私は、いつもどおり研究所の食堂で昼食をとっていた。
 この食堂は、某IT企業ばりに職員は無料で食べ放題だ。
 私の視界の範囲内には、山盛りのカレーを黙々と食べる長門有希さんの姿があった。彼女は、この研究所付属の図書館の司書だった。
 
 
 この研究所は、理系から文系までなんでもありの総合研究機関で、出資者にはあの鶴屋家の系列の企業も入っている。
 基本的に資金使い放題で研究できるという研究者にとってみれば天国みたいなところだ。文系の私でも費用を気にすることなく資料をかき集められるし、理系の研究者は湯水のごとく資金を投入して実験を繰り返している。スパコンなみのコンピューターも使い放題だ。
 それだけの資金の供給源は、所属する研究者たちが生み出した特許だ。特許権の管理事務を研究所で全面的に請け負う代わりに、特許使用料収入は研究所と発明研究者で折半というルールだった。
 研究者という人種は特許権管理という面倒くさいことは避けたがる傾向が強いから、これはなかなかに巧妙なシステムだ。
 所属研究者が生み出した特許の中には毎年億単位の収益をもたらすものもあり、それがこの環境を可能としていた。
 この研究所には、ほかにも、研究者では涼宮ハルヒさん、事務局職員では古泉くんと橘京子さん、付属図書館職員では長門有希さんと周防九曜さんといったところが所属している。世間は狭い。
 涼宮さんは結婚して姓が変わっているけど、通称で旧姓を使用していた。旦那さんは、まあいわずとも分かるだろうけど、キョンだ。
 ちなみに、私は佐々木という姓が変化するようなことは起こっていない。そういう可能性がある相手がいなかったわけではないけれども、タイミングを逸してしまったというか……まあ、ずるずる引き延ばしていれば愛想つかされるも当然か。
 別に、キョンのことを引きずっているというわけでもないつもりなのだが。
 
 
 視界に新たな人物が入ってきた。この研究所では若手の方で、通称ハカセくん。その通称は彼の愛妻がつけたものだが、その愛妻とはキョンの妹だ。
 ちなみに、小学生時代は涼宮さんが彼の家庭教師を引き受けていたそうだ。
 まったく、世間は狭すぎる。
 そのハカセくんは、理系研究者であるけど、私と話すことも多かった。文理を問わない交流というのも、この研究所の売りであるからだ。
 彼は愛妻弁当をひろげ、話しかけてきた。
「そちらの研究は順調でしょうか?」
「相変わらずだよ。本当は石器時代からの経済統計資料が全部ほしいところだけど、さすがにそれは無理だからね。先進国の近代以降の資料だけだと、どうしても定式化の範囲が限られてしまう」
「目指すはセルダンプランですか?」
「未来のハリ・セルダンに先行研究として参考にしてもらえる程度の成果といったところかな。心理歴史学は総合社会科学の究極の形のひとつだからね。せめて、その参考になるぐらいの成果は生きてるうちに残したいものだ」
「壮大な野望ですね」
「野望の大きさでは、キミの方がはるかに上だろう。時間平面仮説は、アインシュタインを超えるパラダイム転換じゃないか。前の論文以降どこまで研究が進んだのかな?」
 ハカセくんの時間平面仮説の理論は、高校時代にどこかで聞いたことがあるような話だったが、まあそれはいい。
 相対性理論を時間平面仮説で定式化しなおす研究は終了し、量子力学を時間平面仮説で定式化しなおす作業もほぼ終わっていたはずだ。
「難問に挑んでいるところです。時間の矢の問題ですね。時間平面仮説では時間そのものはベクトルではないので、どうにも扱いが難しくて」
 『時間の矢』というのは、なぜ時間は過去から未来へにしか流れないのかという問題。文系学者も理系学者も頭を抱える古典的な難問だ。彼もそれにはまっているらしい。
「時間平面同士はわずかな隙間をはさんで断絶しているというのが基本的な理論だったね。確かにそれだと一定の方向性をもった流れというのは観念しにくいね」
「はい。そこから始まってますから、まず時間平面仮説において時間の流れとはどういうものなのかというところから考えないとならなくて、ここ数ヶ月ずっと頭を抱えている状態です」
 私は、少し考えてから彼に疑問を呈した。
「キミの仮説を聞いてからずっと気になっていたことなんだけど、重なっている時間平面が連続性をもっているのはなぜなんだろうね。隣り合う時間平面同士はほんのわずかしか異なるところがないわけだろ? だからこそ、パラパラマンガの比喩も成り立つ」
 時間平面同士が完全に断絶してるなら、隣り合う時間平面同士であっても、もっと異なるところがあっていいはずだ。
 そこが前々からの疑問点だった。
「確かにそうですね」
「完全に断絶しているわけではなく、何らかの相互作用があると考えたらどうだろう。時間平面上のあらゆるものが、ちょっとずつズレながらコピーされていくとしたら? その複写圧力の方向が過去から未来への一方通行だと考えればつじつまはあう」
「時間平面上のあらゆる事象をある種の情報として捉える概念ですか。面白そうですね。定式化を試みてみます。そもそも時間平面も完全な平面ではなく波がありますから時間平面同士が接触することもありえます。そのときに複写されていると考えることは可能ですし」
 
