さて、こうして勢いよくねーちゃんのマンションを飛び出してきてしまった俺だが、
一体ハルヒはどこにいるのだろうか?
既に辺りは沈み出す夕陽に紅く染められている。この時間なら・・・まあ普通は家だろう。
しかし、俺はあろうことかハルヒの家の場所を知らないのだ。
ハルヒに電話をしてみたところで・・・出てくれる可能性は薄い。
こうなったら・・・人に聞くしかないだろう。

俺はジーンズのポケットにねじ込んでいたケータイを取り出し、
アドレス帳を開くと適当と思われる名前を呼び出し、コールする。
まずは古泉だ。ヤツならハルヒの居場所を知っていてもおかしくはない。


『プルルルルルルルル・・・・ガチャ。
 お客様がおかけになった番号は現在電波の届かない・・・』
無機質な案内音声が響く。古泉は出なかった。
もしかすると・・・例の閉鎖空間の対応に未だ追われているのだろうか・・・。
そうだとするともたもたしていられない。しょうがない、次は朝比奈さんだ。


――しかし、朝比奈さんのケータイもかからない。
やっぱり、ハルヒに、そしてこの世界に何かが起ころうとしているのだろうか?
こうなったら最後の切り札だ。というか最初から何故俺はこのカードを切らなかったんだ?
一番頼りがいがあるのにな・・・。
その最後の切り札たる存在は――勿論、長門だ。
しかし、長門も出なかったら・・・一体どうすればいいのだろう。
番号表示画面に長門の名前が表示され、あとは通話ボタンを押すだけというところで、
俺はそんな不安に駆られた。
しかし、そんな不安はどうしようもない杞憂に終わった。
突如着信を告げる俺のケータイ。発信者は――長門だ。


「長門か!?」
俺はケータイに向かって思わず叫んでしまう。
「涼宮ハルヒは現在自宅には不在」
聞こえてきたのはいつもの長門の、抑揚のない落ち着いた声。
というか、長門はこの状況をわかっていたのか?
さっきまでの俺とねーちゃんのやり取りをどこかから見ていたとしか思えない。
まあ、長門だしそれぐらいのことは造作もないことなのかもしれない。
それより、ハルヒの居場所だ。

「どこにいるんだ!?」
「学校。より詳細に言うと、部室」
「わかった!部室だな!?助かったぜ!」
「待って」
そう言ってすぐに電話を切ろうとした俺を長門が押しとどめる。
「現在涼宮ハルヒの精神は極度に不安定。その影響で、大規模な閉鎖空間が続発している。
 古泉一樹も朝比奈みくるも、その対応で追われている」
やはり。俺の予想は間違ってなかったみたいだ。
長門は更に続ける。
「現在、部室も完全なる閉鎖空間の一部と化している。
 涼宮ハルヒの感情の情報爆発は仮想の閉鎖空間だけでなく、
 部室、つまりは現実の世界にまで侵食し始めている。
 このままでは、学校も、最終的にはこの世界全体が侵食されてしまう危険性が高い」
「よくわからないが、相当にヤバイ状況だってことだな?」
これはますます急がねば・・・。はやる俺を長門の言葉が射抜く。
「今あの部室に行くことは非常に危険。推奨できない。
 あなた自身が閉鎖空間に飲み込まれ、現実世界に帰ってこれなくなる恐れがある。
 古泉一樹はじめとする数名が空間拡大の防止に当たった。でも効果は薄い」


「要するに、あの灰色空間にハルヒと共にまた巻き込まれるってことだな?
 だったらまたハルヒをそこから連れ戻して、一緒に帰ってくるだけだ」
そう、1年前のあの時のようにな。
「それは無理」
そんな俺の言葉を長門は真っ向から否定する。
「何故!?」
俺は思わず声を荒げる。

「涼宮ハルヒは、あなたの『感情』が自分に向いてないことを知ってしまった。
 だからあなたを目の前にしても、1年前と同様の方法をとっても、
 涼宮ハルヒはあなたのことを信じることが出来ない」
「何だそれは?そんな台詞は長門、お前らしくないぞ!」
俺は思わず、嫌悪感を顕わにしてしまう。長門がそんなことを言うなんて、思ってもみなかったからだ。
そんな俺の言葉を受けても長門は調子を変えることはなく、静かにこう言った。

