心の中。
ここはお前の心の中。
ここは俺の心の中。

光と影。
真実と虚偽。

全てが本当とは限らない。
全てが嘘とは限らない。

抜け出せるか否かは。
留まるか否かは。

お前次第だ。



眩しい光が眼に差す。
意味のわからない夢から覚めて、瞼を開けてみると、そこには見慣れた風景があった。SOS団の部室だ。
どうやら、俺は部室で寝てしまっていたらしい。
「お目覚めですか?」
長テーブルの向かい側の、にやけ顔の男が微笑みかけてきた。
「ぐっすり寝てましたよ。起こすのもなんでしてね。」
そう言うと、古泉はオセロのボードを取り出した。目覚めてすぐに古泉とのボードゲームかよ。
「お茶、どうぞ。」
メイド服の朝比奈さんが、俺の前にお茶を置いてくれた。
「ああ、どうも。」
俺は軽くお辞儀をして、お茶を手に取った。お茶を飲みながら部室を見渡してみる。ハルヒはなにやらパソコンの画面をじっと眺めている。長門は、いつも通り、窓辺で本を読んでいた。
「始めましょうか。」
寝起きなら勝てるとでも考えているのだろうか、甘いぞ、古泉。
「それでは、先攻は僕で。」
「ああ。」
古泉は、自分の黒をボードの上に置く。次は俺の番だ。
俺が第一手を置こうとした時、
「キョン。ちょっといい?」
ハルヒが言った。
「何だ。」
俺は、オセロをする手を止める。ハルヒは団長席のパイプ椅子から立ち上がると、俺の元に歩み寄ってきた。そして、急に俺の肩を掴むと、
「いないの。」
いきなり何だ。
「いないのよ。」
だから、何がだ。述語だけ言われてもわからん。主語を言え、主語を。

「キョンがいないの。」

…………は?

次の瞬間、部室の床が、がらがらと崩れ始めた。
何だこれは。
崩れた床の下からは、下の階なんかじゃなく、暗い闇が現れた。長テーブルや、ポットや、パイプ椅子が暗闇に吸い込まれていく。俺は、とっさに壁の窪みの部分に掴まって、暗闇に飲み込まれるのを免れた。何だ、これは、どうなっている?
ふと、背後を見てみると。

ハルヒが空中で浮いていた。

長門や朝比奈さんや古泉はいつの間にか消えている。
ハルヒはゆっくりと、空中を歩き、俺のところまで来ると、
「キョンがいないの。キョン、あんたキョンが何処に行ったかしらない?」
そう言いながら、涙を流し始めた。
何だこれは、わけがわからない。
床は完全に崩れ落ちた。そして、今度は壁まで侵食されていき、それは俺の手元まで至る。
捕まる物を失って、俺の身体は空中に投げ出された。そして、重力の力を受け、俺の身体は落下し始めた。
宙に浮いたハルヒが、どんどん遠ざかっていく。



「はっ!!」
がばり、と身体を起こした。なんだ、夢かよ。悪夢だな、本当に怖かった。
周りを見渡す。俺の部屋だ。窓の外の風景は赤く染まっている。夕方らしい。
時計を確認する。時刻は6時だ。
「キョンくーん、ご飯だよー!」
下の階で妹が呼んでいる。もう夕食か、今日はやけに早いな。
そんなことを考えながら、俺はベッドから腰をあげ、部屋の出口のドアの元まで行き、ドアノブを捻った。

がちゃり。


……………?


部室…………。

SOS団の部室だ。

俺は後ろを振り返る。学校の廊下だ。俺は、自分の部屋にいて、自分の部屋のドアを開けたはずだ。何故、今、俺はここにいる?
周りは暗くなっている。部室の窓から見える空は、漆黒に染まっていた。夜のようだ。

