ジリリリリ……うるさい
ドタバタガチャ
「おっはよーキョン君!」
……。
「朝だよー!」
……うるさいな。
「早くー! 早く起きてー!」
……妹よ、兄は眠いのだ……だからそんなにって妹!?
ガバッ
「とーう!」
ゴチン
「いったいなーキョン君!いきなり起きないでよ!」
妹はこれでもかとほっぺを膨らませる。
「……お前が俺にダイブしてくるからだろ」
それにしてもこれはマジで痛い。
「キョン君朝だよ!」
妹のほおは風船状態を維持したままだ。
「わかったわかった、俺が悪かった。後でお菓子買ってやるから許せ」
そう言うと妹は口の中の空気を吐き出す。現金な奴だなまったく。
「うん♪ 約束だよ! 守らなかったら、」
「守らなかったら?」
俺の心配を見事に裏切る言葉を妹は宣った。
「死刑だから♪」
「……へいへい」
ベッドの上で呆れはてている俺を残し、悪戯を成功させた子どものように満足気な笑みを浮かべて妹は部屋を出ていった。
まったく、あいつまでハルヒのアホ電波に侵されつつあるのか。
あいつにだけはいつまでも純粋なままでいて欲しかったのにな。
いや、そこに朝比奈さんも加えておこう。
などとそんな些末な問題はどうでもいいとして、俺はやはり当然の疑問を思い浮かべる。
 
ここは本当にハルヒの夢の中なのか?
 
まあ夢と呼ぶにはあまりにもリアリティがありすぎるのだが、恐らくそうなんだろう。
いや、夢じゃなくて仮想現実空間か。
それに、あっちの世界での出来事を俺はしっかりと鮮明に思い出せるし、あっちのほうが全部夢でしたなんて到底思えんしな。
そういえば、俺の魂とかを連結処理してる最中の長門の言葉によると確か、俺をこっちの世界の俺と同期させるとか、っ!!!
 
途端に激しい頭痛に襲われる。さっきの妹の頭突きの何倍にもなる痛みが俺の頭を襲う。
 
くそ!? いったいなんだってんだ!?
 
加速気味に増し続ける痛みによって俺の意識はまたもや暗闇の中へと導かれた。
何だ、これは?
ハルヒと、俺か?
ここは、部室か?
二人きりだ。
俺がハルヒに何か喋って。
俺はやけに真剣な顔で。
ハルヒもやけに真剣な顔で。
俺が喋り終わって。
ハルヒがいきなり俺に抱きついて。
とても、幸せそうな顔で……。
 
場面は目まぐるしく変わっていった。
 
そのほとんどが俺とハルヒの二人きりでの……まあなんだ……世間一般でいうデートってやつだろう。
そんな何日、何週間、何ヶ月分かにも思われるこちらの世界の俺の記憶が、断片的な映像を伴いながら俺の頭に流れていった。
 
意識が覚めると思っていたよりも全然時間は経っていなかった。
目覚ましをセットしていたのが七時で、今の時刻が七時七分。
妹とのやりとりが二分だったとしても、ついさっき見た映像がたったの五分程度だったことになる。
 
俺は、俺のままか。
 
こちらの世界の俺の記憶は手に入れたが、こちらの世界の俺の意識はない。
そこは長門が手を回したんだろう。
こっちの俺の意識と俺の意識がごっちゃになったりしたらいろいろとまずいものがある。
それに多重人格なんて特異なプロフィールを履歴書に書いてもマイナス効果しか生まないだろうしな。
そこまで考えて時計に目をやると長針は2と3の間あたりを指していた。
そろそろ学校に行く準備をしないとな。
この長針が6を指すころになるとハルヒが迎えに来る。
どうして分かるかって?
朝方の超頭痛の見返りとでも言えばいいのだろうか。
加えて、その超頭痛とやらは事のついでに難易度MAXの懸案事項も運んできてくれた。
情報の不足を庇護としない俺にとって、情報がありすぎるのはいらぬ心労が増えるだけで困りものなんだがな。
それでも知らないよりかはマシってもんか。
心の準備とかは必要だからな。
 
