ここは朝倉涼子が涼宮ハルヒの無自覚的な異空間創造に乗じて作成した、亜空間。
 『閉鎖空間』と呼ばれることもある異空間とは、似て非なる存在。
「あーあ、逃げられちゃったかあ」
「……」
「ま、良いわ。長門さんはここにいるしね」
 朝倉涼子が、一歩前へ踏み出す。
 攻勢情報が支配する空間、ここは彼女の領域。
 ……朝倉涼子が、一瞬だけ目を閉じる。
 この動きは……。
 駄目、わたしは動け……、無い。
「ダメよ、ここはあたしの作った場所だもの」
 朝倉涼子が周囲に攻勢情報の集合体、一般に『槍』と称される武器に似た形の物体を生成する。
 まずい。
 一瞬、ほんの一瞬。
 それだけの時間が有れば、朝倉涼子を『追う』ことが出来るのに。

 今のわたしには、この時間の朝倉涼子への対処が精一杯。

 わたしには、分かっている。
 朝倉涼子は、あの一瞬で過去へ遡ったのだ。

 それは『同期』と呼ばれるシステム。
 連続する時間平面状の『今』でない自分と同調する行為。
 その先で彼女が何をしたかまではわたしには分からない。今のわたしにそれを感知・探査するほどの余裕は無い。
 けれど、暴走する彼女が情報統合思念体の意思や、一般的な連続する時間平面状の各種法則に抗うようなことをした可能性がある。
 わたしはそれによって一体どんな弊害が生じるかという事について説明できるだけの言語をもっておらず、また、説明するだけの権限を持っては居ない。
 けれど。

 一つだけ言えるのは『同期』先の朝倉涼子への対処もまた、わたしの役目であるということ。

「避けられるかしらっ」

 朝倉涼子が、空間上の『槍』をわたしに集中させる。
 わたしはその攻撃で受ける損傷を計算した上で『槍』を全身に浴びる。
 損傷率は、最大で56%。
 自律稼動にはまだ問題の無い範囲。
 同期を行うだけの時間は、充分に取れる。

 損傷が進み、朝倉涼子が次の攻撃への準備に移る一瞬。

 わたしは、瞼を閉じた。


 朝倉涼子の『同期』の道筋を辿る。
 どうやら、彼女は最大限『過去』まで向ったらしい。
 インターフェースの稼働率に制限がかかる状況でのこと『同期』の範囲も狭められている可能性がある。
 案の定、本来遡る事が出来るはずの上限の二ヶ月分にまでは届かなかった。

 わたしは、瞳を開く。
 『今』の時刻は、3年に少し足りない過去の、7月7日、午後8時32分。

 わたしは、待機中の自室を飛び出した。


 『今』のわたしは、過去に起こった自分の周囲の出来事、涼宮ハルヒとその周辺人物に起こった出来事などをある程度把握している。
 当然、この日涼宮ハルヒがすることも把握済みだ。

 わたしは、迷わなかった。

 短絡的な行動に出ている朝倉涼子の狙いは、ただ一人。
 亜空間を破った人物、古泉一樹その人に違いないからだ。


 わたしは、過去の記憶や記録と照らし合わせ、この日の古泉一樹がどこにいるかを辿った。
 幸いにして、彼は近くに居るらしい。

 わたしは、家を出てからほんの数分で、わたしの知る彼よりも背の低い、三年前の彼の姿を見つけた。

「待って」

 彼を呼び止め、腕を掴む。
 行ってはいけない、行かせてはいけない。
 これは、罠、だから。

「えっ……」

 彼が振り返った、その瞬間。

 次元が、揺らいだ。

「な、何……、これ、閉鎖空間とも、違うみたいだし……」
「落ち着いて」
「えっ、あ、あの、あなたは……」
「大丈夫、わたし達は負けない」

 わたしは、彼の手を握り締めた。


 『同期』とは過去と未来が同一人物と化すような状態をさすが、未来を知っているからと言って全てを知っているわけでも無いし、能力も知識も有限だ。
 だから今の『わたし』は結果を知っていても経緯を知らない。

