ある寒い雨の日のこと。

――涼宮ハルヒ――

今日あいつは学校を休んでる。
SOS団団員としてあるまじき行為だわ! なんて、言っても虚しいだけ。
風邪で休みなんてたまにはあるものね。
あたしは部室のドアを開ける。特別ワクワクするようなことがあったわけでもない。
ゆっくりと開けたドアの先には、古泉君が笑顔で迎えてくれた。
古泉君はどうしていつも笑顔なんだろう?
あたしも女だし、古泉君のことは格好良いと思うわ。笑顔も素敵だしね。
でも、どうしてあんなにニコニコしていられるんだろう? あたしならムリね。

あたしはいつもの場所に座り、頬杖をついて、古泉君をじっと見る。
綺麗な横顔。確かに、そういう意味では特別な人なのかも。
「どうしたんですか?」
古泉君は隙の無い笑顔であたしに話しかけてくる。
「なにか僕のことを見ていたようですから」
やばっ! ずっと見てたのがばれちゃったみたいね。
なにか気恥ずかしい思いであたしは、古泉君に言い訳を言ってみせる。
「そうですか」
古泉君は納得したようで、ゆっくりと頷いてくれた。
「涼宮さんは夢、っていうのはあるんですか?」
古泉君はゆっくりとあたしに訊いてきた。
夢? そんなの決まってるじゃない! あたしは楽しく生きたいの。
人とは違う、特別で、毎日がワクワクするような日常。
「ははっ、叶うといいですね」
もちろんよ! 叶うに決まってるじゃない! なんて、強がっても虚しいだけ。
高校に入ってから、あたしの願いは叶ってないもの。
あたしは古泉君の夢も訊いてみる。なんとなく、訊いたほうが良い気がしたから。
「学者になることですかね」
何の?
「物理、主に宇宙の研究をしたいんです」
それなら、もっともっと勉強しなきゃね! SOS団としても博士が一人はいたほうが面白いわ!
「そうですね」
古泉君はまた整った笑顔を見せる。
みくるちゃんは今日は来ないのかな? そういえば有希は?
「来られないようですよ」
古泉君によると、あたしが来る前にみくるちゃんは部室に来て、今日は出れないって言って帰ったみたい。
有希はいないってことは来てないってことだわ。
「涼宮さん、今日は誰も来ないようなので帰りませんか?」
あたしは頷く。どうせ座ってても意味ないし、帰ったほうがましだわ。
あ、傘もってきてない! なんで午後になって急に降ってくるのよ!
天気予報士は降水確率10%って言ってたのに!
気象庁は即刻解体すべきだわ! 職員室に行って、がめてこないといけないじゃない!
「あ、今日は傘を持ってきませんでしたね」
あら、古泉君も持ってきてないのね。二つあると良いんだけど。

――古泉一樹――

今日、彼は休みのようです。
最近流行の風邪ですかね。涼宮さんの機嫌が悪くならないと良いのですが。
でも、彼にもたまには休養が必要でしょうから、咎めるのも酷ですね。
僕は部室で涼宮さんが来るのを待っています。
先ほど朝比奈さんがいらして、今日の部活は参加できない旨を伝えて、帰られましたから、
それを涼宮さんに伝えて今日は解散ということになりそうです。
ゆっくりと開かれるドア。涼宮さんが部室に入ってきます。
精一杯の笑顔で、彼女を迎えます。
僕も男ですから、涼宮さんのことは綺麗だと思います。憂鬱そうな顔もお似合いですしね。
僕は以前から涼宮さんに密かな恋心を抱いていました。

涼宮さんはいつもの団長机に座ると、頬杖をついてぼんやりと僕を見つめていました。
僕は極力気にしないように、視線を宙に泳がせました。
でも、この日は涼宮さんのことが気になって仕方がありませんでした。
僕は、無意識に涼宮さんに話しかけてしまいました。
「え、な、なんでもないわよ! ちょっとぼーっとしてただけよ!」
僕は涼宮さんの言葉に頷きます。慌てる涼宮さんは、僕の好きな彼女の中の一人です。
何を話すわけでもなく、時間は悪戯に過ぎていきます。
でも、僕はこうやって涼宮さんと時間を共有しているという事実がとても嬉しかったのです。
そして、僕は涼宮さんに話しかけます。夢、というのは涼宮さんにとっても退屈なものではないでしょう。
「世界があたしを中心に回ること」
予想通りの答えを返してくれます。しかも、とても繊細な笑顔で。
「古泉君は夢ってあるの?」
これは予想外でした。涼宮さんが訊いてくることなんて初めてでしたから。
僕の夢。それは学者になることでした。宇宙について研究して、未知を探求する。とてもワクワクすることです。
でも、僕の夢は変わってしまいました。仕方がないんですがね。
「それなら、もっともっと勉強しなきゃね! SOS団としても博士が一人はいたほうが面白いわ!」
涼宮さんなりの応援なんでしょうね。
好きな人に夢を応援される。これ以上ない幸せのように思えました。
「そういえば、みくるちゃんは今日来ないの? それに有希も」
朝比奈さんなら今日は来ないようですよ。
これで涼宮さんとの時間は終わりになりそうです。
あ、今日は傘を持ってきていないんだった。突然の雨ですから、用意をしていませんでした。
「あら、古泉君も持ってきてないのね。職員室に行って、がめてから帰りましょ」
僕は涼宮さんの意見に笑顔で頷いて、立ち上がりました。