「あなたと以前に話した『感情』、あなたがあの従姉妹の女性に向けた『感情』、
 涼宮ハルヒがあなたに持っていた『感情』、私には理解できなかったその『感情』の意味が、
 少しだけわかった」

『ただな、俺にもわからないその『感情』とやらだが。
 俺はな、長門、お前にもいつかきっとわかるもんだと思うぞ?
 根拠はないが、何となくそんな気がするんだ』
俺は以前長門にそう言っていた。その『感情』が、『恋心』という『感情』が、
長門にも理解出来たのだ。

「それは・・・やっぱり俺の言うとおりだったろ?
 だけど何故それが関係がある?」


俺の質問に、長門は珍しく言葉に詰まったようになった雰囲気を醸し出していた。
電話越しにもそれが伝わってくるくらいだ。
やっとのことで長門が口を開く。

「それは・・・私があなたに対し、持っていた『感情』でもあるかもしれないから。
 そしてあなたがあの女性と会っている時、この『感情』のせいで私の中でバグが発生した。
 そして涼宮ハルヒがあなたにその『感情』を抱いていたとするなら・・・
 私と同じ、もしくはそれ以上のバグを抱えているはず」

俺は・・・長門の言わんとすることが何となくではあるが把握できた。
本当に泣けてくる。俺みたいなヘタレにそんな特別な『感情』を抱いてくれるだなんて・・・。
そして長門は搾り出すように、
「このバグは・・・取り除けない。
 そして・・・とてもつらい。
 涼宮ハルヒもきっとそう。
 だからあなたと接触したとしても・・・」

「長門よ――」
俺は長門の言葉を遮っていた。
「その『感情』は人間にとって本当に大切な『感情』だ。
 俺はそれをあの人に、ねーちゃんに教えてもらった。
 そして、俺は自分のその『感情』に素直になることに決めた。
 だから、ハルヒのそのバグとやらも・・・絶対に取り除いてみせる!
 そして俺の『感情』をハルヒに伝えて、きっとまた戻ってきてみせる!」
いつから俺はこんなアツイ台詞をいけしゃあしゃあと吐く男になったのだろうね。
まあ、そんな自分は――嫌いじゃないけど、な。


そんな俺の告白に長門は、
「・・・・・・」
しばらく無言を貫いたが、
「わかった」
と短く、言い
「あなたを、信じる」
と、何よりも嬉しく、心強い言葉を残してくれた。

長門との電話を終え、俺は学校へと向けて走った。
いつもはかったるくて堪らない坂道も、一気に駆け上がる。
見えてきた・・・校門だ。

俺は校門を一気に駆け抜ける――と、只ならぬ違和感を感じる。
時刻はまだ夕方、校庭には運動部等が残っていても不思議はない。
しかし、校内には全く人のいる気配がない。
そして、まだ暮れかけの赤色を帯びていた空が、
一気に曇り始め、どよんとした灰色に覆われた。

「クソッ、本格的に閉鎖空間のお出ましってか」

独りごちる俺。
幸いなことにあの変な巨人は出てきていないようだ。
しかし、この異様な校内の雰囲気。まるで学校だけが現実世界から切り離されてしまったかのようだ。
俺は部室へと――急ぐ。


『バタンッ!』
いつもなら丁寧にノックをしてから開けるこの部室の扉も、今日ばかりは乱暴に開け放つ。
この部屋に・・・ハルヒが・・・いた!!
ハルヒは団長机の向こう側で、背を向け、窓の外を見つめながら立ちすくんでいる。

「ハルヒッ!」
俺は思わずその後姿に、叫びかける。
その叫びにビクッと肩を震わせ、振り向くハルヒ。
その表情は――まるで雨の中に打ち捨てられた孤独な捨て猫のような、
怯えと不安が入り混じったような、複雑過ぎる表情。


