■ 私達日本人は、支那・朝鮮人に比べると、とても幸せな民族である 「qazx(2016.11.8)」より
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ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集qazx

歴史年表で、支那について「隋、唐、宋、元、明、清」などとあるのは、日本の時代区分「奈良・平安・鎌倉・室町・安土・桃山・江戸」と似ています。

日本での時代区分は、政権の所在地が変わったことを示すものです。

しかし、支那で隋、唐、宋、元、明、清が意味するのは、支配民族がかわったことを示しているのです。

鮮卑(隋・唐)、漢(宋)、蒙古(元)、漢(明)、女真(清)へと支配民族が替わっている。

ーー

日本人は異民族による支配が歴史上一度もなかったので、異民族支配がどのようなものか理解出来ない。

私達日本人は2700年もの間、もしかすると約2万年前の縄文時代から、ずっといまの国のカタチを保ち続けているからです。

ーー具体的に申します。

1995年、朝鮮系教団が、東京の空にサリンを散布しようとした。

サリンは猛毒でドラム缶1本は100万人分の致死量です。
教団は、そのドラム缶を、700本も備蓄していた。
そしてサリンの空中散布用にソ連製のヘリも準備していた。

教団は、警察や自衛隊による反撃を防ぐために、その指揮官となるべき人が通勤に使用する地下鉄を調べ、その地下鉄内でサリンを散布します。

地下鉄サリン事件は、教団に強制捜査や教団を武力制圧できる権限を持った特定の人物を狙った犯行だった。

そしてその上で東京の空にサリンを散布し、行政機構等を制圧して、教祖・麻原を頂点とする新国家建設を行おうとしていました。

教団の作戦が成功していれば、日本は麻原王国となり、生き残った日本人は、全員、教団の奴隷に成ることを強制されていたことでしょう。

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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教団がやろうとしていた「日本人抹殺作戦」は、まさに「日本人の想像力」を越えています。

なぜなら、かつて日本の歴史にはこんな例は無かったからなのです。

ところが、「日本人虐殺」は、大陸や半島では何度も繰り返されてきた。

日清戦争の際に清國軍の捕虜になった日本人が受けた仕打ち
終戦後の復員の際に大陸や半島で日本人が受けた仕打ちです。

ーー

その代表例が「通州事件」です。

「通州事件」は、1937(昭和12)年7月29日に、北京東方の通州市で日本人居留民約250人が、かつて日本の歴史では考えられなかったような残虐かつ猟奇的に惨殺された事件です。

この事件を、通州市で起きた「特異な事件」と考えることは間違いです。

なぜなら通州事件は、通州だけで単発で起きた事件ではなく、天津、豊台、廊坊、順義、塘沽、軍糧城で同時多発テロのなかのひとつとして起きた事件だからです。

通州だけが、酷いことになったのは、たまたまそこにいた日本軍が不在で留守だったからでした。

他は、日本軍が応戦して賊を撃退したから惨劇を免れたのです。

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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私達日本人は、支那・朝鮮人に比べると、とても幸せな民族であったし、今もそうです。

そしてその幸せは、なぜ、実現されたのか。

例えば年金が少ない、医療費が高い、学費が高いと嘆く人たちに、それでは支那・朝鮮ではどうなのかと聞いてみるべきなのです。

あるいは日本と比べれば悲惨極まりない支那・朝鮮の現状を話して感想を聞く手もあるでしょう。

支那・朝鮮では軍や警官や官僚が泥棒だという事実を知るだけで、日本に生まれたことを感謝するはずです。

お互いが信頼して生活できる環境は恐らく日本にしか存在しないのです。

このお互いが信頼しあえる環境は、我々が作り上げたものではなく、縄文以来の先人が築き上げ維持してきた貴重な遺産なのです。

私たち日本人はこの貴重な遺産を子孫に伝えていかなくてはなりません。

そして、私たちはいま、その有り難さを、あらためて考えるべきときにきているのです。


■ 『国際情勢の分析と予測』のコメント欄より
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大日本帝国と国際金融資本をぶつけてにほん人の世が現れる。 (バアルのような者)
2016-09-09 21:52:04
大ニッポン帝国(とその亡命政権である北朝鮮)が国際金融資本を倒す。しかしその代償はそこそこあるので、日本ではにほん人が台頭する。
にほん人はもともと温和でユルいから、台頭しても、もとニッポン人だろうと、もとユダ金だろうと分け隔てなく仲間として接する。
互いの対立を昇華してそれぞれがいきいきとそれぞれの能力を良い社会を構築すると言う方向で一致させて発揮させる。

なお、にほん人はもともと神国日本の原住民であり、圧倒的多数派である。彼ら(自分もにほん人だが)は寛容を良しとするため、なんでもかんでも良いものは取り込む。
彼らの食事は和食もたまには食うが、基本的になんでも食い、特にカレーやラーメンやハンバーグを好む。
神国であり、天皇が天照の子孫であるのと全く同等に、自分たちは氏神の子孫であると知っているから、渡来人主体の血縁であるニッポン人と異なり天皇に対して極端な盲信はしないが、そこそこの敬意は払っている。
難しい事はこれぐらいにして、簡単に言うとガミガミうるさくなくて、まっ、良いんじゃねとよく言うユルい日本人こそ原住民の「にほん人」です。
きっと正式な名前もあってなんと言うのか知らないが、半濁や促音付けて活用するのは如何にも大陸言語っぽいが、それも含めてハーコーなにほん人はニッポン人でも良いんじゃね?と軽く流します。