 その経緯を作るのは『わたし』に委ねられた行為。

「あーあ、やっぱり追いつかれちゃったかあ」

 未来で聞いたのと変わらない声が、わたしの耳を打つ。

 朝倉涼子。

「誰、あれ……」
「敵」
「敵って……」
「撃退する」

「あらあら、そんなこと言っちゃっていいのかなー。そんなことになったら歴史が変わっちゃうよ?」

「2年10ヶ月の間で再生できる範囲の損傷ならば問題はないはず」

 その時点までは、朝倉涼子もわたしも、待機モード。

「言うなあ……、まあ良いわ、ここで二人纏めて消えちゃってよっ」
 朝倉涼子が、空間を変異させる。
 空間そのものに攻勢情報を割り込ませているからこそ出来る攻撃。
 遡る時間が早かった分、用意する時間を与えてしまったらしい。
 失策。
「だ、大丈夫っ」
 古泉一樹が、空間の波に捕らわれそうになったわたしの身体を引き寄せる。
 普通の人間は、亜空間内ではまともな抵抗など出来ない。
 けれど、彼は普通の人間ではない。
 彼は、涼宮ハルヒの作る『閉鎖空間』での対抗能力を持つものであり、その能力は、擬似的亜空間でも有効となる。
「戦って」
「え、あ、あの……」
「一緒に」
「あ……」
「わたしと、一緒に」
「……は、はい」
 古泉一樹が、頷いてくれた。

 朝倉涼子の攻撃を彼の発する赤い光が防ぎ、その合間を縫ってわたしが朝倉涼子に攻撃を行う。
 即席の、拙い連携。
 けれど、こちらが有利である事に間違いはない。

「きゃー、もう、ずるいーっ」

 何時の間にか、朝倉涼子が逃げ惑うしか出来なくなっている。

「ああもう、そっちが二人がかりじゃ勝てるわけないじゃないー! むう、今日のところは退散してあげるわっ」

 空間が四散し、朝倉涼子が背を向けて去っていった。
 追う必要は、無い。

「あ、あの、今のは……」
 元の場所に戻った古泉一樹が、わたしの方を見ている。
 見下ろすような様子ではない。今の彼とわたしの身長はほぼ同じ。
 3年という月日を感じさせる変化。
 何も変わらないわたしとは、違う。
「あなたの敵、わたしの敵」
「……」
「わたしは、長門有希。情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」
「……TFEI」
 それは一部の人間がわたし達に与えた俗称。
 その単語を知っているということは、これ以上の説明は不要ということになる。
「そうとも呼ばれる」
「じゃあ、さっきの人も……」
「朝倉涼子は暴走した。あなたに危害を加えるのはわたし達の本意ではない。だから、わ
たしが防ぎに来た」
「……」

「信じて」

 わたしに言えるのは、それだけ。

「……」
「……」
「……あ、そうだ、時間っ」
 古泉一樹が、突然時間を気にし始めた。
「午後9時44分36秒」
「嘘、何時の間に……」
「亜空間の中では現実と時間の流れ方が異なる場合がある」
 あの亜空間に引き込まれてから現実に復帰するまで、1時間1分14秒。しかし、体感という形に直せばその4分の1に達するかどうかというところだ。
「そんな……、行かなきゃいけなかったのに」

 そのとき、彼のジーンズのポケットから、わたしの知らないメロディが流れてきた。
 彼が取り出したそれは、携帯電話だった。
 

「……あ、す、すみませ……、え、え、あの、はい、そうですけど……、あ、あの、良いんですか……、でも、どうして……。あ、はい……」
 具体的な単語を残さないまま、通話が終わる。

