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ふっと、体を支えてくれる腕に力が篭る。
「大丈夫ですよ。もう危険は有りません」
「え、あ……」
違う、そういうことじゃない。
そういうことじゃなくて……。
俺はただ目を瞑り、首を振った。
お礼の言葉とか、労いの言葉とか。
本当ならそういう言葉を言わなきゃいけないはずなのに、何の言葉も出てこなかった。

不意に、前髪に触れる何かを感じる。
古泉、じゃないよな、古泉は俺を抱きかかえているわけだし。
じゃあ、これは……
「……不安そうな相手に対しては、こうすると良いという記述を見かけたことがある」
「長門……」
「不安?」
長門が、何時も通りの無表情のまま俺に訊ねる。
けれどどうしてか、その瞳の色が何時もとほんの少し違うような気がした。
例えそれが、眼鏡のある無しや、光の加減のせいだったとしても。
「あ……、いや、もう、大丈夫……、だと、思う」
「……そう」
長門が、そっと手を引っ込めた。
「……二人とも、ありがとうな」
「いえいえ、どういたしまして」
「これもわたしの役目」
両極端な答えだな、この二人らしい気もするけどさ。
俺は思わず、その答えに笑ってしまった。
多分、安心したんだろうな。
古泉がどういうわけか釣られて笑い出し、長門がそれをきょとんとした表情で見ている。
そんな時間が、何だか嬉しかった。

……さて、当たり前だが俺達は朝倉が作り出したらしい謎の空間から脱出できていない。
本当なら和んでいる場合ではないのだが、ついつい気が緩んでしまっていたらしい。
ああ、俺と古泉だけじゃないぞ、長門もだ。
何で表情が読めない奴の気が緩んでいたのかが分かるって、そりゃな、
「……重要な事項を忘れていた」
「何ですか?」

「涼宮ハルヒと朝比奈みくるがこの空間のどこかにいる」

こんな超重要事項を言いそびれていたんだからな。


聞いた瞬間、俺と古泉は揃って絶句していた。
そりゃそうだろう。
知らぬは本人ばかりなりのその張本人が、未知との邂逅以外の何でもないこのおかしな
世界に引きずり込まれてしまったってことなんだからな。
おまけに、朝比奈さんもか。
「……場所はわかりますか?」
俺より早く復活した古泉が、まだちょっと顔を引きつらせたまま長門に訊ねた。
「詳しい場所は不明、ただし、二人は一緒にいると思われる。そうでないと朝比奈みくる
が巻き込まれるとは考えられない」
「どういうことですか?」
「閉鎖空間は発生場所は違えども、発生源そのものは涼宮ハルヒ。詳細は不明だが、朝倉
涼子は何らかの手段でその発生する瞬間の涼宮ハルヒの精神そのものに接触した可能性が
高い。朝比奈みくるが巻き込まれたのは物理的に近くにいたからと考えられる」
「なるほど……、では、涼宮さんが巻き込まれたのは偶然ですか?」
「意図したものである可能性が高い」
「それは、二重の罠ということですか」
古泉が深い溜息を吐いた。

「……どういうことだ?」
「朝倉涼子はあなたの殺害を目的としていた、それ自体に間違いは有りません。ですが、
それが成功してもしなくても、閉鎖空間発生時の涼宮さんの精神に触れ、そのまま涼宮さ
んの肉体ごとこの空間に閉じ込める事ができれば、第一の目的は達成したようなものなん
です」
「……そういうことか」
長門は観察者で、朝倉はその同類ってことだからな。
傍観に飽きて独断で、ってことなんだよな。
「そういうことです。……とにかく、涼宮さんと朝比奈さんと探さないと話になりません
ね」
「二手に分かれるのか?」
「いえ、一緒に行動しましょう。僕と長門さんにも互いの位置を把握する手段は有りませ
んからね、バラバラになるのはまずいでしょう。長門さんも宜しいですね?」
「了解した」
……かくして、美少女二人を探す空飛ぶ探索紀行が始まった。


