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気になるものは何でもコピペ

最新コピペ 2007-08-09

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「若いんだから、頑張れ」

2007-04-26 09:59:11
別に田中角栄を懐かしむ訳ではないが、今回の事件で際だったのは、コイズミの冷酷さ、酷薄さ。都合の良いときは、ホリエを散々利用し、都合が悪くなると、手のひら返すように見捨てる。コイズミだけじゃなく、武部も竹中も、あたかもホリエをばい菌扱いだ。当に冷血漢コイズミの面目躍如である。ホリエに一言でも、情けある言葉を掛けてやれば、ホリエも少しは気が休まっただろう。むしろ、「若いんだから、頑張れ」と言った、亀井の方が余裕があったな。だから、将来亀井・ホリエ枢軸も、なくはないのである。

「好きなこと」探しの罠(平成17年7月4日)


 親が子供に言う言葉のうち、最も多いのが「お手伝いはいいか ら、勉強しなさい」と「好きなことを見つけなさい、一生打ち込める好きなことを」 である。

 確かに愛情から出た言葉であり、子供のために「よかれ」という思いは痛いほ ど分かる。

 好きなことに打ち込んで、それで食べていかれれば、それにこしたことはな い。一生打ち込める好きなことが見つかり、それに邁進できれば、そんな幸せなこと はない。

 しかし、こう言って育てると、多くの子供がダメになるのだから恐ろしい。

 そもそも、一生続けられる好きなことは、そんなに簡単に見つかるものではな い。好きなことで能力があるという幸せな人は、めったにいるものではない。高校生 くらいまでに、一生をかけるほどに好きなことが見つかる人の方が少ないのである。

 故小此木啓吾氏がモラトリアム(猶予期間)という言葉を言い始めてから半世紀 が経つが、モラトリアム人間はますます多くなり、その期間はますます長くなってい る。

 最近は大人になりたくない「永遠の少年」タイプも増えているが、大人になる ということは、「好き」でないことも我慢してやれるようになることである。

 たいていの人は、偶然や仕方ない事情で職業を選択し、それが一生の天職とな る場合の方が多い。「好き」でなくても、やらなければならないことはきちんとや る、という躾も大切である。

 好きなことが見つからないのに「一生打ち込める好きなことを見つけなさい」 と言われると、たいてい自信を喪失し劣等感を持つ。そればかり言われると、にっち もさっちもいかなくなり、引きこもりへと追いつめられてしまう場合もある。

 「好きなことを見つけなさい」は、自分のことだけ考えなさいと言っているに 等しい。その上、普通に生きることに価値がなく、何か特別な生き方だけに価値があ るという考えも、背後にあるような気がする。

 子供に自信をつけたかったら、「好きなことを見つけなさい」ではなく、「人 の役に立つことを見つけなさい」と言うべきである。

 人の役に立つためだったら、少々の能力で充分である。天賦の才など必要な い。人なみの体力と知力があれば、簡単に人の役に立つことができる。もし何か人よ り優れた能力を持っていて、それを人のために役立てれば、なおさらよい。

 人の役に立てば、人から喜ばれ、感謝され、好かれ、評価される。本人も気持 よくなり、自信も出てくる。人柄もよくなり、積極的に社会に出ていくようになる。 一生続けられる道も見つかるかもしれない。よいことづくめである。

 子供に自分のことばかり考えさせるのではなく、社会とのつながりを意識さ せ、他人のおかげで生きていること、そして他人の役に立てる人間になることを考え させるような教育を、親も学校も社会も心したいものである。


評価について

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.2144   2007/02/20.Tue.14:00.発行

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■創作戯れ言[5]
評価について

青池良輔
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コンテンツ制作を行う上で、常に気になる事に「評価」があります。

感想やコメント、クライアントの満足度など様々な形で受け入れなければいけません。もちろんそこには「良い評価」と「悪い評価」があり、なるべく良い評価を得られる様にがんばっている訳ですが、「評価ばかり気にしていると良い物はできないよ」という話も耳にします。

