4話
 
 
 真っ白な世界にただ一人立っていた。
 なんだよ、これ。まさかハルヒの閉鎖空間で押しつぶされた世界か?
『キョン、楽しい? この世界はさ。あたしは楽しいよ、ずっとあんたと一緒だから……』
 脳に直接響いて来るようなハルヒの声がした。
 まぁまぁ楽しいな。でも、元の世界の方が楽しいけどな。
『そうかな? あたしはね、このままでもいいよ。あんたに告白してフラれるかもしんないなら、妹としてずっと仲良くしたいから』
 そんなこと言うなよな。一緒に授業を受ける日々に帰ろうぜ?
『……じゃあさ、あんたのあたしに対する気持ちを教えてよ』
 そ、それは……。
『答えられないの? じゃあ、そっちの世界でいいじゃない』
 ち、ちょっと待て! おい、ハルヒ!
 
 
 …………夢?
 おいおい、なんて夢を見てるんだよ。
 ハルヒの言葉は俺の夢妄想か? しかも『一緒に授業を受ける日々に帰ろう』だ?
 なんて気持ち悪い人間なんだ、俺は! くそ、死にてぇ!
「あれ、キョン兄、早いわね。何か唸ってた見たいだけど……大丈夫?」
 ん、あぁ。大丈夫だ。
 
「そう? じゃあ今日は早く行きましょ。たまには人の少ない道を通りたいもん」
 あぁ。と返事をして、俺はハルヒと一緒に顔を洗いに下に降りた。
 気にするな、どうせ夢なんだ。また数日したら長門から戻れるって連絡があるさ。
 今は一日一日を楽しみながら消化していくだけだ。
 思いっきり顔に水をかけ、目を覚まして、食事に向かった。
「あ~、キョンくん早い~!」
 よう、妹よ。今日は俺が飛び込んでやるつもりだったんだがな。
「わたしはいつもこれくらい早いも~ん!」
「明日から寝坊しようかな……」
 今、ハルヒがなんか言ったか? 気のせいだよな。
 朝食を素早く食べ終えて、いつもよりかなり早い時間に、ハルヒを後ろに乗せて家を出た。
 ……またか。
「いいじゃない、人少ないんだしさ」
 そうか、ハルヒはこれがしたくて早く出ようと言ったのか。
 ハルヒは昨日と同じように、俺の腰に抱き付いて座っていた。おまけに、背中に顔を埋める感触までついている。
 顔はやめろ。背中がくすぐったいんだが。
「風が冷たいからしょうがないじゃない」
 わかっていたよ。どうせ言っても聞かないってことくらいな。
 そのままハルヒの感触を背中に受けたまま、駅前へと向かって行った。
 俺の背中に埋まったハルヒの表情はどんなんだろうか……? なんてな。
 自転車を降りたハルヒは、何故か上機嫌だった。
 例えばあれだ、いつもより人の少ないハイキングコースで俺の腕に抱きついたりとかな。
「うれしいでしょ、こんなにかわいい妹に抱きつかれてるのよ」
 あ~、はいはい。うれしいうれしい。
「今日は朝から機嫌がいいからサービスよ。いい? たまたまだからね!」
 やれやれ……いったい朝から何があったんだよ。いい夢でも見たのか?
 
 まぁ、いいさ。知り合いは誰も見てないしな。
 そして何より、《兄妹》だからな。これくらいのスキンシップは構わないさ。
 そのまま、知り合いに会う事もなく、ハルヒと話しながら歩き、靴箱で別れた。
 なかなかに有意義な時間……ではなかったが、楽しい時間だったな。
 元のハルヒともこうやって普通の話をしてみたいもんだな。
 そう思いながら、誰もいないであろう教室に入ると、すでに一人の人物が席についていた。……早すぎだろ。
 お早いですね、森さん。
「あ、キョンくん。おはよう……っていうか、タメ口でいいよ? 私、今は学生だから」
 え~と、二人の時も学生モードなんですね。少しは気を抜いていいですよ?
 森さんは満面の笑みではなく、どこか悲しげだが、合宿の時のような微笑みを一瞬だけ見せた。
「やるなら徹底的に、ですよ。それが、仕事でも、恋愛でも……」
 悲しそうな瞳をしていたが、そのセリフを口にした森さんが、素の森さんのような気がした。
「……なんてねっ! 今のはキョンくんへのメッセージだから、考えとくように!」
 ……へっ?
 我ながらマヌケな声が出たが気にしない。
 あんなシリアスな顔から、明るい女子高生の顔に一瞬で変わるってすごいな……。
 だけど、森さんも何か心に隠しているんだろうな。さっきの顔からはその片鱗が見えた気がする。
「おはようなのね、キョンくん。園生ちゃんも。二人で何を話してたの? 怪しいのね……」
 阪中が来た事で話は終わり、仲良く話す森さんと阪中の姿を見ながら俺は溜め息をついた。
 ハルヒ、早く元のお前になれ。そして、お前もこんな風に3人で話したいだろ?
 
