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☆ 反日・自虐史観を排した歴史年表
■ 真実の日本の歴史
鎖国と攘夷に揺れた幕末から明治維新後の国家建設の先駆けとなったのが、尊王志士であるとされ彼らは、明治維新の志士として今日の歴史で高く評価されています。
 幕末の動乱期に、時に孝明天皇は、三条実美や伊藤博文た薩長の志士らによって殺害されています。そして、孝明天皇の第二子である睦仁は明治天皇ではありません。明治天皇は長州の田布施村出身の大室寅之助。
 明治天皇のすり替えを覆い隠すために、日本の歴史は明治維新以降嘘と詭弁で書き換えられました。尊王思想とは、男系天皇の思想であり、武家社会は女系社会。大室寅之助が演じる明治天皇を神格化するためには、女系社会の日本の歴史を書き換えねばなりませんでした。
■ あの戦争の原因〔Bokujinのホームページ〕
■ 変水流体術
(※ 2012年11月で更新は止まっているが、日本の古代史への言及が多いのでリンク掲載。)
■ 縄文と古代文明を探求しよう!
いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。
■ tokugawaブログ
豊臣秀吉の朝鮮出兵、文禄・慶長の役の真相を求めて

■ 歴代天皇と帝国史地図
世界史上最長の御皇室と、その間の世界帝国の盛衰。その天皇さまの御世の世界帝国は、どうなっていたか。



■ 「源義経=ジンギスカン」説の誕生 「モンゴル帝国誕生異聞」より
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モンゴルのラマ教寺院に残されたチンギス・ハーン像(※mono....これは写真と思われるが、この時代に写真があるわけがないので、どういう経緯の写真なのかを知りたいものだ。それとも画?なのか。)

 明治11年(1878)、北海道の平取を旅したイサベラ・バードは、この地に義経神社があり、源義経が祀られていることを知ります。ここでは、アイヌに舟の作り方や農耕、弓術を教えたのが義経だとされているのです。

(※mono....中略)
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 東北から北海道にかけて、様々な義経伝説が残っています。たいていは義経は素晴らしいという伝説なんですが、なかには非道な話もあります。

 幕末から明治にかけて蝦夷地を探検し、「北海道」の名称を考えついたのが松浦武四郎。松浦は、日本人から収奪されているアイヌのインタビューを重ね、『近世蝦夷人物誌』を書き上げました。
 そのなかに、沙流川流域の平賀(現・日高町)に住むハフラ酋長の証言が残されています。

「その昔、源義経公がこの地に来て、平取村の酋長の娘と懇意になった。義経公はこの家に伝わる兵法の秘伝書を盗もうとしたが、酋長は、娘が義経公の子供を出産した後でさえ、宝の場所を教えなかった。
 義経公は酋長をだますため盲目のふりをしていた。あるとき、わが子を囲炉裏に落としたまま助けられずにいると、酋長は本当に目が見えないのだろうと思い、秘伝書を渡した。
 義経公は、雲を起こし雨を降らすなどの秘術を身につけ、小舟で逃げた。そして、ついに満州という国へ逃げたそうだ」

 我が子を火の中に落とすなど、やや義経の人間性を疑うような話です。
 しかし、『義経記』にも、「鬼一法眼」の娘を利用して兵書を盗んだという伝説が書かれており、火の中に我が子を落とすエピソードは、幸若舞の『入鹿』(大化の改新をテーマにした舞)にもあります。
 こうした日本的な伝説が、アイヌの始祖である「オキクルミ」の伝説と融合したと、金田一京助らは述べています。

 さて、秘術を得た義経は、満州に行ってどうなったのか。実はそこからチンギス・ハーンとして、モンゴル帝国の初代皇帝になったというのです。
 いったい、どうして義経はジンギスカンになったのか。その過程を追っかけます!