 彼が、呆然とした表情で立ち尽くしている。

 ……わたしは、記録と記憶を掘り起こす。
 そう、この時間平面状のわたしにも、あまり『時間』はない。

「あの……」

「あなたとわたしが次に出会うのは、三年後の五月」

「えっ……」

「三年後、あなたは、わたしを閉鎖空間へ連れて行くことになる」

 それは、必要な行為。
 守るために、戦うために、知る必要が有ること。

「……三年後も有るんだね、閉鎖空間って」

「そう」

「……」

「三年、待って。わたしと、あなたと、彼女のために」

「彼女?」

「待てば分かるはず。……わたしも、待つから」

 この時間平面状のわたしは、待機モード。
 非常事態が起これば動くけれども、何も無ければ何もしない。
 それが、本来の、この時間の、わたし。

「……分かったよ。でも、待つって言っても……」

 わたしは、知っている。
 同じ言葉の意味するものの違いを。

 彼は、この時間から戦い続けている人。

 この時間の涼宮ハルヒと彼女は、まだ待ち人。
 わたしも、事情は大分違うけれど、待ち人であることに違いは無い。
 朝比奈みくるは、まだこの時間平面には移動してきていない。

「大丈夫」

「……」

「あなたは、負けないから。……絶対に」

 わたしは、三年後の彼を、知っているから。

「……」

「また、三年後に」

 わたしは、彼に背を向けた。
 この日のわたしには、まだ、やることが有るから。
 『今』のわたしもまだ、やることが有るから。


 部屋に戻り『同期』を解除し、わたしはわたしが存在する『今』に舞い戻る。
 損傷率48%。
 まだ、戦える。

「へえ、結構しぶといのね」

「攻撃が甘い」

「ふうん、そんなこと言うんだ。……誰も助けてくれないのにね」

 知っている。
 彼は、戦闘能力の無い彼女を遠ざけるため、彼女を連れてここから逃亡した。
 それは、賢明な判断。

「あなた一人で、どうにかなるの?」

 一人だけれど、一人じゃない。
 戦い方を、教えてくれた人が居るから。
 それが、朝倉涼子とわたしの違い。

「終わった」

 大丈夫、間に合った。

「あなたの三年余りの人生が?」

「違う。情報連結解除、開始」

 プログラムが、完成した。

「そんな……」

「あなたはとても優秀。でも、わたしはわたしの戦い方をさせてもらったから」

「うわあ、それってあの九組の子の入れ知恵? あーあ、何であんな人間なんかに裏をかかれちゃうのかなあ」

「……」

「もう、長門さんも変わっているわよ。戦い方はともかくとして、他の子のことばっかり考えているような男の子ってのはちょっとどうかと思うわよ?」

「……」

「ま、それもお役目ってことなのかしら。あーあ、お互いしがらみだらけで大変よねえ。まあ、あたしにはもう関係無い話しだけど。じゃあ、またね」

 朝倉涼子は、その存在が消滅していく最後の最後まで、好き勝手に喋っていた。





 ――――

 七夕の日、私は朝比奈さんに「一緒に行きたい所があるの」なんて言われて、三年前にタイムトラベルすることになった。
 ……冗談みたいだが、本当の話である。

 タイムトラベル、なあ。

 そんな怪しげなものにうかうか着いて来る自分もどうかと思うが、可愛い上級生さんに涙目で言われたら着いていかないわけに行かないじゃないか。……と思うくらいには、自分はお人よしだった。
 それに、相手は未来人。
 逆らったら何が起こるか……、まあ、この朝比奈さんは放っておいても無害だと思うんだが、その朝比奈さんよりもっと未来の朝比奈さん。朝比奈さん(大)はちょっとだけ怖い。
 別に危害を加えてくる事は無いと思うんだが、それでも、何となく、従っておいた方が良いかもなあ、くらいに思わせるだけのものが彼女には有るってことだ。
 
 さてさて、そして私は言われた通りタイムトラベルをしたわけだが、行った先で眠ってしまったらしい私が起きたとほぼ同時に朝比奈さんが眠ってしまうというアクシデントがあり、どこからか現れた朝比奈さん(大)に説明をしてもらい、頼まれていることをやり終え、帰路に着こうかという状況にある。
 ちなみに頼まれたことと言うのが三年前のハルヒの地上絵モドキ作成のお手伝いだったわけだが……、何で私がそんなことをしなきゃならないんだろうね?
 ハルヒ一人じゃ無理なことだからか?
 朝比奈さん(大)は「来てくれるはずの人が来なくて、不機嫌なはずですから」なんて言っていたけどさ。

