「‥‥‥誰、ってどういう意味かしら」

「そのまんまの意味だ。お前は誰だ。本物のハルヒはどこやった?」

そのハルヒはこちらにニヤリと笑った口下だけが見えるよう少しだけ振り返り、またもハルヒとおんなじ声色で俺へと返事をした。

「なあに、キョン。本物のハルヒ、なんて意味ありげな言葉言って。まるであたしが偽物みたいじゃない」

その通りだよ偽ハルヒめ。

「だって忘れちゃったんだから仕方ないじゃない。それとも何、そんなに大事な思い出だったのかしら?」

白々しいことを。どういう過程でこいつが全くハルヒと同じ容姿と声と性格を得たかは不明だが、本当のハルヒではないということが確かになった。となると、こいつが閉鎖空間を発生させたということか。畜生、よりによってハルヒの姿になりやがって。

「じゃあ教えてよ。もしかしたら思い出すかもしれないわ。どうやってあたし達はここから出たんだっけ? キョン、言いなさい」

誰が言うか。

「じゃああたしが本物か偽物かは分からないわね」

ウフフ、と小悪魔みたいな笑い方をした後、また偽ハルヒは窓へと視線を向け直した。後ろ姿からでも俺には分かる。きっとこいつは今、笑っているに違いない。
 
もうバレているのに、まだハルヒの真似をするのか。じゃあいい、とっておきの質問をしてやるよ。

「3年前の七夕、お前は何をした」

「何、って‥‥‥そう、東中のグラウンドに絵を描いたわ」

「ほう、一人でか」

「あたし一人じゃないわよ。女の人を背負った北高のお兄さんも手伝ってくれたわ」

「そいつの名前は?」

 
「ジョンよ。ジョン・スミス」

妙なとこまで知ってやがるな。となれば‥‥‥。

「ね? あたしは涼宮ハルヒよ」

「いやまだだ。お前、グラウンドで北高生に絵を描かせたのは覚えてるんだよな」

「絵の模様までは覚えてないわよ」

「それは別にいい。だがそこまで覚えてるんだったら分かるよな? その絵の意味を」

「‥‥‥‥意味?」

ここで偽ハルヒの言葉がとうとう詰まった。しめた。

「ハルヒが描いた絵はとある宇宙語なんだよ。お前が本物のハルヒなら、その日本語訳を絶対に知ってるはずだぞ!!」

後半怒鳴るような声でそう問いただすと、さっきまで余裕で答えていた偽ハルヒからはわたしのわの字も出なかった。ざまあみろ。これでこいつが本物のハルヒではないことが完全に証明されたぜ。

「‥‥‥フフ、そうね。確かにあたしはその言葉の意味を知らないわ。どういう形なのかもね」

そこまで言って、ようやく偽ハルヒはこちらへと振り返った。

「でもね、キョン」
 
「それでも、あたしが本物のハルヒよ」

「いい加減にしろ。お前がハルヒじゃないとはもう分かりきってるんだよ」

そう言う俺の言葉にも段々覇気がなくなっていた。振り返った偽ハルヒは、朝倉の顔をしていた! なんてこともなく、誰がどう見ようと涼宮ハルヒだったのだ。今の表情は俺にとってはいやぁな計画を思いついたハルヒのそれだった。

「キョン、あんたにとって‘涼宮ハルヒ’って何かしら?」

「‥‥どういう意味だ」

「あんたの言う‘涼宮ハルヒ’は、この顔をしていること? それとも声かしら? 自分勝手な性格? 身長、体重、趣味が完全一致している人物を指すの?」

偽ハルヒはそこで一旦言葉を区切り、団長と書かれた三角錐の乗った机の引き出しから腕章を取り出して

「それかこの‘団長’の腕章を身につけてる人のことを言うのかしら?」

と口にしながら腕章を右腕にはめた。

「違う」

「どう違うのかしら」

「お前はハルヒじゃない! だからいくらハルヒの真似をしたところでハルヒじゃない!!」

「ウフ、いいわよ。あたしはハルヒじゃない。あんただけにはそう認めてもいいわ」

だが偽ハルヒは勝ち誇った顔を浮かべ

「だけど他の人にはどうかしら?」
 
「何‥‥?」

「谷口や国木田、担任の岡部や鶴屋さんの目にはいつもどおりの‘涼宮ハルヒ’が写っているんじゃない? あんたがそうだったようにね」

「‥‥‥‥」

確かに反論は出来ない。

「だとしたら俺がお前が涼宮ハルヒじゃないと言いふらしてやるよ」

「どうやってかしら。あんたと‘涼宮ハルヒ’‥‥‥あと宇宙人の有希しか知らない事実でなんとかしようっていうの。笑えるわよ、キョン。頭おかしいと疑われるのがオチよ」

長門を宇宙人だと知ってるのか? いや、そもそも長門に攻撃不許可にしたのがこの偽ハルヒだったんだから、何もおかしくはないか。しかしあの見た目がハルヒの口から「宇宙人の有希」なんて言葉が出てくると妙な気分になるぜ。

「どうして長門が宇宙人だと知ってる」

「有希だけじゃないわよ。みくるちゃんは未来人で、古泉君は超能力者でしょ」
 
まさかこいつが新たな異世界人なのか? と一瞬疑問がよぎったが、その考えはものの見事に粉砕された。

「何故知ってるのか? って顔をしてるわね。ウフ、キョンは忘れちゃったのかしら?」

俺が忘れてる?

「そうよ。だって、長門有希が宇宙人っていうのも、朝比奈みくるが未来人というのも、古泉一樹が超能力者であることも‥‥‥あんたが教えてくれたんじゃない」

なんだと。

「俺はお前なんかに教えたつもりは‥‥‥」

「5月29日、日曜日」

偽ハルヒは俺の顔を見ず天井見上げてそう声を上げ、団長席の回りをゆっくりとした足取りで歩み始めた。なんだなんだ。

「今日はSOS団の活動の日。みくるちゃんと有希と古泉君は用事があるみたいで、よりによってキョンと二人きりだったけど仕方ないから同行してあげた。喫茶店でキョンにどうやって奢らせようか考えていたら、あいつ、妙なことを話し始めたわ。有希が宇宙人でみくるちゃんが未来人、古泉君が超能力者なんて言い始めたの。一生懸命考えたジョークなんだろうけど、全然面白くなかったわ。選んできた人材が偶然みんな宇宙人未来人超能力者なわけないじゃない。全く、聞いてて呆れたわ」

床の上に落ちた壊れたパソコンの液晶画面をさらにバリバリと砕くように足を乗せて、ハルヒは机の回りを一周し終えた。また横目だけで俺の顔を伺う。

「それに、」
 
「もし有希が宇宙人で、みくるちゃんが未来人で、古泉君が超能力者なら、あんたは何なのよ」

「‥‥‥‥」

それは逆に俺が聞きたいぐらいだ。まさか俺が異世界人でした、とかないよな。

「‥‥‥キョンは、何なのかしら?」

「さあな」

だんだんと麻酔銃を向けている腕も疲れてきたが、まだ下ろすわけにはいかない。聞かなきゃいけないことがまだ山ほどあるからな。とりあえず一つずつ疑問を解消させよう。

「今のはハルヒの日記か」

「‥‥‥‥」

偽ハルヒは黙っていたが、間違いない。
黒魔術の練習か、小さい頃から親に強いられてきたのか、あるいは日々の出来事に不思議が紛れこんでいるかもしれないと思ったのかどうかは知らないが、ハルヒはこまめにも日記を書いているようだ。どうりで妙に深いところまで知っているわけだ。ジョン・スミスとかさ。だがさすがのハルヒも、運動上に描いた絵のイラストや例の閉鎖空間での出来事を書かなかった。そりゃそうだ。俺が日記をつけていたとしても、あの出来事だけは絶対に書かない。
しかし日記を自由自在に見れるということは、本物のハルヒと完全に入れ替わったということだ。となるとハルヒはどこへ?

