「ハルヒ、別れてくれ」
有希が帰った後の文芸部の部室で、夕日に赤く染まったキョンは突然別れを切り出した。
「嘘でしょ?」
この時一瞬にして頭の中が真っ白になった。いつもの席に座ったキョンは申し訳なさそうに目を泳がせている。

あたしは高校二年のクリスマスにキョンに告白をされた。
ツリーやモールが放置された二人以外誰もいない部室で、キョンは何かを搾り出すように告白したことは今でも覚えている。
あたしはその時大泣きした。やっとあたしに近い人が見つかって、その人に女として認められた。それだけで嬉しかった。
それ以来あたし達は校内で誰もが知ってるカップルとなり、キョンとはいつも一緒にいた。そのせいかSOS団の活動も次第に疎遠になり、気づけばみんな結団する前の生活に戻っていた。みくるちゃんは卒業して、有希も文芸部の活動を再開させた。古泉くんは同じクラスの女の子とつき合い始めたらしい気づけば、あたしはキョンとしか繋がりを保てなくなっていた。そして、いつしかあたしは人のぬくもりをキョンに渇愛していた。

「あたしのこと、嫌いになったの?」
もう何が何だかわからなくなっていた。あたしは混乱したまま自分の机を叩いて怒鳴った。
「何でなのよ! あんたはいつもあたしのこと好きって言ってくれたじゃない!」
キョンは俯くばっかりで、一向にあたしの目を見ようとはしない。
「どうして……あたしが何かしたぁ!? ねえ、答えてよ!」
キョンはようやく顔を上げると、唇をわずかに動かしてこう答えた。
「お前は何もしていない。ただ、俺がお前に押しつぶされそうなんだ」
意味が分からなかった。続けてキョンが言葉を発する。
「ハルヒ、お前は何でもできる。勉強もスポーツもできる。音楽だってできる。しかもスタイルも顔いい。お前はこんな俺と付き合っちゃいけない。お前にはもっと似合う奴がいるはず。……そんな気がするんだ」
「あんた、何言ってるの?」
キョンはまた俯いて、「ごめん」とだけ言った。
確かにあたしは色々なことができた。テストなんかくだらない授業を聞かなくても自習で十分点は取れるし、陸上部から入部を懇願されたこともある。ギターは有希ほどじゃないけど、それなりに弾くことだって出来る。でもそれが何だっていうの?
「あんた、あたしが怖いの?」
キョンは何も言わず、ただ災難が過ぎるのを待ってるかのようにじっとしている。
「答えろっ!」
腹の底から怒鳴った。声が校舎中に響きそうだわ。
「お前のことは誰よりも好きだと思ってる。でも、俺はお前には似合わない」
キョンは首を上げて自嘲しだした。
あたしは椅子から立ち上がって、キョンの襟を掴んで問い詰めた。
「今の言葉、あんたの本音なのね?」
キョンは諦めた顔をして笑った。そしてこう言った。
「ああ」
瞬間、あたしはキョンの左頬に張り手をかました。
「見損なったわ。あんたがそこまで普通の人間みたいなことを考えてたなんて」
キョンは何も言わず、左頬をさすっている。
「あんただけは他の人と違うって思ってたのに」
あたしは徐々に涙声になっていった。涙で前がよく見えない。
突然、キョンのポケットから振動音が聞こえた。ポケットから携帯を取り出すと、古泉と表示されている文字盤を見つめてから話し始めた。キョンは終始「ああ」と「わかってる」しか言わないで通話を切った。一度だけ古泉くんの怒号が聞こえた気がする。
「あんた、古泉くんに何かしたの?」
「なんでもない」
そう言うと、キョンはまた俯いた。
「あたしはあんたがいないと生きられない。あんたといつも一緒じゃないと、……寂しい」
自分の目から涙が流れているのがありありとわかった。こんなに泣くのはキョンに告白されて以来だ。
「ごめん」
キョンには何も言わないでほしかった。キョンが「ごめん」と呟くたびに、あたしの心はどんどん壊れていく。
もう何も言わせない。別れようなんていわせない。あたしは自分の唇で無理やりキョンの唇を塞いだ。

何度かキョンと繋がったことはあるけど、今日ほど痛いセックスはなかった。
あたしがどんなにキョンに触れても、キョンはあたしを抱こうとはしない。本来ならあるはずの快感すらも苦痛に感じた。勝手にヤって勝手にイって、すればするほどキョンが離れていく。果てたあたしの頬をキョンは一度撫で、「ごめん」と呟いた。何もかも嫌になって、消えてしまいたかった。