評価を気にして作品が良くならない理由は、「萎縮する」「ウケ狙いに走る」「こびる」「安全策をとる」などでしょうし、確かに健康的な創作環境とは思えません。クリエイターと名乗る限り、自己表現はちゃんとしておきたいと思うのが当然だと思います。しかし、「評価を気にしない方が良いよ」という言葉には、何となく偽善のニオイも感じてしまうのです。極端な話、全く評価を気にしないということであれば、作品には表現の勢いや個性は出る可能性が高くなるかもしれません。しかし、「で?」と。

少なくとも、コンテンツ制作という仕事においては「努力」は作品自体の評価対象ではないと思います。ものすごくがんばって作ってみても、長年温め続けた企画を食う物も食わず必死に完成させたけど、「で?」と。こういう事をいうと冷血なプロデューサーのようですが、コンテンツの評価の基準がそこにないのですからしょうがないかと。

僕の場合、今まで作ってきたコンテンツのほとんどは受注であれ、オリジナルであれ、なにかしらの「対価」をもらって制作しています。その対価は、評価の金額換算と考える事もできるでしょう。より自分のコンテンツを高く買ってもらえるには、それなりに評価を予測する意識をもっていかなければいけないと考えます。よりコンテンツを魅力的に見せる創意工夫を取り入れたり、アイデアをもう一段深くブレインストーミングしてみたりというのは、決してマイナスではないはずです。「前向きに評価を気にする」ことで「萎縮」は「空気を読む」、「ウケ狙い」は「ターゲット設定の明確化」、「こびる」は「よりわかり易い内容、ユーザビリティーを考える」、「安全策」は「メジャー感をもたせる工夫」に変わっていくのではないかと思います。

そこで改めて「評価を気にしない」という言葉の偽善を考え直してみると、「評価と向き合う事を避けている」ように思えるのです。僕はコンテンツ制作をする時に、かなり評価について悩む方ですが、正直いつも「怖い」です。企画書でも、脚本でも、作品自体でも、それを見せる時には「う~」とか言いながら、もじもじしています。もちろんできる限りの努力をして良い物を創ろうとしていますが、「はぁ~ん。がんばって、この程度?」と言われる恐怖は、自分の才能や人間性を否定されているように感じてしまいます。

完全燃焼して「イマイチ」と言われる位なら、「評価は気にしない」というヨロイを着込んでしまった方が安全です。そして「純粋な自己表現を追求してみたい」という言い訳を準備した安全策こそが偽善のように思えるのです。良い評価が出たら身を翻して「狙ってました」と言いそうな口先だけの軽さを感じるのです。

では「ひたすらにズルく。計算高く作品をつくればいいのか?」というと、ちょっと考えてしまいます。「分析」とか「駆け引き」とか「誘導」とか、それはそれで非人間的な感じがします。理詰めでプランニングされ、評価さえ計画の中に取り込んでしまえば、何を言われても怖くなくなります。ただ、これは大変極端な例で大手の代理店にでもならない限り実現は難しそうです。

僕などは、「評価を気にしないっていうのは、偽善っぽい」「評価は気にして制作してるけど、怖い」「理想の結果を出せるような分析力もない」と、ただ翻弄され憔悴していっているような感じがしますし、どこかで手を打たないと、コンテンツ制作そのものができなくなりそうです。

今の時点では、言い訳や恐怖や分析など全てをひっくるめ、自己評価と自己分析の結果を具体化して、自分自身の背中を後押しする必要があるようです。

コンテンツ制作の実際において、周りの人の意見や決定を除き、もろもろ自分で決めないといけない事には、「こうやったらこう言われるだろうな・・」という「漠然分析」。「あ~、なんかヤバい感じがするけど、これでいこう」という「恐怖対策」。「この位は言い訳させてもらおう・・」という「甘える準備」など、心の中にラインを引くしかないかなと思っています。

外部の評価と上手く付き合うには、まずこの自己評価が納得できる所までの作品を作れば良いと感じます。最終的に褒められても、叩かれても、自分の中でもろもろの「評価基準」ができていれば相対的に判断できるでしょうし、コンテンツ公開前から無駄に怯えなくても良いような気がします。

