● 哲学〔Wikipedia〕
中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作『語源誌』(羅: Etymologiae)において、哲学とは「 よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である 」と述べている。(※ 当ページは左記観点からの記事収集。)
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■ 人は人を食べるのか 「虚空と君のあいだに(2012.11.27)」より
地球という星はすごい。
まるで、すべてのことをわかってて、元に戻すかのように人間を導く。
生命の宿命ともいえる還元。
この星は、人を人の本来の形に戻すのか。

共食いをしなくなったことで増えすぎて、今、人口爆発になっている地球。
食料はなく、人で溢れ返り、「共食いをしろ」と誰かの声が聞こえ、経済は共食いを加速させている。
それでも、これ以上人口が増えたら、本当に本当の共食いしかない。

こんな状況だからこそ「共存」を私たちは見つけられるのかもしれない

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(※ 同ブログより)
■ 猿は肉を食べるのか その1

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なぜ、人間が宗教を必要としたか、理不尽な経済活動で奪い合いをするのはどうしてなのか?
全部、共食いをもうしないようにするためだったんだね。

そう考えると、幾分かはちゃんと受け入れられるところがある。
では、知って前向きな部分を、明日付けで書こうと思う。

それを読んで、共食いのことを再度考えて、悲しくなったりしてくださいな。


■ 開かれた社会という名の蜃気楼を求める人達(2011.3.1) 「全面的徹底改造計画その壱」より
 ・真に全体主義的なものとは、外にある何かなのではなく、外にある何かを問答無用に踏みにじることを正当化してやまない自身の理想主義そのものへの本質的懐疑が存在しないことなのではないかと。
  であるならば 自己懐疑のない理想主義者の願う開かれた社会とやらもまた、必然的にまた別の全体主義的なるものになるしかない に違いない。
  そうさせないために、 最初の全体主義が壊れた後、それを破滅に導いた理想主義者自身もまた、そのあとを追って自ら死に絶えるべき なのだろう。
  なのに役目を果たした後、罪ある自身もまた自決する悲壮なまでの覚悟を抱いて事に臨んでいないのだとすれば、やはり、奴らは人間としてまずもって小利口なだけの馬鹿なのだと想う。
   小賢しいユダ公どもめ




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