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プロローグ

二年に進級して早くも三ヶ月ちょい立った。
その三ヶ月の間、何事もなかったってワケではない。
が、それについては脇に置いとおこう。今からする話は久しぶりに生命の危機を感じた事件だ。
いや、ちょっと大袈裟か。だが本っ当に痛かったんだ。もうあんな目には遭いたくないね、一生。

その日は地球温暖化とやらが地味に効きつつあるのか凄まじく暑かった。衣替えで夏服になったものの
白いワイシャツは噴き出る汗でペッタリと素肌に接着されていた。まだ七月中旬でこの暑さ。
梅雨と重なってるので雨もたまに降るが、快適な気温まで低下させるほどのパワーはないようだ。
悪戯に湿度を上昇させ同時に俺の不快指数までチマチマ増えてきている。この調子じゃ夏本番に位置付
けられてる八月はエライ事になるんでないの?俺も地球も。

まぁ結果から言う。地球はともかく、俺はエライ事になった。しかも一ヶ月後ではない。授業が終わって
文芸部室に向かっているのが今の俺。この30分後にドエライ事になる。だけど悪い予感なんてのは一切な
かったんだ。感じるのはとめどなく噴き出る汗による不快感だけ。

まぁ、遠からず近からずこれが原因になるんだが。


放課後の文芸部室…と言っても文芸部らしい活動はこの一年三ヶ月の中で一度だけで。
我らSOS団の季節イベントもやるが、もっぱらすることもなくダラダラと過ごしてる。

今日も特にすることはない。することがないならすぐに家に帰ってクーラーに当たりながらゴロゴロするのがベストなのだが
俺の足は部室に向かっている。何故だろうね?習性というのは恐ろしいものだ。クーラーもないあの部室に行ってもやる事は
いつも同じなのに。スマイルエスパー野郎からボードゲームの勝ち星を奪いながら未来型メイドの煎れた茶をすする。
そして読書マシンと化した宇宙人の姿を眺める。

これらの作業をこなしながら常に感じるのは、退屈だなぁ、ってことだ。
んでもって、あの団長が頭のネジを撒き散らしながら嬉しそうにトンデモ企画を持ち込むんだ。
気づく頃にはその退屈がいかに貴重かがわかる。

で、部室に着いた。
中にいたのは、トランプを切り続けてるエスパー古泉、茶葉と闘う未来型メイド朝比奈さん、定位置で読書にふける宇宙人長門。
団長ハルヒ以外全員いたわけだ。ハルヒがいない理由は俺も知ってる。ヤツは今教室でワックスがけの最中だ。
ご苦労なこった。まぁ交代制なので二学期は俺も参加せざるを得ないのだが。

「どうですか?久しぶりにトランプでも。最近はずっとチェスや囲碁でしたからね。結構新鮮かもしれませんよ?」

本当にゲームが好きなんだな、古泉。だが二人でトランプってのはつまらんだろ。しかも野郎同士じゃな。

「おや、僕が相手じゃ不満ですか?いつも貴方を楽しませようと努力しているんですが」

無駄な努力だな。その努力を機関に注いで出世すればいい。

「とんでもない。機関の業務より、このSOS団の活動に意欲を注ぐ方が有意義ですよ、今の僕にはね」

「職務怠慢だな。今度新川さんか森さんに会えたらチクってやる」

「それは勘弁してください。新川さんはともかく、森さんはああ見えて結構厳しいんですよ」

「あぁ…なんとなくわかるわ。あの人のオーラは身の危険を感じちまう」

二月の事件での森さんは今までのおとなしいメイドキャラとは一変していたからな。

「話が逸れましたね。で、どうします?トランプ」

「あぁ。相手してやるよ」
どうせ暇だしな。

ここで俺は他二名の団員に目をやった。
長門は先週俺と行った図書館で借りた凄まじく分厚い本(ジャンル不明)を読んでいる。
朝比奈さんは茶葉に適する温度を見極めようとヤカンを睨みつけている。

この二人も誘ってみるか。
「朝比奈さん、一緒にトランプしませんか?」

「えぇと、今お茶の準備してるので遠慮しますぅ。だって、皆さんには出来るだけ美味しいお茶を飲ん
でほしいから…」

素晴らしい!その奉仕精神はまさしくメイドそのものだ。

「じゃあ仕方ないですね。美味しいお茶、おねがいします」

「はぁい。もう少し待っててくださいね」

「長門はどうだ?トランプ」

長門は本から視線を外さずに「………いい」と言った。

「二人じゃ盛り上がらんだろ。お前もたまには…」

「…今、いいところ」

……そうですか。
あの長門が面白いというほどだ、よっぽど熱中しているようだ。まぁ、たぶん俺には何が面白いかわか
らん内容だろうが。っていうか何語だ?それ。
長門の勧誘を諦め古泉に目を戻すと、ニヤニヤしながら俺にトランプを配り始めやがった。まるで最初
からこうなる事はお見通しだと言わんばかりに。

まぁいい。当分トランプを見たくなくなるぐらいに痛めつけてやる。

「暑いな。クソ暑い。どうにかならんのかこの暑さは」

朝比奈さんのお茶を飲みながら古泉との大富豪の毎ターンに愚痴を呟く俺に古泉は苦笑しながらいちい
ちそれに答えある提案をしてきた。

「僕も参ってしまうぐらい暑いですよ。ではどうでしょう?この勝負に負けた者がアイスを買ってくる
というのは?」

お前、全然暑そうには見えんぞ。涼しい顔しやがって、汗もかいてないじゃないか。
でもその案は俺も乗った。ちょうど冷えたアイスが食いたいと思ってたところだ。

「ではちょっと本腰を入れてかかりましょう」

手抜いてやがったのか。だが既に俺の方がかなり有利な戦況だ。俺の勝ちだな。俺のために汗水垂らし
てアイスを買ってくるがよい、古泉。

………こういう時だけ負けるのはどうしてだろうね。古泉の野郎は最後の最後に大逆転をかましやがった。
今まで負け続けてたのは今日のこの勝負の伏線だったんじゃないのか?

「そんな事ないです。正真正銘まぐれです。僕は買いに行く覚悟してたんですが。勝負というのは時に
予想のつかないものですよ」

そういう要らんこと言うから胡散臭さが増すんだ。そのツラ見ながらだと馬鹿にしてるようにしか聞こ
えん。

「それは失礼しました。まぁ勝負ですからね。この暑さでは買いに行くだけで罰ゲームですし、お代は
先に渡しておきましょう。ついでに皆さんの分をお願いしますよ」

そういうと古泉は千円札を差し出してきた。ラッキー。勝負を受けたものの、生憎俺の財布には合計百円
ちょいしか入ってなかったからな。このままバックレちまおうか。

だが皆の分と言われるとそんな悪どい事はできん。古泉になら別に恨まれても知ったこっちゃねぇが
朝比奈さんに非難されるのは絶対避けたい。長門も結構根に持つタイプだし。
しゃあないな。ちょっくら行ってきますか。

「あ、涼宮さんの分もお願いします。仲間外れにされた、なんて思われたくないですからね」

古泉は肩をすくめ苦笑しながら言った。わかってるよ。アイツはすぐすねるからな。
しかもそれだけで世界を危機に晒しかねないのがハルヒクオリティだ。

余談ではあるが皆にどのアイスがいいか聞いてるとき、面白い事があった。
古泉はソーダ系、朝比奈さんはバニラ系。ここからが面白かった。
どうせ「何でもいい」と言うだろうなと思いつつ長門に注文に訪ねた。

