ある日のこと。
 帰宅部の僕は何時ものように帰りのホームルームを終え、帰宅しようとしていた。
 何時もと違うことと言えば、今日の僕は一人だって事くらいかな?
 最近は、大抵は谷口と一緒だからなあ。ああ、今日は谷口は日直なんだ。
 そういうわけで、特に誘う相手もいなかった僕は今日は一人で帰宅、と思っていたんだけど、玄関のところで、ちょっと意外な人物が一人で立っているのを見つけた。
 女の子にしては少し背の高い、すらりとした細身の体躯と結い上げられた長い黒髪が印象的な少女。……いや、まあ、キョンのことなんだけどさ。
「あれ、キョン、どうしたの?」
「ああ、国木田か。……いや、傘が無いんだ」
 外は雨、でもキョンは傘を持っていないらしい。
 まあ、今日の予報では降水確率は40%前後だった気もするから、もっていなくても不思議ではないんだけど。
「SOS団は?」
 僕が気になったのは傘よりこっちの方。
 キョンは五月頃から高校に入ってから同じクラスになった涼宮さんに巻き込まれて、SOS団なる団体に加えられ、日々その活動に振り回されているんだよね。
 どうして今日は一人なのかな。
「今日は休みだってさ」
 ああ、そういう日もあるんだね。
「ふうん……。じゃあ、一緒に帰る? 傘なら入れてあげるよ」
 そう言って僕は傘を取り出す。
「悪い、世話になるな」
 相手が僕だったからかな、キョンは躊躇いもせず僕の申し出を受け入れてくれた。
 そういうキョンの態度は嬉しいけれど、同時に僕にある種の虚しさを思い起こさせる。
「良いよ、このくらい。じゃあ帰ろう」
「ああ」
 それから僕達は、二人で帰宅することになった。

 続に言えば相々傘ってことになるんだろうけど、キョンはそういうことを気にしている素振りを全く見せないというか、多分、全く気にしてない。
 まあ、中学時代からこんなことは珍しくも何とも無かったしね。
「ねえ、キョン」
「何だ?」
「SOS団って、楽しい?」
「……それなりに、かな」
「そっか、それなら良かったね」
「ああ」
 何気ない会話も、変わらないと言えば変わらない。
 内容自体は全然違うけど、僕等の間に有る物は変わってないってことになるのかな。
 キョンは本当に、僕を異性として全然認識していないし、僕の方も、表面上はずっとそんな感じだしね。
「そういや、お前と二人きりで帰るのも久しぶりだよな」
「うん、そうだね」
 中学の頃は、こういうことは良くあった。というよりも殆ど毎日がこんなだった。
 中学時代の僕等はよくつるんでいる仲間同士の二人って感じだったんだけど、僕等二人だけが他の友人達と家の方向が違ったからね。
 だから、毎日一緒に帰っていた。
「何か懐かしい感じだよな」
「中学を卒業してからまだ半年も経ってないよ?」
「分かっているよ。……ただ、そう思っただけだ」
 懐かしいと思うのは、今が充実しているからじゃないかな。
 中学の頃が楽しくなかったとは言わないけど、今のキョンは多分、中学の頃よりずっと充実した日々を過ごしている。
 正直、僕はそんなキョンがちょっとだけ羨ましいし、そういうことを考えると、少し寂しくなったりもするんだね。
 別に僕とキョンの間が何か変わったわけじゃないし、これからも変わらないと思うんだけど、でも、やっぱり、違うんだなあって思う。
 溝を感じるってわけじゃないんだけど……、ううん、これはちょっと説明し辛いな。

「おや、奇遇ですね」
 信号待ちのところで、僕等は後ろから声をかけられた。
 まあ、声をかけられたのは僕じゃなくてキョンだけじゃないかって気もするけど。
「ああ、古泉か」
 キョンが振り返り、キョンが濡れないように傘を動かしつつ僕も振り返る。
 背の高い、これでもかというくらいのハンサム美少年がそこに立っていた。
 同じ年でこれだもんなあ……、普通に考えて、勝ち目が有るって考える方がどうにかしていると思うし、幸か不幸か、僕はそういうところは極めて普通の考えの持ち主なんだよね。
 情けないことに。
「そちらも帰宅途中ですか」
「ああ、そっちもか?」
「ええ、そうですよ」
 何だか社交辞令みたいなやり取りだけど、キョンもちょっとは緊張しているんだろうな。
 僕と一緒の所を見られたのが嫌なのかもね。……普段は意識して無くても、流石にこの状況は、ってくらいには思うのかも。
 というか、そうとすら思ってもらえなかったらそれはそれで寂しいし。
「ほら、行きなよ」
 僕はひょいとキョンの背中を軽く押して、古泉くんの傘の中に放り込んでやった。
 行きたいってのは雰囲気で分かったし、多分、向こうも迷惑とは思ってないだろうしね。
 だから、これで良いんだと思う。
「え、あ……」
「じゃあ、また明日」
 それっきり、僕は振り返らずに早足で帰ることにした。


