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君が代、ソーラン節がヘブライ語なのか? ➡結論としては全く根拠がない




日本語を学ぶということは、日本の心に触れる
ということです。日本の精神にどっぷり浸かるということです。
例えば、日本語を話すには相手の気持ちを尊重し、傷つけないように配慮しなくちゃいけない。そういうことを理解しないと日本語は絶対喋れないですね。これがいちばん日本語を勉強して分かったことです。

私たちの心は、言葉でできているんだ、ということが、これでよーくわかります。
私たちは、言葉を自分でコントロールして喋ってると思ってますが多分それは違います。言葉も同時に私たちをコントロールしているんです。

今日は、そんな日本語という魔法について、私が日本で経験したことをセキララに(笑)、日本語で
お話しします。




■ 「民主」の意味 「ジョンの見ている風景(2013/10/26(土) 午後 5:13)」より
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日本は漢字文化圏という人がいますが、そうではありません。
漢字は、当字として使ったのであって、日本には日本古来のやまと言葉があります。

そもそも「あいうえお かきくけこ」などの五十音の概念は支那語にはないもので、古くからの日本に備わったものです。
またカナ文字も、実は漢字から変化したものでなく、もとからあった神代文字が変化したものという説もあります。

気をつけなければならないのは、支那で生まれた漢字というのは、本来、決して良いものばかりではない、ということです。
なぜなら文字は、その国の基底をなす思想、文化、考え方がそこに必ず重なっているからです。


たとえば、「民」という、おなじみの漢字があります。
実はこの字の字源は、字の上にある□が、瞳(目玉)で、最後の一画の斜めの線が、太古の象形文字で「ひとみを突く針」です。
つまり「民」という字は、「針で目をつぶされた奴隷」を意味します。
古代の支那では、奴隷の目玉を針で突き刺して、盲目にして、言うことを聞かせていた。
その名残が「民」という文字になっているわけです。

http://blog-imgs-57-origin.fc2.com/n/e/z/nezu621/201306280839323f6.jpg
これが「民(みん)」の意味です。

支那では、「民」は奴隷であり、目をつぶされた盲目者であり、統治者に盲従するモノなのです。
盲従するモノですから、民には、何も知らせない、教育も施さない、ヒトですらない、ただの労働力であり道具・・・それが支那における「民」なのです。


日本はどうでしょうか。
字は、あて字で「民」を利用させてもらっていますが、読みは「たみ」です。
「たみ」というのは、「田(た)」の「みんな」です。
「田んぼにいる、みんな」それが、たみです。

「公地公民」は、いまでは「コウチコウミン」と読みますが、もともとは「おおやけのつち と おおやけのたみ」です。
「おおやけ」は、「大宅(おおやけ)」です。これは「大きな家」という意味です。
つまり、神武天皇の日本建国の理念、「掩八紘而爲宇(四方八方をおおう大きな屋根)になろう」、「みんなが家族になろう」という思想です。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)









■ 秦の始皇帝は原日本語を喋っていた!? 「日本の歴史と日本人のルーツ(2017.4.12)」より
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日本の在来の縄文人も渡来人達もみな原日本語を喋っていたこと、秦の始皇帝は日本人のご先祖様の一人であることは既に指摘していた。

すなわち中国大陸を制覇した秦人は原日本語を喋り、秦の始皇帝も喋っていたかも!?

