「最近、涼宮さんとはどうなんですか?」

「どうって、何がどうなんだ」

「とぼけないでくださいよ、仲がよろしいそうじゃないですか。僕としても、とても助かります」

別段、仲良くしてるつもりはない。ハルヒはいつも通りだし、俺もいつも通りだ。しかし古泉曰く、最近は閉鎖空間もほとんど発生しなくなったし、発生したとしても小規模なもので、神人もそんなに強くないという。これは涼宮ハルヒの精神がとても穏やかなことを意味してるんだそうだ。

「特に良かったのは、涼宮さんが悪夢を見なくなったことです。おかげでこちらの睡眠が妨げられるなんてこと、もう無いですよ。全くね」

ハルヒの開催した読書大会週間終了まで今日含めてあと1日。つまり今日終わるわけだが、俺は部室でパソコンをいじりながら昼飯を食っていた。インターネットから哲学書を読んで、どう思ったかを載せている人から、そういった感想文を参考にしようと思ったからだ。

「それは参考ではなく、丸写しです」

黙れ古泉。こちとら切羽詰まってるんだよ。

「というより、なんでお前までここにいるんだ」

「ふふ、一応貴方に近況報告をしておこうと思いましてね。多分感想文を1枚も書いていないでしょうから、きっとここに来るだろうと」

やっぱりお前は嫌な奴だ。そんなんだから俺の中でのお前の株がどんどん下落していくんだよ。どこかの航空会社のようにな。
俺と古泉が話している最中、長門は部室で科学の本を読んでいた。長門はもう昼食が済んだのか、あるいは宇宙人は昼食べなくても平気なのか。でもこんな細い体をしながら、案外大盛りカレーを3人前くらいペロリと食べてしまうかもしれない。まあ、さすがにそれはないか。

「長門、今何冊目だ?」

「72冊目」

なんかもう長門だけ別の大会開いてないかこれ。1日10冊読んでも達しないぞ。

「長門も本を読みすぎて、ハルヒみたいにならないようにな」

「‥‥‥‥」

 ハルヒは本の読みすぎで、睡眠不足まで陥った。でもあの部室での快眠以来、家でもちゃんと寝てるようだ。目のクマはもうないし、元気だってバリバリだ。いつも通りのハルヒに戻ったというわけだ。塩をかけられて干からびそうなナメクジのようなハルヒもそう見られるようなものじゃないが、やはりこちらの方がハルヒらしい。

「いつも通りのハルヒ‥‥か」

「ん? どうかなさいましたか?」

「いんや。お前は大人しく弁当を食ってろ」

フフ、とにこやかに弁当を食べている古泉にも、3度の飯より本、といった長門にもまだ言ってないが、ハルヒは少しだけ何か変わった気がする。具体的に何、とは言えないし、その変化も顕微鏡で覗いても分かるか分からないかの微々たる物なんだが、何故だかハルヒは何かが変わったと確信を俺は持っていた。

性格、ではない。ハルヒとのやり取り、でもない。いつも通りのハルヒなんだが、何かが違う。
その答えは結局、有難い哲学の本を読んだ感想文を写している間にも出なかった。ハルヒがあの日素直に感謝を述べたというのがどうもむずかゆいのだ。何故だ。

「コイですかね」

「なんだって?」

「いえ、この魚はコイかな‥‥って」

紛らわしいことを言う奴だ。だからお前はいつまでたっても平均株価30円なんだよ。

 パタンと長門が本を閉じ、もうそろそろ昼休み終了の合図5分前だ。書けた感想文は2枚。これはもう駄目かもしれんね。

「ではまた後で」

「‥‥‥‥」


長門も古泉も自分のクラスへと向かい、俺もクラスへと戻ることにした。さてさて読書感想文どうするかな。国木田とかそういう本を読んだ経験とかないだろうか‥‥‥。

 健全たる高校生が悟りの境地に入り、ましてや俺の友人の中にそのような人物が紛れこんでいるなんてことはなく、俺は授業中の時間を削って読んでもいない哲学書の感想文を書こうとしたがやはりペンは進まず、あれから全然進んでいない形でハルヒに提出することになった。

「補習よ!!」

団長がいつの間にか図書管理職に変わっており、管理職様は俺にそう言い渡した。ハルヒ、俺が言うのもなんだが、10冊しか読んでいないお前は、あれからさらに1冊読み計73冊を読破した長門に図書管理職の座を引き渡すべきじゃないか?
 