■ 日本人は第3の道をゆく 「あるウソつきのブログ(2016.3.16)」より
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【DO】米国や中華系の利益至上主義に日本人はどうすれば勝てるのか
http://diamond.jp/articles/-/87972

 記事の結論より何より、マレーシア在住の上記記事の筆者の知人の体験談に、戦慄と衝撃を禁じ得ない。

その夫婦には5歳になる娘さんがいる。娘さんは現地の幼稚園に通っていて(中略)
 先日、娘さんのお友達数人を家に呼んで、皆でクッキーを焼いたのだそうだ。おいしそうなクッキーがたくさんできたので、そこにいるお友達だけではなく、幼稚園の先生にも分けてあげようと、先生たちに渡すためのクッキーを袋に詰めていたところ、中華系の女の子がこう言ったという。

「私ね。このクッキー、美味しそうにできたらから、先生に売ってくる!」 (中略)

 そのクッキーは、日本人のお母さんが、子供たちにお菓子作りの楽しさを教えてあげようとして開いた「ホームクッキングスクール」だった。材料から何から、彼女が全部自腹で用意してあげたものだ。
 そうやって作ったクッキーを先生に売るというのをお母さんが聞いたときには、さすがに、それは冗談だろうし、親がそんなことさせるわけないだろうと、思っていた。だが、なんとその子は翌日、本当に先生たちにクッキーを売りに行って「こんなにもらったあ」とお金を皆にみせていたというのだ。

 その子のご両親は中華系マレー人で、両方ともデザイン系の会社に勤めているそうで、ごく普通の(でもマレーシアの中ではちょっと裕福な)家庭だそうだ。(中略)

 筆者は中華系の同僚数人に、この出来事を話してコメントを聞いた。すると、ほとんどの同僚は「うん。いいんじゃない?何が悪いの?」というコメントを返してきた。

 正直、すごい人種としての断絶を感じる。
 結局、この記事の筆者は、「こんなメンタルの日本人を除くグローバルな人々に、日本人はどう勝てばいいのか」という話の結論として

したがって、日本が進むべき道は、「中華、米国流の商売中心、コミュニティ無視」によって、グローバル化での競争力を身につけるか、「新しいコミュニティ構築による新日本型経営」の道を進むかである。

 と語っている。でもって、後者の方は難しいだろうという話をして、このエントリは「次回に続く」となっている。

 今、海外に紹介される「日本の生活風景」の動画を見た「外国人の反応」シリーズって、日本国内で微妙に流行っているように思うけど。それが何故なのか、よくわかる話である。

 俺が不思議に思うのは、なぜ、この手の日本人がこーゆーアメリカやら中国と同じ土俵で勝負しようとするのかという事だ。

 正直、米中の利益至上主義と同じ土俵に立った場合、日本には勝ち目がないと思う。
 さらに言えば。利益至上主義に立脚した瞬間、日本人の美点とかの優位な点がスポイルされてしまうと思う。あ。スポイルってのは「台無し」って事ね。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


■ 警戒せよ、日本人! 「新・ボヤッキーでトンズラーな日記(2015.8.25)」より
(※mono.--前中後略、詳細はブログ記事で)
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そして昨日の国会ではこんなやりとりもあったのだとか。

朝鮮半島有事に自衛隊派兵せず 首相「憲法上できない」

安倍晋三首相は24日の参院予算委員会で、朝鮮半島有事を念頭に、日本が北朝鮮や韓国の領域内で集団的自衛権を行使して戦闘に参加することは憲法上できないとの見解を示した。「他国の領土内で行われていることへの自衛隊派遣は海外派兵に当たるからできない」と述べた。安全保障関連法案が成立しても、半島有事での自衛隊の活動は原則、公海上での後方支援や米艦防護などに限られるとの考えを重ねて示したものだ。

この「朝鮮半島有事の際に自衛隊は派遣しない」事に、民主党議員がかなり噛み付いていたそうで。

しかもソイツ曰く

「憲法で派遣出来る!」

と主張していたそうで。

あれぇ?

民主党は「海外派兵は憲法違反だ!」と常々主張していたハズですけどねえ。

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一日でこんなに爆発が起きるなんて、余りにも不自然過ぎると思いませんか?

しかもこれらは全て神奈川県内!

神奈川県と言えば、公務員に朝鮮人を採用し、朝鮮学校への補助金をいまだに行っている「親韓派」の代表みたいな県。

そこでこんな爆発が立て続けに起こったのは果たして偶然でしょうかねえ?

