秋の放課後、私は一人部室から窓の外を眺めていた。

角度のせいで、グラウンドはまったく見えずガラスの囲いに区切られた空
だけがゆっくりと流れている。

『みんな薄情よね、せっかく団長が戸締りするって言ったんだから、待っ
ててくれてもいいのに』

などとついさっきの行動と矛盾した思いを抱きながら私は、パイプ椅子より
はましといった安っぽい回転椅子にアグラをかいていた。

ぼうっと茜色の空を見ているとふとさっきの事が思い出される。

何故言ったかは解らない唯そういう気分だったとしか言いようの無い位に、
些細なことを私は言ったつもりだった。

「今日は、私が戸締りして帰るわ」

皆の動きが一瞬だけ止まり、こっちを向く
一人は無表情に、もう一人は何時もの微笑に少々の困惑を交え、
もう一人も狐につままれたような顔をして
そして、あと一人は興味なさそうに面倒くさげな顔をしていた。

「どうしたんですか涼宮さん、私今日は別に用事なんてないですよ」

と言う、みくるちゃんの戸惑いに満ちた声が私には無性に腹立たしい。
別に変なことを言ったわけじゃない、ただちょっとした親切心で言った
事に何故疑念を持たれなければならないのか、そりゃあ私はいつも
傍若無人な振る舞いをしているかもしれないわよ、でも親切で言った事
を疑われる程の悪人じゃあない。

「何、私がそんな事言ったら変なのかしら、そりゃあ――」

「おいハルヒ、朝比奈さんはそんな意味で言ったんじゃない、そう
ケンカ腰に言うこともないだろ」

若干のあきれと怒気とを含んだ声が遮る。
またか、なんで私がみくるちゃんに突っ掛かるときだけこんなに
反応が速いのよ、いっつもぼけっとしてるくせに。

「解ってるわよ、とにかく今日は私が戸締りするからさっさと
帰りなさい。」

そのまま私は憤然として椅子に座り外を向く。
キョンの半ばあきれたかの様なため息が聞こえ悲しかった

そしてそれから私はずっと空を眺めてる。

青と白のコントラストが気が付いたときにはもうすでに黄昏時に
変わり、小春日和の温かさも消え失せ少し肌寒い。

何故――
私はキョンを愛してる。
この世界中で誰よりも。
なのに何故キョンは私に優しくさえしてくれないの、ううん違う
キョンは優しい、でもそれは社交儀礼的な優しさ。
私はそれ以上が欲しい、誰にでも与えられる優しさじゃない、
慈しんで、愛して、抱きしめて欲しい。

でも違う
『私じゃない』

私は椅子を回し誰も居なくなった部室を眺めた。

そうすると地味な色彩の部室の中で一際異彩を放つ場違いな服の
数々が嫌でも目に入る。

あの女、あの女だけがキョンのトクベツな優しさを受けている。
今日の事を思い出すと、そう思えてしまう
でも、そんなことある筈がないキョンがあんな売女に惹かれるなんて、
ただちょっと欲望持て余してあのいやらしい身体が気になるだけ、
キョンも男の子だしね、でも結構傷付いちゃうよ私スタイルには
自信あるのに。

あの夢、ううん夢じゃない、だって今でもはっきりと覚えてるもの
キョンに握られた手の暖かさ。
抱き寄せられた肩の感触。
そして――
奪われた私の唇
目が覚めたときは戸惑ったけど、私には解るあれは夢なんかじゃない。
何故と言われると返せないでも解るあれは、現実。

私は一人納得し、カバンをとって部室を出た。

茜色の光に照らされながら、私は一人坂道を下る。

もし…もし横にキョンが居てくれて手をつないで一緒に帰れたら等と
妄想する、ただそれだけで胸が熱くなる。

『ああだめだ、一人だからって』

私は妄想を振り払い景色を見ながら歩みを進める。

ふと、土手に彼岸花が群れて咲いているのが目に留まった。
嗚呼そういえばもうそんな季節なのかとちょっとした感慨に浸りながら
花々に近づく群れて咲いている彼岸花の中には、まだつぼみであったり
頃合を過ぎ紫がかって白んでいる物もあった。