参考

① 秦氏の由来(wikiより)

『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔で、応神14年(283年)百済から日本に帰化した弓月君(融通王)が祖とされるが、その氏族伝承は9世紀後半に盛んになったものであって、真実性には疑問が呈せられており、その出自は明らかでなく以下の諸説がある。著者は、これらの諸説は皆正しく、渡来の時期やルートなどが違うだけと考えられる。

(※mono....中ほど略、詳細はブログ記事で)

② 日本民族のご先祖様たち太公望、呉の太伯、秦の始皇帝(参考)

③ 日本語の起源(参考)、、、漢民族がはびこる前は日本民族が東アジア全体に分布し、原日本語を喋っていた。

④ 古代の原日本人の分布

古代の原日本人の分布(D)

チベットのD系統は羌族が持ち、かつての羌族は古代の秦と競うように広大な領域を占め、斉やタングート(西夏)、日本(倭)などと同族であった。


現在のDの分布(赤)、漢民族と朝鮮民族(O)の分布(青)



■ 子どもと子供 「井沢満ブログ(2017.2.10)」より
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「子ども」という表記に代表される、交ぜ書きが気持ち悪く、
何とかならぬかと思っていたら、文科省が「子供」でよいと、
公式見解を出したようで、何よりである。

「お供え」ではない、とか「お供」ではない、とか世迷い言を
言う人達は、何を考えているのだろう。お供えにも、お供にも根拠はなく、
単に「イメージ」の問題、ないしは妄想の領域。

とりあえずは、記事。


(※mono....中略)


君の名は
■ 「君の名は。」の英語字幕と、日本と米国と経済の本質的違いの話 三橋貴明 わたし、わたくし、ぼく、おれ=I  なぜ日本のアニメや漫画は面白いのか 日本語 コードギアス スレイヤーズ まどかマギカ 「いろこのはとば(2017.1.25)」より
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【映画】『君の名は。』の英語字幕が理解不能でアメリカ人が大爆笑wwwwwwwww ↓
http://tarosoku.com/?p=24944
「君の名は。」動員ランキングでまたまた首位返り咲き…9週ぶり13回目↓
http://fxya.blog129.fc2.com/?no=33281

ドナルド・トランプ その4「神に保護されたアメリカ人」 ↓
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12240970017.html

「これほどまでに、凄まじい感動を人間に与えるコンテンツが、日本語で製作されているのです。ついでに書けば、日本語以外でこの感動を「人類」に与えることはできないでしょう。」

「改めて書きますが、日本人が英語を流暢に喋れるなど、専門的な教育を受けた人以外にはあり得ません。何しろ、我々は「日本語」という人類の至宝ともいえる言語を使いこなし、「途轍もないクライマックスシーン」を表現できるようになってしまったのです。」

”途轍もないクライマックスシーン”で我々を感動させてくれるのは、日本語なればこそ。
「君の名は。」も、あの絶妙な世界観は、日本語や日本の伝統や文化や歴史の背景がなければ表現できないのである。
「わたし」、「わたくし」、「ぼく」、「おれ」と言う一人称の絶妙なニュアンス、情緒、個性を、「I」でひとくくりにされるなど、表現の死と言っても過言ではないだろう。

(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)


■ 日本人こそ日本語を知らない 「あるウソつきのブログ(2016.10.9)」より
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 ほんとうによく出てくる質問である。

【ダイヤモンド】アジアで最下位!なぜ日本は「英語が話せない」国なのか?
http://diamond.jp/articles/-/96206

 いささかうんざりするよね。これについて、俺の中には明確な回答があり、これを超える答えを聞いた事がない。まあ、俺の回答については後回しとして。

 この記事を読んでみる事にする。

 …

 とりあえず最低の記事だった。どこにも日本人が英語を身に着けられない理由が書いてない。要するに、著者による、以下の本の宣伝だったのである。分析記事じゃない。

東大・京大卒に勝てる! 世界のトップ大学に編入する方法―――偏差値39でも、一流の子に変わる!