私は、以前から余命さんところが指摘していたように、いよいよ「半島人による工作活動」が始まったんじゃないかと推測していますが。


■ 自然災害。焼け野原。それでも「必ず蘇る」のが日本人気質 「DARKNESS(2015.5.9)」より
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2015年4月25日11時56分、ネパール中部でマグニチュード7.8の巨大地震が起きて、今も復旧が続けられているが、この地震によって動いたのはユーラシア・プレートであると言われている。

ユーラシア・プレートの東側には日本がある。日本も地殻変動の何らかの影響を受けてもおかしくない。現に、箱根も異常な動きを見せている。

日本は災害列島だ。毎年、巨大台風に見舞われる。大地震は必ず来る。大規模な火山も必ず起きる。これほど災害が次から次へと襲いかかって来る国も珍しい。

だから日本人は「災害慣れ」せざるを得ない。アメリカ人のように震度3程度の地震でパニックになっていたら暮らせない。

2011年3月11日の東日本大震災は、もし大津波がなくて地震だけであれば、2万人が死ぬような大惨事にならなかったのは確かだ。津波が2万人を殺した。

普通の国では広範囲に渡って街が破壊され、一気に2万人もの人たちが死ぬような巨大災害に襲われたら、それこそ社会不安が全土を覆って破滅的な事態になってもおかしくない。

(※mono.--以下副題のみ転記)

  • どんなに時間がかかっても、日本人はあきらめない
  • 最も得意としているのは、勝つことではない
  • より強くなって復活する「気質」を持っている

普通に考えるのであれば、自然災害のない国の方が長い歴史を保っているはずだ。しかし、巨大台風から壊滅的な大地震まで、次から次へと災害に見舞われる日本が、「よりによって」長い歴史を持っている。


■ 日本人の知能劣化と右翼化 - 価値生産できない無能な貴族社会の結末 「世に倦む日日(2015.4.7)」より / 魚拓
(※mono.--前半は大幅に略、詳細はブログ記事で)
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週刊ポストの記事を見ると、2010年のデータだが、ハーバードの日本人留学生数は韓国人の8分の1、中国人の7分の1なのだそうだ。OECDによる2010年のPISA(学習達成度調査)ランキングの「読解力」で、上海が1位、韓国が2位、日本は9位とある。2013年のPISAでは成績を上げたが、ゆとり教育の弊害が甚だしいと言われている。少し前、日本の若者は内向きでよくないから、もっと積極的に海外留学をめざせと発破をかけるマスコミ報道が多かった。最近は、あまりこのキャンペーンを聞かない。私の仮説を言えば、意欲やマインドの問題ではなくて、きっと学力と努力の問題なのだろう。
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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マルクスの労働価値説に依拠して考えれば、各国のGDP値の現在や将来についても、最終的に、各国民経済の労働生産物の価値総和の実体として捉え、意味了解することができる。労働者の生産する価値は、全世界共通の測定器でフラットに比較され、数値で序列がつけられてしまう。単純化して言えば、勤勉で優秀で能力のある労働者が価値生産すれば、一人当たりのGDP値は大きくなるし、そうでなければ値は小さくなるだろう。日本の一人当たりのGDP値が世界の中でランキングを落とし、5年後には韓国に追い抜かれるのは、基本的にそうした労働者の資質と価値生産力の反映だと考えるのが妥当なのだ。資源のない国で、基軸通貨国でもない国で、普通科の高校2年生が1日に70分しか勉強していないのに、そんな国が先進国水準の生産と消費の経済サイズを持とうというのが、そもそも最初から前提が間違っている。考えが甘すぎる。日本人は劣化を続けている。右翼化は劣化とパラレルな政治の現象形態だ。価値の生産は、謙虚で努力する人間でないとできない。相手を尊重し、敬い、理解し、客観的で合理的な認識をベースにできる人間でないと、設計開発にせよ、製造管理せよ、マーケティングにせよ、クオリティの高い労働と共同をすることはできない。人格は、能力の基礎となるものだ。日本人はそこが劣化し、幼稚化している。

貴族には社会に対する責任感がなく、労働と生産ができない。頽廃と堕落だけ、自愛と攻撃だけだ。



■ 日本を日本人のための国に 「浮世風呂(2014.12.18)」より
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日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。

昭和30年(1955年)、アジア・アフリカ二十九カ国が集まり、バンドン会議が開催されました。日本は招待されました。敗戦後間もない日本でしたから慎重論が多かったのですが、高崎達之助経済審議庁長官や外務省参与の加瀬俊一氏らが出席しました。加瀬氏は日本はいいこともしたけど、わるいことをしなかったわけじゃないので、あまり気が進まなかったと回想しています。ところが、日本は大歓迎を受けました。

「よくきてくれた!」
「日本のおかげだ!」
「日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった!」
「大東亜共同宣言がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた」
「アジア民族のために日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く」

平成17年(2005年)、バンドン会議50周年を記念して開かれたアジア・アフリカ会議・小泉首相(当時)は次のように演説しました。
「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」・・・まったく的外れな演説をしたものです。

平成4年(1992年)10/14 香港にて マレーシア マハティール首相のスピーチの一部
「東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう」

このマハティール首相の演説は暗に大東亜戦争のことも含まれています。この演説を聞いた白人は怒って席を立ち会場を出て行った人もいたといいます。
マハティール首相は「ルック・イースト」政策(日本を見習え)を実施し、東アジア経済会議(EAEC)を提唱しており、この「日本なかりせば」演説はアメリカをを警戒させました。クリントンの圧力によって河野洋平が走り回り、「白人も華僑も入れよ」などとほざきました。