探索紀行と言っても、実はそんなに長く続いたわけじゃない。
上の方はそれこそ天井知らずの謎の世界だったが、一番下の方には見慣れた街並みが広
がっていたからな。
まあ、妙な色をした世界では有ったが。
現実世界の色違いって辺りは、閉鎖空間と似たような感じだろうか。
「通学路の周辺を辿るのが良いでしょう」
やっと地上に降りて俺を下ろした古泉は、そう言って道を歩き始めた。
長門と俺がその後ろを着いていく。

ちなみに携帯電話は通じていない。
かけようとした途端不通になるなんてどういうギャグだと思ったが、古泉が言うには
「涼宮さんが『こういう場所では携帯なんて通じるわけがない』と思っている可能性が有
りますから、不思議な事ではないでしょう」とのことだった。

「もうすぐ」
長門が、唐突に呟いた。
おいおい、分かるのかよ。
「近距離の生体反応が感じ取れるだけ」
それだけでも充分凄いんですが。
「では、ここからはあなたに先頭になってもらいましょう。朝比奈さんはともかく、涼宮
さんを安心させるためにあなたが一番でしょうからね」
何でそうなる?
別に構わないが……。俺に出来ることなんて、この程度みたいだしな。

長門が指し示したのは、すぐ近くの公園だった。
ここって……。
公園のベンチに、女の子が二人。
俯いているハルヒと、そんなハルヒを見たまま沈痛な表情をしている朝比奈さん。
「ハルヒ!」
俺は、ハルヒの名前を呼んだ。

「キョンっ……」
はっと顔を上げて俺の名前を呼んだハルヒが、そのまま固まってしまう。
一体どうしたんだ?
俺は事情が分からず、助けを求めようと後ろを見た。
古泉が、しまった、というような顔をしていた。……こんな表情、始めて見た。
前に向き直ると、ハルヒの視線も俺ではなく古泉の方を見ていた。
「ねえ、古泉くん。……さっきの、何?」
ハルヒが、夢遊病者のような声の調子で古泉に話し掛ける。
「さっき、空から降って来たよね……。有希と一緒に。手から赤い光を出して、何だか良
く分からないことになって……。何かと思ったら、今度はキョンを抱えて飛び上がって…
…」
仕組みは良く分からないが、どうやら、一部始終を全部見られていたようだ。
……最悪のパターンだ。
「ねえ、あれなに……。何なの、一体? それにここはどこ? 何であたし達こんな場所
にいるの? ねえ、誰の仕業? これも古泉くんがやったの? ねえ――」
「ハルヒっ!」
俺はふらふらと歩き出したハルヒと何も言えず立ったままの古泉の間に割って入った。
どっちも見ていて放っておけなかった、痛々しすぎる。

なあ、ハルヒ、お前は何も知らないかもしれないが、古泉はお前のヒーローなんだぞ?

「止めないでよ、キョンっ」
「古泉は何も悪くない、こいつは……、長門と一緒に俺を助けに来てくれたんだよ」
「何それ……、助けるって何? 何から、誰から? あんた一体どうしたの? おかしい
わよ。あんた、古泉くんに騙されているんじゃないの?」
まずい、完全に逆効果だ。
「違う、古泉は何も悪くないんだ!」
「じゃあ、何なのこれは、誰のせいなの!」
ハルヒの叫びが、空の無い公園に響き渡る。

「何で言えないの、言えないのはあんたが何か隠しているからでしょう?」
「違うっ」
「違わないわよ。あんたは、あんたは……馬鹿だけど、嘘は吐かない奴だと思っていたの
に……」
馬鹿は余計だ。
「俺は嘘なんて吐いてない!」
「今吐いているじゃない!」
「あっ……」
そうだ、今の俺は……。
……ハルヒを誤魔化そうと必死になっているんだ。
「あんたおかしいわよ、あんたやっぱり古泉くんに騙されているのよっ」
「何で古泉のせいにするんだよっ」
だからどうしてそうなるんだ。
「だって、あんたが……、あんたが……」
ハルヒが、俺の肩を掴む。
何回目だ、この展開。
「あのな、ハルヒ……」
「……キョンの、キョンの馬鹿ー!!!」
瞬間、脳が強く揺さぶられたような気がした。