自己評価の基準は、経験や自信などで刻々と変化してゆきます。良いと思っている事も、ケースバイケースで判断が変わってきます。立ち位置が変われば、同じ評価を外部から受けてもその感じ方も変わるでしょう。今の自分が「面白い」と思える物に注力するのが第一なのかもしれません。

生意気言いました。

【あおいけ・りょうすけ】your_message@aoike.ca
< http://www.aoike.ca/ >
1972年生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。学生時代に自主映画を制作したのち、
カナダ・モントリオールで映画製作会社に勤務する。Flashアニメシリーズ
「CATMAN」でWebアニメーションデビューする。芸術監督などを経て独立し、
現在はフリーランスとして、アニメーション、Webサイト、TVCMなど主にFlash
を使い多方面なコンテンツ制作を行う。

  • 書籍「Create魂」公式サイト

葉巻コラム集あれこれ


『ハードワーク~低賃金で働くということ』書評

  • 「「機会の平等」と「結果の平等」は家庭を通じてリンクしている」
『ハードワーク~低賃金で働くということ』
ポリー・トインビー (著), 椋田 直子 (翻訳)
カスタマーレビュー
32 人中、30人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
とりあえず「やってみた」というのは買い, 2006/1/20レビュアー:柴犬太郎 柴犬二郎(大阪市) - レビューをすべて見る

いろいろ突っ込みを入れたくなるところはあるが、低賃金の職種に就いて、公団に住む生活を体験してみるというのは貴重な姿勢。
 イギリスの公的医療サービスの明らかに不可欠な仕事が派遣会社などを通じて低い給料で働く人により運営されているのには驚いた。
 日本でも派遣会社の台頭が著しく、長者番付に派遣会社社長が登場しているが、低コストの労働力を供給するためのシステムで稼ぐ長者の存在意義が良く分からない。
 作者の「必要な仕事をしている人たちなのに、何故その仕事で得る収入で生活ができないのか?」という疑問にはうなずける。それで回っていかない社会はやはりどこかおかしいのではないかと思える。
 もうひとつ印象に残ったのは子供の「機会の平等」に関して。親の競争の結末が家庭環境であるとしたら、子供が生まれる家庭を選べない以上、子どもの「機会の平等」を保障するということは親の競争の結果に対してやはり最低限の保障をする必要があることになる?(子供を親から切り離して宿舎に入れるなら別だが・・)
「機会の平等」と「結果の平等」は家庭を通じてリンクしている?と考えるべきなのか?「親の敗北」が「子の不利」になるようではやはり「機会の平等」が保障されていないということになる。
 いちじるしく「機会の平等」のない「競争社会」は「弱肉強食」としかいいようがない。
 ・・・日本とわが身に置き換えて見れば、とにかくわが子の教育費だけは惜しんだらいけないとうことか。 -- 名無しさん (2007-02-01 15:57:43)


関西テレビ捏造に透ける知的財産権の軽さ

【PJ 2007年01月26日】- 「発掘!あるある大事典Ⅱ」納豆特集での情報漏洩と捏(ねつ)造事件に関し20日午後、関西テレビ放送の岡林可典常務取締役(当時)が記者会見し、捏造内容を公表し、謝罪した。

 その5項目にわたる事実と異なる内容を読んでみて、番組自体を見ていないわたしは愕然となった。納豆のダイエット効果を紹介する番組内での実験データや米国の大学教授のコメントでの日本語訳の意図的捏造、さらに研究の引用先をワシントン大学からテンプル大学に意図的に変えるなど、その大胆かつ自由奔放な番組の捏造ぶりには開いた口がふさがらない。これだけ自侭(じまま)に目的に叶う番組制作が可能であれば、科学的に見せるデータ創造により番組は湧き出るようにして完成を見るのであろう。