「みくるちゃん12冊! 古泉君10冊! 有希は73冊! で、あたしが10冊!!分かる、キョン? 皆ノルマの2倍は読んでるのにあんただけ0冊よ!」

ちょっと待て。よく見ろハルヒ。感想文は2枚出してるじゃないか。俺としては上出来な方だぞ。

 しかしハルヒは俺の感想文をまじまじと見つめ、

「キョンがこんな知的溢れる文章を書けるわけないでしょ」

と、一言。至極ごもっともだが、それを他人に言われると腹立つのは何故だ。ホワイ?

「大体な、俺に哲学なんてはなから無理なんだよ。せめて物語とかにしてくれ」

小説だって無理だろうが、一応の抗議だ。まあ哲学書よりはページは進むだろう。

「クジ引きで決めたことなんだから、それに従いなさい! キョンは放課後、必ず哲学書を毎日ここで読んでいくこと! 10冊!!」

「10冊!?」

俺の記憶が宇宙人に改造されてなければ、ノルマは5冊のはずだが。

「当然でしょ。皆2桁読んでるんだから。有希なんて、あと3日あれば100冊なんてあっというまよ。だからあんたは10冊読みなさい! 延滞料よ!」

延滞料ってなんの延滞料だ。1週間で5冊読まないと10冊に増える延滞料なんて初耳だ。延滞量の間違いだろ。
 しかし抗議したところで、もはや最後の審判を下し終わったかのようなハルヒの耳には届かず、俺は古泉とボードゲームをする時間を毎日削って本を読む羽目となった。

「相手がいないと寂しいものですね」

こんなことを言い、俺が死ぬような思いで哲学書を読んでいる隣で朝比奈さんとオセロをやってる奴の平均株価は、30円から0へと下落していった。
喜べ。もう何倍しても0だぞ。
 
長門が本を閉じても、補習は終わることはなかった。長門、いつもなら下校時刻30分前に本を閉じるのに、最近はやたら閉じるのが早くなったな。頼むからチャイムが鳴るギリギリまで読んでくれよ。でないと‥‥‥

「お先に失礼します」

「頑張ってね、キョン君」

「‥‥‥‥」

「ほら、キョン! まだ半分以上あるわよ!」


ハルヒと2人きりになってしまうだろうが‥‥‥。

「なあ、ハルヒ。俺が苦しんで本を読む様はそんなに面白いか?」

「頭良くなるには苦痛が必要なのよ。アホになりたいなら楽すればいいわ。一瞬でそうなるから」

俺はこの時ほど一生アホのままでもいいと思った瞬間はない。
 しかしハルヒも暇な奴だ。長門達が帰り、秋だからか日が落ちるのが早くなってきたこの時間帯に、わざわざ電気つけて俺の隣で一緒に本を読んでやがる。団長席はあっちだぞ、ハルヒ。

「うるさいわね。席なんてどこでもいいじゃないの」

そう言って、でも一応か席を立ち、団長と書かれている三角錘を持ってきて、机の上にバンと大きな音を立てて置いた。

「あたしがルールよ」

なんとまあ利己主義なルールだ。よく地球はまともに回転してるな。
 
「ハルヒ」

「何よ。本読みなさい」

「悩みは解消したか?」

「悩み?」

「ほら、いつだか言ってたろ。1週間前だったか、それぐらいの時に。人の中の人が表にどうやらこうやらってやつだ」

「‥‥‥‥」

ハルヒは考えるように、手で顎をなぞり、うーんと唸った。まあ無理もないか。あの時ハルヒは睡眠不足で頭が働いていなかったようだし、多分自分でも何を言ってるのか分からなかったんだろう。