私は無意識の内にその中で一番綺麗に咲き誇っている者を捜し、それに
目をやった。
細く華奢な花弁が魅せる儚さ、紅と豊かな弧が描き出す妖艶さに、私は
しばし見惚れた。

妖艶な肢体、庇護欲をそそる華奢さどちらも私が持ち得ようのない魅力。

しかしそれを両方持っている女の姿が脳裏に浮かぶ、朝比奈みくる、
あの女の姿が――
あの売女どうせあのいやらしい身体でキョンを誑かそうとしてるんでしょうけど、
キョンはあんたみたいな卑しい女なんて相手にしないのよ、今かまってもらえて
るのはキョンがどうしようもなく優しいから、無視したらあんたがあんまりに哀れ
で可哀相だからよ。

そして彼岸花とあの女のイメージが重なる、すると何故だろうつい先程まで美しく
見えていたものが急に吐き気を催す程、醜悪で邪悪な物に見えてくる。

私はその一番に咲き誇っている彼岸花の茎に手をかける。
たいした力をいれずとも茎はポキンと心地よい音を響かせ折れた。
そして茎からは毒が一滴零れ落ちる。
まるであの女そのもの、私には解るどんなに上っ面だけ取り繕っても
あの女は異質。
汚らわしい。何よりそんな女がキョンに媚を売っているのが気に入らない、
おまえなんか場末の浮浪者がお似合いだ。

手に持っていた花をぱっと離す、それは空気の抵抗を受けゆっくりと
アスファルトの上に落ちる。
私はそれを下卑た眼差しで見つめながら、革靴の上からでも潰れる感触
が解る位にゆっくりと嬲る様に踏み潰す。
水気のある気持ち悪い感触が足下にひろがる、侮蔑がさらに大きくなり
私はそれを足で磨り潰す。
何度も何度も何度もあの女の顔を其処にうつしこんで。

そうして気がついた時には、それはもはや原形を留めておらず、紅と緑とが混じった
良く解らないモノとなっていた。

その無様で醜い姿をあの女に結びつける、すると自然と笑みがこぼれて来る。

あんまりしつこいならあの女もこうしないとね、でないとキョンが可哀想だもん。

清々しい気分で私は薄暗くなった坂道を下り家に帰った。


次の日、私は何故か早くに目が覚めていた。
時計は未だ五時にもなっていないが不思議と頭がぼやけ
もう一度寝ることも出来ずリビングのソファに腰掛けていた。

風邪を引いたのだろか――
そう思い私は戸棚に入っている古い体温計を手に取り脇に挟む。

体調を崩す心当たりがなく半ば暇つぶし程度に計ったのだが
しばしの後、その古びた体温計のちらちらとした水銀が指し示している
数字は38.5℃、疑いようもなく風邪を引いたのだろう。

しかし、私はその事実をさして辛い物とも思わずむしろ小休止が取れる事
を嬉しく思っていた。

昨日ああも煮え滾っていた嫉妬の感情はひどく遠いものに思え、ただ私は
呆けた頭で朝の静けさに身を委ねた。
薄いカーテンを透した淡い光が喧騒のない朝をより美しいものに演出する。


しばらくすると母が起き、私は風邪を引いたので今日は学校を休むという旨
のことを言うと、母は市販の風邪薬と水枕を寄越し学校に連絡するといって
私を部屋に戻す。
さして辛そうにもない私を医者に診せるまでもないと判断したのだろう、
年甲斐もなくはさびしさを感じつつ薬を飲みベッドに潜った。

次に目が覚めたときも少々の驚きを持ってだった。
理由は簡単、時計の指示すもうすでに四時を過ぎていたから

良く眠ったなあ、という妙な感慨とともにその時間が私に一抹の憂鬱を与える。

キョンはどうしているんだろう。
部室であの女の淹れたお茶をのでいるのかなそれとも部活はせずにもう帰った
のかな。
私は少々の期待を持って、充電器に入った携帯電話をとり何か来ていないかを
確認する。
けど結果は着信0件と「新たなメッセージはありません」という虚しいもであった。