 そこに視聴率を追い求めるコマーシャリズムの影は見えても、「事実を報道する」ジャーナリズムの原点はまったく見えてこない。逆に視聴率の高低が民放収入の大宗であるCM料に直結するという事実と考え合わせると、今回の行為は事業会社でいうところの粉飾に当たる経済犯罪行為になるのではないか。捏造番組により視聴率を上昇させ当該番組のCM時間当たり単価を引き上げる、それはまさに詐欺行為であり、りっぱな経済犯罪である。番組の打ち切りや経営者の内部処分ですむ話ではない。また、同時に同社の筆頭株主である(株)フジテレビジョン(19.85%の株式保有)も頬かむりを決め込むことなどあってはならず、その経営責任が当然のごとく問われるべきである。

 次に事実報道の観点からは、今後、放送法第3条2項の3に定められている「報道は事実をまげないですること」に抵触するか否かで当局等の事情聴取が進められ、厳しい処分が科されることになろう。

 そしてさらに重要な視点として知的財産権という観点から本件を見てみたい。関西テレビつまり一般放送事業者は知的財産権に包含される著作隣接権者である。そして制作される番組は著作権法第98条~100条の「放送事業者の権利」において50年間におよぶ期間、知的財産としてその権利が保護されている。その意味で報道機関は知的財産に最も敏感でありかつその意識徹底や啓蒙に最も熱心であらねばならぬ。

 その報道機関がワシントン大学のデニス教授の知的財産である研究成果を、無断でしかも番組構成に合わせる形でテンプル大学のアーサー・ショーツ教授が行った研究かのように紹介することなど断じて許されることではなく、その罪は格段に重いと言わざるを得ない。関西テレビや制作会社日本テレワークの知的財産権に対する意識の欠如とコンプライアンス体制の未整備には正直、呆れてしまう。

 他人の研究成果を無断で引用し、その引用先に言及しないなどとは、知的財産をクリエートするものにとって致命的な不始末であり、クリエーターとしては即刻退場、その世界から永久追放されるべき不祥事である。今回の事件に触れて、番組制作というクリエーティブな事業に携わる人間たちが、自らの存在を否定するような「知的財産権」を無視する行為を目にし、そのあまりにも低レベルの意識にこの国のどうしようもない文化水準の低さを見るようでむなしさを隠せなかった。【了】

■関連情報
PJニュース.net

※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 野田 博明【 東京都 】
この記事に関するお問い合わせ / PJ募集
2007年01月26日05時23分 -- ライブドアニュースPJニュースhttp://news.livedoor.com/category/date/38/ (2007-01-26 11:51:57)


株式会社の農業参入

  • ビジネス -2005年7月24日


戦前の大地主制度や大手資本の支配によって小作農が迫害された歴史から、これまでは株式会社が農業に参入することは、農地法などによって禁止されていた。しかし、長期間耕作が放棄された農地の増加に伴って、農業そのものが崩壊の危機にあることから、農地法および農業経営基盤強化法の改正によって、株式会社が農業に参入する道が開かれることになった。そのシステムは、(1)市町村が耕作放棄地や放棄地になりそうな農地がまとまって存在する区域を「参入区域」として設定する、(2)市町村は、農地の所有者から区域内の農地を買い入れるか借り入れる、(3)「農業以外の用途に土地を使用しない」などの協定を締結し、市町村が株式会社に農地を貸し付ける、という手順である。農水省はこれまで、農地の貸借利用は、経営陣の過半数が農業関係者で構成される農業生産法人か農家にしか認めず、株式会社などの農業生産法人に対する出資比率も25%までしか認めていなかった。新制度における賃借対象は比較的条件の悪い耕作放棄地に限定されていて、株式会社が直接農地を所有することは引き続き認められず、自治体との協定締結に際しても、撤退の際には農地の原状回復を求められるなど、厳しい内容となっている。

[ 新語探検 著者:亀井肇 / 提供:JapanKnowledge ] -- Yahoo辞書http://dic.yahoo.co.jp/ (2007-01-26 11:05:07)

門戸開け株式会社の農業参入

RIETI上席研究員 山下一仁

現在農地を所有・賃借できるのは農家やせいぜい農家を主なメンバーとする法人に限られています。これは農地法が自作農を作り出した農地改革の成果を維持することを目的にしているからです。