「‥‥お前は一体何者なんだ。何故ハルヒの姿をしている?」

「あたしが‘涼宮ハルヒ’だからよ」

くそ、話が進まん。多少の強引さが必要か。

「いい加減にしろ。正直に全てを話せ。じゃないと撃つぞ」

人を脅したことのない俺が声にたっぷりと威厳をこめてそう言ったものの、何せ腕がプルプルして重心が定まらない上に、何故か人差し指に力が入らないせいで様になっていない。人に向けてエアーガンの類のものを撃ったことがないのも関係があるが、姿がハルヒということが何より大きいだろう。

「ウフフ、言葉が足りなかったかもね」

麻酔銃を五百円くらいで売っているおもちゃを見るような目でハルヒは見つめた。もうちょっと怖がれよ。

「あたしは‘涼宮ハルヒ’。でもただの‘涼宮ハルヒ’じゃないわ」
 
「‘涼宮ハルヒ’のみが持っている全宇宙の中で一つだけ存在する能力。それを自在に使えるのがあたしよ」

ハルヒがゆっくりと右手を上げ人差し指を立てた後、勢いよくそれを振りおろした。
一体何やって――――――ぬわっ!?

 
ダイナマイト爆弾が爆発したような音を立て、校舎が破壊されるのと俺が体制を崩したのはほぼ同時だった。窓の外を見れば、神人が元コンピ研があった部室を上から下まで腕を振り下ろし二分割にしていた。散々だなコンピ研も。

「無様な格好してるわね、キョン」

俺を見下ろしながら一人笑う偽ハルヒの笑顔は、やはりハルヒの笑顔とシンクロ率400%だった。

なんとか立ち上がり、また麻酔銃を向ける。

「‥‥‥何をした」

「命令しただけよ」

命令?

「神人にか?」

「‥‥‥‥‥」

偽ハルヒはそれぐらいの答えは言わなくても分かるでしょう? と教師がよくするような笑みをした。窓の外では相変わらず古泉が頑張っているのがチラリと見える。
しかしどういうことだ。神人ってのは、いわばハルヒのストレスの塊なんだろ。それを自由自在に操るとは一体‥‥‥。

「‘涼宮ハルヒ’本人から生まれた存在」

パソコンが踏み潰されているのをお構いなしに偽ハルヒはこちらに向き直し、ニヤッとグレたハルヒのような笑い方をした。

「だからあたしは本物の‘涼宮ハルヒ’なのよ」

涼宮ハルヒから生まれた存在? 何ワケの分からな―――――
‥‥

「‥‥‥‥‥!」

 その時、俺の中の記憶が走馬灯のごとくフラッシュバックした。ハルヒが楽しそうにしおりを作っているところから俺が告白しようとした時までの期間がわずか二秒で頭を駆け巡る感覚。その中に、ハルヒが妙なことを言っていたことがあったはずだ。そう、あれはハルヒが睡眠不足で苦しみながらも寝ずに放課後まで過ごしたあの日だ。俺が朝登校し、珍しくも心配してやった後、あいつは何て言った? ハルヒは俺に何を伝えようとしていた?
 
『ねぇ‥‥‥キョン。‥‥前に、自分がいかにちっぽけな存在かを話したじゃない?人ってさ、自分の中にさらに他の自分がいるとしたら、人の数なんていうのは、本当はもっと多いのよね‥‥‥そのたくさんある中の1つがさ‥‥‥その人物の人柄と見なされて表に出てくるのよね‥‥‥。でも、せっかく出てこれたその1人も‥‥本当は世界と比べたらちっぽけな存在で‥‥‥』

‥‥‥‥。

「お前、」

ハルヒは眉だけをクイッと器用上げ、俺の反応を伺った。表情は相変わらずのダークハルヒ。

「もう一つの、ハルヒの人格か」

そう言った途端だ。ハルヒは、いや偽ハルヒは、ようやくにしてニヒルな表情を取っ払い300ワットの笑みを浮かべた。SOS団を立ち上げた時のような、身体全身から表現する喜びの感覚。今、目の前にいる偽ハルヒは完全に本物のハルヒだった。

「その通りよ!」

 ‥‥にしてもなんてこった。俺はてっきり、名も知らぬ異能力者が完璧にハルヒに化けたものばかりだと思っていたのに、そのハルヒ本人から生まれたとは。オリジナルでありながらも、オリジナルよりタチが悪いハルヒ。
 だがそんなのは関係ない。今この世界を閉鎖空間で丸呑みしようとしているのがこいつには違いないのだから、なんとかして危機を回避しなければならん。それにいくらハルヒ自身とは言え俺にとってのフル迷惑なハルヒはあのハルヒ一人だけで、こっちは偽ハルヒに変わりない。
 
「あたし自身、最初は気づかなかったわ。どうしてここに生まれてきたのか。何のために存在するのか。後から分かったの。何のために、という意味は無かったけど、いつ生まれたかはね」


‥‥‥そう。そうよ。あたしのハッピーバースデーは‘涼宮ハルヒ’が夕食を食べながらテレビを見ていたあの時間帯。自由どころか感覚も無かったけれど、意識だけはあった。そんな意識も最初の内はぼんやりにしか働いていなくて、あたしはただただ真っ暗な空間の中で‘涼宮ハルヒ’の声が反響するのを聞いているだけだった。
反響する声の中で一番多かったキーワードが「キョン」。でもこの言葉が出る度にあたし自身も口では表せない楽しさが浮きあがっていた気がするわ。結果論だけどね。
ほの暗い場所で、あたしはただただ膝を抱えて‘涼宮ハルヒ’の会話というラジオを聞くしかなかった。何もしないで一日中ぼけーっとしてるだけ。本当に意味のない存在だったわ。

「でも、ある日を境にあたし自身が変わってきた」

反響する声の中で、‘涼宮ハルヒ’がこう叫んだわ。

『SOS団主催、読者大会を開きます!』

まさにこの日の夜、あたしという存在は確立された。『人格と精神』という本に‘涼宮ハルヒ’が読み始め、あたしの意識が段々と強くなっていったのよ‥‥。

「ってことはなんだ。医学の本をハルヒが読み始めたのは、本当に偶然だったのか?」

「‘涼宮ハルヒ’は多重人格には興味を持っていたけど、特段医学関連の本を読もうとは思っていなかったようね。テレビ番組のような難しい内容を、キョンに読ましたら面白そうだなとは思っていたけどね」

 ‘涼宮ハルヒ’自身はくじ引きでどの本に当たろうと良かった。偶然医学の本を引き、たまたま多重人格に関心があったから『人格と精神』を手にした。
‘涼宮ハルヒ’が『人格と精神』を読めば読むほど、あたしには力が湧いてきた。暗闇から立ち上がって歩くことも出来たし、さらには‘涼宮ハルヒ’が寝ている時に限り身体を借りることが出来たの。その時思ったわ。
 ああ、

「この本を読み続ければ、乗っ取ることが出来る」

ってね。


 
「‥‥‥ハルヒを睡眠不足に追い込んだのはお前か」

「さすがに本人もおかしいと思い始めたわ。起きれば机の前に座って本を読んでるんだし、疲れも全く取れてないんだから」

次第に本を読むのを止めようとした。さすがに不思議事が好きでも、これは不気味だったようね。

でもあたしはそうはさせなかった。ここまで来て、中途半端な意識だけを持って終わりたくはなかった。だから、無理に読ましたわ。キョンならもう分かるんじゃない?