寝る前は不思議に泰然としていた感情も剥がれ落ち、私はただ落胆の感情と共に
ベッドの上で膝を抱えて沈み込む。

カーテンを閉めているせいか、陽が上がっているはずなのに部屋は気持ちの悪い
暗さに包まれ、鬱陶しい外の喧騒と半端な静寂が脳をなでる。

気持ちが悪い、吐き気もする。
今朝から何も飲んでいないからかひどく口の中が渇く、そういえばおなかも空いた。
母は何か作ってくれているかな、いや忙しいあの人のことだ何もしてくれてはいな
いだろう。
けどせめてこの渇きだけは何とかしよう、そう思い私は重い体を上げリビングに向かった

案の定、流し台は綺麗なもので昨日からまだ一度も使っていないのが見て取れる。

ピンポーンー

静寂の中に電子音が鳴り響く
誰だろう宅配便かなにかかな、
普通は出るのが筋なのだろうが私はどうにもそんな気力が出ず、それを無視し冷蔵庫
のドアに手を伸ばした時

「おーい、ハルヒいないのか」

伸ばしていた手が急に止まる。
あの声間違いないキョンだ。でも如何して、
もしかしてお見舞いに来てくれたの?

もう一度電子音が響く

はやく、はやく出ないとでも寝てたから髪の毛ぼさぼさだし、服だって
でもそんなことしてたら帰っちゃうし

「いないのかー」

あーもう、私はもう気が付いた時には玄関のドアを開けていた。

「よう、見舞いに来たぞ」

と言い、キョンは優しい表情で手に持ったビニール袋をこちらに差し出す
「あ…ありがとう」
恥ずかしくて私は蚊のなく様な声しかでず、急いでビニール袋を引き取る。
重い、中を見るとスポーツドリンクと果汁100%のリンゴジュースが入っていた。

「せ、せっかく来たんだから上がっていったら、私調子そんなに悪くないし」
今度はさっきより大きな声で言えたと思う

「そうだな、ちょっと上がらせてもらうよ」

多分私はこの一週間いや一ヶ月で一番いい顔をしていただろう。



私はすぐにキョンをリビングに通した。
さすがにいきなり部屋にとはいかないし、

キョンに何か出さないと、でも何も無いし今もらったばっかりの出すのも
失礼だし、インスタントコーヒー位しかないやキョン、インスタント飲む
のかな。
私は一応インスタントをそれなりのティーセットで飾り、クリームとスティックシュガー
を添えてキョンの前に出した。

「ありがとう、悪いな気使わせて」

「いいわよ別に」
と私は返事をしてキョンの近くに座る。
頭がぼおっつとして顔があついのは風邪のせいじゃなくて……
無意識にキョンの行動を目で追っていた。自分でもどうしようもない位にキョン
のことが気になる。
キョン、私はキョン以外の男は絶対見ない、私は、私はキョンだけを想うよ――

気がつくとキョンは、ばつが悪そうにこちらをを見て口を開いた。

「どうしたんだおまえ、さっきからこっちばっかり見て」

「へっ」
恥ずかしい思いっきりまぬけな声を上げて私は視線をそらし口に力を入れる。

「な、なんでもないわよ、ただ風邪でぼおっとしただけ」
そう言い放って立ち上がると、視界が揺れ足元がふらついて
頭が動いたとき私はキョンの腕の中に抱きかかえられていた。

「おい大丈夫か、病人なんだ部屋まで連れってやるからちょっとゆっくりしとけ」

と、私を抱えていた腕を背に回す。
だめだ、心臓がうるさいくらいに脈うっている。
ちょっと静かになりなさいよキョンに聞こえちゃう
顔がたまらなくあつくなってるのが自分でも解る。