なんだ、これは? ありえない。

………いや。落ち着け、俺。俺は心を落ち着かせるために、小さく深呼吸をした。

普通、こんな事はありえない。ということは、

これは、夢だ。
そうだ。そうに違いない。

「夢なんかじゃないわよ。」
突然背後から発せられた声。俺はとっさに振り返る。そして、そこにいた奴の姿を見て驚愕した。振り返った先にいた奴。それは。

消えたはずの殺人鬼、朝倉だった。

「夢なんかじゃないわよ、これは。」
朝倉は不気味な笑顔を浮かべる。
「でも現実でもないの。」
朝倉は、ふふふ、と笑うと懐からいつか見た図太いナイフを取り出した。
「ここでの私はあなたで、あなたは私で、
私はあなたなんかじゃなく、あなたも私なんかじゃないの。」
何を言っているのか全然わからない。
「あなたが生き返ると私は死ぬわ。
あなたである私が死んだら、あなたも死ぬようなものでしょ?
だから、私はあなたを殺すの。」
あなたが私で何だって? 意味がさっぱり理解できなかったが、朝倉の台詞の最後に、やはり予想していた言葉が含まれていたことはわかった。
――私はあなたを殺す。
夢の中だろうが、どこだろうが、やはり朝倉は殺人鬼らしい。
「じゃあ、死んで。」
朝倉はナイフを持ち直すと、俺に向かって突っ込んできた。やばい。とっさに避けようと足を後ろに下げたが、それよりも早く朝倉は俺の身体に近づくと、
「ふふふ、無駄よ。」
俺の首に向かってナイフを―――



ぐしゃっ



「キョンくんどうしたのー? 何かボーっとしてるよー。」
ハッと気がつく。……ここは?
俺の家のリビングだ。
今、朝倉に刺されたはずの俺は、傷ひとつなく、食卓についている。さも今まで食事を続けていたように。
「キョンくんだいじょうぶ?」
妹が俺の顔をまじまじと見ている。
「ああ、大丈夫だ。」
これもまだ夢か?
「ふーん。」
妹は立ち上がると、
「ジュースとってくるねー。」
と言って、台所まで駆けていった。
俺は自分を落ち着かせてみる。さっきの朝倉の言葉。
―夢なんかじゃない―
―でも現実でもない―
これがもし夢なら、夢の中の人物が言う台詞は全て嘘なのだが、しかし、夢じゃないのなら……。
俺は皿のコロッケをひとつ取って食べてみる。確かに味はする。頬を抓ってみたが、やはり痛みもする。
夢なのだろうか? もし夢なのだとしたら妙にリアルだな。だが、現実では起こりえないことが起こっているし……。
―夢じゃないけど、現実じゃない?―
まさか、な。夢だろう。どうせリアルな夢だ。
そう考えて、俺がもう一つコロッケを取って食べていると、ジュースとグラスを持った妹が台所から戻ってきた。妹は、もとの席に着くと、グラスをテーブルに置き、ジュースを注ぐ。
そして、妹はグラスをオレンジジュースで満たすと、ゆっくりと俺に顔を向け、
「そうだ、キョンくん。台所に行ったついでに持ってきたんだけどね。」
妹はそういうと、後ろから何か取り出した。
それは、銀色に輝いており、先端は、鋭い光を放っている。
……包丁だ。
「キョンくん、必要でしょ?」
妹は、俺の手に包丁を握らせると、
「じゃあ、頑張ってね。」
と、アホ面で微笑んだ。



「何? 私とやる気?」
気がつくと、俺は再び夜の部室に戻っていた。目の前には朝倉。俺の左手には、妹に手渡された包丁。学校から自分の家に行ったと思ったらまた学校か。朝倉は既にナイフを抜いている。どうやらこれは、先程の続きらしい。
「無駄だと思うけどなぁ。」
朝倉はくすくすと微笑む。
なんだ、この状況は。俺はどうすればいい。このまま殺されるか? いや、それは嫌だ。たとえこれが夢だとしてもだ。妹は、俺に包丁を渡した。……やれって言うのか、妹よ。いつからお前はそんなにバイオレンスになった?
……そう、夢だ、夢。俺の目の前にいる朝倉は、俺の夢の中の朝倉だ。なら、殺してもかまわない……だろう? たぶん。何もしなければどうせ殺されるんだ。
俺は包丁を持ち直すと、朝倉に突進していった。
「うおおおおおお!」


ぐしゃっ。


その生々しい音に、俺は思わず目を瞑る。俺に刺さった音なのか? 朝倉に刺さった音なのか…?
俺の身体には、痛みは無い。次の瞬間、包丁を持つ俺の手元に生ぬるい感触がした。
恐る恐る目を開けてみる。俺の手元の包丁は、朝倉のものであろう腹部に突き刺さっていた。制服の白い布が、みるみる赤く染まっていく。……やったのか?
朝倉の表情を窺おうと、ゆっくり視線を上げてみて、俺は驚愕した。
そこにいたのは、朝倉ではなく。


