「ああ…………」
そう呻いた俺の小さな声が鈍く響いたのは文芸部部室、ビラ配りから帰ってきた所だった。
「まったく岡部のヤツ!」
そう喚くのはまぁ一人しか居るまい。こうなる事は前回のビラ配り時に学習しただろうが。何でまたもう一回やろうなんて思ったんだか。
しかし疲れた……。想像していたよりずっとキツかった。身体的にはもちろん、精神的にもな。どちらかと言えばメンタルダメージの方が主だったが。
ジロジロ見られるし、笑われるし。途中谷口や国木田にも会った。
「驚天動地だ」
散々笑われた後にそう言われた。いつだって大げさだな。
「またこんな馬鹿をやるなんてね。本当に涼宮と仲良いのね、あんたは」
こうも言われた。何だか思い出したら腹が立ってきたな。明日辺りもう一回言ってやらなくては。
「まったくあの馬鹿教師、学習しろってんだよ! SOS団の活動を邪魔するとは……許せん! 死刑だな死刑!」
学習するのはお前の方だろうが。まったく、頭が良いんだか悪いんだか。
「良いんだよ!」
だったら俺や古泉の負担も考えて欲しいねまったく。しかし古泉にとってこれは負担なのだろうか。ずっといつものスマイルじゃ分からん。長門よりも何考えてるか分からん時がある。
まったくろくなもんじゃない。この世界についてはまだ何も分からんし。分かったのは呼び名は変わってないって事くらいだ。何のプラスにもならん。
パタンと言う音が聞こえた。それは我等SOS団の帰宅の合図、開放の鐘の音であり、長門が本を閉じた音でもある。
なかなか退室しないハルヒを半ば強引に外へと追い出し、着替えを済ませる。何であいつは着替えのとき出ようとしないのか。
着替えが終わり、部屋の前に5人揃った所で、
「じゃあ今日は解散! 明日も同じ時間に部室に来る事。 団長より遅れるなんて事は絶対に無い様に! もし遅れたら今度は水着でビラ配りだからな!」
罰の対象が俺限定じゃねぇか。そんな俺の抗議の声が喉を通る前にハルヒは階段を一段飛ばしで帰っていった。
「さてと、俺も帰るとするかね」
そう一歩踏み出す直前に、何やら弱い力が俺の袖に掛かった。覚えのあるような感覚に肌が粟立った。ハルヒが消失した12月の中旬。帰ろうとした俺の袖に掛かった小さな力を思い出したからだ。
「……長門…………?」 
俺は振り返った。ゆっくりと。
「………………」
そこには俺より大きなブレザーがあった。さっきまで部室の隅で本を読んでいた長門がそこに居た。
「……どうした?」
淡い期待は見事に打ち砕かれたが、そこは淡いだけあってダメージはそれほどではなかった。
「これ」
そう言って渡された一冊の本。
「貸すから」
見覚えのある表紙を押し付け、様々な疑念が俺の脳を通過する前に長門はさっきのハルヒ並みのスピードで階段を下りていった。一段ずつ降りてるように見えたがなんてスピードだ。
あった様な無かった様なシチュエーション。カバンにSFのハードカバーを押し込み、背負ったところでやっと疑念の通過終了。
「……どうしたもんかね」
長門がこの本を寄越したのは何故か。理由があるはずだ。性別が変わっただけで突然無意味な行動を取り始めるようなやつだとは思えん。まずはこの本が第一ヒントになってくれる事を願おう。
いやまて。第二だな。そうだよ。朝比奈さん(大)の手紙だ。あれがあった。あれは確か制服のポケットに押し込んであるはずだが。
……あった。女子用に変わってはいるがこれはまさしく俺の制服なのだな。
む、一枚しかない……。もう一枚は? あの呪詛の羅列された方はどこだ? 無くした……? なんと言う事か。世界の異変に気づいている唯一人の、この事態を何とかすることのできる唯一人の人間である俺が、事もあろうに朝比奈さん(大)のメッセージヒントと言うおそらくこの事件を解決するのに最も重要であろう物を無くしてしまったと言うのか。
何という失態。割腹どころではすまされない事態だ。ヤバい。これはいよいよヤバい。このままずっと性転換な世界で生きて行けと言うのか。
冗談じゃない。バカバカしい。フザケている。特盛りの無い世界など認められるか。何とかしなければ。
アレが無いとなれば頼れるのは第二の方のヒント。どちらかと言えばこのSF本の方が、ヒントとしては分かり易いような気がする。
今すぐに、この本に挟まっているであろう紙製ブックマークを確認したいところだが、急がば回れ、急いては事を仕損じる、と言うからな。まずは家へ帰ろう。善は急げと言う言葉の方はこの際無視だ。今日分かった事もまとめておきたいしな。
と、家路へと踏み出す一歩が重たいのは、多分気のせいでは無いだろう。