耳鳴りがした気はするが、物理的な衝撃は無かったんだと思う。
幾らハルヒの叫び声がでかかったとはいえ、人間の声だものな。
脳が、というのは比喩みたいなものだ。
俺は酒を飲んだ事は無いが、二日酔いの時はこんな風になるんじゃないかなんてことを
ぼんやり考えていたりもした。
俺は、一体どうなったんだ。

ぱちりと、俺は唐突に覚醒した。
ここはどこだ。
身を起こすと、そこは見覚えの有る場所だった。
部室だ。
俺はどうやら部室の床に寝っ転がっていたらしい。
部室を内を見渡してみると、ハルヒも居た。
何故か床でも団長席でもなく、俺の定位置になっている椅子に座って眠りこけている。
俺はハルヒを起こそうかどうか迷ったが、やめておいた。
無理に起こすと何が起こるか分からないからな。
俺はハルヒを起こさないように気をつけつつ、セーラー服とスカートについた埃を払っ
た。
出来れば髪も結びたかったんだが、髪を結べそうなゴム紐やリボンの持ち合わせも無か
ったので、仕方なくそのままにしておいた。
そんなに汚れては居ないみたいだな。
しかし、俺は何でこんな所にいるんだ。
ハルヒが大声で叫んだ所までは覚えているんだが……、これは、ハルヒの仕業なんだろ
うか。
「ああ、ご気分は如何ですか?」
そのとき、窓の方から気遣うような声が聞こえた。

聞き覚えの有る声に気がついて振り返ると、見覚えの有る姿がそこに有った。
立っていたのではなく、有ったのだ。
何時ぞやの閉鎖空間で見た、赤い球体。
それが、窓の外の暗闇の中に有った。
「古泉っ」
「ああ、無事そうですね。涼宮さんがあなたを傷つけるなどとは思っていませんでしたが、
無事でよかったです」
「古泉、これは……」
「余り時間が無いので手短に説明しますが、亜空間内の階層の再構成と、それに伴っての
転移が起こったようです」
「再構成って……」
「この亜空間を作り出したのは朝倉涼子ですが、大元は涼宮さんの精神にあります。涼宮
さん自身がこの亜空間に干渉出来たとしてもおかしくはないでしょう。……無自覚でしょ
うが」
……理屈は分からなくも無い、と思う。
けど、それってどういうことだ?
「涼宮さんはあなたと自分の隣に引き寄せ、僕等を別の階層に飛ばした上で階層ごとの境
界を強化しました。……僕がここに現れることが出来たのも、一時的なものです。先ほど
も言いましたが、時間はあまり無いんです」
「そんな……、でも、再構成って……、ここは、どこなんだ?」
「現実空間との距離という物を前提に考えると、現在あなたがたがいる場所が最下層、現
実から一番遠い場所に当たります」
「……どうやったら戻れるんだ?」
「……分かりません」
人間らしい形状を留めていないはずの赤い球体が、首を振る動作をした気がした。
赤い球体の光が、少しずつ弱っていた。

「分からないって……」
「すみません、僕には分からないんです。現在の涼宮さんは大分混乱した状態にいるよう
ですから、その状態から脱する事ができれば……、とは思うのですが」
「古泉……」
「すみません、何の力にもなれなくて」
「良い、気にしないで良い。けど……、この状態だと、お前達もこの空間から抜けられな
いってことか?」
「ええ、そうです。一応長門さんや朝比奈さんも傍にいますが」
話している間にも、赤い光はどんどん弱まっていく。
心なしか、古泉の声も段々小さくなっていっている気がした。
「そうか……」
一体どんな状態なのかは気になるところだが、三人一緒ならまだ安心だ。
「僕としては、5人一緒に現実に戻れることを祈っていますよ」
「……俺もだよ」
当たり前だ、こんな所で一生過ごす気も無ければくたばる気もない。
ハルヒが何を言い出すか知らないが、引きずってでも現実に戻ってやるさ。
「あまり、無理はなさらないでくださいね」
「別に無理なんてしてないさ」
「普段のあなたを見ていると、とてもそうは思えないのですが……、まあ、いいでしょう。
あなたの幸運を祈っていますよ」
そう言って、赤い光は消えていった。