辛うじて、日本人が英語ができない理由を、「先生がいないから」と書いてある。
 そして、「だから、留学するしかない」という結論を導いて、上記の本の紹介につながるのである。

 ばかばかしい。2chのビジネスニュース+で上位に上がってきてたから、どんな記事かと思って読んでしまった自分が情けなかったわ。

 と、言うわけで、なんの分析も比較もせず、俺は持論を説明するしかなくなったのだけど。日本人がなぜ、英語を話せないか。

 決まっている。日本語以外を勉強する必要性がないからである。

 例えばご存知の通り、韓国語は元漢字ハングル混じり文で、漢字を捨てて現在に至るわけだが、日本人は漢字やカタカナなしの、平仮名だけで、優れた論文を書けると思うだろうか。

 韓国人の英語力が高いのは、大学レベルの学問を、自国語でやれないからだ。
 必要だからこそ、英語力が高い。日本人は、日本語さえ知っていれば、たいていの事はできてしまう。高度な論文も書ける。「英語を知らなければできない事」が極端に少ない。
 母国語で論文を書ける国は、実は少ない。

(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


ケント・ギルバート
★■ 日本語と漢字を廃止した某国 文献を読めないのは悲劇か喜劇か K・ギルバート氏 「zakzak(2015.3.25)」より
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 私はブログとフェイスブックに載せる記事を、原則として日本語と英語の2カ国語で書いている。記事の題材や資料が英語の場合、先に英語で書いてから日本語に翻訳する。この場合はあまり苦労を感じない。

 しかし、参照する資料などが日本語だった場合、先に日本語で記事を書いてから英語に翻訳する場合が多い。このパターンは少々やっかいだ。

 日本語は漢字という1種類の表意文字と、ひらがなとカタカナという2種類の表音文字を組み合わせて表記できる。しかも、「助詞」をうまく使えば、日本語は文の中で語順を入れ替えることすら自由自在だ。

 他方、英語はアルファベットという26文字だけで全てを表現しなければならない。便利な「助詞」は存在せず、倒置法などは限られる。

 ちなみに、日本語の仮名は「五十音」と言われるが、「がざだば」行の濁音、「ぱ」行の半濁音、「ぁ」行と「っゃゅょゎ」という捨て仮名を入れると、ひらがなは76文字。カタカナは「ヴ」も使うから77文字ある。加えて、常用漢字は2136字/4388音訓もあり、同じ言葉でも、どの文字種を使うかで微妙に意味を変えられる。

 従って、日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。うまい皮肉を日本語で思い付いても、英語で表現しようとすると本当に大変なのだ。

 世界に誇るべき日本語の表現力だが、前回の連載で、君が代の変遷について書く際に、日本の初代文部大臣の森有礼(ありのり)について調べていたら、驚くべき事実を知ってしまった。
+ 続き
 森は10代で英国に留学しており、英語が非常に堪能だった。この日英バイリンガルの大先輩は「日本語を廃止して、英語を日本の国語にすべきだ」と考えていた。漢字の複雑さを特に問題視していたようだ。

 確かに、明治初期の漢字は今よりも複雑で数も多かった。話し言葉は口語、書き言葉は漢文という不自由な習慣もあった。西洋に後れた政治や経済、科学などの学習に必要不可欠な英単語は、日本では概念すら存在しないものが多かった。

 例えば、「社会」「存在」「自然」「権利」「自由」「個人」「品性」「人格」「情報」「近代」「美」「恋愛」「芸術」「彼・彼女」などの言葉は、江戸時代の日本にはなかった。明治期の先人が苦労を重ねて生み出したのだ。

 もし、これらの言葉が使えなかったら、日本語の文筆作業は相当もどかしい。だから、当時の森の気持ちも理解できるが、現代から見れば、満41歳で暗殺された森の考えは若気の至りだった。

 ところが、本当に漢字を廃止して、独自の表音文字だけにした国が、日本の近くに存在する。結果、国民の大多数が、わずか70年前の書籍や新聞を全く読めず、真実の歴史に向き合えない。悲劇と呼ぶべきか、喜劇なのか。それが問題だ。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。