「‥‥‥深層心理を利用したのか」

よく出来ました。あれだけ哲学の本を読んでれば、いくらキョンでも分かるわよね。
 
‘涼宮ハルヒ’の意識が及ばないところであたしはひたすら本を読むように命令していた。拒否も出来ずもがきながら本を読む‘涼宮ハルヒ’を見て、さすがにあたしも罰が悪かったわ。でも仕方ないわよね? あたしが生まれた以上、あたしだって身体を動かしたいわよ。
 そんなことを無理矢理させていた日の夜、口では言い表せない何かがあたしの中に流れこんできたわ。あたしは戸惑ったし、対処の仕方も分からなかったからなすがままにそれを蓄えたわ。後から分かったけど、これが‘涼宮ハルヒ’の持つ情報爆発能力だったのよね。ありったけのストレスで作られたパワーは、あたしをより確実なものへと成長させた‥‥‥。

「閉鎖空間が発生しなかったのはお前が内側で貯めてからか」

「そうよ」

寝てようが起きてようが本を読まされる。あたしにとって、‘涼宮ハルヒ’を乗っ取るのも時間の問題だったわけよ。
 でも、思いもよらない行動を彼女はとったわ。
寝ずに読み始めたのよ。本を自らね。読破する気だったのかしら。読み終わればなんとかなるとでも思っていたのかも。
 でもあたし自身、‘涼宮ハルヒ’がこれを読み終わった後どうなるか分からなかった。彼女の多重人格の興味は消えて、別の本に手をつけるかも。そしたらあたしの力はきっと消えていく。あともう少しで身体があたしのものになるのに。

「焦ったわよ。でも、あたしはギリギリ逃げ切った」

「‥‥‥‥‥」

「さすがの‘涼宮ハルヒ’も仲間の前で安心しちゃったのかしら。とうとう疲れに疲れを溜めて、寝たのよ。そしてそんな弱り切った‘涼宮ハルヒ’を多大なるストレスで力を得ていたあたしが乗っ取るのはいとも容易かった‥‥‥‥」

「‥‥‥つまり、お前は、」

‥‥ハルヒの奴、一人でそんな悩みを抱えてたのか。古泉の野郎、一体何してんだ。いつも通りなわけないじゃないか。朝比奈さんも長門も、どうしてあのハルヒに異常があると察しなかったんだ。なんですぐに集まって対策を練らなかった。

‥‥‥‥‥、分かってる。一番悪いのは古泉でも、、朝比奈さんでも、長門でもない。一番身近にいながら、様子がおかしいと思いながらも何も出来なかった無力な俺だ。俺の知らないところで皆手を尽くしていたのかもしれない。でも俺は何も出来なかった。しなかった。せいぜい声をかけたぐらいだ。過去の俺を殴り倒してやりたいぜ。最悪だ、本当に。
なんたって、
こいつは、

「俺たちの目の前でハルヒと入れ替わった、ってことか‥‥‥‥!!!」
 
肯定の返事はなかったが、顔見れば分かる。朝比奈さんが感じた時空震とやらはおそらくこいつが入れ替わった時起こったものだろう。そういやあの日は長門の様子もほんの少しだけ違ったし、何よりもハルヒの様子がおかしかった。あいつの機嫌が良くて俺に礼まで言ったのは、テンションが最高にハイってやつになっていたからか。ハルヒじゃなく、こいつの。

「あたしはいつも‘涼宮ハルヒ’の目と声を通していたからね‥‥誰にどう接して、どういう仕草を取ればいいかも分かっていたわ」

そうかい。完全に騙されてた。お前の演技も主演女優並だな 。

「ということは、今度はハルヒが内側にいるのか?」

「そのことなんだけどねー」

偽ハルヒは喋りすぎて肩でもこったのか、首をゆっくりと回した。右回り、左回りとした後に俺を見て、その後掃除箱の方へ見やる。

「あたし家に帰ったあと、思ったのよ。もしかしたら‘涼宮ハルヒ’が身体を取り返してくるかも、って」
 
「だから思ったわ。あたしだけの身体があればいいのに、って。そしたら‥‥‥」

偽ハルヒは高々と右手を上げ、指をパチンと鳴らした。一体何をしたのか。俺の左側にある掃除箱がガタンッと音を立てた。中のほうきが倒れたにしては音がでかすぎる。ビクッと身体を仰け反らすと、掃除箱のドアがひとりでに開き‥‥


「‥‥‥‥‥ハ、」

見知った人物が重力に導かれるまま倒れこんできた。

「ハルヒ!!!」

 
何故掃除箱から、などという疑問をよそにハルヒは前のめりに床に激突しようとしていた。危ない!
麻酔銃を投げ捨てハルヒをギリギリで抱きかかえる。だが顔から打たなくて良かったと安堵する前に、俺はハルヒの軽さに驚いた。いくら女とはいえ軽すぎだろ。
 急いでハルヒを仰向けにし、顔色を確かめる。思っていたほど頬がガリガリと言うわけではなく、少しだけ俺は安堵した。

「ハルヒ。おいハルヒ! 起きろ!」

「‥‥‥‥‥」

肌は健康色。だがその割には反応に生気を感じられない。冗談は止めろマジで。

「‥‥あたしがあたし自身の身体を手に入れた時、不意に分かったの」
 
「ああ、あたしには‘願望を実現させるチカラ’があるんだ‥‥ってね」

「それで結果ハルヒは二人になったわけか。まるで分身の術だな」

もちろん分身はお前の方だがな、という皮肉を言ってやろうと思ったが、偽ハルヒが手も触れずに俺の麻酔銃を手にした瞬間にそれは喉の奥へと引っ込んだ。強力なサイクロン掃除機を使ったみたいに手の平に吸い込まれやがった。唯一の武器が‥‥‥。

「あたしはこの能力が、一体どこまで出来るのか知りたくなったわ。で、思いついたワケ。キョン、分かるかしら?」

そんなもん俺が知るわけないだろ。

「じゃあ教えてあげるわね! あんたがあたしに告白してくるかどうかを試したのよ!」

‥‥‥‥なっ‥、

「なんでだ‥‥?」

何故あえてそれにしたんだ。

「んー、なんでかしら。強いて言うならあんたに興味があったから」

俺に興味?

「だって、あんただけ何もないじゃない。宇宙人でも、未来人でも、超能力者でもないし、あたしみたいな万物の創造みたいな能力もない。だけどあんたはSOS団にいて、‘涼宮ハルヒ’と仲が良いわ。日記見てたら分かるもの。‘涼宮ハルヒ’があんたにどれだけ信頼を置いてるのかが」

映画の時にも古泉に言われたな。ハルヒは俺だけは絶対に味方だと信じてる、ってことを。

「だがそれと、お前に俺が告白するのになんの関係がある?」
 
「‘涼宮ハルヒ’が気に入ってたものは、あたしも欲しくなるに決まってるじゃない」

物扱いかよ。俺は非売品だぞ。

「自分から言うんじゃ、‘涼宮ハルヒ’らしくないからね。だからあんたから言うように、状況を作ったの!」

わざわざご苦労なこった。だから哲学書十冊も読ませようとしたのか。

「放課後あたしみたいな子と二人きり。あとはあたしが願ってさえいればすぐに告白してくるだろうと思ったの」

でもしなかった、と。

「そうよ。あんたがチキンだから告白をしてこなかったわ。まだまだムードが足りないからかしらとその時は思うことにしといたわ」

悪かったなチキンで。

「だから、あたしはあたしとキョンの間に噂が広がればいいのにと願ったの。そしたらキョンもその気になるかなってね」


‥‥‥残念だったな、俺がチキンの上に超がつくような人間で。

「そうよ! それでもあんたはあたしに告白しなかった。さすがに少しは意識してたみたいだけど」

 フフン、と得意気に笑う偽ハルヒの顔を見ていると、俺が抱えているハルヒが偽物であそこで立ってる偽ハルヒが本物に思えてくる。姿が似てるってのも厄介だな。
 
「あともう一押しって感じだった。だから、あたしは古泉君達に賭けたの」

「それは長門や朝比奈さんを含めてという意味か?」

「そうよ。あんたがあたしに告白せざるをえない状況をあの三人なら作れると思ったの」


 
『真相が違ったのです』

‥‥‥‥。
なるほどね。

「だがお前の考えも当てが外れたな。朝比奈さんは途中で気づいたぞ。お前が能力を使えるようになったことをな」

「みくるちゃんがあんたに手紙を渡したのを見た時、まさかとは思ったわ」

見てたのかお前。

「あんたとみくるちゃんが話してた内容まで聞いたわ。みくるちゃんがそのことに気づいちゃうとは思わなかったけれど、それをキョンに話そうとまでするなんてね‥‥‥ひたすら祈ったわ。誰かが邪魔するようにって」

「誰かって、誰‥‥‥」

‥‥! 谷口か。

「あたしが作り出した‘谷口’だけどね。あんたとみくるちゃんの会話を邪魔するためだけに生まれた」

 ‥‥‥こいつの話で大体の真相が見えてきた。つまりこいつは色々なことに能力を使いまくってたというわけか。
見事に遮ることに成功した偽ハルヒは、これ以上邪魔が出ない内に強行手段に出た。それが今日の放課後だ。俺が偽ハルヒに告白までしそうになったことは全て偽ハルヒの計算通りであり、まんまと俺は餌に釣られて釣針を口に含んでしまった魚よろしく、事を進めてしまった。俺が偽ハルヒの肩を掴み、耳を真っ赤にしながら口を開いた瞬間、偽ハルヒを勝利を確信したのだろう。俺は見ず知らずの相手に愛を伝えてしまうところだった。そう、あと少し、ゼロコンマ2秒遅かったら。遅かったらって何が? それはわかるだろう?

