ハルヒが部室に鍵を閉めた後、俺たちは特に話すことなく学校を後にした。
常に無言状態でいる長門が沈黙しているのはまあいつも通りの光景だ。だがそんな長門を間にしてハルヒと俺まで黙りとなると気まずいことこの上ない。こちらが黙ってたって独りで喋るハルヒが今じゃ長門と大差ないなんてのは十分異変としてみなされるであろう‥‥‥が、まあ致し方ないわな。あんなことの後だし。俺も何と声をかければいいか分からん。というよりも声をかけないのが一番に思える。

 そんなこんなで長門と別れ、ハルヒともさよならの挨拶だけ交わし家に帰宅。妹がパタパタとやってきて出迎えの挨拶した後、もうすぐ夕食であるというメッセージを耳に入れながらも俺はマイルームへと飛び込んだ。鞄を置くのも忘れてポケットに手を突っ込み、一枚のしおりをひっ掴む。相変わらずの明朝体の字で書かれたメッセージには、こう書かれていた。
 
【気をつけて
ためらわずに】


‥‥‥え? これだけ?
想像していた言葉よりずっと短いぞ長門。というよりも抽象的すぎて分からん。気をつけろって、何に。ためらわずにって、何をだ。いつも俺に説明する時はもっと具体的で、辞書使っても分からなさそうな言葉を並べるのにどうして今回は‥‥‥。
 いや、長門でさえこれ以上書くのは無理だったのか。そうとしか考えられん。それともしおりに書いたからあまり多く書けなかったか? なんでしおりに書いたんだ長門。
 よく見なくたって長門の文字が書いてある裏面にハルヒの書いたSOS団のマークが目に飛び込んでくる。確かこのマークがカマドウマを蘇させたんだっけか。じゃあ今回もそんなような異変が関係してるということでいいのだろうか。

 どんなに見たって明朝体の字体がポップ体に変わることはなく、とりあえずは服を着替えることにした。映画の件以降我が家のペットとなった雄の三毛猫シャミセンが足元にすり寄ってきては、制服が爪の餌食にならないよう足で追い払う。今でこそどこにでもいるようなこの猫は、驚くことなかれ、元は喋る猫だったのだ。顔に似合わず渋い声で、あの頃は長門とウマが合いそうなくらい哲学的な知識を持っていたが、さっきも言ったが今では普通の猫だ。急に喋りだすこともしないし、かといって急に猫背をやめて立ち上がったりなど‥‥‥

「‥‥にゃ」
 
しない。断じてしない。そう言おうとした瞬間だ。言うって誰に? そんなことはどうだっていい。今目に映った光景を理解するのに頭が追いつかないからな。
今のはなんだ。新手のマジックか? 仕掛け人は誰だよ。出てこい。出てきて家のシャミセンを返せ。

‥‥‥ほんとに一瞬だった。

俺がズボンのベルトに手をかけたまさにその、瞬きをする瞬間にだ。
 
 
‥‥‥‥シャミセンが、‥‥‥消えた。
 
えらい動くの早くなったなシャミ。なんて悠長を抜かしてる暇はない。俺はベルトに手をかけたまま振り返ったり片足を上げたりしてみたが、シャミセンの姿が確認出来なかった。なんだ今のは。ドアは開いてない。ということはシャミセンは俺の部屋の中に違いないが、ベッドの下にもクローゼットの中にもいない。おい、シャミセン。いつの間に瞬間移動なんて会得したんだ。頼むからもう一度俺の目の前に現れてくれよ。猫缶やるから。

 俺の本能が告げていた。何かが起こった。気をつけてってもしかしてこのことか長門。無茶すぎるぞいくらなんでも。
 着替えを中止し、しおりをもう一度ブレザーのポケットの中にねじ込んだ後俺は急いでドアを開けリビングへ向かった。誰もいない。キッチンにも夕食を作っているはずのお袋がいない。まさかシャミセンと妹とお袋が組んで俺を脅かそうとしてるのか。まさかな。だとしたらキッチンの火もとぐらい消すもんな。
 とりあえずは、火事になっては困るので火を止めておく。今日の晩飯はカレーだったのか。くそ、楽しみのうち一つじゃねーか。
 
‥‥長門だ。こんな時は長門しかいない。
胸ポケットからケータイを取り出し、アドレスでナ行を探す。‥‥あった!

