サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、
サンタなどという想像上の赤服じーさんを本気で信じ、喜び、救われ、ときに悔しがり、一喜一憂している子どもがいるってことがこの歳になってようやく分かった。
俺も歳をとったということだろうな。
幼稚園のクリスマスイベントにまさかこの俺がサンタの扮装をするとは、神とやらはいったいなんの皮肉を効かせたのかと思ったが、
なんのことはない、たまたまご近所の中で平日の昼間に時間の取れる職業についていたのが俺だけだったという話だ。
そんなこんなで無難にご近所づきあいをこなしながら日々の中に埋没していると、あの騒がしくも正直楽しいと感じていた日々は、
実は俺の妄想の産物ではなかったのだろうかとも思える。
俺が朝目覚めて夜寝るまでのこのフツーな世界。だが本当はそんなフツーにまぎれ突拍子もない世界が転がっていたりするものだってことに気づかされた高校1年の春。
俺はまだそんな世界で生きているだろうか。
あの無機質だけどどうしても人間味をぬぐえない宇宙人は地球を征服することもなく宇宙へと帰ってしまったし、未来からやってきたという割に何も知らずにいつもおろおろとして、
でも側にいると不思議と和やかな気持ちにさせてくれたあの未来人も本来の時間へと帰ってしまった。そして巻き込まれたように変な力に目覚め変な集団に所属していた超能力者も、今は普通の生活を送っている。
あの頃を示すような、形に残るものはほとんどなくなってしまった。
もっとも、あの時間が嘘ではないということは良く分かっているし、あの時間が夢や妄想の類ではないという証拠はいつも俺の側にあった。
だから、ある日突然謎の黒服が現れ俺をさらっていき、俺から秘密を聞き出そうと拷問にかけようとしたその瞬間いつの間にか勢ぞろいしていたあいつらにすんでのところで助けられる、なんてことを想像しないでもない。
俺だけ助けられる側だって想像しか出てこないのが、長らくアイツに引っ張りまわされてきた一種のトラウマってことになるんだろうかね。ため息がでそうだ。
しかしそんなこともなく、日々平凡に現実をすごしている。
俺はそれに不満はないし、それ以前に学生ではなくこの身で働いて飯を食わなければならない立場になったときから、不思議より飯の心配が頭の中を優先するようになってしまったので、そこまでの考えにおよばない日々をすごすことが多くなった。
だが今日だけは、どんなに仕事がたまって忙しい日だったとしてもあの頃のことを思い出さないわけにはいかないだろう。
思いのほか仕事の打ち合わせが長引きこんな日に限って遅刻とは、もうそういう星の元に生まれてしまったのだからもうしかたないとあきらめつつも、やはり不可抗力で文句を言われるのは腹が立つので待ち合わせ場所に急ぐ。
持ってきた花束のおかげで手を振りかぶって走ることができず、よってどんなに急いでも早足にしかならないのだが。
あれから、何度となく歩いた道を行く。