 TPDDが無いから帰れないとか言い出した朝比奈さんを宥めつつ何とかしてくれそうな人物の家に向って歩いていた途中、私達は道端に蹲っている人影を見つけた。
 ……子供、だよな?
 さっきのハルヒと同じくらいか? 何でこんな夜中に子供が居るんだ?
 私と朝比奈さんはちょっと顔を見合わせた。こんな夜中に子供を放っておくわけには行かないと思うんだが、今の私達は未来人だからな……、いや、朝比奈さんは元から未来人だが、それはそれこれはこれだ。場所柄や年齢的なことから考えて、三年後の知り合いという可能性も無くは無いし……。ああ、まどろっこしいな。
「おい、大丈夫か」
 知り合いだったとしても暗がりだから大丈夫だろうと勝手に結論付け、私はその子供に話し掛けた。まあ、本当に駄目なことならきっとどこかでセーブがかかるんだろう、朝比奈さんの言う禁則事項みたいに。だからそういうのが無いってことは、ここで私がこの子供の話し掛けたことは間違ってないってことになる。
「……え?」
 話し掛けられた子供が振り返って私達の方を見た。

 ……なあ、これは偶然か? 必然か? 私にはまだすることがあるのか?

「怪我でもしたのか?」
 隣で思いっきり動揺しかけている朝比奈さんを隠すようにその前に割り込んで、私はその子供に向って訊いてみた。思ったより平静な声が出るのは、きっと、さっきハルヒに会ったせいだな。
 こんなわけの分からない邂逅も、二度目なら……、まあ、あんまり何度も有って欲しくないんだが、驚愕の量は二割減くらいだろう。
 要するに、その目の前の人物は私の知っている人物だったわけである。
 でもってそいつは、何でここでこいつに会うんだよ! という疑問を増大させてくれるような軽減させてくれるような、極めて微妙な人物であり、かつ、下手すりゃ私達が時間移動してきたことがバレても何とかなるんじゃないだろうか、いや、寧ろバレたらヤバイんじゃないかとか……、そんな風に色々考えさせてくれるような人物だった。
「……放っておいてよ」
 そいつは現在の表情や口調からは絶対想像できそうに無い子供っぽい表情で、私から視線を逸らした。
 お前誰だよ。っていうか変わりすぎだろ。
「馬鹿、怪我人を放っておけるか」
「うるさいな、初対面の人に馬鹿なんて言われる筋合いは無いよ」
 悪いが私は初対面じゃないんだよ。
 その子供、いや、少年は、不機嫌そうな表情のまま立ち上がろうとし、途中で体勢を崩してもう一度倒れこみそうになった。私は反射的に手を伸ばして少年を支えてやった。朝比奈さんと同じくらいの身長しかない小柄な少年を支えるくらい、何てこともない。
 馬鹿だろ、お前。
 いや、馬鹿じゃなくて単なる意地っ張りか?
「怪我人の癖に無茶すんな」
「……」
「足でも挫いたのか?」
「……」
「答えたく無いなら答えなくても良いが、それじゃ歩けないだろ」
「……迎え、呼んであるから」
「この辺りは階段と細い道が多いから、ここまでは車じゃ来れないぞ」
「……」
「……つまんない意地張るなよな」
 会話をしても埒があかない。
 私は説得を諦め、その少年を持ち上げた。 
 体力には大して自信は無いが、まあ、持ち上げられないことはない。
「うわあっ、な、何するんだよ」
 あっさりと持ち上げられた少年が、腕の中で抗議をしているが無視することにする。
 まあ、男の子がお姫様抱っこなんてされたくないよなあ。……中学一年じゃ、そういうのを一番気にする頃だろうしな。
「車が来れそうなところまで連れて行く」
 病院までと言いたいところだが多分そこまでする必要は無いだろうし、これ以上人に会いたく無いっていうのもある。
「な、そ、そんなことしなくて良いよ。自分で、」
「歩くことも出来ない奴がそんなこと言うな」
「……」
「良いから親切にされておけ」
 私は、三年後のお前には結構世話になっているんだからさ。
 このぐらいの恩返しをしたってかまわないじゃないか。
 しかし、この距離だと……、顔、絶対バレているよなあ。
 良いのかこれで? まあ、出会ったときからこっちのことは多少なりとも知っていそうな相手だったから、これで良いのかも知れないけどさ。
 何だか変な感じだよな……。