外は既に真っ暗。人の気配のない静まり返った学校。そしてこのSOS団の部室。
真っ暗な部室に月明かりだけが差し込む。
ココは――既に閉鎖空間だ。間違いなくハルヒが作り出した閉鎖空間――。
月明かりを浴びたハルヒのそんな複雑な表情が、そのかき乱される心中を俺に見せ付けるかのようだ。

俺はハルヒへと近づいていこうとする・・・しかし、
「来ないでっ!」
叫ぶハルヒ。俺は思わず足を止めてしまう・・・。
「なんで・・・なんで・・・来たのよ・・・?
 今更アンタがあたしに何の用があって・・・」
首を振り、怯えたような声を捻り出すハルヒ。
「ハルヒ・・・」
もう一度その名を呼ぶ。しかしその後の言葉はハルヒの叫びに遮られる。
「聞きたくないっ!アンタの・・・アンタの話なんて・・・」


ハルヒはとうとう両耳を塞いで、蹲ってしまう。
「アンタのことが・・・好き・・・なのに・・・、
 アンタは・・・あのお姉さんのことが好きで・・・、
 あたしは・・・あたしは・・・そんなの耐えられない・・・、
 キョンが傍にいてくれない世界なんて・・・耐えられない・・・、
 そんな世界は・・・あたしはいらない・・・」

だからこそ、世界を閉鎖空間で塗りつぶし、書き換えようとしちまってるわけか。
『ガシャーン!!』
突如けたたましい破壊音が響く。
ああ、とうとう出やがったな。
窓の外では、あの白い巨人が校舎をブン殴って破壊活動に勤しんでいる。
しかも一体ではない。おびただしいほどの数。
このままではこの部室棟に破壊が及ぶのも、時間の問題だろう。

だがな、俺はそんな事態を許すわけにはいかない。
それは別に古泉の所属する機関とやらみたいなくだらない思惑とかそんなんじゃなくて・・・
ただ単に、ハルヒが――俺が大好きなハルヒが――、
そんな絶望と不安に寂しく震える姿を――
そんな悲しい顔を――
その瞳から流れる寂しい粒を――
何よりも見たくないからなのさ。

俺は耳を塞ぎ、蹲るハルヒの元に駆け寄り、渾身の力で抱きしめる。
そして――

「ハルヒ、俺はお前のことが、好きだ」


今一番言いたかったことを、一番言いたかった人に、素直に伝えた。
今までの悩みが、ヘタレな自分が、まるで嘘みたいに
こんなにもさらりと、簡単に、自分の気持ちを伝えることが出来た。

そして俺は、耳を塞ぐハルヒの両腕を取る。
ハルヒは恐る恐る瞳を開け、俺の顔を見つめる。
俺は一番伝えたかった言葉と同じくらいにしたかったその行為を試みる。


ハルヒの頬に手を沿え、
その唇を――奪った。


時が止まったような感覚。
それも俺とハルヒの2人だけが、この世界からも閉鎖空間からも隔絶されて、
ただ2人だけの時の流れが止まったかのような、不思議な感覚だ。
ハルヒの唇は柔かかった。
世の中にこれ以上の心地よい感触を与えてくれるような果実があるっていうなら教えて欲しいくらいだ。
そんなハルヒとのキスに、俺は体中の血流が止まったかのような、そんな高揚感を感じていた。


やがてどちらからともなく唇は離れる。
ハルヒはまだ不安げな表情。
そして相変わらずココは灰色の閉鎖空間。
巨人達も暴れ回る。


わかっていたさ、1年前のように行かないってことはな。
要はハルヒはまだ俺の気持ちを信じ切れていないということだろう。
だったら、信じてくれるまで何度でも、俺は自分の気持ちをハルヒにぶつけるだけだ。


「アンタは・・・あのお姉さんと・・・」
小さく言葉を紡ぐハルヒ。
俺はそんなハルヒに語りかける。

「俺は馬鹿だった。ねーちゃんに背中を押してもらうまで自分の気持ちにすら気付けなかった。
 ねーちゃんは俺の本当の気持ちをちゃーんと知ってたみたいだ。さすが年上だけはあるな」
いきなり変な話を始めた俺を疑問に思っているのか、キョトンとするハルヒ。

