5話


「キョンくん! 朝だよ、起きて~!」
 ん……あぁ、あと5分……。
「も~う! ダメだって! お母さんとハルにゃんが怒るよ!」
 いいって、怒られたら起きる。……おやすみ。
「起きろっ! バカキョン兄!!」
 うぶっ! み、みぞおち……。
 ハルヒの全体重が俺のみぞおちに落ちて来た。
「あ、ありゃ? ちょっと嫌な感触だったわね……大丈夫?」
 い、いや……もう無理だ。……おやすみ。
「だ~か~ら起きてよ、キョンくん!」
 妹に布団を引き剥がされ、痛むみぞおちを押さえながら渋々と起きた。
「ごめんね、キョン兄。あんな所に当たるなんて思ってなかったのよ」
 マジで痛い……つーかヤバい。吐き気がする。
「……え!? ほんと大丈夫? ごめんね、キョン兄……あ、病院に行こうか?」
 俺が痛がるフリをしていると、ハルヒは酷く慌てた。これ、意外に面白いな。
 あ~、立っていられねぇよ。ちょっと座るから。
 階段の途中に座り込むと、今度は慌てて親の所へ向かって行った。まったくもって面白い。
「お母さん! キョン兄が、キョン兄が……」

 本気で心配して慌ててるな……。幸せ者だな、兄としての俺は。
 ゆっくりと腰を上げて、ハルヒの後ろに立って頭を撫でた。
 大丈夫だ。確かに痛かったけど、病院とかは行かなくても問題ない。
「……も、もう! 心配させないでよねっ!」
 悪い悪い。お前の反応が面白くてな。
「人を使って遊ぶなぁっ!」
「あんた達、早くご飯食べて行きなさい!」
 久しぶりに母親に怒られ、朝飯を掻き込んでハルヒと一緒に自転車に飛び乗った。
 まったく……母親には朝倉以上の恐怖を感じるぜ。……いや、冗談だ。
「ねぇ、キョン兄。今日の夜に話したいことがあるの。だからさ、絶対に部屋にいてよね」
 ……すまん、今日は少し出かけなきゃいかん。
「え……」
 どうしても外せない用事なんだ。本当にすまん。
 表情は見えないが、ハルヒがしょげているのがわかる。……本当なら断りたくはないさ。
「……それならさ」
 そう言うと、いきなりハルヒは自転車から飛び降りた。
 おい! いきなり飛び降りると危ないだろうが!
「今日一日さぼって遊びに行こう? もちろん、キョン兄の奢りで!」
 ハルヒは俺の大声を無視して、無邪気に笑いながらそう言った。
 ……最後だし、別に構わないか。出席については後で長門に頼もう。
 しょうがないな、何処へでも連れてけよ!


 それから、ハルヒの指示する通りに自転車を走らせた。まずは街中だ。
「キョン兄、これかわいい! 買って!」
 ハルヒは安物のペアリングを指さしていた。
 ん~……まぁ、これくらいなら買ってやるさ。
 俺は、代金を払うと、ハルヒに手渡した。……ってここで開けるのか。
「はい、これはキョン兄の分ね。ちゃんと肌身離さず付けとくのよ!」

 おいおい、妹とはいえ、ハルヒとペアリングか。
 なかなか恥ずかしいものがあるが、ハルヒを不機嫌にさせると古泉がうるさいからな。
 渋々とリングを付け、ハルヒの満足な顔を見た後、自転車屋に行った。
「う~ん……これなんか後ろの乗り心地良さそうよね」
 どうやら、自分の自転車ではなく、俺の後ろに良い席を取る為の品定めらしい。
 まったくもって無駄だよな。
 さらに小物屋、本屋などを回り、食事をとったりした後にハルヒは元気いっぱいに声をかけてきた。
「キョン兄、次はあそこ! 少しだけ休ませてあげるわ!」
 ハルヒが指さした場所は、何の変哲もない公園だった。そこに自転車を止めて、ベンチに二人で座った。
「今日はいい一日だわ! 天気もいいし、楽しいし!」
 そりゃよかったぜ。天気がいいのはキツいがな。
「キョン兄は楽しい?」
 ……あぁ、すごく楽しいぞ。
 とは答えたものの、ハルヒの考えがわからん。何のために俺と遊んでるんだ? しかも学校をさぼってまで。
 楽しいということは間違い無いんだがな。
「よかった、あたしだけ楽しんじゃってるのかと思っちゃったわ!」
 ……なぁ、夜にしようとしてた話ってなんだよ?
 そうだ、たしかハルヒはこれを言おうとしてたはずなんだ。今まで忘れていたがな。
「あ、あれのこと!? あはは……べ、別に言わなくてもいいのよ!」
 言わなくてもいいってことはないだろう。少なくとも俺は気になるから聞きたい。
 ハルヒは、黙ったまま顔を赤くした。……俺、なんか恥ずかしいこと言ったか?
「ど、どうしてもって言うなら……」
 どうしてもだ。
「本気だからね、笑わないでよね」
 あぁ、笑わないさ。
 しばらくの沈黙の後、ハルヒはゆっくりと言った。

