3月になる少し前、朝比奈さん誘拐事件からようやく日常が戻ってきた頃―、

 

俺は風邪なんぞをひいてしまっていた。
数年ぶりのハリケーン上陸よろしく、まさに俺の体内では猛威がふるわれ、
そんなわけで丸一日、降り続く雨を窓からぼんやり眺めながら、
俺はだるい身体で朦朧としていた。本当に突然でまいったとしか言いようがない。

 

来たのも突然なら去ったのも突然であり、
翌日にはそれまでが嘘のようにとはよく言ったものだが、まさにその通りに
俺は健康な身体を取り戻していた。

 

教室に入るとハルヒはもう来ていたが、
特別俺に何も言うわけではないのが引っかかった。
普通、「風邪治ったの?」とか「調子はどう?」とかくらい訊くだろう。

 

「ハルヒ」
仕方がないのでこちらから会話をスタートさせようとしたのだが、
この不機嫌娘はなぜそうであるのか分からないがふいっと横を向いてしまい、
一言も何も言わぬまま、なんと放課後まで俺たちは会話しなかった。
「さっさと言ったら、部室」
ハルヒのトーンにはまだトゲトゲしたものが感じられた。何でだ?
「あたしは行かないから」

 

頭に疑問符を乗せたまま俺は部室のドアをノックしたが返事はなく、
いざドアをあけてみればそこには長門、古泉、朝比奈さんがすでにいて、
それなら誰か返事をしてくれてもいいではないか、と思っていると
「謝った方がいいですよ」
古泉だった。何をだ?昨日部活を休んだことをか?
「休んだ?何の話でしょう」
何の話だもないだろう。とぼけてんのか。
「あなたこそ誤魔化してるつもりですか。
だとすればよくないですよ、そういうのは」
さっぱり話が見えないまま俺は腰を下ろし、
さて2日ぶりの朝比奈緑茶にありつけるとほくほくしてみたが、
朝比奈さんはお茶の用意どころかうつむきっぱなしで、これはどうも様子がおかしい。
古泉も朝比奈さんも妙、長門は…と見ると、こいつはいつも通りに見えた。
ので俺は声をひそめて訊いた。
「何かあったのか」
「昨日のあなた」
とだけ言って、長門も黙り込んでしまった。
いや無口は長門の基本仕様だが、それ以上何を訊いても返答しないなんてのは
俺の記憶に数回あったかどうかという稀なケースで、少なからずショックを受けた。

 

何だこれは?俺を全員で無視する計画か?
風邪で学校を休んだくらいで村八分に遭ったら、全国のいじめ問題はひきもきらず、
溢れ返って列島周囲の海面が数センチは上昇するぜ。

 

「古泉」俺は言った。
「どういうことか話してくれよ。何が何だかさっぱりだ。
昨日何があったんだ」
「ご自分の胸に手を当てずとも分かるのではないですか?」
なんと古泉がそっぽを向いた。こんなのは初めてだ。
そしてどうやら怒っているようで。これも初めてのことだ。

 

何があったんだ?俺がいない間に?
しかもそれが俺のせいになっているようじゃないか。
誰かが迷惑行為をして俺がやったと言いふらしたのか?
そんなことを古泉や長門が信じるだろうか。

 

「朝比奈さん」俺は話しかけずにいた唯一の望みに言った。
「…」何も言わずに背を向けてうつむいている。
しばらく見ているとぽろぽろと涙をこぼしはじめた。
呼びかけただけで泣かれてしまうとはどういうことだ。
突然俺を嫌いになりでもしたのだろうか、その理由は何だ?

 

クエスチョンマークが何回登場しただろう。
これは何かが起こったと見ていいのだろうか。

 

まったく何もしない放課後を過ごしたのも初めてだった。
退屈ならばまず間違いなく古泉とゲームに興じていたからだが、
今日はその古泉ですら何も言ってくれないのだ。
こいつが腹を立てるなんて、一体その犯人はどれほどのことをしたのだろう。
そしてそれは誰だ。俺のせいにするなんて太いやつだな。しかも巧妙だ。

 

想像の外の出来事に落ち込んで、俺は憔悴の面持ちだったかもしれない。
家に着いてしばらくぽかんとしてしまった。
何かおかしい。それは分かるがそこまでしか分からん。
どうやったら昨日一日家から出ない間に4人から無視される理由を作れるんだ?
妹がひょこっと顔をのぞかせてすぐに引っ込んだ。
よほど険悪な顔をしていたのだろうか。何でもいいから何か言ってくれた方が
俺の精神力ゲージが10くらいまでは回復するぜ。
学校で知らぬ間に起きた事件を家でノーヒントで推理して答えが出るはずもなく、
もやもやとしたまま俺は考えを放棄して眠りについた。

 