「言われちまったよ。『キョン君はハルヒちゃんのことが好きなんでしょ』って。
 そんで俺もやっと自分の気持ちに、お前のことが好きだって気持ちに気付いたんだ。
 呆れるくらいに鈍いよな俺。ホント自分でもイヤになるくらいだ」

「でも・・・あの人は・・・キョンの『初恋』の・・・」
不安そうなハルヒ。お願いだ、お前のそんな顔は見たくない。

「だから『初恋』の決着は・・・ちゃんとつけてきたさ。
 そしたらやることは1つ。今の自分の気持ちに向き合うことだ。
 そして今の俺の気持ちはハルヒ、お前にあるんだよ」

俺はそこまで言うと、1つ大きく息を吸った。
ここから先に言うことは、正直顔から火が出るほど恥ずかしい。
それでも言うんだ。だって俺はハルヒのことが好きだからな。

ハルヒは俺の言葉を待っているようだ。
その瞳から流れるものは・・・もう寂しい粒なんかじゃない。


「もう一度言うぞ。
 俺は涼宮ハルヒを愛している。
 いつでもお前の傍にいたい。ずっとお前の傍にいたい。
 だから、お前の傍で、命令されて、雑用やらされて、罵倒されて・・・
 そんでもっていざという時はお前を支え続ける。
 この役割は誰にも渡せないし、渡したくない。
 一生お前の傍にいるぞ。お前がイヤっていってもな。
 それ位に・・・とにかく・・・俺はハルヒのことが好きだ」

こんな台詞、ホントどんな顔して、どんな口から出るっていうんだろうな。
まあ、こればっかりは自分でもわからないさ。

そしてハルヒは――またその瞳から大粒の涙を流す。
今までの緊張と、不安と、絶望、その全てから一気に解放されたようだった。

「キョンッ・・・!」
抱きつき返してくるハルヒ。
あ、なんか柔かいものが・・・ってまた何を考えている俺よ。

「あたしも・・・キョンのことが好き!誰よりも何よりも好き!
 ずっとキョンに傍にいて欲しい・・・!いつでもどこでも傍にいて欲しい・・・!
 キョンがイヤだっていっても・・・傍にいて欲しいっ!」

そう言うとハルヒは俺の胸でワンワン泣きだした。
俺はそんなハルヒを優しく抱きしめる。
普段のハルヒからは想像も出来ない、こんな一面も、
これからはずーっと俺だけのものだ。


そして、どちらからともなく見つめあい、再び口付けを交わす。
今度こそ本当のキスだ。
一方通行じゃない、俺とハルヒ2人が心から望んだキス。
この時間が永遠に続くんじゃないかって思えるほどの長い、長いキス。


そして、世界は――眩しく光を放つ。
視界も消え、周囲の音も完全に消える。


そう、世界はその危機から脱した。
いや、『危機』というのは適切ではないな。
これは俺とハルヒが望んだことだ。
世界に絶望なんかせず、塗り替えてしまうことなんかせず、
今までと同じ日常を、そしてこれからの日常を、
俺とハルヒ――2人で生きていこうっていう心からの望み。


その光はまるで俺達を祝福するかのように包んでいた。


世界は――『あるべき姿』を取り戻す――。


・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・・。


あれから――意識を取り戻した俺は自分が部室の床に大の字になってぶっ倒れているのに気付いた。
辺りは真っ暗。もう時刻は10時くらいになってしまっているのではなかろうか。
ああ、こりゃ帰ったら母親に怒られるなんて、回らない頭で考えていた俺は、
自分の胸の上に確かにある重みを認識した時、やっと正気に戻った。
俺の身体に覆いかぶさるようにハルヒがスヤスヤと寝息を立てている。
そしてその姿を見た時、俺は全てを把握した。