「‥‥‥あー、あれ。解決したわよ」

「そうかい。そりゃ良かった」

「ねえ、キョン」

「ん?」

「その時、あたし他に何か言ってた?」

「いや。他には特に何も言ってなかったと思うが」

「そう」

もうそろそろチャイムが鳴るかと思って時計を見ると、まだ下校時刻まで40分以上あった。全然時間経ってないじゃないか‥‥‥。


「こら、キョン! よそ見してる暇はないわよ! 」

俺は情けないが、まだ1冊も読破していない。読んだ振りをして済めばいいが、感想文を書かなきゃならん。でたらめを書こうにも、どういうわけだが先にハルヒがこの本を読んでしまっているから、的はずれな内容は書けないのだ。

「あと35分よ! 今日こそ1冊読破だからね」

ハルヒが毎回そう意気込むが、結局今回も読破出来なかったのは言うまでもない。
 
 
「しかし、キョン。お前もよくやるなー」

「なんのことだ?」

「何って、最近あの涼宮とラブラブらしいじゃねーか。一体どんな手を使ったんだ?」

「へえ、キョン凄いなあ。たったの半年ちょいで、そこまで関係を進めていたなんて」
 そう話をする相手は谷口と国木田だ。3人で机を囲み、弁当を食いあっている時の話題で必ずこういった話が出てくるものだが、まさか俺の番がくるとはな。谷口、一体誰がそんなことを言ってるんだ?

「オレも人づてに聞いただけだから曖昧なとこもあるけどよー、なんでも、涼宮のあの変な部活をやっている最中にキョンと涼宮以外の奴が途中で帰っちまうだとかなんとか。他にも、ここ最近ほぼ毎日一緒に帰ってるんだろ? 2人で。そういうの見てるのって結構多いんだぜ」

しかしあの涼宮とキョンが、プススと気色悪い笑い声を出しながらニヤニヤしてる谷口もあれだが、健全な顔をしながらも興味がかなりありそうな国木田が

「もう付き合ってるの?」

と聞いてくるのも頂けない。でもここ最近2人で帰っていたのは事実だ。だからそんな噂が立つのも無理ないかもしれん。

「なあなあ、どこまでいったんだ? Aか? Bか?お前まさか、スィー‥‥」

「いっとくがな、谷口と国木田。俺はあそこで本を読んでるだけだぞ。しかも哲学書だ。おかけでもう5冊目に突入している」

 哲学書と聞いて谷口はさらに笑い出し、どんなシチュエーションだよ、さすが2人とも変わってるだけのことはある、と妙に声を張り上げて周りのクラスメイトから不審者を見るような目付きで谷口が見られていたことは、俺の心の中の1つのストレス解消となっていた。
しかし、そうか。噂になってるとはな。涼宮の変人ぶりは入学1ヶ月でかなり広まり、校長の名前を知らなくても涼宮ハルヒの名を知らぬ者はいないとされるほどだ。そんなハルヒと、訳の分からん部活を行なっている部室内で2人きりでここ最近ずっと居て、挙句の果てに一緒に帰っているのだ。手こそ繋いでないものの、それを目撃した人や聞いた者は

「ああ、なるほど」

と、自分勝手に解釈し、妄想を広げているかもしれない。谷口のように。

「というわけなんだが、誰が噂を広げたか分からないか?」

「不明」

だよな。大体、知った所でどうするわけでもない。

「貴方の思っている不明と私の言ってる不明には解釈に齟齬がある」

「‥‥どういうことだ?」

「噂を広げている人間を確認するのは容易。でも、今回の貴方と涼宮ハルヒの噂は、自然発生し各個人の視覚、聴覚を司る脳の部分にダイレクトに植え付けられたもの。誰かが噂話を流し、全員が信じたわけではない」

「‥‥‥えーと、それは長門。どういうことだ?」

「全員が貴方と涼宮ハルヒが相互良関係に務めていると勝手に解釈をした。直接見たわけでも、聞いたわけでもない」

 つまりだ。
普通噂は、誰かが目撃したものを知人、あるいは先輩後輩に話したりするわけだ。その聞いたものがまた同じことを別の人間に繰り返し、その情報が広がっていくというのが本来の在り方だ。しかし長門が言うのを聞いてると、誰も俺とハルヒが一緒に部活をしてたり、下校してたりするのを見ていないのにも関わらず噂が広まったということになる。まるでその噂を最初から知っていたみたいに。