「……ガリガリ君」

思わず吹いたね。別にガリガリ君には非はないんだ。アイスの定番だしな。しかし長門がその名を口にすると、何とも笑える。なかなか長門もわかってるじゃないか。
古泉はクックッと笑いを堪え、朝比奈さんに至っては顔を真っ赤にして口を押さえている。
長門は状況を理解していないようで首を傾げ、笑いっぱなしの俺の顔を見つめている。

「……ガリガリ君…ガリガリ君…」

ガリガリ君食いたいのはわかったから、ワイシャツを掴みながらすねた感じで連呼しないでくれ。面白い&可愛いのダブルパンチで俺の思考がどっかに飛んでっちまう。

「わかったよ。ガリガリ君だな?」

長門は俺にしかわからない、困った顔で頷き読書を再開した。
なんか無駄に興奮したもんで、余計に暑くなっちまった。さっさとガリガリ君買ってくるか。

このまま今日が終れば、非常に有意義な一日だったろう。
悲劇はこの数十秒後に待っていた。

俺は、いい意味での長門らしくない発言を噛み締めながらアイスを買いに行くため廊下に出ようと部室のドアを開けた。すると目の前に一人の女子生徒が立っていた。
回りくどい言い方だな。ハッキリ言おう。俺の目の前にいたのは……

SOS団団長 涼宮ハルヒだ。

なかなかこのタイミングはない。いつもなら俺たちがノンビリしてる頃にハルヒは横真っ二つに割る勢いでドアを蹴り開けるわけだが、この時の様子は少し変だった。

ハルヒは両の目を固く閉じ、深呼吸をしている。それに合わせて肩の大きく上下させていた。
俺はというと、そのハルヒの様子を何も言わずただ見ていた。ハルヒは俺に気付いていない。
俺の背後にいる三人も、いつもと様子が違うハルヒをじっと見ていた。誰も一言も発しなかった。

まさしく、嵐の前の静けさ。

呼吸を整えたハルヒの表情は目を閉じたまま、ゆっくりと満円の笑みに変わった。
そして………

「みんな、ごっめーん!遅れちゃったー!」

そのハルヒの大声を目の前で聞いている途中、俺は凄まじい衝撃に襲われて目を閉じた。

ゆっくりと瞼を上げて目に入った光景。

ハルヒの太陽のような笑顔。
まだ固く閉じた瞳。
前にピンと伸ばされた綺麗な右足。

状況を把握できない俺はゆっくりとその右足を辿る。
スカート、太股、膝、ふくらはぎ、白いソックス、運動靴。
そして辿り着いた先に見えたのは………

俺の、いや、男にとって大切な、それでいて一番の弱点である『そこ』に、ハルヒの伸ばされた右足のカカトが、深く、深く突き刺さっていた。

「教室のワックスがけが長引いちゃって……え?」

ハルヒはここでようやく、瞼を上げた。

「え?…ちょ、キョン!?あん…た…そんな、とこで…なに……あ!」

一瞬で笑顔が動揺した表情に変わる様を見届けた俺は、もの凄い速度で膝を床に打ち付け、倒れこんだ。

『そこ』に受けたダメージは俺の全身のコントロールだけではなく、思考を奪っていった。

あれ…俺…アイ……ス買いに…行く…ああ…ハル…ヒ…いつもドア……蹴っと…ばして…たんだ…っけ……

「ちょ、ちょっとキョン!大丈夫!?なんでアンタあんなとこに!……何これ…温かい…?アンタまさか漏らし…て…え?赤…い…?え……ち、ちち血ぃ!!??」

「涼宮さん!落ち着いてください!朝比奈さん!救急車を呼んでください!早く!」
「え…あぅ…キ、キョン、君……うぅ」
「朝比奈さん!早く!救急車を!」
「………私が呼ぶ」
「長門さん!お願いします!」



俺の頭上で叫ぶ古泉、携帯をかけている長門、泣き出す朝比奈さん、尻餅をつきながら手の血糊を見つめているハルヒ。

薄らいでゆく視界。遠のく意識。その中で、俺は思った。
俺のアソコとドアのどちらが丈夫だろう、と。

俺は下半身に突き刺さる様な激痛でうめき声を上げ、それで目が覚めた。

薄くオレンジ色を帯た白い天井が見えた。部室の天井より綺麗だが、眺めてるとどうも気が重くなる。
天井からゆっくりと壁に視線を映すと、窓が見えた。もうすぐ日が沈むようだ。
窓からは天井をオレンジ色に染めていた太陽が低い山に隠れていく、夕暮れの風景が広がっていた。
昨日、下校途中に見た空と同じだ。いつもなら俺はそろそろ家に着く頃だろうが、今おれがいるここはどこだよ。

やはりまだ頭がぼんやりしていたのだろうか。
その窓がある壁に無表情な少女が寄りかかっている事に気付くまで、だいぶ時間がかかった。
声をかけようとして口を開いた丁度その時、背後から声がした。

「目を覚まされたようですね。どうですか?具合は」
下半身の激痛を堪えながら振り返ると、明らかに作り笑いをした古泉が立っていた。その隣には涙目の朝比奈さんがいた。

「良かったぁ…キョン君大丈夫?本当にあの時はどうなることかと…」

朝比奈さんは安堵の表情を浮かべて言った。……だがなんかぎこちなさが残る表情だ。

あの時……っていつだ?俺がどうなったって?駄目だ、頭の中がモヤモヤしてて思い出せん。
何も言わない俺を見かねて、古泉が勝手に喋りだした。

「まだ状況を飲み込めていないようですね。ここは病院です。本当にあの時は大変でした。
まさか涼宮さんの蹴りにあれほどの破壊力があるとはね。
貴方がうずくまったと思ったら意識を失ってしまって、さらに出血までしていたんですから。流石に僕も焦りました」

そうだ。俺はハルヒに蹴られた。で、その蹴りが俺のアソコにジャストミートしたんだ。
ったくあの馬鹿力が、意識失う程の金的攻撃を普通人の俺に食らわせるとはね。そうそうないぜ、こんな経験。しかも血まで……

……血。ここに来てようやく俺の頭が正常に機能し始めた。
血が出たって事は、血尿か?生憎俺は医学知識に乏しい。アソコから血が出たってのはどれ程危険なんだ?いや、そんなに危なくもないのか?
全然わかんねぇや。こりゃさっさと賢そうなヤツに聞いた方がいい。やっと頭がハッキリしたが、元々の出来はたかが知れてる。

「なぁ古泉。俺の、その…ア、アソコなんだが…どうなったんだ?」

この部屋には女の子が二人もいる。ふと気付いて口ごもってしまった。
谷口じゃあるまいし、俺は異性の前で堂々と下ネタを言える程デリカシーにかけちゃいない。
別に下ネタを言ってるわけでもないんだが。

朝比奈さんが恥ずかしそうに顔を赤らめてうつ向いてしまった……なんて展開だったらいい感じに和めたのに。
室内の雰囲気が超ブルーだ。室温までも急降下してる気がする。

古泉の顔から笑みが消え、考え込むような仕草を数秒間とった後、真剣な眼差しを俺に向けた。

「僕がこれから言う事、落ち着いて聞いてください。恐らく、貴方にとって大変ショックな話でしょうが……」

「なんだ急に改まって。前置きはいいから早く言え。話が進まんだろ」

表面上、俺は楽観的に振る舞ったが内心すごくビビってた。末期癌患者が余命宣告を受けるのもこんな感じなんだろうか。

「……貴方の、その、性器…なんですが、損傷が激し過ぎて…その…これ以上の治療は困難らしいんです。ですので…もう切断しかない、そうです。担当医の方が、言ってました…」

