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■ 裁判員制度なんざもうやめてしまえ 「BLOGOS[長谷川豊](2015.2.9)」より
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久しぶりにかなり気分が悪くなった。

2月5日、目を疑うような新聞記事が目についた。まさにマスメディアはイスラム国を名乗るテロリストのニュースを流し続け、視聴率競争に明け暮れているときだ。筆者は「出来るだけ落ち着いて、ほかのニュースもちゃんと報じて検証した方がいい」と何度もブログなどを通じて発信していたのだが、このニュースなどは本当にしっかりとした制度の見直しと検証がなされるべきニュースのはずだ。


心の底から叫びたい。最高裁のバカ裁判官ども、全員、辞めろ!すぐに辞めてしまえ!断言するが、お前たちなどに、人を裁く能力は皆無だ。能力の無いバカは辞めろ。それが日本のためである。

なぜ筆者がここまで感情的になるのか?順を追って説明したい。
+ 続き
上記した毎日新聞の記事が一番的確にまとまっているので目を通していただきたいのだが、2月4日に信じられない判断が最高裁で下された。
現在の日本では、2009年の5月21日より、「重大な事件」に関しては「裁判員裁判」という制度が始まっている。この制度はもともと時の政権であった小泉内閣の時に提出された法案であり、まさに筆者も朝の情報番組で特集を2度ほど組んだことがあるのだが…

はっきり言って相当に評判の悪い制度であったことは間違いない。理由は3点だ。

1、まず、アメリカの陪審員制度と違って、量刑を決めなければいけない。こんなこと、素人集団の「一般の人間」に出来るのか?自分の意志と意見をかなりしっかりと言えるアメリカ人であっても陪審員と参加して決められるのは「有罪なのか無罪なのか?」くらいである。

2、次に、あまりに市民負担が大きい。原則「義務」となるために選ばれてしまった場合、会社を休んでまで参加しなければいけなくなる。筆者たち、アナウンサーやキャスターはどうすればいいのか?ということも議論の一つとなったが、結論から言うと、仮に選ばれた場合、原則、国民の義務である以上、番組を休んで出ざるを得ないのだろうという一応の結論に行きついた。所詮サラリーマンでしかないし。それほどの負担を強いて、なお…

3、審議できるのが1審だけ、というのだ。陪審員の話をあまり持ち出してもしょうがないのだが、アメリカの陪審員の判断は「貴重な国民の意見」である以上、裁判所であってもないがしろには出来ないと決められている。例えば、筆者も取材した2011年、アメリカを震撼させたケーシー・アンソニー裁判という、あまりにも大きな社会現象となった裁判があるのだが、その裁判は陪審員が「無罪判決」を決定した。
正直に言って、かなり感情的には有罪にした方がいいレベルの裁判であったが陪審員たちは「疑わしきは罰せず」という裁判の基本原則に従って無罪を言い渡している。

こうなると、アメリカでは「無罪」で決着するのである。司法関係者は四の五の言えないのだ。当然だ。その為の陪審員制度である。
ところが、日本の「裁判員裁判」は1審でどんな判断をしたところで、2審や最高裁でいくらでもひっくりかえせるという。冗談じゃない。何のための裁判員制度だ?詰め寄る筆者たちマスコミに、専門家たちは

「いえいえ、ないがしろになんてしませんよ。当然、裁判員たちの判断は最大限に参考意見として考慮されることでしょう」

と口をそろえていた。2009年までは、だ。みんなもテレビで見たことがあるはずだ。

笑わせる。何が「最大限考慮」だ?何が。2月5日の新聞を読んでいただきたい。裁判員たちが、一般の市民たちが仕事を休み、時間を割き、懸命に悩み苦しみながらも出した2つの「死刑判決」があった。それを最高裁の頭スッカラカンの裁判官たちが…

「先例(←今までの判例)を見る限り、ちょっとね~」

という信じられない理由で(←記事を見てほしい。本当にそんな理由なのだ)、あっさりと取り消したのだ!
あの当時、国民の前でニュースとして伝え、報じた我々がバカなだけだったのか?最高裁の裁判官、一度ちゃんと前に出てきて記者会見をしろ!説明をしろ!

皆さんにお伝えしておく。
今回、死刑が「先例に習って」取り消されたうちの千葉のケースであるが、裁判員たちが死刑判決を下したのが竪山辰美被告という53歳のムナクソも悪くなる最低の人間である。

この男はすでに過去にも凶悪事件を起こし、ムショに入れられていた男だ。しかしこの男は出所して、レイプを繰り返し続ける。分かっているだけの件を裁判では取り上げられているのだが、そんなもん、氷山の一角に過ぎないことは言うまでもないことだ。

そして、ついに千葉大の女子大学生、荻野友花里さんというお嬢さんの家に押し入った。この竪山という男は、何の罪もなく、前日まで、いつも通りの楽しい日常を送っていた荻野さんを…

殺害し、

裸にし、

火をつけて燃やしたのだ。

荻野さんの未来は何だったのだろうか?
荻野さんのお父様お母様はどのような気持ちになっているか理解できないのだろうか?最高裁の、法律を暗記する以外何の能力もない最高裁の裁判官たちはこの絶対に許してはいけない男を、