「頼むぜ長門‥‥‥」

そう寂しくも独り言を呟きながら、俺が受話器のマークのボタンを押そうとした瞬間だ。

ピンポーン

 
インターホンが静まる家に響いた。インターホンだと?
もう一度ピンポーンと鳴る。出るかでざるべきか。悩むまでもない。俺はケータイを持ったまま玄関へと向かった。こんな時に限って近所のガキのいたずらじゃないだろ。もしそうなら俺はゆっくりカレーを食べることにしてやる。

 ドアを開ければそこにはまたもや見覚えのある顔が立っていた。言うまでもないが近所のガキじゃない。

「‥‥‥閉鎖空間です」

平和の象徴であるニヤケ面を無くした古泉がそこには立っていた。

「なんだと」

「閉鎖空間です」

「この野郎!!!」

俺はケータイを放り捨てた後、古泉に掴みかかった。古泉の顔がさらに苦々しいものへと変わる。

「あと6日あるって言ってたじゃないかお前!! それがなんで今日なんだよ、おい!!」

「お、落ち着いてください!! 争っている暇はないんです!!」

 冷静でもなければ暴力まがいなことまでしてる。その上閉鎖空間が発生した理由を自分が告白しなかったと責められたくがないために古泉や、心の中では長門にまで責めていた。
‥‥最低だな、俺。
 
「一体何故急激に閉鎖空間の範囲が広がったのかは、情けないことですが僕には分かりません。ですが今はその原因を探ることよりもこれを抑えることが先決です!!」

古泉が珍しくもそう声を張り上げると、胸ぐらを掴んでる俺の手を力任せに剥ぎ取った。機関とやらは超能力だけでなく、一応筋力トレーニングもつけさせているみたいだ。古泉が自主的にやってるだけかもしれんが。
 ともかく、今は古泉の言うとおりそんなことを考えている場合じゃないようだ。古泉にそう怒鳴られ思考回路が少し冷静になってから気づいたが、俺の家以外は全て明かりが消えている。まるで人の気配がしない。

「‥‥閉鎖空間、って言ったな」

「ええ」

古泉はネクタイを結びながらそう答えた。家に帰ってからも学生服から着替えてなかったようだ。

「なんでお前がここにいる」

「それは‥‥ここは喜ぶべきなのかどうかは分かりかねますが、僕も貴方と同じく涼宮さんに招待されたからでしょう。5月の時とは違い、それほどSOS団の繋がりは濃かったということです。貴方や僕だけではなく、朝比奈みくるも長門有希もここにいるでしょう」

 長門‥‥そうだ。
俺は古泉に背を向け、思わず後方に投げてしまったケータイを取りに行った。

「無駄ですよ。圏外です」

ケータイの画面を見ようとした時古泉がそう言った。圏外‥‥‥しまった、忘れてた。
 
「しかし幸運なことにも、閉鎖空間ということで僕の能力がフルに使えます」

古泉が微笑みながらそう声に出すと、赤い光が古泉の周りへと集まっていった。

「貴方の家に早く来れた理由もこれです。僕はこれから朝比奈宅へと向かいます。貴方は長門さんの所へ」

「行って‥‥その後どうすりゃいい。どこへ行けばいい」

「おや? 貴方ともあろう方がお気づきではないのですか?」

徐々に赤い球体へと化していく古泉が、声を反響させながら俺にまるで面白いジョークを聞かせるような口調で言った。

「もちろん、学校ですよ」


 
「では」

そう一言付け加え、古泉は鷹が獲物を見つけた時に急降下するような速さで西へと飛んでいった。朝比奈さんの家ってそっちなんだな。知らなかったぜ。

「でも今は長門だ‥‥‥」

長門が邪魔したからこんなことになったのでは? と疑ってしまう気持ちが心の隅にある。今まで散々長門に助けてもらっておきながら、そんなことを思ってしまうのはいくら相手が宇宙人とはいえあんまりだろう。少しでも都合が悪くなると他人のせいにするのは良くないことだ。良くないことなんだぞ俺。

「シャキッとしろ‥‥‥」

ママチャリの鍵を取りに家へと戻る。長門に会いに行った後学校へ行くとなると断絶走るよりチャリの方がいいからな。さすがに坂道は諦めるしかないだろうが。
 
長門はちゃんと待っていてくれていた。もちろんマンションの外で。

「長門」

「状況は把握している」

「そうか」

 長門が俺の隣へやってきたので、後ろに乗るよう指で合図した。周りが暗いせいか長門の瞳の色はよりブラックさが増していたが、そんな中でも本当に乗っていいのか訪ねるような礼儀正しい輝きは失っていなかった。もちろん、いいとも。
 長門を乗っけ、俺は学校へと全速力で向かう。真っ暗な道の中、電灯の明かりってやっぱり大事なんだなと思いながらも俺は自転車の回転にともない光る心許ないランプを頼りに道を進んでいった。まあ車はこないから大丈夫だろう。思い切って車道へ出てみる。とは言っても、本来自転車は車道を通らなきゃならないんだけどな。