俺は余命宣告ならぬ、男性ドロップアウト宣告を受けた。何故か古泉から。

「救急車の中で、恐縮ですが患部を拝見させて頂きましたが、かなり酷い様相でした。素人目で見ても、もう手遅れだ、と思います…」

古泉は申し訳なさそうな表情で、古泉らしくない歯切れの悪い説明を続けた。

「一度手術室に入ったんですが、医師も手の施しようがない状態だったそうで応急的な処置に止まったようです。ですがこのままでは感染症を起こすのも時間の問題らしく、準備が出来次第、再手術……切除…の予定、だそうです…」

目の前が真っ暗になったね。もう日が沈みきっていたので室内はかなり暗かったが、それ以上の闇が視界を覆っていた。
俺は天を仰ぎ、目を固く閉ざした。そうでもしなきゃ涙が出ちゃう。だって、男の子だもん。

「…ハルヒはどうした?俺をこんな目に遭わせといて、逃げたのかよ?」

古泉は溜め息を吐いた後、俺にハルヒの居場所を教えた。

「涼宮さんは病院の外にいます。貴方に合わせる顔がない……と。かなり落ち込んでましたよ」

「キョン君…涼宮さんはワザとやったわじゃないの。許してあげて…とは言えないけど、あまり涼宮さんを責めないであげて…ね?」

こんな状態の俺よりハルヒが心配ですか。そうですか。

「みんな、出てってくれ。ひとりになりたい」

「そうですね…恐らく、もうそろそろ手術室の準備が終わる頃ですし、それまでお一人で考える方が良いでしょう。僕らがどうこう言える問題ではありませんから……」

目を閉じたまま、古泉たちがドアから出ていく音を確認した。
その瞬間、不意に右目から一筋の涙が流れた。本当は大声で泣き叫びたいが、下半身を支配する激痛によって断念した。

これは古泉たちのタチの悪いドッキリか?手術室に運ばれて、無駄にデカイハサミを持った医者が俺に迫ってくるんだ。
もう駄目だーってところで古泉が派手な札を持って現れ、長門がカメラを回してて、朝比奈さんが申し訳なさそうにしてて。
いや、違う。ドッキリなんかじゃない。この痛みは本物だ。残念ながら。

しっかし、ハルヒがこの場に居なくて良かった。今、俺の頭の中ではハルヒに対する罵詈雑言が文章を成さずに乱れ飛んでいる。
アイツの面を見てしまえば、それらが憎むべき敵を破壊するために俺の口から一斉に放たれるだろう。
激痛が走ろうとも、その全てを思い付く限りの罵声に変換にしながら、俺は止まらない。自制できる自信などない。自制する気もない。

少しずつ落ち着いてきた。だが、落ち着く程に悲壮感が増す。
俺は今まで、自分の将来を真剣に考えた事はほとんどなかった。大学受験の準備に全く手をつけていないことからもそれは明白だ。
何故かって?決まってるだろ。今がとても楽しかったからだ。
宇宙人や未来人や超能力者と仲良くなって、たまにそれらの敵対勢力が攻撃を仕掛けてくるんだぜ?
昔誰かが記した何の役にも立たん戯言を覚えてる場合ではないんだ。

そう思いながらも、俺の頭の隅には人生計画があった。

普通に働いて普通に結婚して普通に子供つくって普通に老けて普通にあの世行き。

別にそれでいいと思えるほど、この一年間はとても楽しかった。俺なんかにはもったいないぐらいに。
でもそれもいつかは終わるのはわかってたさ。

でも、なんだよこのオチは。

アソコ切断だ?そんな状態で、どうやって男として生きていける?子供なんか作れないし、そもそも結婚なんてできやしない。
全てハルヒのせいだ。アイツには感謝してるさ。俺を非日常に巻き込んでくれたからな。退屈しなかったさ。
だが、そのハルヒの蹴り一発で俺のこれからの人生は暗く閉ざされた。

なんでだよ。ふざけんな。畜生。

「ち…く、しょう……」

食い縛った歯の隙間から言葉が漏れる。きっと酷く不細工な面になってんだろうなぁ、今の俺は。


…全て私の責任…」

ん?

なんか今、声しなかったか?
ずっと目閉じてたから気付かなかった。
無表情の少女が窓の横に立っていた。

出てってなかったのかよ……

「長門。お前、なんでまだここにいんだ?さっき出てけって言ったろ」

「私は貴方に話す必要がある。それが私が此処にいる理由」

あぁそうかい。何だ、話す事って。

「今回の事象は私の責任。あの時間、あの場所に涼宮ハルヒが存在していたのは貴方がドアを開ける前から感知していた。でも私は何のアクションもとらなかった。とっていれば高確率で今回の事象を防げた。何もしなかったのは私の怠慢。だから、私の責任」

だから何だってんだよ。お前が俺に詫びたところで、何も変わりゃしな………いや、待てよ。
長門にはサイヤ人も倒せるインチキパワーが使えるんだ。もしかしたら………

「お前の責任だとして、だ。ただそれを言いに来ただけか?」

期待と不安が俺の中で激しく攻めぎ合う。ここで長門の口から俺の望む答えが出なかったら、自害も視野に入れよう。そうしよう。

「情報統合思念体から許可が下りた。これから貴方の下半身の損傷部位の再構成を施す」

あぁ……神様仏様ご先祖様長門様!!本当ですか!?直してくれるんですか!?長門様以外の三名は特に何もしてくれてないけど、ついでに拝ませていただきます!!

……落ち着け俺。古泉説によると神様は俺のアソコをぶっ壊した元凶だ!除外!

「現在の貴方の男性器の状態は尿道、睾丸、陰茎表面の損傷と多岐に渡る。このままでは排尿機能、生殖機能ともに機能しない。それに損傷部位から悪性の細菌が侵入する可能性が高い。
感染症を引き起こし、貴方の生命活動に支障をきたす可能性は現在無視できる程度の数値。しかしこれ以上時間の経過は数値の上昇を加速させる。よってただちに再構成を開始する」

本当にヤバい状態なんだな、俺のアソコは。

長い専門用語で、ある程度の説明を終えた長門は俺が寝てるベットに寄って来て……って、長門!なぜに俺の服を脱がす!?

「貴方が今着ているのは、この施設の入院患者に着用させている指定衣服。再構成する際、損傷部位を露出させる必要がある。だから貴方の衣服を脱がしている」

言いながら長門はテキパキと俺から入院患者用の服を脱がしてゆく。まぁ長門がそう言ってるんだし、ここは大人しく従うべき……って、損傷部位の露出!?簡単に言えば、長門に俺の瀕死状態で虫の息になってる息子を見られるってことじゃねーか!