しかし、農業従事者数は年々減少、高齢化し、耕作放棄される農地は増える一方です。このため、一般の株式会社にも農地の所有・賃借を認め、農業に参入させるべきだという議論が起こってきました。既に養豚など、土地を利用しない農業では株式会社が活動しています。

他方で、農業団体は農地法の今の制度を維持すべきだと主張しています。このため、昨年4月から耕作放棄が多い構造改革特区に限り、株式会社が自治体から耕作放棄されている農地を借り、農業に参入することを認めるようになりました。

現在64の特区で食品加工業、外食産業、地場の建設業者、都市・農村交流のためのNPO(民間非営利団体)法人などが参入しています。

■食糧安保に不可欠

今回、農林水産省はこの農地借入れ方式を特区に限らず、全国展開することとしました。

これは戦後の農地改革の成果をかたくなに維持してきた農地法に風穴を開けるという点で、大きな前進です。

しかし、農業団体に遠慮したのか、耕作放棄農地に限り、かつ所有は認めないという限定があります。一般の株式会社は採算が合わなくなれば農地の転用や耕作放棄を行うというのが農業団体の主張です。61年に609万ヘクタールあった農地のうち農地改革で小作人に開放した194万ヘクタールを上回る230万ヘクタールが転用・改廃されました。

転用や耕作放棄をしたのは、ほかならぬ農家です。ヨーロッパでは都市的地域と農村地域の区分け(ゾーニング)がしっかりしています。農地を農業以外に使うのは許されないのです。日本にも農地法による転用規制、農振法によるゾーニングはありましたが、適切に運用されなかったため、農家は農地の切り売りによって大きな転用利益を得ました。食料安全保障に不可欠な農地資源を守るため、これらの法律を適切に運用し、確固たるゾーニングを確立するのならば、もっと広く株式会社の参入を認めてよいのではないでしょうか。

■義務の徹底を

また、株式会社参入の反対論の論拠に産業廃棄物の不法投棄が起きるというものもあるそうです。経済政策の基本は問題の源に直接対処すべきというものです。この問題には廃棄物処理法で産業廃棄物不法投棄のコスト(罰則)を高くすれば良いのではないでしょうか。農林水産省や農業団体はそのための運動を起こすべきです。農地制度でも農地を農地として利用する義務を徹底すればよいのです。

農地改革の担当課長だった小倉武一(元農林事務次官、政府税調会長を25年務める)は「農本主義は生きている」(1967年)の中で、株式会社参入反対に理由がありそうなものとして、農地改革の基礎にあった(1)「土地均分の思想」と(2)家族経営の維持ないし擁護との関係-を挙げ、いずれも農本主義の系譜に属するとし、(1)は農業の構造改善、(2)は農業の近代化、企業化と矛盾すると述べています。

制度的、理念的に株式会社が認められないというものではないでしょう。

2004年12月27日付『フジサンケイビジネスアイ』に掲載 -- REITI独立行政法人 産業経済研究所 http://www.rieti.go.jp/jp/index.html (2007-01-26 11:00:08)



考える力は悶々とする持久力

創作戯れ言[6]
トレーニング

青池良輔
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WEBサイト、ショートアニメ、モバイルゲーム……「コンテンツを作っています」と言えば、様々な案件が舞い込んできます。デジタルというくくりではあるものの、デザインや脚本、企画、インターフェース等仕事としては多岐に渡ります。得手不得手はありますが、仕事内容をより良くするにはどうしたらいいかと考えると、これら全てのプロジェクトのスタートは、

「頭で考える」

だと。コンテンツを成果物と考えれば、クリエイターの脳は「畑」ではないかと思うのです。良い作物を穫る為には、豊かな畑が必要です。しかし、農家の人が耕したり、肥料を撒いたり、雑草を駆除するような時間と手間を自分の「脳」にかけているかというと、はっきり言って自信がありません。