「あ……」
伸ばした手が何もない空間をすり抜ける。
俺はそのまま、ぼんやりと赤い光が消えたその先を見つめていた。
地上も空も無い、なんの境界も見えないただの一面の闇。
部室の窓からじゃ絶対に見えない光景だ。
俺はどのくらいの間そうしていたんだろう。

「……キョン」

声を耳にゆっくりと振り返ると、眠っていたはずのハルヒが立ち上がり、俺の方を見て
いた。

「ハルヒ……」

「ねえ、キョン、何であたし部室にいるの?あたしはみくるちゃんと一緒に公園に居たは
ずなのに……。古泉くんは?有希は?、あの二人、空から……」
ぼんやりとしていた視線が、戸惑いの色に変わっていく。
「あんた、古泉くんと一緒に……」
「夢だ」
「夢って、そんな……」
「俺は今日は古泉にも長門にも会ってない、真っ直ぐ家に帰ったよ」
もちろん嘘だが、こうでも言わないとハルヒがまともに話を聞いてはくれないだろう。
古泉は言っていた。
ハルヒは根の部分では常識人なのだと。
……本当にその通りだな。
何せ目の前に現れた非日常との邂逅を全力で否定した挙げ句引きこもりやがった。
これが無自覚というのだから質が悪い。
だが、それを理由に俺がこいつを突き放しちゃいけない。
少なくとも、今は。

「でも……」
「信じてくれ、ハルヒ」
「……キョンが、どうしてもって言うなら、信用してあげても良いけど」
「頼む」
「分かったわ……。ねえ、ここはどこ?、部室に似ているけど、違うわよね」
「……俺にも分からない」
嘘を吐くのは、ここまでで良い。
ここから先は、立ち向かわなきゃいけない。
方法なんて知らない、ハルヒの心の構造なんて俺には未だ持って謎なままだ。

けど、ヒントは貰っている。
普段はちょっと頼りなくてちょっとだけ怖くて、でも時々頼りになる上級生の大人バー
ジョンが、教えてくれたじゃないか。

「分からないって……」
「分からないけど、危険は無いと思う。ハルヒ、とりあえず適当な所に座れ、茶でも入れ
るからさ」
「えっ……」
「何だったらメイド服も着ようか?」
「馬鹿、そこまでしなくていいわよ」
ハルヒが、ほんの少しだけ表情を崩した。

ポットには何故かお湯が入っていて、湯飲みも急須も普段の部室と同じように用意して
有った。
俺は何度か繰り返したのと同じように、ゆっくりとお茶を注いでいく。
メイド服はどうかと思うが、お茶を淹れる事自体はそんなに嫌いじゃない、と思う。
長い髪が少し邪魔だったが、それはこの際仕方が無い。
「どうぞ」
二つの湯飲みに茶を注いで、その内一つをハルヒの前に差し出す。
「ありがと」
ハルヒが礼を言うなんて珍しい。
「……味は相変わらずね」
ハルヒが5秒足らずでお茶を飲み干す。
「悪かったな」
「まあ良いわ。……お代わり」
「まだ飲むのかよ」
「喉乾いているんだもん。ほら、団長命令なんだから早くやりなさいよ」
「……はいはい」
すっかり何時もの調子を取り戻しつつあるハルヒにほっとしつつ、俺は二杯目のお茶を
注いだ。

不機嫌でもなければ妙なことを思いついているわけでも無いハルヒと二人きりというの
は、何だか変な感じがする。
そういや、学校の中では何度も会話したが、本当に二人きりになったことなんて殆ど無
かった気がするな。
女同士二人きり、か。
別に何があるってわけじゃないが、これがハルヒ相手だとなるとちょっと微妙かもしれ
ない。

そもそも、何を話せばいいのかさっぱり分からない。

ハルヒが二杯目の茶を飲み干す。
猫舌って単語はどうやらこいつとは無縁らしい。
「……キョン、ちょっとこっち向いてくれる?」
適当に茶を啜っていた(まだ一杯目だ)俺は、ハルヒの一言で顔を上げた。
何だろう、何か言いたいことが有るんだろうか。
「どうした?」