「誰も見てない、言ってないのに噂を皆が知ってるなんてあり得ないじゃないか」

「そう。起こりえない状況。」

「じゃあ‥‥なんでそんなことが‥‥」

俺が長門にそう聞くと、ようやく長門は俺を見上げるような形で視線を向けた。

「最も高い可能性として‥‥」

そう前置きを置いた。そして無機質な瞳とは裏腹に、出てきた言葉は俺を驚愕させるものだった。


「‥‥涼宮ハルヒがそう望んだから」

 
「さあ、今日もSOS団活動するわよ!キョン、あんたは読書だからね!!」

ハルヒの何かが違う、と強く思っていたが、ここ最近それは気のせいだろうと思ってた。
だが今再び俺はひどくそう痛感している。
 
「なあ、ハルヒ」

「何よ」

「これでもう5冊目だな」

「そうね」

「もう大健闘したんだ。これ読んだらもう勘弁してくれ」

「却下よ」

ですよねー。
 
 何故ハルヒは、そんな噂が広まることを望んだのだろう。まさかハルヒが俺に好意を抱いてるとは考えにくい。いや、しかし、じゃないと理由が‥‥

「何1人で赤くなってるの。そんなにヤハウェが良かったの?」

「答えはきっと、イエスですよ涼宮さん」

「キリストだけにかっ! って上手いわね古泉君。さすが副団長だけのことはあるわ」

 ハルヒと古泉がしょうもないギャグで笑い合い、朝比奈さんはちらちらとこちらを窺い、長門はおそらく200冊目くらいの本を読んでいると思われる中、俺は苦悩していた。あのハルヒが!あり得ないだろ!
 しかし実際噂は広まっている。ハルヒが来る前、部室に来て朝比奈さんに会ったら

「あ‥‥良かったですね」

と言われてしまった。朝比奈さん、貴方はここでの事情を知っているじゃないですか。なのに何故そんな言葉を‥‥。

「さあキョン! あと少しで完結ね。そしたらようやく半分か。まだまだ道は長いわね」

なあ、頼むからそう嬉しそうに言わないでくれ。どう反応していいか分からんくなるだろうが。
いや、変に意識してるのは俺の方じゃないか。見ろ、あのハルヒを。いつも通り豪快に、身勝手な行動をしているじゃないか。それにさっきの言い方だって思い出してみろ。別に嬉しそうじゃなかったろ。いつも通り、いつも通りだ。あれがハルヒボイス。モチベーションを一切崩さない団長様の声は、常にあんな感じだっただろ?そうだろ俺?
 
本は全然進んでないのに、長門がパタンと本を閉じる時間はもうやってきた。今日の長門は遅い方だ。何故なら下校時刻まであと1時間だからな。そう‥‥あと1時間も‥‥。

「では、お先に失礼しま‥‥」

「古泉、3回‥‥いや、1回でいい。久しぶりに五目並べしないか」

「キョン! 何言ってるのよ。まだ本は残ってるの。そういうのは、読み終えてからやりなさい!」

お前はどっかの母ちゃんか。

「貴方から誘いを受けるなんて、珍しいこともあるもんです。ですが、僕は今日用事がありまして、またの機会ということでよろしいですか?」
 
お前、用事なんてないだろ。用事がある奴はな、用事なんて言わずに、その用事の具体名を言い出すもんなんだよ。パーティー行かなあかんねん、みたいなのをな。

「では失礼します」

「キョン君、涼宮さんと仲良くね?」

「‥‥‥‥」

バタン、と扉が閉まり。

「さあ、今日も気合い入れて読むわよ! いいわね!」

俺はいつもより読むスピードが愕然と落ちながら、愛の神とはなんぞやを本とチャイムがなるまで語りあっていった。
 
 
「頼む、長門! こんことを頼めるのはお前しかいない!!」

 俺はハルヒと別れた後、長門の家に来ていた。噂話のこともあってか、最近のハルヒは以前と何かが違うということを、俺はプロレスラーが技をくらう時に信じられないくらいでかい声を出すくらいのオーバーさに捲し立てて説明した。その話を聞いていた長門も、俺にお茶を出しはしたものの、俺が話している間は何も反応はしてくれなかった。

