━━━━沈みかけた夕日が、一日の終わりを告げている。
それにもかかからず僕は、まるで今から一日が始まるかの様に心を踊らせながら、駐車場へと向かっていた。
真冬の夜の訪れを告げる冷たい風が、時たま足早に歩く僕の頬を撫でるが、今はそれさえも心地よい。
そして歩きながら少しだけ、彼女の笑顔を思い出して胸が熱くなるのを感じる。
おそらく…この想いは、何度目かの…━━━━━━━━


【コーヒーふたつ8・前編】


 駐車場へ着いた僕は車に乗り込むと、制服の上着とともに『北高の古泉君』である自分を脱ぎ捨てて、後部座席に用意してあった上着に着替えた。
そして、キーを回してエンジンを始動させながら、ステレオにMDを差し込む。
静かに音楽が始まり、イルミネーションに「JUST A TWO OF US」と表示されたのを確かめると、僕はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
ふと、ハンドルを回しながらどうしようもなく浮かれている自分に気が付いて、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

(まったく、今の僕は殆んど病気だな。)

 約束のバス停に近付いた僕は、フロントガラス越しに朝比奈さんの姿を探した。

(ん…まだ、来ていない?)

そこに居るはずの、制服の少女が見当たらない。
しかし、少し正装に近い服装を纏った女性が、僕に向かって小さく手を振っているのが見える。
そして、さらに近付いた所で、その女性が朝比奈さんであることに気が付いた。


僕は驚きつつ、ハザードランプを灯けて朝比奈さんの傍に車を停めた。


助手席の窓を開け、とりあえず「お待たせしました」と声をかけてみる。

「いいえ、私も少し前に来たばかりですから。それより…ごめんなさい、私だって判り辛かったですか?」
「いえ、ただ…驚きました。どうしたんです?その服…」
「うふふっ、それはですね…あ!バスが来ちゃったみたいです!…とりあえず、お邪魔しますね?」

そう言いながら彼女は少し照れた様に笑うと、遠慮がちにドアを開けて素早く助手席に体を沈ませた。
そして手早くドアを閉めると、走り出した僕に微笑みかけながら話を続ける。
「この服はですね…婦警さんのコスプレで使ったスカートに、バーテンのコスプレで使ったトップを合わせて…まあ、部室にあった衣装を適当に合わせてみたんですよ?」
「え?そうなんですか?僕にはとても、そんなふうには見えないな…」
「そうですか?よかったぁ…大成功です!せっかく誘ってくれたのだから…ね?」

本当に…とても有り合わせで用意した服装には見えない。
しかも、その大人びた服装がいつもの制服よりも似合っている気がする。
そして…微かに香る甘い香り…
髪型も少しだけ変えている様だ。
(もしかしたら、今の朝比奈さんが本当の彼女の姿なのだろうか。)
僕は、そんな事をぼんやりと考えながら、暮れなずむバス通りを街へと向かった。



 目的のシュークリーム屋は、商店街を抜けて少しばかり走った右手にある。
先程は任務の後に学校へ向かうついでに寄ったので感じなかったが、改めて車で行ってみると余りにも近すぎる場所である事に気が付く。
僕は「すいません、そろそろ着いてしまいます。」と告げると「思ったより近かった様で…折角お洒落をして来て頂いたのに、これ程近くてはドライブになりませんね。」と恐縮しながら笑って見せた。

「いいえ、いいんですよ。それより楽しみですね?出来立てのシュークリーム!」
「そう言って頂けると救われます。」

 やがて、店の近くに運良くパーキングを見付けた僕は、素早く車を停めると先に車から降りて助手席のドアを外から開けた。


そして、少しかしこまりながら朝比奈さんをエスコートする。

「さあ、着きましたよ?どうぞ、此方へ!」
「ふふっ…古泉君たら…。いつも、こんな事してるんですか?」
「とんでもない、今日は特別ですよ!お洒落な朝比奈さんに敬意を表して…」