平成6年(1994年)にマレーシアに訪問した村山富市首相(当時)、土井たか子衆院議長(当時)は型どおり謝罪するとマハティール首相はこう述べました。

「日本が五十年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ」
「日本に対して今さら戦後賠償を求めるようなことは、わがマレーシア国民にはさせない」

このマハティール首相の言葉に村山総理は何の言葉も返せませんでした。しかも村山総理はシンガポールで華僑ゲリラの慰霊碑に謝罪を述べています。死者に対して慰霊するのは構いませんが、違法であるゲリラに謝罪するなどキチガイ行為です。東南アジアは華僑を追い出すのに多大な苦労してきており、ゴキブリのように侵入してくる華僑をブロックしたい思いがあります。

マハティール氏
「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」

麻生元総理は日本がリーダーシップをとる「自由と繁栄の弧」を主張しました。ところが、3年前半の政権交代で鳩山総理(当時)はシナ様を盟主とする東アジア共同体構想を出してきました。小沢幹事長(当時)が人民解放軍野戦司令官になるというのですって???

「ルック・イースト」政策から30年。もはやマレーシアでは日本から学ぶものは「先端技術」のみであるという声さえ聞かれます。昨年末、新政権が誕生し、日本は新たな門出を迎えました。再び立ち上げれ、ニッポン!

参考サイト
「日本なかりせば」演説
http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/maha.htm
WikiPedia「マハティール・ビン・モハマド」

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)

■ 日本人には意思(Will)が無い? 「ハッピー(2012.6.16)」より
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寺嶋眞一名誉教授からコメントを頂いた。私は個人的に寺嶋教授を存じ上げないが(以前もコメントを頂いたことがある)彼のコメントに記載されている寺嶋教授のブログアドレスの記事がちょっと面白いのでここで紹介したい。

タイトルは

日本人のこと
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
である。

寺嶋教授は、日本語には未来時制がない。従って未来を語ることができない。未来を語ることができないので思考も存在しない。思考は存在しないが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。と言っている。

未来が語れないので、何事も場当たり的にしか対応できない。未来に対するビジョンが欠落している。

未来や思考が存在しないというのはこう言うことであると例をあげている。
(※ 中略)
/
確かにその通りかもしれない。
未来を語る言葉が無いと言うことは、現実を構築する力が無いと言うことである。そうなれば、物事に対する行動はすべて場当たり的になる。
彼はこのことをこう言っている。

”「そのうち何とかなるだろう」というその日暮し”

考えてみよう。今の政治はまさにその通りである。
例えば、原発の問題はどうだろうか?野田首相は、大飯原発の安全性は確保された。国民の生活を守るために再稼働すると宣言した。
その前に議論は尽くされたか?
その前に原発をどうする。将来のエネルギービジョンをどうするということは示されたか?
答えは。否。である。

日本語は議論になじまないと言われる。果たして、今回も議論は成り立たない。電力は足りるとか、代替エネルギーで賄えるとかいう情報があっても議論は成立しない。原発がいかに危険であるかといった科学的根拠根拠が示されても議論は成り立たない。
議論は無い。それは前提が再稼働であるからだ。原発に限らず、日本社会では会議を行う前に結論は決まっている。根回し、談合、腹芸で物事は決まって行く。
科学的根拠など関係無いのだ。
現に、今回の原発の再稼働は、科学的根拠ではなく、経済優先の議論なしのなし崩し的政治決断である。ここには脅迫というおどしもついている。
未来のビジョンなど関係無い。今どうするかが問題で、未来のことはいつでも先送りなので、結局、未来が語られることはない。
このように、自分達の現実を構築できないというのは、国家として致命傷的である。
そして、議論が成り立たないということは、日本はお上(政府)が決めたことが反対してもそのまま履行されるという民主主義的体制を取りながら、実は独裁国家なのではないかと思うくらいである。
結果、国民の大半が”おかしいな”と思うことが目の前で次々と決定され、実行されていく。そして、善良な庶民は、無力感を感じながらそれに従う。

日本人は、KY(空気を読む)人種である。これを寺嶋教授は、アニマル的だと言う。
将来的にどうすればよいとかいう理性的な問題で物事が話合われたり、決定して行くのではない。その場の空気とか雰囲気で物事が決まって行く。雰囲気に合わない意見や言動があるとそれこそKY(空気が読めない奴)と言われ排除される。
これは幻想である。日本人はバーチャル(仮想現実)で生きている。

そうか、日本人には意思(Will)が無いのか・・・。このことを理解するには世界の知識階級の言語である英語をやはりマスターする必要がありそうだ。改めて認識した。
寺嶋教授のこの文章。非常に長いのであるが、一読して見る価値はある。読んでみてください。