話し終わった後、長門はこうポツリと言葉を漏らした。

「貴方は、涼宮ハルヒが貴方について何を考えているのかを知りたいということになる」

「‥‥‥そ、そうなる‥‥のか?」

「出来る」

「本当か長門!?」

「でもしない」

「‥‥ハルヒの精神を脅かしちまうからか?」

「それもある。でも私がそれをしないのは、もっと別にある」

「それは‥‥‥一体」

「私はしない。貴方のためにも、彼女のためにも」

そう最後に言った時の長門の目は、何故だか無機質色ではなかった。ほんの少し口調もちょっと強かったな。気のせいではない。
 
結局、俺は万能宇宙人の力を借りれぬまますごすごと帰路に立たなければならなかった。まあ、そりゃそうだろう。
 
家につき、
「キョン君おかえり~」
と言ってくる妹をよそに、俺は考えなければならなかった。いや、考えなければならない義務などない。しかしどうしたことか、俺に限ってそんなことはないだろうと思うのだが、そういった考えとは裏腹に勝手に考えてしまうのだ。いつも大して頭を使わないのに、どうしてこんな時ばかり活発に脳とやらは動くのか。俺はベッドに腰かけ、その後仰向けになる形で天井を見つめた。そして、ようやく、避けられないパターンの考えを考慮にいれなければならない羽目となった。長々と喋ってきたが、つまりだ、そのだな‥‥。

俺がハルヒに更なる好意を抱

「キョン君~、ご飯だよ~」

 ……ナイスだ。ナイスだ妹よ。いつもくだらない用事でしか俺にちょっかいをかけないが、今回ばかりは最優秀妨害賞にノミネートするくらいの素晴らしいことをやってくれた。危なかった。俺はなんてことを考えていたんだ。危うく1人で悩み苦しみ、悶絶するところだった。そうだ、飯だ飯。俺にとって大事なことってなんだ? ハルヒのことについて考えることか?己が思考を深く追求することか? 違う。断じて違う。俺の最優先事項は飯を食うことだ。そう、そのために生まれてきた。多分、空腹だからさっきのような訳の分からない考えをしそうになったんだろう。危ない危ない。いや、というよりさっきの思考ってなんだ。別に特別なこと考えてないし。谷口の話す自分のモテ度や、他人の話す夢の話やペットの自慢と並んでどーでもいいことを考えていたんだ。そうだろ、俺?今はともかく飯だ。飯を食べよう。今日のご飯は何かな~っと。‥‥‥
 
 
「‥‥どうしたんだ、キョン。なんか目の下にクマがついてるぜ?」

「いや、放っておいとくれ谷口。いやいやいや、やっぱり放っておくな谷口」

「何言ってるんだ、キョン。ボケたか?」

結局夕飯をたらふく胃にぶちこんでも、俺の脳は何かと働き続けていた。ベッドで寝たのは11時のはずだったが、おそらく実際に寝たのは3時間にも満たないんじゃないかと思うくらい、俺は思惑していた。
 教室に着き、なるべくハルヒの方を見ないようにして席を着いたのにもかかわらず
「どうしたの、キョン? なんかクマがあるわよ」
と心配そうに声をかけてきた。心配そうに? ハルヒに限ってそれはない。いつも通りの音域でそう聞いてきた。

「まさか哲学書読んでた、なんて言わないでしょうね。あんただとしたら最高にアホ。アホよ。体壊したら、SOS団に参加出来ないじゃない!ま、無理にでも参加させるけど」

本を読みすぎて寝不足の体験をしたお前には言われたくないがな、ハルヒ。
 しかし俺は心でそう突っ込んでおきながら、あることに気付いた。
今のこの俺の状況、前のハルヒの状況と似てないか?
実はハルヒの寝不足の原因も、本のせいじゃないのではなかろうか。確か長門が、ハルヒの睡眠不足の原因は‘人格と精神’の熟読と言っていたが、あれはあくまで推察だ。記憶を読もうとしても深くは読めないから、実際のところ本のことなんて関係ないかもしれない。今の俺だからこそ分かることがある。もしかしたらハルヒも何か考え事をしていたのかもしれない。何を?何をだハルヒ?