■ 日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。ケント・ギルバート:日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。日本語で思い付いても、英語で表現しようとすると本当に大変なのだ。 「株式日記と経済展望(2015.3.26)」より
(※mono.--上記ケント・ギルバート氏の記事引用は略。)
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(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
つまり英語を日本語に訳すにも、多くの漢字から組み合わせて該当する意味を作ることは出来ますが、日本語の言葉を英語に訳す場合該当する単語が無い場合は訳しようが無い。「玉虫色」を英語でどう訳すのだろうか? 「前向きに善処する」と言う言葉を国際会議で「YES」と翻訳したら外交問題になってしまった。

日本語で書かれた書物がなかなか英語に翻訳されないのは、語彙の数や複雑な言い回しを英語に訳す事が難しいからだろう。YESともNOとも取れる曖昧な表現を英語に訳す事は不可能に近い。日本の政治家はそれを多用するが通訳はそれを単純な英語で訳してしまう。
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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最近では外務省などが動画サイトなどで英語版などで広報していますが、中韓との情報戦では有効に働いている。ネット上ではテキサス親父やケント・ギルバート氏が日本側に立って英語で発信してくれていますが、韓国などではテキサス親父のサイトはブロックされている。

翻訳に関しては、日本語で書かれたものは韓国語や中国語に翻訳しやすく、欧米の思想などは日本を経由して輸入された。欧米の思想や哲学などを直接中国語や韓国語の訳すのは訳語の関係で困難を伴うが、日本語に訳されていれば「日本語」が直接中国語や韓国語になっているから翻訳しやすい。

ケント氏が言うように、日本語に比べて表現力の違いで日本語を英語に訳す事が困難だという事は、前から感じていた事ですが、ケント氏から言われると説得力がある。三島由紀夫や村上春樹氏などの小説が英語に翻訳されたのも三島氏や村上氏が英語が出来るからであり、英語に翻訳しやすい日本語で文章を書いているからだろう。




■ ディスニーのアニメの主題歌で日本語の響きが美しい! 「日本や世界や宇宙の動向(2014.2.24)」より
(※ あちこち略、詳細はブログ記事で)
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最近、多くの外国人が日本語を学びたいと思っているようです。日本のアニメの影響でしょうか。。。日本語が大人気です。中には独学で日本語を覚えている若者もいます。
以下のビデオをご覧ください。ディズニーの最新アニメの主題歌が(面白いことに)25か国語で歌われています。海外からの反応として、日本語が一番気に入られているようです。美しい響きなのでしょうね、きっと。
日本では言葉には言霊があると言われています。誰が聴いても日本語の響きは格別のようです。


★ 国語世論調査 「ほっこり」と伝え合おう 「産経ニュース(2013.9.26)」より
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 文化庁が発表した「国語に関する世論調査」結果から、国民の国語に対するさまざまな意識や理解が浮かび上がった。

 本来は主に暖かいさまを表す「ほっこり」を「気持ちがほっこりする」と使うのを聞いたことのある人が7割に達するなど、言葉の新しい使い方が浸透している。ただ新しい表現は年齢層によっても理解度が異なり、互いに齟齬(そご)をきたさない工夫が求められよう。

 普段接する言葉の中で、カタカナ語が多いと感じている人は約75%と、5年前の調査に比べ約12ポイントも減少した。カタカナ語への抵抗感が薄れていることがうかがえるが、一方で「カタカナ語の意味が分からず困ることがある」と答えた人が8割近くもいる。言葉遣いは時代によって変わるものとはいえ、カタカナ語の乱用に歯止めが必要なことはいうまでもない。

 「コミュニケーションで重視するのはどちらか」と問われ、「相手との人間関係を作り上げながら伝え合うこと」との回答が65・1%と、「根拠や理由を明確にして論理的に伝え合うこと」(15・0%)を大きく上回った。分かりやすく論理的に伝えるのは大切なことながら、人間関係の希薄化が指摘される現代にあって多くの人が、相手との良好な関係を重視している点は注目される。

 このことはまた、「国語に関わる知識や能力にはどのような課題があるか」に対して「敬語等の知識」を挙げた人が約36%と最も高かった結果にも表れているとみられる。なぜなら敬語は「待遇表現」とも呼ばれるように、話し相手や話題の人物をどのように遇するかに配慮した表現法であり、人間関係における軋轢(あつれき)を和らげる潤滑油の役目をもつからだ。