「‥‥‥‥こうなることは避けられなかった」

まるで重力を感じない長門がそう呟いたのが聞こえた。自転車の漕ぐ音以外はそれしかなかった。

「どういうことだ」

「貴方が涼宮ハルヒに好意を伝えていても、伝えることがなかったとしても、遅かれ早かれ必ずこうなっていた」

「そりゃ、なんでだ」

今まで長門の無機質さに安心したことは幾度もあったが、その返答だけは無機質さが余計に不安を煽った。

「何故なら、」
 
 
「この情報爆発を起こしたのは、涼宮ハルヒではないから」

キキーッと自転車が唸りを上げて止まる。坂道だ。


「長門、それはい‥‥」

「上って」

「いや、だがな」

「大丈夫」

大丈夫、か。俺は長門を自転車に乗せたまま長い長い坂道を走ることにした。朝かったるく上ってくるのが嘘のようだ。電動自転車よりずっと楽に足が動く。


 
「‥‥‥誰だ」

「‥‥‥」

「今回のこの世界征服みたいなのを企んでいるのは、一体誰なんだ」

「言えない」

言えない? 言えないってなんだ。言わない、じゃなくてか。

「‥‥‥‥‥」

 自転車が学校に向かうにつれて、俺の足取りは重力を取り戻したかのように重くなっていった。俺の告白は本当に関係なかった、それが確かになったというのに。

「長門の親玉が言うの禁止してるのか?」

「‥‥‥‥」

これも駄目か。首を縦か横かに振ってくれるだけでいいのに。
 それから少しの間があったが、長門のおかげでどうにか早めに学校の校門前へ来れた。まだ古泉達は来てないようだ。

「入れない、か」

相変わらず寒天のような壁が俺の手の行く手は阻む。長門も興味を持ったのか片手を壁へとくっつける。反応は俺と同じだった。

「入れそうか?」

ふるふると、微かに首を横に振る長門。
良かったな古泉。お前の専売特許その1は守られたようだぜ。
古泉、か‥‥。

「なあ長門」

こちらを見ないで当の本人は壁をプニプニつついたりして遊んでいた。遊んでいるように見えた、が正しいのかもしれんが。ともかく、耳は耳でちゃんと働いているだろう。遠慮なく話すことにした。

「今回、ハルヒの力を使ったのが他の奴なら、どうやってハルヒと同じ力を得たんだ? なんで俺たちSOS団をここに残したと思う?」

無言か、と思いきや長門はちゃんと返事はしてくれた。

「涼宮ハルヒの自律進化の可能性を握る、情報を生み出す力は現在全宇宙の中で1つしかない。その保有者が涼宮ハルヒだった」

だった、ね。

「誰かが奪ったってことか」

爪先で壁をなぞる。水面をなぞるかのようになめらかに動くその白い指は、肯定と捉えても良さそうだ。

「何故私達が此処にいるのか」

長門はそう区切り、

「不明」

とだけ言った。

「その犯人が意図的に残した可能性は?」

これの返事はサイレント。だが勘でわかる。きっと犯人にも想定外だったんじゃなかろうか。
 どういう筋道でハルヒの力を奪取したかは不明だが、おそらくハルヒから力をとったのは連続的な閉鎖空間が起こる前だ。その前はハルヒが能力で噂をあれやこれやの人々にバラまいたから、その間だろう。そして手に入れるや否や長門に口止めするよう、願望を実現する能力を行使した‥‥。

 ‥‥疑問点残りまくりだ。しかし今はこれだけのことしか分からない。少なくとも俺の頭じゃな。
俺が真犯人は誰なのかを思惑していると、古泉達が飛んでやって来た。朝比奈さんが古泉にお姫様だっこされて顔を赤面させている。古泉、無事にこのことが終わったら覚悟しておいた方がいいぞ。新月の夜とかな。

「ええ、楽しみに待たせてもらいます。その為にも、これを早く終わらせましょう」

古泉がお得意のスマイルのまま学校へと歩み寄ろうとしたので、俺はそれを止めた。長門と話す前のこいつの様子から察するに、真相を知らなさそうだからな。
 俺は朝比奈さんと古泉に長門から聞いた話をダイジェスト版で伝え、顔が青ざめていく朝比奈さんや笑みが消えマジな顔になっていく古泉達の反応を伺った。
 古泉は話を聞き終えると、すぐさま俺に頭を下げた。おい、やめろ。

「いいえ、言わせてください。本当に申し訳ありませんでした」

「俺だってお前の胸ぐら掴んだたぞ。謝るのはむしろ俺の方なんだから、顔を上げてくれ」

オロオロする朝比奈さんを横になんとか古泉は顔を上げた。表情からは本当にホッとしたものが見える。筋肉トレーニングは知らんが、機関とやらはどうやら馬鹿丁寧な礼儀作法を訓練させてるみたいだな。

「古泉。ハルヒは今どこにいる? 学校にいると思うか」

学校をおおうゼリー壁を一瞥しながら、古泉は「断定は出来ませんね」と、不安残る返事をした。俺の告白の推理が外れていたから自信でもなくしたか?
 