そう、ハルヒに会うために。

早足で歩くその肌になんとなく湿り気を感じて空を見上げると、絵に描いたような曇天が広がっていた。
天気予報は雨。朝から雲も出ていたというのになんの用意もせず家から飛び出したことが悔やまれる。このままでは目的地についたころ雨になるのは確実だろうな。
「そう思って、あなたの分の傘も用意しておきましたよ。僕の予備で申し訳ないですが」
「いやに準備がいいな。普通傘なんて二本も持ち歩かないだろう」
「あなたが遅れているようでしたので、一応ご自宅のほうに確認を取らせてもらったんです。大慌てで飛び出して、傘も持たずにいってしまったとか」
振り向くと、相変わらずのニヤケ顔でクスクスと笑うそいつがいた。元超能力者にして今ではただのサラリーマンが。
「久しぶりだな、古泉」
「ええ、お久しぶりです」
「遅れてスマン。ちょっと仕事の打ち合わせが長引いて。言ってて自分でも言い訳臭いとは思うが」
「いえいえ、存じてますよ。今書いているシリーズはなかなかの人気だとか。普段読書と縁遠い僕の耳にも名前が届くくらいですから」
「その言い方だと、お前は読んでないみたいだな」
「なんとなくあなたなら、僕達には読んで欲しくないんじゃないかと思いまして」
「…ああ、その通りだ。よくわかってるじゃないか」
相変わらずの変な気の回し方と、相変わらずの笑顔を向けてくる古泉に向かい、苦笑しか出てこない。
「あれから文芸部存続の名目で、ハルヒに何度小説まがいのものを書かされたか」
「そのおかげで、あなたは押しも押されぬ人気小説家という訳です。今風だとライトノベルと言うんでしたか」
「よしてくれ。なんとか食っていける程度に書いているだけだ」
そういえば最初に文芸部らしい活動をしたのは、SOS団に喧嘩をふっかけてきた生徒会長のせいだっけな。結局は古泉の差し金だったが。
「しかしその後もあなたに文章を書き続けるように命じたのはハルヒさんです。ことの発端はどうあれ、あなたの才能を既にあの時見出していたのかもしれませんよ」
「ハルヒがねえ…」
だがあながち一笑にできないところが、ハルヒのハルヒたる所以だ。
「しかしハルヒさんも『そうなって欲しい』と願ったことはあっても、その能力でそうあるように仕向けたことは無いと思いますよ。こと、あなたに関しては」
古泉の問いには無言を持って答えにするとして、俺は再び歩き始めた。立ち話ばかりをしているわけにはいかないしな。
それに文句を言うでもなく、笑顔でついてくるこいつは最初から俺が答えられないことなど想定済みだったのかもしれない。

「そういうお前は、仕事上手くいってるのか?」
「ご心配ありがとうございます。つつがなく順調ですよ」
「大手電機メーカーの開発プロジェクトリーダーか…、それっていわゆる出世街道ってやつだろ?」
「客観的に言うと、そういうことになるんでしょうね。もっとも、成功すればの話ですが」
プロジェクトのリーダーともなると、その重圧は結構なものだと思うが、こいつはそれを感じさせない。というか他人事にも見える。
「俺もサラリーマンが良かったかもなあ…」
「転職されるなら、いつでもコネを使わせていただいたんですが」
「機関、か…」
「ええ」
この就職難において古泉が簡単に大手電機メーカーに就職できたのは、機関の繋がりによるものらしい。
「機関自体はハルヒさんの能力が確認されなくなった時点で解散しました。しかし一度は仲間だった我々ですからね、ちゃんと繋がりというものは残っていますよ」
ハルヒのおかげで巻き込まれたように機関の一員となり、あいつのストレスの権化と化した神人を狩らなければならないという理不尽な業を背負った
悲しい超能力者という見方もできないこともなかったが、ちゃんとこういうところで美味しい目を見れていたのだから、報われているのかもな。
「ええ、ハルヒさんには感謝しています。もちろんあなたにも」
そんな本気か冗談かわかりづらい顔で言われても。
「まあ、いよいよ物書きで食っていけなくなったらよろしく頼む。下っ端の雑用でかまわんから」
「僕としては、あなたと一緒の仕事が出来るならとても喜ばしいのですが…」
返事の代わりにひらひらと手を振って、足を止める。目的地に到着した。
何度も訪れてはいるが、ここにくるたびあまり喋る気にはならない。
古泉もそれを承知してか軽口を叩かなくなる。顔はいつもの笑みのままだが、どことなく神妙な顔に見えないこともない。
持ってきた花束を古泉に預けると、入り口で掃除用のバケツとひしゃく、それから亀の子たわしを借りる。これって昔からあるが、まあ一番汚れが落ちるんだろうな。
そう思っていると雨が降り出した。やれやれ、この分なら重たいバケツで水を運ぶ必要もなさそうだ、ありがたいね。ありがたくて涙がでそうだ。
傘を差し出す古泉、それを丁重にお断りして目的の一画に向かう。
最近忙しくて来てやれなかったが、あいつのことだ、そんな言い訳なんて聞きゃしないだろう。
なんて、思いをめぐらしている間にたどり着く。
アイツは、きっと矢継ぎ早に文句を言ってくるんだろう。