「キョン、あんた、古泉くんのことが好きなのよね?」

……。
……直球で来やがった。

ハルヒは笑ってない、真剣な表情というわけでもない。
何か純粋に疑問に思ったことを口にする子供、そんな感じだった。

俺は未来から来た朝比奈さんの言葉を思い出す。
素直に、か。
それも、ハルヒに対してじゃなくて俺自身にと来ている。
ハルヒの言葉も直球なら、朝比奈さんのヒントも直球だ。

「……そうだよ」

俺はハルヒから目を離さず、答えてやった。

本人が目の前に居ないからこそ、というやつだろう。
古泉一樹が目の前に居たら俺は多分何も言えずに逃げている。
認めよう。
あいつはハルヒ第一の超能力者でちょっと変人で胡散臭くて実は結構腹黒そうだが……、
それでも俺は、あいつが好きだ。

だが、悪いが俺に愛の告白なんてものをする勇気は無い。
結果が見えている勝負を挑まない半端者の負けず嫌いで何が悪い。

「やっぱりね」

ハルヒが微笑む。
小馬鹿にしたような雰囲気は無い、茶化すつもりも無いらしい。
子供っぽくて俺より背も低いハルヒが、今度は何故か少しだけ大人っぽく見えた。
「やっぱりって……」
「だってあんた、バレバレなんだもの」
「……」
「あれで隠しているつもり? 有希ちゃんもみくるちゃんも、クラスの連中も絶対気付い
ているわよ。……まあ、隠す気は無かったのかも知れないけど」
ハルヒが溜息を吐く。
「……言わなかった理由は、何?」
真剣な面持ち。
「……」
「もしかして、脈がないとか思っていたの?」
脈以前の問題な気がする。
……が、この辺りの事情をハルヒに話すことは出来ない。
「全く……、勝負を仕掛ける前に逃げるなんて、愚か者のすることよ」
悪かったな。

「……こんな事になる前に、ちゃんと言えば良かったのよ」
「……」
「こんな状態じゃ、帰って告白ってわけにも――」
涼宮ハルヒは、根っこの所はどこまでも常識人らしい。
話の風向きが何時もと違うのも、そのせいなんだろうか。

「帰れるさ」

「何を根拠に……、帰れるわけ無いじゃない、ここ、扉も開かないし、外は真っ暗闇なの
よ。こんな変な場所からどうやって帰るの? まさかこれも夢だとか言い出すつもり?」
「そうじゃない。でも、帰れる」
「やけに自信たっぷりね。……あんたの王子様が助けに来てくれるとか?」
王子様って表現は……、似合わないようなことも無いような気がするな。
実際一度助けに来てもらっているし。
「違うよ。俺があいつ等を助けに行く。助けてやる」
今、俺に出来ること。
『専門分野が違う』っていう古泉の言葉は、俺にも通用するのかもな。
「えっ……」

「なあ、ハルヒ、知っているか、恋する乙女は無敵なんだぞ?」

全世界が停止したかと思われた。
少なくとも、この部室らしき空間の空気は完全に凍り付いていた。
勢いで言ってしまったもののそれ以上何も言えなくなった俺と、ただぽかんと口を開け
ているハルヒ。
羞恥を通り越して、何だか空気が痛かった。
……こんな台詞、普段から羞恥心をかなぐり捨てて生きているとしか思えないハルヒの
前だからこそ、言えたんだろうな。

「何それ……、あんた馬鹿?」

漸く復活したハルヒが、怒りと哀れみ混じりのような視線で俺のことを見てきた。
馬鹿は余計だが、常識に縛られて帰れないと思い込むよりは、たとえ馬鹿でも良いから
帰れると思わせておいて欲しい。
こんな所に女二人一生一緒になんてのはお断りだ。
「一応本気だよ」
「何よ一応って……、全く、これだから恋なんて気の迷いだとしか思えないのよ。人を好
きになったからってだけでどうにかなるなんて考え方、馬鹿げているわよ」
ん、話の風向きが変わったか?
なあ、ハルヒ、お前もしかして……。