そしてチャリをこぐ俺。目的地は光陽園駅前公園、幾度も物語の舞台となった例のベンチ。
ただひたすらこぐ。と言うのも、前にもあった様な栞指令の為。
『午後七時 光陽園駅前公園にて待つ』
事はもう一度起こった。俺と長門の外見を少し変えてな。
あの日、長門の家でお茶をカブ飲みしながら聞いたトンでも話が、思えば奇妙の始まりだった。
思い起こせば色んなことがあったもんだ。おかげでちょっとやそっとじゃ動じなくなったけどな。さすがに今回の件には驚かされたが。
とか何とか言ってる内に公園到着。腕時計は6時55分。指定された時間より若干早いが、長門は既にそこに居た。
「……待ったか?」
今日は待ってないはずだ。だからこれは常套句。
「……待ってない」
とは長門は言わなかったが、無風で揺れる前髪がそう言っていた。
「……付いてきて」
と歩き出す長門の背中が大きく見えて何かが萎えたが、やる気ではないようで俺の足取りは意外と軽かった。
何せこの件が解決するかもしれないのだ。また長門の手を借りなければならない己の無力さに少々虚しくはあるが、早く解決するに越した事はないだろう。
しかし何度目だろうな、こうして長門の部屋に行くのも。
何か事がある度に訪れ、迷惑を掛けて帰っていく俺を、長門はどう思っているだろう。でも今回は、長門の方から俺を招いたんだし、俺に負い目はないよな?
気が付くと目の前には長門の部屋のドアがあって、長門がそこに手を掛けたところだった。性転換世界になる前と変わらず、質素を体現したような部屋だった。上がり込みテーブルの前に座る。
「…………」
長門は? どこ行った。お茶でも出すつもりか。何が何でもあの夜の再現をしたいらしい。台所からは食器のふれあう音が聞こえてくる。じゃあまたがぶ飲んでやるか、と意気込みつつも胃袋が縮む様な感覚を覚え、俺はテーブルに突っ伏す。
少しして後ろから小さな足音が近づいてきた。
「なぁ長門、お茶も良いがそろそろ話してくれないか。何故俺を呼んだんだ?」
長門は何も言わず、テーブルの向かいに座った様だ。
「何か言ってくれよ。唯でさえ色々あって参ってるってのに」
「……そう」
その声に鳥肌が立った。全身の肌が粟立ち、今ならウニ人間としてビックリ人間ショーに出れるなとか意味の分からない事を考えてしまうほどだった。俺はテーブルに張り付いた体をはね起こした。
「長門……!」
俺の目の前には長門が居た。俺の視線とほぼ同じ高さから見つめ返してくる大きな黒い瞳が、小柄なセーラー服姿の長門有希がそこに居た。
俺はしばらく声が出なかった。やっと口をついて出た言葉は、
「久しぶりだな」
なんだそりゃ? もっと気の利いたことは言えないのか。
「久しぶりではない。さっきからずっと一緒」
いや、ごもっとも。ほらでも心情的には久しぶりって言うかさ。
「…………そう」
無機9、有機1、くらいの比率の目がこちらを見つめている。
「……やっぱそっちの方が良いぞ」
抱きしめてしまいたい程だ。
「………………そう」
先程の1.5倍位の間の後同じセリフ。8:2位になった様に見えたのは気のせいでは無いだろう。
「……さて」
前置きはこれくらいにしよう。長門が元の姿に戻って、心の底から叫びたいほど嬉しいが、今は叫ぶ事よりも優先すべき事がある。
「よし長門、とりあえず俺の姿を元に戻してくれないか? 何か落ち着かなくてな」
「それは無理」
「何故だ? 現にお前はこうして……」
「あなたの体には、他の人間よりも堅固なロックが涼宮ハルヒによって何重にも掛かっている。それを外せるのは涼宮ハルヒ本人だけ」
何てこったい……。なんで俺にだけ……。と言うかやっぱり今回もハルヒの仕業か。まぁ、天蓋領域の連中の攻撃とかでないことが分かっただけでも良しとするか。しかし長門、意地悪とは感心せんな。
「意地悪って何?」
またまた、しらばっくれるなんて長門らしくないぜ? 今日部室で知らないようなフリをしたじゃないか。
「……あの時点の私は本当に何も知らなかった。私が今回の件を把握したのはあの直後」
そう言って長門は何かを差し出した。
「これは……」
それは見覚えのある紙で、一週間程前に俺の制服のポケットに転がり込んだ懸案事項そのものだった。無くしたと思っていたが長門の下にあったとは。何という幸運であろうか。
「今回の涼宮ハルヒによる世界の改変についての全ての情報」
なるほど、この呪詛の如き文字列……いや文字かどうかも怪しいが、とにかくこれにはそんな事が書かれていたのか。
「正確に言うと書かれているのでは無い。これはその情報にアクセスする為のURLの様なもの」
……よく分からないな。
「言語で伝達する事は出来ない」
「そうか……なら仕方ないな」
「ない」
……ってかいつ拾ったんだよ、これ。いや、そもそも拾ったのか? 一体どういう経路でお前の下に?
「放課後、部室であなたが涼宮ハルヒに抱えられた時に」
……落ちたってか。全くあいつめ、余計な事しかしないな。まぁでも、そうでもなきゃ長門の手には渡らなかったかも知れないか。三年前の出来事を経験している筈の俺としたことが、長門に何も知らないと言われたショックで長門と呪詛を結びつけるという思考に至らなかった。腐っても神ってか。
しかしようやく糸口を掴めたな。さっさと元の体に戻りたいもんだ。さっそく明日辺りに朝比奈さんや古泉にも事情を話して……。
「その必要はない」
「何故だ? まぁたしかに長門一人居れば事足りるのかも知れないが」
「そうではない」
「じゃあどうし……」
「もう来た」
俺の言葉を遮るような声の後、部屋に響きわたる音。何度かここを訪れたことのある俺には聞き覚えのある音で、来訪者を告げる音でもある。
「遅れてしまって申し訳ありません。朝比奈さんに状況を飲み込んで貰うのに少々手間取ってしまいまして」
長門が出たインターホンから聞こえてくるのは、最早懐かしささえ感じてしまう男の声だった。

 


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