「多分、恋ですよ」

「なんだと!?」

「あ、いえ‥‥‥貴方の食べているお弁当のその魚、きっとコイですよっていう意味です」

 谷口達と食べると、また噂話について聞かれるかと思い、ここでひっそり食べようかと思っていたら、先客が2名いた。1名は無論長門だ。もう1人はこいつだ。
にしても、そういう意味ですってなんだよ古泉。普通そんなこといちいち付け加えないぞ。

「と、言われましても‥‥そういう意味なんですから。貴方が誤解しないように、ね」

「誤解ってなんだ。まさかお前まで例の噂を信じてるわけじゃないだろうな」

フフと誤魔化し笑みを浮かべる古泉は、今回は弁当を持っていない。お前、今度は何しに来たんだ。

「今回は貴方が来るだろうと思ってここに来たわません。長門さんに話を聞いてもらいたかったのです」

「長門に?」

ええ、と頷く古泉に対し、長門はいつものように本を読んでいる。長門とは昨日の一件があってか、少し話しかけ辛いように俺は思えた。長門は無表情だから、そんな風に思ってるかどうかがさっぱり分からんのだが。
 
「最近、また閉鎖空間が発生していましたね」

「‥‥いつものことだろ」

「いえ、それが妙なんです」

古泉は俺と長門を交互に見てから、ハルヒの席を見た。そして目をしっかりと開き、いつもの微笑みを消してからこう続けた。

「閉鎖空間の規模が、どんどん大きくなってきてるんです」

それは、ハルヒがストレスをまた溜めているということか?

「ええ。でも、今まではこんなことありませんでした。閉鎖空間は涼宮さんの精神が不安定になると発生するものです。つまり、あの神人や空間は、涼宮さんのイライラそのものなんですよ。だとしたら、毎回僕達が必死で神人や空間を食い止め、倒し、元通りにしているのですから、閉鎖空間発生後はそうそうストレスが堪らないわけです。しかし‥‥」

古泉は俺の方をじっと見据えた後

「どういうわけだが、閉鎖空間の規模が回数を増す度に膨れ上がっていくのです」

「なんだ、その目は。まさか俺が原因か?」

待てよ古泉。俺はハルヒに嫌だ嫌だいいながらも、ちゃんとここまで付き合ってきたはずだ。読書の件のことだぞ。おかげでハルヒの機嫌も最近良いし、俺が原因となるようなことはしていない。

「おさらいしてみましょう」

古泉は微笑みを浮かべてから、そう口にした。
 
「涼宮さんは本が読みたかった」

そうだな。

「医学の本が読みたかった」

そうだな。

「そして読書大会なるものを開き、それを終え、今に至る」

まさしくそうだ。ハルヒが医学の本が読みたいがために、こんな読書キャンペーンまがいなのをする羽目になったんだろ。

「でもそれはおかしくないでしょうか?」

「何がだ」

「医学の本を読みたかったら、自分で勝手に読めばいいということですよ」

「独りで読むのが嫌だったんだろ。だからSOS団を巻き込んで、俺はこんな羽目に」

俺がそう言うと、古泉の俺の顔に人差し指を向けた。ズビシッ、と音が出るような勢いで。

「それですよ」

「何がだ」

「SOS団を巻き込んで、がポイントなんです」

古泉は推理小説で、読んでる最中に犯人が分かった読者のような顔をしていた。いつものうっとうしさが200%増しだぞ古泉。

「僕たち、どうやって本を選びましたか」

「クジだろ」

「涼宮さんは自分の神がかり的な能力に気づいていらっしゃいません。ここが大事なんです。涼宮さんが医学の本に当たる確率は5分の1。涼宮さん自身、人の精神なるものに興味を持ったのに、それが読みたくても読めない確率が8割なんです。いくら涼宮さんがSOS団を巻き込みたかったといっても、あまりに非効率すぎはしませんか?」