その後はもう呆けたを通り越してまともに動かなくなった頭でキョンの言うことを
生返事を返しベッドに寝かしつけられた。

「俺はもう帰るけど、ゆっくりしとけよなんだかんだでハルヒがいないと張り合い
がないからな」

といい彼は部屋を出た。
もっと一緒にいたい、という気持ちもあったけれど病人の部屋に引き止められないな
と思い私は生返事をした。

そしてなによりキョンの言った一言が私の心を熱くする。
「ハルヒがいないと……」
ねえキョンそれって私が私がキョンの中でトクベツだってことだよね。そうなんだよね。

私がいままで向けていた彼への恋慕その全てが報われる。
私はどうにも落ち着かなくなって起き上がり、カーテンを開けた。
勿論キョンを見送るため。

しかし其処に見えたものは、紅潮していた顔も舞い上がっていた気持ちもその全てを
叩き落すに十分なものであった。

キョンが見える、でもその横で手を繋いで一緒に歩いている女は誰。
小柄な背丈、長い栗色の髪、後ろ姿だが見間違う筈もない、あの女
朝比奈みくるだ。
なんで、なんであいつがキョンの隣に――
キョンもなんでそんな奴と売女と楽しそうに話すの。

私は動くことも、其処から目を背けることできず、ただ二人が視界から
消えるのを待つしかなかった。

あの女、あの女、あの女あんな薄汚い手でキョンに触れて許されるとでも
お前なんか浮浪者でも勿体無い位だ。
キョンもキョンだよなんであんな売女と…
ううん、違うよねキョン、キョンは優しいから売女が言い寄ってくるのが憐れで
付き合ってあげてるだけ、本当迷惑な女だよね、でも大丈夫
私が何とかするから。

次の日私はいつもどうり学校へ行き、いつもどうり授業を受けた。
ただ何時と違うのは

「キョン、私まだちょっと本調子じゃないから今日の部活は休みよ」

キョンはちょっと驚いたような顔をして
「俺は別にかまわないが、他の奴らには――」

「その点はぬかりないから、もう皆に連絡はつけてあるわよ」

キョンはいつもと同じやさしい表情で「へい、へい」といって席を
立つ

「あっ、それと明日はちゃんとあるんだから来なさいよ」

キョンはわかったよといった感じに手をひらひらさせ教室を出た。

必要だと解っていてもキョンに嘘をつくのは辛い。
でもしかたがない、それに私はキョンの幽鬱を消すのだから。

私はカバンを取り部室に向かう、中にナイフが入ったカバンを持って。


いつも部室には一番に有希がいて、私は結構その後だから一番に来るのは
少し新鮮。

団長席に座りカバンからナイフを取り出す。
昔、縁日かなにかで買ったそれは古びて、くすんだメッキのうえに所々赤い
錆びが浮いている。
私はそれを机の引き出しに突っ込み、何時かのように体を窓に向けた。

いつもと同じに見えて、どこか違うそんな詩的で美しい青と白のコントラストが
決して留まることなく悠然と流れる。

そんな全てを包括する壮大な時の流れに、私は飲み込まれかけた。

ちっぽけな欲望

感情の喜憂

私はそのちっぽけな物に流されようとしている。
けど迷いはない、それはこのちっぽけな物が私の世界の中の全て
であり、何よりも大切なものだから
だから私はこの気持ちを邪魔する奴を許さない。

コンコン
控えめなノックと共に部室のドアが開く。
私はそちらに向き直り入ってきた奴を確認した。
その女は部室に私しかいないことに面食らったのか少し立ち止まって入ってきた。