『涼宮家ノ墓』

「…生きていたら、な」

腕まくりしようとした古泉を制し、俺はひとりで雨に濡れた墓標を磨く。
ただ見ているだけというのは落ち着かないかもしれないが、俺が思いつきでやっていることに付き合わせる必要もないだろう。
…というのは建前で、ひとりでこうしていれば今はもういないハルヒと語っているような気分になれるからだ。俺もずいぶんと感傷的になっちまったもんだ。
一言も語らず、もくもくと掃除を続ける俺。
一言も語らず、黙って見守ってくれている古泉。
傘も差さずに作業をしていたおかげですっかり濡れてしまったが、今の季節だから凍えるようなことはないだろう。それほど時間をかけるつもりもないしな。
やがて掃除も終わり、持ってきた線香に火をともす。
この雨の中ではなかなかつかない。ライターの火もちょっとした風で消えてしまう。線香ってやつはなんでこうまで点けにくくできてるんだろうな。
イライラしながらライターの火を何度もつけなおしていると、古泉は何も言わずそっと手で風をさえぎってくれた。スマンな、待たせて。
ようやく火のついた線香、それを二つに分けると片方を古泉に渡す。
お参りでの線香のあげ方ってのは地方や宗派によって違いがあるのかもしれんが、どうでもいい。よって正確な本数なんて数えちゃいない。
線香をあげ、並んで手を合わす。古泉はハルヒになんて言ってやってるんだろうかね。
俺はもう語りつくしちまったような気がしたから、ただ心の中で「また来る」とだけつぶやいた。
バケツやらを返しているうちに古泉が帰ってきた。なかなか語ったようだな。
どことなく複雑な表情だが、こいつでも緊張したり居心地が悪くなったりするのかね?長い付き合いだがいまだに性格がつかめない。
「傘をどうぞ」
「ああ、サンキュ。もういまさらって感じだけどな」
苦笑しながら傘を受け取る。まあ帰り道まで濡れて歩くこともないだろう。
「ではなるだけ急ぎましょうか」
そうは言っても雨足は強くなり、いい大人二人が傘をさしたまま走るわけにもいかず、せいぜいほんの少しだけ早足なったくらいだが。
「ハルヒさんのご両親とは会われていますか?」
「なんでそんなことを聞く?一年ほど前に一度会ったきりだ」
「そうですか…いえ、あなたの掃除があまりにも手馴れていたもので、もう和解した上で、お墓にも何度か訪ねているのではないかと思ったものですから」
墓掃除なんか褒められても嬉しくもなんともないな。
「ハルヒの両親はまだ俺を許しちゃいないよ。ただ墓参りだけは自由に行かせてもらえるよう、なんとか取り付けたってとこだな」
「少しだけ前進、というところですか」
「…別に、前進したところで先には何もないけどな」
思わず憮然と言い放ってしまったが、古泉はそれも笑顔で受け流してくれたようだ。
こうやって思わず愚痴ばっかり言っている俺だが、持つべきものはなんとやらということかね。
「もどかしいですね。ハルヒさんの死はあなたの責任ではないというのに」
「別にかまわないさ。俺の目の前で死んだことに変わりはない」
ハルヒは死んだ。俺の目の前で。

「表向きは心筋梗塞に伴う心不全。だがハルヒさんのような健康体の持ち主が、あの歳でそのような死を迎えるなどありえないと思いますよね」
「ああ、だから俺が殺したなんて恨み言のひとつも言われるんだろう。だが本当の死因なんて説明のしようがない。アイツは…」
「…ハルヒさんはその力ゆえに、自ら命を絶った」
あのときの光景を思い出さないよう淡々と話していたつもりだったが、アイツの死を考えると、どうしてもそのときの顔を思い出さずにはいられない。
「今思えば、アイツは出た結果に不満をぶつけることはあっても、自分の取った行動に後悔なんてしたことはなかった」
「ええ」
「あの時だって、一人だけ満足そうな顔して」
「ええ」
「昔から俺達を振り回してくれたが、死ぬ間際まで…いや死んでからもだな、振り回してくれやがった」
「ええ」
あえて古泉の方を見ないで喋っていた。見なくても分かる。どうせコイツは、何もかも分かっているといわんばかりの顔で微笑んでいるに違いないのだから。