(※mono....中略、詳細はブログ記事で)
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 陸軍通訳だった小谷部は、旧満州や蒙古・シベリア方面まで徹底調査して回ります。
 ある日、小谷部はモンゴルでラマ教の高僧に出会い、「『源義経汗』を発音してみよ」と頼みます。すると、高僧は日本風の「ゲン・ギ・ケイ・カン」ではなく、「チン・キ・セー・ハン」と発音したのです。まさに「チンギス・ハーン」と聞こえます。

 それだけではありません。

 小谷部が蒙古のラマ寺から手に入れた『成吉思汗伝』などに、チンギス・ハーンは「丁亥の年(1227年)7月」に66歳で死んだとありますが、これは日本の「安貞元年丁亥の年」と同じ干支なのです。実は、日本とモンゴルの干支は一緒で、これこそ、義経がモンゴルに日本の干支を導入した証拠だというのです。
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 小谷部は、探検家としてもっとも奇異に感じたことを、『成吉思汗ハ源義経也』にこう記しています。

《東部西比利亜(シベリア)、及び満洲等を旅行して、彼(かの)地に日本式の古き神社の在(あ)ること、及び笹竜胆(ささりんどう=源氏の家紋) の紋章を用い居ると、かつ満洲人に姓を源と名乗る者の多きを賭聞する》

 この本には、ほかに

●ジンギスカンとなった「テムジン」は「ニロン」族の出身だが、これは「日本」族の「天神」のなまりである
●チンギス・ハーンは別名「クロー」と称したが、これは「九郎判官」である
●モンゴル帝国の「元」は「源」から来ている
●モンゴル文字に平仮名からヒントを得たとしか考えられない文字が存在する
●相撲、乗馬、緑茶、服など共通の文化が数多い

 などなど、多くの傍証が記されています。

(※mono....以下略)


■ 「聖徳太子」復活!次期指導要領・「厩戸王」は江戸後期の1文献のみで古代主要資料に皆無!反日工作 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2017.3.22)」より
(※mono....文中の写真および長文につき相当行を略、詳細はブログ記事で)
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「聖徳太子」復活へ!指導要領改訂案を修正・ 「厩戸王」表記で混乱

【厩戸皇子】なら『日本書紀』(720年)に記載されているが、【厩戸王】なんて江戸後期の1文献に見えるだけで、古代の主要な資料には一切記載なし!
1000年以上前から【聖徳太子】が一般的な名称となっている!
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文科省は『歴史学では「厩戸王」が一般的で、「聖徳太子」は没後の呼称』などと主張しているが、そんな事実はない!

聖徳太子については、『日本書紀』に「厩戸皇子」と記されたことはあっても、古代の主要な資料に「厩戸王」と記されたことはなかった!

「厩戸王」なんて、江戸時代後期の1つの文献に例外的に見られるだけで、それより前の資料には全く見られない!

「厩戸王」は、戦後になってから左翼学者によってゴリ押しされてきただけだ!
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天皇や皇室の権威低下を狙った工作は、「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」でお馴染みの鎌倉幕府の成立年においても行われている!

鎌倉幕府が成立した年については、1192年に源頼朝が天皇(大和朝廷)から征夷大将軍に任命されて始まったため、1192年が正しい。
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しかし、そもそも日本の中世及び近世における「幕府」とは、征夷大将軍を首長とする武家政権、征夷大将軍の武家政権の政庁、征夷大将軍の居館・居城を指す。

つまり、征夷大将軍の政権や政庁や居所のことを「幕府」と呼んだのだ。

したがって、征夷大将軍に任命されるまでは「幕府」とは呼ばないのだ!

源頼朝が征夷大将軍に任官したのは1192年なので、鎌倉幕府の成立年は1192年以外には有りえない。
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なお、江戸幕府(徳川幕府)も、1603年に徳川家康が征夷大将軍に任官した(天皇が徳川家康を征夷大将軍に任命した)1603年を創設年としている。

一方、織田信長や豊臣秀吉は、征夷大将軍にならなかったので、彼らの武家政権を幕府とは呼ばない。

結局、天皇による征夷大将軍の任命を蔑ろにしたい(軽んじたい)反天皇・反日・左翼学者どもや反日マスゴミが、鎌倉幕府の創設年について屁理屈をこねているだけなのだ。
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NHKなどは【当時「天皇」や「皇室」のことを「王」や「王家」と使われていた】と説明しているが、そんなことはない。

当時でも「王」や「王家」の使用は極めて稀であり、当時も普通は「天皇」や「皇室」「皇家」が使用されていた。

近年の研究では「天皇」号が成立したのは大宝律令で「天皇」号が法制化される直前の天武天皇ないしは持統天皇の時代(7世紀後半)とされている。

したがって、平清盛の時代(12世紀)より500年くらい前から「天皇」は使用されて定着していき、白川法皇や平清盛の時代に「天皇」が「王」と言われることは殆ど無かった。