日本人のこと
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
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SHIN-ICHI TERASHIMA'S HOMEPAGE
■ 日本人のこと 「ブログ人(2012.3.2)」より
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今の地球は英米の世の中であります。だから、我が国には開国が必要です。
我が国の第一回目の開国は、明治維新の時でありました。これにより、我が国民は外国との往来が可能になりました。第二の開国は、敗戦後でありました。我が国民は、社会の枠組みである従来の序列制度に疑念を抱くようになりました。だが、我が国には、さらに第三の開国が必要であります。今回の開国は、アングロ・サクソンの考え方を理解するとともに、日本人の考え方のつたなさを自覚することであります。さすれば我が国は、国際社会において蚊帳の外に立つこともなく、世界を指導する国にもなれます。
(※ 中略)
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日本人は過去のことと、未来のことは真面目には考えられません。時制がないので、地獄も極楽もまともには考えられていない。
日本語で考える刹那は永遠のごとく見えていますので、我らは次元の異なる世界に飛び移るとはとても考えることができなのでしょう。
過去の事実を過去の出来事として語ることはできない。「出た出た月が」といったように、過去の事実をあたかも目の前の出来事のように語らなくてはならない。
歴史的に見れば侵略戦争は世界中で行われていたのですが、そうした過去の事実を現在とは次元の違う過去のものと考えることは、日本人にとって非常に難しいようです。
今も昔も、日本人はナウな感じのする今様の人間です。このような精神状態では、温故知新もままならないです。
日本人は、フィクション (虚構) とノンフィクション (記録) の区別にも親しみがないようです。
事実と虚構の区別をつけないで文章を書くと、歴史小説や週刊誌の記事のような内容になります。
もしも週刊誌の記事に他人の名誉を汚す内容が書かれていたとしたら、そのようなことは歴史小説にあっても当然行われていることであります。
事実と虚構の区別をつけないで考える人には、現実直視も難しく、また哲学を考えることも難しい。それで、無哲学・能天気の人となる。
負け戦も勝ち戦に見えてくる。「、、、、だろう。 、、、、だろう」と絶えず推測の上に推測を重ねて、確かな内容がまとまらない。
こうした情況から抜け出せないでいるわが身を「だって、本当にそう思っていたのだから、仕方がないだろう」と言い訳する。そして、何事も起こらない。ああ空しい。

日本語を話す日本人にとって天皇制の廃止は容易ではないでしょうね。
それは、日本人が序列社会に住む序列人間だからです。
私は、天皇制の廃止を願うものではありません。それは、我が国にもう一つ世界文化遺産が存在するようなものだと考えております。
日本人の迷いを天皇制に帰すのは、考えの拙さから来るものと考えられます。

日本語には人称 (person) がなく、日本人には自己 (第一人称) がありません。
動詞は、’love’ (愛する)、’loves’ (愛する) と人称変化を示すことはありません。
日本人の自己 (self) は「わたくし」、「わたし」、「わし」などとあくまでも情況次第 (situational) で変化します。
だがしかし、全ての日本人は、天皇陛下の前では「わし」ではなくて「わたくし」である。天皇は、我が国においての人間序列の最高位です。
(※ 中略)
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英米人の意思や強い意思の内容が、日本人に感動を与えないのは、日本語脳では、その解釈を飽くまで現実においているので「そんなことを言ってもだめだぞ。現実はそのようにはなっていない」と反論する構えである。このように現実以外には考えるものが何もないと確信すると、その人は閉塞感に襲われる。「今ある姿」の世界に入り浸っている日本人には、この閉塞タイプが多い。
英語は日本語と対応していない。これが、英文和訳による文化輸入の限界である。全てを訳し尽くしても何かがおかしい。
時制ある英語を時制のない日本語に直してもその意味は通じないが、そうしたことをよそに、訳者たちはかっこいい意訳や自分勝手な解釈を競っている。そのため、意訳は異訳・違訳に繋がる危険が多い。

「日本語の中に英語に対応する言葉があるということは、日本人が英語の意味を理解しているからである」という人がいる。だが、この内容は本当でないようだ。「適当にやれ」は、「不適当でもかまわない」と理解されたりもするからである。リーズン (理性・理由・適当) の概念がないということは、リーズナブルな (理性ある・理由になる・適当な) 判断ができないということである。

日本人は未来に関する不安を拭い去ることは出来ない。それは、日本語には未来構文がなく、未来の内容が存在しないからであります。
未来の内容が無ければ、それを考えて語ることもできないし、それらを比較して自己の未来を選ぶことも、決めることも出来ません。
だから、日本人は、未来の内容に力を結集して努力を積み重ねることが難しい。
この国には何でもあるが、ただ夢と希望だけが見当たりません。「そのうち何とかなるだろう」というその日暮しの有様が不安を呼び起こします。
(※ 中略)
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(3) 日本人に自主・独立は、難しい。
意思の内容に関する文章を作らない日本人は、優柔不断・意思薄弱にみられます。
昔の軍部も、今の官僚も、政治指導者自身も、責任者の意思が大切であるとは考えていません。
それで、意思を鮮明にする必要のない当番・お役目気風の官僚に国の政治がゆだねられています。
未来構文の主語が第一人称である場合に、本人の意思を表します。
意思 (will) は、未来構文 (未来時制) の内容です。
だがしかし、日本語には時制 (tense) がないので、未来構文はありません。
人称がないので、第一人称の主語もありません。
それで、日本人には意思がない。
(※ 後略)