「大丈夫。私は気にしない」

いや俺が気にするよ。ってか俺のアソコは直視できる状態なのか?古泉によると明らかにヤバい状態らしいが。
いつの間にか俺はほぼ全裸にされていた。露出されたアソコにはガーゼやら透明なフィルムやら細いゴムチューブやらが一斉に集中してて、なんともいえない賑やかな様相だ。

「……長門。このガーゼやらシートやらチューブやらも、外さなきゃいかんのか?」

「この程度の障害物は問題ない。この上から再構成を行う。心配ない」

なら安心だ。自分の息子の無惨な姿を見ずに済むし、長門に見られずに済む。ついでに言うと俺はグロいのは苦手なんだ。

長門は俺のアソコに手をかざし、ゆっくりと目を閉じた。俺は全裸になるのを防ぐために脱がされた服を上半身に当てがりながら、長門の様子を観察していた。
長門は気功やらの先生がそうするような感じで、かざした手をゆらゆらと小さい円を描くように漂わせていた。

なんか心霊治療を受けてるみたいだ。これでロウソクや怪しい雰囲気の音楽がセットされてたら、いつぞやの長門式民間療法とそっくり。

こんなに冷静に、いや、他人事のようにしていられるのはどうしてだろう。

長門の横顔を眺めながらそんなことを考えてると、長門は揺らしていた手をピタリと止めた。
一息つくような仕草をとった後、あの超々高速早口を放った。

その瞬間、長門の掌と俺のアソコが光り出した。その間を光の粒が漂いながら往復を繰り返している。幻想的で見とれそうだが、一番光ってるのは俺のアソコだ。途端に凄まじく恥ずかしくなった。

「……終わった」

「…そ、そうか。色々すまん」

いつの間にか再構成とやらは終っていた。俺は途中で恥ずかしくなって、抱えこんだ服に顔を押し付けてたから治癒を見届ける事はできなかった。
自分のアソコがギンギンに光ってるんだぞ?しかもすぐ横に年頃の女の子がもうちょいで触れそうなところまで手を伸ばしてんだ。そんな異常な状況に耐えられるほど場慣れしちゃいない。

随分暗くなっていたんで、俺はベットに備え付けてある小型の蛍光灯のスイッチをオンにした。
目が闇に慣れていたせいか、眩しくて思わず光源から目を反らした。

長門も同じようにそっぽ向いた。意外だ。長門も眩しく感じることがあるのか。視力なんかアフリカのナントカ部族よりも良さそうだし、色んな機能が備わっていそうだがな。

だが、長門のそっぽ向いた理由が瞬時にわかった。いやこれは俺が思いついただけのことで、長門はそんな理由でそっぽ向いたんではないと思う。


俺、今、真っ裸。

俺はベットから飛び降り、速攻で抱えていた入院患者用の服を着た。気付くのが大分遅れたが、俺をベットに縛りつけていた激痛は全く感じなかった。

よっしゃ完全回復!俺は小さくガッツポーズをとり、長門に懇切丁寧に礼を言おうとして振り向いた。

「……全て私の責任。…だから、もし…」

まだ責任がどうとか言ってんのか。お前は俺を治してくれただろ。それに、そもそもお前に何の落ち度もない。お前がさっき言ってた責任の理由だって、無理矢理こじつけたようなもんだ。その理由が通るんなら、小泉も朝比奈さんも、俺も同罪だ。

あの時誰かがハルヒに声をかけていれば、黙っていなければ、俺が蹴られることはなかった。それは俺にも言えること。むしろ俺自身が一番、あのアクシデントを回避できる立場にいたんだ。ハルヒの目の前にいたんだからな。

はは、現金だな俺って。さっきまで全部ハルヒのせいにしてたってのに。治った途端に、俺が一番間抜けだってことに気付いた。どうかしてた。ハルヒの行動なんかある程度予測できたはずだ。
アイツがドアを蹴り開ける場面なんて、飽きるほど見た。なのに俺はその間合いに入っちまった。なんて馬鹿なんだ。

しかし、腑に落ちないことが一つある。何だってハルヒはドアの前であんなことしてたんだ?
深呼吸してた。目もガッチリ閉じてた。ありゃなんのまじないだ?
納得いく推論が全く浮かばん。

長門の聞き取りづらい発声で我に返った。そういや、責任の後にまだ何か言ってたな。

「すまん長門。ちょっと興奮気味で聞いてなかった。もう一度、最初から頼む」

長門は少し戸惑うように視線を漂わせた後、さらに音量を下げて続けた。まるで独り言を呟いているように。

「…全ての責任は私にある…だから…もし、再構成された生殖機能に貴方が不安を感じるなら……」

感じるなら?

「……私の体で性交渉を試行しても…構わない…」


……………はぁ?

性交渉って、つまりその……アレのことか?何故それを長門としなきゃならんのだ。

「情報統合思念体の許可を経て行われる有機物質の再構成は必ずしも完璧とはいえない。もしも貴方に対して行った再構成に不備があったら、子孫繁栄に悪影響を及ぼす危険がある。今のうちに検査と確認を行う方が得策」

長門はいつもより小声で早口だった。しかも俺の目をみていない。
気のせいであってほしいが、蛍光灯の光に照らされて白く輝く長門の頬はやや赤みが差している気がしないでもない。なんかあの世界の長門とダブって見えちまう。

この状況にこの提案。もうね、この一言に尽きるよ。

それ、なんてエロゲ?

そりゃ俺も健全な一男子高校生だ。ついさっきまで健全じゃなかったのは置いといて、そういう事柄には興味をそそられるさ。
本音を言っちゃえばさ、俺みたいな冴えないヤツが長門ほどの可愛い女の子とどうにかなっちゃうのなら、それはそれで嬉しい。
事実、俺は長門に対して少なからず好意を抱いているし。

だが、「試しにヤッてみる」となると話は別だ。ここはハッキリと長門に言うべきだ。俺自身が本能を抑え込み、理性を保つためにも。

「いや、遠慮しとくよ」

「…………そう」

何でだ!何でそんな悲しそうな目をするんだ長門!
しかも俺、ちょっと後悔してるし!
駄目だ。煩悩を振り払え。俺はまだ長門に言わなくちゃならないことがあるんだ。

「…長門よ。性交渉ってどんなものか解ってるか?」

長門はようやく無表情に戻り、答えた。

「理解している。有性生殖の機能を持つ生物、特に哺乳類がそれに当たる。異性の生殖細胞と組み合わせて自らの遺伝情報を後世に残すための本能的行動」

そうじゃないんだ。俺が訊きたいのはそんなことじゃない……!っていうか文系の俺にはよく理解できない……!

「じゃあ長門。質問を少し変えるぞ。性交渉は、どういう相手とするんだ?」

「さき程述べた通り、自分とは異なる性を持つ者。つまり異性と」

「理論的な話じゃないんだ!お前の感情論で言ってくれ!」

つい声を荒げてしまった。しかしこのままではこの議論は堂々巡りになってしまう。うやむやにはしたくないんだ、俺は。

「…私の感情論?」

そうだよ。自分の感情を言葉にするんだ。本やデータの引用じゃない、お前が思うことを。

「……私は情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス。感情は対象の観察に不必要」

「いい加減にしろ!!」

俺の一喝に警戒したのか、長門は体はピクリと揺れた。

俺は完全にキレちまった。先程理性を保つためとかいっておいて、結局は本能を剥き出しにしてしまった。しかもこんな女の子に対して。最低だ。だが、長門に「結論」を出させるためなら、仕方ない。

「感情は必要ないだと?お前はそうやって俺の質問から逃げるのか!?だったら!俺たちと一緒にいたり、色んな本を読んだりしてきたお前の時間は何だったんだ!!
そうしてる間、お前は何も感じなかったのか!?俺たちと一緒にいたのは親玉に報告する義務だったからか!?そんなもんだったのかよ!!違うだろ!!」

息継ぎナシで怒鳴り続けたせいか、頭がクラクラする。言ってることも滅茶苦茶だ。自分がなに言ってんのか、わからなくなってきてる。

「感情がないはずがない!お前は一人の人間なんだよ!俺たちの仲間の長門有希なんだよ!」

もう意味がわからん。どうにでもなれ。

「エラーなんかじゃない!それはストレスっていうんだ!人間なら生きてる上で誰でも感じるもんなんだ!」

はは……情報連結解除だっけ?あれ、今すぐ俺にやってくれ。

「……私…は…人間…?」

長門は声をほんの少し、震わせて言った。今、長門は黒い宝石のように輝く瞳を俺に向けている。潤っているんだろうか、それとも蛍光灯がすぐ近くだからだろうか、いつもよりキラキラと輝いていた。