 少年を抱えたまま纏まらない思考を引きずっている私の横を、朝比奈さんが無言で着いて来る。楽しくおしゃべりなんて状況ではないことは分かっているんだが、完全な沈黙はちょっと辛いな。
「なあ」
「何?」
「お前さ」
「お前って言うな。っていうか何でお姉さんはそんな男みたいな喋り方なのさ?」
 お姉さんと来たか。妹にお姉ちゃんと呼ばれなくなって久しいから、そういう呼ばれ方は久しぶりな気がするな。いや、お前にお姉さんって言われたいわけじゃないけどさ。
「すまん、癖だ。あんまり気にするな」
「何だよ癖って……」
「で、君は何でここに居るんだ?」
「……答える義務は無いと思うけど」
 生意気だな、こいつ。
 本当に三年後と同一人物かよ。
「親切にしてやっているんだ。ちょっとくらい教えてくれたって良いじゃないか」
「こっちから親切にして欲しいって頼んだ覚えは無いよ」
「そりゃそうだけどさ。……言えない事情でも有るのか?」
「……」
 何となく、予想は着いている。
 三年前、七月七日。
 あの場所にハルヒが居たように、この場所にこいつが居たことには、きっと何かの意味が有る。……というか、その理由なんて一つしか思いつかないんだが。
「言えよ。言える範囲で良いからさ」
「……行かなきゃいけない場所が有ったんだよ。でも、転んだせいで行けなくなった」
「そっか」
「それだけ」
 少年は、そう言って黙ってしまった。
 転んだってのが嘘か本当かは分からないが、こいつが行かなきゃいけない場所がどこだったかっていうのは、言われなくても分かった。
 多分、私と朝比奈さんがさっきまで居た場所は、本来ならこいつが向っていた場所だったんだろう。
 こいつがそのまま向っていたはずの歴史が正しいのか、それとも私達が向ったという歴史が正しいのかは、私の知るところじゃない。
 ……私はその答えに繋がるような知識を持っていないし、多分、朝比奈さんもその答えを知らないし、ここにいるこいつも知らないんだ。

「あ、気をつけてください」
 細い階段に差し掛かったところで、朝比奈さんがさっと前に進み出た。
 人を抱えたまま階段を降りるってのは流石に危ないからな。
「ああ、……お前もしっかり掴まって居ろよ」
 体勢をちょっと直しつつ、これってもしかしなくても私の胸が少年に当たっているんじゃないかなんてことに今更ながらに気付いたわけだが……、気にしてもどうしようもないことだよなあ、何せ回避手段は無いんだしさ。
「またお前って言った」
 けど、顔が心なしか赤く見えるのはそのせいか?
 そう考えるとこの生意気さも結構可愛く見えてきそうな気がしたりするから不思議だな。
「一々気にするな」
「気にするよ」
「細かいことを気にする男はもてないぞ」
「大雑把過ぎる女の人ももてないと思うけど」
「悪いが私は別に男にもてたいとは思わない」
「……お姉さん、レズなの?」
 どういう発想だそれは。
「違う」
「じゃあ何でさ」
「好きな奴が居るんだよ」
 何故か、あっさりと答えることが出来た。
「…………矛盾してない?」
「してない。……そいつ意外の男にもてたいって思わないだけだよ」
「ふうん……」
 それっきり、少年は黙ってしまった。
 唐突なやり取りをどう思ったのか知らないが、これ以上追求する所じゃないって分別くらいは有ったんだろう。
 まあ、追求されても答えようが無いんだけどさ。