「長門に感謝しなくちゃな‥‥‥」

今度集まりで奢る時は、食べきれないほどのパフェを奢ってやるよ。おかわり自由だ。
 
「本当に‥‥本当にあと少しだった。でもあの宇宙人が邪魔をした」

「長門はSOS団の影のトップなんだよ。途中でお前が別人だと気づいたんだろう」

 これまで多くのことで長門に助けられてきた。それなのにあいつは、不平不満言わずにちゃーんと見守っていてくれていたんだ。夏休みの時なんざ、人間ならとっくに死んでてもおかしくないくらいの年月を過ごしてきたんだぜ。

「でもそんなあんたたちの唯一の頼りである有希には制限をかけておいたわ。あたしに害のある行動は行わないようにね。だからこの状況は、もうどうにもならないわよ!!!」

再び耳をつんざくような破壊音が鳴り響き、校舎が振動で震えた。無意識にもハルヒに覆い被さり守ろうとしたのは、男としての性ってやつか?

「ウフフ、キョン。ゲームオーバーよ」

そうニヤリと笑いながら口にし、こちらに歩み寄ってくる。来るなよ。

「あんたがどうやってあたしだけの世界に来たかは知らないけど、あんたにこうして全部話したのも、結果が決まってるからよ」
 
「一つ聞きたい。この空間はお前が意図的に起こしたものか?」

麻酔銃をこちらに向け、ニコニコという笑みに変えた後

「そうよ」

とだけ偽ハルヒが言った。そんなことまで出来るとはね。

「‘涼宮ハルヒ’の内側にいた頃、自分の中に流れ込んでくるパワーを爆発させてみたくなったのよ。そしたらこんな面白い空間が出来ていたなんてね。古泉君はその処理担当かしら? 日に日にやつれていくのを見てて、とっても面白かった」

姿形はハルヒでも、やはりお前は根本からハルヒと異なるな。カマドウマ以下だ。

「そんな口、聞いていいのかしら?」

「‥‥‥‥っ」

偽ハルヒは俺の眉間に麻酔銃を向け、引き金に指をかけていた。麻酔銃なのだから死ぬことはないだろうが、それでもやはり怖いという感情は隠せない。やばい、冷や汗出てきた。

「キョンなんて、何も出来ない無力な人間じゃない。どう? いっそのこと、あたしと同じような能力を持って一緒にここの空間で生きていく? 半分は上げるわよ」

まるで魔王みたいな取引をしてきやがった。なんだっけ。昔したゲームでは、確かここで『はい』の選択肢を選ぶとゲームオーバーになるんだっけか。
 
「もし、俺がうなずいたならどうする?」

虚を突かれた表情に一瞬変わったが、すぐに聖母マリアのような微笑みに戻し、

「あんたとなら、二人で生きていくのも悪くないわね」

とだけ言った。
お前、今もの凄く恥ずかしいセリフ吐いたんだぞ。そのこと分かってるのか。
しかし偽ハルヒは恥ずかしがる様子をちっとも見せず、相変わらず麻酔銃を向けたままだった。

「本当に、うなずいたら俺のことを助けてくれるんだな?」

「ちゃんと肯定したらの話よ?」

そうかい。助けてくれるんだな。
本物のハルヒを静かに床に寝かせた後、言ってやった。

「だが断る」

思いっきり偽ハルヒの右手を叩きつけ、麻酔銃を弾け飛ばした。偽ハルヒが不意を突かれている内に、西部劇のワンシーンのように掃除箱の側に落ちた麻酔銃をすぐに拾い上げる。俺が銃口を向ければ、はたかれた右手を見つめる偽ハルヒがそこにいた。なんだこれ。半端ない罪悪感がこみ上げてくる。

「‥‥‥‥悪いな」

本当にそう思ってるから言葉にした。

「だが、俺はまだ本当の世界に未練があるんだ」

「‥‥‥‥‥」

偽ハルヒはただただ右手だけを見ていた。俺が叩いたその手の甲は赤くなっている。

「‥‥‥‥お前に恨みはない。だが、ハルヒのためにもここで眠ってもらう」

俺が引き金を引こうとした時だ。偽ハルヒはボソボソと何か言った。

「‥‥‥‥‥‥」

「え、なん‥‥‥」

俺が言い終わらない内に偽ハルヒはこちらに飛び込み、あろうことか今度は俺の右手を思いっきり蹴飛ばした。よくそんなに足が上がるな、と感心する前に鋭い痛みが右手に走る。

「いっ‥‥‥!!」

たい、という前にまたもや高速で蹴りが腹に入れられる。言葉より先に嗚咽が出た。
 
「あぐぁっ!!!」

スレンダーな足のくせして破壊力満点の蹴りだ。サッカー選手だってもう少し躊躇するぞ。
俺は偽ハルヒにキックで吹っ飛ばされ、壁に背中を強打した。またその反動でひざを床につけてしまい、腹を抱えながら恐る恐る上を見上げれば、無情にも俺を見下ろす偽ハルヒがそこにはいた。視線の先が俺から、横たわっている本物ハルヒへと移る。

「そんなにこっちの‘ハルヒ’が大事かしら?」

いかん。矛先がハルヒの方に向いている。
おそらく注意をこちらに向けないと、この偽ハルヒはハルヒに攻撃するだろう。女の子を攻撃するなんて男のすることするじゃねえ! っ叫ぼうとしたが、困ったね、こいつ女だった。
というより論点はそこじゃない。こいつがハルヒに攻撃して、本物が起きちまったらどう説明しても後々とりつかない事態になることは明確だ。なんとかしなければ。

「‥‥ふ、はは。なんだよ今の蹴り。それがお前のマックスか?」

腹を猛烈に庇っている男の吐くセリフじゃないな。

「何よ、キョン。もっと蹴られたいのかしら? マゾ?」

でもこっちの偽ハルヒも単純で良かった。
俺はずりずりと壁伝いになんとか立ち上がり、一方で腹を押さえながらもう一方の片手は偽ハルヒへと差し出した。
 
「‘本物’のハルヒならこんなもんじゃないぞ。一度だけ思いっきり蹴られたことがあるが、あの時はホント、この世に医者がいなかったら死んでたかもしれん痛みだった。にしてお前の蹴りはどうだ。不慣れな格好で蹴ったにしては威力は高かったが、‘本物’なら同じ格好で俺をまた瀕死状態まで追い込むぞ。背丈姿形性格一致で黄色いカチューシャと腕章つければ‘本物’のハルヒになったつもりか? だとしたらお笑いだぜ」

もちろんデタラメだ。だがそこまで言ったところで、偽ハルヒが強烈な回し蹴りを繰り出して、俺はなんとか右手でガードした。相変わらず超ド級クラスの痛みが右手から体全体へと響き渡り、音だけ聞いていれば折れたかもしれんと思えるようなものだった。蹴りの達人かお前は。

「ぐぅっ!!」

「‥‥‥‥どうかしら?」

どうって何がだよ。気持ちいいです、って言えばいいのか? 悪いが言えない。マジで痛い。
だがやめてくださいとは言えん。俺が実はマゾで、本当は気持ちいいのを体験しているからではない。


「‥‥‥むちゃくちゃ痛いさ。でも所詮はそんなもん。痛い程度だ。入院までしない」

逆に蹴りで入院した奴を見てみたい気もするが。

「‥‥‥‘涼宮ハルヒ’はあんたに随分手荒だったようね。日記にも書いてないというのは反省の色も見られないわ。なんでそこまでして‘涼宮ハルヒ’を守るの?」
 
守る、か。嘘がバレてるなこりゃ。じゃなきゃこんな言葉出ねーよ。そりゃバレるだろう。うん。一応こいつも偽ハルヒだしな。

「‥‥‥お前の知らない世界での話さ。日記にも綴られていないとある空間の出来事で、俺はハルヒと共にそこを脱出した。その時気づいたのさ。出会って二ヶ月だったがな、人間いつどこでそんな感情が芽生えるか分からん。たまたま俺はそれが早かっただけさ」