 ハルヒがよくやっていたように、窓の外をボーッと見つめた。
 あいつはいつも何を見ていたんだろうな……。
 って、おい。おかしいぞ、俺。何を考えてるんだよ。
 ……悔しいが認めるしかないか。
 俺は、ハルヒに会いたい。元のハルヒにな。
 今の俺は、長門が改変したあの時と同じような感情を抱いている。
 それも、疑いようがない程だ。
 なぜなら、一人で物思いに耽っていると、かならずあいつのことを考えているからだ。
 とりあえず会わせろ。早くしろ、長門。
 その時、教室のドアが開き、宇宙人、未来人、超能力者の3人が顔を出した。
 ……ようやくか。
 
 
 屋上に場所を移してすぐ、長門が頭を下げた。
「わたしのせい。涼宮ハルヒが戻ってくる手掛かりをロストした。もう……ずっとこのまま」
 ……なんだと?
「今日の早朝に手掛かりを見つけたが、掴み損ねた。それからは微小たりとも元の涼宮ハルヒを見つけられない」
 頭に血が昇る、目の前が真っ赤になる。ふざけるな、ふざけるな!
 長門の制服を掴み、体を持ち上げた。
 
 おい、何をしてんだよ。いつもは全てを完璧にこなすくせにこんな時にミスか? ふざけるなよ。
「長門さんは悪くないですよ。やれるべきのことをやったのですから」
 そう口を挟んだのは古泉だった。……何でこいつらは冷静でいられる?
 殴るぞ。やれるべきことをやっただけじゃハルヒは帰って来てないだろ。機関ですら役立たずか?
「僕達は知るだけですから、何も出来ませんよ」
 プッツンときたね。古泉の左頬を俺の拳の限界の力で打ち抜いた。
 ……と同時に、地面に座り込んだ。
 もう……逢えないのかよ……。なんでだよ……ちくしょう……。
 全てを失ったような喪失感だ。ハルヒの形は残っている、俺の妹として。
 だけど、違う。こんな時に気付くのはどうかと思うが、俺の好きなハルヒはいなくなった。
 無くしてわかる大事な人……か。こんなのって無いだろ……。
「古泉、いい加減にしなさい」
 ……森、さん?
 うなだれていた俺の前に座り、頬に手を置いた。
「ごめんなさい、少しやり過ぎました。涼宮さんはちゃんと戻って来れます」
 ほ、本当ですか? でも、長門が……。
「彼女にも一芝居うってもらいました。
 だけど、ここまで徹底的にやって、しかもあなたがこんなにショックを受けるとは思わなかったんです」
 古泉は頬を押さえながら、森さんの横に屈んだ。
「でも、これなら涼宮さんは助かりそうですよ。……あぁ、とりあえず謝ります、試してすみませんでした。
 しかし、本来の彼女を取り戻すには《自分の気持ちに気付いたあなた》が必要不可欠だったのです」
 黙っていた朝比奈さんが喋りだした。
「ほんとは、好きで好きで仕方なかったんですよね、涼宮さんのこと……」
 ……はい。
 
