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■ サッカーを見ても分かる、ドイツ人にはない「日本人の品性と知性」 「川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」〔現代ビジネス〕(2019.12.13)」より
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リスクプレイとは何か

ドイツのプロサッカーでは、ブンデスリーガ第1部・第2部の試合の約1割が「Risikospiel=リスクプレイ」と位置付けられている。リスクプレイというのは、警備のために、とりわけ大掛かりな警官や警備員を必要とする、極めて危険な試合という意味だ。

ドイツは、日本と概ね似たような構造の文明国だが、それでも実際に見て驚くことは結構多い。その一つがこのリスクプレイの様子だ。

通常の試合では、警備の警官の数は200~250人らしいが、犬猿の仲であるライバルチームの対戦において、凶暴なファンが結集することが予想されるのがリスクプレイで、その場合、1000人近い警官が動員されることもあるという。

多くのファンは特別列車で、昼頃から続々と到着する。皆、贔屓のチームのマフラーやら、帽子を身に着けているので、すぐにわかる。そのあとは、彼らが缶ビール片手に町を練り歩くので、繁華街はかなり物騒な雰囲気になる。だから、それら敵対したグループが接触しないよう、多くの警官が動員される。

(※mono....中略)
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は、リスクプレイとはどんな対戦かというと、たとえば、ボルシア・ドルトムント対シャルケ04、ダルムシュタット98対アイントラハト・フランクフルト、SVヴェルダー・ブレーメン対ハンブルクSV、ボルシア・ミュンヘングラットバッハ対FC ケルンなど。

簡単に遠征できる、距離的に近いチーム同士の組み合わせが多く、たいてい地元の治安も悪い。そこで、スタジアム前には重装備の機動隊がずらっと並び、要所要所には騎馬警官まで出て暴走しそうなファングループを睥睨する。

手荷物は厳重に調べられ、アルコールは禁止、ガラスのボトルも持ち込めない。それでもときどき観客席で、どうやって持ち込んだのか、ロケット花火が飛び、発煙筒が燃え、試合が中断されたこともあった。

(※mono....中略)
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一触即発の雰囲気が常態に

北ドイツのチーム、SVヴェルダー・ブレーメンは、不幸なことに、そういう暴走ファンを多く抱えており、リスクプレイとなると、ブレーメン市の警察は、自分たちの警官を総動員するだけでは間に合わず、他の州からも機動隊を借りて警備に当たる。当然、その経費がめちゃくちゃ嵩む。

(※mono....中略)
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特に最近、いろいろな理由でストレスの水位が上がっているらしく、一触即発の雰囲気が常態になっているように感じる。

また、これはドイツだけでなく、西ヨーロッパ全体の風潮かもしれないが、暴れられるならどこにでも遠征していくようなフーリガンまがいも多く、サッカーの試合だけでなく、各種の抗議デモなどにも集まってくる。だから、ヨーロッパの抗議デモは、ウインドウグラスを叩き割ったり、車に火をつけたりと、あっという間に暴動のようになる。

しかも、人々はそれに慣れっこになってしまっており、誰も驚かない。日本なら社会に戦慄が走り、大問題となるだろう。

日本人の品性と知性

ドイツで現在、心の病が増加中というのも、この風潮と無関係ではないらしい。人件費削減で仕事が増え、皆がストレスを溜め込み、そのため、職場での攻撃的な空気がより強まっている。

12月はじめに発表された数字では、うつ病と燃え尽き症候群の患者の数が、風邪やインフルエンザと並んでしまっているという。

(※mono....中略)
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一方の日本も、ドイツに比べて労働条件が良いとは言えないし、それどころか、ぶちぎれてもおかしくないような待遇で働いている人も多い。それでも日本の場合、どこかで歯止めが掛かっていて、ドイツほど暴力的にも、あるいは、皆が憎み合うような社会にもなっていない。

それを、日本人に権利意識が不足していると、否定的に見る向きもあるようだが、全員が野生動物に近づいているような社会からやって来ると、この日本人の穏やかさこそ、品性と知性の証のように思える。日本で電車に乗って、隅々まできれいな床を見るたびに、私は今でも感動する。


■ 日本人が品格を失い続ける2つの根本理由 - "グローバリズムと活字離れ"の弊害 「PRESIDENT(2019/06/17 11:00)」より
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AI(人工知能)によって今ある職業の半分はAIに代替されるという。しかし、「その議論はナンセンス」だと断言するのは、数学者で『国家の品格』などの著者・藤原正彦氏だ。AI時代に人間力をどう磨くべきか。「プレジデント」(2019年7月5日号)の特集「『人間の器』の広げ方」より、記事の一部をお届けします――。

品格を失い続ける2つの根本的理由

日本は今も品格を失い続けています。その根本的な原因は世界中を席巻したアメリカ型資本主義、いわゆるグローバリズムの浸透と活字文化の衰退です。この2つが日本人の心を荒廃させてしまったことは間違いありません。これから日本の将来を担う若者の生き方を考えるとき、この弊害をいかに克服していくかが重要といっていいでしょう。

このうち、グローバリズムとは1980年代、米国のレーガン政権が自国の国益だけを考え、半ば力ずくで推し進めた強欲な経済政策でした。ミルトン・フリードマンを筆頭とするシカゴ学派の学説を鵜呑みにしたのです。それは一言でいえば、ヒト、モノ、カネが自由に国境を越える経済です。自由で公平な競争とはいっていますが、一切の規制を取り払って極限の利潤を追い求め、競争に勝った者がすべてを奪い取るシステムなのです。したがってこれは、1割の勝者と9割の敗者を生み出します。中間層を消す経済学です。