ハルヒが起きてないことをひたすら祈る。

「その脱出以来、決めた。例えどんなことがあっても、それこそ重傷ものの蹴りを喰らっても、ハルヒと共にまたここに来た時には、絶対に二人で元の世界に戻るってな」

「‥‥‥‥‥」

神人の青光が強くなってきている。とうとう校舎全破壊する気か?
だが、その前に。

「‥‥返せよ」
 
俺は精一杯怒気を効かせて、偽ハルヒに言ってやった。
 
「その腕章は、」

蹴りを喰らっていない左手を偽ハルヒへと差し出す。

「ハルヒのものだ」


 
偽ハルヒは右腕にはめてある腕章を見つめた後、不意にニヤッと笑った。

「まだ分からないの?」

顔に集中している間に右足に痛みが走る。ローキックがかまされていた。
痛みに耐えかねて俺は床へと倒れ、ひたすら歯を食いしばりながら右足に手をやった。そして偽ハルヒはゆっくりと上履きのつま先を俺の顎へとくっつけ、蹴ろうと思えば蹴れるのよと言ったような顔をした。

「あたしが本物の涼宮ハルヒよ」

顎にあった足を引き、まるで顎下にサッカーボールがあるかのように思いっきり蹴りを俺に喰らわせようとする。さすがにこれ受けたら脳震盪を起こすに違いない。北高初の蹴りで入院した高校生第一号になってしまう!

 偽ハルヒの足が消えるような速さでこちらに向かってきた時、俺は現実逃避するがごとく目を閉じた。
痛みを覚悟した瞬間、また何かが壊れる音を聞いた。とうとう俺の顎が砕けたか?
だがそんなことはなかった。物理的破壊の音は確かに聞こえたが、それでも俺に痛みはなかった。何がどうなってるのか。まぶたが暗闇しか写さないので、おそるおそる開けてみると‥‥‥‥

「‥‥また邪魔するのね」

「‥‥‥‥‥」

いつぞやの光景がフラッシュバックする。あの時もそう。もう駄目だ、と思った時に突然俺の前に現れた。そして必死に守ってくれた。そんな彼女はSOS団の最後の切り札と言ってもいい。
長門は偽ハルヒのつま先を片手で受け止めていた。

「‥‥‥‥‥‥」

ふと隣を見れば壁に穴が開いている。隣のコンピ研の部屋から力ずくで入ってきたらしい。しかしよくここに渡ってこれたな。コンピ研の部屋はもう床も天井もないんだぜ。

「あんたはあたしに攻撃にできないはずよ」

「攻撃は許可が下りていない。しかし彼を守る許可は取り消されていない」

偽ハルヒの足の筋肉はどうなっているのか、ひとっ飛びし一瞬にして団長机前まで下がる。あいつ本当は朝倉の親戚かなんかじゃないのか。

「涼宮ハルヒを連れて遠くへ」

「いや、しかし、」

「大丈夫」

大丈夫、か。今日で二度目だなその言葉。
長門の登場と言葉に安堵する刹那、文芸部の天井が砕け散り、瓦礫が俺たちを襲った。

「あぶねっ!」

我が身を横たわっているハルヒの上に被せ、瓦礫による痛みを覚悟する。‥‥、二秒経過。痛くない。

「早く‥‥」

長門がバリアみたいなものを作り上げ、瓦礫から俺たちの身を守っていた。何から何まですまない。

「やるわね有希。じゃあこれはどうかしら」

「‥‥‥‥」

偽ハルヒがまた何かする気だ。これ以上俺たちがいれば長門に今以上の負担をかけることになる。ハルヒを抱き上げて俺はドアノブを握った。よもや映画以外でハルヒをお姫様だっこすることになるとはな‥‥‥。

「‥‥‥って、」

ガチャガチャとドアノブを捻りながら押したり引いたりを試みる。だがドアはまるで意志を持ったかのように開かない。どういうことだよ‥‥カギはかかってないぞ!

「‥‥‥‥!」

人間には聞き取れない速さの言葉で長門が何かを呟くのが聞こえた。嫌な予感しかしない。

「吹っ飛びなさい!」
 
長門の半球の形をしているバリアがなければ死んでいた。それぐらい強烈な死が空から降ってきたのだ。
荒々しい轟音を鳴り響かせコンピ研を完膚なきまでに粉砕した、見覚えのある拳が今まさに俺たちを叩きつけようとしていたのだ。障壁がなんとかそれを喰い止め、俺たち三人は事なきを得た。しかしバリアを通じて伝わる衝撃は並々ならぬもので、それは長門の膝がガクンと一段階下がるほどのものでもあった。

「早く‥‥‥‥」

無機質な声なんだが、俺にはわかる。かなり切迫詰まっている長門の声だ。神人のパンチは朝倉の比ではないらしい。
 急がなければ。しかしドアは相変わらずボンドを隙間に流し込んだみたいには開かなかった。
舌打ちをしながら一度思い切り蹴ってみる。音だけは威勢がいいが、破れる気配が全くない。
 神人は圧力をかけ続けており、またさらに長門の膝がガクンと下がった。それに順じてバリアも小さくなる。長門は何も言わなかったが、相当やばそうだ。なんとかここを突破しなければ長門がもたない。だがドアが以前として開く様子がゼロだ。
焦りだけが心内で広がっていく。
 
「くそ‥‥‥開けよ!!」

中段蹴りを何度も何度も喰らわせるが、それがどうしたと言わんばかりにドアは立ちふさがる。長門の膝がとうとう床についた。

「キョンったら、無様ね」

偽ハルヒの余裕綽々な声が聞こえた。今どんな格好しているかは分からないが、おそらく団長机の上に座って事の成り行きでもせせら笑いながら傍観しているんだろう。悪趣味め。

「‥‥‥‥‥っ」

まさか長門が来てからよりピンチになろうだなんて誰が思った? 誰も思いやしなかったさ。少なくとも俺は、長門がやられかけてるとこなんて信じられなかったからな。タイマンなら絶対に負けないだろう。だが俺たちを守りながらほとんどの技術が規制されれば話が別だ。条件は長門側がずっと悪くなる。
それでも長門は何とかしようとしている。俺は‥‥俺は、無力だ。‥‥‥

‥‥
‥‥‥嘆いている暇はない。ドアが無理なら一つだけ方法がある。バリアを抜け、長門がぶち破ってきた穴から出るのだ。出ても一階の床に落ちるだけだ。ちゃんと足からつけば死なないだろう。
 覚悟を決め、ハルヒを抱えたままバリアの外へと飛び出そうとした。
バリアを抜けたまさにその時だ。意固地に開かなかったそのドアが爆発音と吹き飛ばされた。一体なんだと戸惑っている内に、小さな赤い球体が長門の首横を電光石火のスピードで通り偽ハルヒへと飛んでいく。偽ハルヒはそれを目を見張るような瞬発力で避け、床へと突っ伏した。やっぱり団長机に座ってたか。

「こっちです!」

グワシャーンと窓ガラスを盛大に粉々にする音が聞こえたが、それでも奴の声は聞こえた。ナイスタイミングだな。
 バリアをくぐり抜けてドアへと走り寄る。案の定そこにはSOS団副団長こと、超能力者古泉がいた。

「朝比奈みくるから事情を聞きました。急いで逃げてください」

「朝比奈さんからだと?」

「詳しい話は彼女から。‥‥長門さん!」

古泉は長門そばまで詰め寄り、対神人に躍り出た。赤い球体を何個か神人の拳にぶつけ、ダメージを与える。宇宙人のバリアにはびくともしなかった神人の手は、まるで腫れ物に触ったかのように手を引っ込めていった。やっぱり古泉の能力は閉鎖空間内では強いんだな。

「キョン君、こっちです!」

ドアの向こう側に朝比奈さんが待機していた。俺は長門と古泉を後にして、ようやく廊下へと出た。

「ハルヒのことを?」

「はい。長門さんが、情報規制が一部緩和されたと言われて話を聞きました」

緩和ね‥‥。偽ハルヒが俺に正体を打ち明けたからか?

