠に対する取扱い」が主要テーマになっています。
  ロヴィン弁護人も「更に外の部分に注意を喚起致しますが」と「主要テーマ」から外れることを宣言し、ウェッ ブ裁判長も話がずれそうになったので「今はそれを持出す時ではありませぬ」と注意をした、というだけの話であるように、私には思われます
  そして弁護側も、裁判長のこのような態度に特段の異議は申立てておりません。




 ・あなたが彼らに言い負かされないよう、南京事件について歴史修正主義者と議論するときの注意点を挙げておきたい。

  南京大虐殺がなかったとして、日本が中国に侵攻した事実は帳消しになるんですか?

  南京問題を論じるときは、つねにこの「最大テーマ」から離れないこと。
  修正主義派がなぜ、中国の一都市での日本軍の振る舞いにあれほどこだわるか、底意を突き詰めるのが重要だ。

  南京を攻略した日本軍はあきらかに中央の統制から逸脱しており、さらに国連と袂を分かった日本国家自体が世界の秩序から逸脱する存在だった。
  だから、「国際的に孤立した国の軍隊が独断専行で隣国の首都を占領」と記述するだけで、大概のことはわかる。
陣中日誌とか部隊編成とか、細かい資料をもとに路地裏で議論しても、この大事実は動かせない。



■ 南京大虐殺 「ウヨ厨(ちゅう)が堪(こら)えられない世界(げんじつ)」より

 ・きな子
   あのさ、20万人しかいない所で30万人殺せるわけない とか言ってた。
 ・あずさ
   また、あの子供だましの宣伝文句ね。きな子ちゃんの生まれる前から暴かれてるのに、ホント、恥知らずなペテン師ども。
   人口20万って、南京市全体の人口じゃなく、その一部にすぎない「安全区」にいた難民の推定数なの。そもそも南京事件というのは、東京都と埼玉県を合わせたほど広い地域での何ヵ月にもわたる出来事なんだから。
犠牲者数については、日本人の手でも調査されてて、いろんな説(数万~20万)がある状況。
   それなのに多くのウヨ厨が、中国側の「30万人説」にこだわり、「30万人殺されてないから、虐殺なんてウソだ」と言い張ってるわけ。
   ただの馬鹿だから、もう相手にしなくていいわ。


■ 南京事件否定派が通州事件や済南事件で騒ぎ立てる理由 「戦争を語るブログ(2011.1.2)」より
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結局、こういうことなのだろう。

南京大虐殺の「肯定派」にとって、いまさら通州事件や済南事件のことを言われようと、別にどうということはない。それは南京事件が事実なのと同じように、他所での事実を指摘されることだし、そもそも「肯定派」が済南事件や通州事件を隠したり否定したわけではない。

肯定派(バカウヨのいう「反日左翼」)には事実が大切なのであり、日中戦争での責任論議を「日本対中国で鬼畜ぶりを比べる品評会」と捉える人など誰もいない。









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最終更新:2015年12月25日 22:32