 階段を下り終え細い漸く車が入って来れる通りの所まで辿り着いたら、見覚えのある黒い高級車が止まっていた。
 私達の姿を見つたからか、車の扉が自動で開く。
 私は車まで近づき、少年を乗せてやった。
 ここまでする必要あるのか? とも思ったが、歩けないみたいだから仕方ないか。
「……ありがとう」
「別に、たいしたことじゃないさ」
 短い言葉を交わし、タクシーが去っていく。
 去り際に何か言おうかと思ったが、辞めておいた。
 今は三年前。
 元の時間と同じ感覚で何かを言うのは混乱の元だろう。

「あの、キョンさん、今の子……」
「分かってますよ。……けど、これでよかったんですかね?」
 悪いことをしたとは思っていないけれど、過去に来て命じられてない、教えられてないようなことまでやるというのは、正直如何なものなんだろうか。
「……私には、分からないです。でも……、多分、これがこの時間平面上の必然なんだと思います」
 朝比奈さんは、厳かな口調でそう言った。
 私はちょっと考えてから、
「朝比奈さん、朝比奈さんはもしかして……、普段は結構『自分で考えて決めること』とか『自由にしていい』とか言われてたりもするんですか?」
 彼女に向って疑問をぶつけてみた。
「え、あ……。それは、禁則事項です」
 単純な質問のつもりだったんだが、どうやら答えられないことらしい。
 でも……、多分、私の予想は当たっているんだろう。
 未来から過去にやって来て、その行動全てを予定通り寸分の狂いも無く実行するなんてことを普段の朝比奈さんがしているとは到底思えない。まあ、朝比奈さん(大)とか、私の知らない誰かが介入している可能性も有るかも知れないが、それはそれだ。
 だから、まあ、私が私の意思で選択した行動も、間違っちゃ居ないんだろう。
 今ここで、過去の誰かさんと出会ったことは、正しいことなんだ。
 ……そういうことにしておいてくれ。

 それから私と朝比奈さんは、三年前の長門に頼み込んで元の時間に復帰することが出来た。
 時間移動も無茶苦茶だが、部屋ごと時間を止めるってのも無茶があるよなあ。

 七月八日。放課後。
 ハルヒは居ない、朝比奈さんも居ないという部室で、私は古泉とチェスをしていた。
 ……が、古泉が弱すぎるので、勝負はあっという間に終わった。
 お前なあ、何でこんなに弱いんだよ。
「なあ」
「なんですか?」
「朝比奈さんは未来人だよな」
「そうですね」
「でもって彼女は、未来からの観測を元にこの時間に来ているんだよな」
「ええ、そうなりますね」
「けどさ、未来からだったら、別に特定の時間に人を置かなくたって、そこから先の時間の流れとかも分かるんじゃないのか?」
「……さあ、その辺りのことは僕には分かりかねます。僕はあくまで限定的な超能力者であって、未来人では有りませんからね」
 そりゃそうだけどさ。
「じゃあさ、例えば……、そう、例えば朝比奈さんが過去に時間移動をして、誰かと会ったとするだろ。でもってその誰かが成長してもう一度朝比奈さんに、そう、過去に戻る前の朝比奈さんに会ったとする……。当然その人は朝比奈さんのことを知っているわけだが、朝比奈さんはその人の事を知らない。……そうなるよな?」
「ええ、理屈の上では正しいですね」
 理屈も何も他の答えが有るのかよ。
「でもって、その、そうだな、その出会った事が理由で朝比奈さんが過去に行くことになって過去のその人に会う……、っていう可能性も有るよな。まあ、仮定の話なんだけどさ」
「言いたいことは大体分かりますよ。……あなたが言いたいのは、その場合ことの始まりはどこにあるか、ということなのでしょう?」
「まあ、そんなところだ」
 正直な所、その辺りの理屈は私にはさっぱり分からない。
 宇宙人も超能力者も謎めいているが、未来人、というか時間移動についてはそれ以上だ。
「タイムパラドックスの話ですね。……まあ、可能性は色々有りますが、大雑把に二つに分別できると思います」
「二つ? どんなだ?」
「先ず一つ、どこかにスタート地点があり、例え時間移動をしてもその大筋は書き換えられないとするもの。あなたの例えで言えば、朝比奈さんの感覚では一度目である、時間軸的には未来に位置する出会いが無くても予め朝比奈さんは過去に戻って件の人物と出会うことになっていたか、あるいはその逆に、過去の出会いが有ると決まっているため、朝比奈さんは過去に戻ることになってしまったか。ということろですね」
「……前者はともかく後者がさっぱりだな」
「言っている僕もよく分かっていませんが」
「おい」
「仕方ないでしょう、僕は未来人ではないのですから」
「……じゃあ、もう一つの可能性は何だ?」
「二度の出会いの矛盾とも呼べる齟齬、いえ、繋がりと言った方が良いのかもしれませんが……、ループする全てが正しいという可能性です」
「……」
「簡潔に言えば、二度の出会いは両方とも正しく、両方が存在することが必然、とする説です」
「……すまん、意味がさっぱり分からん。大体それじゃ矛盾するだろ? 朝比奈さんともう一人の間の認識がずれているんだからさ」
「つまり、そのずれが発生することこそが正しい、とする説なんですよ」
「……」
「言っている意味が分かりませんか?」
「ああ、さっぱりだ」
 何とか脳味噌を総動員して答えを導き出そうと思うんだが、完全にお手上げだな。
 矛盾が発生することが正しい? そんな理屈が有るか。
「今の貴方になら理解していただけると思ったのですが」
「……なあ、古泉」
「まだ何か有りますか?」
「今の、ループする全てが正しいってのは、仮説は『機関』の連中の考え方の一つか? それともお前個人のものか?」
「僕個人の物ですよ。『機関』は時間の概念について考える組織では有りませんからね」
「……そうか」