「キョン君、行きましょう」

 ボロボロに崩れてきている校舎の中を、俺はハルヒを抱えて朝比奈さんの後についていった。
ハルヒがいくら軽いと言っても、お米十キログラム四個分くらいはあるだろう。おまけに体のあちこちが偽ハルヒのせいで痛む。そんなだから、俺は朝比奈さんの同じペースで逃げることが出来るというものだ。むしろ朝比奈さんより遅い。
 だがハルヒを出来る限りあの偽ハルヒから遠ざけなければ。もはや朝倉同様、こちらを殺す気にかかってきているのだ。そんな奴のそばにハルヒを置いておけるか。

「キョン君、こっちです」

いたるところが崩れボロボロの校舎の中で朝比奈さんの柔らかいボイスは見事なまでに対になっていた。ちょこちょこと道を先回りして朝比奈さんはナビゲートをしてくれる。何を根拠に道を選んでいるのかは不明だが、とりあえず偽ハルヒからは離れているだろう。それでいい。

「ハルヒを安全な場所に置いた後、俺はもう一度あいつのところへ戻ります。朝比奈さんはハルヒと一緒に‥‥‥」

「ダメです! ケガがひどいんですから、無理をしちゃいけません」

無理というより無謀に近い。行ったところで何の役にも立たないだろう。というより邪魔だろうな。
だがもう一度だけあのハルヒの方に合わなきゃならない気がした。長門と古泉相手に、あの偽ハルヒが大人しく座談会開いて平和解決しようなんて言うとは思えないのだ。
どうにかこうにか、俺と朝比奈さんは東館の端っこまでやってこれた。とりあえず一安心だ。ここならば偽ハルヒも何も出来ない。

「では、朝比奈さん‥‥」

「‥‥‥‥‥」

朝比奈さんは目をショボショボさせてうつむいた。そんな顔されたら行きたくなくなる。ここらで一言
「必ず戻ってきます」
と言うのもいいんだが、なにやらそれが良くない方向へと事を運びそうなので控えておいた。

「無理しちゃ‥‥駄目ですからね」

俺は黙ってうなずき、身体に鞭打って部屋を出た。もう一頑張りしなきゃな。
 ‥‥‥‥しかし部屋を出た直後、急遽朝比奈さんの下へ身を翻した。お別れのキスを忘れてたよ、とかそんな御伽噺チックじゃない。窓から差し込む光に、嫌と言うほど見覚えがあるからだ。

「あれ、キョン君‥‥‥?」

「部屋を出てください!!」

 ハルヒの両脇を乱暴に掴み、ズルズルと引き摺るようにして部屋の外へと運ぶ。朝比奈さんも続いて部屋を出て、窓の外と俺の態度を見てようやく事態を理解したらしい。池に落とされる時の朝比奈さんでさえ、こんな青ざめた顔色してなかったぞ。色的な意味で。
 
グワシャッ、と3階と粉砕される音が耳に届いた。まずいまずいまずい。
朝比奈さんは
「きゃああああああ」
といかにもお化け屋敷を駆け巡る少女のような悲鳴を上げ走って行ったが、俺はハルヒを運ばなければならない。もう腕の上に任せる時間はない。悪いがこのまま引き摺るぞ。

一階の天井にとうとうヒビが行き渡り、そして瓦礫の山と共に神人の手の平が降ってきた。懸命に引き摺ったおかげか神人の手とは距離のある位置には俺たちは来ることが出来ていた。だが一度どこか崩れると、連鎖反応のように崩れてしまう天井の破片が俺たちを襲ってくる。ひたすらハルヒに当たらないことを祈りながら全力で逃げる。
なんとか逃げ切り瓦礫の山の一部とならずに済んだ俺は、ハルヒを抱え上げ次はどこに行こうかと思惑した。まさか神人がもう一体出てくるとはな。西館に逃げるのが良いのだが、しかしそれではあっちの方の神人に‥‥。

「キョン君っ!!」

先に行ってしまわれていた朝比奈さんが小走りでこちらで戻ってきていた。無事で良かった。

 だが朝比奈さんの背後を見る限り、無事とはほど通そうな状況になっていることに俺は気づいてしまった。
なんと、瓦礫が崩れこちらにまで被害を及ぼそうとしているではないか。ハルヒを抱えて、ちょうど今俺のいる位置と朝比奈さんのいる位置の中間地点にある階段の方へ走り、朝比奈さんにもこちらへ来るよう呼びかけた。岩なだれのように降ってくる天井を見ながら早く早くと俺は心の中で朝比奈さんを急かした。遅いなりにも―――あれが朝比奈さんの全速なんだろう―――ギリギリのとこで角を曲がり切ることに成功し、三者ともなんとか今は無事だということが確認出来た。階段だってもうほとんど瓦礫に成り代わっていたおかげで足元が不安定極まりないのだが、ここにいればひとまず瓦礫に怯えなくても済むというのがありがたい。上を見上げれば見えるは夜空のムコウ。

「‥‥う、運動場に‥‥‥」

もうどこにいようと危険地帯だと思いますよ。

「そ‥ぅ、ですよね‥‥‥」

息は荒いし涙は出るしで、おそらく未来にいた頃よりもよっぽど恐ろしい体験をしているのだろう。周りを見れば神人だらけだしな。

「‥‥‥あのハルヒの方へ戻りましょう」

「でも‥‥‥」

その先の言葉が朝比奈さんの口からは出なかった。俺が同じ立場でも出ない。
こうなったらもう偽ハルヒを羽交い締めしてでも動きを拘束して、偽ハルヒから能力を取り返すしかない。二人より三人。三人より四人だ。
神人に気づかれないよう‥‥‥というよりあいつら目が無いのだが、俺たちの位置分かって攻撃しているのか‥‥‥? まあさておき、再び旧館に戻ることにした。長門と古泉の二人が相手ならば、いくら反則みたいな能力でも多少は苦戦を強いられるだろう。というよりやられておいてくれないと困る。

瓦礫の道はやはり進みにくく、俺はハルヒをおんぶに変更し先を行き始めたのだが、‥‥‥やめときゃ良かった。背負ってから後悔したものだ。集中出来ん。
神人はと言えば東館の校舎をミニチュアハウスをいじる三歳児のごとく乱暴に壊しており、しばらくはこちらに来る様子がない。それはいいことだ。俺たちは無事に旧館へと着いた。

長門達はおそらく二階にいるはずだ。だからハルヒは文芸部の部室真下の部屋に置いておこう。俺としても、これ以上背負っていると罪悪感が膨れ上がりそうだったしな。

「朝比奈さんはここにいてもらえますか?」

「‥‥‥はい」

不安そうな返事をした。ただでさえ落ち着かない心境なのに、ハルヒのことを守らなければならない立場となってしまったからな。俺としても本当は二人で行きたい。しかしハルヒをここに置いてきぼりとなると‥‥‥‥にしても、さっきまで耳をつんざくような音を体験したせいか、こちらがえらい静かに思える。荒々しい戦闘を繰り広げているのではないのか?

