福島原発事故 関連ブログ&サイト記事
■ 「福島第一よりチェルノブイリの方が良かった」泉田新潟県知事(資料) 「逝きし世の面影(2013.9.28)」より
(※ 前後略、詳細はブログ記事で)
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A 知 事
 後手後手というかその場しのぎというか、この間の海に汚染水が流れ出ている問題もそうなのですが、問題点は前から指摘されていたわけです。
それが実施できなかったのはなぜなのかと言うと、菅元総理がインタビューに答えているとおりで、経営上1,000億の投資は負担になるのでやらないということだったわけです。地下水が流れてくるということがわかっていながら地下水遮蔽対策を怠ったということですが、その原因が東電の経営問題にあるということです。
 先ほどの質問と一緒で、経営を優先して安全をないがしろにした結果がタンクの暫定設置や本来必要な汚染水対策の先送りということに繋がっていて、根は一緒なのではないでしょうか。
 チェルノブイリのときはもっとよい対応をしています。
 私は当時、旧共産圏のソ連という国は国民に情報を伝えないし、放射能が拡散しているのにも関わらず国際機関にも通知しないということで、何と情報閉鎖的で国民のことを考えないひどい国なのだろうかと思っていましたが、地下水汚染を防ぐために必死に努力していたのです。
  国中から炭坑夫を集めて、溶け落ちた燃料が地下水に接触しないように先回りして穴を掘って塞いでしまうという対応まで行っているわけです。 地下水対策をきちんとやらないと河川に流れ出てそのあと海に行ってしまいます。
それは国際的に大問題になるので何としても防がないければいけないということで、国家が総力をあげて対処したわけです
 国民に対しては、放射線管理区域は年間約5ミリシーベルトということになりますが、それを超えるところと世界標準の年間1ミリシーベルトから5ミリシーベルトの間については移住権を与え、選択肢を与えています。
  事後的に基準を緩めて放射線管理区域に人が住み続けるなどということはしないで、まじめに対応したということですから、日本と違ってかなり立派なのではないでしょうか


 ・「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)が2008年に発表した報告書では、チェルノブイリ原発事故での放射線による健康影響について、次のような記述がある。

 「20年の追跡調査の結果、青少年期の放射性ヨウ素への暴露と大量の放射線量を浴びた事故処理作業者の健康問題を除けば、重篤な健康問題を心配して生活する必要はない」

  こうした国際機関による見解を「過小評価」ととらえるベラルーシやウクライナの専門家が4月13日、大阪大学でチェルノブイリ原発事故による健康影響について講演した

 ・ステパノヴァ医師は、「福島原発事故による子どもの健康への影響はチェルノブイリ事故よりも少ないと考えられるものの、 同じく放射能リスクを負っているとみなすべき 。健康障害の予防と疾病の早期発見のために、継続した医学的観察が必要だ」と語った。

福島原発事故との比較
☆ チェルノブイリ原発事故の汚染図と日本地図を重ねたもの ⇒ 元画像
 ・昨日の記事の参考図として。-mono.
 ・関連図のあるサイト〔チェルノブイリへのかけはし〕


福島原発事故との比較
 ・下枠の「想月」さんのエントリーを見て、チェルノブイリの色分けに少しでも近づけて表示してみようと思った。正確に加工することが出来ていないので、だいたいの感じですが、下の色分け区分を参考にして見比べてください。 なお、福島の青色部分の多くの地域はチェルノブイリの黄色部分に相当しているものと思われます。



注:この色わけ区分を比較してもらえれば分かりますが、加工後の地図でさえ、福島の色分けはチェルノブイリのよりは、甘い色分けです。


どなたかが、正確な比較ができる色分け図を公開してくださることを期待します。 - mono.


■ モニタリングマップの比較 「想月(2011.5.7)」より

 ・ん? ちょっとまてよ。
この福島とチェルノブイリの地図、単位は「Bq/m2」で同じですが、色分けのスケールが違ってますね。「青」っていかにも安全な印象を与えますが、 福島の「青」は 300,000Bq/m2以下 。これは チェルノブイリの地図では無色〜黄色〜橙色 に相当します。



■ O・J・シンプソン-プルトニウムファイル、そしてチェルノブイリ極秘 「マスコミに載らない海外記事(2011.4.19)」より
【引用記事より】
 ・エミー・グッドマン: アイリーン・ウェルサムさんとお話しています。彼女の連載記事はアルバカーキ・トリビューン紙に掲載され、彼女は記事を、著書プルトニウム・ファイルズにまとめました。あなたの暴露記事はクリントン政権時代のことでしたね。クリントン大統領が放射能人体実験諮問委員会を設置し、それが放射能実験計画を徹底的に調べました。実に注目すべきことに、報告書、最終報告書は、1995年10月3日、O.J. シンプソン裁判の判決と同じ日に発表されました。結果が報道されたのを見た記憶が私はありません。

アイリーン・ウェルサム: 実に残念なことでした。アメリカでは、誰もがO.J. シンプソン問題に、気を取られていたので

エミー・グッドマン:うまくタイミングをあわせたのかも知れませんね? 毎日、皆シンプソンの判決を待っていたので、政府委員会だって、国民の注目が他を向いていたこと位は当然わかっていたでしょうから。

アイリーン・ウェルサム: それは考えていませんでした。エミーさん。それは単なる可能性ですよ。




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