放映で連呼された「王家」についても、白河法皇当時には「皇室」「皇家」という名称が普通にあり、わざわざ「王家」と呼ぶ必要性は全くない。
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これら多くの抗議がNHKに寄せられた結果、NHKも「王家」を不適切と認め、前年(平成23年)HPで「王家」を削除している。

それなのに、実際の放映では「王家」を連呼したのだから、結局NHKは故意に「天皇陛下」や「皇室」の権威を落とすための洗脳工作をしているとしか考えられない。


NHKには朝鮮人が多く蔓延っているため、悪意を以って「皇室」や「天皇」のことを「王家」や「王」と呼んでいるのだ。

韓国では今でも天皇陛下のことを「日王」などと呼んでいる。

朝鮮人にとっては、「王」は支那の皇帝からその地域を治めて良いと授かる地位であり、支那「皇帝」より遥かに下の地位となる。
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「反日学者や反日マスコミの歴史偽造工作に騙されるな!」


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2012/10/16 に公開
国難の危機にある現代の日本人必須の映画、今ひとりでも多くの方に、この学校教育やメ­ディアでは教わらなかった『日本の真実の近代史』を、この映画を通じ、知って目覚めて­­欲しいと心から願っております。
 明治開国から大東亜戦争まで日本が戦って来た『真実の歴史』を約70分でまとめてあり­ます。
◆明治27年の朝鮮半島をめぐる清国との戦い
◆ロシア、フランス、ドイツの三国干渉
◆朝鮮半島、満州をめぐり大国ロシアとの戦い
◆満州事変、支那事変、ABCD包囲網
+続き
日本が戦いを免れなかった真実、
資料に基づいて制作された映画、真実の歴史を知る事ができます。


●制作の経緯

靖国神社創立百三十年記念事業の一環として本館改修と新館増築にともない遊就館で真実­のドキュメンタリー映画を上映することになり其の映画制作を依頼されたのが泉水隆一監­­督でした。
監督が渾身の力を込め二年の歳月をかけて出来上がったのが「凛として愛」でした。
映画完成前から他国からの批判を気にした保守陣営の圧力などがありました。
上映はされたものの、この歴史の真実を伝える「凛として愛」をたったの二日で上映中止­にしてしまったのです。
監督の無念さは計り知れません。


泉水隆一監督について

泉水隆一氏はアニメ『新造人間キャシャーン』や『うる星やつら』などの脚本スタッフと­して制作に関わってきました。
「凛として愛」の監督・脚本・ナレーションを泉水隆一氏ご本人が行っています。

泉水監督は平成22年7月16日に逝去されました。
8年前の此の日、僅かに二日半で上映中止され絶望の淵にあった日でした。
泉水氏の告別式は式場の関係で26日に行われましたが、この日こそ、泉水監督が反日思­想がはびこり、総理大臣も靖国神社に背を向ける日本の現状を憂いて、靖国神社に、渾身­­の思いを込めて書かれた、映画制作への珠玉の趣意書を出された日でした。

泉水監督は、国家のために尊い命を捧げられた数多の英霊に報いるには、「凜として愛」­が日本全国に広まり、一人でも多くの日本人が先人がたに対して感謝と哀悼の思いを持つ­­ことだと生前、切々と話されていました。
故泉水隆一監督の崇高な思いを心に刻み、私たちは「凛として愛」が一人でも多くの国民­の目にふれることを願って止みません。
泉水監督は、国家のために尊い命を捧げられた数多の英霊に報いるには、「凜として愛」­が日本全国に広まり、一人でも多くの日本人が先人がたに対して感謝と哀悼の思いを持つ­­ことだと生前、切々と話されていました。
故泉水隆一監督の崇高な思いを心に刻み、私たちは「凛として愛」が一人でも多くの国民­の目にふれることを願って止みません。

            • 映画『凛として愛』普及拡散プロジェクト
「凜として愛」を収録したDVDは送料、手数料の1000円でお譲りしております。
お名前、ご住所、ご連絡先、枚数をご記入の上 kamon@24.am までお問い合わせください。
(※mono.--Youtubeコメントから抜粋
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ayu yamato1 か月前