「俺達は、なにごともなかったこの世界で生きている」
「ええ…ハルヒさんの力で『なにごともなかった世界』を保ってくれたのですから」
「アイツが死ねば世界が消える…なんてこともなく、な」
「はい、全てはなにもなかったかのように、彼女の力も我々の力も消えてしまいました」
「おまえら機関の見解も、的外れだったというわけか」
「機関の見解はひとつではありませんよ。もっとも、心配はしていたのですが」
ハルヒが神だとのたまう機関は、アイツを死なせないようにと色々画策した。だが本人自らが命を絶とうとするのを止められるものではない。
だが機関の心配は的外れだったらしく、ハルヒが死ねば世界が消滅するということもなく世界はいまだにその形を保っている。
「機関としては一安心というところか」
「否定はしません。ですがそれも、ハルヒさんがそうあれと願ったゆえのことなのかもしれませんよ。いろんな意味で、ハルヒさんは世界を救って死んだ」
「それを知っているのは俺達だけだがな」
「あなたもハルヒさんの死を望んでいなかった。いや、もっとも深く悲しんでいたのはあなただと思います…報われませんね」
「アイツの死はあまりに不審すぎる。そして俺達は本当のことを何も話せない。アイツの親と話せるようになるのは、まだまだ先のことだろうな」
別に俺一人が恨まれるぶんには平気なんだがな。今後一生ハルヒの両親と会わなくったってなんの問題もない。
「遺骨も結局は涼宮さんのご両親が引き取られましたしね」
「そこは折れるしかないだろう。その代わり養育権だけは勘弁してもらったわけだし。それに墓参りのフリーパスくらいは許してくれたしな」
「そういえば今日はどうされてますか?」
「ああ、今日はうちの親に預けてあるよ。おっと、噂をすれば向こうから」
顎で指し示す先、俺のおふくろが孫の手を引いて歩いてくる。
「わざわざ迎えにきてくれたのか、ハルカ」
「パパ!」

「確か五歳でしたか」
「一昨日六歳になったばっかだ」
「失礼しました。この歳になるとあっという間に月日が流れてしまうもので」
「おまえはじじ臭い台詞が似合いすぎるな」
嬉しそうに駆けてきた娘の体を、片腕で抱きとめる。傘がなけりゃ抱っこしていってやるんだがな、勘弁しろ。
「う…パパぐしょぐしょ」
「おっとスマン。さっきまで濡れながら墓掃除してたもんでな。帰ったら風呂入るか」
「うん、ハルカも一緒に入る!」
「かわいらしいですね」
「そう思うんなら、おまえも結婚して子どもをこさえるんだな」
「それがあいにくと、女性とは縁遠くて」
「言ってろ」
買い物があるというおふくろは、俺にハルカを預けて行ってしまった。雨の中わざわざ迎えに来てくれたと思ったらそういうことか。
「古泉はどうする?なんらウチによってくか」
「よろしいのですか?」
「ああ、久しぶりに会ったんだし、それにこの傘も返さなきゃならん」
借り物の傘を指し示す。後日返却という手もあるが、それだと出不精の俺としては非常に面倒くさい。
それに強くなる一方の雨足だが、しばらく家に居れば止むかもしれない。
「ではお言葉に甘えまして。ハルカちゃん、遊びにいかせてもらうよ」
「カズキおにーちゃんくるの?やったぁ!」
「コイツには『おじちゃん』で十分だぞ」

はしゃぐハルカの手をとって、再び歩き始める。
「…ハルカちゃんは、あのときのことを覚えているのでしょうか」
「ん?…いや、覚えてないだろうな。まだ小さかったし」
ハルヒは、変容する世界をなにごともなかったように留めるため力を使った。
幼いハルカには、自分の母親が神様なんて呼ばれるような人間で、それなのに自分を守るために死んでしまったなんてことはわからないだろう。
「正確には、ハルカちゃんを含む世界を守って、ですが」
古泉や機関の見解はそうらしい。朝比奈さんもそう言っていたし、長門も頷いていた。だからそうなのだろう。
だが見た目にはなにも変わらなかった。それは当然だ。『なにごともない状態』にするために力を使ったんだから。
だから、ハルヒが死なずにすむ選択肢があったのではないかと思わずにいられない。
ハルヒが死ぬ前と後で、何も変わらずに世界が続いているのを見せられると。