「こんにちわぁ涼宮さん、今日はまだだれもきてないんですか」

「ええ、そうよ」

そう、素っ気無く返すと、部室は嫌な沈黙が漂い、暫時のあと女が口を開く

「あっあの着替えてお茶いれますね」
そういって、小走りでメイド服に向かう女を遮る

「いいわよ、それに今日はキョン来ないから」

女の動きが変に止まる。

「ねぇみくるちゃんあなた、私に何か言うことがあるんじゃないの」

女の体は行き場をなくして立ち尽くし、その手は忙しなく小さな動作をしていた。
馬鹿なんだろうなコイツは、解り易すぎる。

「そ、そんな涼宮さん私に隠し事なんてできるはずが」

「ええ、そうよねみくるちゃんその通りだわ、あなたはとても素直だもんね」

女は私の上っ面の笑みに安心してか、顔に安堵の色を広げたがそれを遮るように
言葉をつなぐ。

「だから、あなたが今嘘をついてることも解るのよ」

女の顔が一気に青ざめ下を向く

嗚呼、うざったい

「みくるちゃん、私はこんな下らない茶番を何時までもする積もりは無いの
できれば、あなたが自分から言い出してくれたら嬉しいんだけど」

女は下を向いたまま動かない。

人の話を聞いているのかしら、もし聞こえていて答えないなら失礼極まりないわね
この売女。

ばらくの沈黙の後、私は痺れをきらし口を開く。

「そう、なら私が言ってあげる。これ以上キョンを唆すのは止めなさい」

「そっそんな私は――」

「うるさい!!」

「どうせその厭らしい身体使ってるんでしょうけど、キョンはあなたの事なんて
何とも思ってないのよ」

「涼宮さん、わたし達は……」

わたしたち?何で其処が複数形になってるのよ、それに言うならはっきり言いなさいよ
この売女

「私達は何よはっきり言いなさいよ」

「私達は真剣に付き合っているんです。だから、だからそのことで涼宮さんにそんな風に
言われる筋合いはありません!!」

何この女、まともに口利いたかと思ったらえらい剣幕で人に自分の妄想聞かせるなんて、
頭がおかしいのかしら、でも此れでハッキリした。
こんな狂人キョンの傍にもうこれ以上一秒たりとも居させられない。

私は引き出しを開けナイフを取り出し立ち上がった。

「す、涼宮さん――」

嗚呼、この女の顔を見るのも此れが最後か……清々する。

女はやっと自分の危機を理解したのかドアに向かって走り出す。

のろいなぁ

私は女の髪を掴みそのまま引き倒して床に叩き付ける。
それは蛙の潰れるような声を出して醜くのびる。
そしてそのままそいつの胸倉を掴んで本棚に打ち付けた

「や…止めてください、すずみやさ――」

「うるさい、あんたみたいな狂人をこれ以上キョンの傍に居させる訳にはいかないのよ」

ナイフを顔に突きつけその刃先で頬を叩く

「この薄汚い面の皮を剥いで野良犬にでもくれてやりましょうか」

嗚呼、自然と笑みがこぼれてくる、唇がつり上がっていくのが自分でも解るもの

けど次の瞬間私はドアが開く音と共に長机に弾き飛ばされた。

キョン――
うそ、何でなんでここに、ううん違うなんでみくるちゃんのあの女のところに行くの。

キョンが凄い形相でこっちを睨んでる。
やめてよキョンこわいよ……

「ハルヒお前自分が何したか解ってるのか!!」

そう言ってキョンは私の胸倉を掴んで問いただす。

何で、何で私はキョンの為にキョンの為にしたのになんでそんなに怒るのやめてよこわいよ

「おい、ハルヒ!答えろ何でこんなこと」

「だって……、みくるちゃんがみくるちゃんが嘘つくからあんたとみくるちゃんが付き合ってるって……」

私はすがる様にキョンを見つめる。これでこれで解ってくれるよね

「ハルヒ、よく聴け」

えっ――

「それは嘘じゃない」




「うそだ……違う、冗談だよね」

「冗談なんかじゃない、俺達は真剣に付き合ってるんだ」

で、ナンデ、ナンデ――
そんなことそんなことある筈ない昨日だってあんなにあんなに優しくしてくれたのに
違うの私じゃないの――
あの女が見えるあいつがあんな売女がキョンの恋人。
あいつがキョンと一緒に歩いて、手を繋いで、キスして、愛しあうの
許さない許さない許さない許さない許さない!!!

「みくるちゃんあなたキョンに何したの!!何でキョンにこんな事言わせるのよこの売女その
薄汚い体でキョンに迫ったんでしょ、何とか何とか言いなさいよ!!!」

「ハルヒ!!」

「返せ、私の私のキョンを返せでないと殺してやる絶対絶対殺してやる!!!」

私はキョンを押しのけ、あの女のところに行こうとした。
けどそれは阻まれて、そして私の体はもう一度宙を舞った。

頬が痛い殴られた。何故、目の前が滲んでいく嘘じゃないの……
こんなのこんなのイヤダ。

キョンがあの女の背に手を回して支えて部室を出ようとする。
イヤダ行かないで行かないで――

「いかないで、いかないでキョンいかないで――」

うわ言ののように呟きながら私は手を伸ばした。
けど其の時にはもうキョンは手の届かない所にいて、私の方を一度も見ず部屋を出て行った。

私は私しか居なくなった部室で一人うな垂れ、涙を流した。

こんなこと――
キョンは私のこと見てくれてなかったの、そんなはずないだってキョンは私にキスしてくれて
だって――

私の中で最悪な結論がはじき出される。

「あれは唯のユメ」

ちがうそんなこと有り得ない、だってちゃんと覚えてる。
あのときキョンと二人だけの世界で手を掴まれて走ったこと、言い合いなったこと
キスしたことも全部ユメ?
ただの私の妄想?