普段仕事をしている時には、「その時の状況」の中で出てきたことを、それなりに面白い物にしようと努力しています。苦労することや、リサーチを必要とする場合もありますが、基本的には自分のキャパシティの中で経験に基づいた発想をしているに過ぎないような気もするのです。ここで、クリエイターとして「畑」を豊かにする為には何が出来るのでしょうか。

「多くのコンテンツを見る」「本を読む」「映画を観る」「見聞を広める」「人と会う」……などなど、引き出しを豊かにする方法はあります。多くの表現方法を学べば、それらをステップとして、新しい表現を生み出すチャンスは比例して増えていくはずです。引き出しを増やすのは重要です。しかし、個人的にはそれではクリエイターとして豊かになれないような気がするのです。

世界一多く映画を観た人が、素晴らしい映画監督ではないでしょう。

もちろん、表現の幅を広げる為に、様々な物を観て、知り、学ぶ事は不可欠だと思いますが、その為に膨大な時間を割いてしまえば、表現力を得る為の情報収集が、自己満足の為の収集活動になる危険性もあります。僕自身、何かのプロジェクトの為のリサーチを行っていると、芋づる式に次々に出てくるインフォメーションに翻弄され、ある程度の情報が集まっているにも関わらず、「一番面白い事を取りこぼしているのではないか……」と不安になってしまうのです。

情報に流され易い僕としては、「情報は必要なだけでいい」と思っています。クリエイター脳を豊かにする為にはもっと別の要素があるような気がします。

それは、「創造力」「柔軟性」「巧緻性」「応用力」などでしょうか。しかし、これらが豊かな頭というのは、残念ながら個性や能力に左右される感じもします。「3年間のトレーニングで、創造力が倍増!」なんていう愉快なトレーニング法があればいいのですが、聞いた事はありません。ただ、先人の創造のメソッドや、そのパターンを分析して知識として吸収する事はできるでしょう。そうしていくと、これらの能力を伸ばすのもまた、知識という事になるのではないでしょうか?

しかし、クリエイター脳という畑の土壌を豊かにしたいと願っても、知識を詰め込んでいくだけでは、肥料の多すぎる土地になってしまい「独自性」という芽を枯らしてしまうかもしれません。

自分としては、知識に依存せず、ただの頭でっかちではないもっと「地力」というか「馬力のある」頭が欲しいと願うのです。

豊かなクリエイター脳とは、「限りない試行錯誤を繰り返せる体力のある脳」ではないかと。どんな人でも「アイデアが浮かぶ」瞬間はあります。ただそのアイデアを「オリジナリティのある商品」にまでもっていくには、多くのトライアンドエラーを必要とします。その労力を惜しまない事が、コンテンツを磨く秘訣のようにも思います。多くの才能あるクリエイターといわれる人は、その試行錯誤を納得いくまで悶々と繰り返せる人ではないかと思うのです。そう考えれば「悶々」上手になるのが、クリエイターとしての豊かさの鍵のように思えてきます。

良い畑をつくるには、「悶々」とできる思考を維持する為に、時間と環境を整えてやる必要があるのかもしれません。悶々としようと決めれば「思考を中断しない」「雑音を少なくするか、多くする」「腹八分目」「過剰に幸せにならない」と具体的な策も浮かびます。そして、その適度なストレスとループする思考の中で、アイデアは練り上げられていくのではないでしょうか。

ストレスに耐える「タフネス」を脳に与えたいのであれば、「悶々」を繰り返しているうちになんとかものにできるのではないかと。今、自分が良い物を作れるようになる「頭」に必要なのはその「持久力」だと思うのです。

「考える力」とは、「考え続けられる力」であることを願いつつ。

生意気言いました。

【あおいけ・りょうすけ】your_message@aoike.ca
< http://www.aoike.ca/ >
1972年生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。学生時代に自主映画を制作したのち、
カナダ・モントリオールで映画製作会社に勤務する。Flashアニメシリーズ
「CATMAN」でWebアニメーションデビューする。芸術監督などを経て独立し、
現在はフリーランスとして、アニメーション、Webサイト、TVCMなど主にFlash
を使い多方面なコンテンツ制作を行う。