「パパ!パーパ!そんなにつよくにぎったらいたいよー!」
「お?ああ、スマン」
頬を膨らませて、長靴で俺のすねにケリをかましてくる娘の声で我に返り、あのときの光景を頭から払う。
「今日は雨で残念だったね、ハルカちゃん」
「うん…パパといっしょのカサで帰れるのはうれしいけど、やっぱりハルカはおひさまが出てるほうがいい」
「雨降りだと大暴れできないからな」
まったく、俺に似ず元気がありあまって困る。まあ、アイツに似たんだろうけどな。
「小さい頃のハルヒさんは、きっとこんな感じだったんでしょうね」
「それについては同感だな。振り回しっぷりもそっくりだぞ?」
「そういえば、ハルカちゃんという名前はあなたが考えたんだとか」
「ん?…ああ、ハルヒのやつが『女親は生んだ瞬間から母親を自覚できるけど、男親は他人事で自覚が足りない。だから名前くらいアンタがつけないさい』ってな」
そのときの得意げな顔をしたハルヒのことが思い出される。
「なるほど…でも良い名前だとおもいますよ」
「母親が春の日なら、娘は春の花……我ながら安直だと思う。名前を似せたついでに、性格まで似やがったしな」
まったく、ハルヒとすごした日々はそう長くないってのに、成長するにつれてあのワガママな性格によく似てきやがる。
「あはは、本当によく似てますよね。本当に…」
どことなく神妙にハルカを見ている古泉。おまえひょっとしてロリコンか?そうでなくてもハルカはやらんぞ。
「ご心配なく。ちょっとハルヒさんのことを思い出していただけです」
「まあ、親子だから似てるのは当然だな。つくづく、あの変な力まで似なくて良かったと思うよ」
ハルカには、この何も変わらぬ日常のまま、幸せに人生を全うして欲しい。この性格に振り回されて辟易することも多いが、それだけは本気で思っている。
「………に、そうでしょうか」
雨音が強い。
つぶやくように言った古泉の言葉は、よく聞き取れなかった。

「イツキおにーちゃんどうしたの?」
ハルカが振り返る。古泉の足は止まっていた。
「どうした古泉?家はまだもう少し先だぞ。雨もますます強くなってるし早いとこ入っちまおう」
「ハルカちゃんは、本当にハルヒさんとよく似ていますよ」
「またその話か?昔から説明のくどいやつだったが、よくまあ一つのネタをひっぱれるな」
軽く笑いながら振り返る。雨足はますます強くなり、古泉の表情はよく見えない。
「僕が力に目覚めたとき、不安だらけでおかしくなりそうでした。でもハルヒさんに引っ張られ、SOS団に入り、そして皆さんと過ごした日々は本当に楽しかったですよ」
「古泉?」
なにを突然。うつむきがちのその顔は、相変わらずよく見えない。
「振り回されはしましたが、僕はそんなハルヒさんが好きでした」
「…おいおい、こんなところで俺の嫁のことについて衝撃の告白されてもなあ」
内に秘めた恋心ってやつか?コイツがそんな風に考えていたなんて、微塵も思えなかったが。
「あなたのことも好きでした。朝比奈さんや、長門さんのことも」
「ねえパパ、イツキおにーちゃんも、早くいこうよー?」
「ん?ああ。古泉、その話なら家に帰ってゆっくり聞くよ。なんなら今日は泊まっていってもいいから、酒でも飲むか?」
苦笑しながら踵を返す。まったく、ハルヒほどじゃないにしろおまえも十分に、突然なに言い出すかわかんないヤツだよ。
「力の予兆が見られました」
「…」
歩き出そうとしたその足が止まる。古泉、なにを言ってるんだ?
「まだ何かがあったというわけではありません。正しくは、そう感じられたというだけです」
振り返ると、古泉は傘を手放していた。
雨にぬれ、その表情はますます見えない。
「だが、感じられたのは僕だけでなく、機関に所属した全員です」
「…ハルヒの?」
「はい」
馬鹿なことを。ハルヒが死んでもう何年経ってると思ってるんだ。
「なぜそれが力の予兆だと分かったのか、それは説明できません。昔、我々が力を与えられたときのように、そう感じたというだけなのですから」
「じゃあ、ハルヒはどこかで生きて…」
「いえ、ハルヒさんは死にました」