「おはよう、キョン」
 翌朝のホームルームの時間、僕はちょっと居心地悪そうな感じで席についたキョンに自分から話し掛けてみることにした。
 ううん、昨日のあれ、もしかしたら逆効果だったのかな?
 一応、良かれと思ってやったんだけどなあ。
「ああ、おはよう……。国木田、昨日はすまなかったな」
「良いよ、だってキョンは古泉くんと一緒の方が良かったんでしょ?」
「それは……」
「僕達親友だろう? 親友だったら、迷っているときに背中を押すくらい当然だって」
 白々しいにもほどが有るなあって自分では思うんだけど、キョンに気付かれないなら、それで良いんだ。
 別に、気付いて欲しいわけじゃないからさ。
 僕は君を苦しめたいわけでも、傷つけたいわけでも無いんだからさ。
「国木田……。ありがとな、そう言ってもらえて嬉しいよ」
 そう言って笑ったキョンは、可愛かった。
 キョンは可愛いってタイプじゃないし、女の子にしては背が高くて、どちらかと言えば綺麗と言うか、凛とした感じで男の子より女の子にもてるタイプだと思うんだけど、こうやって笑うと、すっごく可愛いんだよね。
 まあ、本人は気付いてないんだろうけど。
 可愛いなんて言うと、嘘だろうとか冗談はやめろとか言い返してくるタイプだしなあ……、まあ、そういうところも含めて可愛いんだけどね。
「どういたしまして」
 僕も笑って、キョンに答えた。
 そう言えば、僕も笑うと、いや、童顔で女顔だからかな、普段から結構可愛いって言われたりするんだよね。
 いや、男がそう言うことを言われても全然嬉しくないんだけど……、言う方はそういうことを全然分かってないんだろうなあ。


 お昼休みの時間。キョンは、何時ものようにお弁当を開く変わりに僕と谷口の机に小さ目のタッパーを一つずつトントンと置いた。
「何これ?」
「作りすぎた弁当のおかずの余り」
 答えたキョンは、自分の弁当箱を手に立ち上がろうとしていた。
 何だか、弁当箱が何時もと違うような……。二人分か三人分は有りそうだよね。
「……お前が作ったのか?」
 ぽかんとしていた谷口が、我を取り戻しつつ訊ねる。
 そういや、谷口はキョンに惚れているんだよね……。キョンは全く気付いてないみたいだけど、僕には、いや、クラスの半分くらいにはバレていると思う。でも、それ以上の人間が、キョンが別の男子のことを好きなのを知っていたりもするんだよね。
 叶わぬ恋かあ。
 谷口の場合、そう思っているかどうかちょっと怪しい気もするんだけど、谷口のそういうおめでたい所はあんまり嫌いじゃないんだ。
 僕みたいに、一人で勝手に考えて勝手に納得して勝手に諦めるよりは良いんじゃないかな。
「そうだよ」
「へえ……」
「キョンはどこに行くの?」
 感心する谷口を無視して、僕はキョンに訊ねる。
「九組」
 予想通りの回答。
 谷口がちょっと苦い顔になって、でもキョンはその意味を正確には理解していない様子で、僕はただなんでもないことのように笑う。
 そして、キョンを見送ってから、僕と谷口、男二人の、何時もより少し寂しい昼食の時間が始まった。