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■ Japanese mentality 「ブログ人(2012.3.2)」より
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日本語には未来時制がない。
日本人は理想の世界 (未来の世界) を脳裏に保持できない。
だから、日本人の現実対応策も場当たり的なものになる。
我が国は時流に流されて迷走する。

意思は未来時制の内容である。
意思がなければ、自由の意味も失われる。
‘不自由を常と思えば不足なし’ と考えられる。

意思の存在が公認されないのであれば、個人選びが社会の意思選びにつながることもない。
意思がなければ責任もない。とかく、この世は無責任。
個人は選出されても、社会の意思決定は難渋する。
意思の疎通を欠き、以心伝心がはやる。
烏合の衆の民主主義は形骸化している。

現在時制に見合った実況放送・現状報告の内容のみを頭の中に詰め込んでいる。
いわゆる物知りの人物が ‘待ちの政治’ を行っている。
意思がなければ初動の動作に遅れる。意思薄弱ということか。
次から次へと ‘無能’ 呼ばわりをされる政治家が出る。
意思の人は議会を好む。意見交換の機会を得られるからである。
意思 (成案) は文章になる。公の場でその矛盾も明らかにされる。
恣意の人は談合を好む。腹の探りあいの機会を得ようとする。
恣意 (腹案) は文章にならない。批判はできない。子供、アニマルと同じ状態である。
日本人が無口で微笑む態度をとり続けるのは一種の自閉症か。
この閉塞状態を打開する為には、英語の習得が良い。
今日の地球は、大人の世界である。
子供にも理解できる漫画・アニメの世界には限界がある。
英米流の高等教育は、この限界を乗り越える有力な手段となる可能性がある。

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■ 知的水準の違い 「ブログ人(2012.3.1)」より
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<>今回の報告の対象外となっている、当事者能力ゼロの頭狂電力、全力をあげてバックアップすべき各省庁の他人事意識、議事録一つとっても、他省庁がやると思うていたとか、訓練では議事録は作らんかったとか、いやぁ、やっぱり関係者全ての無能力さが全てですなぁ。

日本人には意思がない。意思のあるところに方法がある。方法がなければ無能力。

<> それも、並みの無能力ではなく、徹底的な無能力なのでござりますからなぁ。

意思がなければ責任もない。罪もない。子供・アニマルと同じ。
意思を表明すれば当事者となる。意思を表明しなければ傍観者となる。
実況放送・現状報告の内容だけでは責任者は出ない。この国がひっくり返った時もそうであった。
とかく、この世は無責任。

<> ワタシは「ミッドウェー海戦」を思い出しましたがな。この大敗北は、いろいろ分析され、語られてはいるが、ヒトは、日本人は何~んにも変わっておらんのですなぁ。

日本語に過去時制がないから、日本人は過去の内容から学ぶことはできない。
現在時制の文章に過去の事実を盛り込めは、その内容は素早く風化する。

<> 今回の地震&津波&原発事故対応は、ミッドウェーと全く同じですがな。日本人は、いつまでたっても変わらんようでござります。

そうですね。歌詠みの習慣は変わらない。日本語脳も変わらない。

<> これからも変わらんでありましょう。

本人の自覚によりますね。教育の問題です。


<> しかし、変わらんのはワタシだけではないことが証明され、ワタシは安心しておりまするよ。

世の中は、みんなで渡れば怖くない。玉砕精神のようなものか


ーーーーーーーーーー
■ <>寺嶋眞一さんへ 「るいネット(05/03/01)」より
(※ 前略)
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さらに言えば、深くものを考えること自体が、日本語の原則に反する使用法であるとも考えられます。(82285) プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)が『ものを考えない、考えられない』理由は、その考えの内容が日本語の構造を超えた異次元の世界にあるからです。つまり、現実の上に加えられた個人の見方が現実構文の内容に入りますので、日本語を使って形而上の内容を語ることは、搭載能力を超えた負荷を言語にかけることになります。私が佐藤さんにもわかるようにこうした内容を解説することは、非常に困難なことです。日本語同士で話し合うと馬が合うというのでは、混乱と馴れ合いの内向き思考になります。未来への発展にも海外との連携にもつながりません。そして、その問題解決にもつながらないことが、閉塞感を招きます。日本語の世界に閉じ込められて歴史は繰り返すということになるのでしょう。

これから先は余談になりますが、メンタリティの問題は、外国人の考察の対象ともなっています。マブバニ博士 (Kishore Mahbubani Ph.D.) は、シンガポールの国連大使でありますが、彼は1998年に「アジア人は考えることができるか」(Can Asians think?; 1998, Times Books International) という英文のエッセイ集を著しました。アジア人は考えられるか、考えられないかの問題について、過去数世紀のアジアの記録から判断すると答えはNO、よくても非常に良くはない、でありました。私は、アジアの言語として日本語以外は知りませんが、彼の指摘する現象は、国際的にも興味を引くものであることが考えられます。おそらくアジア言語の構造に起因するものでしょう。