「貴方の家に訪れる前に、真っ先に涼宮さん宅へ向かいましたが、明かりは皆無でした。僕はてっきり涼宮さんが起こしたものばかりだと信じきっていたので疑問にも思いませんでしたが‥‥‥そうですね、長門さんの話が本当ならば涼宮さんが此処にいるかどうかまでは分かりかねます。能力を持たない彼女は普通の女子高生ですからね。本当の世界に取り残された可能性は低くありません」

俺も普通の男子生徒なんだがな。

「ですが、この学校には確かな第二の閉鎖空間があります。閉鎖空間を引き起こした者から招待を受けた者が入れる、いわゆる私的領域です。真犯人は間違いなくここにいるでしょう。僕たちが学校の中側にいないということは、パーティーの招待状を送っていないということですから、僕たちの存在は彼もしくは彼女にとってはイレギュラーそのもの‥‥‥」

手の平を壁に当て、表面を震わせる。

「‥‥‥入れます。皆さん、手を繋いでください」

 閉鎖空間にダイレクトにくぐったことがあるのは俺と古泉しかいない。覚悟を決めて俺が古泉の差し伸べられた手を握ろうとした時、ひじの部分に小さな力が加わった。掴んでいるのは朝比奈さんかと思ったが、意外にもそれは長門だった。青白い光に照らされた長門がもう片方の手に持つものを俺に差し伸べる。

「これは‥‥‥?」
 
拳銃。今ある俺の頭の中にあるわずかなボキャブラリーを用いるならこれほどピッタリな言葉はあるまい。SF映画に出てくる未来人が持つ光線銃とも言っても大体の形が想像つくんじゃないか?

「また物騒な物を持ってきたな。これで戦うのか?」

「戦うためのものではない。戦力をほぼ無力に低下させる殺傷能力のない道具」

よく分からんな。もっと簡単な言葉で言ってくれ。

「麻酔銃」

 ちらりと横を見れば朝比奈さんも同じ物を持っていた。ウマの耳に念仏、ということになるような気がしてならないんだが。

「着衣の上からでも戦力を抑える確率は高いが、出来れば皮膚直々に当たるよう打つのが好ましい」

「俺は親父がハワイに連れて行ってくれたことがないからな、こういうものを扱うのに慣れてないんだ。持ってたって意味なしになるかもだぞ」

「それでも所持すべき。何故なら私は今回、攻撃許可が出ていない」

なんだと。また親玉の禁止令か。つまりいつぞやの朝倉の時みたいに、相手を分解させる因子を交えてどうこう出来ないということになるのか。

 
なんでやねん。

「‥‥‥‥」

話すことはもう話した。そう言いたげな無言だった。

「行きましょう。あまりゆっくりしていると、世界が入れ替わります」

 古泉の分の麻酔銃はないようだ。まあそれもそうか。赤い粒子を使った専売特許その二があるしな。
古泉の手を俺が握り、俺のもう片方の手を朝比奈さんが、そして長門。

「皆さん、目を閉じてください」

どうでもいいが未来人も超能力者も力を発揮するところを見られると何か恥ずかしいことでもあるのか。実は人生における最大限の変顔をしてるとか、まさかな。
古泉が率先して歩き始めたので、急いで目をつむり古泉にならった。くぐる時に水面にあたる感覚があるものなんだとまこと勝手に意識してしまうのだが、今回もやはりそんな感覚はなく、数歩歩いただけで俺たちは閉鎖空間の中へと入ることに成功した。目を上げれば広がるは灰色の世界。文字通りグレーゾーン。ん、意味は違うか。

「神人はまだいませんね‥‥‥それとも、とっくに僕たちの本当の世界の方へ出てしまったか‥‥ですね」

「冗談はやめろ。で、この後どうするんだ」

ハルヒを探すのか。
元締めを探すのか。

「同時進行がいいと思われます。一応僕も含めて全員が防御手段を持っていますから、探すのもバラバラがいいかと」

朝比奈さんを独りにするのか。その考えには賛同出来ん。

「ではこうしましょう」

古泉が人差し指をわざわざ立てて提案をした。本当にそういう仕草好きだなお前。
 
「2人ずつに別れましょう。戦力的に分けて長門さんと朝比奈さんのペアでいいのでは?」

長門は攻撃出来ないんだぞ。

「防御も出来ませんか?」

「可能」

「だそうです」

要注意人物に危害を加えるのはアウトなのか。

「‥‥‥」

「決まりですね」

古泉はそう言い切ると、校舎を指差した。まるで犯人を名指しする名探偵のように。

「僕たちは旧校舎を含めた西館側を、長門さん達は体育館を含めた東館側をお願い出来ますか?」

「ええと、そのぅ‥‥‥」

どことなく不安そうな素振りを見せる朝比奈さん。それはまだ見ぬ敵が校舎にいることもあるだろうが、大部分は長門と一緒だからかもしれない。しかし守ってくれることに関して長門ほど心強い者もいないのは確かだ。朝倉の時も、俺が受けた傷は長門自身に蹴られたところ以外はない。
 ‥‥‥‥朝倉、か。