ガチャガチャ
ピンポーン
 
順番が逆なのはご愛敬。いよいよハルヒ様のご登場だ。
 
ピンポンピンポンピンポーン
 
わかったわかった今開けるからそんなに鳴らすなアホハルヒ。
 
ガチャ
 
「遅いわよ。ア・ホ・キョ・ン」
こいつどこまで地獄耳なんだ?
「あたしをアホ呼ばわりするなんていい度胸じゃないの」
ハルヒは怒ったようなにやけたようなどちらともつかない表情だ。
「何の話かね?」
作戦白を切る
「わかったわかった今開けるからそんなに鳴らすなアホハルヒ」
作戦失敗
「ふふん♪ 罰ゲームは何がいいかしらね」
罰を受けなければならんほど俺はヒドいことを言ったのか?
なんて、そういうわけではない。
こういう時はたいていお決まりのパターンがある、とこっちの俺の記憶が言っている。
罰と呼ぶに相応しいかどうかは甚だ疑念が尽きないのだが、この俺にとっては結構な羞恥プレイと呼べよう。
そんな俺の心配を余所に、ハルヒ裁判長から冷酷な判決が下された。
「それじゃあ罰として、あんたからあたしにキスしなさい! もちろんいつもの普通のじゃなくて大人のキスよ!」
懸案事項が現実のものとなってしまったようだ。
ハルヒは俺の目を見つめながら唇をアヒルのようにした。
俺はとりあえず、考えておいた言い訳を言ってみることにした。
「えーとだなハルヒ。今日はその、歯磨きをし忘れたんだ。だから、キスはしないほうが……」
ハルヒの疑惑満載の眼差しに堪えきれなくなり俺は途中で言葉を切ってしまった。
「本当に?」
ハルヒの疑惑の眼差しは依然として俺の目を捕らえている。こういうときは視線をそらしてはいけない。
「ああ、本当だ」
俺は堂々と言い切った。
相手がハルヒとはいえ、一女子高生に「俺は今朝歯磨きしてません」と堂々と言い切るのも我ながらどうかしているな。
「あーん」
「へ?」
いきなり何だ?
「あーん!」
「は?」
「だ・か・ら! 口開けろって言ってんのよ!」
うっ、それは、ちょっと、なあ。
と俺がいつぞやの、いやついこないだのハルヒのごとくもがもがしていると、ハルヒはかなりの至近距離まで顔を近付けてきた。
「どうなのよ!?」
近い。とにかく近い。
「あの、ハルヒさん?近すぎやしませんかね?」
まあここで俺が喋っちまったのはどう考えてもミスだったわけだ。
「全然臭くないじゃない。むしろいい匂いよ」
そりゃあまあ実を言うと、歯磨きだけは念入りに二回もしてきたからな……て、そんなことよりこの状況はまずいんじゃないのか?
いつの間にかハルヒの両腕が俺の首に巻き付いてるし、何より近い! 近すぎたろ!
「いっつもやってるでしょ? あんただって好きじゃない?」
うっ、そんな甘い声を耳元で囁くな。それにその小悪魔的な表情も反則だ。
結局俺はハルヒに見事に乗せられて、朝っぱらから自宅の玄関先でディープなキスをするまでのテンションになっちまっていた。
「ふふん♪」
ハルヒは勝ったとばかりに鼻を鳴らし、今度は目を閉じて俺を待った。
……覚悟を決めるか。
さっさと済ませて出発せにゃ遅刻しちまうしな。それにもしかしたらこれであっちに帰れるかもしれない。
などと余計なことを考えているうちにハルヒの唇はすぐそこまで迫っていた。
あと5センチ
4センチ
3センチ
2センチ
1センチ
0セ…
 
っっっ!!? またかよ!?
 
俺は本日二度目のマジで笑えない怪頭痛に襲われた。
痛い。マジで痛い。さっきよりは幾分かマシになっているが十分痛い。
ていうかいつの間にか真っ暗だ。
何だ? こっちの俺の記憶の第二波でも来るってのか?
……うぇ、吐きそう。目眩もしやがる。
それにこの空間把握能力の著しい欠如といったらないね。
もしかして時間跳躍の真っ最中なのか?
いや、さすがにそれはないか。
こっちの世界では朝比奈さんにまだ会ってすらいないし、あの人がさっきまでの俺とハルヒの状態を見たらTPDDどころじゃないだろうからな。
いやでも朝比奈さん(大)という可能性も――うおっと!?
 
今回は濃縮型記憶映像を見せられるわけではなく、なんだかよくわからん所に着いた。
ここはどこだ?
 
俺は辺りを見渡し周囲の様子を確認した。
 
そこそこ大きい交差点、天気は雨、辺りは暗い。
 
加えて軽い既視感。だが俺のこれまでの人生に於いて、こんな所に来たことはなかったような気がする。
なんだってこんな所に飛ばされたんだ?
と、ちょうど俺の立ってる場所とは対角に位置する交差点。
 
ひどく夢遊病の様な顔をしているハルヒがそこにいた。
ハルヒはずぶ濡れの格好で一人ひたひたと歩いている。
 
あいつ、どうしたんだ? ていうかあいつまで飛ばされたのか?
そういや俺全然濡れてないな。
 
俺はそう思い、それについて考えこむあまり、ハルヒに声をかけるのも、駆け寄るのも忘れていた。
そして、そんな俺の気も知らないハルヒはただただ歩を進める。
一つ目の交差点を渡り切り、二つ目の交差点もそのまま渡り切ろうとした。
そのまま渡り切れば、俺とご対面する予定になっていたのだが、そうはならなかった。
 
ハルヒは何を思ったのか、横断歩道のど真ん中で立ち止まりそこから一歩も動こうとしない。
何やってんだあいつ?
そう呑気に考えている場合じゃなかった。
信号が点滅を始めすぐさま赤に変わった。
ここでようやく俺は微弱な危機感を覚え、ハルヒに声をかけた。
 
おいハルヒ!何やってんだ……て、あれ?
 