殺したのが一人だし~
殺したのが一人だけなら今では死刑じゃないし~

という理由で、あっさりと死刑判決を覆したのだ。

提言する。

最高裁でふんぞり返ってる、今回の低能裁判官は全員、即日辞めろ。国民の税金をお前らに払うのは断固反対する。理由はいたってシンプルだ。

先例をなぞるのであれば、お前らなんぞ、必要ないからだ。

一人なら死刑にならないんだろ?どんな最低な人間であっても、一人ならレイプしようが裸にして燃やそうが何年かで出所してくるんだろ?荻野さんの両親の気持ちなんてどうでもいいんだろ?コンピューターの方が、よっぽど仕事、早いわ。お前ら邪魔だから辞めなさい。日本の最高裁、もうアイフォンでいいんじゃない?アプリでいいだろ、アプリで。ワンタッチですむし。

あと、お前たちの言うことを真剣に信じて、議論し、マスメディアで報じた我々、すべてのコメンテーターとアナウンサーに謝れ。我々は視聴者に土下座しなければいけない。視聴者には我々が謝る。信じた私たちがバカだったって。すみませんって。だからお前たちは我々に謝れ。

小泉内閣の時代、このニュースを報じたときに、オフレコで、ある識者の方に懇願された。

「長谷川さんね、確かにいろいろと国民に負担はかけるけれど、分かってほしいんですよ。本当にね、情けない話だし、悲しいことなんだけれど、裁判官って、常識の通じないというか、ある意味世間ずれしてる人がめちゃくちゃ多くて…。正直言って、同じ法曹関係者でも頭を抱えてる問題だったりするんです。なので、応援してほしいんです。世間の常識を入れれば、裁判員制度が出来れば、裁判官たちもきっと無視はしなくなると思うんですよね」

無視されてんじゃん。完全に見下されてんじゃん。

どんなテクニックを使って上役に気に入られ、取り入り、最高裁の裁判官に収まったかどうか知らないが…これは最高裁だけじゃなく、日本のすべての検察・弁護士、裁判官に言っておくぞ。

机の上の暗記勉強をしてきたことは認めるが、お前たち、もっとしっかりと常識を持て!世間では…この竪山という男は死刑にすべきだとしか思えないというのが常識だ!こんな奴に何年かで出所されて、一緒に生活なんて絶対にしたくないんだ!それを、その声を届けるために、裁判員のみんなは仕事を休み、時間を割いて、慣れない裁判に参加したのだ!先例を重要視するのであれば、裁判員制度なんて、今すぐにやめちまえ!いらないだろ。我々なんぞ。

最高裁の裁判官たちに猛省を促すとともに、なにより2度傷つけられたであろう、荻野さんのご両親、関係者の方々に、どうか心を強く持っていただきたい、と伝えたい。悔しく、寝られない毎日だろう。涙を流す毎日だろう。どうか周囲の方々、支えてあげてほしい。

そして筆者自身…裁判員制度、などというくだらない制度について、嬉々として朝の高視聴率番組で伝えていたことを、どうか視聴者全ての皆様にお詫び申し上げる。あのニュースを検証せずに垂れ流していたのは筆者の責任だ。申し訳ないことをした。どうかお許しいただきたい。

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市民感覚と法曹界の人間との
意識は大きく乖離してるんだから
どうにもならんだろうね
こいつ等は自分の身内が【惨殺】
されない限りは(されたとしても変わらんくらい脳内お花畑かも(-_-;))認識できないんだろうなぁ

★ 裁判員裁判の死刑判決「破棄」が確定――裁判に「市民参加」の意味はあるのか? 「BLOGOS[弁護士ドットコム](2015.2.9)」より
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1審の「裁判員裁判」で死刑判決を受けた被告人に、2審が「無期懲役」の判決を出していた2つの裁判で、最高裁第二小法廷は2月3日、それぞれの上告を棄却する決定を下した。両裁判で「無期懲役」の判決が確定することになった。

それぞれの決定で最高裁は、1審判決の判断に「疑問がある」と指摘。どちらのケースにも計画性がなかった点を強調し、死刑が「やむを得ない事案であるとは言いがたい」として、高裁判決を支持した。

市民参加による「裁判員裁判」の結論を、プロ裁判官が覆し、最高裁もそれを支持した格好になったため、ネットでは「判例通りの判決下すことしかできないんなら最初から裁判員裁判なんかやるなよアホ臭い」など、裁判員裁判の制度そのものについて、疑問を投げかける反応があいついだ。

今回の決定で最高裁は、死刑を適用するかどうかの判断について「慎重に行われるべきだ」「公平性を確保する必要がある」と指摘。そのためには積み重なった裁判例を検討し、「それを出発点として議論することが不可欠」としているが・・・。

