東京行きバス、という話で思い出したことがある。昔、そう十年も前のことだから昔の話。青春の終わりに激しい焦燥感に襲われて、いくつか抱えていた仕事をすべて辞めてカナダへ一人で旅に出たときのこと。

  バンフという町に二ヶ月滞在してスキー三昧したのちに、バスで旅に出た。ロッキー山脈の間を抜けてジャスパーへ行き、そこからエドモントンで数日滞在しバンクーバーへ。 この間はすべて長距離バスで移動した。日本人は誰も乗っておらず、東洋人とバスで会ったのは、ジャスパーからエドモントンへ行く夜間長距離バスの中でだけ。それも陰気で大柄な中国人(だと思う…)だけ。東洋人の隣にカナダ人(いわゆる西洋人)が座るはずもなく、その中国人は途中から乗って来て僕の隣に座らされたことが面白くなかったらしい。差別に敏感な在北米東洋人だったのではないかと感じた。僕はといえば能天気で無口なボケナスだから、どうでも良かった。彼らからの差別があったにせよ、そんなこと感じている暇などないほどに言葉の通じない(英語なんか喋れねぇ~よ。いや喋るより以前に聴き取れないんだから黙るだけのこと)土地での孤独な一人旅の緊張は並みではない。  

  いやそうではなく、青春の黄昏・憂鬱な気分は旅の初めから僕の深い部分を支配していて、これから何をして生きていこうというのだろう、という不安感でいっぱいだったのだ。  地平線だけでなく、天空まで真っ赤に染まった夕昏の車窓を眺めながら物思いに耽っていたから、同乗している西洋人のことなど気にしている場合ではなかった。僕はこの旅で誰ひとり会話を交わすことはなかったし、交流することもなかった。いつも一人だった。

  異邦人、帰る処を失った無能の異邦の民ひとちぎりでしかない。異国の空を見上げて僕は日本に帰ることが無いのではないかと感じていた。僕はココで果てる覚悟で来たのだと信じた。カナダの森で命を終わろうとしていた。日本へ帰ることは、またあの追いまくられる生活に戻ることであり、絡みついた糸を解すことの不可能な関係だけがあった。エドモントンの町を僕はカフェにも寄らず、ファーストフードを食べながら歩いた。ひたすら歩いた。何日目だったか、郊外の博物館へ行った。歩いていたら、たまたま見つけてので入ったのだが、恐竜たちが居たのを覚えている。そういえば、帰国してから体重を計ったら7キロ痩せていた。エドモントンでの宿はYMCAで、ベッドのスプリングが壊れていて寝心地の悪いことこの上なかった。シャワー室ではとても怖い思いをしていた。デカイ奴らがちらちらコチラを見ながらシャワーを浴びているのだ。僕はYMCAに泊まったことを後悔したが、何事もなくエドモントン滞在は終えた。  

  エドモントンからバンクーバーへのバスは確か20時間ほどかかったと思う。昼に出て翌朝に着いたのだと思う。  まったく誰とも会話の出来ない寂しい旅だったが、私はそれで満足だった。独りであることを確認するための旅であった。私はまだ途中で消えることを考えていたから、日本へは電話をしないまま過ごしていた。  

  今思うに、あの二ヶ月ちょっとのカナダ滞在は私を無にした。私の存在など無であった。そこにいるのにいない。誰も気にもとめぬ影であった。あるいは、異邦の東洋人への警戒心が私の存在を消し去っていたかのようだった。  日本語の出来る添乗員と共にツアーバスで移動する日本人旅行者がほとんどな中で、でかいリュックをバスの腹に放り込んだ孤独な日本人バックパッカーは珍しい。 まして英会話などほとんど出来ないときては、コミュニュケーションなどありえよう筈もないこと。 (書き足し中…)

最終更新:2007年03月04日 20:54