俺はベットの向こうに佇む長門の呟きに答えた。

「そうだよ、長門。お前は人間なんだ。ちっとばかし複雑な事情があるだけの、な」

長門は泣いていた。泣きじゃくるわけでもなく、鼻をすするわけでもない。ただ涙腺が刺激されて分泌された体液が流れ出しただけ、そんな機械的な感じ。

……いいや、違う。機械的なんかじゃない。何故かって?だって、その姿は、爆発していた俺の感情を優しく静めてくれたからさ。
女の子の涙を見て落ち着ける俺は不謹慎か?悪趣味か?違うね。その涙には悲しみなんて成分は含まれてないんだ。成分表示なんか記載されてないが俺にはハッキリ見える。嬉しい、っていう成分表示が。

「やっぱりあるじゃないか、感情」

俺は意識せず呟いた。脳のナントカ神経の仕組みなんか知らねぇ。だがな、涙腺を刺激するものぐらいは知ってる。感情だ。
俺は右手を目一杯伸ばし、長門の頬を伝う涙を人指し指でそっと拭った。普通だったらティッシュかハンカチで拭うが、俺はその涙に触れたかった。やっぱり俺って悪趣味?

長門は抵抗せず、目を閉じて俺が拭い終るのを待っていた。

長門の涙を拭い終えた俺は、深呼吸した。そしてベットに両の掌と頭の天辺を押し付けて一気に喋った。

「長門!本ッ当にすまんかった!怒鳴ったりして!俺どうかしてた!」

そして勢い良く頭を上げ、俺的に最高の笑顔を作って更に続けた。

「それと!俺の体直してくれて!本ッッ当にありがとう!」

俺はこんな体育系な事はしないが、仕方ないだろ?今の俺は嬉しさと恥ずかしさの相乗効果でハイになってんだ。

長門はいつもの無表情に戻り、

「………いい」

とだけ言った。一瞬、あの世界で一度だけ見た長門の微笑が俺の前に浮かんだのは気のせいだろうか。

「…一つ、教えて欲しい」

何だ?俺がわかる範囲なら何でも教えるぜ。平行宇宙がこの宇宙からどれぐらいの距離にあるのか、なんてのはパスな。

「さっき貴方が私にした質問の答え。私にはうまく言語化できない」

えーと……俺の質問って…なんだっけ?

「……性交渉はどのような相手と交すのか、という質問。私は、成熟した生殖機能を持つ異性、という答えしか導くことができない」

あぁ……それか。完全に忘れてた。

「そうだな…だが、それは俺の知ってる答えだ。お前がそれを鵜呑みにすることはないぞ。あくまで参考として、答えは長門自身が出すんだ」

「……承知した。努力する」

「えっとだな。その相手ってのはな、まぁ…なんだ、一番愛しいヤツの事だな」

「…愛しい?よく理解できない。別の言語に置き換えることは可能?」

まだ続けなきゃならんのか…俺、滅茶苦茶恥ずかしいんだが。仕方ない、腹をくくるか。そもそも長門との議論を今の流れにしたのは俺だし。

「そうだなぁ。簡単に言えば、自分の人生の中で、コイツとはずっと一緒にいたいって思える事、かな」

「……その答えでは、貴方は私とは一緒にいたくない、という結論が発生する」

なんでそうなるんだ?俺がそんなこと思うはずないだろ。絶対ない。一体どんな方程式を使った?

「……貴方は私との性交渉を断わった。つまり……私に『愛しい』という感情を抱いていない、ということになる」

あ~、そういう風に受け取っちゃったか…

「違う違う。そんな意味で断ったんじゃない。そういう行為はまだ早いってことだ。俺も、長門も」

「……早い?」

長門は数ミクロン首を傾げ、目でその意味を訊いてきた。

「つまりだな、そういう行為には順序ってもんがあるんだよ。仲良くなって、手を繋いだり、その…キスしたり…抱き、あったりしてだな、お互いの気持ちを確かめ合って、するんだ。俺は……そう思う」

間違ってないよな?なんか綺麗事言ってるかもしれんが、考えてみてほしい。

「好きです。ヤらせてください」
「是非。喜んで」

なーんてあるわけないだろ。あったとしてもだ、そんなの全然高校生らしくねぇ。全然甘酸っぱくねぇ。それとも俺が遅れてるのか?

しかも長門はわざわざ俺の将来に配慮して、あんな事言ったんだ。感謝するべき事かも知れないが、簡単に言えばそれはバグチェック。さっきの例文に照らし合わせると「好きです」の部分がないってことにもなる。

「ヤらせてください」
「是非。喜んで」

行為にのみ重点を置いてるだろ?まさしく、それ何のエロゲ?ってわけだ。俺、嫌だよそんなの。
だが、ここで長門は俺の気持ちを無視したかのような、とんでもない発言をした。

「交流は図書館で深めた。手は世界改変の修正後、病室で繋いだ。朝倉涼子の襲撃後、教室で貴方は私を抱き寄せた」

なんだなんだ。何が言いたいんだ、長門。

「まだ消化していない順序は、キスのみ」

呆れた。そんな、流れ作業の手順みたいに言うとはな。お前はそんなにバグチェックがしたいのか?

「そうじゃないんだって。肝心なとこがわかってねぇ。全然わかってねぇ」

俺は首を振りながら長門に言った。
長門は意外にも反論した。

「わかっていないのは貴方」

長門は抗議するような口調で答えた。怒ってるのか…?こんな高圧的な口調で言われたのは初めて……いや違う。前にもあったな。確か……映画撮影の時、か?

さっきの涙でふっきれたかのように長門は厳しい口調で続けた。

「貴方は言った。私という個体には感情があると。それは私も気付いていた。情報処理にエラーが頻繁に発生している。私に元々備えられていたソフトだけの動作ならエラーは発生しない。
つまり私の把握していないソフトが動作している。これが感情と呼称されるものかは不明。だから私は確かめたい。感情というものなのか、それとも単なるバグなのかを」

長門の長い独白は俺に大打撃を与えた。長門がこんなにまではっきりと自分の意思を表明したのは初めてかも知れない。
そして俺は驚いていた。長門が自分自身と向き合っている事に。俺はさっきあんなに偉そうな事言っておいて、いざ長門が自身の感情を探っていると知ると、意外だなって思った。長門はそんなことしないって思ってた。
それはつまり長門のうわべの属性ばかり見ていたってことだ。結局俺は長門の本心を全然わかってなかった。全然ダメじゃん。

「私はそれを確かめる手段として提案をした。貴方は提案を了承こそしなかったものの、私の知らないことを教授してくれた。感謝している。でも貴方はわかっていない。私は決して生半可な考えで提案したのではない」

あんな自分勝手で何でも解ってる風な戯言に感謝していると言われても嬉しくない。だが、言ってしまったことは取り消せない。ならどうすればいい?
決まっている。長門の提案に今度こそハッキリと答える。一度断わったが、それは自分のエゴで答えただけだ。

俺にとって長門の存在ってなんだ?命の恩人?頼れる仲間?俺が所属するグループの一人?
俺はSOS団の今の関係を壊したくない。今のままでいたい。だが、そろそろ変わらなきゃいけないのかもしれない。関係も、俺の保守的な気持ちも。