ただならぬ様子の俺と古泉の姿を、ハルカは何も言えず見上げている。
「おまえが言いたいのは、つまり」
「ええ、ハルカちゃんです」
やっぱりか。
「遠からず、ハルカちゃんは力に目覚めることでしょう。そのときハルヒさんのように、自覚がないままなのかどうかはわかりませんが」
「でも、俺にはそんなことさっぱりわからなかったぞ?」
「あなたに分かるのですか?」
突き放すような一言。いつも柔和な顔と喋りのこの男が、冷たく喋る。わざとらしいくらいに。
「ハルヒさんだって、見ただけでは普通の女子高生と変わらなかったですからね。本人の自覚がないならなおさらです」
何も言い返せない。
「そう遠くないうちに、ハルカちゃんはその力で閉鎖空間を発生させてしまうでしょう」
もう昔のことになってしまった、あの不愉快な空間のことが思い出される。
「となると、またおまえたちが処理にあたるのか?」
「いえ、ハルカちゃんの作り出す閉鎖空間は、我々が処理できるレベルを一気に超え、世界を変容させるでしょう」
「なっ!?」
そんなバカな。
あの閉鎖空間は自分の思いどおりにならないハルヒのイライラが生み出したもので、その大きさは不機嫌の度合による。
まだ六歳になったばかりのハルカが、いきなり世界を覆うような閉鎖空間を作り出すなんてことがあるんだろうか。
「ストレスにも似た不快な思いが閉鎖空間の程度決める…ならば、ハルカちゃんはこの上なく巨大なものを作り出すだろうことが予測されます」
「こんな幼い子が、なにをそこまで思い込むっていうんだ!?」
「母親がいない、その虚無感ですよ」

古泉の言葉にはっとし、思わずハルカの方を見る。ハルカは、まるで悪さが見つかってしかられるのを恐れるように、おびえた視線を返した。
「いつも、あなたの前では気丈に振舞っていたのでしょうね」
「ハルカ…」
「ですが、やはり母親がいないことは子どもにとって途方も無いストレスです。そのうえ父親は母親の両親に嫌われ、ろくに会えない状態ですし」
そんな…。
「甘えられる人間が極端に少なかったのでしょうね。それでも、あなたは本当に愛情一杯で育てられていると思いますよ?」
いや…。
「でも、それもそろそろ限界ということなのでしょう。すでに臨界点は近づいています」
俺だって、本当は気がついていたはずだ。
「その時がくれば、今の世界は跡形もなくなってしまうはずです」
「…どうすれば、いい?おまえたち機関は、どうすると。また俺にできることが…」
ハルカと繋いでいた手を、より強く握る。今度はハルカも文句を言わない。
「いえ、今度にいたっては、機関も違う対処方法を決定しました」
「違う対処方法?」
古泉の言葉を、バカみたいにオウム返しすることしかできない。
ハルヒの時だって、結局は何もできなかった。そしてハルカについても、俺はなにをすればいいのか分からないのだ。
「ハルヒさんが死んだとき、その死によって世界が消滅することはないという結果がでました」
懐から金属の塊を取り出す古泉。それは引き金を引くだけで人を殺す道具。
本物か?という言葉を吐きそうになったが、こいつが所属していたところがどういうものか考え、その質問は無意味だろうということに気づく。
「僕は、本当にあなたたちが好きでした」
「待て古泉ッ!」
「それだけは………信じてください」

パッ。

TVで聞くような派手な音ではなく、本当にそんな感じで、古泉の持つ銃の先から火花が散った。
そして、俺の胸に赤い花が咲く。

「う…ぁ…ゲホッ!!」
傘はどこかにいってしまった。倒れこんだ俺に雨は強く降り注ぐ。
胸から流れる血は、雨と一緒にどんどん、どんどんと地面を伝っていった。
「機関の決定を聞いたとき、その役に僕は自ら志願しました」
銃口は、恐怖で動けないでいるハルカに向けられた。
「僕が受けなければ、機関は他の誰かをこの役に指名したことでしょう。それは、失敗したときも同じです」
「ま…てっ…ぅあっ…けほっ…こ、いずみ…」
口からも血があふれ出す。
強い雨音の中、力の入らなくなってきた俺は、それでも古泉を制すべく声を出す。
「僕なんかに謝られても腹が立つだけだと思いますが、それでも…申し訳ありません」
視界がゆがむ。それでも見上げた古泉の顔は、泣いているのだろうか。
「これが終われば、僕は自らの手で命を絶ちます。それで罪や罪悪が消えるわけではありませんが。即死ではなく、せいぜい長く苦しんで死ぬつもりです」
「…っバカ、が…なに言ってっか…わかんねえ…よ」
「パパ…」
おびえきったハルカの声。古泉、今ならまだ許してやる。とっととその銃口を下ろすんだ。
「僕は、あの頃が好きでした。皆さんが好きでした。皆さんと会えて良かったです」
いつもの古泉とは違う、笑ってはいるが、いつもの古泉のように笑えてなんていなかった。
「嫌なものですね。ハルヒさんの力のおかげで、僕たちにはこんな結末しかなかった。でもハルヒさんの力がなければ、僕たちは出会うことはなかった…」
古泉の頬には、明らかに雨とは違う水滴が伝っている。バカヤロウ、そんな思いをするくらいなら、なぜ他の方法を取ろうとしなかった。
「たった三人が死に、世界は変わらず日常を続けるでしょう。これが、僕が所属する世界の決定なのです」
引き金にかけた指に、力が込められる。
「…本当に、すいません」
「…や、めろっ…!」

