■ 切支丹迫害のウソ 「新・心に青雲(2011.11.1)」より

 ・切支丹大名はとんでもない奴らで、火縄銃や大砲の火薬ほしさに、領民を奴隷として売り払ったのだと。
  ザビエルを筆頭に、宣教師もそうした奴隷貿易を担うためにやってきていたと。

 ・戦国時代は、まさにカネになればなんでもやる、人の命を奪うことは何の抵抗もない、そういう時代である。だから切支丹どもは、集団で、残虐な犯罪行為を行なったのであり、戦闘で捕獲した敵側の領民達を奴隷商人に売り渡すことを平気でやったのだ。
 「総数10万人と推計されているその数は、当時世界中で行なわれた奴隷貿易の過半を占めるものでした」とあるほどに、その暴虐は猖獗を極めたのだ。

 ・八切止夫はたしか10万どころか、ヨーロッパに50万人の日本人婦女子が奴隷として連れていかれたと書いていた。丸裸にされてつながれる女性たちを天正遣欧少年使節団が目撃して、「見るに耐えない」と嘆いているのだ




 ・そもそもキリスト教の日本への渡来は、天文18(1549)年にフランシスコ・デ・サビエルによって始まったものである。彼らが何をしに来たのかといえば、黄金の国ジパングをポルトガル王やローマ法王の領土にするための尖兵として来日したのである。

注) この記事を引用紹介しているブログ ⇒ さてはてメモ帳 (2011.9.29)
  大摩邇(おおまに)さんも紹介している。
  nk2nk2の日記さんも記事中で紹介。



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最終更新:2011年11月02日 21:16