  • 書籍「Create魂」公式サイト
< http://www.ascii.co.jp/pb/flashbooks/create-damashii/ > -- 【日刊デジタルクリエイターズ】 No.2154   2007/03/06.Tue.14:00.発行 (2007-03-12 12:37:52)



ライブドアに物申すというライブドアのブログ

2006年02月27日
高野 孟さんより
インサイダー編集長で、ブログサイト《ざ・こもんず》を主宰されている高野 孟さんよりご意見をいただきました。

以下、全文を掲載いたします。


(1)企業としてのライブドアについて

 ライブドアのポータルサイトが必ずしも儲かっていないという話は前から聞いていたが、こうなってから実情を知ると、ライブドア・グループ全体の中でインターネット関連の収益は1割にも満たなかったわけで、これを「IT企業」と呼んでいいのかどうかさえ疑問になってくる。たしかにポータルの事業は発端であり看板であったには違いないが、いつしか本末転倒が起きて、「金融企業」、もっと言えば兜町には昔からあった「仕手集団」のニュータイプになっていたということではないか。

(2)ライブドア事件について

 従ってこの事件は、よく言われる「IT企業の犯罪」とか「六本木ヒルズ族の陥穽」とかが本質ではなく(そう言ったら他のIT企業やヒルズ族が迷惑する?)、内容においては極めて古典的な、しかし手法的には昨今の市場自由化の流れを巧く活用してなかなか斬新に映る、株価操作事件であり、実際、堀江はじめ被疑者はそのようなものとして裁かれるだろう。すなわち、「偽計」「風説の流布」など証券取引法違反、「不正経理」「利益の付け替え・損失隠し」など商法違反、「海外隠し口座」など所得税法違反等々である。

 それに対して、「株式分割」「株式交換」「投資事業組合」などいわゆるグレーゾーンの問題はまた別である。松原隆一郎東京大学教授が言うように「資本主義そのものがルールのグレーゾーンを開拓するよう動機づけられている」のであって、法やルールの“想定外”のことを真っ先に(リスクを賭けて) “想定内”にしてしまった言わば先駆者が儲かるというのが資本主義の創造性の源泉の1つである。それが違法なのか倫理違反なのか、逆によい先例を作ったと誉められるのかは事後的にしか判定されず、まずいということになればルールが改定されることになる訳で、事実、株式分割は当局の指導で制限され、また「株券のペーパーレス化」によって株価吊り上げの道具とすることは封じられた。またニッポン放送株の買収の際に問題になった「時間外取引」も法改正で今では難しくなっている。それは資本主義の常態とも言うべきもので、それらの手法の全部が「怪しい」「いかがわしい」という感じで日々マスコミに報道させている検察のやり方は行き過ぎである。

(3)堀江貴文という人物について

 堀江について「『人の心は金で買える』などという金銭至上主義」(藤原正彦お茶の水大学教授)、「金銭至上主義の子どもが背伸びしただけ」(河合和雄元東京地検特捜部長)などと一刀両断する論調が盛んだが、私はこれには断固反対である。“ホリエモン”は堀江貴文個人やライブドアという1企業の表象であることを超えて、一個の社会現象だったし、こうなった今も尚そうである。