俺の口は見事なまでにパクパクするだけで、実際の音を伴わなかった。
 
くそ!? 何だこりゃ!?
 
ハルヒのもとへ駆け寄ろうとするが、それもかなわない。
去年朝倉から受けたあの反則攻撃ばりに俺の体はビクともしなかった。
 
何だってんだ? 一体何なんだこの状況は?
いや待て、冷静になれ。そして状況を把握しろ。
まず、俺の体は動かないし声も出ない。理由は解らん。
ハルヒは俺の目の前で道路のど真ん中に突っ立っている。これも理由は解らん。
幸い車は来ていないようだ。
いや、今来た。
シルバーのワゴン車。
大丈夫、さすがに雨の中とはいえドライバーさんも道路のど真ん中に棒立ちするハルヒを視界に捉えないはずはないし、まだあんなに遠くだ。
だから、
『……とうに…そうお……のか』
あ?何だ?
ハルヒ、ではない。ハルヒは依然として棒立ちで俯いたままだ。
だが確かに声が、
『ほんとうにそうおもうのか』
やっぱり聞こえてくる。
どうやら幻聴ではないようだがこの状況下で一体誰が、
『本当に、そう思っているのか?』
大分はっきり聞こえるようになってきた。
この声……どこかで聞いたことがあるんだが、どうにも思い出せん。
しかも、質問自体ワケが分からんし、喋れないから返事もできないときた。
『車は止まらないぞ』
いきなり何だ?
車が止まらないだって?
バカ言うな。どこの世界に好き好んで人をはねるドライバーがいるってんだ。
寝言は寝てからにして欲しいもんだね。
『とぼけるのもいい加減にしろ』
……何が言いたいのかさっぱり分からんね。
主語と目的語くらいつけてくれよ。
『お前が原因なんだ』
俺が? 何の?
ていうか何で会話が成立してるんだ?
こいつ読心術の心得でもあるのか?
『お前がハルヒを追いつめた』
……お前一体誰だ?
体裁だけは取り繕っているつもりだったが、俺の胸中はこいつの言葉に確実に荒らされていた。
 
『俺は、』
プーーーーッ!!!
突然の轟音に俺は心底驚いた。俺は音源へと目を向ける。
なっ!
それはあの車だった。車はスピードを落とさないどころかハルヒめがけてばく進していた。
まさか……!
謎の声の野郎の言ったとおりの展開になりかけていた。だが、俺にはただ焦るだけしかできない。
おいハルヒ! 何ボサッと突っ立ってんだ! 俺の焦燥に反して声は出ないし、
くそ! 動け俺! 動けよ俺の足! 体もまったくもって動かない。
わけが分からん! 何だこれは!? 俺に何しろってんだよ!?
プーーーーーッ!!!!!
ハルヒと車との距離はもう10メートルもない。
ハルヒ!
「……」
整ったハルヒの顔が、一瞬、無機質な前照灯で彩られた。
ぶつかる……俺が諦めかけたその時、
『有機生命体用即席媒体の構築完了』
この声は!
『情報投射完了』
「長門!」
『声』
「え?」
『声を』
「あっ……声が」
『早く、急いで』
スゥッ
「ハルヒ!!!」
俺は今までにないくらいに全身全霊を込めてハルヒの名を叫んだ。
「!!? ……キョ……ン?」
ハルヒのいろいろな感情が交錯した複雑な眼が俺の眼をとらえた。
俺は安心した。
これで今回の事件は万事解決。ハルヒがひかれなければ、俺がわざわざハルヒの心の中に潜り込む必要もなくなる。
ほら見ろ、車も今に止まって……て、何でだ?
何で車が止まらないんだ?
おい、ハルヒ……っ!
俺はハルヒの眼を見て全てを悟った。
お前……何だその眼は!?
ハルヒの眼差しの生ずるが所以を俺は知っていた。
例えて言うならシャミセンvsライオンのデスマッチでいうシャミセンのほう。
我ながらいい例えだ。
シャミセンならライオン相手に恐怖におびえることはないだろう。きっとあいつなら諦めの境地にでも達して冷めた眼でもするんじゃないか?
今のハルヒはまさにそれだった。
絶対的な死の前にあらがうことももがくこともせずに、ただそれを受け入れんとする。
ハルヒはそんな眼をしていた。
 
させるかよ。
どうやら、俺が叫ばなければならないのはハルヒの名前だけではないようだ。
おそらく――ハルヒはひかれる。
ハルヒの中の常識論がそう叫んで仕方がないのだろう。
もう間に合わない、と。
だが、そんなことはさせん。命だけは、つなぎ止めなきゃならん。
そう考えると、俺が叫ぶべき言葉は自ずと浮かんだ。
スゥゥゥッ
「死ぬなハルヒ!!!」
俺の言葉にハルヒの眼の色は確かに変わった。
少し直接的過ぎたかな……っと、これは……。
 
車は勢いをそのままにハルヒにぶつかろうとしていた。
だが、俺がその瞬間を見ることはなかった。
ハルヒと車がぶつかる、その瞬間に俺の視界は黒に染められたのだった。

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