いやだいやだそんなことそんなこと絶対ある筈がない
そうだこっちがこっちがユメなんだこっちが!!
そうよこんな事こんな事ある筈が無いもの、目が醒めてキョンと二人だけの世界がある
それが現実なの、だから速く醒めてよ――


「大丈夫ですか、朝比奈さん」
俺は今、錯綜する頭をどうにか使って彼女に慰めの言葉を掛けている。
はっきり行って今でも何があったのか解らない、
何故だ、今日もいつも道理の何の変哲も無い普通の一日だったじゃないか。

ただ、何時もの待ち合わせ場所に朝比奈さんが来ないから二年の教室に行ったら
部活に行ったと言われて、そりゃあなんかおかしいなと感じはしたがハルヒが俺に
何も言わずに何かをするのは珍しい事じゃない、だから俺は何も疑わず部室に行き
そのドアを開けた。

けど其処に見た光景は
ハルヒが狂った笑みを浮かべ朝比奈さんにナイフを突きつける。

その後のことははっきりと覚えていない
唯俺が朝比奈さんと付き合っていることを告白した瞬間、ハルヒは一瞬無表情に成った
後、鬼の様な形相で狂ったように朝比奈さんを罵倒した。
俺は正直に言ってこの時ほど人に恐怖したことは無かった。朝倉に殺されかけた時も
これ程の恐怖を抱かなかった。

それはいつも、わがままでいじっぱりで、不機嫌になったりもするけどいつも
太陽みたいに笑ってるやつが、
ナイフを持ち、鬼の形相で怒り狂いそれを友達の少女に向けている。
それが信じられなかったからだろう

最低なことをしたと思うだがもし俺があの時ああしなければ、まちがいなくハルヒの凶刃
は朝比奈さんを貫いていた。

そして俺は朝比奈さんを連れて逃げ出した。
ハルヒが何か縋る様な声で言っていたのが聞こえたが俺は逃げた、ただ怖くて。

混迷と絶望に押しつぶされ俺は廊下の隅に座り込む。
彼女は今手洗いに入っていった、おそらく一人になりたいのだろう。
頭を抱えても頬を抓っても変わらない世界に飲み込まれる。

しばらくして朝比奈さんの声が聞こえ俺は立ち上がるが、次の瞬間目の前が暗転し
俺は意識を失った。


色彩に乏しい灰色の世界、閉鎖空間。

そしてこの場所は俺とハルヒが神人に追われて、そして俺がハルヒにキスを
したところだ。卑しくも頭にこびり付いている。

辺りを見回すが、誰も居ない、ハルヒすらも――
一切の音が消え失せその向こうにたたずむCGの様に生気を感じさせない街々。

俺はふと自分の身を預けているグラウンドの砂を手に取る、表面の渇いた物だけが
僅かに手に残り掌を圧す。
小さすぎて在るか無いか其れすらも曖昧な感触、手をはたき砂を落とす。

俺は立ち上がり、胸ポケットに入っている生徒手帳を取り出し、挟んであった小さな
写真を手に取る。
そこに写っているいるのは、いつものSOS団の部室のただの何の変哲もない日常の一瞬。
でも今はその瞬間がもう手に入らない物の様に思えてしまう。


そしてその中でメイド服を着て笑っている女性、朝比奈みくる。
俺がこの人のことを本気で好きになったのは結構前からのことだ。
初めはその豊かな胸にばかり目が行っていたのだが、彼女の優しさや気遣いに触れているうちに
この人のことばかりを考えるようになって、告白したのはつい最近だった。