パッ。

冗談かと思うほど軽い音の後、ハルカの体はゆっくりと倒れた。
雨音が強い。ハルカは何か言っているのだろうか。
もう、何も考えられなかった。
意識がもうろうとする。
俺の体は死に向っているんだろう。

ハルカ。
守ってやれなかったな。

ハルヒ。
ごめん。


まぶたは重く、視界はどんどん狭まっていく。
うっすらと見えるのは、倒れているハルカと、銃口を胸に押し当てた姿の古泉。
そして、雨のひとつぶひとつぶが見える。
世界は止まってしまったかのようだ。

「帰りたいですか?」
古泉?
「帰りたいですか?あの頃に」
視界にある古泉は何も喋っていない。口を閉じている。
だがうるさいほどの雨音のなか、古泉の声がはっきりと聞こえる。
…いや、違う。雨音はもう聞こえない。無音だ。
「帰りたいですか?わたしたちが出会った、あの時代に」
朝比奈さん!?
聞こえた…ここにいないはずの朝比奈さんの声が。
「絶望しかない未来をやりなおすために」
今度は長門…どうなってるんだ?
時の止まった世界で、ここにいないはずの皆の声を聞く。
これが死の直前の幻覚ってやつだろうか。
「…とうぜん、だろ…やりなおせるなら…」
ハルヒだって、死なせずにすむかもしれない。
幻覚だろうがなんだろうが、俺はそう答えていた。
自然と、ハルカのほうへ手を伸ばす。幼い、小さな手を握るために。
ほとんど力は入らず、ゆっくりゆっくりと。ああ眠い。眠くて死にそうだ。
「そう願うなら帰れ
「          ますよ、だってあなた
「                       は、―――なのだから」
どうだっていいさ、そんなこと。ハルカ、もうすぐ手が届く…。
ああ、眠いな。ちくしょう。もうちょっと、もうちょっとで…。

眠気を振り払い、守りたい、守らなければならないその手を、握った。

「な、なに!?突然なにを…」
「お前を…守るって…」
「え?………えー!?ちょっとキョン!あんたなに言って…」
「ハルカ…」
「いきなりそんな恥ずかしい……え?…誰?」
目が合う。
「………ハルヒ?」
「う、うん」
「…あれ?」

雨がいつのまにかやんでいる。あの薄暗い雨の風景から、一転して明るい。
あたりを見回すと雨はすっかりやんでいた。という以前にここは室内だ。俺がとてもよく知る、ある意味今の俺はこの場所を外して語ることはできないであろう場所。
「部室…」
「あんた…寝ぼけてるの?」
目の前にはハルヒ。高校生の姿をしたハルヒだ。思わず抱きしめそうになったが…いやまて、俺が寝ぼけてるって?
「昨夜どれだけ夜更かししたかはしらないけどね、団長が来てるっていうのにいつまでも寝てるってのはどういう了見よ」
「…そうか、俺ここで寝ちまってたんだ」
思い出した。そういうことだ…と思う。
いや、自信が無いのはその夢の内容が嫌にリアルだったから。夢と現実の時間の進み方は違うなんて話を聞くが、それにしても十数年分の夢をみちまってのはどうよ。それも俺とハルヒが…。
「で、いつまでこのままなのかしら?」
「ん?」
「…とっとと離してって言ってるの」
「………うあっ!?す、スマン」
どうやら寝ぼけてハルヒの手を握ってしまっていたらしい。慌てて手を離す俺に、ハルヒから追い討ちの言葉。
「ふーん…手を握っちゃうくらいの仲なんだ、そのハルカって娘とは」
「いやまて、色々と思いをめぐらしているようだがそれは違うぞハルヒ。そのハルカってのはな…そう、小学生のイトコのことでな、今ちょっとウチに遊びにきてるんだ」
なんで俺がハルヒ相手にこんな言い訳がましいことを言っているのだろう。どうやらまだ夢の影響が抜けきってないらしい。
「へー…じゃあ今日の活動はキョンの家でやりましょうか?そのハルカちゃんも一緒に」
「勘弁してくれ…」
意地の悪いハルヒとのやり取りをしていると、こちらをじっと見ている長門に気が付いた。部室に来ているのは俺とハルヒと長門の三人。まだ朝比奈さんや古泉は来ていない。
いつもなら静かに本を読んでいる長門が、珍しいこともある…なんて思ってふと考えた。ひょっとして…。