背中に冷たいものを感じた。これは何か始まる予兆にしか思えない。
俺は朝比奈さんに背を向け、開けっ放しにしておいたドアへと進んでいった。がすぐに足を止めた。
さっきは行く途中で取り止めとなったが、今度は行く前に取り止めとなった。何故かって?
ご丁寧にもあちらから来てくれたからな。

ドアがひとりでに閉まったかと思えば、誰かが暗闇の中からこちらに歩いてくる。長門なら忍者のように音もなく歩くはずだし、古泉ならばまず声をかけてくるだろう。となれば一人しかいない。

「お前か」

背後の窓からまた盛大に青い閃光が広がり、そいつの姿を映し出した。やっぱりね。


「長門や古泉をどうした」

「さあ? 帰ったんじゃない?」

まるで放課後の会話みたいな口調で偽ハルヒは答えた。朝比奈さんは
「あわわわわわ」
と小声だが、驚いているようだった。偽ハルヒとしてこのハルヒを見るのは初めてのようだ。

「有希が言ってたわ。そっちの涼宮ハルヒがいれば、あたしから能力を奪ってこの閉鎖空間を消すことが出来るって」

「そうかい。そりゃ良かった」

でも偽ハルヒから能力を取って本物のハルヒにかえすなんてこと、長門以外出来ないぞ。そもそも長門もそんなこと出来るのかどうか知らないんだが、今は信じるしかない。でもハルヒの能力を一時的にしろ場所移動が出来るということは、長門ならその力を応用して自分の思い通りに世界を造り変え‥‥‥何を馬鹿なこと言ってんだ。長門がそんなことするわけないだろ。
ともかく、長門達が来るまで時間稼ぎをしなければ。神人をそばで待機させているだけなのを見ると、すぐに攻撃をしてくるなんてのはなさそうだ。
 
ハルヒとその傍に寄り添っている朝比奈さんを庇うように、一歩前に進み出る。ということは偽ハルヒに少し近づいたことになるのだが、そのハルヒにはこっちのハルヒみたいに服に汚れやほこりが被さっているなんてことはなく、本当に長門と古泉を相手にしていたのか疑問せざるをえないほどいつも通りのハルヒの格好だった。髪に手を絡め、なびかせるように手を払う。ああ、ハルヒもよくそんな仕草してたな。

「‥‥‥あんた達に希望はないわよ」

そして第一声にこれだ。そんなのまだ分からないだろ。

「分かるわよ。あと数分もすれば、完全に世界は入れ替わる。こっちが本物になってあっちが偽物になるのよ。そしたら神人はこちらから消え、あちらの世界で破壊し尽くすからよ。古泉君も能力を失うし、有希もあたしを見守ることになるわ」

「どうしてこっちの世界にこだわる。お前は本当の世界を壊して、それで何になるっていうんだ。これ以上思い通りになる世界が欲しいっていうのかよ」

「‥‥‥‥」

買ってもらったばかりのおもちゃを壊されてしまったかのような顔をした後、偽ハルヒはボソッと、朝比奈さんまでには届かない声量で何かを言った。

「‥‥本物がいいの」
 
「‥‥‥‥」

そんな切なげに言われたら、どう返せばいいんだ。というよりもお前、自分で「本物」を連呼してたじゃねーか。

「あたしは本物だったわ。あんたに正体がばれる前まではね」

「‥‥‥俺が否定したからか?」

「そうよ」

そうなのかよ。

「だからあたしは本物となる。現実と閉鎖空間が入れ替われば、あたしが確実な本物となるはずよ。‘涼宮ハルヒ’はあたしとなって、’涼宮ハルヒ`が涼宮ハルヒとなるの」

「ワケ分からないこと言うな。ハルヒはハルヒでお前はお前だ。違うか?」

「違うわ。キョンは何も分かってないわよ」

さっぱり理解出来ない俺をよそに、朝比奈さんの方は
「涼宮さん‥‥」
とポツリと呟いていた。何が何だか‥‥‥。

「どっちにしろ、もう時間がない。お前にはハルヒに能力を返してもらうぞ」

「‥‥‥フン。キョンに何が出来るって言うのよ。有希がいなくちゃ何も出来ないじゃない。頼りきりのあんたがあたしに勝てるの?」
 
‥‥‥‥。

「ほら、反論出来ないでしょ? 大人しくあたし側についたら?」

 偽ハルヒの言うとおり、俺は反論出来なかった。長門がいなければ朝倉にナイフでメッタ刺しに殺されていただろう。古泉がいなければ閉鎖空間なんぞ知らないで焦りまくった挙げ句神人に踏み潰されてたかもしれん。朝比奈さんがいなければ、ハルヒの能力が目覚めるきっかけとなったあの時代までワープすることも出来ず、今居るSOS団の面子とも顔を合わせることすらなかったに違いない。三者三様、俺に協力をしてくれていたのだ。長門のおかげで面白い小説が読める。古泉のおかげで心置きなくゲームに勝つことが出来る。朝比奈さんのおかげでお茶の旨さを知った。
他の皆が俺を支援している理由なんて探せば山ほどある。どの一部がかけても俺は一人で道を進めないだろう。破天荒な団長にツッコミが出来ないというもんだ。

お前の言うとおり、俺はたいした能力を持たない無力な弱っちい人間だよ。

‥‥‥でも俺は無敵だ。
 
窓ガラスが割れる音がして、二人分の着地音が聞こえた。朝比奈さんは「ひっ」と驚いたようだが、俺は振り向かずとも誰かは分かっていたから特段びびることもなかった。ゲームが弱い超能力者と万能宇宙人以外誰がいる?

「解析に時間がかかった」

長門の無機質な声が淡々とそう告げた。振り向いてやると二人とも埃まみれだ。切り傷や刺し傷がなさそうで良かったぜ。

「何が無敵よ」

偽ハルヒが嘲笑交えてそう言った。

「結局誰かの頼りになるんじゃない」

「そうだよ」

おくびれもせず開きなおる。俺もタチが悪くなったもんだ。

「俺には残念だが、宇宙人と互角に渡り合うほどの力はない。巨人と戦うダビデのような勇気も、タイムトラベル出来るほどの知恵もない。だがどうだ。そんな何も持たない俺の周りに、そんなすげー奴らが集まってるんだぜ。一人いりゃ充分なくらいなのに、三人揃っているんだぞ? そんな皆に支えられて、そして何よりも、」

一呼吸おき、目を閉じて寝そべっているハルヒの方を見る。

「ハルヒまでいるんだ。これが無敵とは言えずにいられるか?」

言えないだろう?

「‥‥‥なによ、皆そっちの涼宮ハルヒばかり気にして‥‥‥」

頼んでおいた仕事に失敗した部下を怒鳴りつける前のような上司ばりの不愉快さを露わにして、偽ハルヒは叫んだ。

「一体そっちの何がいいのよ!」
 
 
「有希、あんたにとって観察対象は涼宮ハルヒではなく、進化の可能性を秘めている能力を持った者じゃないの?
古泉君。神と崇める対象は一般の女子高生ではなく、世界を創造する能力を持ったものでしょ?
みくるちゃん。時空のズレを発生させたそもそもの原因は、涼宮ハルヒの持つ情報爆発の能力じゃないの?」

 
三人とも押し黙り、何も答えれずにいた。宇宙人の派や機関、未来人の組織の中には、こっちの涼宮ハルヒを観察対象とするよう言っている奴もいるかもしれない。

「そっちのハルヒは忘れて、あたしの世界に来なさいよ。何もかも望み通りにしてあげる。有希が望むなら人間に、古泉君が望むなら超能力を消してもいいわ。みくるちゃんも、この時代に留まらせてあげる。だからあたしの世界に来なさい」

‥‥三人は相変わらず沈黙をし、ただただ偽ハルヒを見つめていた。そりゃそうだ。あっち側に行く奴がいたら殴ってたところだ。

「何でよ‥‥‥」

歯車が歪み、思い通りに動かないおもちゃにイラつく子供のように叫んだ。

「どうしてなのよ!」
崩れ散る校舎でさえ響く偽ハルヒの声。外にいる神人も段々と透明になり始めてきていた。
 
‥‥‥どうして、か。
そりゃな、お前。勘違いしてるぜ。
長門も古泉も朝比奈さんも、宇宙人、超能力者、未来人であってのSOS団じゃない。SOS団内の宇宙人、超能力者、未来人なんだ。そこの順序が大事なんだよ。

「そっちのハルヒにはもう何も残ってないじゃない‥‥‥」

偽ハルヒの目は、少しだけだが潤んでいた。

「どうしてあんた達は、そのハルヒを守るのよ!?」


 
‥‥‥‥‥‥、いつだってそうだ。
ハルヒが何か思いつけば、誰もがそれに従ってしまう。古泉はただニコニコと笑ってるだけだし、長門は本を読んで我関せずだ。朝比奈さんはオロオロして、賛成が二で棄権が二だ。ここで誰が何と言おうとハルヒの催しは通ってしまい、いらぬ苦労を俺たちが抱え込んでしまう。そんな未来が待っているのを分かっていながらも、このまま好き勝手させては今後ハルヒはもっとトンでもないことをしでかすかもしれない危険性があるので、一応反論しておくのだ。そう、主に俺が。
今もそうだ。偽物とはいえハルヒはハルヒ。そんなハルヒの言葉に反応出来るのは、この三人ではないのだ。だから、言ってやった。

「団長を守るのに、理由がいるか?」
 
ハルヒ。目を開けて、周りをよく見てみな。
お前があんなに会いたがっていた宇宙人と未来人、超能力者がお前のために集まってきてくれたぜ。どうしてか分かるか?