壊すのではなく、次のステップへ


もう言いたいことは言ったのだろうか、長門は黙って俺を見ていた。
俺は息と思考を整える。覚悟を決めろ。言うんだ。

「長門。性交渉はダメだ。これは俺が真剣に考えた、お前の提案に対する答えだ」

「………そう」

「だが、キスは…いいぞ」

長門の瞼は数ミクロン持ち上がった。

「その…お前がいいのなら」

「………なぜ?」

「前に言ったよな。長門のためなら出来る限りの事はするって。今まで命を救われてきたお礼だって。だから、もしそれでお前が大切な何かを発見できるなら、俺は構わないよ」

この後に及んで、俺はまだ恩着せがましいことを言ってる。ずるいよな。フェアじゃない。

「長門だけじゃない、俺も何かを見付けられるかもしれないんだ。見付けられないかもしれない。五分五分だ。でもやってみなきゃ始まらない。いいか?」

「…いい」

長門はハッキリと頷いた。

俺と長門はベットを挟んだまま、ベットに手をつき体を支えながら少しずつお互いの顔を近づけてゆく。

くそ、覚悟してたけどやっぱり緊張するぜ。
長門が目を閉じたのに倣い、俺も目を閉じる。数センチずつ近付いていたのが数ミリずつになっていく。
俺は薄く瞼を開け、長門の唇の位置を確認して位置補正、再び瞼を下ろす。

長門は震えていた。目を閉じててもわかるほど。俺も震えてた。どちらも、無理な体勢からくる震えではない。

もうすぐ、くっつく。

俺は、変われるのか。どう転ぶかわからん。そんときはそんときだ。

……いくぞ!「待って」


………へ?

「涼宮ハルヒが情報封鎖空間に接近している。失念していた。かなり近い。あと43秒で接触する」

長門は一瞬でいつもの調子に戻った。
俺はワケが解らず、そのままの状態をキープ。

「今から貴方に説明しなければ矛盾が生じてしまう。貴方は早くベットに横になって」

俺は言われるがままにベットに潜り込んだ。一体何が起きたってんだ。わけわからん。

「貴方の損傷部位の再構成する際、他人の干渉を遮断するために情報封鎖を行った。ここでの会話が外部に漏れることはない。接触まで33秒」

確かに、俺は怒鳴りまくってたからな。あれが外にいるひとに聞かれるのは精神的にキツい。例え誰もそのことに触れなくても、だ。だがここで疑問が発生した。

「俺って再手術受ける予定だったんだよな。どうすんだ?治っちまってるぞ」

大丈夫。広範囲の人間にあの事故の該当記憶を消去し、擬似記憶を組み込んだ」

ってことはハルヒが蹴られた事実はなくなってるのか?

「涼宮ハルヒが貴方に危害を加えたことは事実。しかし原因を覆すのは困難。よって、結果を操作した」

ということは。何だ?途中で切ってもわからんぞ。全然わからん。

「貴方は涼宮ハルヒに蹴りを浴びたことで痛みを堪えようと異常な腹圧がかかり、軽度の腸捻転を引き起こした。貴方は救急車両でこの病院に運ばれ緊急手術を受けた。その手術は成功。今の貴方は術後管理下に置かれた状態」

「それが擬似記憶。貴方はその事を考慮してつじつまを合わせてほしい。接触まで17秒」

「さっき病室にいた朝比奈さんや古泉もか?」

「そう。本当の記憶を持っていると彼らとの人間関係に何らかの障害が発生する恐れがある」

確かに。アソコが潰れた、なんて知っていてほしくはないからな。変に気を使われるのはいたたまれない。

「接触まで09秒。この場に私がいるとさらなる問題を起こしかねない。緊急離脱する」

緊急離脱?どうやってだ?廊下には既にハルヒがいるんだろ?どこから脱出すんだ?

……窓がいつの間にか全開になってる。そこからか。

長門は窓枠に手をかけ、最後に俺に言った。

「……続きは、またの機会に」

長門の姿は消えた。外からトサッと小さい音が聞こえた。

無事に着地できただろうか。窓から見える景色だけではこの病室が何階なのか、俺には目測できん。まぁ大丈夫だよな。

俺は長門のカウントダウンを数えられるほど落ち着いてなかったので、ハルヒがいつ来るかはっきりとはわからん。
落ち着こう。短い深呼吸。目を閉じて、口の中で言葉を繰り返す。俺は腸捻転、アソコは潰れてなどいない。俺は腸捻転だ……腸捻転って何だ?
ヤバい!そこんとこ突っ込まれたら、俺は何て言えばいいんだ!?畜生!メチャ焦ってるぞ俺!どうにでもなれ!


コン、コンッ


……ノックする音が病室に響く。おいでなすった。

「……入っていいぞ」

ハルヒだってのはわかってるから、別にこの口調でいいよな。
ドアが随分ゆっくりと開く。変に緊張するからさっさとしろよ、ハルヒ。

思った通り、いや、長門が言った通りか。そこには今まで見たことのない、重苦しい表情をした涼宮ハルヒが立っていた。

ハルヒは後ろ手でドアを閉めた。それと同時に顔を下に向け、垂れた前髪で表情が隠れてしまった。
だが、俺には表情が見えなくてもハルヒが何を考えてるか、よくわかる。

ハルヒはひどく落ち込んでいた。

さて、それは何故か?
俺をこんな目に遭わせたのはハルヒであって、しかも俺は手術を受けるハメになった。金も結構かかっていることだろう。その請求はどこに向かう?
生憎うちは金持ちじゃない。当然ハルヒ側が払うことになるだろうな。それはハルヒが親に迷惑をかけることになる。ハルヒはそれで落ち込んでいるのかもしれない。

……我ながら、なんて下品でひねくれた解釈だろう。いや、実際俺はそんな風には思ってない。俺が言いたいのは、ハルヒの落ち込みはそんなチャチな利益を含んだもんじゃないってことだ。

もっと、深いところからこみあげる、後悔と自責の念。

ハイなハルヒもローなハルヒも間近で見てきた俺が言うんだ。間違っちゃいない。多分な。

ハルヒは自分から訪ねてきたくせに、長い間黙り込んでいた。

俺には、その沈黙が嫌ではなかった。別に落ち込むハルヒを見て悦に入ってるわけではない。そもそもハルヒが黙ってるなんて、天変地異が起こる前触れと言っても過言ではなく、そうなる度に俺は慌てふためいたわけだが。

何ていうか、その沈黙には俺に対する気遣いが感じとれた。出稚扱いの俺に対する、だ。
だがこのままでは話が進まない。俺はハルヒに問いかけた。

「何だ?話があるから来たんだろ?黙ってないで言ってみろ」

「……あ、あの……その、本当に、ごめんなさい!」

ハルヒは深々と頭を下げて言った。
そう来ると思ってたが、こんなに深いお辞儀をされるとは思わなかった。

「もう良いよ。俺の不注意ってのもあったんだしさ。頭上げろよ。お前らしくない」

ちょっと前までハルヒにキレていた俺だが、長門に治してもらったのと長門の告白で怒りなんかどっか遠くに飛んでいっちまった。

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……駄目なのよ!それじゃあ!」

ハルヒはほんの少し頭を上げて叫んだ。まだ表情はわからない。

「だって……あたしがあんなことしなけりゃアンタが手術するようなことにはならなかったのよ!前からキョンはあたしに注意してたじゃない!?『壊れるからドアを蹴るな』って…!それなのにあたしは止めなかった!結局アンタをこんな目に遭わせて!最低の馬鹿よあたしは!」

一気に巻くし立てたハルヒはまた黙り込んだ。呆然とした俺は、一瞬だけ、垂れて揺れる前髪の隙間からハルヒの瞳が見えた。一杯の涙を溜めた瞳が。

俺はゆっくりベットから起き上がった。一応「腸捻転」の手術を受けたことになっている。病名に「腸」がつくくらいなんだから開腹手術だろう、その術後の患者が動き回っちゃいけないんだが。まぁ完全回復してるんで見逃してくれ。