平和、平穏な生活を維持するためには、戦争もあり得る、という議論が為されてこなかった。
戦争回避一辺倒と護国を誰が,如何に遂行して行くかを議論するべし。
平和、平和と唱える連中に限って、では、どうやって、国を護っていくかにつては、ダンマリを決め込む。
何と,卑怯な連中であろう。
ただただ、戦争は,駄目だ、悪い、自主憲法制定、九条遵守と,唱えっていれば、前線に立たなくて良いし、我が身は安全と願う輩が多数居るが、何とした事。所詮、国防は他人事。
GHQがもたらした、自虐史観を広め、醸成して来た、NHKを頭とする反日メヂアを許さまじ。
御英霊、ご先祖様に、今ある日本人は、総動員で敬意と感謝を表するのは,当然である。
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sanagihara miyuki7 か月前

感動して泣きました。
反対に戦わざる負えない状況下での戦争悲しすぎます。
またその状況下で最後まで戦った日本兵は立派だと思います。
戦争で亡くなった皆様のご冥福を改めてお祈りいたします。
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TAICHI34143 週間前

ユダヤのバカ動画
靖国キチガイ掘っ建て小屋   くそたれ小屋
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011ppo1 年前

Byron Lord
お決まりの妨害コメント。
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Byron Lord1 年前

そもそも大東亜戦争なんて負けて当然である。

日本は戦争に負けたのではなく、敗戦国となるよう戦争前から決まっていたのだ。
日本帝国軍の最高司令部の連中の多くは、欧米のユダヤ人の犬だった。

例えば連合艦隊司令長官だった山本五十六が、日本を敗戦させようしていたのは、
真珠湾攻撃からの戦術の「ありえなさ」を知れば、一目瞭然である。
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Byron Lord1 年前

もっとも恥ずべきは、広島と長崎に核爆弾が落とされるのを事前に知っていながら、
何の警告も出さずに見殺した、昭和天皇をはじめ日本帝国軍の最高司令部の連中である。
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Byron Lord1 年前

日本がもう一度、独立国家となるには、欧米のユダヤ人の手先である
田布施一味という朝鮮人による支配から脱しなくてはならないだろう。
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Byron Lord1 年前

そもそも日露戦争なんて、欧米のユダヤ人が莫大な戦費を融資してくれたから
勝てたに過ぎない。
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Byron Lord1 年前

そもそも明治維新というのは、欧米のユダヤ人が日本を乗っ取るために、長州藩の田布施にいた在日朝鮮人を利用して起こしたクーデターに過ぎない。明治維新から2013年までの現在、日本はこの「田布施一味」に乗っ取られている。
伊藤博文からはじまり、小泉元首相、安倍首相など、首相の多くが田布施出身の隠れ朝鮮人。
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MasyuTadashi1 年前

      • 涙が溢れて仕方ありませんでした。戦後の自虐史観教育もさすがに劣化の波激しく、すべてはアメリカの謀略・理不尽・非道、、、が明らかになり、日本が悪かった?などというバカは少数になりました。 それでもまだ残る少数が厄介で、日教組を始め気違い左翼や朝鮮系役人や議員が政治の世界にまでウロついて反日活動をしています。中韓のイチャモンに媚びへつらう国会議員の不甲斐なさに、日本国民もようやく目覚め、選挙で政党を大敗、崩壊状態にさすことができることを確信し、ここ10年くらいの国民覚醒は驚嘆に値します。 靖国参拝問題も、こんな映画を見ると中韓に関係なく個人的には「行くな!行って欲しくない!」です。 こんな短い青春を、一命賭けて国の存亡に捧げた数百万の英霊に対して、他国のイチャモンにヘタレるような人間には参拝して欲しくないはずです。命を捨てた英霊の毅然さと、保身のためにウロつく政治家どもとどのように釣り合いましょう。場違い、ド勘違いの恥ずかしい政治家など参拝無用です。 国民の目覚めに政治家は追いついておらず差は広がる一方。大衆の叡智こそ日本の未来と確信します。素晴らしい動画をありがとうございました。