 そこに新たな来訪者がやってきた。
「やっほー、ハカセくん、佐々木さん、有希。元気にしてた?」
 涼宮さんだった。彼女は基本的に在宅勤務なので、研究所に顔を出すのは稀だ。
 その稀な顔出しのときには、文系・理系を問わずあちこちの研究プロジェクトに頭を突っ込んでかき回していくのが通例だった。そして、誰もそれを迷惑がることがない。彼女が頭を突っ込んだおかげで飛躍的に研究が進んだという実例が多いからだ。
 発想の飛躍と物事の本質をわしづかみにする感性が彼女の特質で、まさにこの研究所にはうってつけの人材だった。
「お久しぶりです」
「お元気そうで何より」
「久しぶり……」
 三者三様で、涼宮さんに挨拶する。
 涼宮さんは、長門さんに対抗するかのようにカレーをトレーに乗せてもってきた。
「ハカセくん。あれから研究進んだ?」
 彼がさきほどの話の概要を説明すると、
「きっと神隠しってのは、時間平面のコピーミスね。うん、そうに違いないわ」
 彼女らしい発想だ。
 そして、案外、それが真実なのではないかと思わせるものがあった。少なくても、神隠しという超常現象を理論的に説明できる仮説ではある。
 そんな私の考えは、ハカセくんも同じだったらしく、
「量子レベルでは、立証可能かもしれません」
「粒子加速器でクォーク消滅マジックでもやってみればいいわ。どっかの粒子加速器が使えないか、古泉くんにかけあってみましょう」
 クォークの神隠しね。さすがに、このレベルになると文系学者の私にはついていけない話だ。
 涼宮さんはさらにこんなことをいいだした。
「で、その時間平面複写圧力に逆らって時間平面をぶち破っていけば、過去への時間旅行も可能よね?」
「まずその時間平面複写圧力がどういう力なのかを解明しないと、それに対抗する方法も分かりませんが」
「頑張りなさい。タイムマシンの完成はハカセくんの頭脳にかかってるのよ」
 方法論が確立されても、それを実現する技術が完成するまでには長い年月がかかりそうだけど。
 でも、涼宮さんの言葉はきっと真実なんだろう。彼女の周囲にいる現代人で最もタイムマシンに関係ありそうなのは、彼なのだから。
 彼女にその望みがかなうという神的な力があって、彼女が未来人の存在を望んでいるのだとすれば、彼がその方向に進んでいくのは必然であろう。
「善処します。ただ現代の技術でも、未来人がこの時間に時間旅行してくるところを観測することは可能かもしれません。時間平面にゆがみが出ますから」
「それよ! 未来人がやってきたところをひっとらえるのよ!」
 海外企業で勤務(していることになっている)朝比奈さんを呼び寄せて、いつもどおりに羽交い絞めにすれば、その望みはあっさりかなうんだけどね。
 それはともかく、涼宮さんとハカセくんの未来人捕縛計画には欠点がある。
「涼宮さん。未来人はわざわざ過去人が観測装置を構えているところに目掛けて時間旅行したりはしないと思うけど」
「言われてみれば、確かにそうですね」
 私のツッコミにハカセくんも同意した。
 
 
 そのあと、涼宮さんは、私の研究の進行具合を聞いたり、自分の研究成果を意気揚々と話したり、情報通の長門さんに面白そうなプロジェクトがないか尋ねたりしてから、カレーを平らげて、去っていった。標的に定めたプロジェクトに頭を突っ込みにいったのだろう。
 まるで、太陽のような人だ。
 その印象は、小学校時代から変わらない。
 
 


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