「確かにそうだが‥‥じゃあ、ハルヒはなんでこんなことを言い出したんだ?」
 
「真相が違ったんです」

真相なんて言葉、薬で小さくなった小学生探偵の番組以外で聞いたことないぞ。

「涼宮さんは人間の精神が学びたかったのではないんです。この読書大会は、貴方に本を読ませる環境を作り出すのが目的だったのです」

「なっ‥‥古泉。どういう意味だ」

「簡単ですよ」

長門も興味があるのか、活字から目を離して古泉を見つめている。

「涼宮さんはテレビで医学関係の番組をやっているのを見て、ふと思いついたのです。読書大会を開くことをね」

「関係ないだろ」

「大ありなんですよ。何故なら、その番組を見て、医学というのは何て難しいのだろうと涼宮さんは感じとった。そして、もしこれを本で貴方に読ませたらどうなるだろうと」

読めるわけないだろ、そんなもん。

「その通りです。あ、いえ、その通りというのは失礼でしたね。でも涼宮さんはそう思ったわけです。そして、ある作戦を思いついた」

「もったいぶらずに早く言え」

「了解しました」
 
 
「涼宮さんはSOS団を巻き込んだ読書大会を開きました。1週間に5冊という、2日に1冊読んでも間に合わない若干無理な条件でね。読む本は自由ではなく、選択式。医学、科学、哲学、エッセイ、小説。ちなみに聞きますが、貴方はこの中のどれだったら1週間で5冊いけそうです?」

「いや‥‥どれも無理だな」

「涼宮さんもそう目論んだ。そして涼宮さん内心、きっと貴方に哲学か医学か科学に当たることを願ったのです。そして願い通り、貴方は哲学に当たった」

‥‥‥おい、まさか。

「当然貴方は読めるはずもなく、補習を言い渡されます。僕らが全員2桁以上読んでいるので、貴方も2桁読めと、最も納得いきそうな理由で、貴方は10冊読むことに決定した。仮に僕が5冊でも、貴方は10冊読むはめになっていたでしょう。延滞料で」

「じゃあ‥‥なんだ。それだとまるで、最初からハルヒは俺と2人きりになりたかったみたいじゃないか」

ニヤニヤと笑った古泉は

「その通りです」

と自信満々に言った。まさか‥‥そんなことはないだろ‥‥。
 
「長門さんが例えチャイムギリギリになって本を閉じることをしていても、貴方は残されていたでしょう。居残りで」

「な、なんでハルヒはそんなことをするんだ‥‥?」


我ながら情けない声色になっていたが、ハルヒがここにいないというのに、心臓は激しくビートを刻んでいた。静まれ、俺のビート!

「さあ‥‥何故でしょうね?」

古泉はトドメと言わんばかりにウインクを俺にした。止めろ、気持ち悪い。

「涼宮さんは貴方と2人きりになることを望んだ。証拠は貴方もご存知の通り、例の噂ですよ。涼宮さん自身が、そういった噂が広がればいいのにと望んだあの噂です」

 俺はまだ弁当を半分しか食べていないのに、もう胃はギブを宣言していた。むしろ逆に、胃の中のものが外に出そうといわんばかりに俺は緊張していた。まさかハルヒが‥‥‥。

「待て待て。ハルヒが睡眠不足なのはなんでだ!?」

「それは、貴方に示しがつかないからでしょう。どんなに難しい医学の本でも、ノルマの倍はいっておいた方が、補習の際に説得力増しますし」

「確かあの時、閉鎖空間が発生してなかったな。あれはどうなんだっ!」

「閉鎖空間は精神の不安定からきます。だが、あの時の彼女は不安などなかった。確実に貴方なら読んでこないだろうという自信があったのですよ。眠いのも我慢したのも、全て自分で分かってのことです」

「じゃあ、じゃあだな‥‥‥」

そう口にして、何も出てこなかった俺はようやく痛感した。なんてことだ。まさか、古泉の推察に反論出来ない日が来ようとは。
 
「問題は、ここからなんですよ」

俺が独り悶絶していた矢先、古泉は声色を変えて長門を見据えた。顔からもいつの間にか、微笑みが消えていた。

「先ほども申しましたように、閉鎖空間はここ毎日発生しています。大きさを重ねてね。我々が四苦八苦して止めているのに、涼宮さんのイライラは増すばかり。今までの話を聞いて、長門さん、どう思いますか?」

「涼宮ハルヒは待っている。彼はそう言いたい」

長門、頼むから俺を見ながら言うのを止めてくれ。大体待つって、何をだ。ハルヒは何を待っているというんだ。

「決まってるじゃないですか」

古泉は真剣な表情を崩して、また笑みを浮かべながら

「告白を、です」

と言った。お前も表情をコロコロ変えて世話忙しい奴だな。
それにしても、長門。昨日はそう意味なのか。俺やハルヒのためにもって、そういう意味なのか?