よくわからんがへそを曲げたままパソコンをいじり始めたハルヒはとりあえず置いておいて、長門に聞いてみることにする。
「なあ長門、俺さっき変な夢をみたんだが」
「あれは起こりうる未来。完成に近いシュミレーション」
全てを言い終わらないうちに、長門からの答えが返ってくる。
「マジかよ…というかお前も見たのか?」
「断片的に」
「しかし起こりうるって………最悪だぞ?」
少なくとも俺にとっては。今も夢の内容を思い出して、なんだか胸の辺りがムカムカしてくる。
まったく、いったいなんだってあんな夢を。どっかの勢力が俺に嫌がらせで見せたのか?
「あれを見せたのが何者かは不明」
「ってことは敵か味方かもわからんわけか。あんな未来が待ってるなんて思うと、気が滅入るどころの話じゃないぜ」
「あれを見たあなたなら、回避することは可能」
「未来が変えられるってんならまあ、ああならないように努力はするだろうな」
だとしたら、ひょっとしてハルヒが無意識のうちにあれを見せたって可能性も…。
「どう行動するかは、あなた次第」
それだけ言うと長門は、また本に目を落としてしまった。そういえばあの夢には長門も出てたんだっけな。声だけの出演だけど。
さて、それなら俺はどうするかだが…実際どうすりゃいいんだ?
「おや、きょうは朝比奈さんが一番最後ですか。珍しいですね」
部室の扉を開けて古泉のニヤケ面が現れた。顔を見た瞬間あの夢の最悪な出来事が思い出されたが、まああのときのお前の顔と、夢だったってことで許しておいてやる。
「お、遅くなりましたーっ」
続いて慌てて入ってくる朝比奈さん。そんなに急がなくてもかまいませんよ。どうせここに来ても普段だらだらと過ごしているだけですし。
もはや決定事項となってしまった朝比奈さんの衣装替えのため、俺と古泉は部室の外に出た。一緒に待つ間、俺は夢で見た未来のことを考える。さて、俺になにができるのか。
「…なんて漠然と考えたって、なにができるってわけでもないしな」
「どうされました?」
俺の独り言に興味深げに問いかけてくる古泉。お前はお前で自分の将来を心配してろよ。
「ま、今できることってのは限られてるしな」
ハルヒの顔を見たら、開口一番に言うとしようか。

朝比奈さんの着替えが終わったらしく、部室の扉を開ける。
「ハルヒ」
「…ん?どしたの?」
あんな絶望的な未来はゴメンだからな。
「長生きしろよ?」
「なに突然?そんなの当然じゃない。まだあたしは見てないものがたくさんあるのよ?全部見るためには百歳まで生きたって足りるかどうか」
…こんな性格のコイツが、早死になんてするなんて信じられん。
「キョン、あんたもよ?」
「ん?」
「あんたも長生きしなさいよ」
俺と違って、こいつはどういう意味で言ってるんだろうかね。
「これからも不思議探しに付き合ってもらうんだから」
へいへい、そういうことだと思ったよ。
さっきの不機嫌はどこかへいっちまったらしい。やれやれ、なにが楽しくてそんなに笑うんだろうな、コイツは。
これからもずっとコキ使うつもりでいるハルヒに、俺は俺なりに最大限の誠意をもって応えた。

「…努力するよ」

         Fin.

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