「あなたには、涼宮ハルヒがこの世界に少しだけ、深層に残している彼女と話をして、説得してもらう」
 ハルヒが残している深層部分だと? もう少し詳しく説明を頼む、長門。
「今日の朝、元の涼宮ハルヒがあなたの夢に姿を覗かせた時に突破口を開いた。
 ……だけど、涼宮ハルヒは現状に満足している。あなたの妹という現状に」
 夢……真っ白な世界のあれか。
「そこで、現状よりもいい世界であるようにあなたに説得してもらうわけですよ。
 ……今のあなたなら大丈夫でしょう?」
 結局、俺は試されたわけか。しかも、いろんな奴等がグルになって。
 腹立たしいが……全部、ハルヒを元に戻すためなんだよな。ひいては俺のためか。
 こいつらは、ハルヒが安定さえしていれば元に戻す必要は無いんだからな。
 後は、俺の気持ち一つ……いや、度胸だけか。
 引き受けるぜ。いや、やらせてくれ。今すぐか? 放課後か?
 古泉はゆっくりと立ち上がり、尻をはたいた。
「そう焦らないでください、明日です。明日の夜21時に、長門さんの家に来てください」
 わかった。……っと、そろそろ予鈴がなる時間か。
 
 長門、朝比奈さんと屋上から出て行き、俺は森さんと戻ろうとした。
「大体、お前はお遊びが過ぎます。やはり、上に処罰をしてもらうべきか……」
「あ、あはは……本当に反省してますから。それだけは……森さん、お願いします」
 古泉が正座して、森さんがそれを叱っているのか。こんなに狼狽している古泉は初めてだな。
「あ、キョンさん。先に教室に行っておいてください。私は小一時間程、古泉を説教してから行きますから」
 どこか怖さを含んだ微笑みを俺に向けて、森さんはそう言った。
 古泉からは『助けてくれ』という合図か。
 思い返すと、こいつはやり過ぎたとか言っていたよな、森さんが。
 森さん、岡部には伝えておきますからごゆっくりどうぞ。
 そう言って、一礼をした後屋上をあとにした。
 ふん、古泉にはしばらく厳しく当たってやるからな。
 
 
 屋上から戻り、普通に学校をこなし、ハルヒが迎えにくる放課後が来た。
「キョン兄、帰るわよ!」
 ハルヒがいる。……ヤバい、自分の気持ちに気付いたからか、顔を見るとメチャクチャ恥ずかしい。
 きちんと自分に言い聞かせろ、あれは妹、あれは妹、あれは妹……。
「キョン兄? 具合でも悪いの?」
 ハルヒが近付いて、俺の額に手をつけてきた。
 大丈夫だ、腹減ったし早く帰ろうぜ。
 必死で平常心を保ち、靴箱に向かった。
 もう問題無い。今はまだハルヒは妹だ。そう、明日からは違うと祈っているがな。
 努めていつものように坂を下り、駅前に向かった。
 こいつと過ごす時間も大事にしたい。なぜなら、このハルヒは元のハルヒが隠してる部分だからだ。
 そう思う、じゃない。確信を持って言える。……理由は無いけどな。
「キョン兄! 今日もちょこっと話して帰るわよ! もちろん、キョン兄の奢りでね!」
 
 しょうがないな……よし、行くぞ。
 おてんばな妹のハルヒを連れて喫茶店で話し込み、親から電話がかかるまで笑いあった。
 
 
「う~ん、なかなか楽しい時間だったわ。今日はいいことばっかりね」
 家に帰ってしばらくたった後、ハルヒはこんな言葉を言ってきた。
 そうか、そりゃよかったよ。お前が幸せなら俺も幸せだ。
「え……? な、何言ってんのよ! バッカじゃないの!?」
 恥ずかしがるお前を見るのは面白いな。もっと照れていいんだぞ。
「照れてない! 調子に乗りすぎ! ……もう知らない!」
 そう言い放つと、風呂場に駆け込んで行った。……寝るか。
 特にやることがないから、ベッドに潜りこんで目を閉じた。
 ……出来るなら、今日も夢の中であいつと話がしたいな。
 今なら何でも話せるし、明日までの時間が待ち遠しい。もう、病的に惚れちまったようだ。
 ……悔しいけどな。
 その後、すぐに睡魔が襲って来て、そのまま意識を飛ばした。
 明日で騒がしい朝も終わりだ。……少しだけ遅くまで寝とくか。
 
 

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