みんなお前のことが好きだからだよ。

「‥‥‥ふ、フフフ‥‥‥キョンったら‥‥」

偽ハルヒは人を小馬鹿にするような笑い、そして天井を見上げた。真上はSOS団の部屋だ。

「あんた達がどうしてもそっちのハルヒにつくって言うのなら、もう構わないわ。でも世界が入れ変わるまで一分弱‥‥‥今更何しても無駄よ」

な、残り一分弱だと。もうそんだけしかないのかよ!?
偽ハルヒがこちらに背を向け、教室から出ていこうとする。逃すものか。

 だが俺が追いかけようとした瞬間に、真上の天井が亀裂が入った。まさか、と思う寸前で誰かに襟首を捕まれ引っ張られた。尻からこけ、
「いってーな!」
と思わず条件反射で文句を言ってしまったが、崩れさる天井の騒音でその声はかき消された。襟首を引っぱったのは長門か。じゃあ理不尽な文句が聞こえてるなこりゃ。
安全だと思われていたSOS団の床はとうとう抜け、俺たちと偽ハルヒの間に瓦礫の山を作ってしまった。上では神人が完全に校舎を破壊しており、その瓦礫の破片も容赦なく降り注いでくる。どうすんだおい。

「古泉!」

古泉の赤い球に期待するしかない。あれで急いでこの瓦礫の山をぶっ飛ばし道を作らないと、時間が!

「ダメです‥‥!」

右手を見てみれば、ピンポン球のよあな小さな赤い球しか浮いていない。もっとでかいの作れないのか。

「能力が‥‥失われつつあります。こちらが現実に変わろうとしているんです!」

そんな‥‥じゃあマジでヤバいじゃないか。どうすんだよ!?

そんな非力な三人をよそに、長門は瓦礫にかけより、なんと瓦礫の破片を一つずつどかし始めた。まるでマシュマロでも掴んでるように素早く脇へと捨てていくが、しかしいくら長門とはいえこのスピードでは遅すぎる。もう30秒もないはずだ。その間にここをくぐり抜けて偽ハルヒを捕まえ、能力をハルヒに返すなんて無茶だ。不可能としか言いようがない。

「‥‥‥‥‥‥」
 
‥‥‥何、諦めてんだ俺。
ザクザクとモグラのように瓦礫の山を掘り進んでいく長門を見て、そう思った。俺たちが守らなきゃならない世界を、どうして俺たちがこうも簡単に諦めて、代わりに宇宙人が頑張って守ろうとしているんだ。本当に頑張らなきゃならないのは俺たちの方じゃないか。

‥‥‥諦めるものか。まだ、時間がある。もしないとしても、そう、時間を作ればいいのだ。

「朝比奈さん!!」

ハルヒのそばで涙目でオロオロしている朝比奈さんのもとへ駆け寄った。長門が時間内に掘り進めることを今は信じるしかない。

「五分前です!!」

「え、あ、ちょっと待っ‥‥」

待てない。時間がないんだ。
朝比奈さんの右手首をギュッと握った。まずい。窓から見える神人の姿が消えようとしている。

「朝比奈さん!!」

「申請がと、通りました。キョン君、目を閉じてくださ――――」

言われる前に目を閉じた。そしてすぐさまジェットコースターに乗ったかのような重力無視の感覚が四方八方から襲う。耐えろ、俺。耐えるんだ。
 
‥‥‥キョンなら分かってくれると思ってた。有希や古泉くん、みくるちゃんが分かってくれなくてもキョンだけは分かってくれると思っていた。何故? これは私自身が‘涼宮ハルヒ’だから? それとも、私は私という、‘涼宮ハルヒ’に見目姿似ただけの別個体だからかしら?

分からない。‥‥分からない。

分かるのはもう彼らにはなすすべがなく、あたしは創造し終わった世界をどうしていくかを考えなければならないということだけ。やることは膨大にあるわ。とりあえずはコンビニね。コンビニ創ってご飯買って腹ごしらえしないと。そしてそのあとに校舎の創り直し。こんな校舎じゃ皆びっくりするわ。あ、あっちの世界にいるみんなをこっちに創らなきゃ。そして違和感ないようにいつも通りの日常を過ごしていた記憶を創りあげないと。そして、そして‥‥‥‥。

‥‥‥‥‥‥、

考えれば考えるほど空しくなってきた。あたしは何がしたかったの。どうしてあたしは生まれたの。あたしは‥‥私は‥‥‥

この世界で何を望むの‥‥?
 
‥‥‥何発式なのかは分からない。だが撃つチャンスは一度しかない。時間的にも、相手がハルヒということも含めてだ。だから俺は、教室の扉を偽ハルヒが閉めた瞬間、すぐさま目の前に踊り出た。

「っ‥‥‥キ、キョン!?」

『ためらわずに』

カチッと、引き金を引いた音がした。銃弾が出たわけでも、針が出たわけでもなかった。本当に出たかどうかさえも分からない。だが目の前のハルヒの様子を見る限り何かは当たったようだ。

「‥‥‥っ!」

おでこを抑え、扉にもたれかかり、どんどん力が抜けていくかのように膝が床についた。ガクリと左手の手のひらを床につき、苦しそうに俺を見上げた。ズキンと胸が痛くなる。

 
偽ハルヒは‥‥‥ハルヒは、泣いていた。
 
「‥‥‥悪いな、ハルヒ」
 
朝比奈さんは急いでもう一人のハルヒの方に近づき、うなだれるハルヒを揺さぶっていた。死にそうな目に合わされた相手だと言うのに、朝比奈さんは一緒に泣いていた。ハルヒはわずかに頬に涙が流れる程度だったが、朝比奈さんはわんわんと泣いている。ハルヒのこんな表情見てしまったら、もし一人だったなら俺だって朝比奈さんのように泣いていたかもしれない。目頭が熱い。

「‥‥‥やっと、」

最後の力を振り絞ったかのような声だった。ハルヒのまぶたはもう閉じようとされている。‥‥まるで、‥‥永遠の眠りにつくかのように。

 
「‥‥‥ハルヒって、呼んでくれた‥‥」
 
‥‥‥物理的な力を失い、廊下に完全にハルヒは倒れた。麻酔銃の効果だ。眠ったらしい。

眠っただけなのだ。何も死んだわけじゃない。死んだんじゃないんだ。

‥‥‥なのに。

こんなにも涙が出るのはなんでなんだ。
ハルヒと呼んでやっただけで、どうしてそんなに満足そうな顔出来るんだ。お前は‥‥これから、いなくなってしまうのに。

ハルヒ、どうしてお前は‥‥‥‥‥‥。
バンッと誰かが教室のドアを押し倒してくる。とっさにハルヒを引きずり、下敷きになるのだけは免れさせた。誰だ一体‥‥‥と、そんなことするのは、今この状況には一人しかいないか。
長門だ。

「涼宮ハルヒに能力を返す時間はない。したがって一度私が世界を改変する」

「ま、待て長門。急にそんなこ‥‥」

そんな俺の言葉を全く聞きもせず長門はハルヒに手をかざした。能力なんてそう簡単に取ったり取られたりするもんなのか?
俺がハルヒの持つ能力とやらをどういう形をしているのか確認しようとした途端、朝比奈さんの切迫詰まった声が聞こえた。

「強力な時空震がきます。キョン君、目を閉じて!」

ほんの少しだけでいい。あのハルヒが保持していたものが見たい。
だが長門の手の周りがぼんやりとした瞬間、とてもじゃないが目を開けてはいられなかった。頭がグラリグラリと重力を完全に無視し引っ張られ、鋭い痛みがあちこちに走る。気持ち悪くなってきた。頭を両手で押さえ、今自分がどんな体制でどこにいるのかさえも見当もつかないまま俺はひたすら歯を食いしばった。

まずい‥‥‥

意識が‥‥


 
‥‥‥‥。
 
 









 
 
 
 
『‥‥‥キョン』
 
 

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最終更新:2020年03月08日 15:09