――涼宮ハルヒ――

職員室に行って、傘を取ってきた。
でも、傘は一つしかなかった。古泉君と二人で相合傘で帰るのもなんだか気が引けるわね。
「あ、いいですよ。僕は濡れて帰りますから」
古泉君はいつもの笑顔でそう言ってくれた。でもね。

あたし達は校門を出る。
雨脚は強まって、地面でむかつく音を立ててる。
古泉君は隣で歩いてて、鞄を盾に雨を防いでいるけど、全然意味がないみたいね。
「あ、すみません」
あたしは結局古泉君に傘を差し出した。
そして、そのままあたしは走り出した。なんだか気恥ずかしくて。
なんであたしはこんなことやってるんだろう?
「あの、涼宮さん!」
古泉君が後ろから追いかけてくる。あたし足には自信があったのにすぐに追いつかれてしまった。
走ったせいで、水がはねてあたしの背中にかかった。そして、古泉君はあたしの腕を掴むと、
「傘、いいですよ。一本あればなんとかなります」
そう古泉君息を荒げながら笑顔で言って、あたしを傘の中に入れてくれた。
「駅までですからすぐですよ」
古泉君はゆっくりと歩き出す。あたしを傘に入れたままで。
あたしの左側を歩く古泉君。あいつより大きくて、あいつより格好良い。
古泉君が持ってくれてる傘はサイズが足りないみたいで、古泉君の左肩はびしょびしょになってた。

でも、あたしは何も言えなかった。

ゆっくりと歩く古泉君。それでも歩幅が広くて、あたしは1.5倍のテンポで歩を刻む。
横で白い息を吐く古泉君を見て、自分の吐く息が白いことに気付いた。
あいつより大きくて、あいつより格好良い。

――古泉一樹――

涼宮さんに連れられて職員室に向かいますが、あいにく傘は一本しかありませんでした。
相合傘なんてのはできませんから、僕は濡れて帰ることになりました。
僕は涼宮さんに大丈夫です、という旨を伝えると、
「あ、ごめんね。ないみたいで。まったく、全然役に立たない学校ね!」
少し遠慮がちな目を見せた後、またいつもの怒り顔に変わります。
くるくると目まぐるしく変わる涼宮さんの表情は見ていて楽しいです。

僕達は校門を出ます。
傘が一つしかありませんでしたので、必然的に涼宮さんが差すことになります。
僕は鞄を盾に、冷たい雨を防ぐことにしました。
でも、突然涼宮さんはビッと腕を伸ばすと僕に傘を渡してきました。
僕はとっさのことになぜか謝ってしまいました。
涼宮さんは無言のまま急に走り出しました。しかも、もの凄いスピードで。
僕は彼女を追いかけました。女の子に傘を渡されて、そのままなんて男がいたら死んだほうがいいですからね。
涼宮さんの足が速い、といっても彼女は女性です。
機関でトレーニングを受けている僕はすぐに彼女に追いついてしまいました。
僕は彼女の腕を掴むと、(涼宮さんの腕は細いものでした)
気が動転していたのか、とんでもないことを口走ってしまいました。
「え!?」
涼宮さんも驚いているようです。目を伏せ、僕と目を合わせようとはしません。
僕はこのままいってもいいのではないかと思い、できるだけゆっくりと歩き出しました。
涼宮さんの歩調に合わせるようにゆっくりと。
傘は僕達二人を入れるには小さくて、僕の左肩は濡れていました。

こういうのを男の勲章って言うんですよね。

――ふたり――

「ごめんなさい。涼宮さんが濡れてしまいましたね」
「全然。こんぐらい大丈夫よ!」
「そうですか」
「あ! あたしこの後寄るところがあったんだった!」
「傘はどうしますか?」
「よかったら貸してくれる?」
「もちろんです」
「ビショビショに濡れて行ったら迷惑だろうしさ」
「そうでしょうね」
「それじゃあ、また明日」
「はい、それじゃあ。また明日部室で」
「………」
「………」
「………」
「明日はワクワクするようなことがあるといいですね」
「そうね! それじゃあ!」
「さようなら」
「じゃーね!」

――涼宮ハルヒ――

あたしは古泉君から傘を渡してもらうと、走ってあいつの家に向かった。
あいつはきっとあたしを待ってるに違いないわ!
『なんで来てんだよ! 風邪うつったらどうすんだよ!』
『どうでもいいでしょ! そんなこと!』
『たく、でも、ありがとな』
『あんたに感謝される筋合いはないわよ!』
『まったく、どうしてお前はそう素直じゃないんだ!』
『お互い様じゃない!』
『『まったく、全然解ってねえな(ないわね)!』』
なんてね。

古泉君はあいつより大きくて、あいつより格好良い。
でも、あたしは。あいつが好きなの。
なぜかは解らない。ただ。好きになっていた。

あたしは水をはねさせないように丁寧に走る。
あいつの待つ、あの家へ。

あたしは、キョンに会いたいの。

――古泉一樹――

涼宮さんがどこに行くかは解っていました。
風邪をこじらせた彼の家へ様子でも見に行ったのでしょう。

でも、先ほどの十数分、彼女は僕のものでした。
整った横顔に、まっすぐな黒髪。長く反り返ったまつ毛。
彼女を形容するに足らない言葉が、ひどく頼りなく見えます。

僕は心に少しの高揚感と、深い絶望を感じながら電車に揺られます。

僕の意思とは無関係に進んでいく電車に自分を重ねながら、
僕は目を閉じ、涼宮さんのことを思い出すのです。




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