「お前、誰か好きな奴が居るのか?」

「なっ、い、居るわけないでしょっ」

恐ろしいほどパターンどおりの反応が帰ってきた。
意外だ。
あの涼宮ハルヒが、こんな場面でこんな真っ当な反応を示すなんて……。
「その反応、居るって言っているとの同じだって」
「むぅ……」
「言えよ」
「な、何であんたなんかに……」
「俺は言ったんだ、お前も言ってそれでお相子だろう?」
俺は勝ち誇ったようにそう言ってやった。
しかし、相手が全く想像できないな。

「……」
「ほら、言えよ。誰にも言わないからさ。あ、俺の方のも誰にも言うなよ、例えバレバレ
だとしてもさ」
「絶対に、言わない?」
「ああ、言わないよ。第一言っても信用されないだろうしな」
あの涼宮ハルヒに好きな相手が居る。
北高特大スクープも良い所だが、意外すぎて誰にも信じてもらえないだろう。
「すぐ忘れなさいよ」
どうやら、本気で言う気になったらしい。
「……記憶を抹消する努力はさせてもらう」
ハルヒが忘れて欲しいって言うなら、その努力くらいはしてやるさ。
こんなことを聞けるってだけでも意味が有るからな。

ハルヒが、徐に立ち上がり、つかつかと大股で歩いて俺のそばまでやって来た。
何だ、一体。
「良い、耳かっぽじって良く聞きなさいよ」
そんなことしなくても、この超至近距離なら絶対に聞き逃さない。
ていうか、鼻息が耳にかかるんだが。

「あたしが好きなのは――!!」

世界が、暗転した。

回ったのが自分なのか世界かなんてことは、この際どうでも良い。
目を空けたら

「ああ、気がついたようですね」

何時もの爽やかスマイルが目の前に居た。

「……ここは?」
見知らぬ部屋、誰かの家のリビングか何かのようだが、少なくとも閉鎖空間や亜空間で
はないようだ。
「長門さんの部屋です。5人バラバラな地点に回帰しそうだったのを、長門さんの力で全
員ここに集めてもらいました」
さすがだな宇宙人、そんなことまで出来るのか。
いや、そういう問題ではなくてだな……。
というか古泉、お前は何故半端に視線を逸らす?
「ふぇ~ん、キョンさん~」
ひしっと、俺に抱き着いて来る朝比奈さん。
「無事だったんですね」
「はい~、ごめんなさい~、あたし、涼宮さんの機嫌を損ねちゃって……、キョンさんの
次の衣装、ナースかチャイナ服かで喧嘩になっちゃって……」
そんな理由で閉鎖空間を発生させたのか、ハルヒは。
というか二人してそんな相談するなよな……。
「あ、あたしはチャイナ服派だったんですけど、今回は涼宮さんに譲りますね!」
……あ、頭が痛い。

俺が朝比奈さんに纏わり疲れている間、長門はまだ眠っているハルヒをじーっと見てい
たままで、古泉は何だかちょっと居辛そうな様子でどちらも見ていないという状態だった。
「えっと、長門、ハルヒは……」
朝比奈さんを引き剥がしつつ、長門に訊ねる。
「生命活動、精神状態とも正常の範囲」
「そっか、良かった……」
「亜空間での出来事は、全て夢と認識されるはず」
「少し可哀想な気もしますが、涼宮さんに現実を知られるわけには行きませんからね」
そうだな……、ハルヒにとっては待望の不可思議体験のはずなんだが、今のハルヒには
それを受け入れる土壌が無さそうだからな。
ああしかし、ハルヒは最後になんて言ったんだろうな。
聞き逃したのが心残りと言えば心残りだ。

「恋する乙女は無敵」

長門が、極々平坦な口調で言った。
世界が……、停止しない代わりに、別の何かが停止した気がした。
「興味深い言葉」
あ、あの……、長門さん?
長門は俺の方を見上げたまま、古泉は完全にそっぽを向いていて、朝比奈さんは何とも
言えない微妙な表情だった。