「どうかしましたか? 僕達も早く行きましょう」

気づけば長門達はすでに校舎東館へと歩を進めており、俺達はぽつねんと運動上に立ちすくんでいた。

「いや、犯人は誰かを考えていただけだ。行こうか」

「ええ。とは言っても僕は部室にいるのではないかなと思っているのですが」

 SOS団、もとい文芸部室にロングヘアーの女子生徒が窓の向こう側を眺めている光景が目に浮かぶ。まさか。あいつなら長門に消されたはずだ。
不安に苛まれながらもやや駆け足気味で俺らは学校へと侵入。入り口は長門が先に開けておいてくれたようだった。

「涼宮さんにしろ、遅れてやってきた異世界人や何かにしろ、部室では何かが待ち受けているでしょう。まああくまで僕の勘ですが」

自身あり気だな、古泉。だったら最初から4人で行けば良かったじゃないか。

「もしも、ということがありますからね。また外れたら恥ずかしいでしょう?」

古泉に限らず、俺や朝比奈さん、恐らく長門でさえも真っ先に部室が怪しいと目論んでいたと思うんだがな、まあいい。とりあえず行ってみなきゃな。

 電気をつけようとしたが、古泉に「犯人に気づかれない方がいいでしょう」と言われ仕方なく暗闇の学校内をなるべく音を立てずに旧館へと向かう男子生徒2人組。状況だけ見れば肝試しをしにきた友達に見えなくもない。

「着きました」

言わなくても分かってる。

「電気がついてないようだが」

「‥‥‥‥‥」

長門の真似か、無言で俺に返事をする。そしてどことなく緊張した趣でドアを古泉は開けた。緊張から解放され、頬の筋肉が緩むのが垣間見える。

「‥‥‥敵はいません」

敵はいないな。んでもってハルヒもいないじゃねーか。絶不調だな今回も。

「となると虱潰しに探すこととなりますね」
 
「じゃあ僕は一階から探していくので、貴方は三階からお願い出来ますか?」

文芸部室は2階にあるからな。ちょうどまたこの部屋に落ち合う形になるのか。いいだろう。
 そうやって俺たちは別れることになり、俺はといえば明かりもなしで独り真っ暗な教室を探すのはさすがに気がひけるのでパチパチでスイッチを押しては一通り見渡し、そして消すという行動を繰り返していた。ドアを開けた瞬間、エイリアンよろしく急に襲いかかってくるというハプニングにはどうにか合わずに済み、またもや二階を探しに来た時は本当に敵なんているのかどうかを疑い始めていた。古泉はまだ一階を探しているのか。先にSOS団のドアを開けさせてもらうぜ。

二度目の、いや、本当の世界を含めて三度目の部室訪問。客観的に見れば実に団員その一らしい行動だ。といっても、SOS団の求める不思議体験なんて面倒くさい事柄は俺は即刻パスするがな。

「‥‥‥‥ん?」

‥‥‥そうやって、少し自分も平和ボケな考えをしていた頃だ。今まで当たり前のように点いた電灯が、ここでは点かないことで少し焦りが出始めた。何故この部屋だけ点かない。本当に電灯が切れちまったか?
 パチパチと何度も無意味に押してはみるものの、効果なし。電灯が点かなかったぐらいで何を動揺してるんだ俺は、とツッコミを入れたいが、しかし何故だか俺にとってそれが何かとても悪い予感なような気がしてならなかった。
 
古泉を待とう。なんだか入らない方が良さそうだ。
二階をまだ探していないらしい古泉のために、俺はコンピ研の部屋を調べる。まあもしがなくてもハルヒはここには来ないだろうが‥‥‥。
 俺自身、コンピ研に訪れるのはこれで二度目である。だから詳しくはどこに電気のスイッチがあるかは知らないのだが、まあ文芸部室と同じだろう。手探りで壁を探ればスイッチは意外と早く見つかり、それじゃ遠慮なくとボタンを俺は押した。

 
‥‥押した。点かない。
もう一度試しにやってみる。点いた。なんだよ、びっくりさせないでくれ。

‥‥‥‥にしても、随分とコンピ研の電灯の光は幻想的だな。部屋全体に海が広がったかのように綺麗な青色に‥‥‥‥って!