「キョン兄、ずっとあたしと一緒に居てね。ちゃんと帰って来てね」
 ……どうした? そんな、俺がどっかに消えちまうみたいなこと言ってさ。
「だって……そんな感じの夢を見たのよ。心配になるに決まってるじゃない!」
 しっかりと俺の目を見つめながらも、その瞳はうっすらと涙を溜めていた。
 わかったよ、ずっと一緒だ。俺は勝手にいなくなったりしない、約束する。
「……ほんとね? いきなりいなくならないでよ、やだからね!」
 ハルヒは、何度も何度も、いつもより本気で心配してるような口調で念を押してきた。
 大丈夫、約束だ。ほら、指きりしようぜ。

――ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのます、ゆびきった――

 そんな子どもっぽいリズムに乗せて指きりをしたら、ハルヒが『くすっ』と控えめに笑った。
「キョン兄。あたし今夜ね、帰ってくるまでずっと起きて待ってる! ……そしたら話したいことがあるから!」
 なんだ、もったいぶらずに今言えよ。
「ダメ、帰ったら言うからね! あんまり遅くに帰ったら……死刑なんだからっ!」

 ハルヒは100Wの笑顔で指をさしながらそう言うと、寄るところがあると言って一人で走って行った。
 ……死刑は嫌だから、全部終わったら早く帰るか。いや、帰ってもハルヒはいない状態になってるんだろうが。
 そのとき、俺の携帯が猛然と震えだした。
 誰だバカ野郎……古泉?
『緊急事態です。今すぐに長門さんの家に向かってください。僕達もすぐに学校を抜け出しますので』
 わかった、すぐ向かう。
 公園の入口に止めた自転車に飛び乗り、長門の家へと漕ぎ急いだ。
 まったく……今日で終わりだってのに何なんだよ。


「涼宮ハルヒの深層部分が完全に消滅しようとしている。そうなったら手の打ちようが無い」
 長門は平坦な口調でそう言った。……少しは慌てるとかないのか?
「あなたが、妹の涼宮さんに何か言ったんじゃないですか? 元の世界に戻らなくても彼女が満足するようなことを」
 ……心当たりはないな。今日はハルヒとずっと一緒にいたが。
「つい2、30分前はどんな話をしてましたか? その時間に反応が薄くなったらしいのですが……」
 確か、ずっと一緒にいるから絶対帰ってくるとか言って、指きりしたりしたな。兄妹としては当たり前だろう?
 二つの溜息が重なって聞こえた。朝比奈さんと古泉だ。……ダメなのか?
「キョンくんって、本当に鈍感なんですね。わざとやってると思ってたのに……」
 朝比奈さん、そんなに溜息をつかないでください。俺の心が深海よりも深く沈んでしまうじゃないですか。
「ともかく、予定を繰り上げましょう。今のうちに手を打たないと危険です」
 あ~、なんだ。よくわからんがわかった。今すぐに元のハルヒと話をすればいいんだな?

 長門は平坦な口調で、だけど今までに無いほど真剣な表情で言った。
「そう。たぶんこれが最後のチャンス。逃したら二度と涼宮ハルヒには会えない」
 最初で最後か。ドタバタな俺の人生らしいぜ。
「……わたしは、涼宮ハルヒが居る時のあなたの表情がいい。だから……頑張って」
 長門が『頑張って』だと? こいつはますます失敗出来なくなったな。
 人並みに感情の芽生えてきた長門の為に、そして何より俺の為にもハルヒを《妹》という立場から引っ剥がさないとな。
 長門、頼む。やってくれ。
 小さく頷く長門を見た後、すぐに意識が途切れる感覚に陥った。
 意識は途切れているが、どこかに潜るような奇妙な感覚だ。
 とりあえずハルヒ、やっと会えるんだから一緒に連れて帰ってやる。
 話したいこともたくさんあるし……な。



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