「あの亜空間は……、最上位階層からだと、下の階層で起こったことが全て分かるという
仕組みだったようですね」

目を逸らしたまま、古泉が答えた。

……。
……。
……ちょっと、待て。

「涼宮さんが最初僕等の行動を全て知っていたのもそのせいで……、って、大丈夫ですか?」
適当に座ったままふらついていた俺の身体を、古泉が受け止める。
ということは何か? あの恥ずかしいやり取りの数々を、ここの三人に聞かれていたと
いうことか?
よりにもよって、一番聞かれたくない、聞かれちゃいけない相手に……。
「……忘れておく事にしますよ。本当は、長門さんに記憶操作してもらうという方法も有
ったんですけど、そうすると記憶の整合性が取れなくなりそうだと言われたんで、自力で
忘れられるよう努力してみる事にします」
「忘れるって……」
ここで文句をつけるのは間違っている、と思う。
でも……。
「別に現実での出来事を忘れるわけじゃないですよ? あなたと僕はSOS団の仲間でしょ
う。……そうですね、暫く待っていましょうか」
……。
「あなただって、不本意な告白に回答が欲しいわけではないでしょう?」
「……」
俺は目を逸らした。
古泉の言うことは、間違っていない。
間違っていない、だから……。
「……忘れておいてくれ、今は。……後のことは、また後だ」
「了解しました」
ゆっくりと視線を動かしつつ見あげてみたら、古泉はとても良い笑顔をしていた。

俺は古泉のことをとりあえず心の脇に置き、ハルヒが目覚めるのを待った。
言い訳は考え済み、一応打ち合わせもしてある。
「ん……、あれ、あんた、何でここに……」
「ここは長門の家だ」
「有希ちゃんの?、どうしてあたしとあんたが有希ちゃんの家に居るの?」
ハルヒがぱっと起き上がり、周囲を見渡す。
「あれ、古泉くんも居るの? みくるちゃんが居るのは分かるけど……」
「お前が倒れたのを見た朝比奈さんが、SOS団の全員に連絡を取ったんだよ。で、一番近
い長門の家に運んだんだ。皆に礼を言っとけ」
「そ、そうだったの……。あ……、ごめんね、ありがとう」
ハルヒが、素直に頭を下げた。
古泉や長門や朝比奈さんの労力に見合っているかどうかは分からないが、まともに頭を
下げてくれただけでとりあえずは良しとしよう。
「あたし、貧血だったのかしら……」
「多分な。ああ、歩けるか?」
「ええ、大丈夫よ」
「じゃあ送っていくよ」
「べ、別に良いわよ」
「さっきまで倒れていた人間がそんなところで遠慮するなよな。一人で帰してもう一度倒
れられたりしたら笑えないだろうが」
俺自身もさっきまで気を失っていたんだが、それはこの際棚上げだ。
「……送ってもらうなら、あんた以外の人が良いわ」
どうやら、ハルヒは俺には送ってもらいたくないらしい。

すったもんだのやり取りの末、ハルヒは朝比奈さんが送っていく事になった。
俺と古泉はバラバラに帰宅、長門はここが自宅なので動く必要は無い。
帰り際、古泉と長門が消えた朝倉をどうするかと伝えてくれた。
そう言えば、あいつにはもう会えないんだよな。
俺の命を狙ってきたような奴だが……、会えないとなると、少し寂しいかも知れない。

翌日、突然転校した朝倉が怪しいとか言い出したハルヒを、長門の遠縁だとか何だとか
言って古泉が丸め込んだのを傍目に見つつ、俺はこれから一体ハルヒにどれだけ嘘を吐か
ないといけないんだろうな、なんてことを考えてしまった。
朝倉涼子みたいな奴が、また現れないとも限らないわけだし。
そうしたら……、まあ、王子様と戦乙女とやらが何とかしてくれるんだろう、きっと。
悪いが俺には朝倉みたいな連中に対処する方法は持っていない。
だから、俺は別の方法で戦わせて頂く。


ハルヒと言う名のトンデモ娘との、非日常的な日常、それが俺の戦場――。


……馬鹿馬鹿しいが、そういうことなんだろう。
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