俺はハルヒに近付いて、肩に手を置いた。
ハルヒはビクリと反応した。

「ハルヒ。本当に俺に悪いと思ってるなら、俺の顔、俺の目を見て謝れ。ちっとばかし失礼じゃないのか?」

ハルヒはぎこちない動きで頭を上げた。
やはり泣いていた。両目を真っ赤にして、涙を溜めていた。

俺は満面の笑みでハルヒを迎え入れた。

「なんでよ…なんでそんな顔するのよ……」

「む、なんだ。それは俺の顔の出来が悪いって意味か?」

俺は笑い声で答える。

「なんなのよ…あたしのせい、なのに……」

「しつこいぞ。俺の忠告を聞かなかったお前も、お前の前にアホ面で立ってた俺もおあいこだろ。もう済んだことだ」

「うぅ……キョン、ごめんなさい……」

「心配かけて悪かったな、ハルヒ」

ハルヒは俺の服を掴んで顔を俺の胸に埋めて泣きじゃくった。長い間そうしてた。
全く、長門といいハルヒといい、今日に限って涙腺緩みすぎだぜ。そういや俺もちょっと泣いたっけ。

落ち着いたハルヒは、ベットに俺と並んで座り涙を拭いた。

「なんからしくないとこ見せちゃったわね。でもまぁ、とにかくゴメンね?」

「じゃあさ、謝るついでに一つ教えてくれないか?」
「なによ?あたしに答えられること?」

そうだ。ずっと引っ掛かってたことがあるんだ。あの時のハルヒの様子についてだ。

「あの時、お前が俺を蹴り飛ばす前にさ、何してたんだ?」

「何って……何のこと?」

「いや、お前さ、ドアの前で目閉じて深呼吸してただろ?あれだよ」

ハルヒは顔を赤らめてうつ向いた。

「笑わないで…聞いてくれる?」

「あぁ、誓う。絶対笑わない」

「えっとね、中学の話は前にしたよね。すっごく退屈だったって話」

俺は相槌を打ちながら「聞いた」と言う。

「それでさ、高校に入ってからSOS団を作ったじゃない。それからが全然退屈じゃないのよ」

「いや、結構退屈だって言いまくってた気がするが」

「それは…あたし自身の本当の気持ちがわかってなかったんだと思う。有希と、みくるちゃんと、古泉君、それに…キョンに会って、あたし変われた。あたしを理解してくれる仲間に会えたんだって。そう思えるようになってた」

ハルヒの独白は長い。いつか聞いた、野球場で何たらっつう話も長かったし。まだハルヒの話は続く。
 「皆で旅行したり、パトロールしたりグダグタしたりしてて、思ったのよ。まるで夢の中にいるように楽しいな、って」

それは俺も同感だ。結構楽しいぜ。楽し過ぎて俺の財布は悲鳴を上げっぱなしだ。
 「でもさ。時々不安になるのよ。もしかして本当に夢なんじゃないか、幻を見てるんじゃないか、って」

……古泉説によると、そうなるんだよな。
この世界はハルヒが見ている夢の舞台、そんな内容だったはずだ。外れている事を願うばかりだね。夢なんてのは見たり見なかったりするものだが、どちらにせよいつか目が覚めてしまうのは当然なんだ。
 「だから……部室のドアを開けたら、SOS団が全部消えてなくなっちゃってるんじゃないか、って思っちゃうの。そう思うとドアを開けるのが怖くなっちゃって……」

俺は何も言わずハルヒの話に耳を傾ける。ハルヒの焦点は遥か遠い何処かを結んでいた。

 「変なこと言ってるって思うでしょ?あたしもそう思う。何でだろ。宇宙人も未来人も超能力者も、まだどれにも会ってないっていうのにね。団長のあたしがこんなんじゃ、示しがつかないわよ、全く」

ハルヒは勢い良くベッドに背中を預けた。スプリングの強い振動が俺に伝わってくる。俺が本当に手術受けた患者だったらどうする。傷に響くだろうが。戒めとしてちょっとからかってやろう。

俺は背中を丸め、両手で腹を押さえた状態で演技モードに入る。
 「うっ…傷が…いてぇ……」
俺演技下手だな。人生をどう間違っても役者なんか目指さない。映画の続編はやっぱり雑用にしてくれ。
しかしハルヒは血相を変え、俺ににじり寄った。

 「えっ…ちょ、キョン!?大丈夫!?まさか…あたしがベッド揺らしたせい!?ごめんなさい…今誰か呼んでくるから!!」

ドアに向かって走り出そうとしたハルヒの腕を掴み、俺は舌を出した。
 「ウ・ソ、だよ。こんなに簡単に引っ掛かるとはな」

ハルヒは唖然とし、みるみるうちに顔を真っ赤にして怒った。
 「もぉ!ビックリさせないでよ!今の悪フザケであたしの寿命が縮んだらどう責任とってくれんのよ!」
 「どう取ればいいんだ?提示してくれりゃ検討してやっても良いぜ」
 「そうねぇ……何がいいかしら?」

おいおいマジに考えるなよ。ハルヒの考える事は解りやすいようで解りにくいからな。
ハルヒは顔を真っ赤にしたまま、そっぽ向いて言った。
 「……辞めないでよね!」
 「何を?」
 「SOS団を!辞めるな!って言ってんの!」

検討するまでもない。辞める気なんてさらさらないぞ。幕を下ろすには中途半端だし、何よりも俺はSOS団に居たいんだ。

 「辞めるわけねーだろ。全く、何考えてんだよ」
 「だって……今までキョンに迷惑かけてたしさ、今回は流石に嫌われたって思ったから……」

ホント、こいつは要らん心配ばかりしやがる。今まで散々、常識無視の猪突猛進だったくせによ。お前らしくねぇよ。

 「確かに。俺は今までお前に散々振り回された。我儘にも付き合わされた。普通だったら『もうウンザリだ!辞めてやる!』ってなるだろうな」
 「やっぱり……そう思ってたんだ…そうよね……普通はそうよ…」
 「俺は普通じゃないようだ」

 「え……?」
ハルヒは豆鉄砲を食らったハトのような顔で振り向いた。いつもならアヒルなんだがな。

 「なーんだかんだ言って、俺もう慣れちまった。お前といるとさ、いつどんな面倒事持ち込むのか期待しちまうんだ。どうせ俺が一番苦労するってのはわかっててもな」

ハルヒは目をパチクリさせて俺の顔を見つめている。俺の発言がそんなに意外だったか?普段のハルヒなら『当然よ!あたしは団長なのよ!?団員は黙ってついて行くのが務めってもんよ!』とか言いそうなのに。

 「それにだ、SOS団はお前にとってだけじゃなく、俺にとっても最高に楽しいって思える場所なんだ。でもそれは決して夢なんかじゃない。俺たちが息吸って生きてる現実だ。だから」

俺は一息つき、続く言葉を放つ。

 「俺の事もSOS団の事も心配無用。だからハルヒは、ハルヒらしく在っていてくれ」


ハルヒはまた目を潤わせた、と思ったら制服の袖で勢い良くソレを拭い深呼吸した。
 「キョン、これから一番あたしらしくない事をするわよ。こんな機会は滅多にないわ。希少価値よ!超がついちゃうぐらいの、ね!」
いつもの口調に戻ったと思ったら、今度はなんだ?一番ハルヒらしくないって言われても。さっきの泣いてたハルヒ以上に値打ちのある姿なんて想像できん。

まさかえっちい事……じゃないよな。長門の爆弾発言がまだ尾を引いてやがる。あれやこれやと思案を巡らせていた俺は、不意に肩、首の周りに重圧を感じて我に返った。

ハルヒが俺の首に手を回して抱きついていた。ハルヒの頭が俺の頭のすぐ横にある。
ハルヒの体温、鼓動、呼吸が俺に伝わってくる。意外に焦らないものだ。なんだか母親に抱かれた子供が感じるような、安心感が俺を包み込む。

 「…キョン…今までありがとう……そして…これからも、ずっと……」
耳元で囁いたハルヒは俺の肩に手を置き、俺の目の前に顔を向き合わせた。オイオイハルヒさん、一体何をする気だい?