■ 20年間に小伝馬町の牢屋に収監された囚人は一人も居なかった 「qazx(2014.12.21)」より
/
ーー以下「ねずブログ12/8」より抜粋編集qazx

古代支那における法家が主張し、秦の始皇帝が行った「倫理法による支配」と、近代法治国家の「法による支配」は、その内容がまったく異なります。

わかりやすく言えば、以下です。

法家的法治は、法に記されていなくても処罰できる
近代法治は、法に書いてあることでしか処罰できない

ーー

刑法199条に「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」と書かれています。

だから殺人は処罰されます。

もしこの条文がなければ、いくら人を殺しても処罰されないのです。

それが近代法の考え方なのです。

ーー

近代法は、王の恣意で民が処罰されることから、民を守るというところを出発点にしています。

しかし、多くの人が望んでいる社会は、そもそも事件が起こらない社会です。

選挙で選ばれ統治者となった人物が、自己の利益だけを図るようになれば、結果としてそれは民衆を不幸にします。

いわゆる民主政治は、民意を施政者の持つ権力の原因とします。
しかし民意は、情報操作で作れるし、民の求めるものは多様です。

民意の何を採り上げるかによって、施政は変化します。
民主政治は、民意によって変化する、不安定なものなのです。

不安定の原因は、施政者が「権力」と「権威」の両方を持つからです。

ーー

それゆえ、古代の日本人は「権力」と「権威」を分けたのです。

権威は万世一系の天皇に属し、天皇は、その権威によって権力者にその地位を与えた。

民衆は天皇の「おおみたから」です。

ですから権力者にとって、民衆は「自分に権力を与えてくれた人のもの」なのであって、「自分のもの」ではありません。

これによって日本は、民衆を私的に支配するという世界中であたりまえのように、いまでも行われている統治方法を、大きく超越することができたのです。

日本人の知恵はすごいと思います。

(※mono.--中略)
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加瀬英明先生は、ご講演でよく次のように話される。

江戸・享保年間(徳川将軍吉宗の時代)は20年続きます。
この間に小伝馬町の牢屋に収監された囚人は一人も居なかった。

犯罪を犯す者が誰もいなかった。
それはなぜだったのか。

厳しい法があったからでしょうか。
そればかりではないと思います。

「当時は民度が高かった」のかもしれません。
実は、それだけではなかったのです。

施政者の側が、犯罪を起こしそうな人に「目を付け」て、
「悪いことするんじゃないぞ」と教導してきたからなのです。

だから、犯罪を取り締まる人のことを「お目付け役」と言いました。

(※mono.--後略、詳細はブログ記事で)

■ 記紀とシラス国 「ねずさんの ひとりごと(2014.8.12)」より
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古事記は大和言葉を漢字で書き記したものとして知られていますが、いったい全文で何文字くらいあるのかというと、これが約5万5000字です。

古事記の編成は、おおまかに言ってしまえば上巻、中巻、下巻ですけれど、このうち中巻以降は神武天皇からはじまる古代の天皇のそれぞれの記録となっています。
そして、上巻だけが、神武天皇以前の、いわゆる神代のお話になっているわけです。

では、その上巻の文字数がどのくらいあるかというと、これが約1万9000文字です。
その上巻の編成は、以下のようになっています。
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1 序文
2 神代七代
3 伊邪那岐命と伊邪那美命
4 天照大神と須佐之男命
5 大国主命と葦原中国の平定
6 邇邇芸命
7 海幸彦と山幸彦
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

全部で7つの大項目があるわけですけれど、このなかで特筆すべきは、やはり大国主神話ではないかと思うのです。
というのは、大国主神話には、上巻1万9000字のうちの、およそ3分の1占める約7000文字が割かれているからです。

考えてみると、これはおかしな話です。
大国主は、出雲一国の神様だからです。

(※ 以下略、詳細はブログ記事で)

■ 世界最古の土器は、日本か中国か。 「変水流体術(2012.6.3)」より
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私は以下の中国から出土した土器の年代に関して、後述の三点において、その信憑性を疑わしく思っております。
(※ 中略)
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その理由の一つは、中国は歴史を捏造しても恥じない国家だということです。

(国民党の工作員として『戦争とは何か』を書き、南京大虐殺をデッチ上げたティンパリーの事例を見るまでもなく、中国は欧米人を道具として使い、その虚偽に真実味を加えることぐらい朝飯まえですから)
(※ 以下ブログ本文で。)











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