ハルヒだった。


「な……ん…で……。」
ハルヒはそう言うと、床に崩れ落ちた。
何だこれは。
見ると、朝倉の姿はそこにはどこにもなく、代わりに、朝日奈さんと古泉と長門が現れていた。部室も夜ではなく、昼になっている。
「な………なんて事を………。」
「キョ………キョン……く…ん……?」
「…………。」
全員、信じられないような顔をしている。
ハルヒは、床でのた打ち回りながら、涙をぼろぼろと零し、
「痛い………。……痛いよ………。」
俺は、自分の左手を見る。血で赤く染まった包丁がそこにあった。それが無性に気味悪く感じて、思わず俺は包丁を持つ手を離してしまった。カランカラン、という金属音が部室に響く。
「涼宮さん! 涼宮さん! しっかりしてください!」
朝日奈さんは、ハルヒを揺さぶる手を止め、俺の方に顔を向けると、
「どうして………こんなことを……。」
絶望、悲しみ、怒り。そういうものがすべて詰まったような顔。古泉と、長門もまた、そんな顔をしている。
こんなこと? 俺は、何をした?
「どうしてこんな酷い事を……!」
酷い事…? 何の話だ?
「何で涼宮さんを……!」
違う。俺は何もしていない。
「酷い、酷すぎる……。」
違う。
「痛い、痛いよ……。けほっ……。キョン……どうして……。」
違う。
「……信じてたのに。」


違う!!


「違わない。」
長門が俺に近づいてきた。
「あなたは自分を守るために、包丁を握った。
そして、涼宮ハルヒを刺したのは、あなた。」
違う、それは、朝倉を……!
「あなたが指したのは、朝倉涼子ではない。
涼宮ハルヒ。」
長門が俺に迫ってくる。
俺は、逃げるように後ずさりをする。
「あなたは涼宮ハルヒを刺した。
あなたは涼宮ハルヒを刺した。
あなたは涼宮ハルヒを刺した。」
俺の背中が、部室のドアに当たる。
「あなたは、殺した。」
次の瞬間、ドアが開かれた。
ドアにもたれていた俺の身体は、後ろに傾いて………。


ガンッ


後頭部が何かにぶつかった。
「……っ痛……!」
何だ、何にぶつかった。
身体を起こしてみる。気付くと、何かに俺は座っているようだった。椅子だ。
辺りを見渡してみる。教室。授業中のようで、皆席についている。しかし、何故かクラス全員が半口開けた顔で俺の方に注目していた。俺は、後ろの席を振り返ってみる。
そこにいたのは、俺の襟を掴んでいる、嬉しそうに笑うハルヒだった。 
ハルヒ? 何だ、さっきハルヒは倒れていたのでは…。
「気がついた!」
ハルヒは、唾を飛ばしながら、嬉しそうに叫んだ。
「どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかしら!」
簡単なこと?何の話だ。
「ないんだったら自分でつくればいいのよ!」
どこかで聞いたような台詞。

まさか、これは……。

俺は、確認の意味も込めて聞いてみる。
「何を。」
俺が聞くと、ハルヒ笑顔を5割増させて、大声で叫んだ。
「部活よ!」
……間違いない。確信した。これは、ハルヒがSOS団を結成した日だ。殺人者にさせられたと思ったら、今度はタイムスリップか? ますますわけがわからんな。……やはり夢だろう。
「ね? ね? キョン! 面白そうじゃない?」
ハルヒは目を爛々と輝かせている。
「宇宙人とか未来人とか超能力者とか探すのよ!
そして、見つけ出して、一緒に遊ぶの!
そうよ、面白そう!
そんで、部活の名前は――」
ハルヒはそこまで言って、急に口を止めた。そして、急に顔から今までの元気を無くして、
「……あ。やっぱ無理だわ。」
いきなり、何だ? どうしたハルヒ。どうして無理なんだ?
「だって……。」
ハルヒは、片手で自分の腹を押さえて、
「お腹が痛いんだもの。」
次の瞬間、ハルヒの腹部から、じわりと赤い液体が滲んできた。
「――キョンに刺されたお腹が。」
ハルヒは、そう言うと、ゆらりと身体を後ろに傾けて、そのまま仰向けに倒れこんだ。