 メールやツイッターなど電子メディアを介したコミュニケーションが増す中で、ともすれば気持ちが伝わらないまま中傷やいじめ、ときには自殺といった事態にまで至っている。言葉は常に誤解の危険が伴うものである以上、伝え合うためには互いの「交感」が何より不可欠となる。

 「これからの時代に求められる国語力について」(平成16年文化庁答申)は、コミュニケーションの基本は「相手の人格や考え方を尊重する態度と言葉による伝え合い」で、国語能力がその根幹になると示した。調査結果はその一節を改めて思い起こさせる。


マスコミ
■ I am the Brainwasher 「独りファシズム(2013.8.27)」より
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繰り返すが、新聞事業とは国民社会に対するテロリズムである。
+ 続き
彼らは戦前・戦中を通じて異様なナショナリズムを醸成し、国民精神を戦争イデオロギーの鋳型に落とし込み、1000万人以上にもおよぶ内外の犠牲者を生み出している。本来的にはGHQにより解体されるはずであったのだが、占領統治がマスメディアを中心手段とする認知支配へシフトされたことから、侵略集団の下部構造として存続することになったわけだ。

新聞社は民衆を無知に沈める支配装置として社会にビルトインされているのであり、「権力の監視」を自称しつつ報道組織にカモフラージュされているものの、本質として官庁の宣伝機関(propaganda machinery)であり、経済グループが私的所有する検閲組織と言えるだろう。

彼らは常に現実の改変を付託されているのであり、早い話し、米国、官吏、資本が利潤を得るよう事実を最適化し、本質と末節をすりかえつつ、虚説によって不都合を隠蔽し、体制を絶対化するという方法論である。

新聞という欺瞞の積層について叙述すれば一大叢書となるので割愛するが、とりあえずこの2年における論理操作を検証して頂きたい。一貫していることは、原発事故の被害はない、汚染ガレキは安全である、汚染食品は安全である、TPPの加盟は正当である、消費税率の引き上げは必須である、などという脱文脈化した深層構造のない論説であり、科学的検証を伴わない妄言のオンパレードだ。

ネットから能動的に情報収集を行い、冷静に現状分析をした人々は汚染地帯から脱出し難を逃れたのだけれど、新聞報道を鵜呑みにしてそのまま留まり、食品や水を摂取した人々は致命的に被曝したのであり、文字通り報道によって殺されるのである。

つまるところ新聞屋は「情報の非対称性」につけこんでいるわけだ。被災地の小中学生が文化行事やスポーツイベントに興じる映像などを復興シンボルとして大々的にとりあげ、人類史上最悪の放射能汚染を隠蔽し続けたのであり、どのような健康被害が及ぶか十分な理解と情報を得た上で、小さな生命をプロパガンダの生贄としたのであり、そのような調整原理はもはやナチズムと何ら変わりがない。

これについて、ある地方記者は「金にもならいのに、そんなことをいちいち問題視し、騒ぐ連中がバカ野郎だ」などと暴言を吐き棄てたのだが、結局のところ人間とは既得権益の中で腐っていく生き物なのだろう。

おおよそ社会人というのは熾烈な競争原理に晒され、そのような過酷によって人間が鍛え上げられつつ、人格が陶冶されたりもするのだけれど、再販制度や参入障壁、記者クラブ制度によって外部との競争原理を排除された彼らは、年ごとに知的営為が劣化しているわけだ。つまり購読者に蒙昧をしかける彼ら自身も、社会や生命や文明など高度な概念を抽象する能力を逸失しているのであり、すなわち、この国の媒体事業とは、馬鹿が馬鹿を騙してカネを毟るカルト商法の属である。