わざと大袈裟にお辞儀をして見せた僕を見て、朝比奈さんが楽しげに笑う。
そして、差し出した僕の手にそっと触れながら助手席から歩道へと降り立った。
ふと、このまま手を繋いで歩いて行きたい衝動に駆られる。
そして、それは僕の挙動を少し不自然なものへ変えた。

「古泉君?」
「い、いえ…あ!そうだ、すぐそこの赤い看板の店がシュークリーム屋さんですよ。」

僕は、彼女から手を離すと「さあ、行きましょう」と彼女の歩幅を気遣いながら歩き出した。
そして、店に辿り着くとショーケースの中にシュークリームを探す。

「あれ?見当たらないな…」
「どうしたんですか?」
「いえ…先程までは、ここに並べてあったんですが…。」

昼間はたくさんショーケースの中に積み上げられていたシュークリームが、一つ残らず消えていた。
僕は何と無く悪い予感を感じながらも、店員に尋ねた。

「すいません!シュークリームを頂きたいのですが…」
「あ、申し訳ありません!ウチは7時で終わりなもんで…。夕方に売り切った分で、オシマイにさせて頂いているんですよ。」
「そうなんですか…。いや、失礼。また来ます。」

「ええ、是非宜しくお願いします。あ、そうだ…よろしければコレ、どうぞ?」

そう言うと店員は掌に乗る程の箱を2つ、ショーケースの上に差し出した。

「当店オリジナルのペアマグカップです。…せっかく来て頂いたので、サービスですよ。」
「あ、ああ…すいません。では遠慮なく…」

『ペアマグカップ』という言葉が、僕の頭の中で甘く揺れる。
店員は僕達二人を『その様な関係』と把握して、この様なプレゼントを差し出したのだろう。
しかし、残念ながら僕達は『その様な関係』では無いのだ。
そして…朝比奈さんの心の中には『彼』の存在がある事を僕は知っている。

僕は横に立つ朝比奈さんに「申し訳ありません、売り切れてしまった様です。」と言いながら「コレはサービスだそうですよ?」と2つの箱を手渡した。

「あら…残念ですね。でもこれ…私が2つとも頂いてしまって良いんですか?」
「ええ。それ…箱は別れていますが、ペアのマグカップなのだそうです。さすがにペアの相手が僕ではマズイでしょう?いずれ、朝比奈さんが望む使い方が出来る時が来るまで、持っていれば良いと思いますよ?」

そうだ…これで、いい。
少し残念ではあるが、彼女の想いを知りつつ僕の秘めた想いを気付かせてまうのは、彼女を混乱させるだけだ。
そして、おそらく人並み以上に優しい性格の彼女は、僕の想いに気付いてしまえば自らの想いとの廻間で悩み苦しむ事だろう。

僕は「さて、とりあえず此処を出ましょう。」と告げると、先に店の外へと足を運んだ。
そして、少し遅れて彼女が歩き出したのを確かめながら、買い損ねたシュークリームの埋め合わせをしようと考えてみる。
時計を見ると、短い方の針が7に重なろうとしていた。


「朝比奈さん、是非…夕食を御馳走させてください。せっかく来て頂いたのに、これでは申し訳ない…」
「え?ええ…。でも、あまり気にしないでください。」
「あ…都合が悪ければ、このまま送りますよ?」
「いえ…あの…古泉君?」
「どうしました?」
「その…私が相手じゃ…駄目ですか?」
「何の事です?」
「…ペアの…マグカップの事です。」

「えっ?」

(一体、どういう事だ…?)

少し頬を赤らめながら尋ねる朝比奈さんと、全く予想していなかった展開に僕は戸惑う。
(つまり…そういう事なのだろうか…。しかし彼女は、キョン君の事を…)

僕は、揺れる心を必死に押さえながら「それは光栄ですね、もちろんですよ!僕でよろしければ。」と余裕の表情を見せてみた。

(馬鹿だな、僕は!そんな駆け引きじみた言葉しか返せないのか!)