 私の早稲田のゼミでホリエモン逮捕が話題になった時、ある学生は短く「悔しいです。大人たちに復讐してやりたい」と言った。堀江は、東大にいながら「就職するということのイメージが持てない」でコンピューターの打ち込みのアルバイトに精を出したフリーターが始まりであり、宮内亮治は、母子家庭で母親の屋台を手伝いながら高卒で専門学校に入り9年間も苦学して税理士資格を得た言わば「負け組」出身であって、そうした彼らが勝ち上がって“大人たち” に挑戦するのに、自分らが金を掴む以外にどんな方法があっただろうか。愚にもつかない“大人たち”の世界に従順に飼い慣らされて生きていきたくないと思う若者たちにとって、ホリエモンは“夢”だったのであり、彼らは僅かなアルバイトの稼ぎでデイトレードを通じてライブドア株を1株だけ買うことでホリエモンと心の繋がりを持とうとした。よく“大人たち”は、堀江のように悪いことをしてでも大金持ちになって自家用ジェットを持つ者もいれば、大学を出ても就職できないかわいそうなフリーターやニートがたくさんいる――日本は一握りの勝者と大多数の敗者しかいない「格差社会」に突入しつつあるなどと言うが、それは違う。堀江も、フリーター候補である私のゼミの学生も、今までの(私に言わせれば明治以来100年間の発展途上国的な)価値観に従って生きていきたくないという思いを共有している。しかも堀江は元フリーターで、ということは数多のフリーターやその候補たちも堀江になれる可能性がないわけではないのである。堀江を含めて今の若者たちの古いものを壊して新しい生き方を模索しようとする思いの激しさを、金銭至上主義などという苔の生えた言葉でバカにしたのでは、この社会は出口を失うことになる。

※私のホリエモン事件についての論説は、「インサイダー」誌上で詳しく展開している。「インサイダー」は私が創設して実験運用中のブログサイト《ざ・こもんず》http://www.the-commons.jp/にも搭載しており、このURLから講読会員登録すれば無料で読むことが出来る。 -- http://blog.livedoor.jp/ld_opinion/archives/50267767.html  (2007-03-05 15:36:19)

歴史的にも都市の形成の方が農村の形成に先行する、という一見驚くべきアイディア

稲葉振一郎の「地図と磁石」
第二部 政治学的公共性論

第1回 グローバル化と産業化の道の行方
ジェーン・ジェイコブズ再評価
 『都市の原理』のポイントは「都市は農村に先行する」というテーゼである。社会経済メカニズムの上では、その発展のダイナミズムはまず都市から発し、農村はそのリードを享けて初めて発展することができる。これはまあ、近代以降の経済については誰もが認めるところであろう。しかしジェイコブズはここでより踏み込んで、歴史的にも都市の形成の方が農村の形成に先行する、という一見驚くべきアイディアを提示する。 -- http://hotwired.goo.ne.jp/altbiz/inaba/031202/textonly.html (2007-02-06 13:25:32)


自分が食べていけるだけの収入を得て、地域に奉仕できれば、リスクを懸ける価値がある

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更新2007年01月29日 18:44米国東部時間
街の本屋の新規開店が増加~生き残る可能性はあるのか
 インターネットや大型書店が牛耳る国内本屋産業にあって、独立系の街の本屋の出店数が増加している。

 クリスチャン・サイエンス・モニターによると、米書店組合連合会(ABA)のオレン・テイチャー氏は独立系書店について、「(死んだと報道されて以後も長い間生存していた)マーク・トウェインのようなもの」と形容。「死んだと思うのはまだ早い」と語った。

 ABAへの新規加盟書店件数は、2005年の90店から06年は97店と増えた。一方で、ABA会員数は1996年の4057人から1625人まで落ち込んだ。利ざやが2%出せれば上出来とされる業界で、小規模書店が生き残れるのかどうかを懸念する声が上がっている。

 コネチカット州ブロード・ブルックスで書店「Broad Brook Books & Stuff」を昨年開店したクリストファー・タール氏は、「本屋を開店したと言うと周りから『どうして?』と聞かれますよ」と話した。

 米文学を専攻したタール氏は、妻とともにメイン州から越して来た際、商店街の味気なさに「途方に暮れて何かをやる必要に迫られた」と説明。義理の母から築150年の赤レンガ造り建物を借りて出店した。賃貸として税金と光熱費を払っている。しかし、もうかる商売かと言うと、「『店を出して数百万ドルを稼ごう』というたぐいの商売ではない」と否定する。

 それでも、棚から本の種類まで自分好みに彩れる本屋はロマンチックで、自分が食べていけるだけの収入を得て、地域に奉仕できれば、リスクを懸ける価値がある商売だという。 -- http://www.usfl.com/Daily/News/07/01/0129_015.asp?id=52280 (2007-02-06 10:40:58)

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