反体制を気取った「ポスト」と「現代」も3.11を契機に御用メディア化し、執拗にセックス特集を競いつつ、進行する原子炉事故の破局を隠蔽するとおり、雑誌媒体も本質として「焚書」されているのであり、すでに電脳を除く情報空間は全面的に禁圧状態であり、「言論の自由」などとっくに殺されているのだろう。
かつて自分はX日新聞系列の広告代理店で女性向け媒体の編集長を努めていたのだが、経営者は常に「オンナ向けの媒体に難しい言葉は使うな。最低の知性の連中なんだから、とにかく低次元に作れ」などと怒鳴りちらしていた。断っておくが、これは本紙に折込されるフリーペーパー(補完媒体)だ。

自分は当時からこのようなシンタックス(文体構造)を貫いていたため幾度も口論となったのだが、ついにカイシャは、「いかにしてゴミのようなくだらない文章を書くか」というレクチャーの受講を命令したわけだが、その「講師」とは外食ライターを肩書きとし、学識や知的素養など一切皆無の、おおよそ下品を絵に描いたような肥満の中年女である。

彼女の教説を要約すると、語彙を極限まで削り取り、レトリック(修辞法)は中学1年生が直感できる程度にとどめ、記事テーマは無教養な主婦層を想定しろということであり、すなわちそれが新聞社の想定するセグメント(読者層)であり、購読者の知性はこれほどまでに冒涜されている。

そのような構文モデルはオーウェルが「1984」で描写したNew Speak(新語法)の体現であり、つまりこの国ではマスコミが主導的に言語体系を破壊しているわけだ。おおよそ人間は語彙の範囲でしか思考ができないのだし、つまり語彙の削減とは思考の抑制と同義なのであり、メディアによって我々の精神活動そのものが退廃していると言えるだろう。

拙ブログがあまりにも難解で理解に苦しむというメールを頂いたのだが、そもそも何と相対して難解かという問題が生じるのであり、むしろ昭和初期の新聞記事などと比較した場合、拙文の語彙群は圧倒的に平易であり過小だ。つまり占領統治政策の一貫として、言語機能の解体が命題化されていたのであり、この半世紀において国民は常用的な語彙群を喪失し、言語運用能力とともに論理的思考能力が致命的に破壊されたのである。

その結果、首都圏で3基の原子炉が崩壊し、数千万人が放射線に晒されるという破局に直面しながら、国民は一切を意味化できず、最中にバラエティ番組やスポーツ中継に興じるという異常であり、つまり幼児性が我々の精神構造の支柱となっている。そのような民度なのだから、TPPによる主権委譲はおろか、徴兵制度が施行されたところで、何が起こっているのかすら理解できないだろう

米国では新聞社の倒産や閉鎖が相次ぎ、ついにはワシントン・ポストがアマゾンに買収される事態となったのだが、爆発的な端末機器の普及はやがて日本国においてもそのような衰退の連鎖を引き起こすはずだ。しかしそれは旧媒体による認知操作の終焉ではなく、むしろ統廃合されたプロパガンダ組織が荒廃時代の要請とともに、支配装置として強化される契機なのであり、さらに事実群は原型を留めないほど改変を施され、我々はもはや知性劣化に歯止めが効かない状態に陥るのだと思う。

「未来は現実の復活ではなく、シミュレーションの更なる増大のみを約束している」というJ・ボードリヤールの理説が静かに炸裂するのだろう。

個々は強大な支配勢力を前にして砂粒のように無力な存在なのだけれど、ささやかな抵抗が可能だとすれば、それは新聞購読の解約なのであり、テレビ受信契約の解除なのであり、報道バラエティというパラダイム(世界観)の排除なのであり、すなわち腐敗したコンテンツ群からの積極的な逃避ではないだろうか。

抑圧世界に存する我々にとって、正常な言語機能だけが、精神の自由を担保する唯一のツールなのだ
(※ 文字強調、赤字、青字はmonosepia)