※ それにしても、これらの文章はすべて日本語で表記されている。深い思考が出来ないというなら、書くだけ無駄な文章ということにならないか?日本語の原則に反するなら、深くものを考えての結果としての文章ではない、ということになるが。これらの文章も場当たりな文章と判断させていただく。


■ 戦後の日本人が取り戻そうとしている5つの重大なものとは 「Darkness(2013.8.12)」より
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日本の戦国時代、あるいは戦前の軍国時代を見ても分かる通り、日本人は本来は闘争心の溢れた国民だった。日本人はサムライの民族だった。

日本人は礼儀正しいというのが、その根底には「礼儀正しくしなければ死ぬ」という緊張感があったからだ。無礼は文字通り、刀で斬り捨て御免される時代だったのだ。

だから、互いに礼儀正しくすることによって無用な争いを避けていた。相手が礼儀正しくしていれば、こちらも礼を尽くす。自分が非礼であれば、相手に叩き斬られる覚悟を持つ。

そういった社会が日本に浸透しており、それが日本人の特質として明治の軍人社会に継承された。

しかし、1945年8月15日の無条件降伏によって日本は世界から「牙」を抜かれた。多くの国が当たり前のように持っている軍隊ですら、日本人は持たされなかった。

そして、日本人に植え付けられたのは、底なしの平和主義だったのだ。それも、普通の平和主義ではない。「自虐的平和主義」だったのだ。

さらに、礼儀正しさは、ただの卑屈にすり替えられた。
(※ 以下略、詳細はブログ記事で)

★ 日本人の『絆』に全米が大絶賛!88800超のいいね!を獲得 「Infoseek ニュース(2013.7.25)」より
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日本でも話題になったこちらのニュースが世界中で話題を呼んでいる。プラットフォームに誤って滑り落ちてしまった女性を助けるべく 32トンもある車体を駅員の指示の元乗客一丸となって傾け救助したものだ。今日暗く、思わず耳を疑ってしまうようなニュースばかりが溢れているがこのニュースを聞いて心が温かくなった人も多いのではないだろうか。今回はこのニュースを耳にした世界中の人達の反応に注目し紹介してみたい。
(※ 後略)

  • 日本人から学ばなくてはいけない
  • インド中にこの記事を送ってくれ!
  • 日本人はいつも日本人なんだ!
  • これは世界中の人達へのお手本だ
  • 凄い!一気に全てのヒーロー達が集結したような話だ!
  • こういう時の相撲レスラーだろ?相撲レスラーはどこだ?!日本人はいつも他人を気に掛ける事が出来るんだ
  • だから日本って世界のトップにいるのね?
  • 同じことがウォタールー(カナダの田舎)でもあったよ。信じられないことに落ちてしまった人を皆新聞紙で頭を叩いて責めたんだ。駅員は何度も何度も乗客に降りるように指示しなくちゃいけなかった。何度もだ。でも乗客たちは口を揃えて「こんな事になったには 私の責任ではないけれど?!」と不平だらけだったんだ。全くこんなコミュニティーは大嫌いだ。
  • メモの用意だ!これこそ僕たちが見習わなければならない姿なんだから


■ 無責任な社会の中でも無責任になれないのが日本人の気質だ 「Darkness(2013.7.18)」より
(※ 前後略)
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つまり、世の中は、約束が守られたり、契約が重視される国が少なく、約束も信用も何ら意味を持たない社会のほうが圧倒的多数である。
もっと分かりやすく言うと、日本人の持つ、約束厳守、信頼第一、責任重視を当たり前だと思う社会や民族は、世界でも希有な文化であると言えるのだ。
日本人の当たり前は、当たり前ではないのである。
日本を飛び出した人の多くはそれを実感する。ビジネスで関わった人は、みんな約束や契約の不履行で、悩みに悩み抜いて生きている。
そして、そんな途上国から日本に戻ってくると、約束を当たり前に守り、責任感も強い日本人に、同じ日本人でも感嘆を隠せなくなる。
そのとき初めて「日本社会は世界でも異質だったのだ」と気が付く人も多い。
日本人が空気のように当たり前だと思って気が付いていない、日本人気質の美しさに気が付くのだ。
その異質さは、日本人の持つ一般的な性格や気質が作り出しているのは明白で、取り上げるとキリがないほどだ。

■ 尻に火がついても我慢する日本人 いつ熱いと感じ、何年後に水に飛びこむか 「世相を斬る あいば達也(2013.6.26)」より
(※ 前略)
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日本人は、火の中に入れられても逃げず騒がず、ジッと我慢に我慢を重ね、死ぬに違いない、と気づいてから騒ぎだす民族なのだと思う。ゆえに、反応が半年から数年かかるのである。これだけは、太鼓を叩こうが笛を吹こうが、この習性を早めさせる手立てにはならない。
(※ 中略)
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ただ、実際問題として、日本人の多くは、国家の課題に直面しても、その問題が、どのような形で、自分達に影響が及ぶのかをイメージする思考に欠けているので、痛みの事実をハッキリと体感するまで、大きく動くことはないだろう。つまり、考えようとしないと云うより、考えても、未だ体感していない事に思いを馳せる資質がないのだろう。この歴史的に培われた民族の性癖のようなものは、容易に覆すことは難しそうな感じだ。