数学には「大数の法則」という定理があります。例えば、サイコロを10回振れば、回数が少ないため奇数と偶数の出る割合は7対3などとばらつきが出ることがありますが、1億回も振ればほぼ半々に収束します。しかし、現実世界では勝つ者は勝ち続け、負ける者は負け続けるので、サイコロのように公平な社会に収束せず、ゆくゆくは1%の勝者と99%の敗者となることは必然でしょう。

それなのに、日本の歴代政権はグローバリズムを信奉し、大企業や富裕層に有利な規制緩和や構造改革を強行。90年代半ばから今日にかけて、金融ビッグバンや郵政民営化、商法改正、そして商店街をシャッター街に変えた大規模小売店舗立地法の施行などアメリカから求められるままに受け入れてきました。経済に弱肉強食の論理を持ち込んだことで、日本人の持つ優しさや思いやりといった美風が失われ、物事を金銭で評価する風潮が世の中に蔓延するようになりました。

(※mono....中略)
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人間にしかない大局観と美的感受性

一方の活字離れは、97年頃から家庭にまでインターネットが普及したことで一気に加速しました。昔は駅前の書店は黒山の人だかりができていたのに、たちまち廃業に追い込まれ、この20年間で書店の数は半分程度に減りました。電車に乗れば、若い人から中年まで誰もが手にしているのはスマホ。かつてのように新聞や雑誌、本を熱心に読んでいる人はほんのわずか……。このままでは日本人の知的レベルは取り返しがつかないほど劣化してしまいます。

(※mono....以下略)

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■ なぜグローバル化は日本人から「品格」を奪ったのか 「PRESIDENT(2016/03/20 18:00)」より


湯川遥菜
■ 「これが日本民族の精神」―中国ネット 「せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』(2015.1.30)」より
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政府や関係者に迷惑かけた・・イスラム国が殺害画像、湯川さん父親の謝罪に「衝撃的」「これが日本民族の精神」―中国ネット

過激派組織「イスラム国」とされるグループが人質の日本人、湯川遥菜さんを殺害したとする画像を公開したことを受けて、湯川さんの父、正一さんが25日午前、日本メディアの取材に応じた。

香港のラジオ局、香港電台の報道として、鳳凰網が25日伝えたところによると、正一さんは「息子のために政府や関係の方々にご迷惑をかけた」として謝罪し、各方面の尽力に感謝を示した。また遥菜さんを助けるためにシリア入りし、同じく人質となった後藤健二さんについても、「非常に心苦しい。一刻も早く日本に帰ってきてほしい」と話した。

正一さんは25日の午前0時過ぎ、外務省から「遥菜さんが殺害されたようだ。確認は取れていないが、ご承知おき願いたい」との電話を受けたといい、「とうとう来てしまったという残念な気持ちだ」と語った。

息子が殺害されたようだとの情報に接しながら、政府や関係者に謝罪する正一さんの姿は、中国のインターネット・ユーザーの間で大きな話題となり、物議を醸した。ユーザーたちのコメントを拾ってみる。


「日本民族ってどこまで恐ろしいんだ?ほかの国だったら、家族は『政府が何もしなかった』って批判するだろうに」

「日本人は好きじゃないけど、正一さんには心からの敬意を示したい」
「日本人はなにか起きれば反省する。中国人は反省しないばかりか、誰かのせいにする」
「こうしたニュースが本当にメディアに脚色されていない生の報道だとすれば、日本民族は末恐ろしいな」

「これが日本民族の精神だ」
「なんだか彼がとても偉大で、強く見える」
「やっぱり中国人は日本人に学ぶべきだ。敵だったら本当に恐ろしい!」

「誰かを責めたりせず、ただただ寛容」
「言葉にできないけど、心からの敬意を表したい。こういう気持ちは山を動かし、岩をも砕く」

「こういうことが言えるのは日本人だけだね」
「衝撃的。国が違えば考え方も違うもんだなぁ。こういうのはまねできない」
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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中国人は湯川はるなさんの父親は息子が殺されたのだから、本来は謝る必要がない。むしろテロリストを批判すれば良いと考えたのでしょう。

 しかし、日本人の生き方からすれば、そのようなことは百も承知なのですが、湯川さんの父親には世間を騒がすような息子に育てた自分の責任でもある。つまり、「恥じることはなかったのか?」と自分に問いかけて、あのような発言になったのではないか?

 そのように考えます。日本人の多くはそれを理解できるので、皆さんそれを聞いて立派な親だと納得できるのだと思う。武士道精神とは「恥の文化」だとも言います。だから切腹という作法まで確立された。

 その武士道精神は今も受け継がれているようです。

 この冒頭のニュースを紹介したヤフーのコメントにも次のようなものがありました。

 お悔やみ申し上げます。
やはり宗教に頼る他国家よりも、人間力が圧倒的に高いと思います。
こういった武士道精神が最高峰な気がする。
日本人でよかった。

 何故、日本人でよかった。・・・・とこの人が書いたのか?それは他人のせい、つまり政府のせいにするような発言もかなり飛び交っていたからでしょう。だからそれを批判する意味で、或いは自戒を込める意味で最後に付け加えたのかも知れません。

 違和感を覚えて「衝撃的」とした中国人世論にこそ日本人は驚きます。純日本人としては当たり前の対応です。なんとなく湯川さんの父親の話を聞いてほっとした人も多かったのではないか。

 今回の父親の言葉は社会に対しての感謝の意味もありました。社会に迷惑をかけたが暖かく励ましも受けたという感謝の意味です。素晴らしい父親だと思いました。

 これぞ日本人です。湯川はるなさんのご冥福をお祈り申し上げます。


















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最終更新:2019年12月15日 16:03