■ 外国語の使いすぎでNHKが訴えられる 「東京kittyアンテナ(2013.6.28)」より
/
参考1の通り、
71歳の男性がNHKを
外国語の使いすぎで苦痛を受けたとして
訴えた様である(@w荒


この訴訟の帰趨は兎も角、
テレビの利用者層や国語における外来語の問題に
一石を投じそうである(@w荒

テレビの利用者層の問題としては、
若者は既に電網利用時間の方が
電視番組視聴時間より長く、
テレビは既に高齢者が見るものとなっている(@w荒

だが未だに電視台は曽て(かつて)の
栄光に縋り、勘違いしているために
不要な外来語を用いたり、
若者向けの番組を作成して
若年層に媚びているが
全く無駄な行いである(@w荒

国語における外来語の問題だが、
例えば情報技術関連では
不必要な外来語が氾濫している様にをもう(@wぷ

「ソリューション」とか言ってるの見ると
「ヴァッカぢゃねーの(@wぷ」とかをもう。
「解決策」でいいぢゃん(@wぷ

「スペック」も「仕様」でいいぢゃん(@wぷ

「データ」も「与件」でいいし、
「プログラム」も「算譜」でいいぢゃん(@wぷ

「コンピュータ」は
「電�勵(でんさん)」か「電算機」「計算機」。

「マウス」は「鼠」。
「マウスを動かす」は「弄鼠(ろうそ)」、
「キーボード」は「鍵盤」、
「キーボードを叩く」は「敲鍵(こうけん)」。
つまり「推敲」の「敲く(たたく)」(@wぷ

訳がまだ無いものに関しては
毛唐語を使うのも仕方ないが、
訳があるものまで
敢えて毛唐語を使うのって
やっぱ毛唐に精神汚染された
根無し草的態度なんだとをもう(@wぷ


NHK
★ 「リスク、コンシェルジュ…わからん!」放送での外国語乱用で苦痛とNHK提訴 「msn.産経ニュース(2013.6.26)」より
/
 NHKの放送番組で外国語が乱用され、内容を理解できずに精神的苦痛を受けたとして「日本語を大切にする会」の世話人、高橋鵬二さん(71)=岐阜県可児市=が26日までに、NHKに141万円の慰謝料を求める訴えを名古屋地裁に起こした。提訴は25日付。

 訴状によると、NHKでは報道、娯楽番組を問わず番組内で「リスク」「トラブル」などの外国語が多用されているだけでなく「BSコンシェルジュ」などと番組名にも用いられていると指摘。日本語で容易に表現できる場合でも使われているとし、公共性が強いNHKが日本語を軽視するような姿勢に強い疑問があるとしている。NHKは「訴状の内容を確認していないのでコメントを差し控える」としている。

 高橋さんは取材に「質問状を提出したのに回答がなかったので、訴訟に踏み切った。NHKだけの問題ではないが、公共放送は特に影響力が強い。年配者にも分かるような放送をしてほしい」と話している。


■ 世界で習得することが最も難しいのはどの言葉? 「In Deep(2012.4.3)」より

 ・米国の「防衛言語研究所」という研究所では、英語を話す人にとっての「世界の言語の難易度ランキング」をつけていて、それは大きく4つのグループにわけられていますが、その「学習するのに最も難しい超難関グループ」の言語が、

アラビア語、中国語、日本語、韓国語

でした。


■ [書評] 日本語と日本思想  (浅利誠:藤原書店) 「Bloga enneagramica」より
 ● 日本をより確実に知るためには、まず軽視してきた重要で重大な朝鮮半島に加え、まったく目に入らなかった、遠い親戚であるベトナムとチベットへのまなざしも今後不可欠になろうとわたしには思われるのである。

■ 漢字の造語能力 「Bloga enneagramica」より
 ● 世界中ができれば、約2000字、せめて1000字前後の漢字を習得して、今後の情報爆発時代を乗り切る準備をするべきだと思う。


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最終更新:2024年02月17日 14:14