 キョンは、昼休みも終わるギリギリの頃になってから教室に戻ってきた。
「喜んでもらえたの?」
「……ああ、一応な」
 やっぱり、喜んでもらえたんだ。
「そっか、良かったね。ああ、ハンバーグ美味しかったよ、ありがとね」
 そうそう、キョンが持ってきてくれたタッパーの中にはいっていた小さ目のハンバーグと付け合せのサラダは、とっても美味しかった。
 調理実習の時以外でキョンの料理を食べたのなんてこれが始めてだけど、結構上手いんだね。
「あ、いや、ついでだったし」
 ううん、本当についでとしか思って無さそうだ。
 まあ、谷口はともかく、僕はこんなことで今更傷つくようなキャラじゃないってことになっているから、そういう態度の方が助かるんだけどさ。
「でも、僕は嬉しかったよ」
「そっか、それなら良かった」
「明日も作るの?」
「どうかな、まだ決めてないんだ」
「ふうん。……まあ、作っていて余りそうだったら僕等にも何かちょうだいよ」
 谷口は何も言ってこないけど、まあ、あいつも反論する気は無いんだろう。
 お零れでもなんでも、惚れた女が作ったおかずにありつけるんだしね。
「ああ、そのときはそうさせてもらう」
 キョンの言葉には、嫌味の欠片も無い。
 本当に、僕のことも谷口のことも、友人としか思ってないんだろうなあ。
 いや、それで良いんだけどさ。


「何であんな奴がいいんだろうなあ……」
 帰り道で、谷口がぽつりと呟いた。
 今日はキョンはSOS団の活動があるみたいだから、僕は昨日と違って何時ものように谷口と二人で帰宅だ。
「古泉くんのこと?」
「そうそう、あんな怪しい奴」
「怪しい? 何で?」
 涼宮さんみたいに、五月の転校生は怪しいとでも思っているんだろうか。
「転校初日に涼宮に掻っ攫われてそのまま着いていけるなんて、変な奴に決まっているじゃないか」
 谷口、そういう決め付けは良くないと思うよ。
 改めてそう言われると、そう言えばそうかもなあ、くらいには思わなくも無いけど。
 でも、こういう場合は、
「あのSOS団の中に古泉くんの本命がいるんじゃないかな。それか、キョン達を放っておけなくなったとか」
 このどっちかのパターンなんじゃないかな。
 僕としては、何となく前者で、前者だったら本命は、多分……、っていう風に思っていたりもするんだけど。
「そうかあ?」
「そういうもんだと思うよ」
「ふうん……。なあ、国木田」
「何、まだ何か?」
「一つ聞いて良いか。……お前とキョンって中学から一緒だよな?」
 話の風向きがいきなり変わった。
 何だろう、どうして今更そんなことを確認するんだろう。
 キョンのことで聞きたいことでも有るのかな?
「うん、そうだけど」

「お前さ、キョンと付き合ってたのか?」

「……違うよ」
 谷口の、直球過ぎる質問に対して、僕は首を振った。
 まさかそう来るとはね。僕とキョンが付き合っていた? そんな風に訊ねて来たのは谷口が始めてだよ。中学の頃から僕とキョンは仲の良い友人で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 そりゃあ、キョンに言い寄る男が現れたりしないように、僕が色々と……、まあ、これは良いか。
「本当かよ」
「本当だよ」
「じゃあ、」
「何?」
「じゃあ、何で答えるまでに間があるんだよ」
 こいつは馬鹿なくせに、こういう勘だけは結構良い。
 恋愛事になると途端に勘が鈍ったり良くなったりなんていう人自体は別に珍しくも無いと思うんだけど、それって一体どういう仕組みなんだろうね。
 僕にはよく分からないや。

「……僕がキョンを好きだったのは本当」

 いいや、認めちゃおう。ここで黙っておくのも変だしね。
「……」
「でも、告白したことは無いし、キョンは多分何にも気付いてないんじゃないかな」
「……」
「まあでも、昔の話だよ」
「嘘吐け」
「嘘じゃないよ、昔の話だって」
「お前、今でもあいつのこと好きなんだろ?」
「違うよ、今は、」
「強がるな」
 谷口は、何時もとは全然違う随分と低い声でそう言った。
「……何で、分かっちゃうかなあ」
 降参、僕の負けだね。
 本当は、誰にも言うつもりは無かったんだけどな。
「見てりゃ分かるって」
「そういうもの? でも、多分他の人は誰も気付いてないと思うよ」
「馬鹿、俺だから分かったんだよ」
「そっか、そうだね」
 まあ、そういうことにしておいておこう。
 僕が高校に入ってから一番話している相手は、確かに谷口なんだし。
「なあ」
「何?」
「お前、このまま諦めるつもりなのか?」
「どうかな、分かんないよ。……でも、僕はキョンが幸せならそれでいいかな」
「……滅茶苦茶クサイ台詞だな」
「うん、分かっている」
 そんなこと、分からないで言うほど馬鹿じゃないよ。
 分かっていれば言えるくらいの馬鹿ではあるみたいだけど。
「良いのかよ、それで」
「良いんだよ、これで」
「……」
「あのさ」
「何だよ?」
「キョンには言わないでね」
「言うか、馬鹿」

