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村上春樹のバルセロナ発言 - 古舘伊知郎に論破された寺島実郎
村上春樹がバルセロナで言葉を発し、「日本人は核(原子力)に対してNoを叫び続けるべきだった」とメッセージした。この発言の意味は大きい。私は、3/11の直後に、辺見庸と村上春樹の言葉が聞きたいと書いた。そして、世界は村上春樹がこの震災について何を言うか、固唾をのんで声明を待っていて、村上春樹は世界に向かってそれを発信する必要があり、その文学者の使命を村上春樹はよく自覚しているはずだと書いた。今回、予想を超えた見事な首尾で、村上春樹はその使命と責任を果たしてくれた。日本人として心から感謝したい。ブログを始めてすぐの頃、7年前、私は村上春樹について記事を書き、「神よ、天空から降りて人になれ」と求めた。ノーベル賞を取るためにも、世界の前で政治や社会の問題について積極的に発言して欲しいと願った。大江健三郎のような知識人として振る舞うべきだと。果たせるかな、2年前のエルサレム賞の「卵と壁」のスピーチがあり、今回、カタルーニャ賞の「非現実的な夢想家」へと続いた。村上春樹は日本の誇りだ。何もかも失い、さらに失い続け、惨めに消え果てつつある日本人だが、村上春樹を持っている。欧州で、米国で、中国で、読者が熱心に村上作品を読み耽り、生きる力を得ている現実がある。村上春樹の読者の存在こそ、現代における一国の知的水準を示すバローメータだと、私はそう確信する。 <有料制です。転載禁止>


村上春樹に感動できない人間は、現代社会で知的な人間と呼ぶことはできない。知的な内面と生活と過去を持った人間とは、村上春樹の世界にアイデンティティをコミットする人間である。村上春樹に心を奪われる市民である。日本人は、村上春樹を通じて世界と繋がっている。嘗ては、ソニーやトヨタの工業製品を通じて繋がっていた。そこで尊敬を勝ち得ていたけれど、今はその紐帯が途切れつつあり、村上春樹と宮崎駿を通じてコミュニケーションの回路が繋がっている。村上春樹は世界の東と西を繋いでいる。西洋人と東洋人を一つの知的な市民世界に結びつけている。そこが素晴らしい。私はずっと村上春樹が好きだった。その集合の輪の中に、無数の外国人が参加してくれていることに無上の喜びを感じる。それは、言わば、私が信仰する宗教が世界中に信者を増やして、普遍的に拡大していることを意味するからだ。NYで、北京と上海で、人が村上春樹を夢中になって熟読している事実を知ると、米国も中国も捨てたものではないと思う。自分と同じ人間が生きているのだと安心を覚える。日本という存在と文化、現代日本人の経験や葛藤が、世界に意味を持ち得ていることを感じ、生きる希望に触れることができる。誰もが、小説の中に孤独な自分がいると言う。そのとき、彼と私は心が繋がっているのだ。こんな素晴らしい小説家は、世界中探してもどこにもいない。

今回、村上春樹は日本語でスピーチをした。しかも、テレビカメラの前に顔を出して。この意味がお分かりだろうか。村上春樹は、特に日本人に向けてメッセージを発したのである。核(原子力)を廃絶せよと。原子力(核)と決別せよと。それを民族の使命と心得よと。確かに、場所がスペインだから、日本語でやるのに具合はよかった。しかし、人も知るとおり、村上春樹は英語の達人であり、堂々たる英文学の翻訳家である。だから、外国でのスピーチは英語でする。ところが、今回は日本語を選んだ。テレビカメラに生で撮られるのは、村上春樹にとっては少なからず苦痛だっただろう。それだけ、今回のメッセージは重要だったのであり、どうしても日本人に肉声と映像で届けたかったのだ。意を決して、日本の知性を代表して、世界に言霊を投擲してくれた村上春樹に感謝する。世界の良心的な知性は、この言葉を日本人の宣誓として受け取り、評価し賛同してくれることだろう。もっと言えば、「聞きたかった日本人の言葉」を聞けて満足してくれたに違いない。昨日の記事で、朝日ジャーナルに載った藤田祐幸の論稿について書いた。われわれが、福島の原発事故を受けて、何より第一に感じ思い言わなければならないことは、広島・長崎の原爆犠牲者と戦後日本のことである。広島・長崎の被曝者に対して、「申し訳ありません」と謝罪することだ。「過ちは繰り返しません」と誓いながら、放射能汚染を再発させたことを反省することだ。

広島・長崎の被曝者たちは、放射能に体を侵され、敢えて言うが、人間モルモットになって自身を検体提供し、今日の放射線医学の基礎となるデータを犠牲的に捧げたのである。放射能の人体への影響についての科学は、彼らの尊い犠牲の上に成立し、放射線現場で働く者を守る基準となっている。この重い歴史的事実こそ、今回の事故でわれわれが口に出して言い、等しく頭を垂れて内省すべき問題だった。原発事故のNHK報道で、あるいは首相会見で、最初に語るべき者が語り、国民が共通に意識に常駐させるべき倫理的問題だった。村上春樹が言うように、まさに日本人の倫理の敗北の問題なのである。われわれは、被曝犠牲者の前に跪いて懺悔しなければいけないし、侍の末裔らしく、責任者に裁きを与えて腹を切らせなくてはいけない。倫理的な始末をつけなくてはいけない。野蛮で過激な主張だと非難されても、私は、それがこの事件に適用する司法として倫理的で本来的だと信じる。そもそも、日本人とは何なのか。世界史の中で日本人の定義は何なのか。それは、原爆で焼き殺された経験を持つ民族だということであり、放射能被曝で苦しみ死んだ同胞を持つということである。この歴史的定義は、アジアで最初に近代国家を建設したとか、歴史始原の王制を維持して国家と国民を統合しているというプロフィールよりも重く、それらよりも定義として先行する。自己認識と自己紹介の情報として、最も上に位置するものだ。