 
「部屋から出てください!!!」

言われなくても分かってる、っと大声で返事つける代わりに俺は体を翻し、ドアをも閉めずに部屋を出た。

――――‥‥‥間一髪!! この表現ほどぴったりなものはない。

 俺がコンピ研の部屋前を横切るのとほぼ同時に、背後がとてつもない破壊音でぶっ飛ばされるのを耳にした。騒音なんてもんじゃない。ニトロ爆弾がコンピ研部長のパソコン近くで暴発したと言ったほうがまだ通じる。人生の内でこれほど死が近づいたのは初めてだ。朝倉の件と同位でトップを占めている。
金輪際会いたくないベスト2にノミネートされてる奴の手が、俺の背後にあった。窓側から部室に向かってパンチしたらしい。するな馬鹿。

「神人です!!」

だろうよ。あれがハルヒに見えるか?

「どうすんだ!?」

「僕一人では‥‥‥どうにもならないでしょう。ひとまず、長門さん達と合―――」

けたたましい轟音が真上で鳴り響き、古泉のその先の言葉は聞こえなかった。今度は三階のどの部屋かは知らんが吹き飛んだらしい。

「‥‥一刻も早く、」

さすがの古泉もこれにも苦笑いさえも浮かべていない。

「涼宮さん、あるいは犯人を」

そう言い終えると、神人とは対照的な赤い輝きを体中に集めだす。まさか一人で戦う気か。

「いくら僕でもそれはそんな無茶はしません。神人一体を倒すのに最低でも5、6人はいないと」

「じゃあ何をする気だ」

俺の言葉も少し語気が強くなる。そう喋らないと聞こえないからではない。

「囮ですよ。少し神人を遠くに追いやるだけです。それよりも急いでください。稼げる時間はそう長くありません」

神人がパンチで開けた穴から音もなしに、球体となった古泉は高速で神人のもとへと飛んでいった。さっきまでのんびりとハルヒを探してたのが悔やんでも悔やみきれないぜ。
 しかし、どこにいる? 部室にもいないし、もし五月の閉鎖空間の時にハルヒと出会った場所ならばとうに長門達が見つけてるはずだ。連絡がないのは何故だ。

「どこだハルヒ‥‥‥」
 
今回はマジでハルヒがいないのか? 有り得なくはない。能力を持たないハルヒは普通の女子高生云々を古泉が言っていたこともある。となるとハルヒではなく犯人を探さなきゃならんことになるのか。どちらにしよ、神人が出た今は長門から借りた武器を常に手に持っといた方が良さそうだ。もしハルヒが居て武器が見つかっても、こんだけ校舎が滅茶苦茶になってるんだから今更だろ。
 
そうこう無駄な時間を過ごしている内に、また青白い光が元コンピ研室から漏れだした。まずい!!

 俺は何故だかとっさにSOS団のドアをひっ掴み、気づけば中に入っていた。ここはコンピ研の隣なんだから逆にまずいだろ!
冷静な思考とパニックとが争いながら、今一度部屋から出ようとドアノブを握ったところで俺は強烈な揺れを感じ、体制を崩してしまった。また三階にパンチが打たれたらしい。
 ふと窓を見れば奴の胴体が全面に広がっていて、そこに赤色の何かが体当たりをする瞬間だった。あまり効いているように思えない。

「‥‥‥‥!!」

 何かの助けになるかもしれない。ふいにそう思い、銃を片手に握り、俺は窓へと駆け寄った。麻酔銃とは言ってたが、なんといってもメイドインスペースだ。神人相手にも案外効くかもしれん。
鍵を開け、片手で窓を開けようとするところまでは良かったのだが、何故かそこから先に進まない。つまり窓が開かないのだ。

「どうなってる‥‥‥」

窓のすべりが悪くなったなぁ、とかいうレベルではない。両手で窓を開けようと全力を注ぎ込んでいるのにまるで瞬間接着剤で固めたかのようにびくともしないのだ。何故。

「そんなの俺が知るか」

この際なんでもいい。窓さえ開けばいいのだ。多少手段が強引でも、どうせ閉鎖空間の中なのだから構やしないさ。
 俺は側にあった団長様の椅子を握ると、思いっきり窓にぶつけた。映画のワンシーンに窓がスローモーションで割れる場面があったりするが、まさにそんな感じに‥‥‥‥なるはずだった。
俺が投げた椅子は予想外にも鈍い音を立てた後窓から跳ね返り、部長から奪ったパソコンへと激突した。言うまでもないがパソコンは床へと落下し、液晶画面がバリバリに割れていた。いつからうちの学校を防弾用を採用したんだ。いや、皆まで言うなよ。俺にだって分かってるさ。どうやらこの部室だけは安全地帯らしいってことがな。