「キョンはね。別に地味なタイプってわけじゃないんだけど、そんなに目立つ方でもなくて……、でも、割ともてる方なんだよね。まあ、異性より同性にもてるタイプみたいだけど」
「……」
「僕は一年の時から同じクラスでさ。席が近いから何となく一緒に話すようになって、それから結構仲良くなったんだ。……付き合っているって勘違いしている奴も結構居たのかな。キョンが男に一度も告白されたこと無いのは、多分そのせいだね」
 僕の知る限りというか、以前キョン自身が僕に言っていたことが正しいならば、キョンは今のところ男から告白されたことは一度も無い。勘違いっていうか、僕がそう仕向けていた面も無いわけじゃないんだけど……。
 全く、告白する勇気も無かったくせに、僕は一体何やっていたんだろうね。
「僕の知る限りじゃ、キョンから誰かに告白ってのも無いみたいだけど。……多分、古泉くんにも直接言っては居ないんじゃないかな」
「あいつの名前を出すな」
「でも、キョンが古泉くんを好きなのは事実だしさ」
「キョンはあの男に騙されているだけだ!」
 谷口はそう言って手を振り上げた。
 元気というか前向きというか都合がいいというか……、いや、そういうところはちょっと羨ましいなあ、とも思うけどさ。
「ねえ、谷口」
「何だよ」
「谷口もキョンが好きなんだよね?」
「なっ、そんなわけねえだろっ」
「いや、バレバレだから」
 そりゃあもう、僕なんかより全然ね。
 キョンは鈍いから気付いてないみたいだけどさ。
「……」
「隠さなくたって良いじゃない」
「……そうだよ。俺はあいつが好きなんだよ」
 うん、良い返事だ。
「そっか」
「キョンには言うなよ」
「言わないって」
「なあ、国木田」
「何?」
「お前、恋愛と友情だったらどっちを取る?」
「ううん、そのときによるかな」
「馬鹿かお前、こういう時は友情って答えるもんだろ!」
「そんなこと言っても、いざとなったらどうなるか分からないじゃん」
「お前なあ……」
「良いじゃん、別に今答えを出さなきゃいけないわけじゃないんだしさ」
 別にお互いに同じ人が好きだからと言って、だからどうなるってほど単純な問題じゃない。
 まあ、その好きな女の子には他に本命が居るからってのも有るんだけどさ。
 谷口も、口じゃあんな風に言っているけど、キョンが本当に騙されているとまでは思ってないんじゃなかな。多分、そういう風に思い込もうとしているんだろうね。
「そりゃそうだが……」
「まあ、こういうことはなるようにしかならないから、あんまり気にしても仕方ないと思うよ」
「悟ったようなことを言うな」
「別に悟ってなんか居ないって」
「ったく……」
 谷口は、それきり黙ってしまった。
 もしかしたらもっと言いたいことが有ったのかも知れないけど、これ以上僕に何か言っても仕方ないって思ったのかな。
 まあ、仕方ないと言えば、仕方ないのかもね。

 谷口がどう思っているか知らないけど、結局僕は、自分の気持ちをキョンに伝える気は無いんだよね。
 中学の三年間、一番近くにいて、一緒に馬鹿をやって、一緒に笑って……、それだけで充分って言うつもりはないけどさ、まあ、それで良よかったかなって思わないわけでも無いんだ。
 もしかしたらこの先、他の人を好きになるかも知れないしね。
 だから、悶々と考えつつも機会を窺っている谷口を見ても、特にどうとも思わないし、抜け駆けするななんて思ったりもしない。
 まあ、応援する気も無いんだけど……、うん、これはもう、なるようにしかならないからね。

 とりあえず僕は、キョンが幸せになれるよう祈ることにするかな。

 
 終わり


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