 チェスを片付ける古泉の姿を見ながら、私は昨日のことを思い出す。
 現実の時間軸はともかく、私の体感では昨日で間違いが無いので、昨日と呼ばせてもらう。
 昨日私は朝比奈さんと共に過去に飛び、朝比奈さん以外の三年前のSOS団団員に会ってきた。
 出会ったことがそいつ等のその後の人生にどう影響したかは分からないが、何らかの影響を与えた可能性はゼロじゃない。
 そしてその可能性とやらが、現在に作用している事だって……、有りえるだろう?
 ハルヒは私の顔を忘れていた可能性が高いが、長門や古泉にとっての私との初対面は私が感じている五月のそれとは違う三年前の事象の方のはずだから、その出会いが三年後の私との出会いや関係に影響を与えて無いなんてことは、無いと思う。
 何だかややこしいな。
 古泉は、このループそのものが正しい可能性があると言ったが……、そんなことがありえるんだろうか?
 どこが始まりか分からない、そんな出会い方が有るんだろうか。

「……」
 古泉がチェスを片付け終わるのと同時に、長門が本を閉じる。
 今日の活動時間終了の合図だ。
「そろそろ帰りましょうか」
「ああ」
 それから私達は、三人で坂を下って帰宅した。
 私と古泉が結構くだらない話をする傍で長門が黙って歩いているという感じだ。


 古泉と話をしながら、私は昨日会った少年のことを思い出す。
 三年前か……。
 私は、こいつがこの三年間の間に経験してきたことも、積み上げてきた物も知らない。
 けれど、三年前という点を知ってしまった。もしかしたら、という可能性も知ってしまった。
 ……私が行かない、古泉が怪我をしない、そういう『三年前』も、有り得たのかもしれない。そして多分、古泉はその可能性を知っているんだ。

 ……『三年前』
 ハルヒが妙な力を持った頃であり、長門が待機モードだった頃であり、古泉にとって憂鬱な日々の始まりだったその頃。
 その頃の私は、ただの何も知らない子供だったはずだ。
 そんな私に、どうして過去に干渉する権利があるんだろうね?

 答えは無い、分からない。権利がどうのとかいう以前に時間に関する問題はお手上げだ。
 朝比奈さんに訊いたとしてもきっと禁則だらけで答えを教えてくれないだろうし、どうも古泉は専門外みたいだし、長門が私に分かるように教えてくれるとも思えない。
 だから今は、この疑問は胸に仕舞っておこう。
 もう一度何か有って、もしもそのときに何か問題が発生でもしたら、また改めて考えればいいさ。


 ――終わり


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