「ああ、何とか戻ってくることが出来たのか・・・」
そんなことを呟きながら時刻の確認をしようとケータイを取り出す。すると、メールの着信が3件。

『From:長門有希
 あなたを信じていた。戻ってきてくれて、良かった』
『From:朝比奈みくる
 キョンくん、何とか戻って来れたんですね・・・!
 心配しました・・・でもホントに良かったです・・・』
『From:古泉一樹
 いやはや一時は僕も機関もあまりの規模の閉鎖空間に諦めかけました。
 本当にあなたのおかげです。
 やっぱりあなたは僕を失望させたりするような人ではありませんでしたね』

どうやら3人にも大分心配をかけてしまったみたいだな・・・。
明日学校で謝らないと・・・。そんなことを考えながらも、
俺の意識は胸の上ですやすやと眠る愛しの眠り姫の方へといっていた。
ああ・・・コイツが目を覚ましたら何て言おうかな・・・。
お互い気恥ずかしいな・・・。
そんなことを考えながらも、俺は満足感に満たされていた。

「これからは絶対に離さないからな、ハルヒ」
俺は愛しの眠り姫の髪の毛を優しく撫でながら、そんなことをひとりごちた。


それから俺とハルヒは、まあ何と言うか、付き合いだしたわけだ。
もちろんSOS団内では公認の存在だが・・・
クラスの連中・・・特に谷口のアホには何てからかわれることか・・・今から気が気でない。
ちなみにイチャつく俺とハルヒを、古泉や朝比奈さんは生暖かい目で見ているようだ。
そして、そんな俺達を見る長門の視線は時々、刺すように痛い。なぜだろうな?

さて、実を言うと・・・やはりハルヒはあの閉鎖空間での出来事を夢だと思っていたらしい。
あの日、俺の胸の上で目を覚ましたハルヒは全く状況をつかめないといった風で酷く狼狽していた。
俺としても本当のことを話すわけにもいかないのでどうしたものかと思っていたが・・・
とりあえず、何の因果か俺も同じ夢を見てしまったということにしておいた。
そして、どちらからともなく互いの気持ちをそこで改めて確かめ合ったってわけだ。
まあ・・・その後ちゃんともう1回キスもしたし・・・な。
その先はだって?それはここで話すわけにはいかないな。
各自勝手に想像してくれ・・・ってちょっと苦しいか?

そんなこんなでその日は一緒に帰ったわけだが・・・互いに気恥ずかしいことといったらなかった。
まあ・・・それでも互いの手を握り合っていたし・・・
ってこれ以上はノロケになるか?
まあ、とにかく俺とハルヒは晴れて結ばれたってわけだ。

そして・・・忘れてはならない。
俺の背中を押してくれた人、
肝心のねーちゃんの話をしなければならないだろう。


ねーちゃんはあの後、自宅に戻った俺に電話を寄越し、あれからの事の成り行きについて聞いてきた。
そこで俺とハルヒが上手いこといったことを伝えると、まるで自分のことのように喜んでくれた。
そうして祝福してくれること自体は非常に嬉しかったが、
その一方で俺はねーちゃんに対し、少し罪悪感を感じていたのも事実だ。


というのも、結局、ねーちゃんは独りで、孤独で、寂しいままだ。
俺としては勿論そんなねーちゃんに出来るだけのことはしてあげたかったが、
ハルヒの気持ちを考えると安易な行動は出来ない。
それでも、電話の向こうで従弟の恋の成就を喜ぶねーちゃんの明るい声の裏側には、
隠そうとしても隠し切れない切なさを感じたのも、これまた事実。
だから俺は、ねーちゃんに対しては正直複雑な心境だった。


そんな心境だったからこそ、数日後のねーちゃんからの電話の内容には驚きを隠せなかった。


何と、ねーちゃんは同棲していた元彼氏と復縁するかもしれない、と言うのだ。
驚きの余り、電話の向こうで数十秒言葉を失ったね。
それでもねーちゃんは戸惑う俺にこんなことを言ってくれた。


『私もキョン君のおかげで、自分の背中を押されたような気持ちになったんだ。
 逃げてばかりじゃいけない、前を見据えて生きていかなきゃいけない、ってね。
 そんな時に彼から連絡が来て・・・やり直したいから1回話しあわないか、って。
 そんなこんなでヨリを戻すことになったの・・・。
 ホントにキョン君のおかげだよ。キョン君が自分の気持ちに素直になって、好きな人を想う姿を見て、
 私も一杯勇気を貰ったよっ!』