 
兎にも角にもこの部屋からはどうしようも出来ない。ならば部屋を出よう。
足早にドアへと寄り、開けようとした瞬間だ。
 
思わず、反射的に体がビクッとのけぞったところだろう。ドアノブを握ったまま、真後ろにいる幽霊でも見るかのような仕草で俺はゆっくりと振り返った。

 
‥‥‥簡単な例を上げようか。ある男性が透明なガラス箱を用意、その中にコイン入れて蓋をした。完全密閉空間の中にあるコインは箱に穴でも開けない限り外に出ないのだが、不思議なことにその男がシャカシャカと箱を降っている間に、そのコインが消えてしまうのだ。もちろん観衆の目の前だ。
あるべきはずの物が消えるというビックリ現象を見せつけられ人々は驚きの表情が隠せないのだが、まだまだ超現象は終わらない。その男が再びガラス箱を音もなく降り始めると、これまた不思議なことにいつの間にやらシャカシャカと上と下の面に交互にぶつかるコインの音が反響し、振るのを止めればさっきまで消えていたコインがまた出現しているのが目の当たり出来ているという‥‥‥。

 何が言いたいか、お分かりになられただろうか。
この部屋はどう考えても密室で、窓を破ることが出来なければドアを通ることも出来ないはずだ。俺がドア側にいるからな。

しかしハルヒは確かに、団長席の側にいた。

俺の視力が相当衰えていない限り、腰に手を携えこちらを見据えているのはハルヒに違いない。あんなポーズをとる奴他におらん。

「ハルヒ‥‥‥」

体の向きを変え、ハルヒと対峙するような形で俺はハルヒと向き合った。銃は背中とドアの間に右手で隠している。そこらへんは抜かりないぞ。

「‥‥‥いつからそこにいたんだ?」

どうやって、の方が正しい質問だったかもしれない。

「さっきよ」

そう曖昧で素っ気ない返事をすると、ハルヒはこちらを見るのを止めて背後の窓の景色を見始めた。外では古泉がなんとかして神人を遠ざけようと奮闘している最中だ。

「‥‥‥茶でも飲むか?」

何を言ってるんだ俺は。こんな校舎が穴あきだらけになって、悠長にまずい茶を啜っている暇などないんだぞ。ハルヒと二人、こうして文芸部室にいるというのが懐かしく思えたからだろうか。とはいっても、数時間前までも二人きりだったんだけどな。
そんな言葉をハルヒはガン無視を決め、ただ黙々と古泉と神人の戦闘を眺めていた。現代版ダビデとゴリアテの闘争シーンを窓というスクリーンを通して見る一般客、ハルヒ。


「なあハルヒ、とりあえずここを出よう。実は長門達がいるんだ」

だがハルヒはこちらに関心を示さず、ただひたすらに窓の外を見ている。そんなにそれが面白いか。

「‥‥‥なあハルヒ、」

「いいじゃない」

口を効いたと思えば主語がない。何がいいんだ。

ハルヒは顔だけこちらに向き直り

「アンタがここにいて」

また窓へと視線を戻してから

「あたしがここにいる」

そして締めの言葉に

「それでいいじゃない」

とだけ言った。それってどういう意味だ。取りようによって告白にも聞こえなくないぞ。
 しかしそんな揶揄するようなことを言ったってハルヒはもうこちらに向くことはなかった。いつもなら
「何言ってるのよキョン!! あたしがそういう意味で言うわけないでしょ!!」
ぐらい言ってくるのに。
とにかく、そんなハルヒの言葉に惑わされる俺ではない。なんとかしてテコでもあそこからハルヒを引き離さなければ。俺は続けざまに質問をすることにした。

「ハルヒ、どうだ最近は」

「‥‥‥‥」

「学校楽しいか? SOS団の活動とかさ」

「‥‥‥‥」

長門ばりの無言。それはつまらないっていう意思表示じゃないだろうな。まさかこっちの、赤い球体と青い巨人が闘っている非日常の方が楽しいか?
お前にとってSOS団なんてそんなものだったのか?
 今世界を飲み込まんとばかり広がっている閉鎖空間は、今回ハルヒが起こしたものではない。でもこのハルヒの様子を見ていると完璧な無関係という風に判断するのは早とちりというやつだ。そうだろう? というより、むしろ‥‥。
‥‥‥‥。

「お前はここにいたいのか?」

「‥‥‥‥」

「SOS団を作って半年だな。それまでにいろいろやってきた。夏には野球、七夕、部長探し、古泉のサプライズ企画、プール、盆踊り、花火大会、バイトや天体観測、昆虫採集したり俺ん家で宿題を皆でやったよな。秋になってからは映画を作り出して放映するわいきなりライブに出るわして楽しんできた。もちろんハルヒだけじゃないぜ。俺や古泉、朝比奈さんや長門全員がSOS団を通じて楽しんできたんだ。そしてこれからも。まずは冬に古泉がきっと何かしてくれるだろうさ。そんな不思議な何かが待っているのに、ここにいるのがいいのか?」

ハルヒはSOS団の目的を覚えているよな? 宇宙人や未来人、超能力者達を見つけ出して一緒に遊ぶことなんだろ。もう願いは叶ってるんだぜ。わざわざこんな世界に留まらなくてもな。
覚えて‥‥‥るよな?