俺は間違ったことをした、此処で俺は元の世界に戻りたいという理由で、ハルヒの唇を奪った。
そしてそれがハルヒを苦しめ続けてきて……
ハルヒが俺のことをどう思ってくれているかを俺は知っていた。
でも俺の中でのハルヒはかけがえの無い友達で、俺は何もせずあいつを苦しめてきた。

自業自得か――

俺は校舎に向かう、薄暗く不気味なところをゆっくり進む、そしてSOS団部室のドアを開いた。




目が醒めたとき私はひどく落胆した。
それはわたしが一人でいて、なおかつ居た場所が同じだったから。
けどすぐに私は此処が違う場所であることが解った。

窓の外に広がる灰色の世界、私は吸い寄せられるように窓に近づく、一歩一歩踏みしめるごとに
悲しみも落胆も絶望もその全てが水泡の如く消え去り、希望と歓喜が湧き上がる。

私はただ窓の前に立ち天空を仰いだ。

月も星もない鉛色の空、けれど不思議と虚しさも寂寥感も沸いてこず、ただ三年前のことを思い出した。



あの日以来私はずっとジョン=スミスと名乗った変な男に想いを寄せていた。
そしてジョンが通っているといった北校に入学した。

私は自分でも呆れる位一途で、その思いだけで三年を生きてきたといっても過言じゃない、
一回しか会ったことのない男のことを三年間も想い続けて、挙句の果てに居ないと解っていながら
淡い期待と恋心だけを持って高校に入学。

そして現実はそんな私の希望を綺麗に叩き壊してくれたかの様に見えた。
けどそこに一人だけ残った人がいた、其れがキョン。
初めはぐだぐだ言うけどまあ役に立つ奴程度にしか思っていなかった。
けどそれから少し経っていくと私はひどく自己嫌悪に駆られる思いを見に宿す。

私はキョンの事を気になるようになった。
勿論それ自体が悪いのではなく、その理由――

ジョンに似ていたから。

声、しゃべり方、しぐさ容姿その全てが私の知っているジョンそのもの。
このことに気づいたときほど自分自身を嫌ったことはない、自分の実らない想いを
ただ似ているだけの他人で慰め、癒す。

私はそんな醜い感情を抱きながらただ彼の優しさを甘受する。
そして時増すごとにその二つの感情は支えきれない物となって私を圧迫した。

けどキョンを見ていて新たに彼を知れることがあれば知りたいと思い、いつしか私は
気がつくと彼を見ていた。

そしてそれは、私の感情を大きくするばかりではなく知らなくても良いことまで私に
教えた。

キョンは皆にやさしい、別に私だけにではない此れにに気付いた時、私は唯でさえ
支えられなくなっていた想いが一気に決壊したような悲しみと、それを受ける全ての他者に
対しての憎しみに近い嫉妬を覚えた。
けどそれも私の醜い未練の上に成り立っているかと思うと自己嫌悪が止まらなくなって、ただ
八つ当たりをして逃げた。
けどそんな物に何かの効能がある訳でも無く、私は逃げ込んだんだ。
此処に――

夜中目が覚めたとき、私は酷く混乱した。
今までに無く鮮明に頭に残る夢、体に残った感触、足の疲れ全てが現実にあって、
でもそれは有り得ない。でも私は覚えていた。

私の幼稚な駄々を聞きそれを諭してくれたキョンを、私にキスをしてくれたキョンを。

そしてそれを嬉しいと感じた瞬間、私の中の醜い感情は消え去り。
私の中にはただ純然たる想いが残った。

私が想っているのはジョンではなくキョンであるという想いが。

私はそれ以来あの出来事を虚構であると解っていながら真実と偽ることで、彼の想いが
私に向いていると思い込んでいた。
そうでもしないと私は彼が優しくする全ての人に対する嫉妬と憎悪を抑えきれなくなって
狂ってしまいそうだったから。