俺にはもったいなさすぎる言葉だった。切ない気持ちも止まらなかった。
それでも、電話越しのねーちゃんの声が、本当の明るさを取り戻したようなそれになっていると気付き、
俺は本当によかったと、心からそう思った。

そしてその週の日曜日。
俺は、元彼とヨリを戻し、もう一度同棲するため、街を離れることになったねーちゃんを駅まで見送りに来ている。

「おっ!キョン君!久し振りだね!
 しばらく見ないうちに、なんだか一段とイイ顔つきになったねっ!
 ハルヒちゃんと付き合いだしたおかげかな?」
からかうように言うねーちゃん。あれ以来、電話やメールをすることはあったが、
こうして顔を合わせるのは数日振りだ。
しかもその電話やメールすら、ハルヒと付き合いだしてからは極力控えるようになっていた。
そんなわけで今日は久し振りのねーちゃんとの対面だったのだが、大きく変わったことが1つ。
それはねーちゃんの髪型。ポニーテールではなくなっていたのだ。
再会した時のように髪を肩まで下ろし、より大人っぽい雰囲気を醸しだすようになっていた。
そして、それはねーちゃんなりのケジメだったのかもしれない。

「ねーちゃんには・・・本当にお世話になりました。
 ねーちゃんが俺の背中を押してくれなかったら、俺は自分の気持ちにも気付かなかったです。
 本当に・・・感謝してます」
そんな改まった謝辞を述べる俺を気に入らなかったのか、ねーちゃんは頬を膨らませ、
「もうっ、キョン君ったら!折角のお別れの時なんだからそんな改まった挨拶は抜きだよっ!
 明るく明るく!ホラ、笑顔笑顔!」
ポニーテールを止め、より大人っぽくなったねーちゃんではあるが、
相変わらずその明るさだけは変わらない。


「すいません・・・。
 それで・・・向こうではどうするんですか?」
俺はねーちゃんの今後について尋ねてみた。
「そうね~、まあ改めて仕事を探して・・・2人でしっかりお金を貯めて・・・。
 落ち着いたら・・・私の実家にも彼に実家にも1回挨拶に行こうって思ってるの。
 ほら、5年前はあんな形で飛び出してきちゃったわけだし・・・。
 まあ大変だとは思うけど頑張るよっ!」
ニコリと笑うねーちゃん。

「それで、キョン君はハルヒちゃんと上手くやってるの?
 折角成就した両思いなんだから大切にしてあげるんだよ?
 もしかしてもうキスとかはしちゃった?」
「え、ええっ・・・!そんなのは・・・!」
『キス』という言葉に反応し、うろたえる俺。何ともわかりやすいこった・・・。
「あ~、図星かな~?それとももうキス以上のこともしちゃった?」
「・・・・・・・!!!」
さらに顔を赤くし、うろたえる俺。ねーちゃんの思う壺だな、ホントに・・・。


「とにかく!ハルヒちゃんを大事にしてあげるんだよ?
 あの子、きっと凄くいい子だと思うしね!
 もし浮気なんかしたら・・・おねーちゃん怒るよ?」
「それは・・・もう重々に承知してますって」
俯き加減に恥ずかしそうに語る俺にねーちゃんは更なる追い討ちをかける。
「まあ、もしハルヒちゃんにフラれたら私のところにおいでね!
 イイ子イイ子して慰めてあげるから(はぁと)」
悪戯っぽい笑みでウィンクするねーちゃん。
「へ、変な冗談は止めてくださいっ!!」
俺は思わず叫んでしまった・・・。
ああ、周りの人達の視線が痛い・・・。


そして・・・。
『まもなく~2番線に~○○行きの電車が参ります。お乗りの方は~白線の内側に下がって・・・』
ねーちゃんが乗る予定の電車の到着を告げるアナウンスがホームに響く。


