+ 【図】イスラム教宗派の分布図(黄緑:スンナ(スンニ)派  緑:シーア派
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■ 世界に16億人いるイスラム教徒の約9割がスンニ派…スンニとシーアの違いを根源的に知る人が少ない 「来栖宥子★午後のアダージォ(2016.1.5)」より
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2016.1.5 05:04更新
【産経抄】歴史的合意は失敗か 1月5日
 昨年7月に発表された、イランと欧米など6カ国の「核合意」について、新聞各紙は、「歴史的な合意」ともてはやした。確かに、米国とイランが手を結ぶのは、1979年のイラン革命と米大使館人質事件以来である。
 ▼しかし、杏林大学名誉教授の田久保忠衛さんは、小紙の正論欄で、「今回の合意は、地域の安定を一層危険にする」と指摘していた。どうやら田久保さんの心配が、現実になったようだ。イスラム教スンニ派の大国、サウジアラビアの外相が3日、シーア派の大国、イランに対して、国交断絶を発表した。
 ▼サウジは前日、国内のシーア派指導者の死刑執行を明らかにしていた。これに対しイランの最高指導者ハメネイ師は、サウジ政府を激しく非難、首都テヘランでは、暴徒化した群衆が、大使館を襲撃していた。
 ▼世界に16億人いるといわれるイスラム教徒の約9割をスンニ派が占め、イラン周辺で発展したシーア派は約1割とされている。預言者ムハンマドの死後、後継者をめぐる考え方の違いから、分かれた。日本人の多くが、区別できるようになったのは、イラン革命からだろう。
 ▼周辺のスンニ派諸国、とりわけサウジは、革命の“輸出”を何より恐れた。シリアやイラクで続く内戦や混乱は、両国の「代理戦争」の様相を呈している。サウジは、イランが将来、核兵器を獲得すると信じて疑わない。平和目的とはいえ、核開発を認めた合意を面白く思うわけがない。両派の対立は、他の中東諸国にも広がろうとしている。
 ▼イラン革命を現地で見届けたイスラム学者、故・井筒俊彦さんは、「スンニとシーアの違いを根源的に知る人が少ない」と嘆いた。「調停できる人」と言い換えてもいいかもしれない。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


ISIS
★ 預言者ムハンマド「黒い旗掲げた者くる」 1400年前に「イスラム国」出現を“予言”とアラブ系メディアで話題に 「産経ニュース(2015.1.31)」より
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 【アクチャカレ(トルコ南部)=内藤泰朗】イスラム教の預言者ムハンマドが約1400年前、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」の出現を言葉で“予言”していたとして、アラブ系の大衆メディアで話題になっている。

 それによるとムハンマドは「終末の日が近くなると、東から黒い旗を掲げた者たちがやってきて、“救世主”を名乗るだろう。しかし、彼らは救世主ではない。彼らは消滅する」との内容の予言を残したという。

 イスラム教徒の有識者たちは大衆メディア上で、この「黒い旗を掲げた者たち」をイスラム国と見立てた上で「悪魔だ」とし、預言者の伝承には「それを追う者たちは地獄に落ちる」とされていると強調、イスラム国とは距離を置くよう呼びかけている。

 ムハンマドは、アラビア半島の町メッカに生まれ、イスラム教では、モーセやイエスといった預言者の系列で「最後の預言者」とされる。ムハンマドに下された啓示は後にイスラムの聖典コーランとして集成された。


中東情勢】 / 【神道
■ イスラム教のスンニー派対シーア派で世界が分裂 「ROCKWAY EXPRESS(2013.10.25)」より
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 イスラム世界がスンニー派とシーア派とに分かれていて、欧米諸国はスンニー派に肩入れする形になっているが、実はこのスンニー派こそ、アルカイダやその他の過激派の温床であり、「テロとの戦争」を公言しているアメリカの敵になるグループが属している宗派である。

 宗教上の対立というものは、信念と信念との衝突であるから、解決が困難である。しかも宗教的対立であるから、人生観や死生観の衝突であり、肉体的生命を超えさせる力があるから長期的な対立になる。

 ここで思い出すのは、日本の神道と仏教の衝突のケースであるが、日本はこの二つのいわば宗派というものの衝突をうまく乗り越えてきた歴史がある。衝突しなかったわけではないが、外国に見られるような激しい対立で多くの人間が殺され、その対立が何百年も継続する、ということがなかった。

(※ 以下詳細はブログ記事で)













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