「世界は、貴方が言うか言わないかにかかってます」

古泉がそう言った際、俺は何て口にすればいいか分からなかった。嫌だ? 分かった? 黙れ?

「嘘じゃありません。このままの規模でいったら、世界が飲み込まれるのもそう時間はありませんよ。あと‥‥そうですね、約1週間です」

……読書の時もそうだったが、今度の1週間はもっと酷になりそうだ。

「でも、貴方は涼宮さんのことそんなに嫌いではないのでしょう? むしろ最近は、好」

「うるさい!!」

何を切れてんだ、俺。
あれから気まずい雰囲気となり、チャイムが鳴るまで俺は弁当箱を眺めていた。まだ中身はあるが、とても胃に入りそうにない。
 ‥‥しかし、ハルヒもハルヒだ。何故こういう時ばかり状況だけを作って、あとは受け身モードなんだ。あの閉鎖空間での出来事もそう。キスの次は告白か。順序が逆で、笑えるぞ。
 
予鈴が鳴り、古泉達は部室から出て行ったが、俺は出て行かなかった。というより、足が動かない。
もし俺がハルヒに対して何の感情も抱いていなかったから、逆にあっさりと告白をしていたかもしれない。いや、でもやはり最終的にハルヒの心を傷つけるようなことをしたくはないから、古泉達になんとかしろと言っていただろう。
 あの閉鎖空間の中での出来事は、ちょっとした強制でもあったのだ。世界が滅亡する瞬間に急に呼び出され、さあ早くしないと皆消えるぞという時だった。でも全く好きじゃなかったら、俺はしていただろうか?やっぱり答えはさっきと一緒で、きっとしていない。

「昔からキョンは変な女が好きだからねぇ」

いつだったかの国木田の言葉が思い出される。国木田、お前は佐々木のことを言っているのか? だとしたらハズレだ。やっぱり俺は、佐々木も好きかどうか分からなかったからな。
一緒に居て楽しい。
 ハルヒも佐々木も、そういった部分で重なり合う。
 
「お待たせー!! 皆揃ってるわね。キョン、あんたなんで5時間目サボったのよ!」

「青春のサボタージュだ。多めに見てくれ」

「何よそれ。変なの。でもSOS団には来てるから、死刑じゃなくて罰金にしといてあげるわ! 今度の活動の時は、あんたが1番に来ても払うのよ。いいわね!」

このハルヒのどこがストレスが爆発しそうなんだ。どこからどう見たって健康良子だろうが。古泉の推理が外れてるという可能性は多いにあるぞ。
 だが俺はそれを口に挟まず、黙って哲学書を読むことにした。今更になってだが、この本の言っていることが、それこそ遮光メガネを通して見た太陽のように明瞭に、頭に文字が入りこんでくる。この人達も考えて考えて考えて考えて、考えすぎてこうなったのだろう。今の俺とおんなじだな、預言者さんよ。
 俺が食い入るように本を読んでいると、ふと誰かが横に立った気がした。目線を上げれば、そこにはメイド姿の朝比奈さんがいた。

「あ‥‥き、キョン君。お茶をどうぞ」

「すいません朝比奈さん‥‥って、ん?」

お茶の受け皿を見ると、何か紙が折り畳んである。ハルヒの方をそっと窺うと、今はパソコンに夢中らしい。朝比奈さんの様子から見ても、これは早く隠した方がよさそうだ。

「‥‥‥おいしいです。ありがとうございます」

「いえいえ」

 お茶は本当に上手い。そして、この手紙をくれたことにはありがとうだ。俺は手紙をブレザーのポケットに閉まった。
紙には場所が指定されていた。俺はハルヒと踏切で別れた後、真っ先にその地へと向かった。夏に朝比奈さんの膝でぐっすりと眠ってたあのベンチだ。


「キョン君、良かった。思ったより早く来れたんですね」

その場所にはすでに未来人が待機していて、制服姿のまま俺を待っていてくれていた。長門の話を聞き、古泉の話を聞き‥‥。
 
 朝比奈さんは、一体俺に何を伝えようとしているのだろうか。電灯の明かり以外何も照らすものがないその元へ、俺は駆け寄った。
 

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