「それじゃあ、またお別れだね」
少し寂しそうなトーンになるねーちゃん。
「ええ・・・そうですね」

「キョン君元気でね、体壊さないようにね」
「・・・はい」
「おじさんやおばさん、妹ちゃんにもよろしくね」
「・・・はい」
「あとハルヒちゃんや有希ちゃん、みくるちゃんや一樹君にもよろしくね」
「・・・はい」
「またこっちの近況とかメールするから・・・キョン君もメールしてね」
「・・・はい」
「キョン君・・・変わらないでね。いつまでも純粋なままの・・・キョン君でいてね」
「・・・はい」

そのひとつひとつの言葉が・・・胸に確固たる重みを持って響く。
俺はそのひとつひとつの言葉を噛みしめるように頷く。
ねーちゃんは・・・目に涙を浮かべている。
いつの間にかホームにはねーちゃんの乗る電車がやってきている。
さあ、とうとうお別れの時だ。
そして俺は最後にねーちゃんに対し、自分の素直な気持ちを言葉に表すことにした。
こうして言うのは2度目だが・・・それでもこの最後の瞬間に言わねばならない気がした。


「俺は、ねーちゃんのことが、好きでした」

幼い日の――
ねーちゃんについてまわって遊んだ日々が――
俺の脳裏に蘇る。

「ねーちゃんは――俺のかけがえのない『初恋』の人です」

俺の『初恋』の人は――
誰でもないあなた。

「ねーちゃん――本当にありがとう」

これで最後だ。
俺は自分の気持ちに決着を着ける。

そして――
ねーちゃんは俺の言葉を受け取ると――
幼い日から俺が憧れ続けた――
あの、咲き誇る向日葵のような満面の笑みを浮かべた。

この日――
俺の『初恋』は――終わりを告げたのだ。


ねーちゃんを見送った俺はホームを後にする。
駅を出ると・・・見覚えのある、今俺が最も愛しい人影が俺を待っていた。


「随分遅かったわね。それで、お別れはちゃんとすませてきた?」
「ああ」

それは――勿論コイツ、涼宮ハルヒのことだ。
ハルヒは今日、俺がねーちゃんを見送るのに、こうしてついてきているわけだ。

「そう。それじゃ行きましょ」
それだけ言うとハルヒは身を翻す。
心持ち短めのポニーテールの尻尾が揺れる。

そう、今日のハルヒはなぜかポニーテール。
今までにコイツがこの髪型をするのは何回もなかったはずだが・・・。
一体どういう風の吹き回しだろうか?
ねーちゃんは今日を境にまたポニーテールを止めた。
それに呼応するかのように今日のハルヒはポニーテール。
これも複雑な乙女心のなせる業なのかね、生憎と俺にはよくわからないが。
まあでも・・・うん、やっぱり凄い似合ってるぜ、ハルヒ。
もうちょっと髪が長くなったら、是非髪型はソレで固定して欲しいぞ。


「さあ!今日のデートはキョンの全額奢りのハズだったわよね!
 思いっきり遊びまくるわよ~!
 それに勿論SOS団の団員たるもの、デートにおいても不思議な出来事には気を配らないとね!」


そう、俺とハルヒは今日これから2人きりでデートに出かけることになっているのだ。
ちなみに行き先は特に決まっていない。
ハルヒの気まぐれもとい独断で、俺はどこへでも引っ張られていくことだろう。
そして今日はなぜか俺の全額奢り。ハルヒ曰く、
「あたし達の最初のデートなんだから・・・記念よ!記念!」
とのこと。なぜそんなめでたい記念日に俺の財布はめでたくないことになってしまうのかがわからないのだが・・・。

「ホラ!キョン!はやくっ!」

ハルヒはもたつく俺に痺れを切らすように、俺の手を握った。

そんなハルヒの手を俺は、固く握り返す。
決して離してしまうことのないように、固く、固く。

『初恋』は終わった。
でも俺の目の前で、現在進行形で、新たな『恋』は始まっている。


「好きだぜ、ハルヒ」


「あたしも、キョンのことが好きよっ!」


突き抜けるような青い空――
さわやかに吹き抜ける風に――
ハルヒのポニーテールが――心地よさそうに揺れていた。



―――FIN―――



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最終更新:2020年12月28日 23:43