結局処理をした後、あたし達は別々に帰った。下校途中泣くのを精一杯我慢して、あたしは家に着いた。
家には誰もいなくて、テーブルの上に出かけてることを示すメモとラップがかかった夕食が置かれていた。夕食は中途半端に冷えて不味かった。
何もすることもなく自分の部屋に戻ると、ベッドの上で堰を切ったようにあたしは泣き出した。涙が枯れそうなぐらい泣いた。
結局あたしの三年間は無駄だったのかな?
考えれば考えるたびに無常と悔しさが溢れて、まくらをぐっしょりと濡らした。急速に吐き気を催して、夕食を吐いた。吐きながら泣いた。泣いたら咳きこんで、また吐いた。
ベッドに戻って、このままどこかに消えちゃえばいいのにと考えながら寝た。

目覚めると、外はまだ真っ暗だった。おかしいなと思いつつ、時計を見てみると午前二時三十八分十四秒から秒針が動いていない。不思議に思ったあたしは携帯を覗いたが、携帯も画面が真っ暗になっている。いくら電源を入れようとしても画面が点かない。
リビングに行ってみるとまだ誰も帰ってきていない様子だった。ここでも時計を見てみるが、こっちも同じ時間で時計が止まってる。
一瞬あたしの脳内には嫌な夢がよみがえった。一年の時に味わった夢。街の全ての電気が消えて学校の中にとじこめられた夢。
青白く光る巨人が学校を破壊していた夢。そして、まだそんなに気に思っていなかったキョンとキスした夢。
あたしは急いで家の外に出た。予想は当たっており、空は仄暗く街は死んだように電気が消えている。
「これって夢よね」
あたしは自分に言い聞かせるようにして、学校を目指して走り出した。やけに感覚がリアルだから、多分あの時と同じような夢を見ているに違いない。いつも電車で通っているからあまりわからなかったけど、学校へはかなり長い道のりだった。電車に沿って走ったからかもしれない。
校内に入って、あたしは中庭を目指した。あの夢の時、確かキョンは中庭でのびていたはず。だったら、今回もきっとそうに違いない。勝手にあたしは妄想していた。でも、実際は違った。中庭には誰もいない。次にあたしは文芸部の部室へと向かった。だけど、そこにも誰もいなかった。結局学校中探し回ったが、誰一人としていなかった。
あぁ、あたしは本当にどこかに消えちゃったのかな。

あたしが夢を見始めてから数日間、人の気配を一切感じなかった。文芸部を根城にあたしは暗闇と廃墟の中一人で過ごしていた。不思議なことにライフラインは生きていて、またある程度の食料は学校にはあったので、あたしは腹を空かせることはなかったけど。
相変わらず外は暗いままで、太陽を拝んでやろうかしらとずっと起きていたけど光は射さなかった。気づきたくはなかったが、これは夢じゃなくて現実なんじゃないかと薄々感じ始めていた。だってここまでリアルな感覚で、寝たということがはっきりわかる夢なんてありえないじゃない。
どうしよう、このまま一人で死んじゃうのかな。誰か助けに来てくれないのかな。有希とか古泉くんとか。みくるちゃんは無理だわ。あとは……。
突然、廊下から物音が聞こえた。何も音がしない世界で生きていたあたしに、心臓を握りつぶされたような衝撃が走った。
「ってぇ……」
声まで聞こえる。忘れかけた声。忘れてしまいたかったけど忘れたくなかった声。あたしは一目散に部室を出た。廊下では頭を押さえたキョンが制服姿で座っている。
突然すぎたので、あたしは声を出すこともできなかった。ただ、涙と嗚咽が込み上げるだけで精一杯だった。
「ハルヒ……?」
キョンはきょとんとした目であたしを眺めている。あたしは突進するようにキョンに抱きついた。
「いぉん……いぉん、おおいっえあおお」
久々に声を出すので発音が狂っている。
キョンは何も言わず頭を撫で、抱きしめてくれた。そうだ、これはあたしが求めていたキョンなんだ。文句は言うけれどあたしを絶対に捨てない人。
あたしはキョンの腕の中で泣き、何時間もその体勢でいた。やっと見つけた温もり。絶対に放したくない。
「辛かったんだな、ハルヒ」
「うん……うん、うん!」
キョンの胸に顔をうずめながら、いつまでもこの時間が続けばいいと思った。

結局この世に永遠なんてものはなく、食料も底を尽いて水だけの生活になっていた。キョンは一向に顔色一つ悪くさせないのが変だったけど、あたしは栄養失調気味でもう動けなくなっていた。
「キョン……あたしもう、寝ていいかなぁ?」
ぼやけた目でキョンを見ると、キョンはにっこりと笑ってくれた。
「あぁ、おやすみ」
あたしは静かに目を閉じ……

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