何だ、何なんだ、これは。


「はい、皆、注目ー。」
背後から低い声が発せられる。振り返ると、クラス全員はちゃんと前を向いていて、教壇にはいたはずの女英語教師ではなく、岡部が立っていた。
「先日、涼宮が何者かによって殺された。」
クラス全員は黙って聞いている。
「犯人はまだ捕まっていないそうだ。」
言葉を区切った後、岡部は俺に顔を向けると、
「でも、先生は涼宮を殺した犯人を知っている。」
握りこぶしにひとさし指だけを立てて、俺の方を指さした。
「殺人を犯す奴なんて最低だよな。
先生もそう思う。
罪には罰が必要だ。」
岡部が言い終わると、突然クラス全員が、ガタンと音を立てて席を立った。そして、ゆっくりと俺に顔を向ける。
「罪には、罰。そうだろう?」
岡部は懐からナイフを取り出す。倣ってクラスメート達も懐からナイフを取り出した。おいおい、お前等、いつもそんな物騒なものを常備してたのか。見ると、その目からは殺気が放たれている。くそ、全員朝倉のように見えてきた。
ここにいたら殺される。
俺は席を立つと、教室のドアまで走った。クラスメートがゾンビのような足取りで追いかけてくる。くそ、気味が悪い。
俺は、なんとか廊下に出て驚愕した。
なんてこった。
他のクラスの奴等が、ナイフを持って、廊下を塞いでいる。何だ、この団結力は。この団結力を文化祭でも発揮して欲しいものだ。
やがて5組教室からクラスメートが流れ出てきた。くそ、駄目だ。完全に囲まれた。

「死ぬのは怖い?」
人ごみの中から、例の殺人鬼が現れた。
「信用を失うのが怖い?」
ナイフを片手にじりじりとにじり寄って来る朝倉。
「それとも、大切な人を失うのが怖い?」
朝倉は、俺の目の前まで来ると、ぴたりと足を止めて、
「なら、失いたく無いと望みなさい。
失いたくないと願いなさい。
そして、自分の中に取り込むのよ。」
ふふふ、と微笑み、ナイフを上に振りかぶって……。



ぐしゃっ



「誓いのキスを。」
………は?
俺は辺りを見回す。高い天井。窓から差し込む光赤い絨毯。椅子に座って、こちらを見つめている人々。なぜかタキシードを着ている俺。そして、俺の前には、ウエディングドレスを着た女性が立っていた。布が顔にかかって、誰かわからない。
「キョン……。」
ウエディングドレスの女性がぽつりと呟く。
……? この声は……? まさか。
俺は、女性の顔にかかっている布を手で除けてみる。その下から顔を覗かせたのは。

ハルヒだ。

なんだ、これは。……結婚式? ついさっきまでデッドオアアライブを彷徨っていたというのに、今度は結婚式だと? しかも、相手はハルヒ?
何なんだ、これは。くそ、さっきからこの台詞ばかり言っている。
「あたし……。キョンと結婚できて嬉しい……。」
結婚できて、って、俺は婚姻届けに印を押した覚えは無いぞ。
「…………。」
ハルヒは上目遣いで俺を見る。よく見ると、その頬にはほんのりと朱がさしていた。

…………。 ………かわいい。

いやいや、今何と言った、俺! 落ち着け、まず落ち着け。そうだ、殺されかけたり殺人者にされたりいきなり変な場所に飛ばされたりだとか、そんな訳の分からない事が続いて、少しパニックになっているんだ、俺は。そうだ、きっとそうだ。俺がハルヒを可愛いなんて思うなんて有り得ない。地球の自転が逆になることよりも有り得ない。有り得ないとも!
「…………。」
ハルヒは黙ったまま、俺の目をじっと見つめている。やめろ、上目遣いで見るな。そんな目で見られると………。なんか……その……。お前がいつものお前に見えないというか……、女らしいというか……。………可愛い……とか、思ってしまうじゃないか。
「………ねぇ。」
ぽつりと、ハルヒ。
「何だ。」
俺が言うと、ハルヒはますます顔を赤くして、
「その……あんまり焦らさないでよ。」
……焦らさないで? 何をだ?
俺は、ハッと、最初に聞こえた言葉を思い出す。

―誓いのキスを。―

……まさか、まさかこの状況は……。周りの奴等が、急かすような目でじっと見ている。やめろ、見るんじゃない。
……くそ、やれというのか……? …あの長門は何と言っていたか? 人間は理性のみによって生きる存在にあらず。それが有機生命体の「ノイズ」である。
理性。理性。理性?
そう、人間は理性のみによって生きてるんじゃないんだよな、長門。そうだよな、お前がそうい言ったんだからな。悪いのは全てそう言ったお前だ、うん。俺は全然悪くない。そう、悪くないんだ!
俺は全てを長門に責任転換して、ハルヒの肩を掴んだ。すると、ハルヒはびくり、と肩を動かすと、ゆっくりと瞼を伏せた。瞼を伏せる? ああ、そうか、キスをする時は瞼を伏せるのがマナーだよな。
俺は、ハルヒに倣って瞼を伏せて。