「ちょっとは反省したの」
とは、涼宮ハルヒの弁である。
HR前の時間であり、通常ならこんなムードとは無縁なのだが…。
ここで「何のことだか」とかシラを切れば、また無視にあうのは明らかだったので、
実験を兼ねて俺はこう言った。
「気の迷いだった。悪かったと思ってる」
ハルヒは俺を睨むようにしていたが、しばらくして言った。
「本当に反省してるの?みくるちゃんは落ち込みっぱなしよ。
あたしだってまたもとの雰囲気に戻って欲しいけど、あれじゃ顔も出せないわ」
「どうすればいいんだ。今となっては何でああなったのか分からない」
「みくるちゃんに謝りなさい。それだけよ」
何とか切り口にはなったのだろうか。事情はいまだにさっぱりだが。

 

授業中ハルヒが俺を呼ぶことはなく、最低限の会話だけで放課後を迎える。
部室にいる面子を脳内で組み合わせつつ、どれが最良か分からぬままドアをノックする。
昨日と同じく返答はない。俺を癒す要素は今ここにはないんだな。

 

朝比奈さんは昨日と同じ位置にいて、それがまた俺を数段落ち込ませた。
覚えのないことをこれから謝罪するわけだが、その程度が問題である。
俺は誠実な口調を念頭に置きそして言った。

 

「朝比奈さん」
やはり返答はない。
「謝りたいんです」
ほんの一瞬肩が震えたのを俺は見逃さない。さて。
「すいませんでした」
俺はまっすぐに深く頭を下げた。
「…そう」
長門じゃなく朝比奈さんのセリフだぜ。まだ小刻みに震えている。
「ごめんなさい、しばらく放っておいて…」
朝比奈さんをこんなに悲しませるやつはぶん殴ってやりたいが、
犯人は俺と言うことになっており、つまり俺はいつ殴られるかわからん存在なわけだ。
こんな理不尽があろうか。俺はしおしおと椅子に崩れた。
が、まだ俺にはすべき事がある。
「古泉、ちょっと話したい」
顎で外を示し、連れ立って外に出る。

 

食堂の屋外テーブル。
「一昨日も俺は学校に来ていたんだよな」
「えぇ、来ていましたよ」
「その日は風邪をひいて家で寝ていたんだがな」
「そんなはずはないでしょう。ならば僕が見たあなたは何だったんですか」
「これは可能性の話だがな古泉、その日、部室にいたのは俺の偽者かもしれない」
今までの情報を総合して考えられるのはそれくらいしかない。
犯人も目的も不明だが、結果として、俺のドッペルだか何だかが
学校に来て何かしていたのだ。
「偽者ですか…?」

 

虚を衝かれたように表情を崩し、古泉は考え始めた。
「あなたの話が本当だとして、偽者の正体は何者なんでしょう」
「それは分からない」
俺は一拍置いて続ける。
「とりあえず古泉、その俺が朝比奈さんに何をしたのか言ってくれ」
古泉はしばし黙っていたが、やがて話し出した。
「あなたは朝比奈さんのお茶の味がどうとか言い出しました。
初めは僕に、次に涼宮さんと長門さん。
その後であらためて変な味がすると言って朝比奈さんに詰め寄りました」
「俺がそんなことをすると思うか?怪しいと思わなかったのか」
「長門さんに訊きましたが本人だと言っていましたよ」
「長門に誤認することなんてあるのか」
「結果としてあったのですよ」
「…」
「どうしました?」
「お前は誰だ?」
沈黙…。こいつは古泉じゃないのではないか。
古泉ならすぐに俺かどうかなど見破れるはずだ。雪山でそうだったように。
「…ふふ」

 

古泉はこんな笑い方をしない。もはやこいつが偽者である事は明らかだ。
「古泉はどこだ」
「君と同じさ、風邪で伏しているよ」
笑い方を変えてニセ古泉は言った。
「情報統合思念体とは違う一派だ。とだけ言っておくよ。
安心してくれ、もう何も害は加えない。ちょっとした実験だったんだ」
「長門を喋れなくしたのもお前か」
「負荷をかけさせてもらったよ。思念体との交信を減らしている今、あの
インターフェースを妨害するのは容易だ」
「お前!」
俺が立ち上がると同時に分子崩壊を起こすかのごとく、古泉ドッペルは
霧となって跡形もなくなった。

 

本物の古泉は翌日に復帰した。
朝比奈さんに事情を説明し、その後ハルヒも俺を許してくれたが…。
あの野郎め、一体何が目的だったんだ。
敵が協定を結んだと森さんは言った。これもその一環なのか?
事件が解決したのに胸はもやもやとしたままだ。
「僕は偽者だと気付きましたが、それを言っても朝比奈さんは落ち込んだままでした」
古泉の言葉である。俺とこいつの両方になり切るとは、向こうも手強いな。
「これからはSOS団の絆が重要になってくるでしょう。これからの戒めになる一件でしたね」
長門は対処できなかった事を謝っていたが悪いのは全てあの野郎だ。気にするな。
どんな理由であれSOS団の誰かを悲しませるような事を俺は許さん。
そうある限り負けないからな。覚悟しやがれ。
「それは心強いですね」
古泉が微笑した。あぁ、もう守られてばかりは嫌だからな。
今度は俺が少しでもSOS団を助けてやりたいのさ。
愛すべき日常を、自分で守ってやりたいのさ。

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