本当は「それは、どういう意味です?」と訊いてみたかった。
しかし、僕の中に在る『いつかのキョン君を悲しく見つめる朝比奈さんの表情』がそれを許さない。
それに…たった今感じた甘い感触には、なんと言っても確証が無い。
僕はただ、平静を装いながら車へと歩いた。


 車に辿り着いた僕は、先に乗り込むとヒーターのスイッチに触れながら「すぐに暖かくなりますから。」と少し遅れて車に乗り込んだ朝比奈さんに声をかけた。
そして、彼女の手から先程のマグカップを受けとると「大切にしますね?」と微笑んでみせる。
そんな僕を見て、朝比奈さんも「はい」と頷きながら幸せそうに微笑んだ。

(こんな時、彼…キョン君なら、どうするのだろうか…)

ふと、そんな事を思い付いて僕は思わず黙りこむ。
そして、そんな気持ちを彼女に悟られぬ様に、車を静かに発進させた。



 僕達は、夜を迎えたばかりの町並みを走り抜ける。
時折、短く差し込む街路灯の明かりが彼女の輪郭を映し出し、瞬く間に消えていく。
僕は、もう少し彼女の存在を感じたくなって、何か話をしようと話題を探した。

「…朝比奈さん。」
「はい?」
「…ところで、何を食べに行きましょうか。」
「おまかせしますよ?」
「なるほど。では、パスタなどは如何です?」
「あ!私、パスタ大好きです!」
「それは良かった。面白い店を見付けましてね?少し遠いですが、時間は…」

「ふふっ、大丈夫に決まってますよ?私がどんな生活をしているのか、大体察しはついているんでしょう?」
「はは、愚問でした。まあ、僕も貴女と似たような類の人間ですからね。現にこうして、誰かと夕食を共にするのは久しぶりです。」
「私も…本当に久しぶり…」

そう言いかけると、彼女は窓の外に視線をそらした。
おそらく、彼女の「久しぶり」という言葉が指す記憶は、かつて暮らしていた未来での出来事なのだろう。
そういえば今まで考えた事もなかったが、彼女はその未来の世界で、どのような日々を過ごしていたのだろうか。
家族、仕事、友達…そして恋人…。
全てを断ち切って、任務の為にこの世界にやってきた彼女。
いずれ、元に居た未来へ帰る時が来るのだろうか。
そして…その時、僕はどうしているんだろう。


彼女は、少しだけ窓の外に視線を送った後で、再びこちらを向き「ごめんなさい…私…」と潤んだ瞳で照れた様に笑った。
そして思わず微笑みを返しながら、僕は再び考えを巡らせる。

(おそらく…そんな彼女が選んだ心の拠が、キョン君…だったのだろうか。)

そして…そこまで考えたところで、僕はシュークリーム屋で貰ったマグカップの事を思い出した。

『その…私が相手じゃ駄目ですか?』

先程の朝比奈さんの言葉が頭の中を駆け巡る。

「駄目な訳…ないじゃないですか…」

うっかり呟いてしまった僕は、慌てて助手席の方を見る。

(聞こえてなかったみたい…だな。)
「あら、どうしました?」
「い、いえ…何でもありません!そうだ…何か、音楽でも…」
僕は少し慌てながら、ステレオのスイッチを入れる。

そしてイントロが流れ始めたところで、選曲を「誤った」事に気が付いた。
(よりによって…この曲か…)
今更慌てて選曲し直すのも不自然な気がして、とりあえずこのままにする事にする。

ああ、神様…彼女が鈍感でありますように…。


♪━━長い髪の色も 話しかける仕草も
━━━見慣れた君のまま 香りだけが変わってた

━━恋なら何度もした筈
やり過ごすのも慣れた筈さ
━━なのに上手く言えない想い
胸の中浅く漂う

━━君のそのやわらかな香りには
いつも僕だけが包まれてたい
━━静かに燃やす恋の灯 消してしまわない様に
━━━もしも悪戯に遊ぶつもりなら 二人 今の関係このままでいい
━━傷付けあうほど近く踏み込めない

━臆病だから



後編へ続く

参考曲 Perfume Love/SCOOP ON SOMEBODY
(2002年アルバム「SAVE OUR SOULS」収録)

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