「目、瞑って……」
俺は言う通りに目を閉じ、息を飲んだ。これってアレだよな?アレじゃなかったらなんだ?アレってなんだ?アレってもしかして、キスですか!?
長門に続きハルヒもかよ!悩み事打ち明けた後にキスしたくなっちゃう病気でも流行ってんのか!?いや、長門にキスを持ちかけたのは俺だ。ってことは俺も感染してるのか!?どうすんの俺!?
駄目だ目開けられねぇ!くそ!覚悟を決めろ!俺!

覚悟を決めるため、また震えを堪えるため、俺は今座っているベッドのシーツを力一杯握り締めた。さぁさぁ、ドンと来ぉい!


ガチャリ。


思いがけない音が響いた瞬間、急に肩にかかった重圧が消えた。『ガチャリ』って、まさか……

「ゆゆゆゆ有希ぃぃぃ!?な、何で急に入ってくんのよ!?びびビックリするじゃないのぉ!」

開け放たれたドアの前に立っていたのは、先程この部屋の窓から華麗、かどうかわからんジャンプで脱出した長門有希だった。

 「……そろそろ麻酔の効果が切れる時刻なので様子を見に来た……何をしてるの?」
 「なな何でもないわよ!?キョンが起きて、じょ状況が解ってないようだったから、ああたしがせ、説明してたのよ!そ、そうよねキョン!?」
 「あ?ああ、そう!ほら俺、き気絶してただろ!?全然状況が解ってなくてさぁ!ちょうどハルヒが来たから訊いてたんだよ!」


 「…………………そう」

ヤヴァイよ…今だかつてない負のオーラが、長門の周囲を覆っている……!やっぱり、怒ってるの…か?

 「あのぉ、長門さんどうしたんですかぁ?……って、あれぇ、涼宮さん来てたんですかぁ?」
 「おや、団員の元にイの一番に駆け付けるとはさすが涼宮さん。一団のリーダーとしてとても立派な事だと思います」
古泉と朝比奈さんが廊下からヒョイと顔を出した。二人は最初に病室にいたはずだが……長門の疑似記憶だな。

 「み、皆喉渇いてるんじゃない!?あたし売店でジジュース買ってくるから!それまでご、ごゆっくりぃぃ!!」
完全にバグったハルヒは全速力で病室から逃げ出した。ずるいぞ!俺も逃げたいのに!

 「涼宮さぁん、廊下は走っちゃ駄目ですよぉ~」
朝比奈さんはハルヒの背中に小学校勤務の教師的な注意を投げ掛けたが、ハルヒは一目散に走って逃げた。

 「どうしたんでしょうね?凄く慌ててましたよ?」
 「本人の発言の通り、涼宮ハルヒは喉が渇いているため水分補給をしに行ったと思われる」
古泉の疑問に即座に答えた長門は、凄まじく恐ろしい目で俺を睨んでる。他の二人は気付いてないようだが俺にはわかる……!長門は滅茶苦茶怒ってる……!

ちなみにこの日、ハルヒは結局戻って来なかった。あの勢いじゃ日本列島一周しに行ってもおかしくはない。耳から蒸気を噴き出しながら爆走する暴走特急ハルヒ。コックに扮した秘密捜査官にさえ停めることは不可能。取りあえず放っておこう。

その後、古泉は俺の症状、手術に至るまでの経過、注意事項etcetcを延々と語っていたが、俺の耳には全く入らなかった。
原因は長門だ。ずっとあの調子で俺を睨んでいる。俺の緊張状態は金縛りを起こす一歩手前なわけで、演説大好きエスパー野郎の声を俺の鼓膜が通過させる余裕など微塵もない。

唯一鼓膜が通過を許可した古泉の説明は『退院まで一週間半かかる』との事。
つまり予定通りにいけば、一学期の終業式までには出席でき、すぐに夏休みが始まるというわけだ。
だからそれまでゆっくりと入院生活を満喫、なんてそうは問屋が卸さない。早く倒産すれば良いものを、とんでもないブツを2つも売りつけやがった。

まず1つ。怒り狂う長門をどう鎮めるか。

そして2つ。ハルヒにどのツラ下げて会えば良いのか。

せっかく9割以上の学生が喜んで待つだろう夏休みが間近に迫っているというのに、俺はこの2つの難題に取り掛からなくてはならない。

こんな鬱な夏休み前は生まれて初めてだ。それどころか夏休み後半、いや二学期まで引きずりそうな予感さえするのだ。

俺に試練を与えたもうた何処かにいる神へ、ありったけの憎しみを込めて俺は呟く。


 『やれやれ』


涼宮ハルヒの蹴撃・終劇。




~エピローグ~


この後、俺はどうなったかを語ろう。言っとくがちゃんと生きてるぞ。容態が急変した、なんてこたない。俺はこれ以上ないくらい健康だ。精神面を除いてだが。

まずは苦悩の入院生活についてだ。
長門は毎日、学校をサボって朝から晩まで俺の病室で本を読んでいた。タイトルが凄まじく攻撃的な物ばかりだったのは俺への当て付けだろうか。ちなみに『あの時の続き』はしていない。何だか生殺しな気分。

ハルヒも何故か毎日来た。日本列島一周は諦めたか、一晩で終らせたかは知らんが。ハルヒも明らかにサボりだ。病室で携帯いじりやボードゲームをしている。つまり病院で団活してるわけだ。
だが、長門が席を外してる間にハルヒは俺の入院着の襟を捻り上げ、

 「あの時の事は忘れなさい!誰かに言ったりしたら、本っ当に死刑だかんね!」

と、脅された。当然俺は頷き、なかった事にしました。権力に屈した感がするが、死にたくないからな。

朝比奈さんと古泉は放課後、病室に毎日来てる。見舞いって名目だが、やっぱりする事は団活と同じ。
あんまし気遣ってないだろ、俺のこと。

担任岡部も見舞いに来て果物詰め合わせをくれたが、全てハルヒと長門の胃袋に収容された。
谷口&国木田も来たが病室がSOS団支部局になってる事に気付き、早々に帰っていった。
名誉顧問の鶴屋さんもしょっちゅう来てくれた。俺の病室が個室で本当に良かったよ。このひと声でか過ぎ。大部屋だったら即刻退去を命じられていただろう。楽しかったからいいけどさ。

で、退院後。部室で退院祝い鍋パーティが行われた。鍋の具は主にモツ。ハルヒ曰く『あんな蹴りで腸壊すなんて弱すぎよ!モツ食って鍛えなさい!』だそうだ。さらに大量のヨーグルトを買ってきやがった。モツ+ヨーグルト。即座に腹下しそうな食い合わせだなオイ。
もし全員が『本当の記憶』のままだったら鍋の具は一体何になっていたのだろうか。考えたくない。吐気がするね。

 「キョン~!さっさと食っちゃいなさいよ!これから夏休み計画の会議するんだから!」

ちっとは優しくなるかと思ったら、我らが団長様はエンジン全開、フライングしまくりなテンションを保ってる。

もう、なんつうか……

「やれやれ」だな、やっぱり。


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