そして現実に私は狂った。
しかも最悪な形で、許せない真実が私の何よりもも大切な虚構を叩き潰す。
そして私はもう一度此処に来た。

窓を開く、風もなければ、温度も違わない。
全てが一体となって止まる、そして動いているのは私だけ、いや違うもう一人
キョンがいる――

私は今までの悲しい思い出から解放されたようだった。
この広大な世界には私とキョンの二人しか居ない。

その事実が私の心を詩的な美しさと甘美な幻想とでつつむ。
楽園に住む二人の男と女

そうして私が唯祈るように天を仰いでいると、不意にゆっくりと部室のドアが開いた。



部室ではハルヒが一人祈るように天を仰いでいた。
そしてその微動だにしないハルヒはただ透き通るような静止画の一部の様にさえ思える、
だが俺はその絵を打ち壊すように口を開いた。

「ハルヒどうしてもういちど此処に来たいと思った。辛いことから逃げるためか。」

「それもあるかな」

透き通る落ち着いた声だった

「どういうことだ」

唯俺はハルヒの後ろ姿を見ながら言葉を紡ぐ。

「キョンはあの世界に帰りたいの」

「答えになって――」

「いいから」  

俺のことばを静かに遮り、天を仰いでいたハルヒがこちらに向き直る、
その顔は何かに縋る様にも悲しみに耐えているようにも見えた。

「ああ、勿論だ。俺はあの日常に戻りたい」

出来る限りの自信と信念を込めて答える。

「でもどうやって、私とキョンのこの二人だけの世界で」

「それは――」

「ねえキョン、キョンは私の事どう思っているの」

唐突で包み隠しの無い言葉。

「大切な…大切なかけがえのない友達だ」

これが俺の嘘偽りの無い本音だった。

「そう、ありがとう」

ハルヒはただ純粋に喜んでいるようにも悲しんでいるようにも聞こえる
声と共にその顔に小さく笑みを湛えた。

「じゃあ、みくるちゃんは」

ただひたすらに悲しみと苦しみだけが部屋に残る。

「愛してる」 

此れもまた俺の偽らない真実だった。
ハルヒは唯肩を振るわせ、手を握り締める。

「でも、ここにみくるちゃんは居なくてもう会えないかもしれないかも知れない
それでも愛せるの」

「当然だ」

微かな嗚咽が部屋に響き渡り、ハルヒの頬を一雫の涙が伝う。

「なんで、なんでそんなにあの女だけを見るの、私だってキョンを愛してるそれだけは誰にも負けない
キョンが望むならこの身体を好きにしたって良い、
キョンが望むならこの世界を棄ててもいい
キョンが私の死を望むならそれでもいい
だから、だから――
私を愛して」

悲痛な叫びと最後の光に縋るような響きが消え、ただ沈黙だけが灰色の世界に残り
俺はただその中に入り込むしかなかった。

俺の中で全ての感情と決意が途切れそうになった。
でもハルヒ、欺瞞は何も解決しはしない、
此処でお前が俺の偽りで安らぎを得たところでそれはハルヒお前を苦しめるだけなんだ。

「それは、出来ない」

深く低い声が染み渡り、ハルヒは涙を流し嗚咽と共に沈み込んだ。

俺はどうしようもない愚か者だ馬鹿野郎だ罪人だ。

ハルヒが立ち上がり静かに立っていた。
その目は赤く濁り、握り締めていた手からは紅い血が流れていてた。
ハルヒは何も言わず、ゆっくりと唯その身を俺の目の前まで持ってきて
俺を見詰めた、その瞳は涙に潤み、頬には其の痕が白い肌を削るように残っていた。

血に濡れた手がゆっくりと俺の首を絞めつける。
血の暖かさが優しく俺の身に滴る、其の手は唯繊細な物に触れるように弱弱しい力で俺の
首を絞めつける。
だが目の前のハルヒの生気を無くした虚ろで悲しげな瞳が、俺の心を強く締め上げる。

動こうと思えば動けただろう、振り払うのも簡単だ。
けど俺もハルヒも何もしなかった。

不意に部屋に青白い光が差し込む。
神人か――

しかし俺はそれを己の目で見ることなく唯ハルヒを見詰めていた。
ハルヒも唯俺を静かに見詰めている、まるで一対の人形の様に止まり続ける。
けどハルヒの手から流れ続ける暖かな命がそれを否定する。

俺はハルヒの美しく真直ぐな髪を撫でた。
優しく羽飾をつけるように




そして俺とハルヒは世界の崩壊する音と共に光に飲み込まれた。
優しい光と共に……

|