村上春樹のスピーチは、過不足なく、私たちの胸中をまさに代弁し、的確に表現を与えている。練り上げられた原稿は、申し分のない論理と表現の完成度で、何度も読み直して噛み締めるべき至高の作品だ。特に、私が注目するのは、単なる「効率」と「便宜」を、「現実」という言葉に置き換え、スリ替えたのだという直截的な断定と暴露と告発の部分であり、ここにはイデオロギー論の視角と方法がある。素晴らしい。つまり、ここにおいて村上春樹は文学者の範疇を超え、政治思想家となり哲学者になっている。誤解を恐れずに言えば、マルクスになっている。村上春樹は日本の思想的指導者となった。このアチーブメントを歓迎し、拍手を送りたい。大江健三郎もまた、「ルモンド」や「ニューヨーカー」の誌上で、原発事故について、「原爆犠牲者への裏切り」だと言い、原発にNoと言う決意をせよと言っている。村上春樹と同じメッセージを発している。村上春樹のスピーチは、大江健三郎と全く同じ趣旨であり、二人が同じ認識と主張をしていることが分かる。これ以外のメッセージはないのだ。今回、村上春樹の言葉はテレビで報道されたが、大江健三郎の発言はマスコミでは全く無視されてきた。日本人ではなく外国人が大江健三郎に取材し、耳を欹てていえる。なぜ、テレビは大江健三郎に語らせないのか。なぜ、週刊誌は、大江健三郎の代わりに、勝間和代や内田樹や香山リカや茂木健一郎などの浮薄な言葉で意義と総括を並べ、その腐った活字で商売するのか。

昨夜(6/10)、その村上春樹の発言について、NHKはニュースで一言も放送しなかった。切り捨てた。一方、報ステの方は、重大な話題として取り上げ、バルセロナの映像をかなり長いカットでオンエアした。最近、古舘伊知郎の報道姿勢が変わっている。3年前のリーマショック後の一時期を彷彿とさせるような、弱者への視線に重点を置いた政府批判と政治糾弾の論調が際立つようになった。一色清の降板が転機となって影響しているのだろうか。この村上春樹のスピーチには、マスコミにとっては痛撃となるクリティカルな部分がある。「電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました」の件だ。報ステは、さすがにこの部分は流さなかったが、民放局が村上春樹の発言を報道で紹介するということは、態度としては自己批判を意味するものと言っていい。村上春樹の映像を流した後の、寺島実郎と古舘伊知郎のやりとりが実に印象に残るもので、ある意味で、村上春樹の発言以上に大きな事件だった。コメントを向けられた寺島実郎は、村上春樹とは立場が違うと言って反論、中国など新興国が原発建設ラッシュにひた走る中で、日本が原発の管理と制御の技術を蓄積し、その優秀な技術力で世界に貢献することが重要だと言い、原子力開発を国家プロジェクトとして続けろという持論を吐いた。この主張は想定されたところである。ところが、この寺島実郎のコメントに対して、古舘伊知郎がバッサリと斬り返したのである。

事件だった。「寺島さんにお言葉を返すようですが、僕はそうは思いませんね。福島の事故も未だに収束できない日本が、原発の管理だ制御だ技術だ貢献だの言って、それで世界に信用されるはずがないと思います」。完璧な正論の一撃であり、われわれ視聴者の代弁だった。寺島実郎が、これにどう応じたかは忘れたが、恥を掻かされて狼狽したことは間違いない。これこそ決定的な論破であり、寺島実郎は撃沈させられた。古舘伊知郎の言うとおりである。寺島実郎が言うところの、日本の原子力開発が育ててきた優秀な技術者たちは、この事故に際して、メルトダウンの事実すら確認できず、対策に右往左往し、1基どころか3基も続けて水素爆発させ、その挙げ句、仏の汚染水処理装置だの、米の偵察ロボットだのに頼り、何も自分の力では対処できないのである。年間数兆円の国家予算を使いながら、何一つ満足な事故処理はできなかった。東電と政府が打った手は、悉く目算が外れて失敗している。(1)電源車による電源回復、(2)ベントによる爆発回避、(3)水棺による炉心冷却。これらは、成功しているように国民に見せかけつつ、全て最初から判断と作業が誤っていて、奏功したものは一つもなく、傷口を深くしただけで終わっている。太平洋戦争の軍部と政府に瓜二つ。おそらく、今でも対策のミスは連続していて、真相が隠され、事後に失敗と隠蔽が判明する工程を進行させている。優秀な技術者など、一人も育成してはいなかったのだ。寺島実郎が言うように、仮に新興国で原発ラッシュが起きても、その市場はフランスが奪うだけだ。

日本の装置設備(ハード)や管理システム(ソフト)が採用されるはずがない。



by thessalonike5 | 2011-06-11 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(1)
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Commented by しゅんちゃん at 2011-06-11 16:05 x
昨夜(6/10)、その村上春樹の発言について、NHKはニュースで一言も放送しなかった。切り捨てた。一方、報ステの方は、重大な話題として取り上げ、バルセロナの映像をかなり長いカットでオンエアした。大越健介に失望、古館伊知郎を再評価、そしてこのブログ発信者に乾杯!
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