ネットでのこうした声を弁護士はどう受け止めるだろうか。刑事弁護を数多く手がける村木一郎弁護士に聞いた。

●「突拍子もない判断」は許されない
「私は、今回の最高裁の判断は妥当なものだと受けとめています」

村木弁護士はこう切り出した。なぜだろうか。

「裁判員裁判も国の司法制度ですから、突拍子もない判断が許されないのは当然です。たとえ、裁判員が加わった判断であっても、論理則や経験則に反する事実認定は、変更されるべきです」

たとえば、男女がラブホテルに出入りする写真は「不倫」の証拠となる――。裁判では、そんな経験則に基づいた事実認定が行われている。もし場当たり的な事実認定が認められるようになったら、裁判は一貫性を保つのが難しくなるだろう。

「同じことが『量刑判断』でも言えます。一定の幅から逸脱した量刑判断は、特段の理由を見いだせない限り、公平性の観点から破棄を免れないでしょう。

殊に、死刑にすべきかどうかという究極の量刑判断においては『公平性の確保』が強く求められてしかるべきです」

●「盲目的に先例に従え」という意味ではない
しかし、先例の枠に縛られるなら、何のための裁判員裁判なのかという批判もありそうだ。こうした疑問について、村木弁護士は次のように説明する。

「これは、盲目的に先例に従え、という意味ではありません。

最高裁決定の補足意見で、千葉勝美裁判官は、このことを的確に説いています。

『(最高裁の)法廷意見は、死刑の選択が問題になった裁判例の集積の中に見いだされるいわば「量刑判断の本質」を、裁判体全体の共通認識とした上で評議を進めることを求めているのであって、決して従前の裁判例を墨守するべきであるとしているのではないのである』」

これまでの裁判で積み重ねられてきた本質部分を「共通認識」として、下敷きにして議論すべきという話で、「問答無用で従え」というような、単純な話ではないわけだ。

●本質的に「死刑は重すぎる」事例だった
「今回、死刑を破棄した東京高裁も、それを認めた最高裁も、『被害者が1人だから死刑にはしない』というような、単純な判断をしているわけではありません。

むしろ、具体的な事案を前にして、この『共通認識』に基づいて総合判断した結果、どうしても避けられないというのであれば、『被害者が1人でも死刑』という判断を許容しているとみるべきです。

つまり、今回の二つの事案は、『量刑判断の本質』を踏まえた総合判断の結果、死刑選択は重すぎるとしたものでしょう」

死刑を適用するかどうかを決める裁判員たちは、そのように一筋縄ではいかない、非常にシビアな判断が要求されているわけだ。村木弁護士は「私は、国民の司法参加を進める上で、死刑そのものを早急に廃止すべきであると考えます」とつけ加えていた。

【取材協力弁護士】
村木 一郎(むらき・いちろう)弁護士
裁判員裁判を中心に刑事弁護専門。これまでに担当した事件として、埼玉愛犬家連続殺人事件、本庄保険金連続殺人事件、ドン・キホーテ連続放火事件、元厚労省事務次官連続殺人事件、オウム真理教逃亡犯菊地直子事件など
事務所名:彩の街法律事務所

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基本的に日本の法曹界に存在する

連中ってのは

中立の思想を持っていないってのが

一番の問題だわな、政治的に左傾化

し過ぎのきらいはあるよね


死刑廃止ではなく

死刑を存続させるべきと言う

弁護士や法曹界の人間の話なんか

殆ど聞いた事が無いわ

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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判例主義を捨てきれないってんなら

マジでデータベースが有れば

それで全て解決だろ

余計な感情入れないクールな判断が出

来るんじゃね??

www


ま・今回の判断下した裁判官は

コイツだけどね

村瀬均Wikipedia

関与した高裁判決

2014年現在、控訴審が裁判員裁判の死刑判決を破棄した事例は3例あり、その全てが村瀬均裁判長の合議体(東京高等裁判所第10刑事部)による判決である。
長野県強盗殺人事件

詳細は「長野市一家3人殺害事件」を参照
2010年長野市の会社経営者一家3人が殺害され、現金を奪ったなどとして強盗殺人及び死体遺棄の罪に問われ、第一審の裁判員裁判で死刑判決が決定された事件の控訴審で、2014年2月27日、第一審を破棄し、無期懲役を言い渡した[4]。
千葉大生殺害放火事件

詳細は「松戸女子大生殺害放火事件」を参照
2009年千葉大学の女子生徒が殺害され、強盗殺人などの罪に問われ第一審の千葉地裁の裁判員裁判で死刑判決が出された事件の控訴審で2013年10月8日村瀬均裁判長は一審判決を破棄し、無期懲役を言い渡した[5]。
殺人罪で出所後の殺人の事件

妻子を殺した罪で服役を終えた半年後、2009年南青山で男性を殺害したとして強盗殺人罪で第一審の東京地裁の裁判員裁判で死刑となった被告の控訴審判決公判が東京高裁で2013年6月20日結審し、村瀬均裁判長は死刑とした東京地裁の裁判員裁判判決を破棄し無期懲役を言い渡した[6]。

(※mono.--最近は記事を短く紹介することが下手くそで、長文引用となってしまいます。悪しからず。必ず元サイトの記事を参照していただければ幸いです。)











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最終更新:2015年02月10日 21:24