「ハルヒ。SOS団って何だったか覚えてるか?」

「‥‥‥‥覚えてるわよ」


そうか、良かった。

「何するところだったけ」

「あんた、団員その1のくせにそんな大事なことも覚えてないの?」

「‥‥ああ。何分記憶力が弱い上に、普段はボードゲームしたりマンガ読んだりしかしてないからな。で、なんだった?」

「もう、世界を大いに盛り上げるために活動するための涼宮ハルヒの団じゃない。忘れないでよね」

「ああ、そうだったな」

‥‥‥‥。

「またまたつまらない質問悪いんだが、確か前に一度こんなとこに迷いこんだことあったよな」

「‥‥‥あったわね」

「あれいつだった?」

「‥‥‥忘れちゃったわよ。結構前でしょ」

「まあ確かにかなり前だったな」

 ここまで会話して、俺の中で何かが引っかかっていた。なんだろう。何かは分からないが、身の毛のよだつ戦慄がそこには含まれているような気がする。嫌な予感しかしないぜ。それも飛びっきりのな。
意識もせず俺の心臓はバクバクと音を立て始めていた。放課後も心臓を高鳴らせてはいたが、それとは全く似て非なるものだ。恐怖と緊張の入り混じる本能が動かす鼓動。やばい、口の中が乾いてきた。

「‥‥‥ハルヒ」

「何」

俺が何度も何度もハルヒハルヒと質問ばかりしているのに、文句一つ言わないで冷静に答えるハルヒの姿がますます異様に思えてきた。まるで質問されるのを待っているかのようだ。ははは、いくらなんでもそれは気のせいか。
気のせいであって欲しい。
 俺はハルヒの後ろ姿を凝視しながら、頭の中で緊急裁判を行っていた。陪審員は11人だ。いや、ここは日本らしく裁判員5人としておこう。
そしてその議題はこれだ。一世一代の賭けに出るか出ないか。とある質問をするかしないかと置き換えられる。あの質問をするのは簡単なのだ。しかし、あれは二度と思い出したくない出来事で‥‥‥。


―――――ためらわずに。
‥‥‥‥‥。

「前、こうしてこんな妙な空間に留まった時さ」

長門の言葉に後押しされ俺はゴクリと唾を飲み、有り金全て賭け半か丁かの選択を余儀なくされ、ええいままよと丁を選択した趣でもう一度口を開いた。
 
「俺たち、どうやってここから出たか覚えてるか?」

「‥‥‥‥‥」


ドクン、と心臓が脈打った。後ろに隠した麻酔銃を握る力に思わず力が入る。この質問に何の意味があるのか。返答のあとには何が待っているのか。知りたくない。

「‥‥‥‥‥‥さあ、」

ハルヒがそう呟いた時、一瞬だが笑ったような気がした。それがどういう笑いなのか‥‥‥

「覚えてないわね」

‥‥‥‥‥‥‥。
覚えて‥‥ない?

「だってかなり前じゃない。あたしそういうの興味なくなっちゃうと、忘れちゃうのよね」

せめてこっちを向いてそれを言ったらどうなんだ。覚えてないだと。俺だっていつまでもこんなこと覚えておきたくないさ。出来ることなら忘却の彼方に消し去ってしまいたいような記憶だよ。だが今回ばかりはこれを覚えておいて良かったと心から思うぜ。
 ハルヒの「覚えてない」は、明らかに作りものだった。それは恥じらいの行動も言動も含まれておらず、ましてや本当に忘れてしまった反応ではない。知らないのだ。今目の前で神人と古泉の戦いを目視している俺の目の前のハルヒはこういう事実があったことを完全に知らないでいるのだ。

‥‥‥まさかと思うだろ。だって誰も考えないはずだ。そうだろ? 教室の後ろのクラスメートの様子が少しいつもと違うからって、わざわざ指さして「お前はいったいなんなのか」なんて叫ばないだろ。誰だって真っ先に風邪をひいたか、腹イタを起こしたか、教科書忘れたかを疑うはずだ。
 つまりだ。何が言いたいかと言えば、俺は今の今までになって、まさかこんなアホな質問をすることになろうとは思ってもいなかったのだ。

 
俺にとって「進化の可能性」でも「時間の歪み」でもましてや「神」などではないと思っていた女子高生。そいつに麻酔銃をゆっくりと向け、一言だけ言ってやった。












 
 
「お前、誰だ」
 
 
 

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最終更新:2020年03月08日 15:09