「フリーライター宮島理のプチ論壇」より 】  ★★


 ・日本人は何も変わっていない。無定見に「正義」を着替え、いかなる「正義」にも便乗しない者を絶えず感情的に攻撃する。

 ・戦後になって、軍部や右翼に同調していた「世論」は、一転して軍部と右翼を叩き、「民主主義者」となり「平和主義者」となった。明治憲法は当然改正されるべきだということになり、天皇機関説により「リベラル」と思われていた美濃部は、反明治憲法陣営(およびGHQ)から、力強い味方として期待されていた。
 しかし、 美濃部は「軍国主義者」にも「平和主義者」にも阿らない。 自分の憲法学を貫き、新憲法制定(明治憲法改正)は無効であると主張した。

 ・戦前、津田左右吉は、その実証主義的な記紀研究が皇室の尊厳を犯しているとして、これまた軍部や右翼から批判されていた。戦後になり、「尊皇主義者」から「反天皇主義者」に「転向」した人々にとって、津田は反天皇運動の味方になると期待された。
  ところが、津田は1946年に「建国の事情と万世一系の思想」という論文を発表し、天皇制廃止を否定した。 そのため、反天皇運動からは激しく批判されることとなったのである。

 ・積極的原発推進路線にも原発即時廃止路線にも阿らない人々は、現在、息を潜めてジッとしている。積極的原発推進路線から原発即時廃止路線に「転向」し、絶えず「正義」を振りかざす人々の感情が収まるまで、何も言わないのが得策だとあきらめているのだろう。

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 ・政府が感情的な運動を煽っておきながら、結局は最悪の意味での現状維持に終わる。民主党政権になってから繰り返されているのは、その場限りで感情を発散できればいいという「 退行 」である。

 ・政府が感情的な反普天間運動を煽ったことによって、割を食ったのは、普天間基地周辺の住民である。民主党政権は選挙向けのリップサービスのつもりでしかなく、運動家は運動家でその場限りの感情を発散できればいいのかもしれないが、住民には生活がかかっている。民主党政権と反普天間運動の無責任なタッグが、最悪の意味での現状維持を招いてしまった。

 ・ 同じことは「脱原発」についても言える。民主党政権と反原発運動の無責任なタッグが、おそらく最悪の意味での現状維持を招くことになるだろう。

 ・私が民主党政権と反原発運動の無責任なタッグに批判的なのは、彼らが最優先で取り組むべき課題を結果的に妨害し、さらには中長期的なエネルギー政策までオモチャにしているからだ。 原発事故を受けてまず取り組むべきことは、現場作業員の環境改善、原発周辺汚染地域の除染、避難民の生活である 。それなのに、彼らは原発から遠く離れた都市部住民の「(過敏な)安全安心」を優先し、原発周辺住民を後回しにしている。


■ 世界が注目する日本人の可能性9~日本とは、アジアの希望である 「日本を守るのに右も左もない」より
 ・日本人の持つ、 共同体性や秩序性 こそが社会を安定的に外圧適応させる術なのです。
近い将来、訪れるであろう 経済混乱の後、日本への期待はさらに大きくなる でしょう。
■ 現在の日本の惨状の眞の原因 「心に青雲」より
 ・今回、こうして岡目八目氏に改めてご教示いただき、本ブログの原点を再確認できた思いでいる。組織のなんたるか、統括の何たるかを忘れてはいけないと反省し、出直しの意味で元旦のブログに、岡目八目氏の見解を紹介することにした次第である。
■ ラージャ・ダト・ノンチック元上院議員の言葉 「ねずきちの ひとりごと」より
 ・世界史の中で、大東亜戦争くらい「正しい戦争」はなかった。
アジアから、欧米勢力を追い払う戦争のどこに間違いがあるというのか。
間違いがあるとするなら、日本人がこの理想を否定することである

■ 日本人よ、ありがとう! 「風林火山」より
 ・アメリカの青年詩人 コーエン氏
「ああ、アメリカよ、法を曲げ、正義を踏みにじった! 
ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン
今や 黄泉(よみ)にて、汝の非道に、涙す」

■ 中韓批判だけ、日本人批判だけ、日本人賛美だけ ・・・ どれも売国奴です 「うぃすぱー・ぼいす」より
 ● ユニクロの柳井正氏の、「日本国民は自分に不都合な情報には耳をふさぎ、過去の栄光に自己満足している滑稽な国民」などと日本人を酷評した発言が話題になってましたが、(略)
 ● さすがにおわかりでしょう。多くの日本人若年層の感覚とは、ここまで狂ってきているんです。すべて左翼教育、そして企業まで左傾化してしまった成れの果て。企業というよりは、まずは勤めてる人が左傾化、 教えてもらって当然という横着な態度
■ 世界が注目する日本人の可能性~日本人の受け入れ体質の奥にある当事者意識 「日本を守るのに右も左もない」より
 ● 受け入れ体質から形成された舶来志向は、進んだ文化に対する舶来信仰へと上昇していったが、日本文明が中国文明や西洋文明に埋没することはなかった。そこには、 受け入れ体質の奥にあるどれだけ受け入れても決して変らない強いものがあった からだと思います。



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