ハルヒの唇に自分の唇を重ねた。


しばらくそのままにしていただろう。
唇を離して、ゆっくり目を開けると、そこには顔を赤くしながら微笑んでるハルヒがいた。いたのだが、その格好はウエディングドレスじゃない。短パンに、Tシャツという、家にいる時のような格好だ。辺りを見回す。見知らぬ部屋。そこまで広いってわけじゃないが、狭いってわけでもない。丁度、アパートの一室、のような感じだ。ちゃぶ台の上に置かれているグラスや、キッチンの流しに置かれている食器などが生活感を感じさせる。カーテンが閉められて電気がつけられているので、今は夜なのだろう。
「何よ、キョン。きょろきょろしてどうしたの?」
「ああ、いや、何でもない。」
次は何なのだろう。見れば俺の格好もタキシードから私服に変わっている。さっきの結婚式から考えると…。……これは、同棲生活、といったところか。
「ところでさ、キョン。」
ハルヒが顔を近づけてくる。何だ?
「私達って、結婚してもう結構たったじゃない?」
ハルヒは少し顔を下げて、
「キョンも仕事ついたし、収入も安定してるし。
それで、相談なんだけど……。」
ほんのり頬を赤くして、例の上目遣いで、
「子供……とか、欲しくない?」
マジっすか。
「あ、駄目なら、駄目って言ってくれていいのよ。
うん、でもね、私は欲しいかな、とか思っちゃってるんだけど……。」
どうしたものだろうか。どう言うべきなんだろうか。と、いうか、ハルヒが控えめだな。結婚してから性格が変わったのだろうか。高校の時のあれは若さゆえの衝動だったのかもしれないな。
「子供は、まだ後にした方がいいかな。」
今が結婚してどれぐらいになるのかは知らんがな。
「あっ、そう…。そうよね。まだ早いわよね。」
ハルヒは少し残念そうな顔をする。
子供、ねぇ。何がどうなって俺達結婚してんだろうな。

ピンポーン。

チャイムの音が部屋に響く。
「はいはーい。」
と、ハルヒは玄関にぱたぱたと駆けて行き、ドアを開ける。ドアの向こうに現れたのは、いつかの憎たらしいスマイル男と、ふんわりとした栗色の髪を持ったSOS団専用お茶汲みマスコット朝日奈さんの姿だった。
「こんばんは、少し遊びに来ましたよ。」
と、古泉は微笑む。
「あの…。お邪魔、じゃないですか?」
と、恐る恐る朝日奈さん。ハルヒは、その背中をばんばんと叩くと、
「いいのいいの! 何も無くて暇してたとこだったわ!
どうぞ、あがって!」
左手で、部屋に入るよ促した。
「お邪魔します。」
二人は軽く礼をして部屋に入ってきた。
「お久しぶりです、キョンくん。」
「えぇ、お久しぶりです。」
どのぐらい久しいのだろうか。
「待ってて、今お茶淹れるから。
そこ、座っといて。」
ハルヒはそう言うとキッチンに向かっていった。古泉と朝日奈さんは、ちゃぶ台の横に腰を下ろす。
「それで、どうですか、涼宮さんとの生活は。」
どう、って言われてもね。全然わからんが。というか、ここは夢の中なのだよな。何故夢の中の古泉と話しているのだろうな、俺。
「おっ待たせー!」
湯呑をのせたおぼんを手に、ハルヒが戻ってきた。ハルヒはお茶を朝日奈さんと古泉の前に置くと、俺の横に座り、
「キョンとの生活、結構楽しんでるわよ。
高校の時はキョンと結婚するなんて夢にも思ってなかったけどね。」
「ははは、僕もそうでしたよ。」
「プロポーズは、どちらがされたんですかぁ?」
ハルヒはにんまりとした顔で俺を見ると、
「キョンの方から、よ。」
マジかよ。その俺は少し頭がおかしいな。
「そうなんですか。あなたも男ですねぇ。」
にやけ顔がかつてなくうざい。
「それで、プロポーズの内容は?」
朝比奈さんの問いかけに、俺は言葉を詰まらせる。俺は知らないので、プロポーズの内容、とか聞かれても、困るのだ。どうしたものか、と俺が考えていると、ハルヒが横から、
「こいつ、こう言ったのよ。
『世界の誰よりもお前が好きだ。
 俺と付き合ってくれ。』ってね。」
俺はそんなにクサい台詞を吐いていたのか。
「きゃー、すごーい。」
何が?
「それで、あたしが何か言おうかと思ったら、
キョン、無理矢理あたしの身体を引き寄せてキスしたのよ。
どう思う?」
その俺は相当頭がおかしいな。
「ほほぅ、やはりあなたも男なんですね。」
だから、どういう意味だ古泉。くそ、笑顔がうざい。その顎に右フックを叩き込んでやりたい。
「それで、涼宮さんもOKしたんですかぁ?」
「そうよー。それから1ヶ月ぐらいして結婚ね。」
「1ヶ月ですか、随分と早いですね。
まぁ、それも涼宮さんらしいですね。」
………ところで、この夢はいつまで続くんだろうか。なんかもうそろそろこの会話もどうでも良くなってきた。目、覚めないかな。早く起こしに来い、妹よ。
「ところで、僕、実は高校の時涼宮さんの事好きだったんですよ。」
はぁ? いきなり何を言い出すんだ古――

どすっ。

……? 何だ、今の鈍い音は。
「だから、僕のものじゃない涼宮さんなんかいりません。」
邪悪に笑う古泉。何を言っているんだ?
古泉の右腕が、どこかに向かっていた。俺はその腕を辿ってみる。その先にはナイフが握られており、更にその先には………それを腹部に刺されたハルヒが。
「僕のものじゃない涼宮さんなんか死ねばいいんです。」
古泉は、刺したナイフをぐりぐりと回す。
何をしている、古泉。
「何をしている! 古泉!」
「何って、見ての通りですよ。
あなたが僕から涼宮さんを奪ったからいけないんですよ。」
そんなアホな話があるか。やめろ、ナイフを抜け!
俺は、古泉を殴り飛ばして、ハルヒの腹に刺さったナイフを抜いた。
「キョ……キョン……。どうして…こういう事に……。」
ああ、俺もさっぱりわからないね。
「朝比奈さん! すぐに救急車を呼んでください!」
俺は朝比奈さんに叫んだ。しかし、朝比奈さんは、反応を示さずに俯いている。
「朝比奈さん! 何してるんですか! 早く救急車を――」
「私もキョンくんのこと好きだったんですよね。」
……な?
「私も古泉くんと同じ意見。
私のものじゃないキョンくんなんか死ねばいいの。」
見ると、朝比奈さんの片手にはナイフが握られている。今、朝比奈さんは何と言った。「死ねばいい」?
「死んで。」
朝比奈さんは、朝倉のような笑みを浮かべながら、ナイフを振った。俺はとっさにしゃがんでそれを避ける。くそ、何なんだ。
「ハルヒ、逃げるぞ!」
俺は、ハルヒを抱えると、ドアを足で蹴り破って部屋を出た。後ろからゆっくりとナイフを持った朝比奈さんと立ち上がった古泉が追いかけてくる。
「くそ、ハルヒ! 死ぬなよ!」
「うっ……言われなくても……そのつもりよ……。」
どうすればいい。どこに行けばいい。病院か? 交番か?
俺は、アパートの階段を下ろうとして、ふと足を止めた。階段の下に誰かがいる。
「こんばんは。また会ったわね。」
朝倉だ。
「またお前か。」
「ふふふ。会えて嬉しい?」
「冗談じゃないな。」
後ろからは朝比奈さんと古泉が迫っており、前は朝倉が道を塞いでいる。くそ、囲まれた。
「現実の世界は妬まれる。」
朝倉は、不気味な笑みを浮かべながらとんとんと階段を上ってくる。
「現実の世界は恨まれる。」
朝倉は、階段を上りきり、俺に迫ってきた。
「それでも、あなたは現実の世界に戻りたいの?」
やめろ、来るな。
「こっちの方がずっと面白いと思うわよ。
あなたは、面白い世界を願っていたのでしょう?」
朝倉はナイフを取り出す。
「YesかNoかで答えてね。
あなたは、元の世界に戻りたい?」
うるさい、黙れ。こっちに来るんじゃない。
「拒絶するの?」
朝倉は、首をちょこっと横に動かし、
「なら、全て消してあげる。」
朝倉はナイフを振りかぶると、俺の腕の中のハルヒを目がけて――


ずしゃっ。



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